憑依奮闘記 第十三話
2008-06-15
「……始まったか」夕闇のような暗黒に飲み込まれた世界の中で、ディーゼルは呟く。 敵が封鎖結界を張ってくれたのはある意味ありがたい。 もし、それをしなければ休日の今恐ろしい惨劇が起こっていたかもしれない。 奇妙な敵の配慮に少し訝しいものを感じたが、単に邪魔だったというのも考えられるためいまいち判断はつかなかった。 すぐにエリアサーチを飛ばしてみるが、どれだけ状況を掴めるかは分からない。 何せ、このデスティニーランドは一つの街それ自体が娯楽施設になっているといっても過言ではないのだ。
中心の展望タワーと宿泊施設群の周りを囲むように無数の遊具が立ち並び、来場者を楽しませるべく様々なアトラクションがその姿を晒している。 注目すべきはある程度年齢別に遊具が分けられている点か。 家族連れも楽しめる出入り口付近の共通区画、そして大人用と学生用の三つのブースに分けられている。 それらを移動用のモノレールなどで行き来できるようにし、棲み分けを行うことで円滑に客を回せるように配慮がなされていた。
ディーゼルはとりあえず、入り口から近い家族連れ用の区画にいる。 ガンスリンガーの目撃場所からここが一番近かったからだし、何かあれば単独で結界をぶち抜いて逃げることも視野に入れているからだ。 情報が分かれば踏み込むが、不用意に踏み込んで罠に嵌っては意味が無い。 慎重に確実にこなしていこうという彼の性格ならではの静かな動きだった。
「……さて、どうしたものかな」
カフェテラスの席につき、頬杖をつきながらディーゼルは考える。 サーチャーが何かを発見するまではここで目立たないようにしていようと思うのだが、考えることは彼らの動きだった。 遊園地とガンスリンガー。 どう考えても結びつかない。 あれで、デスティニーランドの大ファンだということはないだろう。 彼女は仕事人だから、余りそういう娯楽に身を入れるようなタイプだとは思えない。 それに何より、リビングデッドに休暇があるなんてのが信じられない。
「……風船を持って現れたりはしないだろうな?」
我ながらの馬鹿げた想像に、ディーゼルは苦笑いを浮かべる。 が、それもすぐに止めると弾かれるようにしてテーブルから立ち上がってバリアジャケットを纏い、デバイスを起動する。 愛用のデバイス『S1U』の重みを腕で感じながら、油断無くそれを見据えた。
カフェのある通りに突如として現れた黄土色の魔法陣。 その中から、可愛らしいウサギの風船を手に持って現れた黒スーツの女性がいた。 迷わずこちらにやってくるその姿は相変わらず余裕に満ちており、中々に楽しげだ。 何か嬉しいことでもあったのかと思うほどに、清清しい笑みを浮かべている。
だが、彼女たちの反応が早いということはこの結界内部を完全に掌握しているということの証明だった。 ディーゼルという異物にも、こうも速く対処できるそのレスポンスの良さは脅威である。 やはり、『古代の叡智』は一筋縄ではいかない相手だった。
「やぁ、執務官殿。 久しぶりだね? 元気してたかい?」
なんでもない風にそういうと、上機嫌な彼女はさらに続ける。
「今日は特別な日になりそうでね、少しばかり気が軽いよ。 何せ私が自由になれる日がようやく来たんだ。 これで喜ばなきゃ嘘だからね。 思わず童心に返って着ぐるみのウサギ君から一つ風船を貰ってしまったよ。 ははは、さすがにこの歳で子供たちに混じるのは恥ずかしいものだね」
「……それは良かった。 だが、リビングデッド<屍人>に休暇があるなんて僕は知らなかったよ。 おかげで僕の休日は丸つぶれになりそうさ。 折角可愛い後輩とデートしていたというのに、どうしてくれるのかな?」
「ああ、あのガールフレンドのことかい? それはすまないね。 私も意中の人とデートをしていたんだけれど、途中で邪魔されるのは結構頭にくるよね? うん、理解できるよ」
「で、今回はどうしてまた? まさか、そのウサギ風船がロストロギアで、それの回収のために来たというんじゃないだろう?」
「はは、中々に可愛い発想だね。 うん、子供にとっては”この”風船はロストロギアぐらいの価値があるかもしれない。 何せ夢の塊だからね。 そうであってもおかしくはないね。 とはいえ、さすがにそうだったらどれだけ簡単な話で済むだろうか。 そんな程度の任務であれば、態々僕たちが担ぎ出されるはずもない……」
ややつまらなそうにそういうと、『ガンスリンガー』であるチェーン・ムーブルは握っていた風船から手を離す。 白い頭に赤い目玉が愛くるしいそのウサギ風船が、内部のガスのせいで空へとゆっくりと上っていく。 それを見ながら、両手にデバイスを展開するチェーン。 ドクターに頼んで手に入れた玩具<簡易デバイス>であり、今のチェーンに残されたたった二つの武器である。
「そのデバイス……この前のと同じだね? ”彼女”に預けたデバイスこそが本当の貴方のデバイスだったとして、それは一体なんなのかな? 予備のデバイスなのかな?」
「ん? 私の運命の少女を知っているのかい?」
何故それを知っているのかと、チェーンが首を傾げる。 どういう接点なのかいまいちピンとこなかったからだ。
「知りあいの知り合いといったところさ。 何の仕掛けもなさそうだったから、彼女にアレは渡したままだけど……運命の少女? まさか、君は同性愛者なのかい?」
「――はっ。 面白い冗談だね。 だが、彼女を選んだのはただの偶然さ。 でもね、私の大事な”美学”を守ってくれそうだと直感したから渡しただけだよ。 そこに運命を感じたからこそ、そう呼んだ。 ただ、それだけだよ。 あの出会いは正に、奇跡だった。 でなければ、今日が確実に君の命日だったはずだよ。 君も彼女には感謝したほうが良いよ? 何せ、今日の私は手加減が<非殺傷設定>をできない。 ”殺す気で戦え”と言われている以上、やり始めたら何一つ手心を加えられないのだからね」
デバイスをクルクルと回しながら、西部劇のガンマンよろしくパフォーマンスをし始めたチェーンは静かにそういう。 その軽い仕草に、ディーゼルは苦虫を噛み潰した表情をする。 手加減された上で倒しきれなかった魔導師が目の前にいるのだ。 しかも今度は殺す気で戦うという。 知らず知らずのウチに背中に感じる冷や汗に、緊張感が否が応でも高まっていく。 だが、そんな自分を奮い立たせるようにしながらディーゼルは言った。
「へぇ……じゃあ、君との決着は今日つくわけだ。 勿論、僕の勝利で終わるけど構わないかな?」
「どちらでも良いよ。 これは”仕事”ではないし、この戦いの勝敗には私は拘る理由がない。 ただ、君には生きて欲しいと思うよ。 まだ若いし、楽しいことも色々と経験しておいたほうが良いと思う。 自由に生きられる君には、まだ自由に生を謳歌する権利があるのだからね」
空中を舞う2丁拳銃。 銀のリボルバー<回転式>型と黒の自動拳銃<オートマチック>型。 宙を舞うデバイスを玩ぶその様は、まるで映画のガンマンそのものである。 いつでも掛かって来いというようなその余裕が、彼には酷く気に食わなかった。
「さて、そろそろ始めようか? とはいえ、そのままで良いのかな? サーチャーなんかを放っていてデバイスの処理能力が落ちてはいやしないかい? 前回の戦いのときに”思い知った”と思うけど私と戦うときはそういう負荷はあまり褒められたものではないよ? それに、他の連中が仕事を終えて援護に来る可能性もある。 のんびりせずに、速攻で片付けるようにするべきだと思うんだけれどね。 私を倒してからでも仕事はできるだろう?」
「……その余裕、後悔するよ?」
律儀な敵の忠告に、ディーゼルは素直に聞くことにした。 事実、現在の状況を打破するには少しでもデバイスのリソースを確保しておかなければならない。 彼女との戦いはほんの少しでも反応が遅れれば即死に繋がるのだから。
チェーンムーブルの戦い方は普通の魔導師のそれではない。 普通の魔導師と同じように戦うのでは待っているのは敗北だけだ。 何せ、彼女は普通の魔法戦闘をさせてくれないのだ。 質量兵器を模したデバイス、そこから吐き出される銃弾はまるで本物の銃弾のように連射が効き、その威力も尋常ではない。 のんびりと大きな魔法を詠唱する暇など無く、さらに放たれる弾丸は目で見てから対処することなどできはしない。 魔導師であっても、動体視力を大きく超えるそれらを目で見てから避けることなどほとんどできはすまい。
引き金が引かれる前に射線から逃げるか、シールドで受けるしか手は無い。 だが、一度捕まってしまえば彼女の銃弾の嵐の前にシールドもバリアジャケットも抜かれてしまうだろう。 いくらディーゼルの集中力が並外れで、ヴォルクとやりあったときのように規格外のマルチタスク<多重詠唱>ができるといっても、彼女のように余裕を一切与えてくれない相手では意味が無い。 切り札を使えないまま、彼女を制するにはいかにして彼女の読みを超える動きができるかに掛かっている。 行動一つ一つのレスポンス<反応>と速度<スピード>こそが勝負の明暗を分けることになるのだ。
サーチャーの演算を止め、ゆっくりと前傾姿勢になるディーゼル。 その目は真っ直ぐにチェーンを見ていた。 チェーンはそれに頷くと、玩んでいた銃を握りなおして高らかに宣言する。
「では始めようか。 無意味な時を刻む死人<リビングデッド>と正義の味方<執務官殿>の二度目にして最後の勝負さ。 本来出会うべきではない二人、出会うはずの無い私たちの最後の逢瀬、存分に楽しんでいってくれたまえ!!」
それまでの楽しげな笑顔を捨て、薄っすらと微笑を貼り付けただけの冷酷な仕事人の相貌を晒すと、チェーンが天に向かって銃弾を放つ。 まるでスポーツのような開始の合図となった銃撃音。 それが木霊すると同時にディーゼルが高速移動魔法で残像を残しながら高速で駆け、チェーンがそれを迎撃すべく2丁の拳銃を乱射する。
一瞬にして鉄火場と化した戦場の上で、チェーンの握っていた風船が二人を心配するように風に流れていく。
ジグザグに走り、数メートルの距離を一瞬で詰めにかかるディーゼル。 彼女と戦う場合は距離を開けてはならない。 特に、最高の砲撃距離である中距離は駄目だ。 普通の拳銃ならば離れれば離れるほどに命中させるのが難しくなるため、セオリーでは射程外まで離れての遠距離攻撃か超至近距離での接近戦が有効だろう。
だが、彼女の扱うのはデバイスであり、通常の銃のセオリーは通用しない。 また、近距離であってもその戦闘技術は脅威である。 離れるか近づくか。 この二者択一に、しかしディーゼルは迷わず近距離を選んだ。
「ジャベリン起動、追加演算ディレイブラスト!!」
青の槍を展開すると同時に、お得意の爆裂魔法を遅延式で放つ。 チェーンの真横に現れたディーゼルの槍が身体ごとなぎ払うようにチェーンを襲い、その後ろから追尾するように遅れて爆裂弾が迫っていく。 槍を軽く後ろに飛んで避けるチェーン。 その手に握る2丁拳銃が、迫り来る爆裂弾に向かって次々と火を噴いた。 破裂する青の閃光に焼かれながら、ディーゼルはそれを目くらましにして高速移動魔法で後ろへ回る。
「はは、速い速い。 追いつけるかな?」
背後に伸ばされた右腕。 銀のリボルバーが、振り返らずに弾丸を吐き出す。 咄嗟の曲撃ちにディーゼルが舌打ちしながら首を逸らす。 バリアジャケットを掠っていく黒の弾丸。 至近距離での銃撃音に萎縮しそうになる自分を諌めながら、二発目が放たれる前に槍を突き出すも、今度は銃撃を放った勢いで身体を回転させていたチェーンの左手に握られているオートマチックがそれを横から弾いた。 オートマチックの銃身で受けたわけではない。 その下部に取り付けられているレーザーサイトにも似た形状の魔力刃発生装置から伸びる刃で払ったのだ。 青を弾く黒。 そこへ、再び突きつけられる銀のリボルバー。 回避し難い胴を狙う引き金が引かれる。 一発、直撃――。
「――っぉぉ!!」
バリアジャケットが辛うじて一撃に耐える。 だが、それ以上を許せば抜かれる。 引き金を引かれるよりも速く外側に弾かれていた槍を片手で振る。 それを阻むのは再び振るわれる黒き刃だ。 衝突のインパクトが両者の腕を襲う。 だが、それに競り勝ったのはディーゼルの槍だ。 簡易型デバイスの魔力刃では威力が足りない。 弾かれたオートマチックの刃に、泳ぐチェーンの身体。 だが、それでも銃は離さない。 そして、ただでは負けないと照準を定めていたリボルバーの二発目を放つ。
「弾種選択――シェットシェル<散弾>!!」
至近距離で放たれる必殺の弾丸。 銃口から発射される無数の小さな弾丸が、広がりながらディーゼルを襲う。 が、それを辛うじて展開できた青のシールドが防いだ。 サーチャーを展開していたら恐らくは間に合わなかっただろうが、辛うじてチェーンが送ったアドバイスが執務官の命を繋ぎとめた。 着弾の衝撃が爆風と轟音を奏でながら粉塵を巻き上げ、両者がその粉塵の向こう側へと消えていく。
「ふふ、かなり動きがよくなっているじゃないか執務官殿? 前に会った君なら今ので死んでいるはずだよ?」
粉塵の向こうから、再び散弾を放つ。 だが、それに応える声はない。 この粉塵にまぎれて攻撃しようというのだろう。 正しい判断だ。 そして、中々に面白い。 チェーンは少し浮かれているのを自覚したまま、そのまま粉塵が落ち着くのを待つ。 浮かれているといっても、それは最後に楽しい仕事ができるからではない。 勝っても負けても望みが叶うのである。 ただ、決着がつけばそれで良かった。 人間は我慢すれば我慢するほど、何かを達成したときに感じる快楽は大きい。 その望みが叶ったときの喜びといったらないのだ。 だからこそ、このカウントダウンが、焦がれる心が、彼女の心を浮かれさせているのだ。
束縛からの解放は、何よりの快楽だとチェーンは思う。 或いはそれが、牢で囚われる虜囚の持つ共通の快楽の瞬間なのだろうか? 生前、外に連れ出されて満足して逝けると思ったときと似たような感覚が彼女の心に確かに芽生えていた。
「ハリーハリーハリー!! 黄泉路への切符は今ここに。 地獄の死者は今そこに。 その槍で私の偽りの生をとめておくれ。 こんな馬鹿げた茶番から開放しておくれよ。 さぁ、さぁ、さぁ!! 執務官殿、次の戦術はなんだい? その青い槍を使うのかな? それともお得意の爆裂魔法かな? それともそれとも、もしかして私用の何か切り札でも用意してきてくれたのかな? だったら、だったら速くそれを見せておくれよ!! 待ちきれないんだよ、すぐそこにある自由が!!」
粉塵が消えていく。 その只中で狂ったようにチェーンは願い詠う。
「焦がれていたんだ。 焦がれていたんだよ。 美学を守ったまま死ねるこの今日という日を私は願い続けていたのさ。 使役される屈辱の日々に、生かされるだけの苦痛の日々に。 牢獄を越える無味乾燥な部屋には、たった二つの救いしかなかった。 グラ爺とドクターがいなければ、私はとっくに狂っていたね。 自分の銃で私自身、何度この身を撃ち殺そうと思ったことか。 この私チェーン・ムーブルはね、正義も悪も信じない。 でも、何かを美しいと感じるこの美学<価値観>と家族<ファミリー>だけを信じてきた。 それしか私には信じられるものが無かったからだ。 そんな私の、この価値観を!! 美学を!! 奴らは踏みにじろうとしていた!! だが、私は今日という日に解放されるのさ!! はは、さぁ次を見せてくれ執務官殿!! この哀れな屍人<リビングデッド>を救っておくれ!!」
粉塵の向こう、静かに魔法を唱える執務官。 その頭にあるのは現状をどうやって打開するかということだけだった。
彼女とは立ち位置が違う以上、その言葉に込められた悲哀を真に理解することなんて出来ない。 束縛されて不自由だったチェーン。 自分の意思を貫けないかもしれないという苦痛を想像することはできても、ディーゼルには理解することはできない。 今はただ、職務を遂行することしかできないのだ。
だが、そう考えてディーゼルは思わず苦笑した。 チェーン・ムーブルという女性のあり方を知ろうとした自分がいたことに気づいたからだ。 そして、そういう環境を生み出したものへの明確な反抗を選び続けられるその精神には共感のようなものを感じていた。 自分がもしリビングデッドだったらどうしただろうか? 彼女のように抵抗したのか、それとも徒順に従ったのだろうか?
(いいや、僕もまたそれは選べそうには無いな)
犯罪というのは悪いことだ。 そんなことは魔導師としても、そして一般市民としても執務官としても容易に理解できる。 そんなものは悪だ。 彼女風に言うならば”美しく”ないことだ。 クライド・ディーゼルは正義の味方ではないが、だが決して悪人でもない。 彼は次元世界の警察と揶揄される組織に所属する一執務官に過ぎない。 善悪の判断をする法のために動き、それを守らない”悪”を取り締まる側である。 だからこそ、勝たねばならない。 彼女と同じように、明確な敵<悪>を許してはならないのだから。
粉塵が消える。 その寸前、多重起動していたブラストバレットを全周囲から向かわせる。 ヴォルク提督がやっていた、ジェノサイドシフト<殲滅配置>の構えだ。 全周囲からの包囲爆撃。 さらにそこに便乗するために、空を飛ぶようにしながら頭上から強襲する。
「はっ、今度は銃劇舞踏<ダンスマカブル>が欲しいのかい?」
全周囲から迫る怒涛の爆裂魔法の嵐に、しかしガンスリンガーは動じない。 その場から回転するように連射された散弾が、次々とブラストバレットに着弾して破裂する。 黒を飲み込む青。 青き滅びの花が、戦場に咲いては散っていく。 あるものは味方の青を飲み込み、あるものは黒を丸呑みし、あるものは頭上から襲い掛かろうとした執務官の至近距離で破裂する。 一回転で全てのブラストバレットを撃ち落したチェーンが、頭上から迫る執務官に向かって銃を構える。 だが、引き金は引けない。 それよりも速くに飛翔する執務官の突き出した槍が、彼の意を汲み取って伸びてきたからだ。
上体を下げ、しゃがみ込むようにしてそれを避ける。 そうして、角度をずらしながらオートマチックを発砲。 だが、全く速度を落さない執務官がチェーンの頭上を飛び越えながらそれを避ける。 同時に振り返る二人。 構えられた両者の獲物が背後の敵に襲い掛かる。 互いの首筋に突きつけられたのは、青の槍と黒の自動拳銃。 ほぼ同時に、あと一息で互いを殺すという位置で二人が申し合わせたように動きを止めた。
「……どういうことかな? 執務官殿?」
「それは……僕も聞きたいさ」
ガンスリンガーが構える右手に握られた銀の回転式拳銃、その銃口の先にはディーゼルの姿は無い。 何故なら、それが捉えているのはまた別の人物であったからだ。
「……観客、というには最悪の観客だね。 君にとっても、僕にとっても」
辛うじて引き金を引いてない右手。 今にも発砲してしまいそうなそれに抵抗しながら、強張った顔のままチェーンが言う。 執務官とガンスリンガーが互いを牽制しながら視線を彼女の方へと向ける。 そこにいるのは茶髪セミロングの少女だ。 その手に握るのは杖型のデバイスであり、今にも弾丸が発射されようとしている。 気丈にもディーゼルを援護しようというのだろう。 だが、それは最悪の展開を誘発するだけだ。
「フレスタさん? 馬鹿な、なんだってここに――」
「そうかい、フレスタというのか彼女の名前は」
何とか引き金を引かないように耐えながら、チェーンは運命の女神の悪戯に嘆く。 もし、仮に彼女がその魔法の引き金を引けば、彼女を”妨害対象”としてカテゴリーしなくてはならなくなる。 そうなれば、彼女に植え付けられたコマンド<命令>に従って彼女は動くしかなくなってしまう。 つまりは、彼女を殺す気で相手をしなければならなくなるということだ。 そして、そうなれば一番確実に執務官殿を葬るための武器を回収することになってしまう。 なにせ、それが一番手っ取り早い決着のつけ方であるからだ。 だが、それをしてしまえば最悪だ。 今まで守り抜いてきた美学が穢れる。 そんなことは許してはならない。
困惑する少女を見ながら、動くに動けない状態に陥ったチェーン。 その冷静な部分の思考は、既に射程範囲内に収まっている彼女の始末の仕方を演算しきっている。 ほぼ無意識のうちに長年培ってきた反射ともいうべき戦闘思考には、合理的な最善案が浮かんでいた。 一番の最善は彼女にとっての最悪。 そしてまた、それは執務官にも連鎖する。 まるで、導火線に火がついたダイナマイトを二人で仲良く握っている状態だった。
「最悪の……一歩手前だね。 どうにか踏みとどまってくれれば良いのだけどね――」
重いため息をつくガンスリンガー、だが現実は無常だった。 杖型デバイスから発射される桃色の弾丸。 スナイピングバスターのその弾丸が、轟音を立てて”発射”されたのだ。
神業めいた勘で反応したチェーンが、それを銀のリボルバーで撃墜する。 と同時に、止まっていた執務官とガンスリンガーが動き出した。 突き進む槍の切っ先、放たれるオートマチックの弾丸。 だが、互いに紙一重でそれを避けると、それぞれ最悪の展開の中で動いていく。 否、動かされていく。 チェーンの狙いはフレスタ。 ディーゼルはそれをさせまいと戦場を奔る。 二人の戦いはまだ、決着がつきそうになかった。
憑依奮闘記
第十三話
「イレギュラー」
青き光刃の軌跡に沿って、斬り飛ばされた人形の部品が宙を舞う。 その破片が地面に着くよりも速く、クライドは次の斬撃を放つべくブレイドの刃を振るった。
カグヤのモーションは一刀両断を地で行くシグナムのモーションとは違い、体捌きが次へと繋がりやすい。 想定されている戦闘方法が違うのだから、その結果は当然か。 以前と格段に速いその斬り返しは、ここ最近のクライドの修錬の賜物である。
とはいえ、それは彼個人がそう思っているだけて実際は少しマシになった程度だった。 覚え直す過程で実際はシグナムとカグヤのモーションの中間みたいなものに知らず知らずのうちになっている。 やはり、習得にはきちんとした時間が必要ということだろう。 恐らくそれを目の前でカグヤが見たら容赦なく駄目だしをしているだろう。 だが、本人はそれにまだ気がついていない。 というより気にする余裕も無い。
『クライド右だ!!』
「つっ!?」
――後方へ跳躍、そしてシールドを複数生成。
瞬間、目の前を横切るミサイルランチャーの弾体。 一歩間違えれば直撃という恐ろしい結果が待っている。 バリアジャケットのおかげで即死にはならないだろうが、ある程度のダメージは覚悟しなければならないだろう。 そんなのは御免である。 内部でクライドのサポートをしているアギトのおかげで、クライドはクリーンヒットらしいものは貰っていない。 質量兵器との戦いは始めての癖に、中々に運が良い。
――生成したシールドを更に変性。 そうして生まれたシールドを高速回転させながら周囲に展開。
「シールドカッター……行け!!」
『誘導は任せな、あんたは構わず切りまくれ!!』
融合したクライドは専ら攻撃と回避だけに集中し剣を振るう。 いつもとは違って、その動きは酷く攻撃的だ。 アギトの情報処理性能はクライドの経験不足を補うにはかなり良い。 いつもよりも一歩二歩先のことまでできそうだった。 これが簡易デバイスと”本物”の差という奴なのだろうか。 恐ろしいほどのその性能に、クライドは酔いそうになる。
(やべぇ、このままもう手放したくないぞ? この性能にこの感覚……癖になるな)
現在所持できる理由がクライドには無いのだが、それでもそう思ってしまうのはその恩恵が破格だからだ。 高級機と呼ばれるその意味を肌で実感するクライド。 その周囲ではアギトが操作を肩代わりしたシールドカッターが次々とマリオネット<人形>を食い散らかしている。
鋼鉄で作られた人形。 質量兵器を装備する人形が、その四の刃によって火花を撒き散らしながら切断されていく。 まるで糸の切れた木偶人形の様なガラクタが、周囲にどんどんと出来上がっていった。
休日に魔法の勉強をしながらつけっぱなしにしていたテレビで放映していた通販番組。 そこそこミッドで有名なその番組『午後は全部思いっきり通販』で司会のノミさんがたまたま紹介していたので目に入ったのが『エンジンカッター』であった。 それを視聴したせいでシールドを改造し、攻撃魔法に応用することを思いついたことでクライドが実用化したのだが、やはり元にした物が物だけに強固な物体に対する強引な切断力はかなり頼りになるようだった。
後方では魔法少女となったミーアとキールが強力な防御結界で身を守りながら同じくそれで援護をしてくれている。 気のせいかクライドのシールドカッターよりも威力があるようで、接触から切断までの時間に差が出ている気がした。
(俺の魔法なんだけどな……)
防御結界やシールドの扱いが上手いあの一族には、本家の嘆きは通用しない。 次々とマリオネットを破壊していくその光景に、内心でクライドは涙する。
と、左側から攻めているクライドとは反対の位置で物凄い現象が起こっていた。 地面を削りながら放たれるシグナムの連結刃が、次々と彼女の周辺をなぎ払っているのだ。 クライドが一体一体確実に屠っていくのに対して、彼女はそれを振り回すようにしながら次々と敵をスクラップにしていた。
初めは距離を詰め、レヴァンティンを用いて一体一体丁寧に倒していたのだが、倒す側から召喚されていくことに気がついてからはそうやって数を減らすことに専念していた。 恐らくは、召喚されるよりも速く倒してやろうと考えているのだろう。 一人で無双している彼女の周囲で、さしもの人形も二の足を踏んでいた。 果敢にも遠距離から弾幕を張るものもいたが、小銃や機関銃程度では彼女の纏う強力な騎士甲冑に僅かなダメージさえ与えられない。 威力の高いロケット弾やミサイルランチャーの類はそもそも振り回すレヴァンティンのシュランゲフォルム<鞭状連結刃>によって射程内に入った放たれた側から撃墜される。 さすが、ヴォルケンリッターのリーダーをするだけあってその戦闘力は凄まじいものがあった。 だが、それでもさすがに次々と召喚されていく人形には辟易しているらしい。
「まったく限りが無いな。 速くあの三人と合流したいものだな」
特に疲れなどはみせておらず、まだまだ余裕であったがさすがにこうも延々と来られては彼女も面白くは無いのだろう。
「いやー、さすがだね。 あの人だけで三分の二は駆逐してるよ」
「うん、頼もしいお姉さんだよねシグナムさん」
援護をするキールとミーアが、感心しながら呟く。 二人で展開した結界の内部に閉じこもり、援護をしながら遠めにその様子を見ていたが、シグナムの無双ぶりには二人して目を丸くしていた。
「これなら、リビングデッドもまとめて一人で倒してしまいそう。 逃げる必要なんてないんじゃない?」
「いや、さすがにそれは無理だと思うよミーア」
高ランク魔導師というのは、それ一人いるだけで脅威なのである。 相手の人数が最低でも五人としたら、さすがのシグナムでも制するのは無理だろう。 一対一なら勝てるかもしれないが、それが二対一などになればそこからはもう数の暴利で押しつぶされることは明白だ。 だが、とも思う。 もし彼ら四人が揃ったのならば、それも不可能ではないのではないか……と。
さすがにそれは都合が良すぎる想像だ。 苦笑しながらキールは落ち着いた様子でシールドカッターを操作していく。 スクライア一族にとっては質量兵器なんてものは結構馴染みがある敵である。 発掘の過程で防衛兵器と出会ったりすることもあるため、それの延長だと思えば大した恐怖は無い。 彼からすれば高ランク魔導師の方がよほど怖い存在であった。
次元世界の警察である管理局。 そしてその管理社会を支えている高ランク魔導師たちの戦闘能力は想像を絶するものがある。 街一つ焼き尽くすことができる者もいるのだから、その力を恐れない理由は無い。 知らず知らずのうちに畏怖を抱くのは当然の感情だったのかもしれない。 もっとも、今はその彼女が味方であるのだから怖がる理由など無いのだが。
「……それにしても、一体彼らはどこからアギトのことを嗅ぎつけたんだろうか? 時空管理局に登録するまでは僕たちはそれほど彼女を表立って連れまわすことはなかったはずなんだけど……」
気になるのはそのことだ。 特に、ここへ今日訪れることはミーアの子供らしい嘆願をきいたおかげなので一族の連中も知らないはずである。 だというのに”何故”彼らはこうもピンポイントにここへとやってきたのか? 元々監視されていたのだろうか? だが、その考えをキールは即座に否定する。
(いや、だとしたら管理局に届ける前に押さえに来るはず。 僕たちは基本的に戦いが得意ではない。 連中からすれば強引に一族の船を襲うことはわけもないことのはずだ。 であれば、それまでは連中はアギトのことを知らなかったということだけど、”時空管理局”に真っ直ぐに行ったからそれほどアギトが人目につくようなことはなかったはず……ということは、知られたのは管理局内でか? 管理局サイドに内通者でもいるのだろうか? 偶然にしては出来すぎているし、”秘匿されているはずの執務官の本物の個人ID”を入手していた点といい色々ときな臭いことばかりだ。 管理局……いや、待て。 ”何か一番怪しい”ことを忘れてはいないか?)
一番長くアギトが留まっていたのは、時空管理局の本局。 そして資料集めのために閲覧させてもらっていた”無限書庫”と借りていた宿泊施設ぐらいだ。 であれば――。
(まさか、連中は管理局とつるんでいる? もしくは無限書庫の本を”編集”しているかもしれない連中とつるんでいるのか?)
不意に頭をよぎった荒唐無稽な想像に、キールは戦慄を感じた。 それがもし仮に本当だとしたらとんでもないことであるからだ。 ただの被害妄想とかであれば良いが、そうでないのならばこれは問題である。 勿論、この想像には矛盾はある。 管理局と組んでいるのであれば、管理局の強権を発動し、アギトをキールたちから取り上げればよいのだ。 だが、現実にはそういう圧力はまだない。
それをしない、できないということはどういうことなのか? 連中には”正式に”決まった手続きを変更させるようなことはできないということであり、つまり表側に関われない完全なアウトサイダーであるということだとすれば、少しは繋がる気がする。
許可されているにもかかわらず、いきなり所持許可を取り上げられれば恐らくはあの少年も、そして自分も何故そうなったのかを追及するだろう。 そうしたときに、その圧力のかけ方から自らへと手が伸びる可能性を嫌っているからこそしないのだとしたらどうか? キールの中で想像はどんどんと膨らんでいく。
それにアギトのことも気になる。 連中にとっての脅威? それとも研究目的? 可能性はいろいろとある。 ”古代の叡智”とはロストロギアを収集している組織だとあの執務官は言っていた。 ”ただ彼らの行動をなぞるだけ”ならばそう言う読みは正しいだろうが、その中にもっと明確な行動理由があったとしたらどうか?
――”連中”とか言うのに隠蔽された歴史なんだって今の歴史は。 どう思うキール?
思い出すのはミーアがアギトと歴史空白の存在しない歴史のデータを見せてきたときだ。 あの時のミーアの言葉を信じるのであれば、連中と無限書庫を繋げた場合には面白いことになる。
そこから推測すると、少なくとも連中は”アギト”がどういう存在であるのかを詳細に理解している可能性がある。 連中が歴史を隠蔽をするために”意思、或いは記録や記憶を所持するロストロギア”を躍起になって収集していると仮定すれば、アギトを狙う理由になるかもしれない。 であれば、色々と繋がってくる。 ああも歴史を特定不可能に編纂された無限書庫の本、そして連中がアギトを手に入れようとする理由が面白いぐらいに符号してくる。
アギトの価値はもう生産できないユニゾンデバイスという部分だけではない。 彼女が初期化される前に記憶していたデータ、あるいは偶に知っているかのように発言するそのおぼろげな記憶にこそ一番価値がある。 デバイスマイスターという観点からではなく、歴史研究家としての視点で物事を考えるキールには、そちらの方が重要に思えてならなかった。
アギトの情報を知り、なんらかの意図を持ってこうしてアギトを欲しているのだ。 少なくともアギトがどういう存在なのかを知っていなければしないだろう。 確かに彼女は貴重なロストロギアだが、彼女のようなベルカ製のユニゾンデバイスが他に見つかっていないというわけでもない。 だが、アギトになんらかの意味があり、それを知る者であれば話は別だ。 ”態々”ミッドチルダという次元犯罪者にとっては鬼門のような地で、ピンポイントに襲い掛かってくるのは連中がアギトだけが持つかもしれない”何か”を危険視しているからだ。
(まあ、全部意味の無い空想なんだけれど、そう考えると面白いな)
無論、ただ単にアギトが珍しいから欲しがっているという線も考えられなくも無い。 そういう方面でも純粋に価値があるというのはキールだって分かっているつもりだからだ。
「誰か一人でも捕まえて問い詰めたいけど無理だろうなぁ」
簡単に口を割ることは無いだろうし、そもそも捕まえるのが困難であると聞く。 考古学者としての探究心がムクムクと沸いてくるが、今は命を守るときである。 キールは再びシールドカッターを展開。 結界を維持しながら次々とマリオネットを駆逐していく。 だが、ふとそれをしていて感じた。 少しずつ、シグナムとクライドが倒しているマリオネットたちが外側に下がっていくのだ。 まるで、二人の間を分断しようかというかのように。
「二人とも、少し離れすぎじゃぁ――」
声を張り上げようとして、しかしそれが届く前に新しく黄土色の魔法陣がクライドの方に展開された。 マリオネットではない。 明らかにそれは人間だった。 であれば、それはリビングデッドの送り込んできた新しい戦力に相違ないだろう。
その手に握っているのは自身の身長にも匹敵しそうなほどの長さを持つ黒の大剣であり、それを肩に担ぐようにして後ろで構えていた。 新しく現れたその筋骨隆々のその青年は、周囲をしばらく睥睨するとすぐに行動を開始する。 途端、周囲に膨大な魔力の風が吹き荒れた。 明らかに高ランク魔導師の魔力量である。 思わず身が竦みあがりそうなそれに、隣に立っていたミーアがそっとキールの服の袖を握った。 どうやら、感受性が高いミーアには理解できたらしい。 その存在が先ほどまでマリオネットを駆逐していた”彼女”とほぼ同等であるということに。
「こ、これは不味いな」
マリオネットが数で押してくる程度であれば、どうとでも対処できる。 だが、本物の強者がやってきて戦力を切り崩しに来ている。 しかも、彼らの狙いであるアギトと融合するクライドの近くにその青年がいる。
青年が踏み込むだけで、地面が割れた。 捲れ上がるアスファルト、その波を意に返さずに大剣の男がクライドに向かう。
「主、逃げろ!!」
振り上げられるは断頭台の刃。 一撃で一切合財を無にする恐ろしい一撃を前に、シグナムが援護しようと動くが絶望的にその初動が遅れている。 これでは、彼女は間に合わない。
濃密な死を予感させる一撃を前に、クライドの頭に絶望が浮かぶ。 だが、それとは裏腹に身体は反射的に動いていた。 真上から振り下ろされようとする超人の斬撃。 世界の一切合財から音が消え、全ての感覚が死から逃れるべく全力でクライドが動いた。
或いは、それはただの偶然であったのだろう。 何度も何度もそんなことをしろと言われても、クライドにはできまい。 内部でサポートするアギトと、クライドが感じた死への恐怖が、生存本能を刺激してその強烈な感情を弾けさせる。 真横の何も無い空間を蹴り飛ばすようにしながら、クライドが”エア・ステップ”の反動を利用して、紙一重で横に逃れる。 本来は空中を走るためのものであり、まだニ、三歩しか歩けない稚拙な技術だったが練習していたおかげで、辛うじてそれがクライドの命を繋ぎ止める。 次の瞬間、踏み込みなど比較にならないほど地面が抉れた。 振り下ろされた大剣がもたらした一撃がただそれだけで地面にクレーターを作ったのだ。 周囲に飛び散るアスファルトが、大量に周囲に降り注ぐ。
「――む? 何も無い空間を蹴るじゃと?」
訝しむその青年は、しかしすぐに手応えの無かった剣を振り上げクライドを追う。 逃がさないとばかりのその追撃に、クライドの顔から血の気が引いた。 グラムサイトを最大展開範囲ギリギリの五メートルほどまで展開し、辛うじて現段階で最高の回避が出来るように備える。
次に放たれようとしたのは振り下ろしではなく、地面を削りながら放たれるなぎ払いであった。 どういう斬撃が来るのかは理解できていたが、それでもその威力が半端ではない。 まともに受け止められるわけもない。 モーションから理解した瞬間、クライドとアギトが揃って行動を開始する。
「――カートリッジロード!!」
『――斬撃強化!!』
アギトの強化を受けたブレイドの刃を受け流すように構え、後方へ跳躍。 さらに瞬間的にカートリッジをロード。 ブレイドが薬莢を吐き出したと同時に、黒の大剣がブレイドの刃にぶつかり、恐ろしいほどの魔力が爆裂した。 両腕が千切れるのではないかというほどの衝撃を受けながら、クライドが地面と平行に吹き飛んでいく。 恐ろしいことにブレイドの魔力刃は、ただその一撃を受けて消し飛んでいた。 その法外な一撃を対処できたのは恐らくは奇跡である。 後ろへ跳躍して勢いを殺したことと、アギトとカートリッジによる威力強化が無ければクライドは今頃上下に身体が分かれていただろう。
無様に地面を転がるクライドが、なんとか受身をとって立ち上がったその瞬間、足元に広がる黄土色の魔法陣。 そこから召喚されるは鋼鉄の鎖。 あらかじめ付加しておいた無機物操作の魔法を用い、召喚した鎖を操って未だ見えぬ位置にいる召喚師がクライドを拘束したのだ。
「これは、アルケミックチェーン!?」
『クライド、くそ……今解除術式を!!』
鎖で雁字搦めにされたクライド。 だが、二人の抵抗をあざ笑うかのように次の術式が起動される。 クライドの周囲に現れる黄土色の魔法陣。 身動きが取れない今、それを避ける術はクライドにはない。
「く、連続召喚? しかも今度は逆召喚だと? 器用すぎるぞ!!」
悪態をつきながらブレイドに刃を生成。 それを振ろうとしたところで時間切れだった。 クライドとアギトの抵抗空しく、二人はその場から強制的に転移される。 魔力分解されて消えていく二人を前にシグナムたちは何も出来なかった。
「主クライド!?」
「すまんな、”まだ”邪魔はさせん」
シグナムが追ってきていたが、それに大剣の青年が立ちふさがる。 圧倒的な力を有するその魔導師に、さしものシグナムもそれを無視して追うことはできなかった。
「――我らが主に何かあれば、貴様ら全員ただでは済まさんぞ!!」
焦る感情を押し殺しながら、シグナムが剣を構える。 その目にはいつもより数段は鋭い剣呑さが宿っている。 青年はそれを目にしながら、大剣を掲げた。 やってみるがよいと、無言で語っている。
その一瞬触発の空気の中、しかし二人が衝突する寸前に空中から二人の騎士がやってきた。 キールとミーアの前に立つようにして戦場に現れたのは、ザフィーラとシャマルである。 いち早く主がいないことに気づいたザフィーラが、シグナムに尋ねた。
「シグナム!! 主は!!」
「すまん、目の前で奴らに連れ去られた。 ザフィーラ、シャマル!! キール氏たちと共に主を追ってくれ!! こいつは私が斬る!!」
「っ――任せるぞシグナム!! シャマル!!」
「はい、任せてください。 結界内部にいるのなら、必ず見つけ出してみせます!!」
「すまないが、我々に手を貸して欲しい。 このままでは主が危ない」
「ああ、今は彼を追おう」
「うん!!」
お互い、ある程度話を聞いていたので疑うことはない。 連れ去られたアギトとクライドを助け出すためには問答は後でよい。 状況がどれだけ不味いのか、誰もがしっかりと理解しているからだ。
「シグナム!! ヴィータが来たらシャマルへ念話するように言っておいてくれ!! すぐにここにやってくるはずだ!!」
「承知した!!」
高ランク魔導師と戦っているはずのヴィータに余計な負担をかけないようにしながら、ザフィーラは鋼の軛を放つ。 周囲に群がろうとしたマリオネットを一斉になぎ払うと、先陣を切るようにしてこの場から離脱する。 飛び立っていく四人の気配を感じながらシグナムは己の失態を悔いた。 だが、後悔するにはまだ早い。 今はただ、目の前の邪魔者を切り伏せ、一刻も早く後を追わなければならない。
「――剣の騎士シグナム……その愛剣レヴァンティン。 悪いが、手加減抜きでやらせてもらうぞ!!」
大剣を構える剣士に向かってそう吼えると、シグナムは一気に踊りかかって行った。 同時に吐き出されるカートリッジの薬莢。 炎の魔剣が、その主の怒りに応え刀身に膨大な熱量の炎を宿していく。 並みの魔導師なら一刀両断するその刃に相対するは、長大な漆黒の大剣だ。
次の瞬間、ヴォルケンリッター最強の剣士と、リビングデッド最強の剣士が互いに渾身の魔力を剣に込めながらぶつかっていった。
黄土色の魔法陣によって逆召喚されたクライドが気がついたとき、そこは既に見知らぬ場所であった。 調子に乗りすぎてシグナムと離れすぎていたことにも気づいていなかった自分が恥ずかしい。 召喚師が敵にいる時点で、そういうことも考えられたとうのに。
「くそ!! 最悪だ!!」
悪態をつきながら、周囲にシールドカッターを生成。 そのままクライドは自分を拘束している鎖を切断作業に入る。 高回転のカッターがバリアジャケットに触れそうになるのは、自分でやっていて気持ちの良いものではない。 飛び散る火花などはジャケットのフィールドによってカットされるが、金属を切断するあの独特の音を至近距離で聞かされるのはたまらかった。 ブレイドを使いたかったが、雁字搦めにされているため腕を振るうのが難しく、切れそうに無かったためにそれをするしかない。
『やけに静かだな? 敵がいるってのにお迎えの一人もいないなんて……』
「向こうから招待してきた癖に、歩いて来いってんだろ? ふざけやがって」
毒づきながら、クライドは周囲を観察する。 見たところ全周囲がガラス張りでできた円形の建物の中にいるらしい。 ガラスの向こう側には夜の闇に似た暗黒が広がっていることから、相当に高い場所であるということは理解できるが、それがどこかまでは分からない。 ただ、ジェットコースターのレールや、観覧車などが遠めに見えることから、まだデスティニーランドの中であることだけは確かだ。
と、ジャリジャリと音を立てながら鎖が床へと落ちた。 鎖の切断を終えたシールドカッターをそのまま周囲に配置させると、ようやく鎖から開放されたクライドはブレイドを片手に歩き出す。 敵がどうしてこんな場所に転移させてきたのかは知らないが、とっとと逃げるに越したことは無い。 強化ガラスだろうがなんだろうが、シールドカッターならば切断することは可能だろう。 敵が来る前に逃げ出す方が良い。 正直な話、このままでは厳しすぎるのだ。
「しっかし、どうしてアギトなんだろうな? お前、何か特別なデバイスなのか?」
『知らねぇよ。 アタシはなんか知らないけど初期化されてたんだぞ? それに、そんな特別なことを示すデータとかは残ってないよぉ』
「ふーん、なら単純にロストロギアとしての価値だけでお前を欲しているのかな。 さすが最高級機ってか」
『冗談じゃねぇよ。 アタシのロード候補はもう決まってんだ』
「……というと、俺か?」
『ちげぇよ!! シグナムだよシグナム!! くぅぅぅ、魔力光も剣の腕も悪くなさそうだし、今のところあいつ以上のロード<主>なんていねぇよ!!』
クライドの冗談に噛み付くアギト。 どうやら、先ほどまでの戦闘でシグナムはアギトのハートをガッチリとキャッチしたらしい。 さすが、烈火の将である。 剣精が上機嫌で褒めていく。
『いいよなー、あの太刀筋にあの魔力。 偽者のあんたとは大違いだぜ』
「に、偽者?」
『あんたの場合似てるだけで全然違うんだもんな。 なんていうか中途半端なんだよなぁ』
「くっ、デバイスにまで認められない俺の剣ってなんなんだ!!」
冷たい現実に涙しながら、クライドがブレイドを振りかぶろうと腕を上げる。 だが、その刃がガラスに向かうことはなかった。 次の瞬間、クライドが弾かれたように横に飛んだ。 と、先ほどまでクライドがいた空間をバインドの輪が通り過ぎていく。 舌打ちしながら、クライドが振り返った。
「――困るな。 まだ確かめもしていない内に帰られては」
いつの間にそこにいたのか、黒のコートを纏った男が苛立たしげにクライドを見た。 その、まるで無機質な表情にクライドは一瞬呆気に取られた。 どのような無表情な男がいたとして、それでもここまで人間味が無くなることなど無いだろう。 目の前にいる男は、まるでロボットか何かのように温かみが無く、病的なまでに存在が希薄だった。
(な、なんだこいつは!?)
リビングデッドなのだろうか? 高ランク魔導師に匹敵する魔力を持っているようだが、普通の人間とはどこか違う。 だが、あのバインドの魔導師とも雰囲気が違う気がする。 では、それ以外の何かだというのだろうか? その答えを知らぬまま、クライドは油断無くブレイドを構える。
「ふん、単刀直入に言うが今回の”夜天の王”よ。 俺はお前には”興味が無い”……だが、そこの剣精には用がある。 ユニゾンを解いてそいつを寄越せ。 なに、壊しはしない。 ただ、確かめるだけだ」
「てめぇ!?」
「何故、などと聞いてくれるなよ? ガキが知る必要は無いことだ」
全て知っていると、貴様など眼中には無いとそいつは言う。 その言い方が癪に障るが、クライドの冷静な部分がそんな猛る感情を抑えつける。
「それをして俺に何のメリットがある? それに、ただでこちらに返すつもりなんてないんだろう?」
「貴様がメリットを持つ必要など無い。 こちらが必要だからという理由だけで十分だ」
「そんな馬鹿な理論があるかよ。 あんた、頭の螺子が一本二本飛んでるんじゃねぇか? 何かをしてもらいたかったら、相手にも何かをしなきゃあならないってのは今時馬鹿なガキでも知ってるぜ?」
「ふん、そんなものは普通の世界に生きるものだけだ。 俺にはまったく関係が無い。 だが、あんまり駄々をこねてくれるなよガキ。 別に”お前”の代わりなどいくらでもいるのだからな」
何の感情も無く、ただそう事実だけを述べると男が無表情のまま手をクライドたちに向ける。 その掲げられた右腕にある黄金の腕輪が煌いたその瞬間、展開していたシールドカッターが消え、クライドの中にいたアギトが苦悶の声を上げた。 男が目に見えて分かる何かをしたわけではない。 だが、目に見えない何かを用いて確かに融合しているはずのアギトだけを直接に攻めていたのだ。
『が、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
「アギト!?」
「ふん、融合事故でそこのロードを死なせたくなければとっとと剥がれろ烈火の剣精。 その方がお互いのためになる。 ”そのまま”では些か不純物が混ざりすぎてやり辛いからな」
「アギト、おい!!」
『こい……つ……アタシの中に……入っ……やがる!? ……やめ……』
「くそ、なんだってんだ!!」
急いでクライドがアギトのステータスを展開し、情報を閲覧する。 だが、次々とそのステータスにエラーが混じっていく。 文字が化け、ノイズが走りまるで何が起きているのか理解できない。 恐らくは、クライドがただの魔導師であればそれで何をしているのか分からなかっただろう。 だが、彼は普通ではない。 彼が知らなくても、それを知っているモノがいたのだ。
『――敵勢固体『杖喰い<デバイスイーター>』のハッキングを確認。 プロテクト一部解除開始。 閲覧可能情報増加による新着情報の確認を求む』
『トール!?』
あのプラグインからダウンロードされたトールから、強制的に閲覧情報が送られてくる。 何がどうなっているのか理解できないクライドは、それに縋ることしかできない。 そして、その情報を確認した瞬間に血の気が引いた。
(な、なんだこれは!? んな馬鹿なこと――)
杖喰いとはカグヤが気をつけろと言っていたロストロギアである。 並みの魔導師では太刀打ちできないと言うが、その理由がそこには列挙されていた。
(下位デバイスへの強制介入<ハッキング>能力に死者を五人は操るほどのロストロギア級のスペック? しかも……こいつは『対デバイス制圧用スタンドアローンデバイス』だと!? ふざけんな、そんなもの開発できるわけが――)
だが、現実にアギトが苦しみ恐ろしい勢いで負荷をかけられてきている。 通常はデバイスをハッキングすることなど不可能である。 魔導師の杖たるデバイスが演算する魔法プログラム<術式>には恐ろしくデリケートな計算が必要である。 簡単な砲撃魔法でさえ、その計算になんらかの不備があれば容易く暴発する危険性を孕んでいる。 だからこそ、デバイスには使用者以外に介入できないようにありとあらゆる防御策を講じられているのである。 冗談でも遠距離からのハッキングなどできるようにはできていない。 そのはずなのだ。 それがデバイスマイスターにとっての常識である。 なのに、そこに列挙されている情報では、その常識を吹き飛ばすデータがしっかりと記載されている。
『く……ユニゾン……アウ……ト……』
アギトがユニゾンを解除する。 それ以上はもたないのだろう。 最高級機といっても、演算を妨害されればスペックが低下し、融合事故の可能性が出てくるのだ。 ぐったりとするようにクライドの目の前に、小悪魔が床に向かって落ちていく。 クライドは慌ててその小さな身体を手で掴むと、ゆっくりと床に横たえてやった。
何も出来ない無力感が、クライドを襲っていく。 デバイスマイスターを目指してきたというのに、彼女のような法外なデバイスを弄るようなことはまだクライドにはできない。 必死に自己を犯してくる敵と戦っている彼女にしてやれることが何も無いのだ。 持ち主であるというのに、なんて様だ。 ブレイドを握る指が震える。 屈辱を怒りに変えて、クライドが立ち上がる。 その目に浮かぶのは確かな怒りだった。 彼にできることといえば、彼女をハッキングしている敵を倒すことだけだ。 それも、彼女が完全に乗っ取られる前にしなければならない。
データとは彼女たち機械知性体にとっての全てであり、今を形作る大事な要素に他ならない。 もし仮に人格データなどを消されたりすれば、今いるアギトという存在は消えてなくなる。 そんなことを許してはならない。 それは、今のアギトを殺すことと同義であるのだから。 例え、彼女がデバイスで、ただの物体が人間の物真似をしているだけだとしても、そんなことを許して良い道理などない。
クライドはデバイスマイスターを目指している。 その過程で、意思を持つインテリジェントデバイスもユニゾンデバイスも共に魔導師と戦うパートナーであると考えている。 その考えが、このような馬鹿なことを許せるはずもなかった。
或いは、それは人間としては異端の考えだったのかもしれない。 ただの物体に愛着以外の感情を持つなどと、理性ある人間としてはズレている。 だが、それでもこの判断を間違いだと断ずることがクライドにはできない。
(できるできないじゃない、やるしか無いんだよ!!)
ブレイドを構えながら、クライドがゆっくりと敵を見据える。 こちらに手を向けたまま微動だにしない杖喰い<デバイスイーター>。 その目にはもうクライドなど映っていない。 眼中に無いガキなど、ハッキングの邪魔だと考えているのだろう。
「うぉぉぉぉ!!」
駆け出し、高速移動魔法で距離を詰めるとクライドが無防備な敵に青い刃を振り下ろす。 青の軌跡が空間を奔り、杖喰いに迫る。 だが、その刃が一瞬にして消えた。 空振ったブレイド。 その向こうで、邪魔をし始めたガキを睨むようにしながらイーターが無造作に足を蹴り上げる。 下からのその強烈な蹴りに、クライドが腕をクロスさせながらガードする。 だが、踏みしめた足が、地面から簡単に離れた。 砲弾のように吹き飛んでいくクライド。
「くっ!?」
咄嗟に魔法を演算し、慣性を殺しながら受身を取ろうとする。 だが、それはならない。 発動するはずの魔法が発動しない。 それどころか、その勢いを加速させるように別の魔法が勝手に発動した。
最高級機であるアギトでさえそれに抵抗できないのだ、クライドの所持するブレイドやアーカイバでは話にならないのだろう。 床に叩きつけられるようにしながら、クライドが床を転がっていく。
「一応聞いておいてやるが、なんのつもりだ? まさか、その程度の腕で俺とやりあおうなんて馬鹿なことを考えているわけではあるまいな? 守護騎士ならいざ知らず、貴様のような青二才にできることなど何も無い。 ガキは大人しくその辺で終わるのを待っていろ」
「煩ぇ!!」
痛みを堪えながら立ち上がり、クライドは言うことをきかないブレイドとアーカイバをツールボックスに収納すると、自分自身で魔法を演算する。 さすがに、人間をハッキングすることは杖喰いにもできはしない。デバイスが無いため魔法展開の速度が格段に遅いが、それでもシールドナックルとグラムサイトを展開し悪あがきを続けていく。
(アギトをハッキングしているってんなら、それにリソースを取られてるはずだ。 逆に言えば、それが終わったらもうどうしようもなくなっちまう。 それまでになんとかしないと……)
さらに、トールからもたらされる情報を吟味する。 彼単体の戦闘能力限界というものがあるはずである。 相手がデバイスであるというのなら、そのポテンシャルを明確に超えるようなことはできないはずだ。
(それにあいつがデバイスだってんなら、戦闘プログラムはどうなっている? スタンドアローンタイプなんて情報はあるが、そもそもあいつが本来戦うべき相手は”デバイス”であって人間じゃあないはずだ。 人間を超える柔軟性を保持しているのか?)
アギトたちほどの人間臭さを持っているユニゾンデバイスでさえ、単独の戦闘は得意ではない。 支援やサポートはできるだろうが、それ以上の濃密な戦闘は”現段階では”不可能である。 彼女たちはあくまでもデバイスであり、人間の魔導師を制圧するようにはできていないのだ。 その現在の当たり前の常識が目の前の相手にも通じるのかどうかは分からないが、そこしかクライドには突くべきところは無い。 また、先ほどの蹴りで感じたことだが、敵は高ランク”魔導師”というわけではない気がした。 身体能力は高そうだし、纏っている防御フィールドは強力だが”それだけ”という風な印象を受けた。 ただ、魔力量は感じるだけなら高ランクほどはあると思う。 分が悪すぎるがやらなければならない。
「ガキには忠告も無駄か。 まあいい。 本来なら”互い”に干渉しないのがルールだが、今回は例外を適用してやろう。 死なない程度にやってみろ。 逃げるなら追いはしないが……言ってもきかんのだろう?」
まるで、負けるつもりはないと驕りながら男が言う。 クライドはその傲慢な姿勢を内心で笑い飛ばすと、飛び出していく。
「お前こそ逃げるなら今のうちだぞ!!」
「ほざけ”供物”が――」
回転するシールドナックルを纏ったクライドを前にして、杖喰いがカウンターの右ストレートを打ち出す。 その恐ろしいほど正確な拳が、クライドの顔面を襲うがクライドはそれをしゃがみこむようにしてかわすと、伸び上がるようにしながらアッパーカットを繰り出す。
杖喰いが僅かに動きをとめ、すぐさまそれに対処していく。 その反応速度は人間のそれを圧倒的に超えている。 人間のような反射行動では断じて無い。 行動一つ一つに可能性を考慮して最善を選び取っているのだ。
それは酷く機械染みた動きであった。 後ろに仰け反るようにながら攻撃をかわすと、クライドの鳩尾を目掛けてお返しとばかりに膝を叩き込んでくる。 クライドが左手でなんとかそれをガードするが、人間を大きく超えた膂力によって再び身体を跳ね上げられる。 だが、それは攻撃によって距離を開ける布石に過ぎない。 五メートルほどそのまま離れたところで、届かない位置から拳を繰り出す。 その拳に纏っているのは帯状の魔法陣。 拳を振りぬくと同時に、体制を整えた杖喰いに向かってスターダストフォールでシールドナックルを撃ち出した。 まるでブーストナックルのようなそれが砲弾となって杖食いを襲う。
「――ぬ!?」
ナックルをそういう風に使ってくるとは予想できていなかったのか、杖喰いの動きが再び止まる。 だが、瞬時に次の最善を演算しきると拳にクライドのアーカイバからコピーしていたシールドナックルを纏って弾き飛ばした。
「ちっ。 人の魔法を勝手に!?」
「覚えておけ、魔法に”著作権”は無い」
涼しい顔でそういうと、今度はイーターが攻めに入る。 クライドの魔法<シールドナックル>を展開したまま休み無くラッシュを繰り出してくる。 クライドはそれをグラムサイトによってなんとか対処していく。 杖喰いの動きは、一つ一つの動作こそ凄まじく正確なのだが、その繋ぎ<連携>には何故か穴が開いている。 その隙をついて、クライドもまた果敢に攻めた。 なんとなくだが、攻略の糸口がつかめたような気がした。 杖喰いの動きには柔軟性が無く、その時々の最善を一々考えてから繰り出してくるために攻撃にタイムラグがある。 ”人間”であればそんな間を与えるまもなく次の動作に繋げて来るのだが、機械である相手はその軛からは逃れられない。 逃れられるような設計にしているのなら別だろうが、彼はどうやらそういうことを考慮にされていないらしい。
リーゼロッテに仕込まれた格闘術を用いて、クライドの拳が幾度と無く杖喰いを襲う。 だが、それにどれほどの効果があるのか。 全く意に返さずに殴り返してくる杖喰いに、クライドは何かを忘れているような気がした。 カウンターで放った右ストレートが、杖喰いを大きく吹き飛ばす。 だが、手応えのようなものはやはり感じられない。 まるで空気の入った分厚いゴムを殴っているような感触しか伝わってこないのだ。 そしてやはり、クライドの攻撃を受けて何事も無いように杖喰いが起き上がってくる。
(痛覚が無い? いや……防御フィールドで全部防いでいるのか? にしては変な感触だが……)
「鬱陶しいな」
まるで羽虫を払うよな仕草でそういうと、杖喰いが周囲にシールドカッターを生成。 その数は八つ。 そのまま誘導操作を用いてクライドに放つ。
「人の魔法を次から次へと!!」
こちらも負けじとカッターをぶつけ、相殺させる。 ギリギリと甲高い音を立てながら互いを削るシールドカッター。 その咆哮をBGMにしながら、クライドが吼える。
「あんたが何の目的でアギトを狙っているのかなんて知らないが、とっとと失せやがれ!!」
幻影魔法を起動し、シールドナックルを纏う幻影<フェイク>を二つ作ると、クライドが共に殴りかかっていく。 その際、自分のバリアジャケットの術式を弄る。 左右から幻影が迫り、そのナックルで踊りかかるが、それを無視して杖喰いがクライドを真正面から迎え撃つ。 だが、両サイドから迫る幻影に殴られ、驚愕を露にしていた。
どうやら、工夫するというような柔軟な発想は無いらしい。 殴っても消えない幻影。 それに苛立ちの視線を浴びせながら、至近距離から次の拳を振り上げた幻影を殴る。 途端に、爆音と閃光を上げて幻影<フェイク>が自壊。 通常の人間なら確実に昏倒するほどのスタングレネードとなって杖喰いを襲う。 そこに飛び込む黒い閃光<クライド>。 一定レベル以上の音と光を遮断するように細工されたバリアジャケットのおかげで、クライド自身にダメージは無い。 シールドナックルを纏って右腕を杖喰いにたたきつけながら、そのまま左手でバリアブレイクの術式を叩ききもうとする。
――だが、爆発的な光陵の光に犯された向こうで、長身の男がなんでもない風にクライドを見下ろしていた。
言うまでも無い。 杖喰いだ。 そのままフィールドを破壊しようというクライドに向かって右腕から伸ばした魔力刃を振り下ろす。 グラムサイトの恩恵によって辛うじて気がつき、咄嗟に後ろに飛ぶが、逃げられない。
「――ぐあ!?」
ジャケットを抜かれることはされなかったが、それでも十分にそれはクライドにダメージを与えた。 斬られた左肩辺りに、鈍器で殴られたような衝撃が奔る。 そのままクライドは距離を取るようにして後方に跳躍すると膝をつきながら杖喰いを見た。
「今度はブレイドの魔力刃かよ……」
呻くように呟く、右腕で左肩を押さえ、ダメージの具合を確認する。 砕けてはいないが余り無理をすることはできそうにない。 激痛がクライドに脂汗を浮かばせた。
「ガキの浅知恵だな。 俺を人間やそれを模したリビングデッドの奴らと同じだと侮ったのか? ふん、あいつらと違って俺は完璧な”道具”だ。 そんな不完全なセンサー潰しではまるで意味がない。 そもそも、そのポテンシャルが違いすぎるのだ。 無駄な抵抗に過ぎないとなんで気がつかない?」
「完璧に人外かよてめぇ……」
スタンドアローンデバイス……どうやら、その規格外の存在にはクライドの対魔導師戦術が通用しないらしい。 クライドの基本的な制圧戦術の多くは人間の弱点や限界をついての武器が多い。 それが効かない、”人間ではない”相手には酷く相性が悪かった。 フィジカルヒールの治癒魔法でダメージを回復させながら、次を考えるが、そんな余裕はもうほとんど無い。
『あ……ああぁぁぁぁぁ!!!!』
苦悶の表情で苦しむアギトの様態がさらに悪くなっていく。 ハッキングが目に見えて進んでいるのだ。 と、そのときイーターの表情に苛立ちの顔に変わった。
「――ちっ、長引かせることもできんかトレインめ」
クライドには何を言っているのか分からなかったが、そのとき鉄槌の騎士が彼の部下を一人倒していたのだ。 そのせいで一人分の演算負荷が無くなり、杖喰いの演算速度が一気に上がる。 それによってアギトのハッキングもさらに進んでいった。
「烈火の剣精……存外に粘るな。 さすが、ロストロギアに数えられるだけのことはあるが、もう限界だろう。 どれ、お前の記憶を垣間見せてもらおう」
「記憶だって?」
訝しげにクライドが眉を顰める。 なんだってそんなものに興味があるのか。 初期化されているアギトの記憶になど、大して意味は無いはずだ。 何故なら彼女の記憶は一月分も無いはずだから。 目の前の犯罪者にとって大して意味のある記憶などあろうはずがない。 では、一体何が知りたいというのだろう?
(いや、……まさかこいつ初期化される前の記憶を知りたいのか!?)
それを知る人間など、カグヤを除いて存在はすまい。 まったくの無意味だ。 だが、”連中”にとってはそれに物凄い価値があるということなのだろう。
(一体何があるっていうんだ? く……知らないところで好き勝手やりまくりやがって!!)
歯噛みしながらも、クライドは動けない。 左肩が回復するまでは攻めきることができないからだ。 せめてアーカイバが使えればまだ切り札を切ることができるのだが、ハッキングされて無効化されるのであれば意味が無い。 それでは、戦うことさえできない。 基本的な戦術のほとんどが対魔導師戦闘用のものばかりのクライドにとって、今まで突き詰めてきた戦術が効かないのは悪夢のような出来事である。 一番の脅威は魔導師だと常々考え、思考停止に陥っていたツケが、こんなイレギュラーな形で顔を出すなどとは想像もしていなかった。
(周りには使えそうなもんもないし……く……どうしろってんだ)
苦しむアギトの苦悶の声を聞くことしかできない無力な自分に、クライドはこのときほど自分の無力さを呪ったことはなかった。
間が悪い、なんてことは日常生活ではよくあることだ。 だが、それが意図されたものだとしたらどうだろうか? 最悪の展開を誘発したその邂逅に、その場の誰しもが流される。 そんな馬鹿げたことが起こっている今、それは最悪の展開となって戦場の誰もを傷つけていた。 傷つけるものは肉体だけではない。 ”傷つけさせられる側”の精神的苦痛にチェーンは断続的に襲われていた。 2丁拳銃で狙うその先には、自分が希望を託した少女が執務官に抱きかかえられるようにしながら空中を飛んでいる。
狙いたくもないものを狙わされる。 人間の精神と尊厳がことごとく奪われているという今の現状は、酷く腹立たしい。 思考と身体が一致しない。 まるで、彼女は玩具のラジコンそのものである。 遠くでリモコンを持っている持ち主とやらが、彼女の意思を無視して好き勝手やっているのだ。 自分の意の沿うように。 ただ、それだけのために。 何もかもを踏みにじりながら状況を玩んでいるのだ。 こんな屈辱的な話は無い。
「く……いっそ私の思考など無くなっていればまだ機械のように徹していられるというのに……悪趣味だよ、本当に」
デスティニーランドの遊具で射線を遮るようにしながら、青の軌跡を刻む執務官。 だが、必死に回避行動を取ってはいるものの荷物<フレスタ>が邪魔で効果的な回避行動が取れていない。 周辺を覆うようにバリアを張ってはいるものの。 数発の弾丸に命中すればそれだけで消し飛ぶ。 再び展開すれば、それだけで無駄な魔力を消費させられる。 その悪循環という檻に完全に捉えられてしまっている。
「そうだね、彼女自身を足かせに攻めるという無駄の無い嫌らしい戦いもまた”私”は選択できる……だが、屈辱の極みだ。 つまらない、酷くつまらないよイーター。 どうせこれは君の差し金なんだろう? 分かっている、分かっているさ。 あのとき私に攻撃を放とうとしたときの彼女<フレスタ>の怯えは本物だった。 まるで初めて戦場に出た新兵のように震えながら私に向かって銃弾を放ってきていたんだ。 その下らない演出、馬鹿げたほどに人の意思を嘲笑うこの趣向、いやはや。 吐き気すら催すね。もう本当にうんざりだよ!!」
腸の煮えくり返りそうなその激情。 だが、それとは正反対に身体は酷く正確に引き金を引く。 完璧に自己をコントロールできている彼女だからこそ、感情に戦闘力を振り回されることなどありえない。 だが、それでもそれを爆発させて抵抗することしか彼女にはできない。
――嗚呼、自分は一体なんなのだろう?
リビングデッド<死人>として蘇らされ、こうして意思すら捻じ曲げられ、それでもなお連中のいいように使われる哀れな人形。 酷く美しくない不細工な玩具。 これではまだ、コンバインのあの無骨なマリオネット<質量兵器>のほうが何倍も美しい。 彼らのように意思無き人形で在れたなら、どれだけ心が休まるだろう。 どれだけ意味を持っていられただろう。 手板で操られる人形であろうとも、意思無き人形であろうとも、主の手足となって愚直に願いをきく彼らは存在意義を全うしている。 だというのに――。
「――なんて無様」
ピクリとも動かない人形の身体。 肉の塊と化すその自分の身体が、酷く恨めしい。 なんの美学<美しさ>も感じられないこの無意味な時間が速く終わって欲しいとチェーンは切に願う。 それができるのは目の前の執務官だけだ。 だが、できるのか? あの執務官に?
「……やってもらわなければならない。 できるかできないじゃないね。 でなければ――」
そう、彼ら二人ともが死んで、自分の大事なものが汚されるだけ。 言葉にすれば簡単だ。 だけれども、それだけは許してはならない。 そんな大切なものまで”連中”に奪われることなど許してはならない。 何か、できることがないか? 身体は動かずとも、口は自由だ。 話してはならないといわれたこと以外は話せる。 だが、何を? アドバイスでも送るのか? それとも――。
(そういえば彼女も魔導師だった……それも、あの魔法から推測すれば得意なのは砲撃系だとしたら……やれるかな? はっ、それができたら君は本当に私の運命の女神だ――)
馬鹿馬鹿しい発想だったが、それでも良かった。 何かに縋れるのならば縋るしかない。 それが、自分が選んだ運命の少女であり自分が大事にしたい家族<ファミリー>の遺産であるというのならなおさらだ、それに全てを託さない理由は無い。 声を張り上げてチェーンは言う。
「執務官殿、聞こえるかい? そのままでは長く持たないだろう。 生憎と手加減したくても”私
”にはそれはできない。 だから、彼女にそのまま”私”のデバイスを使わせたまえ。 上から十五番目の奴だ。 彼女と一緒に戦闘機になって、私を落としてみたまえ!!」
何を馬鹿なことをと、執務官は思っただろう。 彼女自身だって思った。そんな馬鹿馬鹿しいことが練習もせずにできるなんて普通は無理だ。 しかも、あの少女<フレスタ>自身は自分の力で飛ぶことができないのである。 空を飛ぶ経験さえ無い陸戦魔導師であるように思う。 だとしたら、そんな曲芸染みた真似ができる陸戦魔導師がどこにいるのか? 普通ならそう思う。 だが、チェーンの運命の少女<フレスタ・ギュース>はそんな馬鹿げたことをやり慣れたイレギュラーであった。 何故ならあの妹分である翡翠の少女とともによく授業でそれをやっているのだから。
一方的な黒の弾幕。 しばらくそのままだったが、その合間を縫うようにして返礼<スナイピングバスター>が飛んできた。 空中を滅茶苦茶に飛びながらも、正確にチェーンへと伸びたその桃色の弾丸に、チェーンは呆れとともに救いを見た。 衝突した瞬間にバリアジャケットが確かに軋んだ。
「はは、どうやら楽しい楽しいデウスエクスマキナ<逆転劇>が起こりそうだね。 ふふ、あっはっはっは!!」
腹のそこから湧き上がってくる痛快さに、チェーンが笑う。 声を大にして笑った。 荷物<フレスタ>が主砲になり、ディーゼルが機体となる。 即席の複座型戦闘機は、そうして青の軌跡を刻みながら、さらに速度を上げた。
「呆れたよ、提案するチェーン・ムーブルもそうだけど、それを実行してしまう君にもだ。 最近の砲撃魔導師はこんなこともできるのかい?」
「知らないわよ。 アタシは偶々リンディちゃんとよく授業でやってるから慣れているだけよ」
ガンスリンガーの言う十五番目のデバイス。 アンチマテリアルライフル<対物狙撃銃>型デバイスをディーゼルに後ろから抱えられるようしながら構え、フレスタは言う。 デバイスの状態はオールグリーン。 ドクターのおかげでチェーンがマメに整備していたそれが、その威容を晒しながら弾丸を吐き出す。
ドォンっと、まるで大砲のような轟音を発しながら桃色の弾丸が疾駆する。 吐き出されたお得意のスナイピングバスターが、レーザービームのように伸び、チェーン・ムーブルに命中。 バリアジャケットを揺るがす。 だが、抜けない。 一撃では威力が足り無すぎる。
「お姉さま、強すぎだわ。 リンディちゃんぐらい堅そう……」
「Sランクの魔導師だ。 そうそう簡単にはやらしてはくれないさ。 でも、これで少なくともさっきよりはマシだ」
一方的に攻撃され続けたさっきまでとは違って、反撃ができるというのならまだやりようがある。
ディーゼルは黒の弾幕を避けるように回避行動をとりながら防御面積の多いバリア<プロテクション>を展開。 直撃しそうなそれを防ぐと、戦闘機よろしくミサイル<ブラストバレット>を放つ。 さらに、上昇しながら少しでも狙撃しやすい位置取りをとっていく。 機銃とミサイルは揃った。 だが、それだけでは決め手が足りない。
チェーン・ムーブルの弾幕は驚異的だ。 あの2丁拳銃から放たれる凄まじい砲撃の連打は波の遠距離魔法を容易く撃墜する。 ブラストバレットは注意を逸らす程度の効果しか期待できまい。 だが、先ほどフレスタが放ったスナイピングバスターは別だった。 チェーンの持つ最強の射程と初速を誇るそのデバイスの補助によって、破格の速度を得た弾丸はチェーンの反応を凌駕している。 少なくとも、人間が普通に反応できるレベルを超えているのだ。 魔導師の強化魔法や戦闘で培ってきた勘でどうにかなるものでは無いらしい。 あるいは、それまで見越してチェーンはそれを選ばせたのだろう。 もっと扱いやすいようなスナイパーライフル等のデバイスを選ぶこともできたはずだが、それを態々指名した理由は酷く理にかなっていた。 問題はそれをフレスタが扱えるかどうかだったのだろうが、彼女が偶然砲撃魔導師だったおかげで問題なくガンファイト<砲撃戦>が可能になってしまった。
空中を縦横無尽に奔る青と黒と桃色。 純粋な砲撃魔導師であるフレスタとは違い、総合であるディーゼルは単体であったなら絶対にこの選択は選ばない。 基本的に近距離と中距離が得意であるからだ。 なんでもできるとはいえ、人間には得意不得意が必ずある。 ましてや、相手が得意な<砲撃戦>ではディーゼルに勝ち目は無い。 だからこそ執拗に近距離で攻めていたのだが、今度は逆に距離を離すようにしていた。
2丁拳銃のデバイスはあくまでも近距離から中距離までが得意だ。 それ以上の距離での運用は原則考えられていない。 それをするならばチェーンはそもそも武器<デバイス>の種類を変更する。 だが、今はそれができない。 全てをフレスタに託した彼女の武器は、その手に握る2丁だけなのだから。
距離を伸ばせば伸ばすほど、回避力は上がる。 フレスタと一緒にいたが、ディーゼルの方が直線の機動力は上である。 スタンドアローンに戦場を駆けるようにして行動してきた彼と、銃型のデバイスでどちらかといえばその場から動かずに相手を制するように戦ってきた彼女とではそもそもの培っていた技術が違うのだ。
高速でシュプールを刻む両者。 ディーゼルたちに必要なものは威力か、連射力だ。 そのどちらかがあれば、打倒できる可能性が出てきた。 デスティニーランドの空を飛び回りながら、ディーゼルは思う。 後一手、そのチャンスをモノにできるかどうかで勝敗が決まるだろうと。 そして、その鍵を握っているのは、この腕の中にいる少女だ。 あのガンスリンガーが見初めた少女である。 なんという運命の悪戯か。 今ならば、なんでもできてしまいそうな気がした。 この少女が、良くも悪くも戦場の流れを大きく変えてしまっていたのだから。
「もっと威力のある砲撃魔法はあるかい? 僕はさすがに高威力のそれは持ってないんだけど……」
「あるにはあるわよ? けど、魔力が足りないせいでそんなに威力が出せそうにないわ」
「魔力があれば良いのかい?」
「後、発射時間が長いわ。 チャージなんてする余裕があるの?」
「それをするのが僕の役目さ」
ニヤリと笑ってそういうと、ディーゼルはディバイドエナジーの魔法を詠唱する。 ディバイドエナジーは任意の対象に自分の魔力を分け与える魔法だ。 どれだけの魔力が必要なのか分からなかったが、それでもSランクのディーゼルが底をつくようなレベルが必要なことはないだろう。 青の魔力がフレスタの構えるデバイスに流れていく。 その莫大な魔力に、フレスタが呆気に取られた。
「ちょ、多すぎ!!」
「んん? この程度でいいのかな?」
「こ、この程度って……私の制御ギリギリの量なんだけど……」
目を瞬かせる高ランク魔導師。 そのふざけた一言に、地面に降りたら絶対殴ってやると誓いながらフレスタは自分の杖からその魔法行使に必要なプログラムを転送する。 それは、態々あの苦手なスパルタ教師に頼み込んでこっそり教えてもらった魔法プログラムであり、練習中の代物だった。 だが、簡易デバイスではそれを再現するのはかなり難しく思うようにいかなかった。 けれど、この”本物のデバイス”ならばいけそうな気がした。 ガンスリンガーが突き詰めた高収束圧縮弾発射用の機構が、それに必要な圧縮魔力弾を形成していく。 バチバチと放電する桃色の魔力がアンチマテリアルライフル<対物狙撃銃>の銃口に集っていった。 加速装置を銃口の先にバレルを形成。 後は狙って撃つだけだ。 だが、この遠距離では外す可能性が否定できない。 それに加えて、三次元機動下ではさすがにそれを放ったことがなかったからだ。
「絶対に当てられる距離にいける? これで落せないと私じゃあもうどうやっても落せないんだけど……」
それを超える威力を誇るものが無い以上、フレスタにはそれ以外に打つ手が無い。 だが、ディーゼルはその賭けに乗ることにした。 普段の冷静な彼ならば、そもそもそんなあやふやなものに頼ろうとしなかっただろう。 だが、流れの変わりで感じた奇妙な頼もしさというか高揚のようなものがそういう”普通”をどこかに置き忘れさせていた。
「了解だよ。 なら、至近距離にエスコートしよう。 舌をかまないように気をつけて。 これで終りにしよう」
「うん」
そういうと、ディーゼルは後先など考えずに上空へと上っていく。 そして、大量のブラストバレットを詠唱。 ミサイルの数は二百オーバー。 青の弾幕が、空中に次々と生まれていく。
「ブラストバレット・フルバースト!!」
次々とダミー<ミサイル>を繰り出しながら、さらに自らもそのままチェーンに背中を向けるようにそれらに混ざって急速降下。 フレスタを守るようにしながら、背面にバリアを纏って降下していく。
「ちょ、きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
景色が後ろに流れていくなんてふざけた光景を、そのときフレスタは初めて見た。 世界がまるで反転したように流れる。 こんな光景、絶対に二度と拝めそうにはなかった。 だが、狙いは理解したフレスタがその一瞬のチャンスを生かすべくデバイスに感応していく。 デバイスの視界を感じながら、脈打つ心臓の音を執務官と重ねる。 背中越しに感じるその鼓動に支えられながら、フレスタはいつかのように全ての感覚をデバイスに託した。
――残り百メートル。
追いかけていたチェーンが、それを見て次々と黒の弾幕を張る。 誘導操作のブラストバレットを撃ち落す轟音が、次々と音を立てて鳴っていく。 過ぎ去っていく世界に、破裂した青の魔力が花となって散っていった。
――残り五十メートル。
「――そろそろ来るよ!!」
バリアの向こうから迎撃に入ったチェーンが見える。 放たれる黒の弾幕。 バリアを揺るがすそれに、さらにシールドを多重起動してディーゼルが弾幕を突き破っていく。
――残り二十メートル。
いくつかの弾丸がシールドを突き抜け、ディーゼルを襲う。 バリアジャケットを抜く数発の弾丸。 ディーゼルの背中から鮮血が舞う。 だが、辛うじて意識を繋げとめると痛みを堪えたまま叫んだ。
――残り零メートル。
「――フレスタさん!!」
ディーゼルが叫んだその瞬間、視界の中に黒のスーツの女性が映る。 すれ違ったせいで獲物を追うべく空中で反転するチェーン。 その瞬間動きを止めたチェーンに向かって、ほぼ無意識にフレスタが引き金を引く。
「ペネトレーションバスター……いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
銃身を通る長高圧縮魔力弾頭。 さらに銃口前のバレルを通って突き進むそれがデスティニーランドの空を一条の光となって駆け上がっていく。 その桃色の弾丸が向かう先にいるのは、彼女に希望<デバイス>を託したガンスリンガーだ。 かつてフリーランスとして名を馳せた彼女でさえ反応できないそれは、まさしくあの戦闘狂が切り札としていた格上を打倒するためのそれにそっくりだった。
直撃する桃色の閃光。 その瞬間、ガンスリンガーの纏うバリアジャケットが確かに消失した。 だが、相殺しただけだ。 ガンスリンガーの身体を”撃ち抜いて”はいない。 ディーゼルとチェーンはそれを悟った瞬間に愕然とする。 あそこまでやって威力が足りなかったというのか。 その結果には落胆を感じた。 それが次の瞬間に絶望となって二人の思考を止めてしまう。
――だが、そんな彼らの絶望を無視して二発目の弾丸がチェーンの胸部を貫いた。
「――あぁ!?」
「――なぁ!?」
その用意周到さは、恐らくはガンスリンガーにもディーゼルにも無かったものだった。 何せ、彼ら<高ランク魔導師>の場合は、敵にジャケットを抜かれるということは即撃墜になるほどの酷くレベルの高い世界での認識を常識としていたからだ。 だが、彼女<低ランク魔導師>の世界しか知らない彼女にとっては、ジャケットを抜いただけで攻撃が相殺されるなんてことはよくあることであり、寧ろ確実に無力化するために次を準備しておくのは当然の認識だったからだ。 攻撃力の想定差が、彼らの判断を狂わせていた。 ジャケットを消す一撃を喰らえば確実にやられたと考えてしまう高ランク魔導師と、ジャケットを抜かれてもまだ望みがあるかもしれない世界とのレベル差による認識齟齬である。
胸部を貫かれて目を瞬かせるチェーン。 そっと胸を見下ろすと、自分の身体が魔力の霧に返ろうとしていた。 フレスタの放った二発目の一撃。 速攻でトドメを指すべく抜き打ちで放たれたスナイピングバスターが、無防備な身体を襲ったのだ。
執務官に抱かれながらフレスタは望遠映像でそれを見た。 身体を魔力に還元されながら、消えていく亡霊<リビングデッド>の最後の瞬間を。 その顔にあったのは安堵だった。 自分にとっての大事なもの<美学>を守りきって安心しきったその顔に、何故かフレスタは泣きそうになった。 消える直前、彼女の口が確かに何かの言葉を紡ぐ。 落ちていくフレスタには聞こえないけれど、口の動きだけでなんとなく分かった。
――”ありがとう”
本当は違う言葉だったのかもしれない。 だが、それでも彼女にはそれがお礼の言葉を言っていたように見えたのだ。
言い終えた瞬間、魔力の霧となって完全に空気に溶けていくチェーン。 その儚い姿からは、先ほどまで二人と戦っていた恐ろしい力を持った高ランク魔導師の面影は無い。 何か、とても美しいもののように見えた。
その後、地面に着地した二人はしかし、それ以上動くことはできなかった。 ディーゼルは最後のチェーンの攻撃によってかなりのダメージを負っており、一応フィジカルヒールをかけたとしてもすぐに戦闘を行うことができるほどに回復するとは思えなかったからだ。
「そういえば、君はどうしてここに? あの後外に出たはずだよね?」
「よく分からないけど、出ようとした瞬間に変な黄土色の魔法陣に逆召喚されちゃったの。 それで、その辺りを彷徨っていたんだけど、貴方を見つけて、それで援護しようとしてああなっちゃったわ」
「そうか……それじゃあ、しょうがないね」
身を隠すように近くの飲食店に向かうと、結界を張ってディーゼルが一息つく。 それで、緊張の意図が切れたのだろう。 ディーゼルは床にどさりと音を立てて倒れた。
「ちょ、貴方大丈夫!?」
「一応、フィジカルヒールはかけてるから多分。 けど、すまない。 ちょっと動けそうにない。 この店にさっき結界を張ったから、この中にいれば大丈夫なはずだ。 しばらくはここに……いよう」
激痛のせいで、目が霞む。 ディーゼルはそれだけいうと、そのまま気を失った。
「ああ、もう!!」
フレスタはそれを見て顔を青くするが、それでもディーゼルのために店内に飛び込んで救急箱を探す。 色々と聞きたいこともあるのだが、今はただ倒れた執務官を介抱することしかできない。 ガンスリンガーのこと、そしてこれからのことなどを聞きたかったのだが、それは彼が目を覚ましてからになりそうだった。 傷の手当てをし終え、いつかのように異性の少年に膝を貸してやりながらフレスタはついさっきのことを考える。
自分を殺した少女に対して、お礼を言うなんてどういうことなのだろうかと。 引き金を引いた指が、それを思うと震えそうになった。 でも、自分は確かにあの時感謝されたのだ。 人を殺しておいて感謝されるなんておかしなことだと思ったが、それでもそれが正しかったからこそ、お礼を言われたのだ。 だとしたら、それは間違ったことではなかったと思う。
非殺傷設定で死ぬ存在。 自由に意思を貫けぬ癖に、人間の意志をその身に宿したリビングデッド<哀れな人形>。 彼女は楽になれたのだろうか? そうだったら良いなと、フレスタは思う。 けれど、それは心配することではない。 何故なら、チェーンはフレスタに間違いなく救われていたのだ。 胸元に揺れる彼女のデバイス。 それが、身を守ることや仕事以外で血を吸わない限り、これからもチェーンの大事なモノ<美学>を守り続けるだろう。 それがガンスリンガーへの何よりの手向けになる。 そのことを、運命の少女<フレスタ・ギュース>は知らないけれど、それでも恐らく彼女は知らずにそれをこれからも守り続けるだろう。
――何故なら、彼女を選んだチェーンが消えいく間際、フレスタに確かな美学を感じて逝ったのだから。
ディーゼルはとりあえず、入り口から近い家族連れ用の区画にいる。 ガンスリンガーの目撃場所からここが一番近かったからだし、何かあれば単独で結界をぶち抜いて逃げることも視野に入れているからだ。 情報が分かれば踏み込むが、不用意に踏み込んで罠に嵌っては意味が無い。 慎重に確実にこなしていこうという彼の性格ならではの静かな動きだった。
「……さて、どうしたものかな」
カフェテラスの席につき、頬杖をつきながらディーゼルは考える。 サーチャーが何かを発見するまではここで目立たないようにしていようと思うのだが、考えることは彼らの動きだった。 遊園地とガンスリンガー。 どう考えても結びつかない。 あれで、デスティニーランドの大ファンだということはないだろう。 彼女は仕事人だから、余りそういう娯楽に身を入れるようなタイプだとは思えない。 それに何より、リビングデッドに休暇があるなんてのが信じられない。
「……風船を持って現れたりはしないだろうな?」
我ながらの馬鹿げた想像に、ディーゼルは苦笑いを浮かべる。 が、それもすぐに止めると弾かれるようにしてテーブルから立ち上がってバリアジャケットを纏い、デバイスを起動する。 愛用のデバイス『S1U』の重みを腕で感じながら、油断無くそれを見据えた。
カフェのある通りに突如として現れた黄土色の魔法陣。 その中から、可愛らしいウサギの風船を手に持って現れた黒スーツの女性がいた。 迷わずこちらにやってくるその姿は相変わらず余裕に満ちており、中々に楽しげだ。 何か嬉しいことでもあったのかと思うほどに、清清しい笑みを浮かべている。
だが、彼女たちの反応が早いということはこの結界内部を完全に掌握しているということの証明だった。 ディーゼルという異物にも、こうも速く対処できるそのレスポンスの良さは脅威である。 やはり、『古代の叡智』は一筋縄ではいかない相手だった。
「やぁ、執務官殿。 久しぶりだね? 元気してたかい?」
なんでもない風にそういうと、上機嫌な彼女はさらに続ける。
「今日は特別な日になりそうでね、少しばかり気が軽いよ。 何せ私が自由になれる日がようやく来たんだ。 これで喜ばなきゃ嘘だからね。 思わず童心に返って着ぐるみのウサギ君から一つ風船を貰ってしまったよ。 ははは、さすがにこの歳で子供たちに混じるのは恥ずかしいものだね」
「……それは良かった。 だが、リビングデッド<屍人>に休暇があるなんて僕は知らなかったよ。 おかげで僕の休日は丸つぶれになりそうさ。 折角可愛い後輩とデートしていたというのに、どうしてくれるのかな?」
「ああ、あのガールフレンドのことかい? それはすまないね。 私も意中の人とデートをしていたんだけれど、途中で邪魔されるのは結構頭にくるよね? うん、理解できるよ」
「で、今回はどうしてまた? まさか、そのウサギ風船がロストロギアで、それの回収のために来たというんじゃないだろう?」
「はは、中々に可愛い発想だね。 うん、子供にとっては”この”風船はロストロギアぐらいの価値があるかもしれない。 何せ夢の塊だからね。 そうであってもおかしくはないね。 とはいえ、さすがにそうだったらどれだけ簡単な話で済むだろうか。 そんな程度の任務であれば、態々僕たちが担ぎ出されるはずもない……」
ややつまらなそうにそういうと、『ガンスリンガー』であるチェーン・ムーブルは握っていた風船から手を離す。 白い頭に赤い目玉が愛くるしいそのウサギ風船が、内部のガスのせいで空へとゆっくりと上っていく。 それを見ながら、両手にデバイスを展開するチェーン。 ドクターに頼んで手に入れた玩具<簡易デバイス>であり、今のチェーンに残されたたった二つの武器である。
「そのデバイス……この前のと同じだね? ”彼女”に預けたデバイスこそが本当の貴方のデバイスだったとして、それは一体なんなのかな? 予備のデバイスなのかな?」
「ん? 私の運命の少女を知っているのかい?」
何故それを知っているのかと、チェーンが首を傾げる。 どういう接点なのかいまいちピンとこなかったからだ。
「知りあいの知り合いといったところさ。 何の仕掛けもなさそうだったから、彼女にアレは渡したままだけど……運命の少女? まさか、君は同性愛者なのかい?」
「――はっ。 面白い冗談だね。 だが、彼女を選んだのはただの偶然さ。 でもね、私の大事な”美学”を守ってくれそうだと直感したから渡しただけだよ。 そこに運命を感じたからこそ、そう呼んだ。 ただ、それだけだよ。 あの出会いは正に、奇跡だった。 でなければ、今日が確実に君の命日だったはずだよ。 君も彼女には感謝したほうが良いよ? 何せ、今日の私は手加減が<非殺傷設定>をできない。 ”殺す気で戦え”と言われている以上、やり始めたら何一つ手心を加えられないのだからね」
デバイスをクルクルと回しながら、西部劇のガンマンよろしくパフォーマンスをし始めたチェーンは静かにそういう。 その軽い仕草に、ディーゼルは苦虫を噛み潰した表情をする。 手加減された上で倒しきれなかった魔導師が目の前にいるのだ。 しかも今度は殺す気で戦うという。 知らず知らずのウチに背中に感じる冷や汗に、緊張感が否が応でも高まっていく。 だが、そんな自分を奮い立たせるようにしながらディーゼルは言った。
「へぇ……じゃあ、君との決着は今日つくわけだ。 勿論、僕の勝利で終わるけど構わないかな?」
「どちらでも良いよ。 これは”仕事”ではないし、この戦いの勝敗には私は拘る理由がない。 ただ、君には生きて欲しいと思うよ。 まだ若いし、楽しいことも色々と経験しておいたほうが良いと思う。 自由に生きられる君には、まだ自由に生を謳歌する権利があるのだからね」
空中を舞う2丁拳銃。 銀のリボルバー<回転式>型と黒の自動拳銃<オートマチック>型。 宙を舞うデバイスを玩ぶその様は、まるで映画のガンマンそのものである。 いつでも掛かって来いというようなその余裕が、彼には酷く気に食わなかった。
「さて、そろそろ始めようか? とはいえ、そのままで良いのかな? サーチャーなんかを放っていてデバイスの処理能力が落ちてはいやしないかい? 前回の戦いのときに”思い知った”と思うけど私と戦うときはそういう負荷はあまり褒められたものではないよ? それに、他の連中が仕事を終えて援護に来る可能性もある。 のんびりせずに、速攻で片付けるようにするべきだと思うんだけれどね。 私を倒してからでも仕事はできるだろう?」
「……その余裕、後悔するよ?」
律儀な敵の忠告に、ディーゼルは素直に聞くことにした。 事実、現在の状況を打破するには少しでもデバイスのリソースを確保しておかなければならない。 彼女との戦いはほんの少しでも反応が遅れれば即死に繋がるのだから。
チェーンムーブルの戦い方は普通の魔導師のそれではない。 普通の魔導師と同じように戦うのでは待っているのは敗北だけだ。 何せ、彼女は普通の魔法戦闘をさせてくれないのだ。 質量兵器を模したデバイス、そこから吐き出される銃弾はまるで本物の銃弾のように連射が効き、その威力も尋常ではない。 のんびりと大きな魔法を詠唱する暇など無く、さらに放たれる弾丸は目で見てから対処することなどできはしない。 魔導師であっても、動体視力を大きく超えるそれらを目で見てから避けることなどほとんどできはすまい。
引き金が引かれる前に射線から逃げるか、シールドで受けるしか手は無い。 だが、一度捕まってしまえば彼女の銃弾の嵐の前にシールドもバリアジャケットも抜かれてしまうだろう。 いくらディーゼルの集中力が並外れで、ヴォルクとやりあったときのように規格外のマルチタスク<多重詠唱>ができるといっても、彼女のように余裕を一切与えてくれない相手では意味が無い。 切り札を使えないまま、彼女を制するにはいかにして彼女の読みを超える動きができるかに掛かっている。 行動一つ一つのレスポンス<反応>と速度<スピード>こそが勝負の明暗を分けることになるのだ。
サーチャーの演算を止め、ゆっくりと前傾姿勢になるディーゼル。 その目は真っ直ぐにチェーンを見ていた。 チェーンはそれに頷くと、玩んでいた銃を握りなおして高らかに宣言する。
「では始めようか。 無意味な時を刻む死人<リビングデッド>と正義の味方<執務官殿>の二度目にして最後の勝負さ。 本来出会うべきではない二人、出会うはずの無い私たちの最後の逢瀬、存分に楽しんでいってくれたまえ!!」
それまでの楽しげな笑顔を捨て、薄っすらと微笑を貼り付けただけの冷酷な仕事人の相貌を晒すと、チェーンが天に向かって銃弾を放つ。 まるでスポーツのような開始の合図となった銃撃音。 それが木霊すると同時にディーゼルが高速移動魔法で残像を残しながら高速で駆け、チェーンがそれを迎撃すべく2丁の拳銃を乱射する。
一瞬にして鉄火場と化した戦場の上で、チェーンの握っていた風船が二人を心配するように風に流れていく。
ジグザグに走り、数メートルの距離を一瞬で詰めにかかるディーゼル。 彼女と戦う場合は距離を開けてはならない。 特に、最高の砲撃距離である中距離は駄目だ。 普通の拳銃ならば離れれば離れるほどに命中させるのが難しくなるため、セオリーでは射程外まで離れての遠距離攻撃か超至近距離での接近戦が有効だろう。
だが、彼女の扱うのはデバイスであり、通常の銃のセオリーは通用しない。 また、近距離であってもその戦闘技術は脅威である。 離れるか近づくか。 この二者択一に、しかしディーゼルは迷わず近距離を選んだ。
「ジャベリン起動、追加演算ディレイブラスト!!」
青の槍を展開すると同時に、お得意の爆裂魔法を遅延式で放つ。 チェーンの真横に現れたディーゼルの槍が身体ごとなぎ払うようにチェーンを襲い、その後ろから追尾するように遅れて爆裂弾が迫っていく。 槍を軽く後ろに飛んで避けるチェーン。 その手に握る2丁拳銃が、迫り来る爆裂弾に向かって次々と火を噴いた。 破裂する青の閃光に焼かれながら、ディーゼルはそれを目くらましにして高速移動魔法で後ろへ回る。
「はは、速い速い。 追いつけるかな?」
背後に伸ばされた右腕。 銀のリボルバーが、振り返らずに弾丸を吐き出す。 咄嗟の曲撃ちにディーゼルが舌打ちしながら首を逸らす。 バリアジャケットを掠っていく黒の弾丸。 至近距離での銃撃音に萎縮しそうになる自分を諌めながら、二発目が放たれる前に槍を突き出すも、今度は銃撃を放った勢いで身体を回転させていたチェーンの左手に握られているオートマチックがそれを横から弾いた。 オートマチックの銃身で受けたわけではない。 その下部に取り付けられているレーザーサイトにも似た形状の魔力刃発生装置から伸びる刃で払ったのだ。 青を弾く黒。 そこへ、再び突きつけられる銀のリボルバー。 回避し難い胴を狙う引き金が引かれる。 一発、直撃――。
「――っぉぉ!!」
バリアジャケットが辛うじて一撃に耐える。 だが、それ以上を許せば抜かれる。 引き金を引かれるよりも速く外側に弾かれていた槍を片手で振る。 それを阻むのは再び振るわれる黒き刃だ。 衝突のインパクトが両者の腕を襲う。 だが、それに競り勝ったのはディーゼルの槍だ。 簡易型デバイスの魔力刃では威力が足りない。 弾かれたオートマチックの刃に、泳ぐチェーンの身体。 だが、それでも銃は離さない。 そして、ただでは負けないと照準を定めていたリボルバーの二発目を放つ。
「弾種選択――シェットシェル<散弾>!!」
至近距離で放たれる必殺の弾丸。 銃口から発射される無数の小さな弾丸が、広がりながらディーゼルを襲う。 が、それを辛うじて展開できた青のシールドが防いだ。 サーチャーを展開していたら恐らくは間に合わなかっただろうが、辛うじてチェーンが送ったアドバイスが執務官の命を繋ぎとめた。 着弾の衝撃が爆風と轟音を奏でながら粉塵を巻き上げ、両者がその粉塵の向こう側へと消えていく。
「ふふ、かなり動きがよくなっているじゃないか執務官殿? 前に会った君なら今ので死んでいるはずだよ?」
粉塵の向こうから、再び散弾を放つ。 だが、それに応える声はない。 この粉塵にまぎれて攻撃しようというのだろう。 正しい判断だ。 そして、中々に面白い。 チェーンは少し浮かれているのを自覚したまま、そのまま粉塵が落ち着くのを待つ。 浮かれているといっても、それは最後に楽しい仕事ができるからではない。 勝っても負けても望みが叶うのである。 ただ、決着がつけばそれで良かった。 人間は我慢すれば我慢するほど、何かを達成したときに感じる快楽は大きい。 その望みが叶ったときの喜びといったらないのだ。 だからこそ、このカウントダウンが、焦がれる心が、彼女の心を浮かれさせているのだ。
束縛からの解放は、何よりの快楽だとチェーンは思う。 或いはそれが、牢で囚われる虜囚の持つ共通の快楽の瞬間なのだろうか? 生前、外に連れ出されて満足して逝けると思ったときと似たような感覚が彼女の心に確かに芽生えていた。
「ハリーハリーハリー!! 黄泉路への切符は今ここに。 地獄の死者は今そこに。 その槍で私の偽りの生をとめておくれ。 こんな馬鹿げた茶番から開放しておくれよ。 さぁ、さぁ、さぁ!! 執務官殿、次の戦術はなんだい? その青い槍を使うのかな? それともお得意の爆裂魔法かな? それともそれとも、もしかして私用の何か切り札でも用意してきてくれたのかな? だったら、だったら速くそれを見せておくれよ!! 待ちきれないんだよ、すぐそこにある自由が!!」
粉塵が消えていく。 その只中で狂ったようにチェーンは願い詠う。
「焦がれていたんだ。 焦がれていたんだよ。 美学を守ったまま死ねるこの今日という日を私は願い続けていたのさ。 使役される屈辱の日々に、生かされるだけの苦痛の日々に。 牢獄を越える無味乾燥な部屋には、たった二つの救いしかなかった。 グラ爺とドクターがいなければ、私はとっくに狂っていたね。 自分の銃で私自身、何度この身を撃ち殺そうと思ったことか。 この私チェーン・ムーブルはね、正義も悪も信じない。 でも、何かを美しいと感じるこの美学<価値観>と家族<ファミリー>だけを信じてきた。 それしか私には信じられるものが無かったからだ。 そんな私の、この価値観を!! 美学を!! 奴らは踏みにじろうとしていた!! だが、私は今日という日に解放されるのさ!! はは、さぁ次を見せてくれ執務官殿!! この哀れな屍人<リビングデッド>を救っておくれ!!」
粉塵の向こう、静かに魔法を唱える執務官。 その頭にあるのは現状をどうやって打開するかということだけだった。
彼女とは立ち位置が違う以上、その言葉に込められた悲哀を真に理解することなんて出来ない。 束縛されて不自由だったチェーン。 自分の意思を貫けないかもしれないという苦痛を想像することはできても、ディーゼルには理解することはできない。 今はただ、職務を遂行することしかできないのだ。
だが、そう考えてディーゼルは思わず苦笑した。 チェーン・ムーブルという女性のあり方を知ろうとした自分がいたことに気づいたからだ。 そして、そういう環境を生み出したものへの明確な反抗を選び続けられるその精神には共感のようなものを感じていた。 自分がもしリビングデッドだったらどうしただろうか? 彼女のように抵抗したのか、それとも徒順に従ったのだろうか?
(いいや、僕もまたそれは選べそうには無いな)
犯罪というのは悪いことだ。 そんなことは魔導師としても、そして一般市民としても執務官としても容易に理解できる。 そんなものは悪だ。 彼女風に言うならば”美しく”ないことだ。 クライド・ディーゼルは正義の味方ではないが、だが決して悪人でもない。 彼は次元世界の警察と揶揄される組織に所属する一執務官に過ぎない。 善悪の判断をする法のために動き、それを守らない”悪”を取り締まる側である。 だからこそ、勝たねばならない。 彼女と同じように、明確な敵<悪>を許してはならないのだから。
粉塵が消える。 その寸前、多重起動していたブラストバレットを全周囲から向かわせる。 ヴォルク提督がやっていた、ジェノサイドシフト<殲滅配置>の構えだ。 全周囲からの包囲爆撃。 さらにそこに便乗するために、空を飛ぶようにしながら頭上から強襲する。
「はっ、今度は銃劇舞踏<ダンスマカブル>が欲しいのかい?」
全周囲から迫る怒涛の爆裂魔法の嵐に、しかしガンスリンガーは動じない。 その場から回転するように連射された散弾が、次々とブラストバレットに着弾して破裂する。 黒を飲み込む青。 青き滅びの花が、戦場に咲いては散っていく。 あるものは味方の青を飲み込み、あるものは黒を丸呑みし、あるものは頭上から襲い掛かろうとした執務官の至近距離で破裂する。 一回転で全てのブラストバレットを撃ち落したチェーンが、頭上から迫る執務官に向かって銃を構える。 だが、引き金は引けない。 それよりも速くに飛翔する執務官の突き出した槍が、彼の意を汲み取って伸びてきたからだ。
上体を下げ、しゃがみ込むようにしてそれを避ける。 そうして、角度をずらしながらオートマチックを発砲。 だが、全く速度を落さない執務官がチェーンの頭上を飛び越えながらそれを避ける。 同時に振り返る二人。 構えられた両者の獲物が背後の敵に襲い掛かる。 互いの首筋に突きつけられたのは、青の槍と黒の自動拳銃。 ほぼ同時に、あと一息で互いを殺すという位置で二人が申し合わせたように動きを止めた。
「……どういうことかな? 執務官殿?」
「それは……僕も聞きたいさ」
ガンスリンガーが構える右手に握られた銀の回転式拳銃、その銃口の先にはディーゼルの姿は無い。 何故なら、それが捉えているのはまた別の人物であったからだ。
「……観客、というには最悪の観客だね。 君にとっても、僕にとっても」
辛うじて引き金を引いてない右手。 今にも発砲してしまいそうなそれに抵抗しながら、強張った顔のままチェーンが言う。 執務官とガンスリンガーが互いを牽制しながら視線を彼女の方へと向ける。 そこにいるのは茶髪セミロングの少女だ。 その手に握るのは杖型のデバイスであり、今にも弾丸が発射されようとしている。 気丈にもディーゼルを援護しようというのだろう。 だが、それは最悪の展開を誘発するだけだ。
「フレスタさん? 馬鹿な、なんだってここに――」
「そうかい、フレスタというのか彼女の名前は」
何とか引き金を引かないように耐えながら、チェーンは運命の女神の悪戯に嘆く。 もし、仮に彼女がその魔法の引き金を引けば、彼女を”妨害対象”としてカテゴリーしなくてはならなくなる。 そうなれば、彼女に植え付けられたコマンド<命令>に従って彼女は動くしかなくなってしまう。 つまりは、彼女を殺す気で相手をしなければならなくなるということだ。 そして、そうなれば一番確実に執務官殿を葬るための武器を回収することになってしまう。 なにせ、それが一番手っ取り早い決着のつけ方であるからだ。 だが、それをしてしまえば最悪だ。 今まで守り抜いてきた美学が穢れる。 そんなことは許してはならない。
困惑する少女を見ながら、動くに動けない状態に陥ったチェーン。 その冷静な部分の思考は、既に射程範囲内に収まっている彼女の始末の仕方を演算しきっている。 ほぼ無意識のうちに長年培ってきた反射ともいうべき戦闘思考には、合理的な最善案が浮かんでいた。 一番の最善は彼女にとっての最悪。 そしてまた、それは執務官にも連鎖する。 まるで、導火線に火がついたダイナマイトを二人で仲良く握っている状態だった。
「最悪の……一歩手前だね。 どうにか踏みとどまってくれれば良いのだけどね――」
重いため息をつくガンスリンガー、だが現実は無常だった。 杖型デバイスから発射される桃色の弾丸。 スナイピングバスターのその弾丸が、轟音を立てて”発射”されたのだ。
神業めいた勘で反応したチェーンが、それを銀のリボルバーで撃墜する。 と同時に、止まっていた執務官とガンスリンガーが動き出した。 突き進む槍の切っ先、放たれるオートマチックの弾丸。 だが、互いに紙一重でそれを避けると、それぞれ最悪の展開の中で動いていく。 否、動かされていく。 チェーンの狙いはフレスタ。 ディーゼルはそれをさせまいと戦場を奔る。 二人の戦いはまだ、決着がつきそうになかった。
憑依奮闘記
第十三話
「イレギュラー」
青き光刃の軌跡に沿って、斬り飛ばされた人形の部品が宙を舞う。 その破片が地面に着くよりも速く、クライドは次の斬撃を放つべくブレイドの刃を振るった。
カグヤのモーションは一刀両断を地で行くシグナムのモーションとは違い、体捌きが次へと繋がりやすい。 想定されている戦闘方法が違うのだから、その結果は当然か。 以前と格段に速いその斬り返しは、ここ最近のクライドの修錬の賜物である。
とはいえ、それは彼個人がそう思っているだけて実際は少しマシになった程度だった。 覚え直す過程で実際はシグナムとカグヤのモーションの中間みたいなものに知らず知らずのうちになっている。 やはり、習得にはきちんとした時間が必要ということだろう。 恐らくそれを目の前でカグヤが見たら容赦なく駄目だしをしているだろう。 だが、本人はそれにまだ気がついていない。 というより気にする余裕も無い。
『クライド右だ!!』
「つっ!?」
――後方へ跳躍、そしてシールドを複数生成。
瞬間、目の前を横切るミサイルランチャーの弾体。 一歩間違えれば直撃という恐ろしい結果が待っている。 バリアジャケットのおかげで即死にはならないだろうが、ある程度のダメージは覚悟しなければならないだろう。 そんなのは御免である。 内部でクライドのサポートをしているアギトのおかげで、クライドはクリーンヒットらしいものは貰っていない。 質量兵器との戦いは始めての癖に、中々に運が良い。
――生成したシールドを更に変性。 そうして生まれたシールドを高速回転させながら周囲に展開。
「シールドカッター……行け!!」
『誘導は任せな、あんたは構わず切りまくれ!!』
融合したクライドは専ら攻撃と回避だけに集中し剣を振るう。 いつもとは違って、その動きは酷く攻撃的だ。 アギトの情報処理性能はクライドの経験不足を補うにはかなり良い。 いつもよりも一歩二歩先のことまでできそうだった。 これが簡易デバイスと”本物”の差という奴なのだろうか。 恐ろしいほどのその性能に、クライドは酔いそうになる。
(やべぇ、このままもう手放したくないぞ? この性能にこの感覚……癖になるな)
現在所持できる理由がクライドには無いのだが、それでもそう思ってしまうのはその恩恵が破格だからだ。 高級機と呼ばれるその意味を肌で実感するクライド。 その周囲ではアギトが操作を肩代わりしたシールドカッターが次々とマリオネット<人形>を食い散らかしている。
鋼鉄で作られた人形。 質量兵器を装備する人形が、その四の刃によって火花を撒き散らしながら切断されていく。 まるで糸の切れた木偶人形の様なガラクタが、周囲にどんどんと出来上がっていった。
休日に魔法の勉強をしながらつけっぱなしにしていたテレビで放映していた通販番組。 そこそこミッドで有名なその番組『午後は全部思いっきり通販』で司会のノミさんがたまたま紹介していたので目に入ったのが『エンジンカッター』であった。 それを視聴したせいでシールドを改造し、攻撃魔法に応用することを思いついたことでクライドが実用化したのだが、やはり元にした物が物だけに強固な物体に対する強引な切断力はかなり頼りになるようだった。
後方では魔法少女となったミーアとキールが強力な防御結界で身を守りながら同じくそれで援護をしてくれている。 気のせいかクライドのシールドカッターよりも威力があるようで、接触から切断までの時間に差が出ている気がした。
(俺の魔法なんだけどな……)
防御結界やシールドの扱いが上手いあの一族には、本家の嘆きは通用しない。 次々とマリオネットを破壊していくその光景に、内心でクライドは涙する。
と、左側から攻めているクライドとは反対の位置で物凄い現象が起こっていた。 地面を削りながら放たれるシグナムの連結刃が、次々と彼女の周辺をなぎ払っているのだ。 クライドが一体一体確実に屠っていくのに対して、彼女はそれを振り回すようにしながら次々と敵をスクラップにしていた。
初めは距離を詰め、レヴァンティンを用いて一体一体丁寧に倒していたのだが、倒す側から召喚されていくことに気がついてからはそうやって数を減らすことに専念していた。 恐らくは、召喚されるよりも速く倒してやろうと考えているのだろう。 一人で無双している彼女の周囲で、さしもの人形も二の足を踏んでいた。 果敢にも遠距離から弾幕を張るものもいたが、小銃や機関銃程度では彼女の纏う強力な騎士甲冑に僅かなダメージさえ与えられない。 威力の高いロケット弾やミサイルランチャーの類はそもそも振り回すレヴァンティンのシュランゲフォルム<鞭状連結刃>によって射程内に入った放たれた側から撃墜される。 さすが、ヴォルケンリッターのリーダーをするだけあってその戦闘力は凄まじいものがあった。 だが、それでもさすがに次々と召喚されていく人形には辟易しているらしい。
「まったく限りが無いな。 速くあの三人と合流したいものだな」
特に疲れなどはみせておらず、まだまだ余裕であったがさすがにこうも延々と来られては彼女も面白くは無いのだろう。
「いやー、さすがだね。 あの人だけで三分の二は駆逐してるよ」
「うん、頼もしいお姉さんだよねシグナムさん」
援護をするキールとミーアが、感心しながら呟く。 二人で展開した結界の内部に閉じこもり、援護をしながら遠めにその様子を見ていたが、シグナムの無双ぶりには二人して目を丸くしていた。
「これなら、リビングデッドもまとめて一人で倒してしまいそう。 逃げる必要なんてないんじゃない?」
「いや、さすがにそれは無理だと思うよミーア」
高ランク魔導師というのは、それ一人いるだけで脅威なのである。 相手の人数が最低でも五人としたら、さすがのシグナムでも制するのは無理だろう。 一対一なら勝てるかもしれないが、それが二対一などになればそこからはもう数の暴利で押しつぶされることは明白だ。 だが、とも思う。 もし彼ら四人が揃ったのならば、それも不可能ではないのではないか……と。
さすがにそれは都合が良すぎる想像だ。 苦笑しながらキールは落ち着いた様子でシールドカッターを操作していく。 スクライア一族にとっては質量兵器なんてものは結構馴染みがある敵である。 発掘の過程で防衛兵器と出会ったりすることもあるため、それの延長だと思えば大した恐怖は無い。 彼からすれば高ランク魔導師の方がよほど怖い存在であった。
次元世界の警察である管理局。 そしてその管理社会を支えている高ランク魔導師たちの戦闘能力は想像を絶するものがある。 街一つ焼き尽くすことができる者もいるのだから、その力を恐れない理由は無い。 知らず知らずのうちに畏怖を抱くのは当然の感情だったのかもしれない。 もっとも、今はその彼女が味方であるのだから怖がる理由など無いのだが。
「……それにしても、一体彼らはどこからアギトのことを嗅ぎつけたんだろうか? 時空管理局に登録するまでは僕たちはそれほど彼女を表立って連れまわすことはなかったはずなんだけど……」
気になるのはそのことだ。 特に、ここへ今日訪れることはミーアの子供らしい嘆願をきいたおかげなので一族の連中も知らないはずである。 だというのに”何故”彼らはこうもピンポイントにここへとやってきたのか? 元々監視されていたのだろうか? だが、その考えをキールは即座に否定する。
(いや、だとしたら管理局に届ける前に押さえに来るはず。 僕たちは基本的に戦いが得意ではない。 連中からすれば強引に一族の船を襲うことはわけもないことのはずだ。 であれば、それまでは連中はアギトのことを知らなかったということだけど、”時空管理局”に真っ直ぐに行ったからそれほどアギトが人目につくようなことはなかったはず……ということは、知られたのは管理局内でか? 管理局サイドに内通者でもいるのだろうか? 偶然にしては出来すぎているし、”秘匿されているはずの執務官の本物の個人ID”を入手していた点といい色々ときな臭いことばかりだ。 管理局……いや、待て。 ”何か一番怪しい”ことを忘れてはいないか?)
一番長くアギトが留まっていたのは、時空管理局の本局。 そして資料集めのために閲覧させてもらっていた”無限書庫”と借りていた宿泊施設ぐらいだ。 であれば――。
(まさか、連中は管理局とつるんでいる? もしくは無限書庫の本を”編集”しているかもしれない連中とつるんでいるのか?)
不意に頭をよぎった荒唐無稽な想像に、キールは戦慄を感じた。 それがもし仮に本当だとしたらとんでもないことであるからだ。 ただの被害妄想とかであれば良いが、そうでないのならばこれは問題である。 勿論、この想像には矛盾はある。 管理局と組んでいるのであれば、管理局の強権を発動し、アギトをキールたちから取り上げればよいのだ。 だが、現実にはそういう圧力はまだない。
それをしない、できないということはどういうことなのか? 連中には”正式に”決まった手続きを変更させるようなことはできないということであり、つまり表側に関われない完全なアウトサイダーであるということだとすれば、少しは繋がる気がする。
許可されているにもかかわらず、いきなり所持許可を取り上げられれば恐らくはあの少年も、そして自分も何故そうなったのかを追及するだろう。 そうしたときに、その圧力のかけ方から自らへと手が伸びる可能性を嫌っているからこそしないのだとしたらどうか? キールの中で想像はどんどんと膨らんでいく。
それにアギトのことも気になる。 連中にとっての脅威? それとも研究目的? 可能性はいろいろとある。 ”古代の叡智”とはロストロギアを収集している組織だとあの執務官は言っていた。 ”ただ彼らの行動をなぞるだけ”ならばそう言う読みは正しいだろうが、その中にもっと明確な行動理由があったとしたらどうか?
――”連中”とか言うのに隠蔽された歴史なんだって今の歴史は。 どう思うキール?
思い出すのはミーアがアギトと歴史空白の存在しない歴史のデータを見せてきたときだ。 あの時のミーアの言葉を信じるのであれば、連中と無限書庫を繋げた場合には面白いことになる。
そこから推測すると、少なくとも連中は”アギト”がどういう存在であるのかを詳細に理解している可能性がある。 連中が歴史を隠蔽をするために”意思、或いは記録や記憶を所持するロストロギア”を躍起になって収集していると仮定すれば、アギトを狙う理由になるかもしれない。 であれば、色々と繋がってくる。 ああも歴史を特定不可能に編纂された無限書庫の本、そして連中がアギトを手に入れようとする理由が面白いぐらいに符号してくる。
アギトの価値はもう生産できないユニゾンデバイスという部分だけではない。 彼女が初期化される前に記憶していたデータ、あるいは偶に知っているかのように発言するそのおぼろげな記憶にこそ一番価値がある。 デバイスマイスターという観点からではなく、歴史研究家としての視点で物事を考えるキールには、そちらの方が重要に思えてならなかった。
アギトの情報を知り、なんらかの意図を持ってこうしてアギトを欲しているのだ。 少なくともアギトがどういう存在なのかを知っていなければしないだろう。 確かに彼女は貴重なロストロギアだが、彼女のようなベルカ製のユニゾンデバイスが他に見つかっていないというわけでもない。 だが、アギトになんらかの意味があり、それを知る者であれば話は別だ。 ”態々”ミッドチルダという次元犯罪者にとっては鬼門のような地で、ピンポイントに襲い掛かってくるのは連中がアギトだけが持つかもしれない”何か”を危険視しているからだ。
(まあ、全部意味の無い空想なんだけれど、そう考えると面白いな)
無論、ただ単にアギトが珍しいから欲しがっているという線も考えられなくも無い。 そういう方面でも純粋に価値があるというのはキールだって分かっているつもりだからだ。
「誰か一人でも捕まえて問い詰めたいけど無理だろうなぁ」
簡単に口を割ることは無いだろうし、そもそも捕まえるのが困難であると聞く。 考古学者としての探究心がムクムクと沸いてくるが、今は命を守るときである。 キールは再びシールドカッターを展開。 結界を維持しながら次々とマリオネットを駆逐していく。 だが、ふとそれをしていて感じた。 少しずつ、シグナムとクライドが倒しているマリオネットたちが外側に下がっていくのだ。 まるで、二人の間を分断しようかというかのように。
「二人とも、少し離れすぎじゃぁ――」
声を張り上げようとして、しかしそれが届く前に新しく黄土色の魔法陣がクライドの方に展開された。 マリオネットではない。 明らかにそれは人間だった。 であれば、それはリビングデッドの送り込んできた新しい戦力に相違ないだろう。
その手に握っているのは自身の身長にも匹敵しそうなほどの長さを持つ黒の大剣であり、それを肩に担ぐようにして後ろで構えていた。 新しく現れたその筋骨隆々のその青年は、周囲をしばらく睥睨するとすぐに行動を開始する。 途端、周囲に膨大な魔力の風が吹き荒れた。 明らかに高ランク魔導師の魔力量である。 思わず身が竦みあがりそうなそれに、隣に立っていたミーアがそっとキールの服の袖を握った。 どうやら、感受性が高いミーアには理解できたらしい。 その存在が先ほどまでマリオネットを駆逐していた”彼女”とほぼ同等であるということに。
「こ、これは不味いな」
マリオネットが数で押してくる程度であれば、どうとでも対処できる。 だが、本物の強者がやってきて戦力を切り崩しに来ている。 しかも、彼らの狙いであるアギトと融合するクライドの近くにその青年がいる。
青年が踏み込むだけで、地面が割れた。 捲れ上がるアスファルト、その波を意に返さずに大剣の男がクライドに向かう。
「主、逃げろ!!」
振り上げられるは断頭台の刃。 一撃で一切合財を無にする恐ろしい一撃を前に、シグナムが援護しようと動くが絶望的にその初動が遅れている。 これでは、彼女は間に合わない。
濃密な死を予感させる一撃を前に、クライドの頭に絶望が浮かぶ。 だが、それとは裏腹に身体は反射的に動いていた。 真上から振り下ろされようとする超人の斬撃。 世界の一切合財から音が消え、全ての感覚が死から逃れるべく全力でクライドが動いた。
或いは、それはただの偶然であったのだろう。 何度も何度もそんなことをしろと言われても、クライドにはできまい。 内部でサポートするアギトと、クライドが感じた死への恐怖が、生存本能を刺激してその強烈な感情を弾けさせる。 真横の何も無い空間を蹴り飛ばすようにしながら、クライドが”エア・ステップ”の反動を利用して、紙一重で横に逃れる。 本来は空中を走るためのものであり、まだニ、三歩しか歩けない稚拙な技術だったが練習していたおかげで、辛うじてそれがクライドの命を繋ぎ止める。 次の瞬間、踏み込みなど比較にならないほど地面が抉れた。 振り下ろされた大剣がもたらした一撃がただそれだけで地面にクレーターを作ったのだ。 周囲に飛び散るアスファルトが、大量に周囲に降り注ぐ。
「――む? 何も無い空間を蹴るじゃと?」
訝しむその青年は、しかしすぐに手応えの無かった剣を振り上げクライドを追う。 逃がさないとばかりのその追撃に、クライドの顔から血の気が引いた。 グラムサイトを最大展開範囲ギリギリの五メートルほどまで展開し、辛うじて現段階で最高の回避が出来るように備える。
次に放たれようとしたのは振り下ろしではなく、地面を削りながら放たれるなぎ払いであった。 どういう斬撃が来るのかは理解できていたが、それでもその威力が半端ではない。 まともに受け止められるわけもない。 モーションから理解した瞬間、クライドとアギトが揃って行動を開始する。
「――カートリッジロード!!」
『――斬撃強化!!』
アギトの強化を受けたブレイドの刃を受け流すように構え、後方へ跳躍。 さらに瞬間的にカートリッジをロード。 ブレイドが薬莢を吐き出したと同時に、黒の大剣がブレイドの刃にぶつかり、恐ろしいほどの魔力が爆裂した。 両腕が千切れるのではないかというほどの衝撃を受けながら、クライドが地面と平行に吹き飛んでいく。 恐ろしいことにブレイドの魔力刃は、ただその一撃を受けて消し飛んでいた。 その法外な一撃を対処できたのは恐らくは奇跡である。 後ろへ跳躍して勢いを殺したことと、アギトとカートリッジによる威力強化が無ければクライドは今頃上下に身体が分かれていただろう。
無様に地面を転がるクライドが、なんとか受身をとって立ち上がったその瞬間、足元に広がる黄土色の魔法陣。 そこから召喚されるは鋼鉄の鎖。 あらかじめ付加しておいた無機物操作の魔法を用い、召喚した鎖を操って未だ見えぬ位置にいる召喚師がクライドを拘束したのだ。
「これは、アルケミックチェーン!?」
『クライド、くそ……今解除術式を!!』
鎖で雁字搦めにされたクライド。 だが、二人の抵抗をあざ笑うかのように次の術式が起動される。 クライドの周囲に現れる黄土色の魔法陣。 身動きが取れない今、それを避ける術はクライドにはない。
「く、連続召喚? しかも今度は逆召喚だと? 器用すぎるぞ!!」
悪態をつきながらブレイドに刃を生成。 それを振ろうとしたところで時間切れだった。 クライドとアギトの抵抗空しく、二人はその場から強制的に転移される。 魔力分解されて消えていく二人を前にシグナムたちは何も出来なかった。
「主クライド!?」
「すまんな、”まだ”邪魔はさせん」
シグナムが追ってきていたが、それに大剣の青年が立ちふさがる。 圧倒的な力を有するその魔導師に、さしものシグナムもそれを無視して追うことはできなかった。
「――我らが主に何かあれば、貴様ら全員ただでは済まさんぞ!!」
焦る感情を押し殺しながら、シグナムが剣を構える。 その目にはいつもより数段は鋭い剣呑さが宿っている。 青年はそれを目にしながら、大剣を掲げた。 やってみるがよいと、無言で語っている。
その一瞬触発の空気の中、しかし二人が衝突する寸前に空中から二人の騎士がやってきた。 キールとミーアの前に立つようにして戦場に現れたのは、ザフィーラとシャマルである。 いち早く主がいないことに気づいたザフィーラが、シグナムに尋ねた。
「シグナム!! 主は!!」
「すまん、目の前で奴らに連れ去られた。 ザフィーラ、シャマル!! キール氏たちと共に主を追ってくれ!! こいつは私が斬る!!」
「っ――任せるぞシグナム!! シャマル!!」
「はい、任せてください。 結界内部にいるのなら、必ず見つけ出してみせます!!」
「すまないが、我々に手を貸して欲しい。 このままでは主が危ない」
「ああ、今は彼を追おう」
「うん!!」
お互い、ある程度話を聞いていたので疑うことはない。 連れ去られたアギトとクライドを助け出すためには問答は後でよい。 状況がどれだけ不味いのか、誰もがしっかりと理解しているからだ。
「シグナム!! ヴィータが来たらシャマルへ念話するように言っておいてくれ!! すぐにここにやってくるはずだ!!」
「承知した!!」
高ランク魔導師と戦っているはずのヴィータに余計な負担をかけないようにしながら、ザフィーラは鋼の軛を放つ。 周囲に群がろうとしたマリオネットを一斉になぎ払うと、先陣を切るようにしてこの場から離脱する。 飛び立っていく四人の気配を感じながらシグナムは己の失態を悔いた。 だが、後悔するにはまだ早い。 今はただ、目の前の邪魔者を切り伏せ、一刻も早く後を追わなければならない。
「――剣の騎士シグナム……その愛剣レヴァンティン。 悪いが、手加減抜きでやらせてもらうぞ!!」
大剣を構える剣士に向かってそう吼えると、シグナムは一気に踊りかかって行った。 同時に吐き出されるカートリッジの薬莢。 炎の魔剣が、その主の怒りに応え刀身に膨大な熱量の炎を宿していく。 並みの魔導師なら一刀両断するその刃に相対するは、長大な漆黒の大剣だ。
次の瞬間、ヴォルケンリッター最強の剣士と、リビングデッド最強の剣士が互いに渾身の魔力を剣に込めながらぶつかっていった。
黄土色の魔法陣によって逆召喚されたクライドが気がついたとき、そこは既に見知らぬ場所であった。 調子に乗りすぎてシグナムと離れすぎていたことにも気づいていなかった自分が恥ずかしい。 召喚師が敵にいる時点で、そういうことも考えられたとうのに。
「くそ!! 最悪だ!!」
悪態をつきながら、周囲にシールドカッターを生成。 そのままクライドは自分を拘束している鎖を切断作業に入る。 高回転のカッターがバリアジャケットに触れそうになるのは、自分でやっていて気持ちの良いものではない。 飛び散る火花などはジャケットのフィールドによってカットされるが、金属を切断するあの独特の音を至近距離で聞かされるのはたまらかった。 ブレイドを使いたかったが、雁字搦めにされているため腕を振るうのが難しく、切れそうに無かったためにそれをするしかない。
『やけに静かだな? 敵がいるってのにお迎えの一人もいないなんて……』
「向こうから招待してきた癖に、歩いて来いってんだろ? ふざけやがって」
毒づきながら、クライドは周囲を観察する。 見たところ全周囲がガラス張りでできた円形の建物の中にいるらしい。 ガラスの向こう側には夜の闇に似た暗黒が広がっていることから、相当に高い場所であるということは理解できるが、それがどこかまでは分からない。 ただ、ジェットコースターのレールや、観覧車などが遠めに見えることから、まだデスティニーランドの中であることだけは確かだ。
と、ジャリジャリと音を立てながら鎖が床へと落ちた。 鎖の切断を終えたシールドカッターをそのまま周囲に配置させると、ようやく鎖から開放されたクライドはブレイドを片手に歩き出す。 敵がどうしてこんな場所に転移させてきたのかは知らないが、とっとと逃げるに越したことは無い。 強化ガラスだろうがなんだろうが、シールドカッターならば切断することは可能だろう。 敵が来る前に逃げ出す方が良い。 正直な話、このままでは厳しすぎるのだ。
「しっかし、どうしてアギトなんだろうな? お前、何か特別なデバイスなのか?」
『知らねぇよ。 アタシはなんか知らないけど初期化されてたんだぞ? それに、そんな特別なことを示すデータとかは残ってないよぉ』
「ふーん、なら単純にロストロギアとしての価値だけでお前を欲しているのかな。 さすが最高級機ってか」
『冗談じゃねぇよ。 アタシのロード候補はもう決まってんだ』
「……というと、俺か?」
『ちげぇよ!! シグナムだよシグナム!! くぅぅぅ、魔力光も剣の腕も悪くなさそうだし、今のところあいつ以上のロード<主>なんていねぇよ!!』
クライドの冗談に噛み付くアギト。 どうやら、先ほどまでの戦闘でシグナムはアギトのハートをガッチリとキャッチしたらしい。 さすが、烈火の将である。 剣精が上機嫌で褒めていく。
『いいよなー、あの太刀筋にあの魔力。 偽者のあんたとは大違いだぜ』
「に、偽者?」
『あんたの場合似てるだけで全然違うんだもんな。 なんていうか中途半端なんだよなぁ』
「くっ、デバイスにまで認められない俺の剣ってなんなんだ!!」
冷たい現実に涙しながら、クライドがブレイドを振りかぶろうと腕を上げる。 だが、その刃がガラスに向かうことはなかった。 次の瞬間、クライドが弾かれたように横に飛んだ。 と、先ほどまでクライドがいた空間をバインドの輪が通り過ぎていく。 舌打ちしながら、クライドが振り返った。
「――困るな。 まだ確かめもしていない内に帰られては」
いつの間にそこにいたのか、黒のコートを纏った男が苛立たしげにクライドを見た。 その、まるで無機質な表情にクライドは一瞬呆気に取られた。 どのような無表情な男がいたとして、それでもここまで人間味が無くなることなど無いだろう。 目の前にいる男は、まるでロボットか何かのように温かみが無く、病的なまでに存在が希薄だった。
(な、なんだこいつは!?)
リビングデッドなのだろうか? 高ランク魔導師に匹敵する魔力を持っているようだが、普通の人間とはどこか違う。 だが、あのバインドの魔導師とも雰囲気が違う気がする。 では、それ以外の何かだというのだろうか? その答えを知らぬまま、クライドは油断無くブレイドを構える。
「ふん、単刀直入に言うが今回の”夜天の王”よ。 俺はお前には”興味が無い”……だが、そこの剣精には用がある。 ユニゾンを解いてそいつを寄越せ。 なに、壊しはしない。 ただ、確かめるだけだ」
「てめぇ!?」
「何故、などと聞いてくれるなよ? ガキが知る必要は無いことだ」
全て知っていると、貴様など眼中には無いとそいつは言う。 その言い方が癪に障るが、クライドの冷静な部分がそんな猛る感情を抑えつける。
「それをして俺に何のメリットがある? それに、ただでこちらに返すつもりなんてないんだろう?」
「貴様がメリットを持つ必要など無い。 こちらが必要だからという理由だけで十分だ」
「そんな馬鹿な理論があるかよ。 あんた、頭の螺子が一本二本飛んでるんじゃねぇか? 何かをしてもらいたかったら、相手にも何かをしなきゃあならないってのは今時馬鹿なガキでも知ってるぜ?」
「ふん、そんなものは普通の世界に生きるものだけだ。 俺にはまったく関係が無い。 だが、あんまり駄々をこねてくれるなよガキ。 別に”お前”の代わりなどいくらでもいるのだからな」
何の感情も無く、ただそう事実だけを述べると男が無表情のまま手をクライドたちに向ける。 その掲げられた右腕にある黄金の腕輪が煌いたその瞬間、展開していたシールドカッターが消え、クライドの中にいたアギトが苦悶の声を上げた。 男が目に見えて分かる何かをしたわけではない。 だが、目に見えない何かを用いて確かに融合しているはずのアギトだけを直接に攻めていたのだ。
『が、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
「アギト!?」
「ふん、融合事故でそこのロードを死なせたくなければとっとと剥がれろ烈火の剣精。 その方がお互いのためになる。 ”そのまま”では些か不純物が混ざりすぎてやり辛いからな」
「アギト、おい!!」
『こい……つ……アタシの中に……入っ……やがる!? ……やめ……』
「くそ、なんだってんだ!!」
急いでクライドがアギトのステータスを展開し、情報を閲覧する。 だが、次々とそのステータスにエラーが混じっていく。 文字が化け、ノイズが走りまるで何が起きているのか理解できない。 恐らくは、クライドがただの魔導師であればそれで何をしているのか分からなかっただろう。 だが、彼は普通ではない。 彼が知らなくても、それを知っているモノがいたのだ。
『――敵勢固体『杖喰い<デバイスイーター>』のハッキングを確認。 プロテクト一部解除開始。 閲覧可能情報増加による新着情報の確認を求む』
『トール!?』
あのプラグインからダウンロードされたトールから、強制的に閲覧情報が送られてくる。 何がどうなっているのか理解できないクライドは、それに縋ることしかできない。 そして、その情報を確認した瞬間に血の気が引いた。
(な、なんだこれは!? んな馬鹿なこと――)
杖喰いとはカグヤが気をつけろと言っていたロストロギアである。 並みの魔導師では太刀打ちできないと言うが、その理由がそこには列挙されていた。
(下位デバイスへの強制介入<ハッキング>能力に死者を五人は操るほどのロストロギア級のスペック? しかも……こいつは『対デバイス制圧用スタンドアローンデバイス』だと!? ふざけんな、そんなもの開発できるわけが――)
だが、現実にアギトが苦しみ恐ろしい勢いで負荷をかけられてきている。 通常はデバイスをハッキングすることなど不可能である。 魔導師の杖たるデバイスが演算する魔法プログラム<術式>には恐ろしくデリケートな計算が必要である。 簡単な砲撃魔法でさえ、その計算になんらかの不備があれば容易く暴発する危険性を孕んでいる。 だからこそ、デバイスには使用者以外に介入できないようにありとあらゆる防御策を講じられているのである。 冗談でも遠距離からのハッキングなどできるようにはできていない。 そのはずなのだ。 それがデバイスマイスターにとっての常識である。 なのに、そこに列挙されている情報では、その常識を吹き飛ばすデータがしっかりと記載されている。
『く……ユニゾン……アウ……ト……』
アギトがユニゾンを解除する。 それ以上はもたないのだろう。 最高級機といっても、演算を妨害されればスペックが低下し、融合事故の可能性が出てくるのだ。 ぐったりとするようにクライドの目の前に、小悪魔が床に向かって落ちていく。 クライドは慌ててその小さな身体を手で掴むと、ゆっくりと床に横たえてやった。
何も出来ない無力感が、クライドを襲っていく。 デバイスマイスターを目指してきたというのに、彼女のような法外なデバイスを弄るようなことはまだクライドにはできない。 必死に自己を犯してくる敵と戦っている彼女にしてやれることが何も無いのだ。 持ち主であるというのに、なんて様だ。 ブレイドを握る指が震える。 屈辱を怒りに変えて、クライドが立ち上がる。 その目に浮かぶのは確かな怒りだった。 彼にできることといえば、彼女をハッキングしている敵を倒すことだけだ。 それも、彼女が完全に乗っ取られる前にしなければならない。
データとは彼女たち機械知性体にとっての全てであり、今を形作る大事な要素に他ならない。 もし仮に人格データなどを消されたりすれば、今いるアギトという存在は消えてなくなる。 そんなことを許してはならない。 それは、今のアギトを殺すことと同義であるのだから。 例え、彼女がデバイスで、ただの物体が人間の物真似をしているだけだとしても、そんなことを許して良い道理などない。
クライドはデバイスマイスターを目指している。 その過程で、意思を持つインテリジェントデバイスもユニゾンデバイスも共に魔導師と戦うパートナーであると考えている。 その考えが、このような馬鹿なことを許せるはずもなかった。
或いは、それは人間としては異端の考えだったのかもしれない。 ただの物体に愛着以外の感情を持つなどと、理性ある人間としてはズレている。 だが、それでもこの判断を間違いだと断ずることがクライドにはできない。
(できるできないじゃない、やるしか無いんだよ!!)
ブレイドを構えながら、クライドがゆっくりと敵を見据える。 こちらに手を向けたまま微動だにしない杖喰い<デバイスイーター>。 その目にはもうクライドなど映っていない。 眼中に無いガキなど、ハッキングの邪魔だと考えているのだろう。
「うぉぉぉぉ!!」
駆け出し、高速移動魔法で距離を詰めるとクライドが無防備な敵に青い刃を振り下ろす。 青の軌跡が空間を奔り、杖喰いに迫る。 だが、その刃が一瞬にして消えた。 空振ったブレイド。 その向こうで、邪魔をし始めたガキを睨むようにしながらイーターが無造作に足を蹴り上げる。 下からのその強烈な蹴りに、クライドが腕をクロスさせながらガードする。 だが、踏みしめた足が、地面から簡単に離れた。 砲弾のように吹き飛んでいくクライド。
「くっ!?」
咄嗟に魔法を演算し、慣性を殺しながら受身を取ろうとする。 だが、それはならない。 発動するはずの魔法が発動しない。 それどころか、その勢いを加速させるように別の魔法が勝手に発動した。
最高級機であるアギトでさえそれに抵抗できないのだ、クライドの所持するブレイドやアーカイバでは話にならないのだろう。 床に叩きつけられるようにしながら、クライドが床を転がっていく。
「一応聞いておいてやるが、なんのつもりだ? まさか、その程度の腕で俺とやりあおうなんて馬鹿なことを考えているわけではあるまいな? 守護騎士ならいざ知らず、貴様のような青二才にできることなど何も無い。 ガキは大人しくその辺で終わるのを待っていろ」
「煩ぇ!!」
痛みを堪えながら立ち上がり、クライドは言うことをきかないブレイドとアーカイバをツールボックスに収納すると、自分自身で魔法を演算する。 さすがに、人間をハッキングすることは杖喰いにもできはしない。デバイスが無いため魔法展開の速度が格段に遅いが、それでもシールドナックルとグラムサイトを展開し悪あがきを続けていく。
(アギトをハッキングしているってんなら、それにリソースを取られてるはずだ。 逆に言えば、それが終わったらもうどうしようもなくなっちまう。 それまでになんとかしないと……)
さらに、トールからもたらされる情報を吟味する。 彼単体の戦闘能力限界というものがあるはずである。 相手がデバイスであるというのなら、そのポテンシャルを明確に超えるようなことはできないはずだ。
(それにあいつがデバイスだってんなら、戦闘プログラムはどうなっている? スタンドアローンタイプなんて情報はあるが、そもそもあいつが本来戦うべき相手は”デバイス”であって人間じゃあないはずだ。 人間を超える柔軟性を保持しているのか?)
アギトたちほどの人間臭さを持っているユニゾンデバイスでさえ、単独の戦闘は得意ではない。 支援やサポートはできるだろうが、それ以上の濃密な戦闘は”現段階では”不可能である。 彼女たちはあくまでもデバイスであり、人間の魔導師を制圧するようにはできていないのだ。 その現在の当たり前の常識が目の前の相手にも通じるのかどうかは分からないが、そこしかクライドには突くべきところは無い。 また、先ほどの蹴りで感じたことだが、敵は高ランク”魔導師”というわけではない気がした。 身体能力は高そうだし、纏っている防御フィールドは強力だが”それだけ”という風な印象を受けた。 ただ、魔力量は感じるだけなら高ランクほどはあると思う。 分が悪すぎるがやらなければならない。
「ガキには忠告も無駄か。 まあいい。 本来なら”互い”に干渉しないのがルールだが、今回は例外を適用してやろう。 死なない程度にやってみろ。 逃げるなら追いはしないが……言ってもきかんのだろう?」
まるで、負けるつもりはないと驕りながら男が言う。 クライドはその傲慢な姿勢を内心で笑い飛ばすと、飛び出していく。
「お前こそ逃げるなら今のうちだぞ!!」
「ほざけ”供物”が――」
回転するシールドナックルを纏ったクライドを前にして、杖喰いがカウンターの右ストレートを打ち出す。 その恐ろしいほど正確な拳が、クライドの顔面を襲うがクライドはそれをしゃがみこむようにしてかわすと、伸び上がるようにしながらアッパーカットを繰り出す。
杖喰いが僅かに動きをとめ、すぐさまそれに対処していく。 その反応速度は人間のそれを圧倒的に超えている。 人間のような反射行動では断じて無い。 行動一つ一つに可能性を考慮して最善を選び取っているのだ。
それは酷く機械染みた動きであった。 後ろに仰け反るようにながら攻撃をかわすと、クライドの鳩尾を目掛けてお返しとばかりに膝を叩き込んでくる。 クライドが左手でなんとかそれをガードするが、人間を大きく超えた膂力によって再び身体を跳ね上げられる。 だが、それは攻撃によって距離を開ける布石に過ぎない。 五メートルほどそのまま離れたところで、届かない位置から拳を繰り出す。 その拳に纏っているのは帯状の魔法陣。 拳を振りぬくと同時に、体制を整えた杖喰いに向かってスターダストフォールでシールドナックルを撃ち出した。 まるでブーストナックルのようなそれが砲弾となって杖食いを襲う。
「――ぬ!?」
ナックルをそういう風に使ってくるとは予想できていなかったのか、杖喰いの動きが再び止まる。 だが、瞬時に次の最善を演算しきると拳にクライドのアーカイバからコピーしていたシールドナックルを纏って弾き飛ばした。
「ちっ。 人の魔法を勝手に!?」
「覚えておけ、魔法に”著作権”は無い」
涼しい顔でそういうと、今度はイーターが攻めに入る。 クライドの魔法<シールドナックル>を展開したまま休み無くラッシュを繰り出してくる。 クライドはそれをグラムサイトによってなんとか対処していく。 杖喰いの動きは、一つ一つの動作こそ凄まじく正確なのだが、その繋ぎ<連携>には何故か穴が開いている。 その隙をついて、クライドもまた果敢に攻めた。 なんとなくだが、攻略の糸口がつかめたような気がした。 杖喰いの動きには柔軟性が無く、その時々の最善を一々考えてから繰り出してくるために攻撃にタイムラグがある。 ”人間”であればそんな間を与えるまもなく次の動作に繋げて来るのだが、機械である相手はその軛からは逃れられない。 逃れられるような設計にしているのなら別だろうが、彼はどうやらそういうことを考慮にされていないらしい。
リーゼロッテに仕込まれた格闘術を用いて、クライドの拳が幾度と無く杖喰いを襲う。 だが、それにどれほどの効果があるのか。 全く意に返さずに殴り返してくる杖喰いに、クライドは何かを忘れているような気がした。 カウンターで放った右ストレートが、杖喰いを大きく吹き飛ばす。 だが、手応えのようなものはやはり感じられない。 まるで空気の入った分厚いゴムを殴っているような感触しか伝わってこないのだ。 そしてやはり、クライドの攻撃を受けて何事も無いように杖喰いが起き上がってくる。
(痛覚が無い? いや……防御フィールドで全部防いでいるのか? にしては変な感触だが……)
「鬱陶しいな」
まるで羽虫を払うよな仕草でそういうと、杖喰いが周囲にシールドカッターを生成。 その数は八つ。 そのまま誘導操作を用いてクライドに放つ。
「人の魔法を次から次へと!!」
こちらも負けじとカッターをぶつけ、相殺させる。 ギリギリと甲高い音を立てながら互いを削るシールドカッター。 その咆哮をBGMにしながら、クライドが吼える。
「あんたが何の目的でアギトを狙っているのかなんて知らないが、とっとと失せやがれ!!」
幻影魔法を起動し、シールドナックルを纏う幻影<フェイク>を二つ作ると、クライドが共に殴りかかっていく。 その際、自分のバリアジャケットの術式を弄る。 左右から幻影が迫り、そのナックルで踊りかかるが、それを無視して杖喰いがクライドを真正面から迎え撃つ。 だが、両サイドから迫る幻影に殴られ、驚愕を露にしていた。
どうやら、工夫するというような柔軟な発想は無いらしい。 殴っても消えない幻影。 それに苛立ちの視線を浴びせながら、至近距離から次の拳を振り上げた幻影を殴る。 途端に、爆音と閃光を上げて幻影<フェイク>が自壊。 通常の人間なら確実に昏倒するほどのスタングレネードとなって杖喰いを襲う。 そこに飛び込む黒い閃光<クライド>。 一定レベル以上の音と光を遮断するように細工されたバリアジャケットのおかげで、クライド自身にダメージは無い。 シールドナックルを纏って右腕を杖喰いにたたきつけながら、そのまま左手でバリアブレイクの術式を叩ききもうとする。
――だが、爆発的な光陵の光に犯された向こうで、長身の男がなんでもない風にクライドを見下ろしていた。
言うまでも無い。 杖喰いだ。 そのままフィールドを破壊しようというクライドに向かって右腕から伸ばした魔力刃を振り下ろす。 グラムサイトの恩恵によって辛うじて気がつき、咄嗟に後ろに飛ぶが、逃げられない。
「――ぐあ!?」
ジャケットを抜かれることはされなかったが、それでも十分にそれはクライドにダメージを与えた。 斬られた左肩辺りに、鈍器で殴られたような衝撃が奔る。 そのままクライドは距離を取るようにして後方に跳躍すると膝をつきながら杖喰いを見た。
「今度はブレイドの魔力刃かよ……」
呻くように呟く、右腕で左肩を押さえ、ダメージの具合を確認する。 砕けてはいないが余り無理をすることはできそうにない。 激痛がクライドに脂汗を浮かばせた。
「ガキの浅知恵だな。 俺を人間やそれを模したリビングデッドの奴らと同じだと侮ったのか? ふん、あいつらと違って俺は完璧な”道具”だ。 そんな不完全なセンサー潰しではまるで意味がない。 そもそも、そのポテンシャルが違いすぎるのだ。 無駄な抵抗に過ぎないとなんで気がつかない?」
「完璧に人外かよてめぇ……」
スタンドアローンデバイス……どうやら、その規格外の存在にはクライドの対魔導師戦術が通用しないらしい。 クライドの基本的な制圧戦術の多くは人間の弱点や限界をついての武器が多い。 それが効かない、”人間ではない”相手には酷く相性が悪かった。 フィジカルヒールの治癒魔法でダメージを回復させながら、次を考えるが、そんな余裕はもうほとんど無い。
『あ……ああぁぁぁぁぁ!!!!』
苦悶の表情で苦しむアギトの様態がさらに悪くなっていく。 ハッキングが目に見えて進んでいるのだ。 と、そのときイーターの表情に苛立ちの顔に変わった。
「――ちっ、長引かせることもできんかトレインめ」
クライドには何を言っているのか分からなかったが、そのとき鉄槌の騎士が彼の部下を一人倒していたのだ。 そのせいで一人分の演算負荷が無くなり、杖喰いの演算速度が一気に上がる。 それによってアギトのハッキングもさらに進んでいった。
「烈火の剣精……存外に粘るな。 さすが、ロストロギアに数えられるだけのことはあるが、もう限界だろう。 どれ、お前の記憶を垣間見せてもらおう」
「記憶だって?」
訝しげにクライドが眉を顰める。 なんだってそんなものに興味があるのか。 初期化されているアギトの記憶になど、大して意味は無いはずだ。 何故なら彼女の記憶は一月分も無いはずだから。 目の前の犯罪者にとって大して意味のある記憶などあろうはずがない。 では、一体何が知りたいというのだろう?
(いや、……まさかこいつ初期化される前の記憶を知りたいのか!?)
それを知る人間など、カグヤを除いて存在はすまい。 まったくの無意味だ。 だが、”連中”にとってはそれに物凄い価値があるということなのだろう。
(一体何があるっていうんだ? く……知らないところで好き勝手やりまくりやがって!!)
歯噛みしながらも、クライドは動けない。 左肩が回復するまでは攻めきることができないからだ。 せめてアーカイバが使えればまだ切り札を切ることができるのだが、ハッキングされて無効化されるのであれば意味が無い。 それでは、戦うことさえできない。 基本的な戦術のほとんどが対魔導師戦闘用のものばかりのクライドにとって、今まで突き詰めてきた戦術が効かないのは悪夢のような出来事である。 一番の脅威は魔導師だと常々考え、思考停止に陥っていたツケが、こんなイレギュラーな形で顔を出すなどとは想像もしていなかった。
(周りには使えそうなもんもないし……く……どうしろってんだ)
苦しむアギトの苦悶の声を聞くことしかできない無力な自分に、クライドはこのときほど自分の無力さを呪ったことはなかった。
間が悪い、なんてことは日常生活ではよくあることだ。 だが、それが意図されたものだとしたらどうだろうか? 最悪の展開を誘発したその邂逅に、その場の誰しもが流される。 そんな馬鹿げたことが起こっている今、それは最悪の展開となって戦場の誰もを傷つけていた。 傷つけるものは肉体だけではない。 ”傷つけさせられる側”の精神的苦痛にチェーンは断続的に襲われていた。 2丁拳銃で狙うその先には、自分が希望を託した少女が執務官に抱きかかえられるようにしながら空中を飛んでいる。
狙いたくもないものを狙わされる。 人間の精神と尊厳がことごとく奪われているという今の現状は、酷く腹立たしい。 思考と身体が一致しない。 まるで、彼女は玩具のラジコンそのものである。 遠くでリモコンを持っている持ち主とやらが、彼女の意思を無視して好き勝手やっているのだ。 自分の意の沿うように。 ただ、それだけのために。 何もかもを踏みにじりながら状況を玩んでいるのだ。 こんな屈辱的な話は無い。
「く……いっそ私の思考など無くなっていればまだ機械のように徹していられるというのに……悪趣味だよ、本当に」
デスティニーランドの遊具で射線を遮るようにしながら、青の軌跡を刻む執務官。 だが、必死に回避行動を取ってはいるものの荷物<フレスタ>が邪魔で効果的な回避行動が取れていない。 周辺を覆うようにバリアを張ってはいるものの。 数発の弾丸に命中すればそれだけで消し飛ぶ。 再び展開すれば、それだけで無駄な魔力を消費させられる。 その悪循環という檻に完全に捉えられてしまっている。
「そうだね、彼女自身を足かせに攻めるという無駄の無い嫌らしい戦いもまた”私”は選択できる……だが、屈辱の極みだ。 つまらない、酷くつまらないよイーター。 どうせこれは君の差し金なんだろう? 分かっている、分かっているさ。 あのとき私に攻撃を放とうとしたときの彼女<フレスタ>の怯えは本物だった。 まるで初めて戦場に出た新兵のように震えながら私に向かって銃弾を放ってきていたんだ。 その下らない演出、馬鹿げたほどに人の意思を嘲笑うこの趣向、いやはや。 吐き気すら催すね。もう本当にうんざりだよ!!」
腸の煮えくり返りそうなその激情。 だが、それとは正反対に身体は酷く正確に引き金を引く。 完璧に自己をコントロールできている彼女だからこそ、感情に戦闘力を振り回されることなどありえない。 だが、それでもそれを爆発させて抵抗することしか彼女にはできない。
――嗚呼、自分は一体なんなのだろう?
リビングデッド<死人>として蘇らされ、こうして意思すら捻じ曲げられ、それでもなお連中のいいように使われる哀れな人形。 酷く美しくない不細工な玩具。 これではまだ、コンバインのあの無骨なマリオネット<質量兵器>のほうが何倍も美しい。 彼らのように意思無き人形で在れたなら、どれだけ心が休まるだろう。 どれだけ意味を持っていられただろう。 手板で操られる人形であろうとも、意思無き人形であろうとも、主の手足となって愚直に願いをきく彼らは存在意義を全うしている。 だというのに――。
「――なんて無様」
ピクリとも動かない人形の身体。 肉の塊と化すその自分の身体が、酷く恨めしい。 なんの美学<美しさ>も感じられないこの無意味な時間が速く終わって欲しいとチェーンは切に願う。 それができるのは目の前の執務官だけだ。 だが、できるのか? あの執務官に?
「……やってもらわなければならない。 できるかできないじゃないね。 でなければ――」
そう、彼ら二人ともが死んで、自分の大事なものが汚されるだけ。 言葉にすれば簡単だ。 だけれども、それだけは許してはならない。 そんな大切なものまで”連中”に奪われることなど許してはならない。 何か、できることがないか? 身体は動かずとも、口は自由だ。 話してはならないといわれたこと以外は話せる。 だが、何を? アドバイスでも送るのか? それとも――。
(そういえば彼女も魔導師だった……それも、あの魔法から推測すれば得意なのは砲撃系だとしたら……やれるかな? はっ、それができたら君は本当に私の運命の女神だ――)
馬鹿馬鹿しい発想だったが、それでも良かった。 何かに縋れるのならば縋るしかない。 それが、自分が選んだ運命の少女であり自分が大事にしたい家族<ファミリー>の遺産であるというのならなおさらだ、それに全てを託さない理由は無い。 声を張り上げてチェーンは言う。
「執務官殿、聞こえるかい? そのままでは長く持たないだろう。 生憎と手加減したくても”私
”にはそれはできない。 だから、彼女にそのまま”私”のデバイスを使わせたまえ。 上から十五番目の奴だ。 彼女と一緒に戦闘機になって、私を落としてみたまえ!!」
何を馬鹿なことをと、執務官は思っただろう。 彼女自身だって思った。そんな馬鹿馬鹿しいことが練習もせずにできるなんて普通は無理だ。 しかも、あの少女<フレスタ>自身は自分の力で飛ぶことができないのである。 空を飛ぶ経験さえ無い陸戦魔導師であるように思う。 だとしたら、そんな曲芸染みた真似ができる陸戦魔導師がどこにいるのか? 普通ならそう思う。 だが、チェーンの運命の少女<フレスタ・ギュース>はそんな馬鹿げたことをやり慣れたイレギュラーであった。 何故ならあの妹分である翡翠の少女とともによく授業でそれをやっているのだから。
一方的な黒の弾幕。 しばらくそのままだったが、その合間を縫うようにして返礼<スナイピングバスター>が飛んできた。 空中を滅茶苦茶に飛びながらも、正確にチェーンへと伸びたその桃色の弾丸に、チェーンは呆れとともに救いを見た。 衝突した瞬間にバリアジャケットが確かに軋んだ。
「はは、どうやら楽しい楽しいデウスエクスマキナ<逆転劇>が起こりそうだね。 ふふ、あっはっはっは!!」
腹のそこから湧き上がってくる痛快さに、チェーンが笑う。 声を大にして笑った。 荷物<フレスタ>が主砲になり、ディーゼルが機体となる。 即席の複座型戦闘機は、そうして青の軌跡を刻みながら、さらに速度を上げた。
「呆れたよ、提案するチェーン・ムーブルもそうだけど、それを実行してしまう君にもだ。 最近の砲撃魔導師はこんなこともできるのかい?」
「知らないわよ。 アタシは偶々リンディちゃんとよく授業でやってるから慣れているだけよ」
ガンスリンガーの言う十五番目のデバイス。 アンチマテリアルライフル<対物狙撃銃>型デバイスをディーゼルに後ろから抱えられるようしながら構え、フレスタは言う。 デバイスの状態はオールグリーン。 ドクターのおかげでチェーンがマメに整備していたそれが、その威容を晒しながら弾丸を吐き出す。
ドォンっと、まるで大砲のような轟音を発しながら桃色の弾丸が疾駆する。 吐き出されたお得意のスナイピングバスターが、レーザービームのように伸び、チェーン・ムーブルに命中。 バリアジャケットを揺るがす。 だが、抜けない。 一撃では威力が足り無すぎる。
「お姉さま、強すぎだわ。 リンディちゃんぐらい堅そう……」
「Sランクの魔導師だ。 そうそう簡単にはやらしてはくれないさ。 でも、これで少なくともさっきよりはマシだ」
一方的に攻撃され続けたさっきまでとは違って、反撃ができるというのならまだやりようがある。
ディーゼルは黒の弾幕を避けるように回避行動をとりながら防御面積の多いバリア<プロテクション>を展開。 直撃しそうなそれを防ぐと、戦闘機よろしくミサイル<ブラストバレット>を放つ。 さらに、上昇しながら少しでも狙撃しやすい位置取りをとっていく。 機銃とミサイルは揃った。 だが、それだけでは決め手が足りない。
チェーン・ムーブルの弾幕は驚異的だ。 あの2丁拳銃から放たれる凄まじい砲撃の連打は波の遠距離魔法を容易く撃墜する。 ブラストバレットは注意を逸らす程度の効果しか期待できまい。 だが、先ほどフレスタが放ったスナイピングバスターは別だった。 チェーンの持つ最強の射程と初速を誇るそのデバイスの補助によって、破格の速度を得た弾丸はチェーンの反応を凌駕している。 少なくとも、人間が普通に反応できるレベルを超えているのだ。 魔導師の強化魔法や戦闘で培ってきた勘でどうにかなるものでは無いらしい。 あるいは、それまで見越してチェーンはそれを選ばせたのだろう。 もっと扱いやすいようなスナイパーライフル等のデバイスを選ぶこともできたはずだが、それを態々指名した理由は酷く理にかなっていた。 問題はそれをフレスタが扱えるかどうかだったのだろうが、彼女が偶然砲撃魔導師だったおかげで問題なくガンファイト<砲撃戦>が可能になってしまった。
空中を縦横無尽に奔る青と黒と桃色。 純粋な砲撃魔導師であるフレスタとは違い、総合であるディーゼルは単体であったなら絶対にこの選択は選ばない。 基本的に近距離と中距離が得意であるからだ。 なんでもできるとはいえ、人間には得意不得意が必ずある。 ましてや、相手が得意な<砲撃戦>ではディーゼルに勝ち目は無い。 だからこそ執拗に近距離で攻めていたのだが、今度は逆に距離を離すようにしていた。
2丁拳銃のデバイスはあくまでも近距離から中距離までが得意だ。 それ以上の距離での運用は原則考えられていない。 それをするならばチェーンはそもそも武器<デバイス>の種類を変更する。 だが、今はそれができない。 全てをフレスタに託した彼女の武器は、その手に握る2丁だけなのだから。
距離を伸ばせば伸ばすほど、回避力は上がる。 フレスタと一緒にいたが、ディーゼルの方が直線の機動力は上である。 スタンドアローンに戦場を駆けるようにして行動してきた彼と、銃型のデバイスでどちらかといえばその場から動かずに相手を制するように戦ってきた彼女とではそもそもの培っていた技術が違うのだ。
高速でシュプールを刻む両者。 ディーゼルたちに必要なものは威力か、連射力だ。 そのどちらかがあれば、打倒できる可能性が出てきた。 デスティニーランドの空を飛び回りながら、ディーゼルは思う。 後一手、そのチャンスをモノにできるかどうかで勝敗が決まるだろうと。 そして、その鍵を握っているのは、この腕の中にいる少女だ。 あのガンスリンガーが見初めた少女である。 なんという運命の悪戯か。 今ならば、なんでもできてしまいそうな気がした。 この少女が、良くも悪くも戦場の流れを大きく変えてしまっていたのだから。
「もっと威力のある砲撃魔法はあるかい? 僕はさすがに高威力のそれは持ってないんだけど……」
「あるにはあるわよ? けど、魔力が足りないせいでそんなに威力が出せそうにないわ」
「魔力があれば良いのかい?」
「後、発射時間が長いわ。 チャージなんてする余裕があるの?」
「それをするのが僕の役目さ」
ニヤリと笑ってそういうと、ディーゼルはディバイドエナジーの魔法を詠唱する。 ディバイドエナジーは任意の対象に自分の魔力を分け与える魔法だ。 どれだけの魔力が必要なのか分からなかったが、それでもSランクのディーゼルが底をつくようなレベルが必要なことはないだろう。 青の魔力がフレスタの構えるデバイスに流れていく。 その莫大な魔力に、フレスタが呆気に取られた。
「ちょ、多すぎ!!」
「んん? この程度でいいのかな?」
「こ、この程度って……私の制御ギリギリの量なんだけど……」
目を瞬かせる高ランク魔導師。 そのふざけた一言に、地面に降りたら絶対殴ってやると誓いながらフレスタは自分の杖からその魔法行使に必要なプログラムを転送する。 それは、態々あの苦手なスパルタ教師に頼み込んでこっそり教えてもらった魔法プログラムであり、練習中の代物だった。 だが、簡易デバイスではそれを再現するのはかなり難しく思うようにいかなかった。 けれど、この”本物のデバイス”ならばいけそうな気がした。 ガンスリンガーが突き詰めた高収束圧縮弾発射用の機構が、それに必要な圧縮魔力弾を形成していく。 バチバチと放電する桃色の魔力がアンチマテリアルライフル<対物狙撃銃>の銃口に集っていった。 加速装置を銃口の先にバレルを形成。 後は狙って撃つだけだ。 だが、この遠距離では外す可能性が否定できない。 それに加えて、三次元機動下ではさすがにそれを放ったことがなかったからだ。
「絶対に当てられる距離にいける? これで落せないと私じゃあもうどうやっても落せないんだけど……」
それを超える威力を誇るものが無い以上、フレスタにはそれ以外に打つ手が無い。 だが、ディーゼルはその賭けに乗ることにした。 普段の冷静な彼ならば、そもそもそんなあやふやなものに頼ろうとしなかっただろう。 だが、流れの変わりで感じた奇妙な頼もしさというか高揚のようなものがそういう”普通”をどこかに置き忘れさせていた。
「了解だよ。 なら、至近距離にエスコートしよう。 舌をかまないように気をつけて。 これで終りにしよう」
「うん」
そういうと、ディーゼルは後先など考えずに上空へと上っていく。 そして、大量のブラストバレットを詠唱。 ミサイルの数は二百オーバー。 青の弾幕が、空中に次々と生まれていく。
「ブラストバレット・フルバースト!!」
次々とダミー<ミサイル>を繰り出しながら、さらに自らもそのままチェーンに背中を向けるようにそれらに混ざって急速降下。 フレスタを守るようにしながら、背面にバリアを纏って降下していく。
「ちょ、きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
景色が後ろに流れていくなんてふざけた光景を、そのときフレスタは初めて見た。 世界がまるで反転したように流れる。 こんな光景、絶対に二度と拝めそうにはなかった。 だが、狙いは理解したフレスタがその一瞬のチャンスを生かすべくデバイスに感応していく。 デバイスの視界を感じながら、脈打つ心臓の音を執務官と重ねる。 背中越しに感じるその鼓動に支えられながら、フレスタはいつかのように全ての感覚をデバイスに託した。
――残り百メートル。
追いかけていたチェーンが、それを見て次々と黒の弾幕を張る。 誘導操作のブラストバレットを撃ち落す轟音が、次々と音を立てて鳴っていく。 過ぎ去っていく世界に、破裂した青の魔力が花となって散っていった。
――残り五十メートル。
「――そろそろ来るよ!!」
バリアの向こうから迎撃に入ったチェーンが見える。 放たれる黒の弾幕。 バリアを揺るがすそれに、さらにシールドを多重起動してディーゼルが弾幕を突き破っていく。
――残り二十メートル。
いくつかの弾丸がシールドを突き抜け、ディーゼルを襲う。 バリアジャケットを抜く数発の弾丸。 ディーゼルの背中から鮮血が舞う。 だが、辛うじて意識を繋げとめると痛みを堪えたまま叫んだ。
――残り零メートル。
「――フレスタさん!!」
ディーゼルが叫んだその瞬間、視界の中に黒のスーツの女性が映る。 すれ違ったせいで獲物を追うべく空中で反転するチェーン。 その瞬間動きを止めたチェーンに向かって、ほぼ無意識にフレスタが引き金を引く。
「ペネトレーションバスター……いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
銃身を通る長高圧縮魔力弾頭。 さらに銃口前のバレルを通って突き進むそれがデスティニーランドの空を一条の光となって駆け上がっていく。 その桃色の弾丸が向かう先にいるのは、彼女に希望<デバイス>を託したガンスリンガーだ。 かつてフリーランスとして名を馳せた彼女でさえ反応できないそれは、まさしくあの戦闘狂が切り札としていた格上を打倒するためのそれにそっくりだった。
直撃する桃色の閃光。 その瞬間、ガンスリンガーの纏うバリアジャケットが確かに消失した。 だが、相殺しただけだ。 ガンスリンガーの身体を”撃ち抜いて”はいない。 ディーゼルとチェーンはそれを悟った瞬間に愕然とする。 あそこまでやって威力が足りなかったというのか。 その結果には落胆を感じた。 それが次の瞬間に絶望となって二人の思考を止めてしまう。
――だが、そんな彼らの絶望を無視して二発目の弾丸がチェーンの胸部を貫いた。
「――あぁ!?」
「――なぁ!?」
その用意周到さは、恐らくはガンスリンガーにもディーゼルにも無かったものだった。 何せ、彼ら<高ランク魔導師>の場合は、敵にジャケットを抜かれるということは即撃墜になるほどの酷くレベルの高い世界での認識を常識としていたからだ。 だが、彼女<低ランク魔導師>の世界しか知らない彼女にとっては、ジャケットを抜いただけで攻撃が相殺されるなんてことはよくあることであり、寧ろ確実に無力化するために次を準備しておくのは当然の認識だったからだ。 攻撃力の想定差が、彼らの判断を狂わせていた。 ジャケットを消す一撃を喰らえば確実にやられたと考えてしまう高ランク魔導師と、ジャケットを抜かれてもまだ望みがあるかもしれない世界とのレベル差による認識齟齬である。
胸部を貫かれて目を瞬かせるチェーン。 そっと胸を見下ろすと、自分の身体が魔力の霧に返ろうとしていた。 フレスタの放った二発目の一撃。 速攻でトドメを指すべく抜き打ちで放たれたスナイピングバスターが、無防備な身体を襲ったのだ。
執務官に抱かれながらフレスタは望遠映像でそれを見た。 身体を魔力に還元されながら、消えていく亡霊<リビングデッド>の最後の瞬間を。 その顔にあったのは安堵だった。 自分にとっての大事なもの<美学>を守りきって安心しきったその顔に、何故かフレスタは泣きそうになった。 消える直前、彼女の口が確かに何かの言葉を紡ぐ。 落ちていくフレスタには聞こえないけれど、口の動きだけでなんとなく分かった。
――”ありがとう”
本当は違う言葉だったのかもしれない。 だが、それでも彼女にはそれがお礼の言葉を言っていたように見えたのだ。
言い終えた瞬間、魔力の霧となって完全に空気に溶けていくチェーン。 その儚い姿からは、先ほどまで二人と戦っていた恐ろしい力を持った高ランク魔導師の面影は無い。 何か、とても美しいもののように見えた。
その後、地面に着地した二人はしかし、それ以上動くことはできなかった。 ディーゼルは最後のチェーンの攻撃によってかなりのダメージを負っており、一応フィジカルヒールをかけたとしてもすぐに戦闘を行うことができるほどに回復するとは思えなかったからだ。
「そういえば、君はどうしてここに? あの後外に出たはずだよね?」
「よく分からないけど、出ようとした瞬間に変な黄土色の魔法陣に逆召喚されちゃったの。 それで、その辺りを彷徨っていたんだけど、貴方を見つけて、それで援護しようとしてああなっちゃったわ」
「そうか……それじゃあ、しょうがないね」
身を隠すように近くの飲食店に向かうと、結界を張ってディーゼルが一息つく。 それで、緊張の意図が切れたのだろう。 ディーゼルは床にどさりと音を立てて倒れた。
「ちょ、貴方大丈夫!?」
「一応、フィジカルヒールはかけてるから多分。 けど、すまない。 ちょっと動けそうにない。 この店にさっき結界を張ったから、この中にいれば大丈夫なはずだ。 しばらくはここに……いよう」
激痛のせいで、目が霞む。 ディーゼルはそれだけいうと、そのまま気を失った。
「ああ、もう!!」
フレスタはそれを見て顔を青くするが、それでもディーゼルのために店内に飛び込んで救急箱を探す。 色々と聞きたいこともあるのだが、今はただ倒れた執務官を介抱することしかできない。 ガンスリンガーのこと、そしてこれからのことなどを聞きたかったのだが、それは彼が目を覚ましてからになりそうだった。 傷の手当てをし終え、いつかのように異性の少年に膝を貸してやりながらフレスタはついさっきのことを考える。
自分を殺した少女に対して、お礼を言うなんてどういうことなのだろうかと。 引き金を引いた指が、それを思うと震えそうになった。 でも、自分は確かにあの時感謝されたのだ。 人を殺しておいて感謝されるなんておかしなことだと思ったが、それでもそれが正しかったからこそ、お礼を言われたのだ。 だとしたら、それは間違ったことではなかったと思う。
非殺傷設定で死ぬ存在。 自由に意思を貫けぬ癖に、人間の意志をその身に宿したリビングデッド<哀れな人形>。 彼女は楽になれたのだろうか? そうだったら良いなと、フレスタは思う。 けれど、それは心配することではない。 何故なら、チェーンはフレスタに間違いなく救われていたのだ。 胸元に揺れる彼女のデバイス。 それが、身を守ることや仕事以外で血を吸わない限り、これからもチェーンの大事なモノ<美学>を守り続けるだろう。 それがガンスリンガーへの何よりの手向けになる。 そのことを、運命の少女<フレスタ・ギュース>は知らないけれど、それでも恐らく彼女は知らずにそれをこれからも守り続けるだろう。
――何故なら、彼女を選んだチェーンが消えいく間際、フレスタに確かな美学を感じて逝ったのだから。