憑依奮闘記 外伝3
2008-07-30
永遠の安寧、永遠の道程、永遠の道標、永遠の……永遠の――。 終わらない世界で、終わらない生を生き続ける。 その果てにあるのは無限の空虚だ。 目的が無ければ精神が死ぬ。 生きる意味を見つけなければ、ここまで来るとただの退屈だけが広がるだけの地獄でしかない。 だからこそ、少年はいつもいつも未知で楽しむ。 ――人間。
最も無価値で、最も愚かで、最も救いの無い暗愚な生物。 だが、その最も滑稽なはずの人間の生には閃光のような儚き輝きがあることを少年は知っていた。 闇と光の狭間を行き来するその振り子がもたらす数々の物語の前には、どのような見事な物語も駄作へと成り果てる。 そんな無限の物語を、”あの男”の守り続ける彼ら”人間”を静かに見守り続けることこそが、今では彼の趣味であり贖罪になっていた。 だからこそ、解せない。 あのイレギュラー存在を待ち望んでいたのは、心底唯一人。 アルハザード第十三賢番外位『剣聖』しかいない。 だが、そんな彼女でさえ想定していなかったことが既に起こっており、この物語は進んでいた。 そして、恐らくは奴でさえもその事実に気づいていない。 気づいていない振りをしている可能性はあったが、それでも奴に彼を生み出せるほどの技術があるというわけでもない。 ならば、この矛盾はなんなのか?
「……ふむ。 やはり、可笑しい」
ニヤリと唇を吊り上げながら、金色の少年が笑う。 正直に言えば、ただの些事だったはずなのだが、このような不可解存在に出会えたことにシュナイゼルと蝙蝠に感謝していた。 手元にあるカードで占いをすること数回。 いつもいつも、決まって出る結果に代わりが無い。 どのようなやり方でやっても、結果が変わらず、一定以上の先が見えない。 たった一人。 あの存在を絡めて占いをすれば一定以上先の未来が読めなくなる。 逆に、彼を外せば面白いほど簡単に結果は出て、不気味なぐらいの今と同じ近似値をたたき出す。 変わるはずなのに近くなっている。 まるで訳が分からない。 1+1=2ではなく、1とか3とかふざけた結果をたたき出していながら徐々に正解に近づこうとしていくのだ。 確かなズレを残したままで。
「偶然のイレギュラーにしては露骨過ぎるな。 外側からの介入者というわけでもなく、むしろあの書によって導かれた被害者だ。 だというのに……元々の正確な存在世界さえ観測できんとは……いや、だからこそなのか?」
玉座に腰を下ろしたまま、虚空を見上げる。 金色の瞳が空の高い天井を映すが、彼の関心ごとはその天井の先にこそある。 腕元にある”黄金の腕輪”を撫でるようにしながら、さらに呟く。
「もうまもなく……か。 いや、使いどころを間違ってはいかんからな。 やはりここは、今ではなく次か次にするべきだな。 全てをご破算にするか、続けるか。 先の見えぬイレギュラーの動きに同調し、これのタイミングを委ねるも一興か。 であれば……彼とは一度会う必要があるかもしれんな。 ふむ、準備でもしておくか」
金色の獣が、玉座から腰を上げる。 のっそりと、ただただゆっくりと。 だが、それだけで周囲の空気と魔力が震撼した。 常人には理解できない空気を纏った少年が、そのままゆっくりと歩き出す。 と、彼が部屋を出て行こうとしたときに虚空から一人の女が現れた。
「あら、封鎖世界に用なの? 珍しいわねアレイスター?」
「ルナ・ストラウスか」
ルナ・ストラウス――アルハザード十三賢者第四位『月夜の執政者』と呼ばれる女吸血鬼<ドラキュリーナ>だ。 現在ではアルハザードの運営を一手に手がけ、さらにはベルカ崩壊後に自治世界ヴァルハラにフリーランスの魔導師のためのギルド、『ミッドガルズ』を設立したやり手の起業家でもある。 また、そのミッドガルズの情報網を利用した情報ネットワークは外界から遮断されてから自力で外へ出かけられないアルハザードの住人から広く愛用されている。 他にも外に出る人間に外貨を与えたり、外での仕事を斡旋したりとかなりアルハザードに貢献している一人でもあった。
表向きの性格は穏やかであり、『アルハザードの良心』とまで言われている。 アレイスターとも真正面から戦えると実しやかに囁かれてもいるが、本当の所は二人しか知らない。 だが、アレイスターがヴァルハラから彼女をスカウトしたこともあり、少なくともアレイスターが目を見張るほどの人物であるというのが住人が抱く共通の見解である。 いつもスーツ姿の受付嬢の格好をしており、病的なまでに白い肌と黒銀のロングヘアー、そしてメリハリの効いたグラマラスな容姿を持つ。 その美貌によって取引で損をしたことはないという話だ。 その目に魅入られぬものはいないとまで言われるほどの女性である。
「はいこれ。 一昨日貴方の頼みで収集させた例の彼の情報よ」
「ああ、すまんな。 ふむ……やはりこれは……」
「その子、カグヤちゃんが気にしてる子でしょ? 貴方まで気にする理由があるの?」
「いくつか解せんことがある。 それがはっきりするまではなんとも言えんな。 貴公はどう思う? 色々と”自分”でも資料に目を通しているのだろう?」
「そうね……カグヤちゃんの勘違いを差し引いても、それほど興味を引く対象じゃないかな。 ただの”偽者”でしょ? ”現状維持”を持ってるぐらいしか価値は無いと思うわよ。 私たちを相手にしたら一秒も持たないでしょうし」
さらりと”本質”をつく彼女の言葉に、アレイスターは薄く笑う。 まったくもってその通りだ。 普通なら”それぐらい”しか価値は無い。 だが、それはスキルを見ただけの話であって、娯楽としての価値からすれば彼にとっては是非とも欲しい逸材だった。 先が読めぬことほど、楽しめることはないのだから。
「ふむ、貴公らしい意見だな。 正体になどまったく興味は無いらしい」
「あんまりないわね。 カグヤちゃんが気にしてることぐらいしか私の興味は無いわ。 第一、私その子にあったことがないんですもの。 前情報だけで気にする理由は私にはないわ。 やっぱり直接会ってみないと商談もまとめられないでしょ?」
「くく、違いない」
なんともらしい言い様にアレイスターは同意する。 だからこそ、直接会うための準備をしようというのだから当然か。
「まあでも、ミッドガルズの運営者としてはちょっと嫌いかしら」
「ほう?」
「だって、その子のせいで中々『ソードダンサー』が仕事をしてくれなくなっちゃったんだもの」
困ったように流麗な眉を顰めて、ルナは言う。 彼女からすれば、ミッドガルズの顔たるカグヤの良い仕事が無いのは寂しいのだろう。
アレイスター・クロウリーが退屈の解消先を人間に求めたように、ルナ・ストラウスが退屈と戦うために選んだのは仕事である。 アルハザードの運営然り、ミッドガルズの企業然り。 全てはそれだけのためである。 だからこそ、”アレイスター”のスカウトを受けてここにいるのだ。 忙しいということこそ幸せだと感じている彼女にとって、仕事をしっかりとこなしてくれる彼女のことは大変に気に入っていた。 無論、個人的にも嫌いではない。 あの最も新しく可愛らしい限界突破者<リミットブレイカー>とは今後も末永く付き合いたいぐらいだ。 次々と似合いそうな服を彼女の別荘に送り込むのも、やはりそれが楽しいからであった。 仕事着と称して毎回毎回違う服を支給していたら、いつの間にか趣味になってしまったのは嬉しい誤算である。 ミッドガルズを全次元世界に普及し終えたら服のブランドでも立ち上げてみようかと思っているぐらいなのだから相当な入れ込み具合だった。
「ああ、それと確認しておくけどまだカグヤちゃんには”言って”は駄目なの? いい加減私も黙っておくのは辛いんだけど……」
「ああ、駄目だ。 彼女自身の手で真実にたどり着かなければ意味が無い。 まあ、多分に余の娯楽的側面があることは否定しないが」
「長生きするってのは大変ね。 その”苦しみ”が分かるだけに私からはなんとも言えなくなっちゃうんだもの」
「そうさな。 自身を蝕む毒を自覚しながら、それでもなお抗えぬ。 超人であれ魔人であれ、神でさえ抗えんのだろうなこれには。 貴公も、あのまま退屈しているよりは今の方がずっと良いだろう?」
「ええ、それは間違いなくね。 何事も生きがいは必要よ」
二人の限界突破者はそういうと軽く笑ってから分かれる。 永遠は終わらないからこその永遠であり、そんな超常の理を行く二人にとっては互いの娯楽を殺すような真似はできない。 恐らくは普通の人間には理解できぬ、それは彼らだけの共通の価値観だったのかもしれない。
虚空に溶けるように消えていく二人。 互いに行き先も目的も違うけれど、それでもきっと彼ら二人の関係がそのまま今後も変わることは無いだろう。
――やはりまだ、このときも次元世界に大きな動きはなかった。
憑依奮闘記
外伝3
「アブソリュートの名を継ぐ者」
――次元世界アルハザード。
封鎖世界と外界を隔てる要にして生きとし生けるものの常世を守るために存在する強固な強固な世界である。 その設立目的を知る者は少ない。 封鎖世界内部に生まれた者のほとんどはそもそも自分たちがいる世界が隔離されていることも知らない。 広大な次元世界は無限であり、その先にあるのは無限の世界が広がるだけのそんな世界だと捉えている者ばかりだ。 無論、そんなことを知ったところで意味は無い。 別段、自分たちの生活が平和に送られるのであればそれで良いのだ。 態々知らなくて良いことを知ったところで意味は無い。 ましてや、世界の真実に触れる必要は無い。
だが、その本来は知らないはずのことをジル・アブソリュートは知っている。 そして、だからこそ彼は誰も傷つかない領域を作るということに心血を注ぐようになったのだった。
ありとあらゆる殺傷方法を突き詰め、ありとあらゆる兵器や攻撃をその身で受けてそれら全てを防ぐ領域を作るためのデータを入手する。 そこには妥協も打算もありはしない。 ただ、それの完成こそが自分の人生の意味だといわんばかりの熱心さだった。
――勿論、今ではそれだけではなくなってしまった。
言うまでも無い、その原因を作ったのはシュナイゼル・ミッドチルダだ。 あの男がアルハザードにやってきたせいで彼に残っていた人間としての部分のほとんどが消えたといっても良い。 感情も、精神も価値観も、ほとんどが様変わりしてしまった。 オリジナルの身体を失ったこともそうだし、偽者となった後では目に見えて一日に死ぬ回数が増えている。 死んで、蘇って、死んで、蘇ってそうやって磨耗する日々をただただ送る。 そんな人間が壊れないわけがなかった。 唯一その彼を保ち続けていた幼馴染の女性はもういないのだ。
――アルカンシェル・テインデル。
幼年期からジルにとっての幼馴染であり、姉であり、憧れであった女性だ。 ジルと同じくアルハザードの最外層区画である第六層で十三賢者としての仕事を共にしていた彼女の喪失はジルという男にとって絶望そのものであった。 彼女の家とは家族ぐるみで親交があり、アルシェの父親である八位『殲滅兵器』とは師匠と弟子の関係でもあった。 ジルの父フェイル・アブソリュートはアルハザード第五位『絶対領域』と呼ばれるほどの人物だったが、決して自分の研究内容を息子のジルにさえ教えず、一人だけで研究をしていた。 今ではもうその研究が何だったのかは知っているが、それは彼には手を出せない研究であることだけは確かだった。 少なくとも、アレイスタークラスでなければ、それはできまい。 いや、もしかしたら彼にも不可能であったかもしれない。 まあ、それだけ人外レベルの研究だったというわけだ。
最後の研究が完成したとき、一度ジルは父によって外に連れ出された。 無論、それが許される立場ではなかった。 だが、父親は最後にそれを息子に見せることで胸を張って逝ったのだ。 そうして、ジルは父のそれと似たものを目指すことにした。 そのとき頼ったのはアルシェの父であり、父のライバルであり、友だった男である。 その男の研究は単純明快だ。 二つ名が示すとおり、全てを灰燼と化す究極の殲滅兵器を完成させることに心血を注いでいた。 次元世界を崩壊させるようなものを次々と作っては、フェイルの絶対領域に立ち向っていったらしい。 そのことごとくを防がれ、だがそれでも諦めずにそれを超えることだけを目指し続けた。 今でもそうだ。 アレから数百年以上経った今でもそれだけを突き詰めようとしている。 正に、文字通り科学に魂を売ったような男だった。
ジルが彼から教わったこと、手に入れたものは数多い。 父親と母親を早くから失っていた彼にとっては彼が二人目の親であり、テインデルの一家とは家族も同然だった。 だからこそ、アルシェにジルが抱いた感情というのは深い。 けれど、やはりそれでも永遠にそうでいられるほど彼は強くなかった。 『難攻不落』などという二つ名で呼ばれるようになっても、その心は鎧では守れなかったのだ。
白は清潔の色。 青は人を爽快にさせる色。 色には実に多種多様な心理的効果がある。 では、病人に必要な色とは一体なんなのか? 養生するための色なんて、そんなものがあるとすれば恐らくは世界中の病院でそれが採用されているに違いない。 けれど、そういった色で統一された病院など一般には聞いたことがなかった。 それはここ、アルハザードの医療施設であっても変わらない。
内装を変に弄ることもなければ、変な実験に用いられることも無い。 変わったところといえば、それはこの医療施設が様々な患者に対応しているということぐらいだ。 人間から永遠存在、果ては超常の存在など、ありとあらゆる患者に対応した総合医療センター『メディス』。 封鎖世界内のありとあらゆる治療法が集められたそこは、少なくとも治療法が確立されてさえいれば患者を治療することができる施設だった。
「ジル・アブソリュートさん、面会の許可下りましたよ」
と、待合室で懐中時計を眺めていたジルにやってきた看護婦が声をかけた。 ジルがよく見知った看護婦であり、信頼している女性だった。
「あ、これはどうも。 いつもすいませんね」
「いえいえ、それが仕事ですから。 ……それにしても、いつも熱心ですね。 恋人さんというわけではないんでしょうに」
「はは、よく言われますよ。 彼女は俺にとっては一番の幼馴染だったんでね。 なんとか、元に戻って欲しいと思っているんですよ」
――それは、悔しいほどの事実だった。
苦笑を浮かべながら、ジルは痛む胸を押さえた。 それは呪いだ。 彼女のことを考えれば考えるほど己の身を蝕む呪い。 その呪いの炎で、いつか自分が死ぬことになる。 割と早くにその考えに至るも、彼はその選択を受け入れていた。 事実、それが原因で”本当に”死んだのだが、どこかしょうがないと納得している自分がいたのだ。 だから、そのことについて後悔したことは無い。 ただ、それでもやはり悔しさは残り続ける。 彼の中で燻り続ける。
「それで、今日も病状に変化は無しですか?」
暗鬱になりそうな思考を止め、いつものように奥へと案内してくれる看護婦に問いかける。
「ええ、今日も変化無しです。 いつものように、ぼおーっと起きているだけで……」
「そうですか」
「はい、後一万年これが続くようなら、覚悟しておいてください」
「分かってます。 そのときは俺が天国へ送ります」
「……その前に良くなるといんですけど」
メディスの通路を進む。 すれ違う患者や看護婦は皆一様に明るい。 基本的に病気などにかかったところで、時間操作によって時間を巻き戻して治療する者が多い。 どのような死病であれ難病であれ、病気にかかる前の状態に戻せばよいだけなのだ。 では、何故この病院には入院患者などが存在するのか?
それは、きっと患者が人生に満足していたからだろう。 アルハザードの人間には望めば寿命など無いに等しい。 完璧な時間操作技術を用いれば、老いても若返ることができるからだ。 しかし、例外は常に存在する。 誰しもがそのような時間操作を良しとしないのである。 研究が完成した者、寿命で死ぬことを誇りとし、時間操作を選択しない者、やるべきことを全てやり終えた人間は自然と時間操作を選択しなくなるのだ。 無へ帰ることこそが、生物の基本であるというかのように。 だからこそ、メディスには入院患者が出てくるのだ。
通路を進み、やがて二人はエレベーターへと乗り込む。 看護婦はその中から関係者以外が入れない地下区画へのボタンを押し込む。 ガタンと、無反動エレベーターが動き出し虚空を飛翔する感覚を一瞬味わうと、すぐに目的地へと到達する。
「では、バリアジャケットを展開してください」
「わかりました」
メディスでは死を待つものは上階に集められている。 けれど地下に入院する患者は、死を待つ者の中では特殊である。 ここにいるのは、難病や奇病に冒され、他者に伝染する可能性がある病気を持っているものやその研究に従事する医者関係者だけ。 彼らは通常の患者と一緒にするわけにはいかない。 時間逆行システムを使って時間を巻き戻せば確かに病気は治るが、根本的な解決にはならない。 アルハザードの内部でバイオハザードを起こすわけにはいかないのだ。
白衣型の防護服<バリアジャケット>を纏ったジルは看護婦の指示通りに簡単なチェックを受ける。 防護服を展開することによって病気の感染を防ぐのだが、ある一定レベル以上の密度や強度が無ければ無意味だからだ。 安全基準に達したことを確認されると、ようやく中へと入る資格を得られる。
「……さすが、難攻不落ですね。 通常の人間の防護服とは明らかに防御性能が違います」
「はは、これぐらいしか能がないんですよ」
感心する看護婦の視線をこそばゆく感じながら、ジルは看護婦の後ろをついていく。 通りに様々な人間がいるが、特にいつもと変わらない。 地上も地下も基本的には内装は同じだ。 患者が徘徊していることもあれば、看護婦に出くわすこともある。 危険度は地上と地下で段違いだが、世界は特に変わらないのだ。
「いつもいつも面倒をかけますね」
「いえいえ。 それで、今日はどうします?」
「一時間もかからないと思います。 帰りはいつものようにエレベーター手前で退去登録しておけば問題ないですね?」
「はい」
「分かりました」
「では、ごゆっくり」
辿りついた病室の前で、会釈しながら看護婦とジルと別れた。 これもまた、いつもどおり。 こと彼女に関してはこういう風に気を回してくれるからありがたい。 他の看護婦の場合、立ち会う人間もいるが、当時のことを知っているあの看護婦はジルの心情を慮って二人っきりにしてくれる。
「……」
黙ってドアのところについている名札を見る。 入院患者の名札には『アルカンシェル・テインデル』と書かれている。 軽く深呼吸をすると、意を決してドアをノックする。
返事が返ってくる事は無い。 ジルは少しするとドアを開けて病室へと入っていった。
「入るよアルシェ」
入り口から中に入ると、ジルは仕切りの向こう側へと向かった。 ベッドの部分を四分の三ほど隠しているその仕切りの向こうには、ベッドから起き上がって座り込んでいる姿の女性の影が見える。 ジルは精一杯の作り笑顔を浮かべながらその女性の方へと向かう。
「やあアルシェ、久しぶりだね」
「……」
返答は無かった。 もしかしたらと、いつもいつも期待している自分が急速に希望をなくしていく。 そこにいるのは、ジル・アブソリュートの幼馴染の女性だ。 見た目二十台前半ながら、ティーンの少女であるかのように小柄で、抱きしめれば折れてしまいそうなほどに華奢であった。 色の無い瞳で一瞬ジルを見て、すぐに視線を虚空へと戻した。 何かを見ているわけではない。 彼女の視線の先にあるのは、唯の壁だ。 けれど、それが仕事であるかのように彼女はその壁を見続けている。 染み一つない白の壁を。 純白で清廉な清き色を。 そして、彼女が死に際に見たはずの光と似た色であるそれを、ただぼんやりと眺めていた。
「いつも通り……か」
欠落者というアルハザード特有の病気にかかった存在がいる。 感情を、理性を無くしてしまった者を指すアルハザードの言葉だった。 アルハザードの復活システムは二つある。 一つは時間逆行再生方式の復活システム。 そしてもう一つが自身の魔力情報を元に魔法プログラムとして人間を再生するシステムだ。 そのうち、後者で復活する場合に極稀にこういう症例が発生する。
復活する前、死の直前によほど衝撃的な事態に直面した場合、または途方も無いほどの絶望を味わった人間等が極稀に陥る病気である。 生きた死人。 あるいは、蘇れなかった死人、死にぞこないなどとも形容される。 死人と人間の中間に位置する存在。
一度壊れた人格プログラムは、そう簡単には元には戻らない。 少なくとも、欠落者となって復帰した人間はいないという。 つまりは、ほとんど絶望的だということである。
ただただ虚空を見続けるだけの生きた死人に、しかしジルは定期的に様子を見に来ていた。 彼らしいといえばらしい、彼を知る者はその行動を不審には思わない。
ただ、ここへ来ると自分のやるべきことが嫌でも思い出された。 色あせない記憶と共に、その胸に残っている感情が静かな怒りを励起させる。 そうして、彼はいつもいつも磨耗した何かを強引に回復させているのかもしれない。 変わりきった内面にあるのは、憎悪の光だ。 騙されたことへの怒り、彼女をみすみす奴に奪われるのをそれが彼女の幸せならばとただただ見送ったふがいない自分への怒り、激しい感情をそうやって高め、爆発させる時を待っているのだろう。 そして、その時は近い。
「もう、まもなくだ」
茶番は終わる。 全てに決着をつけるときが近づいている。 とはいえ、まだもうしばらくは掛かるだろう。 だが、それでも一つの終りが見えてきたことだけは確かで、それでもう自分という存在が消えるだろうことは分かりきっていた。 いや、自分自身消えることを望んでいた。
「待ち望まなかったイレギュラーがついに来た。 後は、彼のもたらす情報さえあれば良い。 そうすれば、”奴”と”彼女”の居場所が分かる。 それだけ分かれば、奴に未来は無い」
凍えるような冷徹な目で、天井を睨みながら呟いた。
少なくとも、あの男の見積もりはいつも甘い。 虚数空間如きでアルハザードを葬れたと思い込むことといい、アレイスターを凌駕できるなどと彼に会って平然と夢想できるあの楽観思考には反吐が出るぐらいだった。 彼が一体何で、どういう存在かさえ知らない人間がどうやって超えるというのだ。
(魔導王だと? ふざけるなよシュナイゼル。 貴様にそんな器もなければ、限界を突破するだけの力も無いただの分不相応な力を偶々持っていただけの魔導師に過ぎない。 貴様にあるのはただ全てを狂わす黄金マスクだけだ。 限界突破者<リミットブレイカー>でさえない僕にさえ到達できない下種が、彼の場所までいけるものか)
ジルは限界突破者ではない。 限界突破者の一部と戦えないことはないが、彼には何一つ超えた限界がなかった。 オリジナルを模倣した偽者ではあるものの、その定義は人間の範疇にまだある。 カグヤのように”超えた”ものなど何一つ無い。 ただ、技術だけで『殲滅兵器』と同じように連中と戦える力を得ている存在でしかないのだ。 彼の父は限界突破者だったが、彼はまだそこまで到っていない。 そんな矮小な存在に、あのときベルカの地で敗北したシュナイゼルが、数百年かけたところで勝てる道理などない。 シュナイゼル・ミッドチルダはあの死者復活システムを模倣している本拠地を叩かれれば、ただそれだけで敗北する程度の存在でしかない。 バックアップを作成できるドクターも死んでいるし、それに必要な材料はアルハザードにしかない。 となれば、奴はもう完全な保険をかけることなどできはしないのだ。 その焦りゆえに、病的なまでに慎重を期しているわけだが。
「くそ、何度考えても自分の浅慮が恨めしいね」
あるいは、もっと貪欲な人間だったなら良かったのだろうか? 基本的には平和主義者で、その人の望むとおりが一番だと思っていた。 カグヤにいつか語った理想は、ロマンは、彼の本心そのままだったが。 だが、それで結局全てを失くしてしまった今、いつまでもそのままで在り続けるのは難しかった。
――ただ、この胸にある思いだけが価値を持つ。
その価値を馬鹿みたいに信じてるロマンチストにはお似合いの末路ですよ。
そう、あの言葉に嘘は無い。 だけれど、後悔をしたくなくてもしてしまうのはきっと自分が弱いからだった。 それもまた、やはり悔しい現実となって彼にのしかかっている。
「そういえば、あのときも迷っていましたね」
本当はそんなことになって欲しくは無いけれど、シュナイゼルに彼女の心を奪われてしまった時に決めたことがあった。 できうるかぎり、彼女のためになることをし続けようと。 後悔が無いわけではない。 嫌いな男の下へ、好いた女がいくのを応援するなんてこと”まとも”な神経の持ち主であれば到底許せないことだろう。 しかし、ジルはそれができる人間だった。
それほどまでに臆病で愚かな自分をジルは嫌っていたが、その狂った判断を下せる自分自身の選択には絶対に後悔するつもりはなかったはずだ。 それが彼女のためになるのなら。 嫌な男だったけれど、その男を見つめる彼女の目は決してジル・アブソリュートには見せないものであったから。 そう、自分には見えたからこそそれで”ようやく”幸せになれると言った彼女の選択を否定することができなかった。 恐らくは、過去へいってやり直してもあんな幸せそうな顔で嬉しげに言われたら、きっと”ジル”には止めることはできないだろう。 それが例え破滅への一歩だったとしても。
――僕はそれでいいのか? アルシェが好きだったんじゃないのか?
自分に何度も問いかけた。 だが、答えはいつも決まったままだ。 彼女の幸福を何よりも優先する。 それ以外を思いつけなかった。 狡い話だ。 彼女が選んだ選択であるのなら何かを言うことはできないなんてことを免罪符に、ただ逃げただけの臆病者なのだ。
胸に走る苦痛を押し殺しながら、ジルは首を振るう。 そうして気分を変え、ゆっくりと虚空を見つめる彼女の頬に手を添えた。 手から感じる柔らかな感触と温もりは、この彼女が生きていることの証明だ。 けれど、白の壁を遮るように彼女の前に顔を近づけたジルを見る瞳は、既に死人の目でしかない。 そのことがとてもとても悲しかった。 記憶の中にある彼女の姿はまだ、色あせることは無い。 バックアップも取っている。 忘れてしまわないように、記憶から消えないように何度も上書きした記憶の中の彼女は、いつも控えめに笑っている。 特に、本当に心の底から笑ったときの彼女の表情だけは頭の中から決して消えることはなかった。 とても柔和な笑顔だった。 思わず、自分自身も嬉しくなって笑みを返したくなるほどに優しげな。
――正直に言えば、ジルはその笑顔を持つ彼女を女神か天使のように思っていた。
一種の宗教だったのかもしれない。 ジル・アブソリュートだけが得た盲目の恋とも呼べるそれは、今もまだ彼の中に呪いとして存在している。 もしかしたら、それは彼が”完全”に死ぬときまでそうなのかもしれない。 それでも良いと、思っていた。 この、愚かな馬鹿者は。 その胸の痛みこそが、彼女への思いの証明であったが故に。
「なぁ、アルシェ。 僕はあと少ししたらシュナイゼルを殺しに行くんだ。 君がオリジナルだったらなんて言っただろうか? 優しい君は泣きながら俺を引き止めただろうか? それとも、僕を罵倒して殴りつける? それとも君の得意なアルカンシェルの魔法で俺を消滅させるかい?」
人形のような人間は何も言わない。 独白にも近い言葉に何も返さない。 返すことができない。
「君が言えば、俺は恐らくは止めるだろうね。 どれだけ憎くても、君に泣きつかれたら僕は奴から銃口を逸らすことしかできなくなるだろう。 止めたかったら、頼むから蘇ってくれ。 君が”本物”だと言っておくれ。 なぁ、頼むよアルシェ――」
どれだけの年月を経ようとも、ジル・アブソリュートの心は本物の肉体を失った時点で止まっていた。 これでは、死人に縋っているのと代わらない。 幸福な未来が存在しない時間の静止した生に、一体なんの意味があるのだろうか? この男が余りにも純粋すぎたが故に、間違ってしまった選択。 もし、IFがあるのならばと何度も願う願いの先に、そこには救いがあったかもしれないという何かが欲しい。 切実に、欲しいとジルは思った。 もう二度と叶うことの無い夢を馬鹿みたいに願ったまま。
「行って来るよ。 次に”君”に会うのは、多分僕と奴が死ぬ前だろうね。 それまでちょっと無理をしてくる」
その後、落ち着いたジルは医療センターを出た。 その心を満たしているのは憎悪の光だ。 なんとも救いの無い心のあり方であったが、不思議とジルは生前の自分に戻ったような自分の状態に気がついた。 壊れた心をかき集め、取り繕い、生前の姿を模倣する。 そんな愚かな自分を心の中で嘲笑いながら、”偽善者”はその場を去っていった。
まだ、終わるわけにはいかない。
――全てを清算するその日まで、この胸にある愚者の意地を抱えて生きていこう。
「――失礼するわ」
「煩い、帰れ」
研究室に入って早々の言葉だった。 まるで取り付く島も無いその言葉に、カグヤは肩を竦めて声を発した人物に視線を向ける。 そこにいるのはアルコールの入ったビンをラッパ飲みしながら不機嫌そうにモニターと格闘している中年の親父がいた。 彼の名はアムステル・テインデル。 アルハザード十三賢者第八位『殲滅兵器』であり、アルカンシェル・テインデルの父親であった。
「随分な歓迎の仕方ね。 一応私が番外位を授けられたから、その挨拶にと思って参上したのに」
「番外位なんざアレイスターが勝手に作った無意味な位だ。 んな肩書き如きで歓迎するようなおめでたい思考は俺にゃねーな。 大体十三賢者は単なる雑用係でしかねーってのに、そんなもんになったところでディープな住人にゃあ意味が無い。 浅い階層の新米はともかくとして、古株には喧嘩でも売るためだけのもんでしかねー」
だからとっとと帰れとでも言うようにしっしっと犬でも払う仕草をする。 彼がカグヤにいい印象を持っていないことを十分に察せるようなぞんざいな態度であった。 彼は彼女が嫌いだ。 あの男を連れて来たベルカの人間だということもあるし、何よりも彼女は魔法を使う。 あんな”あやふや”で”不自然”で”信頼性”の無い”不平等”なものを使う奴はそれだけで人間の敵だと彼は考えていた。
昔からそういった超常やら不自然な力を毛嫌いしていたが、娘の人生を滅茶苦茶にされたことも手伝って彼はそいういった力を皆殺しにしてやりたいとさえ思うようになっていた。 そのせいで彼は過激派のナンバーワンを張り続け、今でもシュナイゼルを発見し次第その次元世界ごと消滅させてやろうと画策している。 事実上アルハザード内部の過激派をまとめているタカ派の筆頭であった。
カグヤとしては別に嫌う理由は無いので挨拶程度は毎回していたのだが、そのたびに露骨な毛嫌いをされて些か苦手意識が強かった。 隙あらばカグヤを殺そうと画策する連中のトップなのだからさもありなん。
「……まあいいわ。 貴方が私を嫌っているのはいつものことだもの」
「おう、分かってるなら話は早いな。 ならとっととこの世から消えてくれ」
瞬間、モニターと格闘していたアムステルが小指でエンターキーを弾く。 と、カグヤの周囲を奇妙な光が覆い、次の瞬間内部空間を消滅させた。 それは侵入者迎撃用のトラップであり、あのアルカンシェルの理論を魔法科学ではなく純粋科学だけで成し遂げたアムステルの極々挨拶代わりの攻撃であった。 音も光さえ消し飛ぶその一撃が、アムステルの研究室を一瞬照らす。
「まったく、挨拶代わりにいつもいつもアルカンシェル? 娘思いなのは分かったからいい加減止めてくれないかしら?」
うんざりした様子で、先ほどと変わらぬ位置でカグヤが言う。 アルカンシェルなど彼女が理解してさえいれば決して”届かない”。 それが分かっていてもこうも執拗にアルカンシェルを打ち込んでくるアムステルの嫌がらせには、いい加減うんざりである。 というか、飽きていた。
「プハーッ。 俺もお前の芸は見飽きたがな。 なんなら直接叩き込んでやろうか? ああ?」
つまらなそうにアルコールのビンをラッパ飲みすると、アムステルが言う。 当てようと思えば当てられないことも無い。 だが、それは今いるアルハザードの研究室ごと吹き飛ばすぐらいの覚悟が必要である。 カグヤは嫌いだったが、”そこまで”する価値を見出せないからこそ、この程度で済ましてやっているのだった。 アムステルが本気を出せば第三層までは確実に粉々にできるのだから、これでも大分自粛していた。
「結構よ。 それより、貴方に聞きたいことがあるのだけれど構わないかしら?」
「……俺に聞きたいことだと? お前、頭可笑しくなったのか?」
小ばかにするように言いながら、アムステルが再びアルコールを煽る。 その目にあるのは険悪な視線だ。 冗談は存在だけにしろ小娘が。 そんな言葉が聞こえてきそうなほどの小ばかにした目がカグヤを射る。
「生憎と私は狂ってはいないわ。 ただ、アレイスターがアルハザードに蝙蝠がいると言っていたから、貴方なら目星をつけているんじゃないかと思っただけよ。 少なくとも”貴方”がシュナイゼルと内通するなんて絶対にありえないでしょう?」
「――当たり前だ。 あの魔法馬鹿と手を組むだと? 冗談でも口にするな!! あんな奴と手を組むぐらいなら俺は自分をぶっ殺す!!」
視線で殺せるような目をカグヤに向けると、アルコールの入ったビンをコンソールに叩きつける。 甲高い音を立てるビンの咆哮が、耳を打つ。 割れてはいない。 一応は手加減したらしい。 鬱陶しげに顔に出すと、今度は素手でコンソールのはしをバンバンと殴った。
「あー、鬱陶しい。 蝙蝠だぁ? んなもんちょっと考えりゃ分かることだろうが!! 今更一々聞くことでもねーよ!! 大体、その程度も分からないような奴が奥に来るなっての!! 新米は新米らしく最外装区画の六層でネンネしてやがれってんだ!!」
「……何故、蝙蝠が誰か知っていて締め上げないのかしら? 貴方過激派でしょ?」
「んなもんアレイスターの野郎に止められてるからに決まってるだろうが!! 大体だな、蝙蝠にはなんの価値もねー。 あいつ自身シュナイゼルのアホがどこにいるのかさえ知らないんだから締め上げる意味がねーだろーが!!」
「蝙蝠は捕まえても無意味ということ?」
「ああ、”俺”にとっては無意味だ。 他の連中は知れば血祭りにしたくなるんだろうが、”俺”はあいつをどうこうする気はねー。 あいつは”自分”の後始末ぐらいは自分でする奴だし、第一”どうなる”か分かってて”そこまで”するってんなら”俺”からあいつにすることなんざねーんだよ。 ああ、くそ、思い出したらまた腹が立ってきた!!」
今度は、コンソールが割れることさえ構わずにアムステルが殴った。 衝撃で凹んだコンソール。 その影響で滅茶苦茶な文字が入力されているが、気にせずにアルコールを喉に流し込むとまた悪態をつく。
「俺ぁよう剣聖、アルシェが男ができたから紹介するって言ったとき、期待してたんだよ。 あいつには物心ついたときからアブソリュートの野郎の息子がべったりだったからな。 年下だったが、それでもどこの馬の骨にやるぐらいなら、あいつにくれてやる。 それなら五千回殺すぐらいで文句ねー。 そう思ってたんだ。 俺のライバル『絶対領域』のフェイル・アブソリュートの息子だぞ? このアルハザードの根本を支える技術を一手に担っていた男の息子が自分の娘に入れ込んでいる。 見てたら分かった。 しかも、そいつはこの俺に教えを請いに来る話の分かる奴だったんだ。 一番親父に近い力を持った”アレイスター”じゃなくて”この俺”を頼ってきてやがったんだぞ? そんな話の分かる奴を期待してたってのに、なんだありゃ。 冗談も大概にしやがれよ。 奴が現れたとき、俺はアルコールのせいで幻覚でも見てるのかと思ったぜ」
娘の連れてくる男を、アムステルは最後までジル・アブソリュートだと思っていた。 事実、ジルがアルシェに好意を抱いていたように、アルシェもまた好意を抱いていたはずだ。 それは二人を見ていたアムステルには分かっていた。 だが、蓋を開けてみたら中に入っていたのは全くの想定外の異物だった。 あのときの怒りといったら、ミッドチルダを次元破壊砲で消滅させてやろうと無意識にスイッチを握っていたぐらいだ。 娘にスイッチごと取り上げられてしまって結局それはできなかったのだが。
しかも、純粋科学主義者の彼が一番嫌いな魔法主義者である。 これで激怒しない理由が彼には無かった。 あの時居合わせたジルが防御に入らなければシュナイゼルは跡形もなかっただろう。 まったく、惜しいことをしたと今でも思う。 何故、あそこで奴を一回消滅させておかなかったのか。
「あー、やっぱ腹立つな。 今からでもミッドとそいつが作ったっていう時空管理局所属世界全部破壊してやろうか、いや、それじゃあ面白くねーな。 ここは全世界に恒久的に作用するAMF力場でも形成して魔法社会ごと抹殺してやるべきか。 いやいや、いっそのこと全部ここと同じ虚数空間に叩き落して”何の抵抗もできずに消えていくのを”観察するのも面白そうだな。 殲滅するほうが手っ取り早いんだが……今度の予算で作ってみるか」
「貴方の場合、本気で言っているのが笑えないわね」
「俺に取っちゃあ連中やそれに関連した奴らは”人間”でさえねー。 ただの害虫を駆除するのになんで戸惑う必要がある?」
「アレイスターに止められるでしょうけどね」
「ふん、アレイスターが怖くて研究ができるかよ。 あの野郎もお前らも、いつか俺の純粋科学で跡形もなく吹き飛ばしてやる」
アレイスターという単語に苦虫を噛み潰したような表情をするアムステル。 アムステルにとってアレイスターは鬼門中の鬼門である。 理不尽の塊にして、超越者。 規格外のアンノウン。 最悪最低の相手である。 彼の場合はもう笑うことしかできないので、今のところアムステルは大人しくしている。 数十年に一度の実験で奴を的に次々と兵器を打ち込むが、未だに『絶対領域』と同じで傷一つつけられない。 どういうカラクリなのかまだ分からない。 科学的に立証の仕様が無い力というのは酷くもどかしくてならない。
アレが科学的に理解できる範疇にあれば良いのだが、軽くそんなものを飛び越えていた。 限界突破者もそうだが、絶対零度のさらに下の温度を生み出せたり、光速を軽く超えたり時間を逆行してみせたりと、もはや何でもありである。 あそこまで理不尽だともう笑うしかない。 スカウトされたときにはあの理不尽を科学的に解明してやろうと意気込んでいたが、いつしかそれごとを粉砕してやろうという方向へとシフトしていた。 認めたくないのだ。 科学者だからこそあんな超常の論理を。
「アブソリュートの奴も意味不明なものもってやがったが、まだ人間ができてた。 だからこそ、俺のライバル足りえたがアレイスターもあの野郎も人間として致命的に破綻してやがる。 ああ、だからこそ俺は、奴らが嫌いだ。 まだ”人間”だったなら少なくとも未知は未知だと割り切って付き合えたかもしれねーがよ」
「あら、じゃあ私も人間として破綻してるのかしら?」
「ああ、お前も十分に人間としては破綻してやがるさ」
カグヤ――シリウスという女をアムステルは毛並みは違うが連中と似たようなものだと認識していた。 この女は人間が必要なものを容易に捨てることができる女だ。 故郷という唯一無二の場所を捨て去れる精神もそうだが、”自分自身”の生にさえ無頓着になってきている。 目的達成後の展望がまったくないのだ。 あるのは贖罪の感情と、救いようの無い復讐心だけだ。 ただ、そんなものしか残っていない。 そんな無意味な生を生き続ける人間など、普通はいない。
通常のアルハザードの住人ならば目的がある。 無限の時をかけて何かを成したいという欲求に突き動かされた結果、自己が生み出した明確な欲望に従って生きる。 けれど、彼女には”そんなもの”が何一つ無い。 剣を極めるのは義務であると己に科している節があるし、彼女にとって剣とはあくまでも意地を通すための武器でしかない。 振るう理由が自身の中に存在しない以上、そんな無味生産的な人生を送ることを許容できる人格というのは、既に強欲で傲慢な人間という存在から根本的に逸脱しているようにしかアムステルには見えなかった。
人間が持ち続けるはずのものが見えず、そのせいでただただ機能するだけの存在に見えてならないのだ。 本当にそういうわけではないとは思うが、今まで聞きかじってきた風聞と自身が感じていた明確な生の感触がそうだと言い続けている。 ならば、そう判断するしか彼にはないしそれでは駄目だと思う理由が無い。 アルシェの友人ではあったが、本人がいない今そんなのは別にどうでも良いことだった。
「心外だわ。 私はこれでもアルハザードの中では常識人だと自負しているのだけれど?」
「ぬかせ剣聖。 そういう台詞は一端の”人間”になってから言えってんだ」
アレイスターは人外で、シュナイゼルは人間の屑、カグヤにいたっては人間を放棄している。 そんな理解不能な連中に好意的になる理由がアムステルには無い。
「そうだな、てめぇに足りねーのは男だ。 どっかで燃え尽きるようなロマンスでも探してきやがれ。 そしたら俺ももう少し人間扱いしてやる。 昔に忘れ去ったもん取り戻してこい」
「……どこをどう解釈すればそういう結論に至るのか不思議でしかたないわね?」
「この俺の灰色の脳細胞がそう言ってるんだから諦めろ剣聖。 ひゃっはっはっは」
自分で言っていて痛快だったのだろう。 声を上げながらアムステルが笑う。 研究室に響く酔っ払いの笑い声。 これにはさすがにカグヤも眉を顰めるしかできない。 しかも、何故にロマンスなのか。 理由を分かりやすく説明して欲しいことこの上なかった。
「……で、結局お前何しに来たんだっけか?」
「蝙蝠の話と番外位就任の挨拶よ」
「ああ、そういやそうだったな。 どうでも良すぎて忘れてたわ」
ひとしきり笑いが収まった後、アムステルは思い出したかのように話を戻す。 あまり剣聖に取る時間など彼にはない。 ないが、奴を殺すためにも少しだけヒントを送ってやることにした。 どうせ自分が直接手を下すことはできまい。 ならば、間接的にでも時を進めてやろうかとも思っていた。 きっかけにもなりはしないと自分自身で分かってはいたが。
「アレイスター的にはお前たち一番の当事者に解決させたいってのが本音なんだろうし、事実そのためにお前やジルに権限を与えてる。 だがな、それと同時に”俺たち”にお前個人に対する”答えのリーク”を封じてる何故だか分かるか?」
「……アレイスターの退屈しのぎのためでしょう?」
「そうだな。 恐らくはそんなもんのためだけに”奴”の命は延命されている。 だがな、正直そんなもんはどうでも良いって奴はごまんといんだよここにはな。 だが、そんな奴らでさえ未だに手を出していない、それは何故か? 簡単だ、奴の全部の居場所が分からないからだ。 この場合、奴の居場所とは何を指す?」
「あいつのバックアップデータが存在する拠点と、それを演算しきるだけのスペックを持った拠点」
「そうだ。 だが、それだけじゃあ意味が無い」
「それはどういう意味かしら?」
「俺たちは奴がこの封鎖世界のどこにも存在しないことを確認しなければならない。 忘れるなよ剣聖。 奴を”殺す”とはそういうことだ。 拠点破壊しただけじゃあ復活システムで復活した奴にしか意味が無い。 全部まとめて皆殺しにしなきゃあいけねーんだぞこっちは。 プロジェクトF.A.K.E<フェイク>――所謂プロジェクトFがまだ残ってやがるだろう?」
「プロジェクトF.A.K.E?」
「ベルカでもあっただろうが、そっちでなんて呼ばれてたかは知らんがクローン作って本物の記憶刷り込んで身代わり作ろうって計画。 アレのオリジナルだ。 聖王もこの技術でもしもの時に備えていただろうが。 有事の際の存在の保存、自己保身、色々と思惑はあるんだろうがそういうのがあったことは確かで、それは少しテクノロジーが発達してる次元世界ならどこでも簡単にできる」
「でも、アレは欠陥技術のはずだわ。 百パーセント同じ存在のコピーはクローンでは不可能よ」
「だが、それでも意思は残る。 奴の身代わり、偽者として奴の思考と似たような存在が生き続ける。 が、俺たちゃそれさえも”認めない”。 だからこそ、それを全部潰すためにクローンも押さえていなければならないんだ。 俺はむしろこっちで動いてる口だがな。 拠点破壊なんざ簡単だ。 ”時空管理局の管理世界と管理領域全部”まとめてぶっ壊せば良い。 当時の情勢から考えれば大体あの管理世界の、それも平定前の領域辺りにしか拠点なんざ用意できんからつまりはそこにバックアップも本拠地も存在するはずだ」
「……宛はあるの? 拠点を潰すよりもクローンの方は難しいでしょう?」
「奴は根っからの魔法主義者だ。 しかも、魔法の才能が世界のどの力よりも勝る力だと馬鹿みたいに信じてやがる。 となれば奴は絶対に魔力資質SSSランクの資質を受け継がせるだろう。 そっから割り出せば良い。 人造生命体か人間の形をした奴でSSS持ちを片っ端から調べ上げて皆殺しだ。 俺の勘では次元犯罪者かどっかの組織でいる確率が高いと踏んでる。 最低でも絶対に一人は保険としてあの時代から生き続けてる奴がいるはずだ。 でなけりゃ、”俺”がアルハザードと縁を切って疑わしい世界を片っ端から破壊しようと乗り出した場合にどうにもならんからな」
アルシェの件で作り出した負債は大きい。 ジル・アブソリュートにアムステル・テインデル。 難攻不落と殲滅兵器の二人の賢者の追跡は容赦が無いレベルに達しようとしていた。 特に、アムステルの動きは慎重に動こうとするジルと比べて恐ろしく行動的だった。 古株でもあり、アルハザードの中でも過激派の顔として知られているために顔が広いのだ。 素敵な実験場を揺るがしたという事実もそれに加えれば、そもそも穏健派などというのが存在しているのが奇跡であるというぐらいだ。 戦力比も7:3程の差がある。 穏健派勢力がそもそもの存在を保っていられるのはアレイスターの睨みがあるからで、もしそれがなければ今頃はミッドチルダとその関連世界は跡形も無く消滅しているだろう。
「……ああ、それともう一つ参考になるか分からんが教えといてやる」
大盤振る舞いだった。 本来は毛嫌いしているはずの相手にそこまで話してやる義理は無いのだが、アムステルは今日に限ってはそれを話す。 番外位襲名のサービスだった。
「あの復活したアルシェいるだろ? 欠落者扱いでメディスに収監されてる奴だ。 あいつはプロジェクトFで作られた偽者のコピーだ」
「――なんですって!?」
「オリジナルのコピーじゃあなくて、プロジェクトFのコピーだよありゃ。 欠落者に似てるのは元々データが限界一杯まで無意味なもんで埋め尽くされてるからだ。 人間の普通の反応ができないように、偽者だということをばれないようにするための細工だな。 あそこまで露骨だと、俺もいい加減馬鹿にされた気分だ。 親が子のことを分からないとでも思ってやがるのかね、あの糞野郎はよ!!」
「じゃあジルは!! ジルはずっと騙されたままだっていうの!? マメに彼女の様子を見に行ってるのよ彼は!!」
「”知ってて”やってるんだよあいつは。 事実を否定したいのか、それとも認めたくないからか俺には分からねーけどな。 ただ、そうすることで萎えそうになる自分を奮い立たせてるのかもしれねー。 まあ、分からんでもないな。 臥薪嘗胆に近い意味があると思えば……な」
「狂ってるわ」
「さあな。 それを判断するのは俺じゃあねー。 ただ、俺ならあんな偽者になんて絶対に縋らないがな。 そんなのは冒涜だ。 自分自身の思いにも、本物に対しても……だが本人からすればあれが最後の砦なのかもしれん。 自分を繋ぎとめるための儀式みたいなもんだ。 あいつは馬鹿みたいに真っ直ぐで、素直だったからな。 綺麗なもんはずっとずっと胸のうちに仕舞っとくタイプだ。 自分で触ることにさえ躊躇する程病的なロマンチストだよ。 ”現状維持”ってレアスキルをあいつが持ってるのも、案外そのせいなのかもしれねー。 あいつの親父も、あいつも、どこかそういうのを大切にする奴だったからな」
「……でも、だとしたら本物のアルシェはどこに?」
「恐らく、あのときに死んだんじゃねーか? ジルがアルシェと偽者を見間違うわけがねー。 だが、本物がここで復活してないってのは事実だ。 あいつのデータがどういうわけかプロジェクトFの偽者と入れ替わってやがって、本物のデータが今ここには無い。 自分以外がデータを弄ることは許されてねーから、本人が奴の口車に乗せられて抹消したんだろうよ。 もしかしたら、そのデータを持ち出してる可能性もある。 それがあるとしたら、奴の拠点……もしくはバックアップ先だな。 アルシェにまだ利用価値があるのなら……だが。 ただ、そのアルシェはもう完全に偽者だろう。 奴が人格を守るために改造しないってのはありえない。 好き勝手弄繰り回して、本物の原型なんて無いようにしてる可能性の方が高いだろうよ。 まあ、全部推測の域を出ないわけだが……」
救いようの無い話だった。 吐き捨てるように言うアムステル自身、拳を握り締めて震わせている。
「ただ、未だに一度もアルシェが実体を持って復活したことは無いはずだ。 そんなことをすればルナ・ストラウスのブラッドマーキングに反応するはずだからな。 あいつに頼んでアレからずっと俺は奴に使わせ続けているが、反応が一度もないとしか聞いてねー。 アレイスターなら黙ってるだろうが、あいつは嘘は言わないからな」
ブラッドマーキングとはカグヤも使っている血を用いた座標獲得魔法である。 刻んだ個人にしか絶対に反応しないから、仮にアルシェが復活して使われるようなことがあればルナが座標込みで感知できるということである。 そして、それをした瞬間に敵は本拠地を曝け出す。 使うわけがないだろうが、それでもアルシェを封じるという意味では使わないにこしたことはなかった。
「……剣聖。 俺は俺のやりたいように動くが、できるだけ早くジルと一緒に”お前”が奴と決着をつけろ。 ”お前”は俺らと違って”唯一”外でも好き勝手動き回れるんだからな」
「……ええ、留意しておくわ。 分かってると思うけどジルの用意した餌がいる。 そこから釣り上げてみせるわ」
「……ふん。 関係ない人間を巻き込み、それで釣り上げる……か。 ”常識人”にしては”冷酷”なことだな?」
「あら、彼は偶然夜天の書に選ばれたのよ? だからこそ私たちは――」
「――ああ、もういい。 もう話すことなんざねー。 とっととお家に帰って寝てろ」
話は終りだとカグヤの言葉を遮ると、カグヤに向かって背を向ける。 だが、途中で何かを考えるように虚空を見上げると、前言を撤回する。
「いや、待て剣聖。 その前に一つ俺の興味に付き合え」
「私を実験台にしようというの?」
「似たようなもんだ。 とりあえず……そうだな。 武装解除して服も全部脱げ」
「……貴方、死にたいの?」
無造作に刀に手を沿え、いつでも抜く構えを見せながらカグヤが言う。 その目にあるのは戸惑いである。 だが、そんな様子に頓着せずにアムステルは鼻を鳴らすと、剣聖に言う。
「何を勘違いしてやがる自信過剰が。 俺は死んだ女房以外に女を感じねーんだよ。 着替えはアルシェのが奥にあるからそれでも着て待ってろ」
心底馬鹿にしたような目でそういうと、研究室の奥へとカグヤを行かせる。 アムステルにとってカグヤ如きに欲情する理由が無い。 天地がひっくり返ってもありえない話だった。 憮然とした表情でそれを見て、カグヤはため息をつきながら付き合ってやることにする。 誰にも言われなかったことを”アムステル”だけが喋ってくれたのだ。 その借りを返せるのならさっさと返しておくことに越したことがなかった。 不義理というのを何よりも嫌うが故に。
そうして、カグヤが奥にいったのを確認するとアムステルは剣聖の三つのデバイスを”調べる”。 嫌いな魔法科学の産物であったが、それを無効化する研究をする過程で嫌々ながらアムステルはそれらについての知識を有している。 調整槽に全部ぶち込み、驚きの悲鳴を上げるユニゾンデバイスの叫びを無視して強引にデータを閲覧していく。
ただただ確証が欲しかった。 最悪が無いことを確認するための作業だった。 もし、そこまでしてあったのだとしたら、アムステルは”アルハザード”を出ることに躊躇しない。 親として出張ってやらなければないと考える。 それが、父親としての矜持であったから。
「……はっ。 そうだ、それで良いんだ。 お前が真っ当なら、まだ辛うじて踏みとどまっているんなら俺ももう少し我慢してやる。 ”あいつ”はお前に全部任せる。 どうなってたとしても決着をつけろよ。 遅かったら俺が全部ぶっ壊しちまうぞジル」
アムステルは苦笑しながら、そこに組み込まれたメッセージを読む。 ブラックボックスの最奥、その最深部に刻まれたメッセージ。 そこまで辿りつける人間だけが読むことのできる印。 それを見て一通り笑い声を上げるとアムステルはアルコールを煽った。
――全てを取り戻すことはできずとも、自分の意地だけは押し通そう。
例え遅すぎた始まりでも、それでもきっとそれが彼女のためになることを願って。
大馬鹿者を最後まで演じきって、最初で最後の意地を通そう。
すまない、君が気づくか分からないがこのメッセージを残す。
願わくば僕の贖罪が終わるまで黙って付き合ってくれ。
都合の良い話だが、君ならば理解してくれると信じている――
誰に宛てられた言葉なのかは考えなくても分かる。 そして、いつ見つかるかも分からないような場所にこんなものを残すような律儀で大馬鹿な”偽善者”は一人しかいない。 だが、それが彼の誇れるべき美徳である以上はアムステルがこれを彼女に話すことは無い。 義理の息子が”初めて”漢<おとこ>になろうとしているのだ。 黙って見守るのが父親の役目である。 アルハザードの賢者としては目を瞑ることは明確な裏切りだったが、それでもこの選択が”人間の父親”としては正しい選択であるとアムステル・テインデルは信じている。
「……他には無しか。 妙な細工もないし、やはり人の良い本性はそのままか。 壊れる寸前の癖に、よくもってやがるな。 俺なら間違いなく躊躇せずに引き金を引くってーのによ」
そのままニヤリと笑みを浮かべると、アムステルはブラックボックス内部に干渉する。 普通の技術者がひっくり返るようなことでさえ、平然と当たり前にやり通せるのは、彼がジルの師匠だからだろう。 よく知っている相手の作ったものだからこそ、容易にそれを理解できる。 師弟だからこそ成せる技である。 いや、もしかしたら彼ならばどんなものでも時間をかければ出来るかもしれないが。
「まあ、取り立ててやることもないわけだが……エールでも送っておいてやるか」
剣聖のデバイスだったが、そんなことは知ったことではない。 それを刻んだ唯一人に向けてメッセージを書き記すと、アムステルは調整槽から三つのデバイスを取り出す。
「うげ!? アタシになんか用かよアムステルの旦那!! てか、なんでアンタがアタシの調整してんだよ!!」
「お前にゃ用なんかねーよチビ助。 あんま煩いと質量兵器に改造しちまうぞ?」
最悪の目覚めとなったサードの悪態に辟易しながら、アムステルはカグヤが奥から出てくるのを待つ。 何でこんなに遅いのかは知らないが、とっとと用事を済ませてしまいたかった。
「ちっ、これだから……」
ブツブツと呟きながら、時間が勿体無いとばかりに実験する内容を吟味する。 その頭の中には並の魔導師なら数十回と死ねる過酷な実験内容が思案されていた。
「……酷い目にあったわ」
「ど、どうしたんですカグヤ? 珍しく随分とボロボロのようですが……もしかして、過激派にでも襲われましたか?」
「アムステルのところに顔を出してきたのだけれど、妙な実験に付き合わされたのよ。 ああ、デバイス全部チェックしてくれない? なんかしてたみたいだったから」
「はぁ、それは構いませんけど……」
どこか疲れたような顔をして研究室にやってきたカグヤ。 いつもと違って威圧するような超然とした感覚が無く、まるで嵐にでも巻き込まれたかのようなほどに疲弊していた。 ジルはデバイスを受け取って中身を確認するが、特に何も細工がされていないことを確認していく。 と、一瞬その腕が止まった。
「……彼、何か言ってましたか?」
「”いいえ”、これといって何も。 ただ、”アルシェ”のことを少し話した程度かしら?」
「そう……ですか」
「何? デバイスに何か細工でもされてたの?」
「いえ、そういうわけではないんですけどね」
苦笑しながら、”遠まわし”な友人の話に首を振るとジルはデバイスの確認を終える。 そしてカグヤに尋ねた。
「で、結局何の実験に付き合わされたんです?」
「AMF<アンチマギリンクフィールド>内と虚数空間内で私が一体どれだけ戦えるかの戦闘データの収集をされたわ。 魔導師……というより私は魔導剣士だけれど……分かっているのかしら? AMFはほとんど魔法が使えないほどの濃度だったし、擬似虚数空間内ではそもそもまったく使えない。 戦闘だってほとんど魔導師には不可能でしょ? そんなことは分かりきっているのに一体どういう意味あったのかしらね?」
「魔法を潰すには一番効果があるからでは? 貴女クラスの魔導師を無効化できるというのなら、もうほとんどの魔導師は死ぬしかないでしょうし……」
「貴方は別でしょ? 現状維持があるもの」
「はは、まあそれはそうなんですがね。 でも……ああ、そうか。 叔父さんはそれを危惧しているのか……可能性としては……ありえるのかな? ……ところで、結局カグヤはそれを乗り切ったのですか? 魔法を使えなかったんでしょう?」
「悔しいけど、スキルを使って逃げ回るしかなかったわ。 魔法を使えないとああも脆弱になるのは痛いわね。 第三位にでも今度弟子入りしてこようかしら。 彼の戦闘技術なら魔法と同等の力を出せるんでしょう?」
「……いや、あの人はもう激ヤバですよ? 生まれつきの限界突破者なんですよ? 文字通りの人外です」
「だからこそじゃない。 生身でアレだけ戦えるコツを知りたいのよ」
「……まあ、程ほどにしてください」
自身の剣を高めることに余念がない少女にため息をつきながら、ジルは言う。
「ああ、そうそうお土産があるわよジル。 随分と懐かしいものみたいだけどね。 アレだけ苦労して手に入れたものだから”価値”はあるものよ」
「アルバムですか?」
「ええ、随分と可愛らしい子供時代だったみたいね? アルシェにべったりじゃない貴方」
「あははは、これはとて恥ずかしいものを持ち出してきましたねカグヤ。 いやぁ、あの頃僕はほとんど彼女と一緒に過ごしてたんですよ。 ほら、ほとんど彼女と一緒に僕が映ってるでしょう?」
アルバムをパラパラと捲ると、幼いアルシェにくっつくようにしてこれまたさらに幼いジルが映っている。 そのどれもが無邪気に笑っており、幸せそうなものばかりだった。 今とは比べ物にならないほど幸福だった時代の記録。 ジルは泣きそうな顔でそれを眺めた。
「テインデルの叔父さんは……義父さんはアレで中々に家庭的でしてね。 夜は絶対に定時で帰ってきて夕飯を作ってくれました。 僕の父は出不精だったんで、手料理も雑でしたけど彼の料理は本当に美味しかった。 また食べたいですねぇ」
「……アレで料理が得意なの? 想像ができないわね」
「主夫顔負けの家事スキルを持ってますよ? アルシェが料理を覚えても絶対に夕飯は自分が作るって譲らなかったですし、掃除洗濯も完璧です。 家庭も仕事も完璧にこなせる人ですよ。 しかも家族サービスを休日には絶対に欠かしません。 父親の鑑のような人ですね」
「……過激派の実力者とは思えない事実ね」
「はは、手が早いのは確かですけどね。 アルシェに粉をかけようとした人間は例外なく半殺しにしてましたよ。 例外は僕ぐらいですかね? ”出身世界ごと吹き飛ばされたくなかったら俺の娘に手を出すな”が常套句でした」
「想像できそうで怖いわね。 もしかして滅んだ次元世界の何割かの崩壊に彼関わっているんじゃない?」
「そこまでは知りません。 まあ、でも今はそうとう我慢してるはずですよ。 爆発するときが来たら、本当恐ろしいことになりますね。 封鎖世界崩壊の危機です。 この僕が保証しますよ。 ”彼”はやるとしたら確実に”全部殲滅する気で”動きます。 殲滅兵器の二つ名の通り、文字通り全部を殲滅するために動きますからね。 妥協が一切ありませんし、本気で挑まれたら僕じゃあ相手にもなりませんよ」
「相手の方に同情するわ。 個人単位では私自身結構やれる方だと思うけれど、彼はそもそも”何もかも”を破壊する方向の力を潤沢に持っているんだもの。 恐ろしいことこの上ないわ」
「まあ、敵にする理由がなければまったく無害で暖かな人なんですけどね。 アレからずっと酒飲みになっていることが心配ですが……」
「彼、そのうち魔導師全部駆逐しそうで怖いわ」
「はは、ありえそうですね。 そしてそれができるからこそ恐ろしい」
二人して笑いながら、会話に花を咲かせる。 アルバムの残っている写真を説明しながら、しばし過去に思いを馳せる。 何事もなければ、今もそうやって過ごしていたのだろうか? 一枚一枚の写真と記憶を照らし合わせながら、暖かな記憶を蘇らせていく。 感傷的な自分がいることをジルは知っていたが、まさかアルバム一つでこうも心をかき乱されるとは思いもしていなかっただけにその記録に刻まれた確かな温もりには胸が熱くなってしょうがなかった。
「さて、そろそろ行くわ。 存外盛り上がってしまったけど、次にこれを話題にするときは”三人”一緒のときにしましょう」
「……そうですね。 そんな日が来るのなら……いつか、必ず――」
しんみりとしたした言葉を吐き出しながら、ジルは去っていくカグヤを見送る。 結局、アルバムはジルが預かることになった。 テインデルの一家としての自分。 そんな宝物のような時間を心に刻みながら、大事な記憶を保存するために彼は自分からそれを言った。 カグヤも元々そのつもりだったのだろうが、ジルは自分からそう言うことで大事なものを取り戻したかったのかもしれない。
「……一枚貰っておこうかな。 励みになりますしね」
ページを捲り、一番気にいった一枚をアルバムから取り出す。 それは、幼い自分とアルシェがアムステルの無骨な両手で抱きしめられている写真だった。 恐らくは、それを撮ったのは父だろう。 微かに残っている記憶を掘り返しながら、ジルはそれを白衣の胸ポケットに大事そうに仕舞うと仕事を再開する。
ケジメが必要だった。 他人が理解できずとも、自分が胸を張って逝ける確かなものを彼は求め続けていた。 ジル・アブソリュートとして、そしてテインデル一家の一員としての自分に誇れる、胸を張れるようなそれをやり通せたなら、もうそれだけで満足だ。
ジルはそう自身に言い聞かせると、そのまま自分の研究に戻った。 その研究が完成することは生涯ないだろう。 だが、それでもそれをやり続けるのはアブソリュートの血筋がそれをさせるからだった。 そうして、自分をやり通しながらジルはただひたすらに時が来るのを待つ。 イレギュラーの彼が来たということが、それが自分の天命なのだと結論付けて。
ただ、ジルは一つだけ忘れていたことがある。 いや、自分の記憶から抹消していたことだったか。 あのイレギュラー存在を作りだしたのが”そもそも”自分であるということだ。 あの存在こそが、自身の研究の一つの成果だったということを意図的に自分の記憶から消去した彼はもうそれを覚えていない。 だからこそ”彼”は”彼”を招かれざるイレギュラーだと”信じて”彼は振る舞い続ける。 偶然でも成し得た一つの明確な奇跡を、二度と決して思い出すことなく。 いつの日か彼の研究が偶然にでも成せたという事実を”アレイスター”や誰かが彼がいなくなってから気づくことになるその日まで。
――アブソリュートの名を継ぐ者は、ただそうして黙々と仕事をこなしていった。
ニヤリと唇を吊り上げながら、金色の少年が笑う。 正直に言えば、ただの些事だったはずなのだが、このような不可解存在に出会えたことにシュナイゼルと蝙蝠に感謝していた。 手元にあるカードで占いをすること数回。 いつもいつも、決まって出る結果に代わりが無い。 どのようなやり方でやっても、結果が変わらず、一定以上の先が見えない。 たった一人。 あの存在を絡めて占いをすれば一定以上先の未来が読めなくなる。 逆に、彼を外せば面白いほど簡単に結果は出て、不気味なぐらいの今と同じ近似値をたたき出す。 変わるはずなのに近くなっている。 まるで訳が分からない。 1+1=2ではなく、1とか3とかふざけた結果をたたき出していながら徐々に正解に近づこうとしていくのだ。 確かなズレを残したままで。
「偶然のイレギュラーにしては露骨過ぎるな。 外側からの介入者というわけでもなく、むしろあの書によって導かれた被害者だ。 だというのに……元々の正確な存在世界さえ観測できんとは……いや、だからこそなのか?」
玉座に腰を下ろしたまま、虚空を見上げる。 金色の瞳が空の高い天井を映すが、彼の関心ごとはその天井の先にこそある。 腕元にある”黄金の腕輪”を撫でるようにしながら、さらに呟く。
「もうまもなく……か。 いや、使いどころを間違ってはいかんからな。 やはりここは、今ではなく次か次にするべきだな。 全てをご破算にするか、続けるか。 先の見えぬイレギュラーの動きに同調し、これのタイミングを委ねるも一興か。 であれば……彼とは一度会う必要があるかもしれんな。 ふむ、準備でもしておくか」
金色の獣が、玉座から腰を上げる。 のっそりと、ただただゆっくりと。 だが、それだけで周囲の空気と魔力が震撼した。 常人には理解できない空気を纏った少年が、そのままゆっくりと歩き出す。 と、彼が部屋を出て行こうとしたときに虚空から一人の女が現れた。
「あら、封鎖世界に用なの? 珍しいわねアレイスター?」
「ルナ・ストラウスか」
ルナ・ストラウス――アルハザード十三賢者第四位『月夜の執政者』と呼ばれる女吸血鬼<ドラキュリーナ>だ。 現在ではアルハザードの運営を一手に手がけ、さらにはベルカ崩壊後に自治世界ヴァルハラにフリーランスの魔導師のためのギルド、『ミッドガルズ』を設立したやり手の起業家でもある。 また、そのミッドガルズの情報網を利用した情報ネットワークは外界から遮断されてから自力で外へ出かけられないアルハザードの住人から広く愛用されている。 他にも外に出る人間に外貨を与えたり、外での仕事を斡旋したりとかなりアルハザードに貢献している一人でもあった。
表向きの性格は穏やかであり、『アルハザードの良心』とまで言われている。 アレイスターとも真正面から戦えると実しやかに囁かれてもいるが、本当の所は二人しか知らない。 だが、アレイスターがヴァルハラから彼女をスカウトしたこともあり、少なくともアレイスターが目を見張るほどの人物であるというのが住人が抱く共通の見解である。 いつもスーツ姿の受付嬢の格好をしており、病的なまでに白い肌と黒銀のロングヘアー、そしてメリハリの効いたグラマラスな容姿を持つ。 その美貌によって取引で損をしたことはないという話だ。 その目に魅入られぬものはいないとまで言われるほどの女性である。
「はいこれ。 一昨日貴方の頼みで収集させた例の彼の情報よ」
「ああ、すまんな。 ふむ……やはりこれは……」
「その子、カグヤちゃんが気にしてる子でしょ? 貴方まで気にする理由があるの?」
「いくつか解せんことがある。 それがはっきりするまではなんとも言えんな。 貴公はどう思う? 色々と”自分”でも資料に目を通しているのだろう?」
「そうね……カグヤちゃんの勘違いを差し引いても、それほど興味を引く対象じゃないかな。 ただの”偽者”でしょ? ”現状維持”を持ってるぐらいしか価値は無いと思うわよ。 私たちを相手にしたら一秒も持たないでしょうし」
さらりと”本質”をつく彼女の言葉に、アレイスターは薄く笑う。 まったくもってその通りだ。 普通なら”それぐらい”しか価値は無い。 だが、それはスキルを見ただけの話であって、娯楽としての価値からすれば彼にとっては是非とも欲しい逸材だった。 先が読めぬことほど、楽しめることはないのだから。
「ふむ、貴公らしい意見だな。 正体になどまったく興味は無いらしい」
「あんまりないわね。 カグヤちゃんが気にしてることぐらいしか私の興味は無いわ。 第一、私その子にあったことがないんですもの。 前情報だけで気にする理由は私にはないわ。 やっぱり直接会ってみないと商談もまとめられないでしょ?」
「くく、違いない」
なんともらしい言い様にアレイスターは同意する。 だからこそ、直接会うための準備をしようというのだから当然か。
「まあでも、ミッドガルズの運営者としてはちょっと嫌いかしら」
「ほう?」
「だって、その子のせいで中々『ソードダンサー』が仕事をしてくれなくなっちゃったんだもの」
困ったように流麗な眉を顰めて、ルナは言う。 彼女からすれば、ミッドガルズの顔たるカグヤの良い仕事が無いのは寂しいのだろう。
アレイスター・クロウリーが退屈の解消先を人間に求めたように、ルナ・ストラウスが退屈と戦うために選んだのは仕事である。 アルハザードの運営然り、ミッドガルズの企業然り。 全てはそれだけのためである。 だからこそ、”アレイスター”のスカウトを受けてここにいるのだ。 忙しいということこそ幸せだと感じている彼女にとって、仕事をしっかりとこなしてくれる彼女のことは大変に気に入っていた。 無論、個人的にも嫌いではない。 あの最も新しく可愛らしい限界突破者<リミットブレイカー>とは今後も末永く付き合いたいぐらいだ。 次々と似合いそうな服を彼女の別荘に送り込むのも、やはりそれが楽しいからであった。 仕事着と称して毎回毎回違う服を支給していたら、いつの間にか趣味になってしまったのは嬉しい誤算である。 ミッドガルズを全次元世界に普及し終えたら服のブランドでも立ち上げてみようかと思っているぐらいなのだから相当な入れ込み具合だった。
「ああ、それと確認しておくけどまだカグヤちゃんには”言って”は駄目なの? いい加減私も黙っておくのは辛いんだけど……」
「ああ、駄目だ。 彼女自身の手で真実にたどり着かなければ意味が無い。 まあ、多分に余の娯楽的側面があることは否定しないが」
「長生きするってのは大変ね。 その”苦しみ”が分かるだけに私からはなんとも言えなくなっちゃうんだもの」
「そうさな。 自身を蝕む毒を自覚しながら、それでもなお抗えぬ。 超人であれ魔人であれ、神でさえ抗えんのだろうなこれには。 貴公も、あのまま退屈しているよりは今の方がずっと良いだろう?」
「ええ、それは間違いなくね。 何事も生きがいは必要よ」
二人の限界突破者はそういうと軽く笑ってから分かれる。 永遠は終わらないからこその永遠であり、そんな超常の理を行く二人にとっては互いの娯楽を殺すような真似はできない。 恐らくは普通の人間には理解できぬ、それは彼らだけの共通の価値観だったのかもしれない。
虚空に溶けるように消えていく二人。 互いに行き先も目的も違うけれど、それでもきっと彼ら二人の関係がそのまま今後も変わることは無いだろう。
――やはりまだ、このときも次元世界に大きな動きはなかった。
憑依奮闘記
外伝3
「アブソリュートの名を継ぐ者」
――次元世界アルハザード。
封鎖世界と外界を隔てる要にして生きとし生けるものの常世を守るために存在する強固な強固な世界である。 その設立目的を知る者は少ない。 封鎖世界内部に生まれた者のほとんどはそもそも自分たちがいる世界が隔離されていることも知らない。 広大な次元世界は無限であり、その先にあるのは無限の世界が広がるだけのそんな世界だと捉えている者ばかりだ。 無論、そんなことを知ったところで意味は無い。 別段、自分たちの生活が平和に送られるのであればそれで良いのだ。 態々知らなくて良いことを知ったところで意味は無い。 ましてや、世界の真実に触れる必要は無い。
だが、その本来は知らないはずのことをジル・アブソリュートは知っている。 そして、だからこそ彼は誰も傷つかない領域を作るということに心血を注ぐようになったのだった。
ありとあらゆる殺傷方法を突き詰め、ありとあらゆる兵器や攻撃をその身で受けてそれら全てを防ぐ領域を作るためのデータを入手する。 そこには妥協も打算もありはしない。 ただ、それの完成こそが自分の人生の意味だといわんばかりの熱心さだった。
――勿論、今ではそれだけではなくなってしまった。
言うまでも無い、その原因を作ったのはシュナイゼル・ミッドチルダだ。 あの男がアルハザードにやってきたせいで彼に残っていた人間としての部分のほとんどが消えたといっても良い。 感情も、精神も価値観も、ほとんどが様変わりしてしまった。 オリジナルの身体を失ったこともそうだし、偽者となった後では目に見えて一日に死ぬ回数が増えている。 死んで、蘇って、死んで、蘇ってそうやって磨耗する日々をただただ送る。 そんな人間が壊れないわけがなかった。 唯一その彼を保ち続けていた幼馴染の女性はもういないのだ。
――アルカンシェル・テインデル。
幼年期からジルにとっての幼馴染であり、姉であり、憧れであった女性だ。 ジルと同じくアルハザードの最外層区画である第六層で十三賢者としての仕事を共にしていた彼女の喪失はジルという男にとって絶望そのものであった。 彼女の家とは家族ぐるみで親交があり、アルシェの父親である八位『殲滅兵器』とは師匠と弟子の関係でもあった。 ジルの父フェイル・アブソリュートはアルハザード第五位『絶対領域』と呼ばれるほどの人物だったが、決して自分の研究内容を息子のジルにさえ教えず、一人だけで研究をしていた。 今ではもうその研究が何だったのかは知っているが、それは彼には手を出せない研究であることだけは確かだった。 少なくとも、アレイスタークラスでなければ、それはできまい。 いや、もしかしたら彼にも不可能であったかもしれない。 まあ、それだけ人外レベルの研究だったというわけだ。
最後の研究が完成したとき、一度ジルは父によって外に連れ出された。 無論、それが許される立場ではなかった。 だが、父親は最後にそれを息子に見せることで胸を張って逝ったのだ。 そうして、ジルは父のそれと似たものを目指すことにした。 そのとき頼ったのはアルシェの父であり、父のライバルであり、友だった男である。 その男の研究は単純明快だ。 二つ名が示すとおり、全てを灰燼と化す究極の殲滅兵器を完成させることに心血を注いでいた。 次元世界を崩壊させるようなものを次々と作っては、フェイルの絶対領域に立ち向っていったらしい。 そのことごとくを防がれ、だがそれでも諦めずにそれを超えることだけを目指し続けた。 今でもそうだ。 アレから数百年以上経った今でもそれだけを突き詰めようとしている。 正に、文字通り科学に魂を売ったような男だった。
ジルが彼から教わったこと、手に入れたものは数多い。 父親と母親を早くから失っていた彼にとっては彼が二人目の親であり、テインデルの一家とは家族も同然だった。 だからこそ、アルシェにジルが抱いた感情というのは深い。 けれど、やはりそれでも永遠にそうでいられるほど彼は強くなかった。 『難攻不落』などという二つ名で呼ばれるようになっても、その心は鎧では守れなかったのだ。
白は清潔の色。 青は人を爽快にさせる色。 色には実に多種多様な心理的効果がある。 では、病人に必要な色とは一体なんなのか? 養生するための色なんて、そんなものがあるとすれば恐らくは世界中の病院でそれが採用されているに違いない。 けれど、そういった色で統一された病院など一般には聞いたことがなかった。 それはここ、アルハザードの医療施設であっても変わらない。
内装を変に弄ることもなければ、変な実験に用いられることも無い。 変わったところといえば、それはこの医療施設が様々な患者に対応しているということぐらいだ。 人間から永遠存在、果ては超常の存在など、ありとあらゆる患者に対応した総合医療センター『メディス』。 封鎖世界内のありとあらゆる治療法が集められたそこは、少なくとも治療法が確立されてさえいれば患者を治療することができる施設だった。
「ジル・アブソリュートさん、面会の許可下りましたよ」
と、待合室で懐中時計を眺めていたジルにやってきた看護婦が声をかけた。 ジルがよく見知った看護婦であり、信頼している女性だった。
「あ、これはどうも。 いつもすいませんね」
「いえいえ、それが仕事ですから。 ……それにしても、いつも熱心ですね。 恋人さんというわけではないんでしょうに」
「はは、よく言われますよ。 彼女は俺にとっては一番の幼馴染だったんでね。 なんとか、元に戻って欲しいと思っているんですよ」
――それは、悔しいほどの事実だった。
苦笑を浮かべながら、ジルは痛む胸を押さえた。 それは呪いだ。 彼女のことを考えれば考えるほど己の身を蝕む呪い。 その呪いの炎で、いつか自分が死ぬことになる。 割と早くにその考えに至るも、彼はその選択を受け入れていた。 事実、それが原因で”本当に”死んだのだが、どこかしょうがないと納得している自分がいたのだ。 だから、そのことについて後悔したことは無い。 ただ、それでもやはり悔しさは残り続ける。 彼の中で燻り続ける。
「それで、今日も病状に変化は無しですか?」
暗鬱になりそうな思考を止め、いつものように奥へと案内してくれる看護婦に問いかける。
「ええ、今日も変化無しです。 いつものように、ぼおーっと起きているだけで……」
「そうですか」
「はい、後一万年これが続くようなら、覚悟しておいてください」
「分かってます。 そのときは俺が天国へ送ります」
「……その前に良くなるといんですけど」
メディスの通路を進む。 すれ違う患者や看護婦は皆一様に明るい。 基本的に病気などにかかったところで、時間操作によって時間を巻き戻して治療する者が多い。 どのような死病であれ難病であれ、病気にかかる前の状態に戻せばよいだけなのだ。 では、何故この病院には入院患者などが存在するのか?
それは、きっと患者が人生に満足していたからだろう。 アルハザードの人間には望めば寿命など無いに等しい。 完璧な時間操作技術を用いれば、老いても若返ることができるからだ。 しかし、例外は常に存在する。 誰しもがそのような時間操作を良しとしないのである。 研究が完成した者、寿命で死ぬことを誇りとし、時間操作を選択しない者、やるべきことを全てやり終えた人間は自然と時間操作を選択しなくなるのだ。 無へ帰ることこそが、生物の基本であるというかのように。 だからこそ、メディスには入院患者が出てくるのだ。
通路を進み、やがて二人はエレベーターへと乗り込む。 看護婦はその中から関係者以外が入れない地下区画へのボタンを押し込む。 ガタンと、無反動エレベーターが動き出し虚空を飛翔する感覚を一瞬味わうと、すぐに目的地へと到達する。
「では、バリアジャケットを展開してください」
「わかりました」
メディスでは死を待つものは上階に集められている。 けれど地下に入院する患者は、死を待つ者の中では特殊である。 ここにいるのは、難病や奇病に冒され、他者に伝染する可能性がある病気を持っているものやその研究に従事する医者関係者だけ。 彼らは通常の患者と一緒にするわけにはいかない。 時間逆行システムを使って時間を巻き戻せば確かに病気は治るが、根本的な解決にはならない。 アルハザードの内部でバイオハザードを起こすわけにはいかないのだ。
白衣型の防護服<バリアジャケット>を纏ったジルは看護婦の指示通りに簡単なチェックを受ける。 防護服を展開することによって病気の感染を防ぐのだが、ある一定レベル以上の密度や強度が無ければ無意味だからだ。 安全基準に達したことを確認されると、ようやく中へと入る資格を得られる。
「……さすが、難攻不落ですね。 通常の人間の防護服とは明らかに防御性能が違います」
「はは、これぐらいしか能がないんですよ」
感心する看護婦の視線をこそばゆく感じながら、ジルは看護婦の後ろをついていく。 通りに様々な人間がいるが、特にいつもと変わらない。 地上も地下も基本的には内装は同じだ。 患者が徘徊していることもあれば、看護婦に出くわすこともある。 危険度は地上と地下で段違いだが、世界は特に変わらないのだ。
「いつもいつも面倒をかけますね」
「いえいえ。 それで、今日はどうします?」
「一時間もかからないと思います。 帰りはいつものようにエレベーター手前で退去登録しておけば問題ないですね?」
「はい」
「分かりました」
「では、ごゆっくり」
辿りついた病室の前で、会釈しながら看護婦とジルと別れた。 これもまた、いつもどおり。 こと彼女に関してはこういう風に気を回してくれるからありがたい。 他の看護婦の場合、立ち会う人間もいるが、当時のことを知っているあの看護婦はジルの心情を慮って二人っきりにしてくれる。
「……」
黙ってドアのところについている名札を見る。 入院患者の名札には『アルカンシェル・テインデル』と書かれている。 軽く深呼吸をすると、意を決してドアをノックする。
返事が返ってくる事は無い。 ジルは少しするとドアを開けて病室へと入っていった。
「入るよアルシェ」
入り口から中に入ると、ジルは仕切りの向こう側へと向かった。 ベッドの部分を四分の三ほど隠しているその仕切りの向こうには、ベッドから起き上がって座り込んでいる姿の女性の影が見える。 ジルは精一杯の作り笑顔を浮かべながらその女性の方へと向かう。
「やあアルシェ、久しぶりだね」
「……」
返答は無かった。 もしかしたらと、いつもいつも期待している自分が急速に希望をなくしていく。 そこにいるのは、ジル・アブソリュートの幼馴染の女性だ。 見た目二十台前半ながら、ティーンの少女であるかのように小柄で、抱きしめれば折れてしまいそうなほどに華奢であった。 色の無い瞳で一瞬ジルを見て、すぐに視線を虚空へと戻した。 何かを見ているわけではない。 彼女の視線の先にあるのは、唯の壁だ。 けれど、それが仕事であるかのように彼女はその壁を見続けている。 染み一つない白の壁を。 純白で清廉な清き色を。 そして、彼女が死に際に見たはずの光と似た色であるそれを、ただぼんやりと眺めていた。
「いつも通り……か」
欠落者というアルハザード特有の病気にかかった存在がいる。 感情を、理性を無くしてしまった者を指すアルハザードの言葉だった。 アルハザードの復活システムは二つある。 一つは時間逆行再生方式の復活システム。 そしてもう一つが自身の魔力情報を元に魔法プログラムとして人間を再生するシステムだ。 そのうち、後者で復活する場合に極稀にこういう症例が発生する。
復活する前、死の直前によほど衝撃的な事態に直面した場合、または途方も無いほどの絶望を味わった人間等が極稀に陥る病気である。 生きた死人。 あるいは、蘇れなかった死人、死にぞこないなどとも形容される。 死人と人間の中間に位置する存在。
一度壊れた人格プログラムは、そう簡単には元には戻らない。 少なくとも、欠落者となって復帰した人間はいないという。 つまりは、ほとんど絶望的だということである。
ただただ虚空を見続けるだけの生きた死人に、しかしジルは定期的に様子を見に来ていた。 彼らしいといえばらしい、彼を知る者はその行動を不審には思わない。
ただ、ここへ来ると自分のやるべきことが嫌でも思い出された。 色あせない記憶と共に、その胸に残っている感情が静かな怒りを励起させる。 そうして、彼はいつもいつも磨耗した何かを強引に回復させているのかもしれない。 変わりきった内面にあるのは、憎悪の光だ。 騙されたことへの怒り、彼女をみすみす奴に奪われるのをそれが彼女の幸せならばとただただ見送ったふがいない自分への怒り、激しい感情をそうやって高め、爆発させる時を待っているのだろう。 そして、その時は近い。
「もう、まもなくだ」
茶番は終わる。 全てに決着をつけるときが近づいている。 とはいえ、まだもうしばらくは掛かるだろう。 だが、それでも一つの終りが見えてきたことだけは確かで、それでもう自分という存在が消えるだろうことは分かりきっていた。 いや、自分自身消えることを望んでいた。
「待ち望まなかったイレギュラーがついに来た。 後は、彼のもたらす情報さえあれば良い。 そうすれば、”奴”と”彼女”の居場所が分かる。 それだけ分かれば、奴に未来は無い」
凍えるような冷徹な目で、天井を睨みながら呟いた。
少なくとも、あの男の見積もりはいつも甘い。 虚数空間如きでアルハザードを葬れたと思い込むことといい、アレイスターを凌駕できるなどと彼に会って平然と夢想できるあの楽観思考には反吐が出るぐらいだった。 彼が一体何で、どういう存在かさえ知らない人間がどうやって超えるというのだ。
(魔導王だと? ふざけるなよシュナイゼル。 貴様にそんな器もなければ、限界を突破するだけの力も無いただの分不相応な力を偶々持っていただけの魔導師に過ぎない。 貴様にあるのはただ全てを狂わす黄金マスクだけだ。 限界突破者<リミットブレイカー>でさえない僕にさえ到達できない下種が、彼の場所までいけるものか)
ジルは限界突破者ではない。 限界突破者の一部と戦えないことはないが、彼には何一つ超えた限界がなかった。 オリジナルを模倣した偽者ではあるものの、その定義は人間の範疇にまだある。 カグヤのように”超えた”ものなど何一つ無い。 ただ、技術だけで『殲滅兵器』と同じように連中と戦える力を得ている存在でしかないのだ。 彼の父は限界突破者だったが、彼はまだそこまで到っていない。 そんな矮小な存在に、あのときベルカの地で敗北したシュナイゼルが、数百年かけたところで勝てる道理などない。 シュナイゼル・ミッドチルダはあの死者復活システムを模倣している本拠地を叩かれれば、ただそれだけで敗北する程度の存在でしかない。 バックアップを作成できるドクターも死んでいるし、それに必要な材料はアルハザードにしかない。 となれば、奴はもう完全な保険をかけることなどできはしないのだ。 その焦りゆえに、病的なまでに慎重を期しているわけだが。
「くそ、何度考えても自分の浅慮が恨めしいね」
あるいは、もっと貪欲な人間だったなら良かったのだろうか? 基本的には平和主義者で、その人の望むとおりが一番だと思っていた。 カグヤにいつか語った理想は、ロマンは、彼の本心そのままだったが。 だが、それで結局全てを失くしてしまった今、いつまでもそのままで在り続けるのは難しかった。
――ただ、この胸にある思いだけが価値を持つ。
その価値を馬鹿みたいに信じてるロマンチストにはお似合いの末路ですよ。
そう、あの言葉に嘘は無い。 だけれど、後悔をしたくなくてもしてしまうのはきっと自分が弱いからだった。 それもまた、やはり悔しい現実となって彼にのしかかっている。
「そういえば、あのときも迷っていましたね」
本当はそんなことになって欲しくは無いけれど、シュナイゼルに彼女の心を奪われてしまった時に決めたことがあった。 できうるかぎり、彼女のためになることをし続けようと。 後悔が無いわけではない。 嫌いな男の下へ、好いた女がいくのを応援するなんてこと”まとも”な神経の持ち主であれば到底許せないことだろう。 しかし、ジルはそれができる人間だった。
それほどまでに臆病で愚かな自分をジルは嫌っていたが、その狂った判断を下せる自分自身の選択には絶対に後悔するつもりはなかったはずだ。 それが彼女のためになるのなら。 嫌な男だったけれど、その男を見つめる彼女の目は決してジル・アブソリュートには見せないものであったから。 そう、自分には見えたからこそそれで”ようやく”幸せになれると言った彼女の選択を否定することができなかった。 恐らくは、過去へいってやり直してもあんな幸せそうな顔で嬉しげに言われたら、きっと”ジル”には止めることはできないだろう。 それが例え破滅への一歩だったとしても。
――僕はそれでいいのか? アルシェが好きだったんじゃないのか?
自分に何度も問いかけた。 だが、答えはいつも決まったままだ。 彼女の幸福を何よりも優先する。 それ以外を思いつけなかった。 狡い話だ。 彼女が選んだ選択であるのなら何かを言うことはできないなんてことを免罪符に、ただ逃げただけの臆病者なのだ。
胸に走る苦痛を押し殺しながら、ジルは首を振るう。 そうして気分を変え、ゆっくりと虚空を見つめる彼女の頬に手を添えた。 手から感じる柔らかな感触と温もりは、この彼女が生きていることの証明だ。 けれど、白の壁を遮るように彼女の前に顔を近づけたジルを見る瞳は、既に死人の目でしかない。 そのことがとてもとても悲しかった。 記憶の中にある彼女の姿はまだ、色あせることは無い。 バックアップも取っている。 忘れてしまわないように、記憶から消えないように何度も上書きした記憶の中の彼女は、いつも控えめに笑っている。 特に、本当に心の底から笑ったときの彼女の表情だけは頭の中から決して消えることはなかった。 とても柔和な笑顔だった。 思わず、自分自身も嬉しくなって笑みを返したくなるほどに優しげな。
――正直に言えば、ジルはその笑顔を持つ彼女を女神か天使のように思っていた。
一種の宗教だったのかもしれない。 ジル・アブソリュートだけが得た盲目の恋とも呼べるそれは、今もまだ彼の中に呪いとして存在している。 もしかしたら、それは彼が”完全”に死ぬときまでそうなのかもしれない。 それでも良いと、思っていた。 この、愚かな馬鹿者は。 その胸の痛みこそが、彼女への思いの証明であったが故に。
「なぁ、アルシェ。 僕はあと少ししたらシュナイゼルを殺しに行くんだ。 君がオリジナルだったらなんて言っただろうか? 優しい君は泣きながら俺を引き止めただろうか? それとも、僕を罵倒して殴りつける? それとも君の得意なアルカンシェルの魔法で俺を消滅させるかい?」
人形のような人間は何も言わない。 独白にも近い言葉に何も返さない。 返すことができない。
「君が言えば、俺は恐らくは止めるだろうね。 どれだけ憎くても、君に泣きつかれたら僕は奴から銃口を逸らすことしかできなくなるだろう。 止めたかったら、頼むから蘇ってくれ。 君が”本物”だと言っておくれ。 なぁ、頼むよアルシェ――」
どれだけの年月を経ようとも、ジル・アブソリュートの心は本物の肉体を失った時点で止まっていた。 これでは、死人に縋っているのと代わらない。 幸福な未来が存在しない時間の静止した生に、一体なんの意味があるのだろうか? この男が余りにも純粋すぎたが故に、間違ってしまった選択。 もし、IFがあるのならばと何度も願う願いの先に、そこには救いがあったかもしれないという何かが欲しい。 切実に、欲しいとジルは思った。 もう二度と叶うことの無い夢を馬鹿みたいに願ったまま。
「行って来るよ。 次に”君”に会うのは、多分僕と奴が死ぬ前だろうね。 それまでちょっと無理をしてくる」
その後、落ち着いたジルは医療センターを出た。 その心を満たしているのは憎悪の光だ。 なんとも救いの無い心のあり方であったが、不思議とジルは生前の自分に戻ったような自分の状態に気がついた。 壊れた心をかき集め、取り繕い、生前の姿を模倣する。 そんな愚かな自分を心の中で嘲笑いながら、”偽善者”はその場を去っていった。
まだ、終わるわけにはいかない。
――全てを清算するその日まで、この胸にある愚者の意地を抱えて生きていこう。
「――失礼するわ」
「煩い、帰れ」
研究室に入って早々の言葉だった。 まるで取り付く島も無いその言葉に、カグヤは肩を竦めて声を発した人物に視線を向ける。 そこにいるのはアルコールの入ったビンをラッパ飲みしながら不機嫌そうにモニターと格闘している中年の親父がいた。 彼の名はアムステル・テインデル。 アルハザード十三賢者第八位『殲滅兵器』であり、アルカンシェル・テインデルの父親であった。
「随分な歓迎の仕方ね。 一応私が番外位を授けられたから、その挨拶にと思って参上したのに」
「番外位なんざアレイスターが勝手に作った無意味な位だ。 んな肩書き如きで歓迎するようなおめでたい思考は俺にゃねーな。 大体十三賢者は単なる雑用係でしかねーってのに、そんなもんになったところでディープな住人にゃあ意味が無い。 浅い階層の新米はともかくとして、古株には喧嘩でも売るためだけのもんでしかねー」
だからとっとと帰れとでも言うようにしっしっと犬でも払う仕草をする。 彼がカグヤにいい印象を持っていないことを十分に察せるようなぞんざいな態度であった。 彼は彼女が嫌いだ。 あの男を連れて来たベルカの人間だということもあるし、何よりも彼女は魔法を使う。 あんな”あやふや”で”不自然”で”信頼性”の無い”不平等”なものを使う奴はそれだけで人間の敵だと彼は考えていた。
昔からそういった超常やら不自然な力を毛嫌いしていたが、娘の人生を滅茶苦茶にされたことも手伝って彼はそいういった力を皆殺しにしてやりたいとさえ思うようになっていた。 そのせいで彼は過激派のナンバーワンを張り続け、今でもシュナイゼルを発見し次第その次元世界ごと消滅させてやろうと画策している。 事実上アルハザード内部の過激派をまとめているタカ派の筆頭であった。
カグヤとしては別に嫌う理由は無いので挨拶程度は毎回していたのだが、そのたびに露骨な毛嫌いをされて些か苦手意識が強かった。 隙あらばカグヤを殺そうと画策する連中のトップなのだからさもありなん。
「……まあいいわ。 貴方が私を嫌っているのはいつものことだもの」
「おう、分かってるなら話は早いな。 ならとっととこの世から消えてくれ」
瞬間、モニターと格闘していたアムステルが小指でエンターキーを弾く。 と、カグヤの周囲を奇妙な光が覆い、次の瞬間内部空間を消滅させた。 それは侵入者迎撃用のトラップであり、あのアルカンシェルの理論を魔法科学ではなく純粋科学だけで成し遂げたアムステルの極々挨拶代わりの攻撃であった。 音も光さえ消し飛ぶその一撃が、アムステルの研究室を一瞬照らす。
「まったく、挨拶代わりにいつもいつもアルカンシェル? 娘思いなのは分かったからいい加減止めてくれないかしら?」
うんざりした様子で、先ほどと変わらぬ位置でカグヤが言う。 アルカンシェルなど彼女が理解してさえいれば決して”届かない”。 それが分かっていてもこうも執拗にアルカンシェルを打ち込んでくるアムステルの嫌がらせには、いい加減うんざりである。 というか、飽きていた。
「プハーッ。 俺もお前の芸は見飽きたがな。 なんなら直接叩き込んでやろうか? ああ?」
つまらなそうにアルコールのビンをラッパ飲みすると、アムステルが言う。 当てようと思えば当てられないことも無い。 だが、それは今いるアルハザードの研究室ごと吹き飛ばすぐらいの覚悟が必要である。 カグヤは嫌いだったが、”そこまで”する価値を見出せないからこそ、この程度で済ましてやっているのだった。 アムステルが本気を出せば第三層までは確実に粉々にできるのだから、これでも大分自粛していた。
「結構よ。 それより、貴方に聞きたいことがあるのだけれど構わないかしら?」
「……俺に聞きたいことだと? お前、頭可笑しくなったのか?」
小ばかにするように言いながら、アムステルが再びアルコールを煽る。 その目にあるのは険悪な視線だ。 冗談は存在だけにしろ小娘が。 そんな言葉が聞こえてきそうなほどの小ばかにした目がカグヤを射る。
「生憎と私は狂ってはいないわ。 ただ、アレイスターがアルハザードに蝙蝠がいると言っていたから、貴方なら目星をつけているんじゃないかと思っただけよ。 少なくとも”貴方”がシュナイゼルと内通するなんて絶対にありえないでしょう?」
「――当たり前だ。 あの魔法馬鹿と手を組むだと? 冗談でも口にするな!! あんな奴と手を組むぐらいなら俺は自分をぶっ殺す!!」
視線で殺せるような目をカグヤに向けると、アルコールの入ったビンをコンソールに叩きつける。 甲高い音を立てるビンの咆哮が、耳を打つ。 割れてはいない。 一応は手加減したらしい。 鬱陶しげに顔に出すと、今度は素手でコンソールのはしをバンバンと殴った。
「あー、鬱陶しい。 蝙蝠だぁ? んなもんちょっと考えりゃ分かることだろうが!! 今更一々聞くことでもねーよ!! 大体、その程度も分からないような奴が奥に来るなっての!! 新米は新米らしく最外装区画の六層でネンネしてやがれってんだ!!」
「……何故、蝙蝠が誰か知っていて締め上げないのかしら? 貴方過激派でしょ?」
「んなもんアレイスターの野郎に止められてるからに決まってるだろうが!! 大体だな、蝙蝠にはなんの価値もねー。 あいつ自身シュナイゼルのアホがどこにいるのかさえ知らないんだから締め上げる意味がねーだろーが!!」
「蝙蝠は捕まえても無意味ということ?」
「ああ、”俺”にとっては無意味だ。 他の連中は知れば血祭りにしたくなるんだろうが、”俺”はあいつをどうこうする気はねー。 あいつは”自分”の後始末ぐらいは自分でする奴だし、第一”どうなる”か分かってて”そこまで”するってんなら”俺”からあいつにすることなんざねーんだよ。 ああ、くそ、思い出したらまた腹が立ってきた!!」
今度は、コンソールが割れることさえ構わずにアムステルが殴った。 衝撃で凹んだコンソール。 その影響で滅茶苦茶な文字が入力されているが、気にせずにアルコールを喉に流し込むとまた悪態をつく。
「俺ぁよう剣聖、アルシェが男ができたから紹介するって言ったとき、期待してたんだよ。 あいつには物心ついたときからアブソリュートの野郎の息子がべったりだったからな。 年下だったが、それでもどこの馬の骨にやるぐらいなら、あいつにくれてやる。 それなら五千回殺すぐらいで文句ねー。 そう思ってたんだ。 俺のライバル『絶対領域』のフェイル・アブソリュートの息子だぞ? このアルハザードの根本を支える技術を一手に担っていた男の息子が自分の娘に入れ込んでいる。 見てたら分かった。 しかも、そいつはこの俺に教えを請いに来る話の分かる奴だったんだ。 一番親父に近い力を持った”アレイスター”じゃなくて”この俺”を頼ってきてやがったんだぞ? そんな話の分かる奴を期待してたってのに、なんだありゃ。 冗談も大概にしやがれよ。 奴が現れたとき、俺はアルコールのせいで幻覚でも見てるのかと思ったぜ」
娘の連れてくる男を、アムステルは最後までジル・アブソリュートだと思っていた。 事実、ジルがアルシェに好意を抱いていたように、アルシェもまた好意を抱いていたはずだ。 それは二人を見ていたアムステルには分かっていた。 だが、蓋を開けてみたら中に入っていたのは全くの想定外の異物だった。 あのときの怒りといったら、ミッドチルダを次元破壊砲で消滅させてやろうと無意識にスイッチを握っていたぐらいだ。 娘にスイッチごと取り上げられてしまって結局それはできなかったのだが。
しかも、純粋科学主義者の彼が一番嫌いな魔法主義者である。 これで激怒しない理由が彼には無かった。 あの時居合わせたジルが防御に入らなければシュナイゼルは跡形もなかっただろう。 まったく、惜しいことをしたと今でも思う。 何故、あそこで奴を一回消滅させておかなかったのか。
「あー、やっぱ腹立つな。 今からでもミッドとそいつが作ったっていう時空管理局所属世界全部破壊してやろうか、いや、それじゃあ面白くねーな。 ここは全世界に恒久的に作用するAMF力場でも形成して魔法社会ごと抹殺してやるべきか。 いやいや、いっそのこと全部ここと同じ虚数空間に叩き落して”何の抵抗もできずに消えていくのを”観察するのも面白そうだな。 殲滅するほうが手っ取り早いんだが……今度の予算で作ってみるか」
「貴方の場合、本気で言っているのが笑えないわね」
「俺に取っちゃあ連中やそれに関連した奴らは”人間”でさえねー。 ただの害虫を駆除するのになんで戸惑う必要がある?」
「アレイスターに止められるでしょうけどね」
「ふん、アレイスターが怖くて研究ができるかよ。 あの野郎もお前らも、いつか俺の純粋科学で跡形もなく吹き飛ばしてやる」
アレイスターという単語に苦虫を噛み潰したような表情をするアムステル。 アムステルにとってアレイスターは鬼門中の鬼門である。 理不尽の塊にして、超越者。 規格外のアンノウン。 最悪最低の相手である。 彼の場合はもう笑うことしかできないので、今のところアムステルは大人しくしている。 数十年に一度の実験で奴を的に次々と兵器を打ち込むが、未だに『絶対領域』と同じで傷一つつけられない。 どういうカラクリなのかまだ分からない。 科学的に立証の仕様が無い力というのは酷くもどかしくてならない。
アレが科学的に理解できる範疇にあれば良いのだが、軽くそんなものを飛び越えていた。 限界突破者もそうだが、絶対零度のさらに下の温度を生み出せたり、光速を軽く超えたり時間を逆行してみせたりと、もはや何でもありである。 あそこまで理不尽だともう笑うしかない。 スカウトされたときにはあの理不尽を科学的に解明してやろうと意気込んでいたが、いつしかそれごとを粉砕してやろうという方向へとシフトしていた。 認めたくないのだ。 科学者だからこそあんな超常の論理を。
「アブソリュートの奴も意味不明なものもってやがったが、まだ人間ができてた。 だからこそ、俺のライバル足りえたがアレイスターもあの野郎も人間として致命的に破綻してやがる。 ああ、だからこそ俺は、奴らが嫌いだ。 まだ”人間”だったなら少なくとも未知は未知だと割り切って付き合えたかもしれねーがよ」
「あら、じゃあ私も人間として破綻してるのかしら?」
「ああ、お前も十分に人間としては破綻してやがるさ」
カグヤ――シリウスという女をアムステルは毛並みは違うが連中と似たようなものだと認識していた。 この女は人間が必要なものを容易に捨てることができる女だ。 故郷という唯一無二の場所を捨て去れる精神もそうだが、”自分自身”の生にさえ無頓着になってきている。 目的達成後の展望がまったくないのだ。 あるのは贖罪の感情と、救いようの無い復讐心だけだ。 ただ、そんなものしか残っていない。 そんな無意味な生を生き続ける人間など、普通はいない。
通常のアルハザードの住人ならば目的がある。 無限の時をかけて何かを成したいという欲求に突き動かされた結果、自己が生み出した明確な欲望に従って生きる。 けれど、彼女には”そんなもの”が何一つ無い。 剣を極めるのは義務であると己に科している節があるし、彼女にとって剣とはあくまでも意地を通すための武器でしかない。 振るう理由が自身の中に存在しない以上、そんな無味生産的な人生を送ることを許容できる人格というのは、既に強欲で傲慢な人間という存在から根本的に逸脱しているようにしかアムステルには見えなかった。
人間が持ち続けるはずのものが見えず、そのせいでただただ機能するだけの存在に見えてならないのだ。 本当にそういうわけではないとは思うが、今まで聞きかじってきた風聞と自身が感じていた明確な生の感触がそうだと言い続けている。 ならば、そう判断するしか彼にはないしそれでは駄目だと思う理由が無い。 アルシェの友人ではあったが、本人がいない今そんなのは別にどうでも良いことだった。
「心外だわ。 私はこれでもアルハザードの中では常識人だと自負しているのだけれど?」
「ぬかせ剣聖。 そういう台詞は一端の”人間”になってから言えってんだ」
アレイスターは人外で、シュナイゼルは人間の屑、カグヤにいたっては人間を放棄している。 そんな理解不能な連中に好意的になる理由がアムステルには無い。
「そうだな、てめぇに足りねーのは男だ。 どっかで燃え尽きるようなロマンスでも探してきやがれ。 そしたら俺ももう少し人間扱いしてやる。 昔に忘れ去ったもん取り戻してこい」
「……どこをどう解釈すればそういう結論に至るのか不思議でしかたないわね?」
「この俺の灰色の脳細胞がそう言ってるんだから諦めろ剣聖。 ひゃっはっはっは」
自分で言っていて痛快だったのだろう。 声を上げながらアムステルが笑う。 研究室に響く酔っ払いの笑い声。 これにはさすがにカグヤも眉を顰めるしかできない。 しかも、何故にロマンスなのか。 理由を分かりやすく説明して欲しいことこの上なかった。
「……で、結局お前何しに来たんだっけか?」
「蝙蝠の話と番外位就任の挨拶よ」
「ああ、そういやそうだったな。 どうでも良すぎて忘れてたわ」
ひとしきり笑いが収まった後、アムステルは思い出したかのように話を戻す。 あまり剣聖に取る時間など彼にはない。 ないが、奴を殺すためにも少しだけヒントを送ってやることにした。 どうせ自分が直接手を下すことはできまい。 ならば、間接的にでも時を進めてやろうかとも思っていた。 きっかけにもなりはしないと自分自身で分かってはいたが。
「アレイスター的にはお前たち一番の当事者に解決させたいってのが本音なんだろうし、事実そのためにお前やジルに権限を与えてる。 だがな、それと同時に”俺たち”にお前個人に対する”答えのリーク”を封じてる何故だか分かるか?」
「……アレイスターの退屈しのぎのためでしょう?」
「そうだな。 恐らくはそんなもんのためだけに”奴”の命は延命されている。 だがな、正直そんなもんはどうでも良いって奴はごまんといんだよここにはな。 だが、そんな奴らでさえ未だに手を出していない、それは何故か? 簡単だ、奴の全部の居場所が分からないからだ。 この場合、奴の居場所とは何を指す?」
「あいつのバックアップデータが存在する拠点と、それを演算しきるだけのスペックを持った拠点」
「そうだ。 だが、それだけじゃあ意味が無い」
「それはどういう意味かしら?」
「俺たちは奴がこの封鎖世界のどこにも存在しないことを確認しなければならない。 忘れるなよ剣聖。 奴を”殺す”とはそういうことだ。 拠点破壊しただけじゃあ復活システムで復活した奴にしか意味が無い。 全部まとめて皆殺しにしなきゃあいけねーんだぞこっちは。 プロジェクトF.A.K.E<フェイク>――所謂プロジェクトFがまだ残ってやがるだろう?」
「プロジェクトF.A.K.E?」
「ベルカでもあっただろうが、そっちでなんて呼ばれてたかは知らんがクローン作って本物の記憶刷り込んで身代わり作ろうって計画。 アレのオリジナルだ。 聖王もこの技術でもしもの時に備えていただろうが。 有事の際の存在の保存、自己保身、色々と思惑はあるんだろうがそういうのがあったことは確かで、それは少しテクノロジーが発達してる次元世界ならどこでも簡単にできる」
「でも、アレは欠陥技術のはずだわ。 百パーセント同じ存在のコピーはクローンでは不可能よ」
「だが、それでも意思は残る。 奴の身代わり、偽者として奴の思考と似たような存在が生き続ける。 が、俺たちゃそれさえも”認めない”。 だからこそ、それを全部潰すためにクローンも押さえていなければならないんだ。 俺はむしろこっちで動いてる口だがな。 拠点破壊なんざ簡単だ。 ”時空管理局の管理世界と管理領域全部”まとめてぶっ壊せば良い。 当時の情勢から考えれば大体あの管理世界の、それも平定前の領域辺りにしか拠点なんざ用意できんからつまりはそこにバックアップも本拠地も存在するはずだ」
「……宛はあるの? 拠点を潰すよりもクローンの方は難しいでしょう?」
「奴は根っからの魔法主義者だ。 しかも、魔法の才能が世界のどの力よりも勝る力だと馬鹿みたいに信じてやがる。 となれば奴は絶対に魔力資質SSSランクの資質を受け継がせるだろう。 そっから割り出せば良い。 人造生命体か人間の形をした奴でSSS持ちを片っ端から調べ上げて皆殺しだ。 俺の勘では次元犯罪者かどっかの組織でいる確率が高いと踏んでる。 最低でも絶対に一人は保険としてあの時代から生き続けてる奴がいるはずだ。 でなけりゃ、”俺”がアルハザードと縁を切って疑わしい世界を片っ端から破壊しようと乗り出した場合にどうにもならんからな」
アルシェの件で作り出した負債は大きい。 ジル・アブソリュートにアムステル・テインデル。 難攻不落と殲滅兵器の二人の賢者の追跡は容赦が無いレベルに達しようとしていた。 特に、アムステルの動きは慎重に動こうとするジルと比べて恐ろしく行動的だった。 古株でもあり、アルハザードの中でも過激派の顔として知られているために顔が広いのだ。 素敵な実験場を揺るがしたという事実もそれに加えれば、そもそも穏健派などというのが存在しているのが奇跡であるというぐらいだ。 戦力比も7:3程の差がある。 穏健派勢力がそもそもの存在を保っていられるのはアレイスターの睨みがあるからで、もしそれがなければ今頃はミッドチルダとその関連世界は跡形も無く消滅しているだろう。
「……ああ、それともう一つ参考になるか分からんが教えといてやる」
大盤振る舞いだった。 本来は毛嫌いしているはずの相手にそこまで話してやる義理は無いのだが、アムステルは今日に限ってはそれを話す。 番外位襲名のサービスだった。
「あの復活したアルシェいるだろ? 欠落者扱いでメディスに収監されてる奴だ。 あいつはプロジェクトFで作られた偽者のコピーだ」
「――なんですって!?」
「オリジナルのコピーじゃあなくて、プロジェクトFのコピーだよありゃ。 欠落者に似てるのは元々データが限界一杯まで無意味なもんで埋め尽くされてるからだ。 人間の普通の反応ができないように、偽者だということをばれないようにするための細工だな。 あそこまで露骨だと、俺もいい加減馬鹿にされた気分だ。 親が子のことを分からないとでも思ってやがるのかね、あの糞野郎はよ!!」
「じゃあジルは!! ジルはずっと騙されたままだっていうの!? マメに彼女の様子を見に行ってるのよ彼は!!」
「”知ってて”やってるんだよあいつは。 事実を否定したいのか、それとも認めたくないからか俺には分からねーけどな。 ただ、そうすることで萎えそうになる自分を奮い立たせてるのかもしれねー。 まあ、分からんでもないな。 臥薪嘗胆に近い意味があると思えば……な」
「狂ってるわ」
「さあな。 それを判断するのは俺じゃあねー。 ただ、俺ならあんな偽者になんて絶対に縋らないがな。 そんなのは冒涜だ。 自分自身の思いにも、本物に対しても……だが本人からすればあれが最後の砦なのかもしれん。 自分を繋ぎとめるための儀式みたいなもんだ。 あいつは馬鹿みたいに真っ直ぐで、素直だったからな。 綺麗なもんはずっとずっと胸のうちに仕舞っとくタイプだ。 自分で触ることにさえ躊躇する程病的なロマンチストだよ。 ”現状維持”ってレアスキルをあいつが持ってるのも、案外そのせいなのかもしれねー。 あいつの親父も、あいつも、どこかそういうのを大切にする奴だったからな」
「……でも、だとしたら本物のアルシェはどこに?」
「恐らく、あのときに死んだんじゃねーか? ジルがアルシェと偽者を見間違うわけがねー。 だが、本物がここで復活してないってのは事実だ。 あいつのデータがどういうわけかプロジェクトFの偽者と入れ替わってやがって、本物のデータが今ここには無い。 自分以外がデータを弄ることは許されてねーから、本人が奴の口車に乗せられて抹消したんだろうよ。 もしかしたら、そのデータを持ち出してる可能性もある。 それがあるとしたら、奴の拠点……もしくはバックアップ先だな。 アルシェにまだ利用価値があるのなら……だが。 ただ、そのアルシェはもう完全に偽者だろう。 奴が人格を守るために改造しないってのはありえない。 好き勝手弄繰り回して、本物の原型なんて無いようにしてる可能性の方が高いだろうよ。 まあ、全部推測の域を出ないわけだが……」
救いようの無い話だった。 吐き捨てるように言うアムステル自身、拳を握り締めて震わせている。
「ただ、未だに一度もアルシェが実体を持って復活したことは無いはずだ。 そんなことをすればルナ・ストラウスのブラッドマーキングに反応するはずだからな。 あいつに頼んでアレからずっと俺は奴に使わせ続けているが、反応が一度もないとしか聞いてねー。 アレイスターなら黙ってるだろうが、あいつは嘘は言わないからな」
ブラッドマーキングとはカグヤも使っている血を用いた座標獲得魔法である。 刻んだ個人にしか絶対に反応しないから、仮にアルシェが復活して使われるようなことがあればルナが座標込みで感知できるということである。 そして、それをした瞬間に敵は本拠地を曝け出す。 使うわけがないだろうが、それでもアルシェを封じるという意味では使わないにこしたことはなかった。
「……剣聖。 俺は俺のやりたいように動くが、できるだけ早くジルと一緒に”お前”が奴と決着をつけろ。 ”お前”は俺らと違って”唯一”外でも好き勝手動き回れるんだからな」
「……ええ、留意しておくわ。 分かってると思うけどジルの用意した餌がいる。 そこから釣り上げてみせるわ」
「……ふん。 関係ない人間を巻き込み、それで釣り上げる……か。 ”常識人”にしては”冷酷”なことだな?」
「あら、彼は偶然夜天の書に選ばれたのよ? だからこそ私たちは――」
「――ああ、もういい。 もう話すことなんざねー。 とっととお家に帰って寝てろ」
話は終りだとカグヤの言葉を遮ると、カグヤに向かって背を向ける。 だが、途中で何かを考えるように虚空を見上げると、前言を撤回する。
「いや、待て剣聖。 その前に一つ俺の興味に付き合え」
「私を実験台にしようというの?」
「似たようなもんだ。 とりあえず……そうだな。 武装解除して服も全部脱げ」
「……貴方、死にたいの?」
無造作に刀に手を沿え、いつでも抜く構えを見せながらカグヤが言う。 その目にあるのは戸惑いである。 だが、そんな様子に頓着せずにアムステルは鼻を鳴らすと、剣聖に言う。
「何を勘違いしてやがる自信過剰が。 俺は死んだ女房以外に女を感じねーんだよ。 着替えはアルシェのが奥にあるからそれでも着て待ってろ」
心底馬鹿にしたような目でそういうと、研究室の奥へとカグヤを行かせる。 アムステルにとってカグヤ如きに欲情する理由が無い。 天地がひっくり返ってもありえない話だった。 憮然とした表情でそれを見て、カグヤはため息をつきながら付き合ってやることにする。 誰にも言われなかったことを”アムステル”だけが喋ってくれたのだ。 その借りを返せるのならさっさと返しておくことに越したことがなかった。 不義理というのを何よりも嫌うが故に。
そうして、カグヤが奥にいったのを確認するとアムステルは剣聖の三つのデバイスを”調べる”。 嫌いな魔法科学の産物であったが、それを無効化する研究をする過程で嫌々ながらアムステルはそれらについての知識を有している。 調整槽に全部ぶち込み、驚きの悲鳴を上げるユニゾンデバイスの叫びを無視して強引にデータを閲覧していく。
ただただ確証が欲しかった。 最悪が無いことを確認するための作業だった。 もし、そこまでしてあったのだとしたら、アムステルは”アルハザード”を出ることに躊躇しない。 親として出張ってやらなければないと考える。 それが、父親としての矜持であったから。
「……はっ。 そうだ、それで良いんだ。 お前が真っ当なら、まだ辛うじて踏みとどまっているんなら俺ももう少し我慢してやる。 ”あいつ”はお前に全部任せる。 どうなってたとしても決着をつけろよ。 遅かったら俺が全部ぶっ壊しちまうぞジル」
アムステルは苦笑しながら、そこに組み込まれたメッセージを読む。 ブラックボックスの最奥、その最深部に刻まれたメッセージ。 そこまで辿りつける人間だけが読むことのできる印。 それを見て一通り笑い声を上げるとアムステルはアルコールを煽った。
――全てを取り戻すことはできずとも、自分の意地だけは押し通そう。
例え遅すぎた始まりでも、それでもきっとそれが彼女のためになることを願って。
大馬鹿者を最後まで演じきって、最初で最後の意地を通そう。
すまない、君が気づくか分からないがこのメッセージを残す。
願わくば僕の贖罪が終わるまで黙って付き合ってくれ。
都合の良い話だが、君ならば理解してくれると信じている――
誰に宛てられた言葉なのかは考えなくても分かる。 そして、いつ見つかるかも分からないような場所にこんなものを残すような律儀で大馬鹿な”偽善者”は一人しかいない。 だが、それが彼の誇れるべき美徳である以上はアムステルがこれを彼女に話すことは無い。 義理の息子が”初めて”漢<おとこ>になろうとしているのだ。 黙って見守るのが父親の役目である。 アルハザードの賢者としては目を瞑ることは明確な裏切りだったが、それでもこの選択が”人間の父親”としては正しい選択であるとアムステル・テインデルは信じている。
「……他には無しか。 妙な細工もないし、やはり人の良い本性はそのままか。 壊れる寸前の癖に、よくもってやがるな。 俺なら間違いなく躊躇せずに引き金を引くってーのによ」
そのままニヤリと笑みを浮かべると、アムステルはブラックボックス内部に干渉する。 普通の技術者がひっくり返るようなことでさえ、平然と当たり前にやり通せるのは、彼がジルの師匠だからだろう。 よく知っている相手の作ったものだからこそ、容易にそれを理解できる。 師弟だからこそ成せる技である。 いや、もしかしたら彼ならばどんなものでも時間をかければ出来るかもしれないが。
「まあ、取り立ててやることもないわけだが……エールでも送っておいてやるか」
剣聖のデバイスだったが、そんなことは知ったことではない。 それを刻んだ唯一人に向けてメッセージを書き記すと、アムステルは調整槽から三つのデバイスを取り出す。
「うげ!? アタシになんか用かよアムステルの旦那!! てか、なんでアンタがアタシの調整してんだよ!!」
「お前にゃ用なんかねーよチビ助。 あんま煩いと質量兵器に改造しちまうぞ?」
最悪の目覚めとなったサードの悪態に辟易しながら、アムステルはカグヤが奥から出てくるのを待つ。 何でこんなに遅いのかは知らないが、とっとと用事を済ませてしまいたかった。
「ちっ、これだから……」
ブツブツと呟きながら、時間が勿体無いとばかりに実験する内容を吟味する。 その頭の中には並の魔導師なら数十回と死ねる過酷な実験内容が思案されていた。
「……酷い目にあったわ」
「ど、どうしたんですカグヤ? 珍しく随分とボロボロのようですが……もしかして、過激派にでも襲われましたか?」
「アムステルのところに顔を出してきたのだけれど、妙な実験に付き合わされたのよ。 ああ、デバイス全部チェックしてくれない? なんかしてたみたいだったから」
「はぁ、それは構いませんけど……」
どこか疲れたような顔をして研究室にやってきたカグヤ。 いつもと違って威圧するような超然とした感覚が無く、まるで嵐にでも巻き込まれたかのようなほどに疲弊していた。 ジルはデバイスを受け取って中身を確認するが、特に何も細工がされていないことを確認していく。 と、一瞬その腕が止まった。
「……彼、何か言ってましたか?」
「”いいえ”、これといって何も。 ただ、”アルシェ”のことを少し話した程度かしら?」
「そう……ですか」
「何? デバイスに何か細工でもされてたの?」
「いえ、そういうわけではないんですけどね」
苦笑しながら、”遠まわし”な友人の話に首を振るとジルはデバイスの確認を終える。 そしてカグヤに尋ねた。
「で、結局何の実験に付き合わされたんです?」
「AMF<アンチマギリンクフィールド>内と虚数空間内で私が一体どれだけ戦えるかの戦闘データの収集をされたわ。 魔導師……というより私は魔導剣士だけれど……分かっているのかしら? AMFはほとんど魔法が使えないほどの濃度だったし、擬似虚数空間内ではそもそもまったく使えない。 戦闘だってほとんど魔導師には不可能でしょ? そんなことは分かりきっているのに一体どういう意味あったのかしらね?」
「魔法を潰すには一番効果があるからでは? 貴女クラスの魔導師を無効化できるというのなら、もうほとんどの魔導師は死ぬしかないでしょうし……」
「貴方は別でしょ? 現状維持があるもの」
「はは、まあそれはそうなんですがね。 でも……ああ、そうか。 叔父さんはそれを危惧しているのか……可能性としては……ありえるのかな? ……ところで、結局カグヤはそれを乗り切ったのですか? 魔法を使えなかったんでしょう?」
「悔しいけど、スキルを使って逃げ回るしかなかったわ。 魔法を使えないとああも脆弱になるのは痛いわね。 第三位にでも今度弟子入りしてこようかしら。 彼の戦闘技術なら魔法と同等の力を出せるんでしょう?」
「……いや、あの人はもう激ヤバですよ? 生まれつきの限界突破者なんですよ? 文字通りの人外です」
「だからこそじゃない。 生身でアレだけ戦えるコツを知りたいのよ」
「……まあ、程ほどにしてください」
自身の剣を高めることに余念がない少女にため息をつきながら、ジルは言う。
「ああ、そうそうお土産があるわよジル。 随分と懐かしいものみたいだけどね。 アレだけ苦労して手に入れたものだから”価値”はあるものよ」
「アルバムですか?」
「ええ、随分と可愛らしい子供時代だったみたいね? アルシェにべったりじゃない貴方」
「あははは、これはとて恥ずかしいものを持ち出してきましたねカグヤ。 いやぁ、あの頃僕はほとんど彼女と一緒に過ごしてたんですよ。 ほら、ほとんど彼女と一緒に僕が映ってるでしょう?」
アルバムをパラパラと捲ると、幼いアルシェにくっつくようにしてこれまたさらに幼いジルが映っている。 そのどれもが無邪気に笑っており、幸せそうなものばかりだった。 今とは比べ物にならないほど幸福だった時代の記録。 ジルは泣きそうな顔でそれを眺めた。
「テインデルの叔父さんは……義父さんはアレで中々に家庭的でしてね。 夜は絶対に定時で帰ってきて夕飯を作ってくれました。 僕の父は出不精だったんで、手料理も雑でしたけど彼の料理は本当に美味しかった。 また食べたいですねぇ」
「……アレで料理が得意なの? 想像ができないわね」
「主夫顔負けの家事スキルを持ってますよ? アルシェが料理を覚えても絶対に夕飯は自分が作るって譲らなかったですし、掃除洗濯も完璧です。 家庭も仕事も完璧にこなせる人ですよ。 しかも家族サービスを休日には絶対に欠かしません。 父親の鑑のような人ですね」
「……過激派の実力者とは思えない事実ね」
「はは、手が早いのは確かですけどね。 アルシェに粉をかけようとした人間は例外なく半殺しにしてましたよ。 例外は僕ぐらいですかね? ”出身世界ごと吹き飛ばされたくなかったら俺の娘に手を出すな”が常套句でした」
「想像できそうで怖いわね。 もしかして滅んだ次元世界の何割かの崩壊に彼関わっているんじゃない?」
「そこまでは知りません。 まあ、でも今はそうとう我慢してるはずですよ。 爆発するときが来たら、本当恐ろしいことになりますね。 封鎖世界崩壊の危機です。 この僕が保証しますよ。 ”彼”はやるとしたら確実に”全部殲滅する気で”動きます。 殲滅兵器の二つ名の通り、文字通り全部を殲滅するために動きますからね。 妥協が一切ありませんし、本気で挑まれたら僕じゃあ相手にもなりませんよ」
「相手の方に同情するわ。 個人単位では私自身結構やれる方だと思うけれど、彼はそもそも”何もかも”を破壊する方向の力を潤沢に持っているんだもの。 恐ろしいことこの上ないわ」
「まあ、敵にする理由がなければまったく無害で暖かな人なんですけどね。 アレからずっと酒飲みになっていることが心配ですが……」
「彼、そのうち魔導師全部駆逐しそうで怖いわ」
「はは、ありえそうですね。 そしてそれができるからこそ恐ろしい」
二人して笑いながら、会話に花を咲かせる。 アルバムの残っている写真を説明しながら、しばし過去に思いを馳せる。 何事もなければ、今もそうやって過ごしていたのだろうか? 一枚一枚の写真と記憶を照らし合わせながら、暖かな記憶を蘇らせていく。 感傷的な自分がいることをジルは知っていたが、まさかアルバム一つでこうも心をかき乱されるとは思いもしていなかっただけにその記録に刻まれた確かな温もりには胸が熱くなってしょうがなかった。
「さて、そろそろ行くわ。 存外盛り上がってしまったけど、次にこれを話題にするときは”三人”一緒のときにしましょう」
「……そうですね。 そんな日が来るのなら……いつか、必ず――」
しんみりとしたした言葉を吐き出しながら、ジルは去っていくカグヤを見送る。 結局、アルバムはジルが預かることになった。 テインデルの一家としての自分。 そんな宝物のような時間を心に刻みながら、大事な記憶を保存するために彼は自分からそれを言った。 カグヤも元々そのつもりだったのだろうが、ジルは自分からそう言うことで大事なものを取り戻したかったのかもしれない。
「……一枚貰っておこうかな。 励みになりますしね」
ページを捲り、一番気にいった一枚をアルバムから取り出す。 それは、幼い自分とアルシェがアムステルの無骨な両手で抱きしめられている写真だった。 恐らくは、それを撮ったのは父だろう。 微かに残っている記憶を掘り返しながら、ジルはそれを白衣の胸ポケットに大事そうに仕舞うと仕事を再開する。
ケジメが必要だった。 他人が理解できずとも、自分が胸を張って逝ける確かなものを彼は求め続けていた。 ジル・アブソリュートとして、そしてテインデル一家の一員としての自分に誇れる、胸を張れるようなそれをやり通せたなら、もうそれだけで満足だ。
ジルはそう自身に言い聞かせると、そのまま自分の研究に戻った。 その研究が完成することは生涯ないだろう。 だが、それでもそれをやり続けるのはアブソリュートの血筋がそれをさせるからだった。 そうして、自分をやり通しながらジルはただひたすらに時が来るのを待つ。 イレギュラーの彼が来たということが、それが自分の天命なのだと結論付けて。
ただ、ジルは一つだけ忘れていたことがある。 いや、自分の記憶から抹消していたことだったか。 あのイレギュラー存在を作りだしたのが”そもそも”自分であるということだ。 あの存在こそが、自身の研究の一つの成果だったということを意図的に自分の記憶から消去した彼はもうそれを覚えていない。 だからこそ”彼”は”彼”を招かれざるイレギュラーだと”信じて”彼は振る舞い続ける。 偶然でも成し得た一つの明確な奇跡を、二度と決して思い出すことなく。 いつの日か彼の研究が偶然にでも成せたという事実を”アレイスター”や誰かが彼がいなくなってから気づくことになるその日まで。
――アブソリュートの名を継ぐ者は、ただそうして黙々と仕事をこなしていった。