憑依奮闘記 第十六話
2008-08-04
完璧無敵の超人なんて、この世にはほとんどいない。 少なくとも、皆どこかしらに欠陥がある。 それが普通の人間が持っている限界だ。 もし、この人間の持つ限界が無い人間がいたとしたら、そいつは恐らくは限界突破者とか超越者とかの称号を得ているだろう。 けれど、そんなのは滅多にいるはずがないし、いたとしてもそれは”奇跡”を起こせる勇者とか英雄とかそういう存在でしかありえない。 では、俺が相対する執務官殿はどちらだろうか?
決まっている。 少なくとも、俺の中にあるイメージでいえば彼は万能系でこそあるもののそれはただ単に強いだけの万能であって、無敵ではない。 ならば、確実にそこが付け入る隙であるだろう。 彼のプロフィールやヴォルク提督の印象などから鑑みるに、彼は一応表向きには敵を侮ることはしないと思われる。 また、執務官になっているということはその思考は最小限の労力で最大限の効果を高いレベルで狙えるほどの合理的思考を有しているはずだ。 彼の出自によってか知らないがその感性はどちらかといえば俺たち低ランク魔導師に近いのだ。 だが、それでも彼は俺たちと違って明確な力を持っており、彼の模擬戦の映像を見るにそのせいでやはり行動が力押しばかりだった。 何度も痛感してきたことだが、魔力があるということはそれだけで決定的な差を生み出すのである。 その差が恐らくは彼と俺との明確な差である。 だからこそ、そこを突かねばならない。
一般に声高く叫ばれてはいないが、高ランク魔導師を倒す方法は簡単に思いつくだけでもいくつかある。 何故かそういう邪道的な手段は訓練学校で話題にされないのだが、それは恐らくは”その事実が”現在の高ランク魔導師至上主義社会に亀裂を走らせるからだろう。 だから”あえて”目を瞑っているような気がする。 どの教本にも、”魔導師としての戦い方”は記されていても”対高ランク魔導師戦闘の方法”が記載されていない。
”教員”たちから”彼ら”の強さは語られるが、やはりそれを打倒するために必要な話などはほとんど聞いたことがない。 例外はミズノハ先生ぐらいで、明確なそういう話を授業中で聞いたことがないのだ。 自分で考えろということなのか、それともやはり”そんなものがあったら困る”のかは知らないけれど、何か不自然なものを感じる。 あるいは、”そういうこと”を考えるという思考がそもそも異端なのだろうか? 中身が”純粋ミッド人”ではないから不思議に思うのだとしたら皮肉な話だ。
一応、自分なりに高ランク魔導師を倒す方法をいくつか考えていた。 一つ目は人間としての限界を利用する方法。 俺のスタングレネード魔法のようなものだ。 人間が人間として存在する限りはアレの直撃をまともに受けて平然とできる魔導師はいない。 いたらそいつは人間を止めているとしかいえない。 また、このカテゴリー内に入る別戦術といえば、食事に毒を混入するとか、BC兵器とか毒ガスなんかの作戦もありえる。 無論、そんなことをすれば一発でお縄につくわけだが。
二つ目は、魔法の限界を突いた絶対に防御できない魔法を叩き込むこと。 例を挙げれるとすれば一つ目と被る戦術でもあるが強制転移魔法を使うことだろう。 これで宇宙空間にでも強制転移すれば、次元空間や宇宙空間活動用の術式を組んでいないバリアジャケットを着ている通常の魔導師を簡単に潰せる。 一番推奨したいのが、次元転送魔法でもまあいいのだが強制転移が防げないことを利用して魔導師を太陽に直接放り込むことだ。 これをやられれば、どんな高ランク魔導師もお陀仏だ。 あの熱量に耐え切れるだけの防御魔法を瞬時に編むことなどどのような魔導師にも普通はできまい。 ていうか、あの熱量を遮断する魔法など存在するのかさえ不明だ。 まあ、基本的に殺傷が前提であるからこれも犯罪者行き確定の恐ろしい戦術といえる。 無論、方法として存在してるだけであってそれを実行するのにはかなり危険を伴うというのは言うまでも無いし、そのための転送系魔法を習得するだけの勉強と実力は必要だろう。
そして三つ目、なんらかの手段を持って敵に魔導師として戦わせないようにすることだ。 人質を取るなりなんなりして、戦わせることを禁じれば良い。 あとは罠とか闇討ちによる暗殺で相手が戦闘態勢に入る前に一方的に殲滅するというのがある。 まあ、やれば確実に犯罪者なので普通に悪人しかできない戦術だ。 もっとも、悪人になって時空管理局を敵に回しても良い覚悟が俺にあったならやるかもしれない。
思いついた限りでは大体この三パターン。 無論、本当は自分の地力で敵魔導師を圧倒できることが望ましいのだが、そんなことができるのは一握りの魔導師だけだ。 現状、奇策を狙うしかない身の上としてはこの三つのうちのどれかに当てはめて戦うのが無難だ。
色々と考えて、まあできることはやったつもりである。 どうしようもない戦力差だがやるしかない。 俺自身のため、誰かさんのため、まあ理由なんていろいろだ。 ただ、誰かさんのことも考えるなかで、一つだけやばいことが頭に浮かんでしまったのは最悪だった。 なんてことはない、気づいてしまったのだ。 ”エイヤル”と”ディーゼル”のどちらが勝ったとしても”結局フラグが立つかもしれない”ということに。
原作が再現される可能性は低いと思う。 現状維持を持つ俺が夜天の書の主である限りは。 これは現在の俺の手持ちの情報の中から推察すれば起こりようが無いはずのことである。 だというのに、不安は拭えそうにない。 戦って勝った奴が本物の”クライド”だと考えるならば、この場合は”どちらにも”条件が当てはまってしまう。 勝っても負けても”条件を満たしたクライド”が生まれる可能性が残るのだ。 あー、つまりはこの話を受けた時点で俺にとっても誰かさんにとっての最悪になるのかもしれないということ。 全くもって、笑えない話だ。 だとすれば、俺は是が非でも勝つ必要が出てくる。 世界が俺の意のままに動くのならばこんなことを悩む必要はないが、『この世界はいつもこんなはずじゃないことばっかり』らしいので、可能性が思いついたのなら潰さねばならない。 とはいえ、それが潰せないのだとしたら逆に飲み干して超越するぐらいの気構えが必要であるだろう。
「とりあえずは時間稼ぎと様子見が必要。 要するに”現状を維持”して対処方法を捜索、確立する時間の確保をしなければならないわけだ」
結局、そこに行き着くのか。 散々考えて出た結論がこれである。 ヘタレすぎる自分に涙が出そうだった。
今更不安を口にしたところでどうにもならない。 既に時は来たわけで、後はただぶつかるのみである。 どうなるかは神様しか知らないわけで、後は神様のお祈りするぐらいしか勝率を上げる手段はないだろう。 だが、よく戦いは勝負をする前に既に決着がついているという。 勝てる算段をつけている方が勝つという意味の言葉だと思うが、だとしたら少なくとも悪い勝負にはならないと思われる。
――さて、執務官殿に一つ胸でも貸してもらうとしましょうかね。
憑依奮闘記
第十六話
「ターニングポイント」
陸士訓練学校では、最終学年において管理局員が参観する日が何度かある。 これは優秀な魔導師の卵を確保するために行われる一種のスカウトが集まる日だった。 才能豊富な魔導師の数は少ない。 だからこそ、早くから唾をつけておこうというのだ。 無論、OBが懐かしさで来訪することもあるのだが、この日はどの学生も緊張した面持ちで授業に取り組むのが常だった。
無論、個人個人のデータを局員たちは渡されているためそれを目安に動き、放課後などには気になる生徒に声をかけて交渉したりする。 もしこれでスカウトされればもうほとんど進路は決定したも同然なのだから、学生たちも気を抜けない。 また、参観する局員が本局<海>と地上<陸>で凄まじいデッドヒートを繰り返す日でもある。 魔導師はとにかく人材不足だ。 人材を確保したいという気持ちで彼らは一杯であり、より良い条件を相手以上に提示して優秀な学生を手に入れようと力を入れないはずはないのだった。
とはいえ、ほとんどそれは結果の決まりきった戦いといえる。 時空管理局の本局、とりわけ海と呼ばれる本局と陸と呼ばれるミッドチルダ地上本部ではそもそもの規模が違う。 資金も、それに注がれる憧憬も、全てが全て陸は負けている。 広大な次元世界を管理するための巨大な組織と一世界の組織とでは比べるべくもない差があるのだ。 資金、人材、装備、数え上げたらきりがない。 そして海の局員たちは一般的にはエリートとされるものたちばかりで構成されているため、それへの憧れというのは潜在的に強いものがあった。
陸が勝っていることといえば、熱意だろうか。 決して恵まれない環境のなかであっても、それでもミッドチルダの治安を守りたいという正義感を持っている人間が多い。 だからこそ、彼らは必死にスカウトをする。 ギリギリの条件を可能な限り提示して交渉し、ギリギリまで粘り強く語りかけるのだ。 だが、現実は厳しい。 その熱意に負けて地上本部へと行くものも少数存在することは確かだが、やはり学生たちの夢は本局にあることが多い。 待遇、夢、装備、憧れ、総合的に人間が判断するほとんどの部分を海が抑えている以上は、陸が海に負けることは仕方のないことなのかもしれない。 その事実が、陸で必死に働く人間にとっては悲しい現実となっていた。
優秀であればあるほどその魔導師を本局に吸い上げられていく。 残った魔導師が無能というわけではなく、魔法を使えるという観点からすれば十分に優秀なのだが、それでも確実にランクは下回ってしまう。 例外は初めから地上で勤務することを選んでいた者たちぐらいだ。 そのせいで、陸はいつも人手不足が深刻である。 だからこそ彼らは海を嫌っており、海はエリートな高ランク魔導師が少ない陸をどこか見下した思考でいることが多い。 基本的に優先されるのが犯罪の規模からいって海だし、本局の優劣というものが現実に存在する以上はこの対立は一種の構造問題であったのかもしれない。
と、そんな日の只中にあって、しかしリンディはどちらにも目をかけられることなくミズノハの最後の授業を受けていた。 彼女の場合は例外だ。 既に本局で嘱託の資格を取っているのだからその身柄は基本的に本局にあるし、”ハラオウン”の名を受け継ぐものは皆本局へといくと半ば諦められていたからだ。 事実、リンディが地上へ行くことはありえない。 彼女には彼女の目的がある。 それを達成することが陸では出来ない以上、それは仕方がないことだった。
「さて、これで私の授業は最後になるわけだが……今日はいつもの模擬戦ではなく講義をやる」
「……講義ですか?」
自他共に認める戦闘狂の最後の授業とすれば、それは不思議なことだった。 最後だからこそ、全力で私を倒してみろとか言いそうだっただけに、コレにはリンディは首を傾げざるを得ない。 バリアジャケットを纏わずに二人して模擬戦場への道を歩きながら話を続ける。
「そう、講義だ。 これは現在のミッドチルダの魔導師にはタブーな内容でな、本当なら教えてはならないのだが、お前には必要だから教えておこう」
「……それはえと、どんなことなんですか? そんな話は聞いたことが無いんですけど」
「当然だ。 これは過去、特に黎明期前後に用いられてきた非合法戦闘手段であり、今の管理世界には必要がない手段ばかりだ。 管理局の裏話という奴だな。 大体は口伝で伝えられるが、最近はこの存在自体が闇に葬られている」
「それは、私が知っておかなければならないことなんですよね?」
「そうだ。 ”高ランク”魔導師であるお前は知っておかなければならないことだ」
神妙な顔をしてそういうと、ミズノハは天を仰ぐ。 この話事態がタブーなのは、現在のヒエラルキーを破壊するにたるだけのものがあるからである。
「まず、そうだな。 何から話したものか。 ……”高ランク魔導師”に”低ランク魔導師や魔法が使えない者”は勝てないという話が一般的だな?」
「そうですね、それが”常識”です。 例外みたいな狡い人が中にはいるみたいですけど……」
「ふふ、そうだな。 クライド・エイヤルや”私”のように限定的にそれを覆そうとするふざけた奴も中にはいる。 だが、あいつや私は合法な手段を持って高ランク魔導師を倒すことを選択する。 だから、あいつもまだ問題は無い。 というか、あいつのことだから恐らくは分かっていてもしないだろう。 リンディ・ハラオウン。 魔導師を一番効率よく倒す手段は何か知っているか?」
「……いえ」
「あいつなら話していそうだが、そうか。 話していないのか。 ならばやはりこの時間を取ったことは間違いでは無いようだな」
「非合法戦闘手段ですから、法に触れる類の戦術なんでしょうか?」
「うむ。 当時、管理局発足前の段階において新しい管理社会魔法によって築こうとしたが、あまりにその案が奇抜すぎて賛否両論が次元世界中で巻き起こっていたという。 特に、周辺の次元世界を平定したとはいえ、それに反対するものの中に対魔導師戦闘法を確立しようとしたものたちがいた。 そんな彼らが生み出したものでな、魔導師を無力化することだけを突き詰めた方法が存在したんだ。 無論、管理局推進派がそれらを闇の中に抹消したが、そのデータを持ち出した生き残りなどが少数ながら次元世界中に散らばっているらしい。 つまりは――」
「――彼らと敵対した場合にはそれに対抗するために知っておかなければならない?」
「そういうことだ」
対魔導師戦闘法。 魔導師が魔導師を倒す手段ではなく、魔導師とそうでない者もしくは弱い魔導師が戦うために編み出した対魔導師戦術。 質量兵器が十分に使用可能だった時代の遺物であり、今はもう存在されては困る類のものだった。
「AMF(アンチマギリングフィールド)の理論もそうだが、ああいう魔法を無効化する技術や魔導師を効率的に殺害する方法などが実に幅広く研究されていたそうだ。 まあ、そのほとんどが常識的に見て危険すぎるものばかりだったからこそ、抹消されたわけだな。 管理社会を構築する上で邪魔だったからこそ排除したという側面もあったのだろう」
ミズノハもどこまで本当なのかは知らない。 だが、先達の魔導師や古い人間から教えられたぐらいで、その全容を掴んでいるというわけではない。 情勢から考えればそういうことがあっても可笑しくはないので、否定することができないからこそあったかもしれないものとして捉えているだけに過ぎない。 ことが起こった背景を今さら問題にしてもどうしようもないというのもある。 タブーとされ抹消された物事だ。 闇に消えたそれらを調べることなど個人では到底出来まい。
「だが、抹消されたとはいえそれを継承している人間がいるかもしれないし、またそれを研究し続けている輩がいないとも限らない。 そういった場合、彼らがまず狙うのは”お前”たち高ランク魔導師だ。 低ランク魔導師も脅威ではあるが、単独で街を焼き尽くせるほどの火力を持っているかもしれないお前たちの方が危険な存在であるということは口にせずとも分かるだろう? だからこそ、お前はそれを知っておかなければならない」
「……なるほど」
「管理局の高官が暗殺された事件や、逮捕された次元犯罪者の仲間による報復テロなどもある。 特にここ最近、表向きには穏やかに見えるがどうも少しずつミッドチルダの治安も悪くなってきている。 知っているに越したことは無いだろう」
そういうと、一旦ミズノハは口を閉ざし模擬戦場の先へと進む。 周辺には誰もいない。 午後の授業で皆出ているからだ。 時折模擬戦場の奥の方から戦闘音が木霊してくることから授業をしていることは分かるが、目に見えて近くでやっている人はいなかった。
「さて、ここらで良いか」
その後、ミズノハが聞きかじっていたいくつかの方法をリンディは静かに聞いた。 そういうやり方があるということだけ頭に入れておけということだった。 話された内容はどれも現在の”魔導師”が普通には考えないことばかりだ。 質量兵器を用いて戦争をしていた頃の戦術や、テロリストが使う類の戦術。 開発されていたという噂のAMFやそれに関連する技術。 特にトラップと暗殺の類の話については頬を引きつらせるしかない。 えげつない方法ばかりがミズノハからは話され、リンディは少しばかり怖くなる。
「一番多いのは不意打ちによる暗殺だ。 魔導師が戦闘態勢に入る前にそれをされては、さすがに我々でもどうしようもない。 特に恐ろしいのは我々がプライベートなときを狙われることだな、だからこそ金を持っている高ランク魔導師の多くはホームセキュリティーを欠かさずに導入する。 そこには”明確”な理由があるからだ。 それに、高ランク魔導師の名は売れやすいから標的にされやすいのだ。 気をつけておけよ? お前は特に危険だ。 ハラオウンの魔導師がしょっ引いた犯罪者の仲間に報復を誓う奴らが出てくるかもしれんからな」
「……はい」
嫌な話だったが、どうしてミズノハがこの話をしたのかをリンディは理解した。
「例えば、こんな風にだ」
ミズノハが指を弾く。 と、その瞬間リンディの背後からいきなり何者かが現れ、リンディへと攻撃を開始する。 無意識に展開している極小範囲のグラムサイトが無意識的に領域を侵してきた存在に反応したが、行動を起こすよりも拘束の方が早い。 抵抗する間もなくリンディの小さな身体が地面に倒され、背中にゴツゴツした感触の物体を押し当てられる。
「……と、まあこんな具合だ」
「……なんか狡いです」
「ミズノハ先生、二分の遅刻ですよ?」
「これはすまないミハエル先生。 だが、さすが『無音の魔導師』ですね。 そこまで見事に忍べる魔導師は貴方ぐらいだ」
「いえいえ、私なんかまだまだですよ。 どこぞの提督の飼い猫と比べるとまだまだ未熟です」
ミハエルはそういうと、拘束したリンディを開放する。 その手に握られていたのは玩具の銃だ。 小さなプラスチックの弾丸を空気の力で発射するだけのものだったが、もしそれが本物であったなら、引き金を引かれた時点でリンディの命は無かっただろう。
「まあ、こういうことだな。 光学迷彩の技術なんかは普通の質量兵器でも確立されているし、銃なんてのは次元世界を探せば簡単に手に入るのが現状だ。 質量兵器撤廃を訴えても、裏で暗躍する連中は後を立たない。 バリアジャケットさえ着ていればその程度は”普通の魔導師”には問題ないが、奇襲されればこうも脆い。 こういう戦術はごくごく初歩だが、それでも察知されるまではこれは非常に有効な戦術だ。 ただの人間は銃弾に勝てない。 魔導師が魔導師として戦う前に制圧する方法など幾通りもあるだろう。 それに、今のお前は子供だ。 大人にいきなり襲われては魔法を使わなければ対処できんだろう。 魔法を使えなければSランク魔導師もただの子供だからな」
「なるほど」
「まあ、これは極端な例だがな」
そういうと、ミズノハはミハエルとへ視線を飛ばす。 ミハエルは頷くと補足を入れる。
「加えて、管理外世界のフリーランスの魔導師の中には魔法と質量兵器の両方を使う人間もいる。 そういう人間がさっきの私のように動くというのもありえるだろう。 正規の管理局の魔導師ではありえんが、そういうのもいるかもしれないというのを覚えておきたまえ」
「はい」
ミハエルもミズノハも実際に質量兵器保有者と戦ったことがあるが、さすがにやられたことは無い。 だが、それでも連中には連中のやり方があり、セオリーがあることを知ってもらわなければならない。 現状、ミッドチルダは質量兵器の類を封印しているせいでそういったものが原則存在しない。 だから知識としてはそういうものがあるということは知っていても、それ止まりになることがある。 それでは困るし、やはり教えられることは教えるというスタンスでミズノハが教育に臨んでいる以上はこういう話もまた、するのだった。 その後、午後一杯ミズノハとミハエルの体験や実戦で得た現場の話などの講義が続いた。
「さて、そろそろ授業は終りだが。 もう少しだけハラオウンには付き合ってもらうぞ。 ミハエル先生彼女を借りていきますよ」
「了解です。 ”例”の模擬戦ですね?」
「サプライズも結構ですが、やはり”知らされていない当事者”の立場からすればこれほど馬鹿げた話は無いでしょう。 ここは一つ、奴に発破をかける意味でも”本人”を連れて行くべきでしょう」
「はは、貴方は彼よりなのですな?」
「生徒を応援しない教師はいないでしょう。 それに何より、相手が”高ランク”魔導師であるというのなら尚更味方する理由が無いですよ。 私はああいう先天的理不尽に”背を向けず立ち向おう”とする魔導師が大好きですから」
「なるほど、貴女らしい」
「一体なんの話なんですか?」
「なに、余興だよ。 はた迷惑なお節介とでも呼ぶべき。 それで良いかどうかは結局当人次第なのだろうが、私はああいうやり方はあまり好きではない。 何よりもロマンが無いからな」
「ロマン?」
首を傾げるリンディをよそに、苦笑をするとミズノハは彼女を連れて本日のメインイベント会場へと向かう。 無論、彼女自身に興味が無いわけがなかった。 奴がどういう戦い方をするかは分からないが、もし万が一にでも勝てたとしたら、またアークの店のラーメンでも驕ってやろうかと彼女は思う。
戦闘狂は口止めされているわけではないので妖精に知っている全ての事情を話すと、自身の知らぬ間に動いていた状況に思考を停止させた少女を促して進んでいった。
ボンヤリと、クライドは空を眺めながらザフィーラとともに決戦場の入り口にいた。 決戦場の入り口には二人が作った看板が三つある。 『関係者以外立ち入り禁止』『大蛇に注意』『緑の自然を大切に』とペンキで書かれた看板で、目立つように赤のペンキで書かれたそれらが自己の存在を大いに主張していた。 あれなら、嫌でも目に入るだろう。
クライドはもはや人事を尽くして天命を待つだけの状態である。 ことここに到れば、もはや迷っている暇さえない。 時間が過ぎ去るたびにドクンドクンと波打つ心臓の鼓動と、勇む心に自身の身体を振るわせる。 ブルブルと震える指先。 緊張しないわけがなかった。 宮本武蔵と戦った佐々木小次郎の気分である。 待ち人や対戦者が早くきやしないかと、神経質そうに何度もチラチラと背後の道を振り返ってはため息をつく。
「随分緊張しているようね?」
「――あう!?」
澄んだ女性の声と、知り合いの小さな悲鳴がいきなり背後から聞こえてくる。 ビクッとして振り返ってみると、そこにはいつかのカリスマの少女と背中から炎の翼をはためかせるフェレットが一匹いた。
「――何者だ!?」
「待て、ザフィーラ。 知り合いとミーアたちだ」
威嚇するように子狼形態で言うザフィーラに、それをクライドが遮る。 最も、何故カグヤがミーアと一緒にいるのかが分からなかった。 若干首をかしげながら、しかしミーアたちが”間に合った”ことに安堵のため息をつく。
「よう、久しぶり。 カグヤにミーア、あとアギトもな」
「ごきげんようクライド・エイヤル。 今日は少しばかり楽しそうな催しをやるみたいだから、暇つぶしに見学させてもらうわよ? お土産も持ってきてあげたし、文句はないわよね?」
「お土産って、ミーアたちのことか?」
「ええ、渋滞に巻き込まれてたから私がつれてきてあげたのよ」
「だまらっしゃい襟首女!! いきなり現れていきなり拉致していくなんて、あんたふざけてんじゃないわよ!!」
フェレットがカグヤの身体をよじ登るようにして駆け上がり、耳元で盛大に抗議の声を上げる。 ついでに、いつかのようにペチペチと肉球で攻撃するのも忘れない。
「ふふ、見た目どおり可愛らしい攻撃ね」
シュッシュッと空気を切り裂きながらフェレット級パンチを次々と見舞ってくるミーア。 くすぐったそうにその頭を軽く小突くと、カグヤはミーアを無造作にクライドに投げる。
「ひゃっー!?」
放物線を描きながらクライドのまん前に飛んでくるスカイフェレット。 それをキャッチするとクライドは肩に乗せてやる。
「……割りと豪胆だな。 あいつに肉球で攻撃するとは」
「命を惜しむな名を惜しめだよお兄さん。 スクライア一族として、断固としてあの女には負けてやらないの!!」
「……賑やかなことだな主よ」
いつの間にか、緊張で強張った表情消えていた。 毒気を抜かれたというか、いい意味でいつもの調子がクライドに戻ってきていた。
「はは、まあがんばってくれ。 さて、最後の打ち合わせといこうかアギト?」
「あいよぉ」
スカイフェレットがフェレットに退化する。 ユニゾンを解除したアギトが、フワフワとクライドの元に向かいヒソヒソと会話しながら戦術をつめていく。 さらに、それがある程度終わるとクライドはアギトにミラージュハイドの魔法をかける。
「じゃ、そういうことでな」
「あんま気が進まないけど、しょうがねーな。 アタシが一肌脱いでやるよ」
「キャッ!?」
その二人のやりとりを盗み聞きしようとこっそり聞き耳を立てていたミーアだったが、いつの間にかカグヤの手の中に納まっていた。 例によって、カグヤがミーアを”引っ張った”のである。
「興味が沸くのは分かるけど、少しばかり大人しくしていなさい。 先を知ってしまったらつまらないでしょう?」
「だからって、そうやって何食わない顔でそれ使わないでよね。 うう、思い出しただけで背筋が凍るわ」
全身の毛をプルプル振るわせるミーアの頭を撫でるようにしながら、カグヤは少しばかり目を細める。 正直にいえば、このような催しに顔を出すことにカグヤとしては意味が無い。 メリットもないし、こんなことは暇つぶし以上の理由がないのだった。 なら、何故来たのかといえば、彼がやろうとしていること如何によっては、某提督殿が確実に邪魔をするだろうと踏んだからである。 何せ、クライドの作戦は時空管理局のタブーにギリギリ抵触する事柄を含んでいるのだ。 クライドを監視している彼女は、ミーアに言ったこととは裏腹に大体やりたいことを察していた。 だからこそ、最悪クライドの邪魔をするだろう提督を抑えるためにここにいたのだった。 お節介といえばそうだったが、それでも誰も実力で”提督殿”に意見を述べられる人間がいない以上は”ソードダンサー”としての立ち位置でもって魔法言語で介入できる彼女しか場を”抑えられない”。
彼女としてはそこまでしてやる義理は無いのかもしれなかったが、巻き込んでいる以上は少なくとも彼の先に抵触する事柄についてぐらいは援護してあげるのも吝かではなかった。 彼女はもう、分かっていて何もしないのは嫌なのだ。
(本当にあの子が欲しいのか、それとも別の要素が絡んでいるから休学してまで勝ちたいのかは知らないけど、ここが貴方の人生のターニングポイントだというのなら手を貸してあげるわクライド・エイヤル。 最悪、ミッドチルダから追い出されるようなことがあってもヴァルハラへ招待してあげるから、思う存分貴方の”意地”を通して見せなさい)
「貴女……何笑ってるの? お兄さんにまた何か企んでるの?」
薄っすらと笑っていた彼女を訝しんでミーアが尋ねるが、それを頭を撫でることで無視するカグヤ。 だが、ふっと思い出したかのように一言言った。
「貴女、割と撫で甲斐がある毛並みよね?」
「勿論よ。 私の毛並みは次元世界一だもん」
どこからその自信が沸いてくるのかは知らないが、自信満々に言い切るフェレットの負けん気の強さにカグヤは噴出して笑った。
「いつの間にか仲よくなったんだな二人とも」
「まさか!! この女と仲良くする日なんて未来永劫ないもん」
「お友達に向かって酷い言いようだわ。 これは教育が必要かしら?」
「いーっだ!!」
フェレットが軽く火花を散らしていた。 クライドはその楽しげなやりとりをいつに無い様子で観察する。 アギトの姿はそこにはない。 ミラージュハイドで消えているし、必要になればそのタイミングで介入してくることだろう。 彼女こそクライドの切り札であるのだから。
「っと、それはいいのだけれど。 クライド、今回の当事者がきたわよ?」
「え?」
軽く促された視線の先、そこには何故かミズノハと一緒にこちらに向かってくるリンディの姿がある。 それを見て、クライドが顔を顰める。
「あちゃー、まさかとは思ったが来たのかあいつ」
「本人を差し置いて状況を進められたら、本人としてはたまったものでは無いわよ」
「いや、そうなんだろうけどな。 こっちとしてもやり辛くなる」
若干ぎこちない様子でやってくる二人組み。 クライドとしてはどうやって説明したものかと内心で悩む。 が、とりあえずいつも通りにすることにする。
「先生、リンディを連れてくるのはアレでしょ?」
「ふん、当事者を無視してことを運ぼうとするお前たちのほうがどうかしているのだ。 女としてはそういうのは不愉快極まりないのでな。 勝手ながらこの子をつれてきたというわけだ。 それに、私は別に誰にも口止めを頼まれていない。 なら、話さない道理が無いだろう?」
軽く笑いながらそういうと、何を言おうか困っているリンディの背中を押してクライドの前に押し出す。 困ったような、なんともいえない表情でリンディの翡翠の瞳がクライドを見上げ、交差した視線がクライドの黒瞳に絡む。 なんという気まずさなのだろうか。 つい先ほどいつも通りに接するしかないと考えていた癖に、いざ目の前に来られるとその考えが微塵も吹き飛んでしまった。
「……その……あの……」
何かを言おうとしたリンディだったが、さすがにそれを言葉にすることができなかった。 彼女にとっては何もかもがいきなりすぎたのだ。 一体どこの世界に知らぬ間に自分の婚約者を決めるための戦いに巻き込まれた知り合いの男にかける言葉があるというのか。 少なくともリンディにはそんな言葉を知らなかった。 これで、クライドが彼女の恋人とかであったなら別だろうが生憎と二人の関係はそんなものではなかった。
そして、それはクライドも同じだった。 だからこそ頬をかきながら、時を止めたのだ。 だが、このままでいても意味は無い。 一行に浮かばない言葉を強引に捜すと、なんとか言葉を吐き出した。
「まあ……なんだ。 ”任せろ”……悪いようにはしないつもりだ」
「……はい。 その……”勝つ”つもりなんですか? 相手は現役の執務官の人ですよ?」
「そりゃあ……な。 負けるために戦う奴なんて普通はいないさ。 俺にはどこにも”負けてやる”理由がない」
そう、クライドが自分から負けなければならない理由はどこにもないのだった。 虹男に言われたことも、ヘタレながら答えを出した今相手が執務官だろうがなんだろうが知ったことではなかった。
「応援してくれとは言わないし、したらフェアじゃないだろうからしない方がいいぞ。 まあ、少なくとも俺には必要ない。 執務官を応援したいのならそうすれば良いけどな」
「それは……でも……」
何かを悩むように困惑するリンディをよそに、クライドはそれだけだとばかりに視線を外す。 そうして、悩む妖精から離れるとミーアの方へと向かう。
「ミーア、そういえばお前って広域結界張れるか?」
「うん? どういうの?」
「ここの模擬戦場全部覆えるぐらいの広い奴。 高度はこれぐらいで」
「うーん、できないことはないと思うけど強度は保証できないよ?」
「なら、私がバックアップしてあげるわ」
「……大盤振る舞いだなカグヤ。 何かまた俺にさせるつもりなのか?」
「失礼ね。 私の善意よこれは」
「そうか、じゃあ頼む。 初めは多分いらないから、必要になったら手を貸してくれ。 でないと多分、色々と不味いことになる」
心外だとばかりに肩を竦める少女に頼むと、そこでクライドはそのまま敵の到着を待つことにする。
「ふむ、ところでクライド。 その二人は誰なのだ? お前の知り合いか?」
「ええ、二人とも知り合いですよ。 一人はこの前の旅行の時に知り合ったスクライアの子で、もう一人は……」
「――第二十三自治世界ヴァルハラの魔導師ギルド、ミッドガルズ所属のソードダンサーよ。 今日は面白そうな催しがあるようだから、彼の様子を見に来てあげたのよ」
軽く黒髪をかきあげながらそういうカグヤ。 名前は名乗るつもりはないらしい。 だが、その言葉を聞いてミズノハが驚愕を声を上げる。
「ソードダンサー!? アークの師匠の!?」
「あら、そういえば貴女は見覚えがあるわね……確か、アークが剣を教えていた子だったかしら?」
「よろしければ、一戦どうでしょうか!? 貴女の話はアークからよく聞いています!!」
興奮気味にそういうミズノハ。 アークの剣に惚れていた彼女にとっては、その源流となる剣の使い手に会えたことが嬉しいらしい。
「別に構わないけれど、貴女……どこまでアークから学んでいるの?」
「基本とエア・ステップまでです」
「グラムサイトとAMBは?」
「恥ずかしながら、グラムサイトを習得仕切る前にアークがあんなになってしまって、それっきりです。 さすがに、剣を置いた彼に教えを請うのは酷でしたし……」
「そう、まあいいわ。 なら対戦者が来る前にやりましょうか。 少しぐらいなら付き合ってあげるわ」
ミズノハの様子に苦笑を浮かべながら、アークの関係者ならばと少しだけ剣を抜くことにする。 刀型デバイスを展開するカグヤは銃剣を二つ準備するミズノハと共に皆から少し離れた位置に移動していく。
「そういえば、あなたって強いの?」
「そうね、そんなに”弱く”はないつもりよ」
肩から飛び降りるようにしながら問うミーア。 彼女も、そしてクライドもカグヤが戦っているところは見たことが無いだけに、その様子を興味深く見守ることにした。 勿論、隣でリンディが色々と悩んでいたようだったがクライドはそれをあえて放置する。 多分、それは自分で決めないといけないことであるはずだから。
その後、対戦者一行がやってくるまでの間クライドたちはカグヤの強さを目にすることになった。 あの自他共に認める戦闘狂が、あのスパルタ教師が、一太刀も浴びせられぬままに膝を突く。 あくまでも優雅に、ただただやりすぎないように相手をしただけの少女はそれで終りだとばかりに剣を引く。 背筋さえも凍るようなその剣閃には、オーディエンスは言葉も無かった。 ミーアが口をあんぐりと開け、クライドが驚愕に顔を引きつらせ、リンディがただただ感嘆した。
「……次元が違うな」
「き、気をつけないとフェレットの刺身にされちゃうかも……」
「――え? フェレットって食材になるんですか?」
「「……」」」
――発動した妖精の天然ボケに、しかし突っ込む余裕は二人にはなかった。
眼つきの悪い黒髪の少年と柔和で人当りのよさそうな黒髪の少年が、予備の模擬戦場に爆裂魔法か何かで作られた百メートル四方の更地の上で向かい合って対峙していた。 一人は訓練学校に通っている”クライド・エイヤル”。 もう一人は執務官になっている”クライド・ディーゼル”である。
その少年二人は、似ているところも少しはあったが決定的に違うものがいくつもあった。 そのことをリンディ・ハラオウンは知っている。 だが、どうすれば良いのかなんて考えても答えは出ない。 全ては突然にやってきた。 まるで嵐に翻弄される小船のように、荒れ狂う波が通り過ぎるまで耐えることぐらいしか彼女にはできない。 九歳の孫に婚約者を与えようという祖父も祖父だが、それで戦おうとしている知り合い二人が何を考えているかすら、少女には分からない。 というよりも、察しろという方が無理であった。
執務官とは数回しか会った事はない。 デートというか遊びに誘われたことはあるが、それだけで理解することなど到底出来はしない。 どういう人間なのか、そもそも自分に好意を持っていたのかさえ分からない相手なのだ。 悪い人ではないということはなんとなく分かってはいるが、それ以上はさすがに知っているわけがなかった。
そしてもう一人、少しズレているような価値観を持つ変わり者にしてクラスメイトの少年。 この三ヶ月の間で少しは人となりを理解しているつもりだが、それでも彼の場合はどこまで本気なのかが分からない。 冗談と本気の境界、そして本音と建前の境界が酷く曖昧な彼はつかみ所が無い。 ただ、彼は彼自身が必要だと判断したことがらにのみ全力を尽くすタイプであったから、この”戦い自体”には本気で望んでいることだけは分かっていた。 いつものやる気の無い眼つきではない。 あのやる気になった目で静かに彼の敵を見定めている。
(本気で私の婚約者になりたいって思っているわけじゃあないと思いますけど……)
この前の一件が頭を過ぎる。 覚悟がどうたらとか、決意がなんなのかとか、そういうことを言っていたことは知っているから、彼の守備範囲内に自分がいないというわけでもないと思う。 ということは、”そういうこと”なのだろうか? 自意識過剰だと思う反面、そう考えるとなんとなく嬉しく思ってしまうのもまた事実だった。
思い返してみれば、一月ほど前あたりから彼の様子がおかしかった。 眼つきが急激に悪くなったり、透明人間を自称したり、おまけに授業を休学する始末である。 それらすべての行いが、今日この日のためだけにあったことなのだとしたらどれだけ彼がこの一戦にどれだけ重きを置いていたかがよく分かる。
だが、そこまでしても勝てる可能性は限りなく低いだろう。 相手はあのときのリンディとは違う。 彼女のように戦闘をほとんど知らなかった魔導師ではない。 本物の戦闘を知っている相手なのである。 その差は歴然としていると思えてならない。 そして、彼は自分にいつもいつも言っていた。
――魔力はただあるだけで決定的な差を生み出すのだ、と。
事実、その差を覆すのは容易ではない。 真っ向勝負など普通はありえない。 そう考えればこういう向かい合った場面から始まる模擬戦の形式は、クライド・エイヤルにとって最悪のスタートとなるだろう。 彼が勝つ手段を持っていないわけではない。 あのときのように、彼が隙を突いて奥義を決められれば勝てる可能性が全く無いことはないだろう。 だが、それが出来るだろうか?
「ふむ……お前はどう見るリンディ・ハラオウン? クライドに勝ち目はあるか?」
「……無いことも無い気がしますけど、やっぱり無謀だと思います」
「そうだな。 ”このまま”だと話にならんな」
ミズノハが厳しい目で対峙する二人を見ながら言う。 距離が近すぎる。 あれでは策を弄する暇が無い。 クライド・エイヤルの戦い方から勝利するための方法を考えてみるが勝つ前提としてクライドが一度懐に潜り込んで攻撃を防御させなければならないが、アレでは敵が防御する理由が無い。 単純なクロスレンジでの戦闘になれば、クライドでは相手の攻撃をまともに裁ききれず、敗北するしかないのだから。
相手が後衛系ならばまだなんとかなるだろうが、執務官というからにはある程度の汎用性は確保しているはずである。 近距離でも戦う術、もしくは対処法を持っているだろうからやはりアウトだ。 単純な威力で押し負けるのは容易に想像がつく。
「ねぇねぇ、二人ともあんなこと言ってるけどお兄さん大丈夫なのかな?」
カグヤの頭の肩の上で少しムスッとした顔のミーアが言う。 これがどういう戦いなのかを知ってご機嫌斜めらしい。 そんなフェレットの様子に苦笑しながら、しかしカグヤは二人とは違う意見を述べる。
「そうでもないわよ。 アレはアレで十分なチャンスだわ。 大博打だけれど、勝算が無いわけじゃあないもの」
「……ほう? では奴は貴女からアークのような剣を学んだのですか?」
「いいえ。 クライドはまだAMBを”モノ”にしてないわ」
「では、一体どういう方法が?」
少し前の一戦でボロボロにされたミズノハが、興味深げにカグヤに尋ねる。 しかし、カグヤは微笑を浮かべるだけでそれには答えない。
「見ていたら分かるわ。 ただ、それで得た勝利を”勝ち”とあの提督が認めるかどうかが問題ね。 私が審判ならそれでも勝ちと認めるでしょうけど、古い管理局の提督はそれを認めることはしないでしょうね。 禁忌に近いもの」
「禁忌……ですか?」
「アレは時空管理局にとって世に広められたら困る戦術の一つ。 黎明期初頭の悪夢。 魔導師潰しの戦術の一つにしてデバイスマイスターにとっての『悪夢の五年間』を作り出した元凶に限りなく近い戦術だもの」
もうかなり経った今、それを知っている人間はそう多くはいないだろう。 首を傾げるミズノハだったが、ミーアはそれを知っていた。
「『悪夢の五年間』ってアレだよね? 確か時空管理局発足当時、新暦の初めから五年間あった奴でしょ? 確か……杖以外のデバイスの作成を一時的に禁じたんだったっけ?」
「新しい管理世界には質量兵器を模したデバイスなど不要。 魔導師の象徴であり、誇れるべき形態である杖こそが管理局の推奨するデバイスのあるべき姿。 そんな謳い文句で作られた五年間よ。 その名残で今でも訓練学校や通常の管理局の支給デバイスは皆杖型デバイスになってるわ。 当時アレのせいで特にダメージを受けたのが銃型のデバイスね。 質量兵器そのものの形状だったから嫌悪の対象となったわ。 今でもミッド式で銃型デバイスの使い手が少ないのはそのせい。 まあ、解禁後に少しずつ使い手の数は増えているらしいけれど……」
「正に、デバイスマイスターにとっての悪夢だね。 お兄さんが聞いたら激怒しそう」
「そうね。 ん、そろそろ始まるみたいね」
対峙する両者の間でヴォルクが左腕を掲げ、振り下ろした。
「君はバリアジャケットを着ないのかい?」
「いや、開始宣言がされてから着ようかなと思ってね」
肩を竦めてクライドはディーゼルに言う。
「そうかい」
別段、ディーゼルとしてはそれでも別に構わなかった。 それぐらいなら大した時間にはならないし、装着する前に倒そうなんて考えは彼には無い。 今までずっとヴォルクが用意した管理局員と戦っていたせいで、今更訓練生如きに負けるなどとは思えないのだ。 一人だけ不可思議な方法で自分を攻撃してきた学生がいたが、今となってはもうディーゼルにはどうでも良かった。 それよりも、何故五十人抜きを達成した後に訓練学校生と戦わなければならないのかという理由が知りたかった。
「ところで、どうして君が最後の相手なんだい? 僕にはちょっと分からないんだけど……」
本当に全くの謎である。 ヴォルクはこのことに関してディーゼルに何も教えてはいなかった。 リンディを条件付ではあったが倒した少年であり、自身を昏倒させたこともあるということさえ話してはいない。 もし彼が話していたらそれはそれで警戒していただろうが、ディーゼルにはクライドが最後の一人ということの意味が計りかねていた。
「うーん、クラスメイトだから目障りだったからとか?」
無論、大嘘である。 だが、クライドは少なくともこの戦いが終わるまでは自分から語るつもりはない。 どんな情報もやるつもりはなかった。
「……そうなのかい?」
「さあ? 終わったあとでもう一回聞いてみたら教えてくれるんじゃないか?」
「まあ、いいや。 君で最後らしいからこれで終りにさせてもらうよ。 いい加減、職務の間に模擬戦をするのも疲れてるしね」
ため息交じりの言葉に、クライドは同情の視線を送る。 激務の執務官のプライベートな時間さえも容赦なく奪っていく孫馬鹿の提督。 しかも、魔法言語での会話が大得意であり、色々と冗談が通じないタイプであるだけにそのため息にはかなりの疲れが混じっていた。
「……さて、そろそろ始めたいのじゃが良いかね?」
「構いません」
「こちらもいつでもどうぞ」
「うむ、では……初め!!」
二人の間でヴォルクが左腕を掲げ、振り下ろす。 それを合図にクライドがゆっくりとバリアジャケットを装着。 続いてブレイドを抜き放つ。 青の魔力刃が柄から生まれ、敵を切り裂く刃となる。
それに対するはジャベリンである。 ストレージデバイスの先端から現れる青が、敵を貫く槍となる。 そうして二人が共に構え、ジリジリと距離を測るようにしながら相手の様子を探る。 と、場が動き出す前にクライドが口を開いた。 勝負は始まっているが、できれば今聞いておきたい事柄があるらしい。
「ディーゼル執務官、やりあう前に今更だが聞いておきたい」
「……ん、なんだい?」
油断なく対戦者を見据えながら、ディーゼルが話に耳を傾ける。 だが、注意は逸らさない。 不意打ちなんていうやり方が往々にして存在する以上は、警戒するのは当然だった。 だが、紡がれた次の言葉にディーゼルの注意力が一気に消し飛ぶ。
「――あんたはリンディを愛しているのか?」
「む、難しい質問だね」
照れを含まない、真摯な顔で問いかけてくるクライドに対して若干ディーゼルは意味も無く焦る。 それは、直球もはなはだしい問いかけだった。 ことここに到ったからには、前提として”そういう”認識でいなければ話にもならない。 少なくともそのはずだろうとクライドの目が問いかけてきていた。
(ま、まさか彼は本気なのか!?)
違う意味で戦慄せざるを得ない。 もし仮に彼が心底本気だったとしたら、なるほどこれでは自分は人の恋路を邪魔する悪漢である。 何せ、明確な好意を自覚する前の段階である。 自覚している人間と自覚していない人間とではこの戦いの”重み”が違う。 違いすぎる。
黒の瞳を探るように見るが、やはりその目は真っ直ぐにディーゼルを射抜いたまま微動だにしない。 ディーゼルは違う意味で戦慄を覚えるとともに、何かに追い詰められたような息苦しさを感じた。 さすがに執務官といで色恋沙汰の至難など受けているはずが無い。 人間としてこういう”雰囲気”には耐性がなかった。 やはり、その辺りは少年であったからだ。
「答えられない……それが答えだと思って良いか?」
「僕は……それ確認するためのここにいると認識している」
反射的に言葉が出た。 明確に自覚した気持ちなどまだない。 だからこその、彼なりの精一杯の言葉だった。 だが、それを聞いたクライドはフッと一笑するように笑うと声高に言った。
「――執務官、破れたり!!」
「な、なに!?」
早すぎる勝利宣言だった。 一刀も刃を交えずに、しかも明確な格上に対してのこの宣言。 正直、理解しろというほうが無理だろう。
「明確な気持ちも無く、ただただ”自分の気持ちを量るため”だけに戦うような男に俺は倒せん!!」
ブレイドの青い刃を突きつけるようにしながら、クライドが言う。 その言葉に、ディーゼルは打ちのめされたような衝撃を受けた。
「なんだって!?」
「正直に言おう。 実際は俺もあんたと大した違いがあるわけじゃあない。 明確な好意を持っているわけでもなければ、ましてや愛なんてものを持っているとは到底思えない。 だが、少なくとも俺はあいつのためになるだろう考えを持ってここに立っているんだ。 ただ、自分のことしか考えられなかったあんたとは決定的に違う!!」
クライドは容赦しない。 さらに畳み掛けるように心理的にディーゼルを追い詰めていく。
「さらに、俺はある人物から最近『好意があるというのなら、別段問題ではない。 ただ、そういうものが無いというのであれば、勝てる勝てないを考える前に君は戦うべきじゃあない』という言葉をかけられた。 なるほどと、思わず思ったよ。 だからさっきの質問であんたが明確な気持ちを持ってるんだったら、とっととギブアップしようかとも思っていた。 だが、あんたは違う!! そんな”余裕”さえない!! だから戦う前にこれだけは言っておく。 その自分の行動の中に明確な思いが無いと自覚しているのなら、あいつのためになることさえ考えられないのだったら”良識ある人間として今すぐ”ギブアップしろ!!」
「――なぁ!?」
戦いもせずに負けを認めろという。 その言葉に、ディーゼルの顔が凍りつく。
(か、彼は……僕の良心さえ試している!? 本気で彼女のためになることが何かを考え、その通りに行動しろと言っているのか!?)
今までの対戦者の中で、試合中にこんな問答をしてくる人間はいなかった。 だからこそ、ディーゼルはそういうことを考えずに戦ってこれた。 しかし、今はどうしようもない焦りが胸の中にある。 何かを言い返さなければならないと思う。 だが、思考してもクライドに叩きつける言葉がでてこなかった。
「どうした、答えられないのか執務官!! ならば、やはり俺の勝ちだ!! あんたがどれだけ強くても、どれだけのランクを持っていても決して勝っちゃあいけないんだよ!! あいつのためにもギブアップしろクライド・ディーゼル!!」
叱責するようなクライドの罵声が飛ぶ。 そうして、クライドは無防備にも一歩前に足を出した。 その力強い歩みに、ディーゼルは思わず後ろ一歩後退する。
(く、これじゃあ僕が悪者みたいじゃないか!!)
なんだかよく分からないうちにヴォルク提督に婚約者候補に決定され、後々リンディ・ハラオウンの害になりそうな連中を片っ端から叩き伏せさせられてきたというのに、最後の最後でこれはなんなんだろうか? 目の前の少年が強いわけでは決して無い。 事実上、ディーゼルが敗北するような理由が無い。 だが、しかし目の前の少年が今このときばかりは途方も無く強そうにディーゼルには感じられた。 まるで、目に見えないオーラでも纏っているかのようだ。 真摯な目で自分を追い詰めてくる少年に対して、ディーゼルは思わず口を開きかける。 だが、しかし、その言葉を飲み込んだ。
ここでギブアップするのは簡単だ。 だが、たった五文字の言葉を吐くだけで終わるのだから。 だが、今までを振り返ってディーゼルは思う。 例えそうだとしてもどれだけ相手の言うことが正しいと思えたとしても、それは”目の前の相手”から一方的に答えを求められているだけに過ぎず、自分の生の答えでは決して無い。 倒してきた五十人を踏み越えて自分は今そこにいるのだ。 その是非を決めるのは自分ではなく、最終的には彼女のはずだ。 決して目の前にいる訓練学校生では断じて無い。 どのような結末だろうが、自分なりのケジメは自分の手で彼女と相対してつけなければならない。 それが、男と女という奴じゃあないのか?
「……僕は、悪いがそれだけはできない」
「なに!?」
一歩下がった足を前に戻し、ディーゼルは言う。
「君に感謝するよエイヤル君。 そうだ、これが僕なりの答えなんだ。 僕は君に勝って彼女に直接是非を問う!! 僕たちがここで押し問答をしても意味が無い!! それを決めるのは”僕たち”じゃあなくて彼女自身だ!! だからこそ、僕は君と戦おう。 渾身の力で戦おう!!」
明確な意思を得た執務官が、黒の瞳でクライドを見返す。 そこには、先ほど呻いていた少年はいない。 ただの青臭い主張を臆面も無く言い切ることができる漢<おとこ>がそこにいるだけだ。
開放されていく圧倒的な魔力。 総合Sランクの魔力が、迷いから晴れて鳴動していた。 その様子を見て、しかしクライドは再度勝利宣言を言ってのける。
「はっ、笑止也。 今更何を決意したところで、もう絶望的に遅い!! もう一度あえて声高らかに宣言しよう!! 執務官破れたりだ!!」
二度目の勝利宣言を全く臆さずにクライドは言う。 と、その瞬間それを合図にディーゼルの背中に何者かが体当たりをしてきた。
「な!?」
「――ユニゾン・イン!!」
その瞬間、ディーゼルの背中に張り付いた小悪魔が炎の翼を吐き出しながらディーゼルに融合した。 状況を理解できないディーゼルを置いてきぼりにしながら、執務官にとっての最悪のシナリオは既に動いていた。
「さぁ、面倒くさい”前置き”はこのくらいにして戦おうかディーゼル執務官? もう、あんたは”絶対”に俺に勝てない」
ニヤリと笑みを浮かべたクライド。 先ほどの真摯さはどこへやらだった。 釣りあがった唇が、邪笑を刻む。 まるで悪魔にでもなったかような悪い顔をしながら、クライドは真正面からディーゼルに斬りかかっていく。 それを眺める提督の顔は、恐ろしいほどの無表情だったがクライドはあえてそれを無視した。
「……なんだ、あれ?」
「ふ、不意打ちなんて卑怯です!!」
「ど、どこからどうみても悪役だよお兄さん……」
恥ずかしい少年たちの主張が終わったかと思えば、いきなりの奇襲から始まった模擬戦。 これには観客の女性陣の半数以上が目を丸くした。 唯一違うのはお腹を抱えて笑うカグヤとザフィーラだけである。 もっとも、ザフィーラは一言も口を開かずにただただ状況を見守るだけだったが。
「くっくっく、あはははははは!! 二段構えかと思ったら三段構えなんて。 ふふ、しかも戦わずに勝とうっていうのも作戦に入れるなんてね。 ふふ、体を動かすセンスは無いとは思っていたけど、悪知恵のセンスだけはあるみたいね」
恐らく、アレでギブアップさせるのが最良の方法だった。 ”そもそも”戦わなくてすむのならそれが最上の方法に他ならない。 勝手に敗北を感じ、勝手に負けを認める。 それを提督が認めるかどうかは知らないが、それも一つの勝ち方であろう。 というより、もしそれが決まっていたとしたら見事としか言いようがない。 ある意味最強の小細工である。
『ふはははは!! どうした執務官!! 総合Sランクの称号が泣いているぞ!! 魔法は使わないのか? 使ったら暴発するけどな。 くっくっく!! ほら、ジャベリンは消えたぞ? バリアジャケットが消えるのも時間の問題だな? どれだけ高級なストレージデバイスでも、そもそも規格外のスペックを持つ古代ベルカのユニゾンデバイスには到底勝てん!! 無駄な抵抗だ、やはりギブアップしたほうがいいんじゃないか?』
『くそ、汚いぞ!!』
『戦いに綺麗も汚いも何もあるか!! 最後に勝った方が正義なのだ!! それに、一応俺たちは提督に開始宣言をされてからしか動いていない。 気づかなかったあんたが悪い!! 注意力散漫って奴だ!!』
『二対一じゃないかこれじゃあ!!』
『デバイスと魔導師は一心同体!! ほらみろ、一対一だ!! 見事に合法な戦術じゃないか』
『正々堂々と戦う気が無いのか君は!!』
『正々堂々? 何を言うかと思えば、あんたらの方が卑怯だろうが!! なんだその魔力量は!! この”先天的卑怯者”め!! そういう台詞を言いたいんなら、せめて俺と同等の魔力量になるように出力リミッター仕掛けてから出直してきやがれ!! そうしたら真正面から”叩きのめして”やるよ!!』
『ぐぬぬ!! ああ言えばこう言う!!』
まるで、子供の喧嘩であった。 地面を走り回って逃げるディーゼル。 それを追い回すクライド。 既に、本来の立場というのが逆転していた。
「……で、これが禁忌の答えなのですか?」
見ていられないとばかりに、ミズノハがカグヤに尋ねる。 こんなのは正当なミッドチルダの魔導師の戦いでは断じて無い。 頬を引きつらせたミズノハの言葉に、カグヤは言う。
「ええそうよ。 これがユニゾンデバイスの能力を利用した凄く簡単に魔導師を潰す方法。 クライドは一応自重して魔法の妨害と所持魔力の全放出をさせているだけのようだけど、他にももっとえげつないのがあるわね。 例えば、融合した瞬間に魔導師の魔力を利用して内部から自爆させる方法とかね?」
「それは――!?」
「そう、それをやられたら事実上誰にも”防げない”。 どんな高ランク魔導師も死ぬしかない。 辛うじて生き残れたとしても、二度と魔法は使えないでしょうね。 融合したユニゾンデバイスがいる魔力中枢ごと爆破されるんですもの」
だからこそ、禁忌なのであった。 ユニゾンデバイスは通常バリアジャケットや騎士甲冑の上からでもユニゾンができる。 つまり、言い換えれば魔導師のフィールド防御を無視して融合することができるのだ。 フィールドを透過して魔導師に取り付き、融合する。 そうして内部からデリケートな魔法行使を阻害すれば事実上魔導師は魔法を使うことができない。 魔法演算中に介入されれば容易く暴発する危険があるのだ。 そんな状態で魔法を放つなんてのは自殺行為でしかない。 しかも、これは決まればどんな強力な魔導師でも決まれば確実に葬ることができるジョーカー<反則>だ。 また、内部から自爆させる以外にも態と粗悪なユニゾンデバイスを作って融合させ、融合事故を誘発させるという手段もありえる。 つまりは、どうやっても融合された時点で勝負が決まるのだ。 一度融合したら最後、解除できないようにしておくというのも考えられるだろう。 もしこれが当時に広まっていたならば、これから魔導師を前面に押し出した管理社会を形成しようという情勢では邪魔でしかない。 だからこそ、このような明確な脅威は闇に葬られたのだ。
デバイスの値段は使用するパーツによってピンきりだが、大体高級機でも高級車が一個購入できるほどの額だ。 ユニゾンデバイスは豪邸が一件建てられるほどの額が必要と言われる。 けれど、考えてもみよう。 たったそれだけの額で”都市を焼き尽くせる”程の力を持つ”高ランク”魔導師を葬れる可能性を買えるというのなら安いものではないか? しかも、ユニゾンデバイスはデバイスだ。 ロストロギア扱いされているが、質量兵器ではなく魔法科学の産物であるデバイスなのである。 その規制は比較的緩いしレプリカを作るだけの技術力さえあれば作成することは不可能ではない。 そうして、合法的に所持して不意打ちで魔導師を攻めればこれほど容易に魔導師を倒すことができる手段は無いだろう。
「あれ? でもユニゾンを強制解除してしまえばいいんじゃない?」
「ミーア、貴女使ったことも無いデバイスをどうやって扱うの? アギトはユニゾンデバイスの中でも超高級機。 しかも、明確な自我を持つように当時のベルカで作られた希少存在よ? 貴女と融合したときには強制的な融合解除方法とかを感応制御で教えてくれるでしょうけど、そんなもの態々敵に教えるのを許すわけないじゃない? 今あの執務官は未知の異物が身体の中に入って好き勝手されている状態。 どうすることもできはしないわ。 クライドが命じてアギトにユニゾンを解除させるか、アギト自身がユニゾンを解除しないとどうすることもできない。 つまりは、アギトが執務官に取り付く隙を作った時点でクライドの勝ちなのよ」
「ま、まさかさっきの問答もそのための布石ですか!?」
「多分ね。 まあ、本人は多分嘘は言って無いんでしょう。 あのとき面白いぐらい執務官の子が動揺してたもの。 隠れていたアギトがクライドの頭の上からこっそり忍び寄る時間は十分に稼げたわ。 逆に、それができていなければアウトだった。 アギトも無く、あの至近距離。 確実にクライドは敗北していたでしょう。 まあ、勝率五割はあったんじゃない? それだけの確率をあの子<低ランク魔導師>が稼げたのだとしたら破格でしょう? 魔法が使えない魔導師はただの人間。 だからこそ闇に葬られたわけだし、”ユニゾンデバイス擁護法案”の裏にも掛かってくるわけだけど……それにしても、あの子えげつないわね。 どうやっても勝つつもりらしいわ」
薄っすらと細めでクライドを見るカグヤ。 クライドの戦術が元々二段構えだったということを考えれば、今のうちに徹底的に魔力的にも体力的にも疲弊させるつもりなのは目に見えて理解できる。 一気に決めないのはそのためだ。
『くそ!? バリアジャケットが!?』
『ふはははは、それ後が無いぞ!! 後はその馬鹿魔力を全部再利用できないように無意味に放出した上で、このブレイドの刃に滅多切りにされてから敗北してもらおうか!! 非殺傷設定が効いているとはいえ、当たり所が悪ければ一日中手足が痺れてるかもしれんがな!!』
『と、とことん性根が腐っているぞ君!!』
『獅子はウサギを追い詰めるにも全力を尽くすという!! ならば、全力で潰しに掛かって何が悪い。 強すぎた君がいけないのだよ!!』
それにしても、このクライドノリノリである。 一月の鬱憤をここぞとばかりに執務官に向けていた。 見事な”強いもの苛め”である。 本来は狩られるだけのウサギのはずだったのに、そのウサギが実は銃で武装した武装ウサギであったなどとどうやって執務官が予想できるのか。
「この戦術に必要な前提は、執務官が仕事で一度もアギトと似たようなユニゾンデバイスとの融合経験がないこと。 ユニゾンデバイスなんて普通には訓練学校生が所持していないものを持ち出してくるなんてことを想定されないこと。 そして、アギトの存在を融合する直前まで隠しきり、尚且つそのための時間を稼ぐこと。 この三つの前提が無ければ無理だったでしょう。 クライドは賭けに勝ったというわけね」
「むぅ……見事というかなんというか」
「すごいっぽいんですけどその……すごく、卑怯です」
「弱いもの苛めにしかみえないねぇ。 でも、うん。 さっすがお兄さんだね。 戦力比が滅茶苦茶なのにどうにかしちゃうんだもん」
「そもそもが無茶苦茶じゃない。 Sランク相手に低ランクが単独で挑む? これほど馬鹿な話は無いわ。 現役の管理局員でさえ無理でしょこれ。 ”勝ち目”が絶望的なのにさらに真正面からやれなんて条件つけられたら勝てる子なんていないでしょう普通。 アークならどうだったかは分からないけど」
「アークなら……勝ちましたか?」
「彼なら真正面からいって問答無用で勝ってくるわ。 彼はそれができる技量があったもの」
あの弟子ならば、そうするだろう。 力ずくで真正面から高ランク魔導師を屈服させる。 彼はそれができる器を持っていたのだ。
「でも、さてそろそろかしらね?」
「ん、なにが?」
「怖い顔してる人が一人いるでしょう? 二人の決闘に無粋を働きそうだわ」
刀型のデバイスを展開するカグヤ。 その視線の先には、ヴォルク提督がいる。 あの提督は恐らく”純粋魔法”での戦いを望んでいたのだろう。 黎明期を生き抜いたあの世代は、とかく質量兵器を排除することでしか平和は護れないというある種の過剰なマインドコントロールを受けて育っている。 しかも実際にそれらと戦ってきたのだからその認識を強固に保持し続けるのは仕方が無いことだった。 質量兵器アレルギーとでも呼べば良いのか、特にその傾向はエリートである本局の人間にこそ多い。 だからこそ、こういう誰でも魔導師を屈服させうる手段を心の底から恐れており、それ故にそれを認めることはできないだろう。
格上を打倒する魔導師は大いに結構。 だが、それが”魔法以外”の手段で戦ったとなれば話は別だ。 アルカンシェルという”誰でも使える”魔法科学の産物は許容できるという矛盾を孕みながらも、こうしたものに対する忌避を持ち続けたまま肥大化していった時空管理局という組織の、これは体質であり性質であった。
魔法社会を護る上で、前提としてなければならないのが”魔法こそが世界を管理しうる絶対の力”だという事実だ。 それが原則なければならない。 この前提が崩れ去ったときこそ、今の時空管理局はその存在を保てなくなるだろう。 便利でクリーンな魔法の力とはよく言ったものだ。 確かに、それが優れている点は多いが同時に不自由を沢山持っていることもまた事実。 けれど、その不自由を無視してまで押し切ってきたのだから、今更そういうものを受け入れられるはずもない。 そして、その象徴である魔導師が実はこうも”容易く”魔法以外の力で倒されるなどという事実はあってはならないのだ。 例えそれが魔法科学の産物であったとしても、”魔法”以外を認めてはならない。 現行の魔法至上主義社会を守るため、高ランク魔導師至上主義社会を守るため、そしてなによりもようやく形になった時空管理局という管理組織にとってはこういう事実は致命的なものになりかねない。
高ランク魔導師が実は倒すことができない存在でもなんでもないという事実が次元世界中に広まれば、それだけで魔法社会は崩壊する。 魔法以外の力を認めれば、自ずと人類が質量兵器に手を伸ばすことになるだろうことは目に見えているのだ。 そちらは古くから”人類の力”として認知されている。 不平等な力である魔法が今度は逆に淘汰される時代が来るかもしれない。 その芽を摘むこともまた、時空管理局の仕事である。 だからこそ、ヴォルク提督はそれを認められない。 認められるはずがない。 どれだけ破格の戦術でも、それが持つ危険性を正確に理解していればこそ、時空管理局の提督としてそれを受け入れることなどできるはずがなかった。 だからこそ、ヴォルク提督は動かざるを得ない。
カグヤがそれを見て動こうとする。 だが、ふいにその腕が止まった。 別にカグヤにとってはクライドがどこでどうしようがどうでもよい。 クライドで釣り上げる。 情報を得られるようにすれば良いのだから。 クライドを助けるとすれば、それは連中と関わったときだけだろう。 今回のはは余分なことであったが、彼女の持つ罪悪感はその余分をさせようとしていた。
ルナ・ストラウスという友人が彼女にはいる。 永遠を約束された女性だ。 力をつけすぎてしまった彼女は終わることさえ難しいという。 完全に自らを滅することができる存在に滅してもらえばあるいは滅びれるといっていたが、それが出来る存在などどれだけ封鎖世界にいるのか。 ましてや、それに協力する人間など。
退屈が何よりも恐ろしいと彼女は言う。 そして、これからそんな道を永遠に歩むことになる彼の偽者が生まれるのだ。 ”あの言葉”は生きているクライドに言った言葉では無く、その後に続く死ねないクライドに対して送った言葉だ。 だからこそ、オリジナルがその生を終えて、初めてあの報酬が彼女より賜れる。 無限に続く時間の共有。 退屈しのぎの相手という、法外な報酬。 永遠に終わる事の無い報酬。 それだけが、全てが終わった後のカグヤが選んだクライドへの贖罪であった。 だが、乱入しようと思った矢先にクライドは自分でどうにかしようとしていた。 自分でなんとかしようというのだろう。 カグヤは柄に手を伸ばしていた手を放す。 自分のことを自分でやる。 それが当たり前なのだ。 ならば、自分が無粋を働く必要など無い。 精々、どうするのかを見させてもらうだけである。 また、悪知恵で切り抜けるのだろうか? 少しばかりクライドに興味を持った自分がいることに苦笑しながら、カグヤはもう何もしないことを選択した。
逃げ惑う執務官をただただ追い回す。 高速移動魔法さえ使わず、ただ足だけで追う。 たっぷりと時間をかけるべきだった。 獲物を前に舌なめずりをするのは三流のすることらしいが、そもそも敵はもう逃げられない。 檻の中に閉じ込められた反撃できない獲物が入った檻の中に、ハンターが一緒にいたとしたらもうその時点で詰みである。 逃がしてしまうはずが普通は無い。 仮にここからディーゼルが助かる方法があるとすれば、それは二つだけだ。 何とかしてアギトを自分から引き剥がすか、第三者の手助けを得る以外には方法が無い。
(ふむ、大分弱ってきたな?)
体力はまだ持ちそうだが、如何せん魔力が半分以上減っている。 時間を置けば当然回復するだろうが、それでもできるだけ削っておくに越したことは無い。
(それにしても、うん……気持ちいいなこれ。 なんというか、勝利が約束されているって感覚がものすげー快感だ。 ギリギリの綱渡りをしなくて良いっていうのはこんなにも気持ちいものなのか。 しかも高ランク魔導師相手にだ。 これで高揚しないなんて嘘だな)
魔法を使えない人間の恐怖、あるいは低ランク魔導師と高ランク魔導師ぐらいの絶望的な戦力差というのを知ってもらおう。 今まで自分が踏み潰してきた人間が感じる不条理を、その身でとくと味わいやがれ。 そんな認識でクライドはディーゼルを追い回す。
『クライド、もう半分切ったぜ? まだやんのかよぉ?』
『限界ギリギリまで頼む。 そう簡単に楽にはしてやらない。 できれば本当に手足の一本二本潰しておきたいんだけどなぁ』
『ああ、そいういえばあんたは割と腹黒だったっけ?』
『腹黒言うなよ。 むしろ、より拡張高く狡猾であると言ってくれ』
共闘するユニゾンデバイスと念話で語りながら、クライドが言う。 向こうとしても不本意なのだろう。 本来、ユニゾンデバイスとは主<ロード>の力を限界まで引き出してなんぼのデバイスである。 それが、内面からのサポート機能を利用し、敵魔導師を致命的なまでに弱体化させるという正反対の方向で使われれば気分の良いものではないだろう。 だが、ここはグッと我慢してもらうしかない。 クライドだって、まともに挑んで勝てるのならば迷わずその選択を選ぶ。 だが、それが選べない以上はこうするしかないのであった。
(即席の一段目は避けられたが、二段目は成功。 これで終わってくれたら楽なんだけどなぁ……てか、もう絶対に勝てないんだからとっととギブアップしてくれないかね、この執務官?)
ディーゼルにもプライドがあることは理解している。 高ランク魔導師の執務官が、満足に戦えもせずに低ランク保持者に敗北するなどという現実を認めたくないのかもしれない。 自分がもし逆の立場だったとしたらどうしただろうか? ふと、漠然とそう思った。
(俺がもし執務官だったら、やっぱり敵を侮ったんだろうなぁ。 勝てるわけないって思って、術中に嵌ったかもしれん。 アギトはちっこいから気配感じ難いし、問答のほうも大体似たような答え出しててそうだしなぁ。 ああ、でも俺なら相手の話聞く前に魔法叩き込んでたかもな)
面倒くさいなどと思って話を無視していたかもしれない。 戦闘中に敵からの話など聞くことにあまり意味は無い。 ましてや、最悪一撃で終わる相手に態々時間を取るのは無駄というものであろう。 大体、試合中に話す理由が無い。 そんなのは始まる前か終わった後でいいじゃないか。 そんな益体ないことを考える自分がいることに、クライドは苦笑する。 目の前の少年は人が良すぎたのである。
そうして、数分追い回した後、魔力がほぼ枯渇した執務官にトドメを指すべく動く。 高速移動魔法で先回りし、刃を振るう。 辛うじてそれをディーゼルが杖で受け止めようと足掻くが、その身体が宙を舞った。 魔法や魔力が込められていないただの鈍器<杖型デバイス>では魔導師の攻撃を受け止めるのは難しい。 そもそもその威力を受け止められるだけの身体能力がただの人間の少年には無いのだ。 止めろという方が無理な注文である。
「く!?」
歯軋りする執務官が衝撃で倒れたところに駆け寄り、ブレイドの刃を突きつける。 これで終りだった。
「俺の勝ち……だな? もういいか? それともまだ追いかけっこを続けるか? ”もう詰んでる”ってことは分かったと思うんだが」
「……止めを刺してくれないか? ギブアップはするつもりはないよ」
最後まで抵抗する。 それが執務官の意地なのだろう。 クライドはそれに頷くとブレイドの刃を掲げる。
「いい覚悟だ執務官殿。 これで”終り”なら後で握手でもしてくれよな」
そういって、ブレイドの刃を振り下ろそうとした。 だが、そうは問屋が卸さないらしい。 背後で馬鹿みたいな魔力が開放されていた。 この中にいるオーバーSランクの中でも洒落にならない御仁が介入し始めているのだ。 高揚していた頭に無理やり冷水を浴びせられたような感覚がして、クライドの背中から冷や汗が流れる。 無意識に、クライドは振り下ろそうとした腕の動きを止めていた。
――スティンガーブレイド・ジェノサイドシフト。
全方位からの単体封殺魔法。 深緑の魔力剣が一斉にクライドの周囲に展開されている。 どう足掻いても抵抗など無意味だった。 首だけを後ろに向けながらクライドは言う。
「……どういうつもりですかね、これは?」
「どうもこうもない。 もう見るに耐えん。 だから止めたのじゃ」
静かな怒りを内包した提督の言葉が、場に響く。
「君はそれでも魔導師なのかね? そんなもので勝って、それで満足なのかね?」
「”勿論”ですよヴォルク提督」
静かに問うてきた提督に、間髪いれずクライドは答えを返した。 魔導師であることに拘るのならば、そもそも勝てはしない。 力と力をぶつけ合うのなら、勝つのはより強いほうだ。 だからこそクライドはまともに戦えないようにしたのである。
ただ、一つだけ腑に落ちない感じがした。 アギトを隠し、不意打ちをしたことで勝つことにブーイングされるならまだ分かるが、”そんなもので勝って”などと言われることに理解ができないのだ。 クライドはタブーなど当然知らない。 『悪夢の五年間』は知っていたがその裏にある思惑など知りうるはずも無い。 彼はそんなことを誰にも教えられていないのだから当然の話だ。 だからこそ、アギトを否定するような言い回しに違和感を感じた。
(なんだ? 予想外の反応だぞこれ?)
「……で、一体何がお気に召さないんですかね? 俺は合法的に戦ったつもりなんですが?」
「ギリギリ合法であるからこそ不味い戦術もある。 ”その戦術”は世に出てはならないのじゃよ」
「世に出てはならない?」
ますます眉を顰める。 合法なのに世に出てはいかないとはどういうことなのか? 確かに、ユニゾンデバイスをこういう風に使うなんて話は聞いたことはなかったが、時空管理局法にそれを禁止する法があるわけでもないはずだ。 別段犯罪行為をしているというわけでもないし、クライドにはやはりヴォルクの言っていることが理解できない。
「分からないかね? まあ、そうじゃろう。 だからこそ”こういうこと”を平然とできるのじゃろうしのう」
「……ディーゼル執務官。 あんた、あの爺さんが何のことを言っているのか分かるか?」
さっぱり分からないから、とりあえず執務官に振ってみる。 だが、執務官もその言葉に首を横に振るった。 どうやら彼も知らないらしい。
「いや、僕も聞いたことがない」
「じゃあもう一つ、俺は犯罪行為をしたのか?」
「……いや。 君がこのユニゾンデバイスを不法所持しているというのならそうだけど、それ以外の要素では犯罪行為は無かったと思う」
「ユニゾンデバイス……アギトは今日呼んだ観客の一人に借りたもんだ。 そっちが管理局から許可貰ってるから問題は無い……やっぱり納得がいかないな。 明確なルール違反をしたわけでもない。 法に触れたわけでもない。 なのにその戦術は不味いといっていちゃもんをつけられてる……ということは、やはりこの勝負”そういうこと”だったと認識してよろしいんですかね?」
「……そういうこと?」
「端から俺に勝ってもらっちゃ困るということさ。 小細工を凌駕する完全無欠の魔導師が完成しなくなるからな」
吐き捨てるようにそういうと、クライドはヴォルクを視線で射抜く。 初めからそういうつもりだったのだろうか? だとしたら笑えない。 そんな八百長のような勝負にはなんの意味も無いではないか。
「何を勘違いしているのかね? 私は君が”きちんとした魔法”で戦うのであればこんな無粋はせんよ。 君は魔導師の基本を忘れている。 ディーゼル君もだね。 失望だよ」
「魔導師の基本?」
「魔導師は魔法でもって管理世界を管理する尖兵となる。 管理世界に住む魔導師の基本的な心構えじゃよ。 その心得からいえば、その魔法を用いる魔導師の力を”否定しかねない”戦術というのはあってはならないし使ってはならない。 確かに、勝負は君の”勝ち”じゃろうクライド君。 だが、君の勝ちは”魔導師”として認められない」
「……だから納得しろと? だから俺の邪魔をすると?」
「その通りだ」
「……じゃあ、今回のリンディの話は無しですかね? こんな戦術を”使う男”、そしてそれに”負けるような奴”は相応しくないでしょう? それとも”もう一度模擬戦をやり直せ”と?」
「ふむ、やり直すまでも無いよ。 これでは先が思いやられる。 二人とも現段階では不合格じゃ。 よって、一度私が直々に叩きのめ――オホン。 魔法言語で魔導師としてのなんたるかを教えよう」
「今、思いっきり私情を混ぜたな!! そうだな爺さん!!」
不穏当な発言に、さすがのクライドも黙ってはいられない。 だが、そんなことは知らんとばかりにヴォルクは抗議を無視した。 老獪な狸が涼しい顔で若者を嘲笑うの図である。
(く、模擬戦をやり直す気さえないってのはどういうことだ? 予定外すぎるぞこれ。 そんなにあれ不味かったのか?)
焦るクライド。 基本的にクライドの敵想定対象はオーバーSレベルの法外な力を持つの冥王とか魔王の嫁とかであるが、断じてSS持ちなどではない。 そもそもが想定外であるし、今日は執務官を叩きのめすことを目標にしていたのだ。 だからこのような展開は彼の想定範囲外の事象でしかない。 最悪、ブーイングの後にやり直しを要求させられる程度だろうと高を括っていたのだが、やはり『この世界はこんなはずじゃないことばっかり』だ。 しかも、さらに難易度が跳ね上がっている。 管理局ほぼ最高クラスのSSランク。 そんなのをクライドが相手にできるはずがない。
(まあ、リンディの件がご破算になるのなら別にかまわないんだが……俺の一月がこうも容易く消えるのはどうも納得いかねーな。 気分的には勝ったしここで切るというのもありなんだが……。 一矢報いたいという気持ちがないでもない……けど……)
クライドはリンディについて一つ危惧していたことがあった。 この勝負が終わった後、どういう結果が待っていようとあの少女にこの話事態を断ることができるのか? という点だ。 多分、それは無理だ。 今日話しをしてみてやはり確信した。 あの少女には”祖父”が決めたことに対する反抗心がほとんどない。 この戦いを知って困った顔をしていたが、それだけだ。 否定の言葉も何も言われなかった。 きっとあの親との時間に飢えている少女のことだ。 我慢してその境遇に身をおくつもりなのかもしれない。 お嬢様育ちだし、反抗するという選択肢があることさえ知らないのではないかと思う。 それは致命的に”クライド・エイヤル”としては嫌だった。 無論、そこから発展する関係もあるだろう。 だが、そういうのは庶民として生きてきたクライドにとっては認めたくは無い類のものだ。 少なくとも、クライドの恋愛感ではそうである。 だからこそ、そういうのをさせないために自分が動くべきだと思った。 余計なお世話だろうが、それがリンディのためになるとクライドは思う。
今日もしディーゼルに完勝したら、ヴォルクの目の前でまずご破算にするつもりだった。 そうして、反抗することをしても良いことだと教える。 それでもって是非を問うべきだと考えていた。 勿論、その答えも別段すぐに出せというわけではない。 リンディも自分もまだまだ十分に若い。 これから多分に色々な出会いというのがあるだろう。 その中で決めればよい。 ディーゼルを選んでも良いし別の誰かでも勿論構わない。 それがリンディ・ハラオウンの”自由意志”で決めたものならば、それが一番最善のはずだろうから。
「……アギト、こっちにユニゾン頼む」
「……た、戦うのか!? あの爺さんと!?」
融合を解除し、おっかなびっくりアギトは問う。 アギトとしてもあんな規格外をクライドと一緒に相手にするなんてのは真っ平御免である。 センサーが感じる魔力量だけで既に先ほど苛めていたディーゼルを大きく上回っているのだ。 躊躇するのも仕方が無い。 あるいは、シグナムがユニゾン相手だったらそんなことを考えず腹を括ったかもしれない。 だが、クライドである。 状況は絶望的だ。
「わりぃな。 もう少しだけ付き合ってくれ」
「たく、しゃーねーな。 一度引き受けたし……こうなったら最後までめんどうみてやるよ」
アギトとユニゾンするクライド。 その様を見ながら、しかしヴォルクはそのまま動かない。 不気味にただただそれを眺めるだけだ。 余裕の表れといったらそれまでだが、その余裕を貫けるほどの戦力差があるのだから笑えない。
(ちっ、素直にノックダウンされてもいいんだけどな。 なんか納得いかねーんだよなぁ)
状況的にはディーゼルにも勝ったわけだし、話はご破算。 既にクライドには彼と戦う理由は無い。 まあ、自分の身を守るためには今を凌ぐしかないわけだが。 と、そこまで考えてクライドは気づいた。 そもそも戦って勝つ必要がどこにもないということに。 ディーゼルには勝たなければならなかったが、ヴォルクに勝つ必要性は”どこにも”ない。
(あー、アホなこと考えてたな。 いかん、俺の悪い癖だな。 自重しようぜクライド)
勝てないと決め付けられるのは嫌いだし、理不尽に反抗するのは当然としても限度というものがある。 一度釣られた手前、クライドはもういい加減いいようにされるつもりはないのだった。 二度も釣られる気はない。 そして、そうなると話は別だ。 最善を尽くして精々今を生き延びよう。 余裕綽々の顔でこちらの動きを観察するヴォルク提督。 勝負にさえならないのに何も動く気配の無いその姿から、クライドが何も出来まいと高を括っているのがありありと理解できる。 その余裕の有様を見て、クライドはやはり不敵に笑った。
――勝てはしないが、逃げるだけなら無理ではない。
(アギト、スティンガーブレイドを防いでから転移魔法で”決戦場”へ離脱する。 転移魔法の方の演算頼む。 俺だけで攻撃は防ぐ)
(うーい。 了解)
「やる前にやっぱり一つだけ言っておきますけどね、ヴォルク提督」
「ん? 何かね?」
「――いい加減”低ランク魔導師”を侮る癖を捨てたほうが良いですよ?」
瞬間、クライドはヴォルクの返事を待たずに立ち上がろうとしていたディーゼルの背後に高速移動魔法で移動し、その首根っこを掴むようにしながら地面に一発爆裂魔法<ブラストバレット>を放つ。 舞い上がる土砂と、吹き飛ぶ地面。 人一人が入れるだろう穴を作るとクライドはその穴に倒れこむようにして体を潜ませ、ディーゼルを上にして即席の盾にする。
「――ちょっ!?」
ディーゼルがそれを理解した瞬間、ヴォルクが放った百数本の手加減されたスティンガーブレイドが悲鳴を上げるディーゼルを無視してクライドを狙うべく殺到する。 だが、スティンガーブレイドがクライドを襲うためにはディーゼルが邪魔だ。 全方位射撃とはいえ、クライドが隠れた穴を塞ぐ形でディーゼルがいるのだから攻撃は”届かない”。 非殺傷設定魔法なのだから、当然だ。 次の瞬間にはハリネズミとなった執務官が出来上がるだろうが、クライドもヴォルクもそんなことはどうでも良かった。 とはいえ、執務官もまた抵抗しないわけがない。 若干回復していた魔力を振り絞ってストレージデバイスになけなしの魔力を注ぎこみ、ラウンドシールドを展開する。 ストレージデバイスの反応速度でなければ恐らくは無理だっただろう。 まさに、紙一重でS1Uがディーゼルを救ったのだ。
「ふっ、これぞ必殺執務官シールドだ!! 恐れ入ったか提督!!」
「ぜぇ、ぜぇ、君は鬼か!!」
肩で息をするディーゼルが、限界一杯一杯の魔力行使を強要させたクライドに抗議する。 だが、そんなことをしても事態は好転しない。 むしろ、導火線に火をつけただけだ。
「ふむ? ディーゼル君、君はクライド君の味方をするのかね?」
「は? い、いえ僕は……」
「当然だろ爺さん!! 自分を倒した男が意味不明の論理でボコボコにされようとしているんだ。 それだけじゃなくて無力な民間人を管理局の提督が襲ってるんだ。 人間が出来てる執務官なら民間人を救うために身体を張って盾になるのは当たり前だろう!! 見ろ、彼こそは執務官として、管理局の魔導師として誇れる立派な人物じゃないか!! どこぞの孫馬鹿提督も是非に見習うべきだ!!」
「なるほど……よろしい。 ならば講義の時間だ。 二人まとめて掛かって来たまえ。 時空管理局の魔導師とはどういうものか教育しなおしてあげよう。 無論、君たちの大好きな”魔法言語”でだ」
「て、提督僕は――」
「やってみろ耄碌爺!! ”俺たちクライド”二人を相手にしたことを後悔させてやるぜ!!」
「ふん小童<こわっぱ>めが。 年寄りに対する敬老精神というのが足りないと見える」
「無鉄砲でキレやすい最近の若者ですからね。 てか、あんたもう隠居してリンディの側にいてやれ!!」
「ふん、生涯現役じゃよ私は。 ときに、二人ともそろそろ覚悟は良いかね?」
「いや、だから僕は無関係――」
「おうともさ!! そっちこそブルブル震えて命乞いする準備はオーケーか? ぎっくり腰ってのは無しだぞ爺さん!! いい加減こっちがいつまでも大人しくしてると思ったら大間違いだぜ!! いくぞディーゼル!!」
「ああもう、君ちょっと調子が良すぎるぞ!! なんだってそんなことを僕がしなきゃならない!!」
「はん、今更逃げられるもんかよ!! 絶対あの爺さんあんたに階級差を利用して八つ当たりするぞ!! 見ろ、あの顔を!! あんたももうロックオンされてんだ、覚悟を決めろ!! ついでにあんたは敗者なんだから勝者の言うこと聞いとけ!!」
「誰が敗者だ!!」
「あんただあんた!!」
「茶番は終りだ……我が弾幕にて地に伏すが良い小童<こわっぱ>ども」
にらみ合う二人のクライド。 だが、その二人の問答を無視するかのように鳴動する魔力があった。 その爆発的な魔力の開放に、二人は揃って顔を見合わせる。 まず、生き延びなければ話にならない。 それがここでの真理であった。
「くそ、こんなのはコレっきりにしてくれよ!! あの人相手じゃあ生きて帰れるかどうかさえ分からないんだ!! 非殺傷設定魔法で消し炭にされるぞ!!」
「それはあの爺さんに直接交渉しろ!! とりあえずここは一旦引く!! やい爺さん、俺たちを相手にしたかったら決戦場まで追ってきやがれ!! そこで白黒つけてやんよ!!」
クライドはディーゼルを引っつかんだ状態で叫ぶと、アギトが用意していた転移魔法発動。 予備の模擬戦場の中心へと転移する。
「ふん、逃げるか。 だが、私の弾幕から逃れられることなどできないと知るべきだなクライド君」
武装ウサギ<クライド>を狙う移動要塞<ヴォルク>は、そう呟くと飛行魔法を展開。 ゆっくりと空へと上がっていった。
目の前の草原に横たわるようにしながら、五、六メートルをゆうに超えているでかい蛇がいた。 さすがにそんなものが近くにいれば、人間は戸惑う。 無論、魔導師もそうだ。 ディーゼルはクライドに連れられてやってきた瞬間、思わずそれから距離を取りつつバリアジャケットを羽織る。 そういえば、蛇に注意とか言う看板が会った気がする。 それがコレなのか。
「ああ、それか? 今となっては無害だから気にすんな」
そういうと、クライドは無造作にその蛇の頭を殴る。 と、その瞬間幻影魔法が衝撃を受けて消え去り、その下から連結刃の形態となったレヴァンティンが現れる。 それは、クライドが使おうとしていた仕掛けの一つであり、幻影魔法をかけられたレヴァンティンだった。
「くそ、本当はあんたに使うための仕掛けだったってのによ!!」
悪態をつきながらクライドはそれを回収し、待機状態にしてから別のデバイスを取り出す。 展開。 クライドの指に装着されたそれはクラールヴィントだ。 それで空間モニターを展開しながらあらかじめ仕掛けていたサーチャーから状況を確認。 ヴォルクの様子を観察するとすぐさま行動を起こした。
「特殊フラグサーチャー1起動 対象は爺さんの魔力座標。 フラグA、B群総数五百起動。 喰らえ我がカッターの舞!! ついでにフラグサーチャー2起動。 ダミー半分起動!!」
画面の向こう、ヴォルク提督に向かうシールドカッターの群れがある。 結界で隠されていたそれが次々とクライドの指示に従ってヴォルクを襲っている。 それに面食らったヴォルクが、空中で止まって迎撃体勢に移行する。 虚空からいきなり現れたシールドカッターが次々とヴォルクを強襲していく様は圧巻の一言だった。
「な、なんだ今の魔法は? 君がやったのか?」
ディーゼルには理解できない。 そもそも”そういう”遅延操作ができる魔法など存在しないのだからその驚愕は当然だった。 アレはクライドが時間をかけてコツコツと作り上げた罠魔法である。 術式に起動条件をつけ、フラグサーチャーから発進される信号を受けた瞬間に、限られた範囲内で限定行動を起こす特殊魔法。 アルハザード式という魔法を利用して作りだしたクライドのオリジナルであった。
現状維持というレアスキルを使うことで、特殊な制御術式を埋め込まれたシールドカッターを無数に用意しておく。 普通ならばリソースの関係で同時制御数には限りがあるし展開枚数も限られるが、一旦クライドが放置した魔法は条件付けされた条件を満たすか破壊されない限り永久に残り続ける。 法外な制御能力を持ったデバイスがあれば、態々条件付けをしなくても任意で操ることができるのだろうがそんなものをクライドは持っていない。 だからこそ、ゲリラ戦的に潜んでディーゼルをただひたすらに削るためだけにこれを考案したのであった。 フラグサーチャーによる信号操作で、数パターンの行動をとらせることで遠距離から安全に攻める。 削ることだけをひたすらに考えられたそれは、とりあえず数だけは模擬戦場内部に馬鹿に用意されているのだ。
シールドカッターだけでなく、クライドの居場所をかく乱するためのダミーも用意しているのでここに逃げ込んだ今そう簡単に叩き潰されるつもりはクライドには無い。 まあ、ある程度目星をつけられているだろうから、早くこの領域を離脱しなければならないが。
「……よし、後は二手に分かれて逃げるぞ。 あんな化け物いちいち相手にしてられるか」
「た、戦わないのかい?」
「勝てるのか?」
「……無理だね」
「だったら挑むことに意味はない。 メリットが無いしめんどくせぇ。 戦いたいならどうぞご自由に? ただし、一人でやってくれ。 大体、俺たちがあの爺さんの道楽に付き合う義理がそもそも無いだろう」
「は? リンディさんは?」
「そんなもん、個人的に口説けば良いだけの話だろう? なんでわざわざ爺さんの許しがいるんだ?」
「い、いやしかし……」
「あの爺さんの弱点はリンディだ。 付き合うならリンディを盾にしつつうまく立ち回れば良いだけだ。 うむ、何も問題はない。 それとも、爺さんの援護が無いと付き合えない? 馬鹿な。 そんな程度ならそもそも婚約者なんてやってもお互いに辛いだけだと思うぞ俺は」
「……一理あるね。 確かに、提督に許しを請う必要は無い……のか」
「そういうこと。 さて、じゃあこれ預ける。 お互い生き延びようぜ」
「これは……何のデータだい?」
デバイスに送られてきたデータを見て、ディーゼルが訝しむ。 それは、この演習場の地図だった。 だが、所々に座標を明記されており、なんらかの意味があるようにディーゼルは思う。
「その位置に、発炎筒を隠してる。 できるだけ多くの発炎筒を炊いて視覚を潰すんだ。 そうすればあの法外な弾幕も、少しは無意味になるだろうよ」
「目晦ましか。 そしてその間にさっきの魔法で提督の足を止めつつ領域を離脱……なるほど逃げ切れないことはないね」
「そういうこと。 ある程度したら念話を送るからそっから”自由行動”だ。 二手に分かれて別々に逃げれば逃げ切る確率も上がるだろうよ」
「君、もしかしてこんな方法で僕にゲリラ戦を挑むつもりだったのかい?」
「ああ、いちゃもんつけられたらこうしようかと思ってた。 思惑は外されたけどな」
肩を竦めながら、クライドは言う。 戦争をテーマに考えた結果、数で押すことをクライドは選んでいたのだった。 視界を塞ぎ、ミラージュハイドで隠れながら時間をかけて作った膨大な数のシールドカッターを用いてひたすらに少しずつ削っていく。 そうして、弱ったところでこの”決戦場”に迷い込ませ隙を突いて始末する。 それがクライドが考えていたディーゼル制圧作戦の最終戦術であった。
「……君、発炎筒を使うとか本当にとんでもないことを考えるね。 今なら提督がどうして君と僕を戦わせようとしたのか分かる気がするよ」
ディーゼルたちのように単純に強いのではない。 それ以外の何かで、自分のできることでもって勝てる算段を作り出す狡猾さにディーゼルは自分たちにはない異質な魔導師の脅威を見た。 だからこそ、やりすぎてヴォルク提督が怒ったわけだがそもそもそうしなければ勝てないのだから、彼を攻めるのは少し間違っているような気がしないでもない。 そうしないと勝てないのだからそうしたのだ。 それが彼の限界であるが故に。 そして、そうやって戦うことを選ぶだろうということを知っていながら戦わせたというのに、乱入したヴォルク提督には少しばかり含むものを感じてならない。
魔導師のなんたるかを説くのは良いが、それは決着がついてからにすべきだったはずだ。 でなければ”合法”で戦ったクライドにはあんまりだろう。 無論、あの奇襲攻撃は狡いと思うが、なんとなく否定できないものがあることもまた事実だった。 何せ、彼はそもそもまともに戦う気がないし、それをやれば勝てないのである。 そんな相手に正道を説いたところで意味は無いだろう。 価値観の相違という奴である。
そんな風に漠然とディーゼルが考えてしまうのは、恐らくはヴォルクと育った環境が違いすぎたせいだろう。 黎明期を戦い抜いたわけでもないし、全て手探りだった当時と比べれば魔導師としてのあり方の教育にも大きな差がある。 ジェネレーションギャップというか、古い世代と新しい世代の思考の差であったのかもしれない。 そう思うと、まるで世代交代の摩擦を自分たちが演じているように思えてならなかった。
「もう二度と君とは戦いたくないね」
「俺も嫌だ。 もう絶対にあんたとは戦わない」
互いにそういって頷くと、反対方向に揃って駆け出していく。 移動要塞が全てを灰燼にする前に逃げなければ、ノックダウンされる未来しかないのだ。 そんなのは御免被る。
「……グッドラック執務官」
ミラージュハイドを使い、溶ける様に森林へと潜みながらクライドは呟く。 それと同時に、手近にあった発炎筒を炊き、クライドはまた移動を開始する。 勿論、小刻みにフラグ操作をしながらだ。 そうして、さらにもう一つの嫌がらせをするべくミーアに念話を送る。
次々と二人のクライドが発炎筒を使い、煙を発生させまくる。 通常、それだけでは煙はやがて大気中に拡散するだろう。 だからこそ”その煙を閉じ込めるための結界”が必要なのだ。 数分後、そろそろ限界かと思ったクライドはディーゼルに念話で合図を送る。 それと同時に、煙にまぎれるようにして転移魔法を展開。 ”リンディたちがいる”場所へと戻る。
「あ、戻ってきた」
「ミーア、結界よろしく!! アギト、ユニゾン解除だ」
「はーい♪」
「おう」
融合を解除し、転移によって再び解除されたミラージュハイドを纏うクライド。 ついでにここぞとばかりに残りのダミーとカッターのフラグを操作。 ミーアの広域結界がディーゼルとヴォルクを閉じ込めるのを確認すると、一斉に残りを起動する。
「ダミー<身代わり>、シールドカッター残り全部起動!!」
これで、クライドは安全である。 視界を塞がれデバイスのセンサーを頼りにしなければ探せない状況でカッターを乱舞させてヴォルクをかく乱し、さらに駄目押しのダミーとディーゼルさえも巻き込む。 人でなしの戦術であったが、これが一番有効であるのならそれをしない理由は無い。 魔法言語での話し合いなど、御免なのである。
「ふぅ、これで一安心だな」
声だけ出しながら、クライドが汗を拭う。 その仕草を理解できる人間はこの場には二人しかいないのだが、安堵のため息をついたことだけは見えない連中も悟った。
「お兄さん、お疲れ様。 でも、いいのあれ?」
「問題ない。 ディーゼル執務官との模擬戦はもう状況的に俺の勝ちだろ? なら別にそれ以上こだわりを持ったって旨味がないよ。 それに、話はご破算にするってヴォルク提督いってたしな。 まあ、保留にするだけなのかもしれんが……」
「そうなの?」
「何でもかんでも自分の思い通りに行くと思ったら大間違いだ。 あの爺さんにはいい薬だろうよ」
そういうと、クライドはリンディの前に歩いていく。
「というわけでだ。 あの話は多分お流れだ。 どうだ、悪い結末じゃあないだろう?」
「というか、こういう終りはありなんですか?」
「十分アリだろ? ああ、それとリンディに言っとくことがあったわ」
「なんですか?」
ムニムニとリンディの頬っぺたを引っ張るクライド。 その餅肌の弾力を味わいながら真面目な顔で言った。
「これで全部お流れだ。 後は”お前”の好きにしたら良い。 あんなの他人が決めるもんじゃないしお前はお前のペースで好きな奴を見つければいいんだ。 嫌だったら断れよ? こういうのは多分、誰かのためにじゃなくて自分のために決めるべきだ。 でなきゃ、”辛い目”にあうかもしれん」
それが、今のクライドが言える精一杯の言葉だった。 これで理解できるかどうかは分からないが、そういう言葉しかクライドはリンディにかけてやれない。 所詮、青二才の薄っぺらい言葉だと自分でも思ったがしょうがない。 それが”クライド・エイヤル”なのである。
「……クライドさんは”それで”良いんですか?」
「ん? ああ、そうだな。 俺は”自由恋愛”の方が良い。 でないと、なんだ。 嘘っぽい関係になるだろう? 何よりもロマンが無い。 こういうのは少しずつ近づいていくから美しいんだ」
「……はぁ。 そうですよね、”貴方”はそういう人でした」
どこか疲れたようにそういうと、リンディはため息をつく。 何故ため息なのかクライドは理解しかねたが、すぐに顔を上げたリンディがいつもの調子を取り戻していたので両手を離した。
「さて、模擬戦終わったし飯でも食いに行くとしますかね? ザフィーラはどうする?」
「ふむ、付き合おう」
「あ、え? お爺様たちが戻ってくるのを待たないんですか?」
「当然だろ? 待ってたら面倒くさいことになる。 スティンガーブレイドで蜂の巣にされるのは御免だ。 ミーアにアギト、今日のお礼に見送りがてら美味いラーメン屋を紹介してやるよ」
「らーめん?」
「あら、いいわね。 私も行こうかしら」
「……私はここに残ろう。 さすがに、アレを放置していくわけにはいかんからな」
「ああ、じゃあミズノハ先生。 ヴォルク提督に伝言と、後結界の維持頼めます? 結界無くなると”とんでもない”ことになりますからね。 まあ、全部の責任は今回の模擬戦を提案したあの提督のせいにしてください」
そういうと、軽く耳打ちしてクライドは伝言を伝える。
「……嫌味な奴だな。 フッ、だがそのまましっかりと伝えよう。 あの人が怒り狂うのが容易に想像できるな」
くくっと喉を鳴らして笑うと、ミズノハは頷く。
その後、十数分後に結界をぶち抜いて逃げ出してきたディーゼルと、それを追ってきた羅刹<ヴォルク>が来るまでの間リンディとミズノハはその場にいた。 どうやら、緑の自然を大切にという看板はヴォルク提督には意味がなかったらしい。 結界がぶち抜かれたことで模擬戦場が見えたのだが、自然は見事に魔法で焼き払われ丸裸にされていた。
「ミズノハ君、彼はどこにいったのかね?」
「ああ、ヴォルク提督遅かったですね。 クライドなら腹が減ったから友達と一緒に食事にいくそうですよ。 一応貴方宛に伝言を頼まれてます」
「あの小僧、逃げおったのか。 ……で、なんと言っていたのかね?」
「『低ランク魔導師の底力を思い知ったか? これに懲りたら本人に勝手に話を進めるような真似はやめるんだな。 でないと可愛い孫を奪っちまうぞ? byクライド・ハラオウン』――だ、そうですよ」
「あの小僧……今度会ったら絶対にただでは済まさん――」
伝言を聞いて激怒する提督。 その後、同じ名前を持つディーゼルに対して八つ当たりと指導を含めたさらなる超絶魔法言語による会話がなされることになるのだが、それを知っているのは苦笑いをしているミズノハと伝言内容を聞いて顔を紅くしたリンディだけであった。
また、さらに結界が消えたことで発炎筒の煙を火事だと勘違いした教職員によって消防隊が呼ばれ、クライドが言った通り”とんでもない事態”にまで発展するのだが、その責任はすべてヴォルクが追う羽目になってしまった。 当然、クライドがそれも狙っていたのは言うまでも無い。 夜に寮に帰宅後、そのことをリンディから聞いたクライドは、だから結界を張ったんだといって大笑いしていたという。
――とりあえず、当分は二人の関係はこのままらしい。
一般に声高く叫ばれてはいないが、高ランク魔導師を倒す方法は簡単に思いつくだけでもいくつかある。 何故かそういう邪道的な手段は訓練学校で話題にされないのだが、それは恐らくは”その事実が”現在の高ランク魔導師至上主義社会に亀裂を走らせるからだろう。 だから”あえて”目を瞑っているような気がする。 どの教本にも、”魔導師としての戦い方”は記されていても”対高ランク魔導師戦闘の方法”が記載されていない。
”教員”たちから”彼ら”の強さは語られるが、やはりそれを打倒するために必要な話などはほとんど聞いたことがない。 例外はミズノハ先生ぐらいで、明確なそういう話を授業中で聞いたことがないのだ。 自分で考えろということなのか、それともやはり”そんなものがあったら困る”のかは知らないけれど、何か不自然なものを感じる。 あるいは、”そういうこと”を考えるという思考がそもそも異端なのだろうか? 中身が”純粋ミッド人”ではないから不思議に思うのだとしたら皮肉な話だ。
一応、自分なりに高ランク魔導師を倒す方法をいくつか考えていた。 一つ目は人間としての限界を利用する方法。 俺のスタングレネード魔法のようなものだ。 人間が人間として存在する限りはアレの直撃をまともに受けて平然とできる魔導師はいない。 いたらそいつは人間を止めているとしかいえない。 また、このカテゴリー内に入る別戦術といえば、食事に毒を混入するとか、BC兵器とか毒ガスなんかの作戦もありえる。 無論、そんなことをすれば一発でお縄につくわけだが。
二つ目は、魔法の限界を突いた絶対に防御できない魔法を叩き込むこと。 例を挙げれるとすれば一つ目と被る戦術でもあるが強制転移魔法を使うことだろう。 これで宇宙空間にでも強制転移すれば、次元空間や宇宙空間活動用の術式を組んでいないバリアジャケットを着ている通常の魔導師を簡単に潰せる。 一番推奨したいのが、次元転送魔法でもまあいいのだが強制転移が防げないことを利用して魔導師を太陽に直接放り込むことだ。 これをやられれば、どんな高ランク魔導師もお陀仏だ。 あの熱量に耐え切れるだけの防御魔法を瞬時に編むことなどどのような魔導師にも普通はできまい。 ていうか、あの熱量を遮断する魔法など存在するのかさえ不明だ。 まあ、基本的に殺傷が前提であるからこれも犯罪者行き確定の恐ろしい戦術といえる。 無論、方法として存在してるだけであってそれを実行するのにはかなり危険を伴うというのは言うまでも無いし、そのための転送系魔法を習得するだけの勉強と実力は必要だろう。
そして三つ目、なんらかの手段を持って敵に魔導師として戦わせないようにすることだ。 人質を取るなりなんなりして、戦わせることを禁じれば良い。 あとは罠とか闇討ちによる暗殺で相手が戦闘態勢に入る前に一方的に殲滅するというのがある。 まあ、やれば確実に犯罪者なので普通に悪人しかできない戦術だ。 もっとも、悪人になって時空管理局を敵に回しても良い覚悟が俺にあったならやるかもしれない。
思いついた限りでは大体この三パターン。 無論、本当は自分の地力で敵魔導師を圧倒できることが望ましいのだが、そんなことができるのは一握りの魔導師だけだ。 現状、奇策を狙うしかない身の上としてはこの三つのうちのどれかに当てはめて戦うのが無難だ。
色々と考えて、まあできることはやったつもりである。 どうしようもない戦力差だがやるしかない。 俺自身のため、誰かさんのため、まあ理由なんていろいろだ。 ただ、誰かさんのことも考えるなかで、一つだけやばいことが頭に浮かんでしまったのは最悪だった。 なんてことはない、気づいてしまったのだ。 ”エイヤル”と”ディーゼル”のどちらが勝ったとしても”結局フラグが立つかもしれない”ということに。
原作が再現される可能性は低いと思う。 現状維持を持つ俺が夜天の書の主である限りは。 これは現在の俺の手持ちの情報の中から推察すれば起こりようが無いはずのことである。 だというのに、不安は拭えそうにない。 戦って勝った奴が本物の”クライド”だと考えるならば、この場合は”どちらにも”条件が当てはまってしまう。 勝っても負けても”条件を満たしたクライド”が生まれる可能性が残るのだ。 あー、つまりはこの話を受けた時点で俺にとっても誰かさんにとっての最悪になるのかもしれないということ。 全くもって、笑えない話だ。 だとすれば、俺は是が非でも勝つ必要が出てくる。 世界が俺の意のままに動くのならばこんなことを悩む必要はないが、『この世界はいつもこんなはずじゃないことばっかり』らしいので、可能性が思いついたのなら潰さねばならない。 とはいえ、それが潰せないのだとしたら逆に飲み干して超越するぐらいの気構えが必要であるだろう。
「とりあえずは時間稼ぎと様子見が必要。 要するに”現状を維持”して対処方法を捜索、確立する時間の確保をしなければならないわけだ」
結局、そこに行き着くのか。 散々考えて出た結論がこれである。 ヘタレすぎる自分に涙が出そうだった。
今更不安を口にしたところでどうにもならない。 既に時は来たわけで、後はただぶつかるのみである。 どうなるかは神様しか知らないわけで、後は神様のお祈りするぐらいしか勝率を上げる手段はないだろう。 だが、よく戦いは勝負をする前に既に決着がついているという。 勝てる算段をつけている方が勝つという意味の言葉だと思うが、だとしたら少なくとも悪い勝負にはならないと思われる。
――さて、執務官殿に一つ胸でも貸してもらうとしましょうかね。
憑依奮闘記
第十六話
「ターニングポイント」
陸士訓練学校では、最終学年において管理局員が参観する日が何度かある。 これは優秀な魔導師の卵を確保するために行われる一種のスカウトが集まる日だった。 才能豊富な魔導師の数は少ない。 だからこそ、早くから唾をつけておこうというのだ。 無論、OBが懐かしさで来訪することもあるのだが、この日はどの学生も緊張した面持ちで授業に取り組むのが常だった。
無論、個人個人のデータを局員たちは渡されているためそれを目安に動き、放課後などには気になる生徒に声をかけて交渉したりする。 もしこれでスカウトされればもうほとんど進路は決定したも同然なのだから、学生たちも気を抜けない。 また、参観する局員が本局<海>と地上<陸>で凄まじいデッドヒートを繰り返す日でもある。 魔導師はとにかく人材不足だ。 人材を確保したいという気持ちで彼らは一杯であり、より良い条件を相手以上に提示して優秀な学生を手に入れようと力を入れないはずはないのだった。
とはいえ、ほとんどそれは結果の決まりきった戦いといえる。 時空管理局の本局、とりわけ海と呼ばれる本局と陸と呼ばれるミッドチルダ地上本部ではそもそもの規模が違う。 資金も、それに注がれる憧憬も、全てが全て陸は負けている。 広大な次元世界を管理するための巨大な組織と一世界の組織とでは比べるべくもない差があるのだ。 資金、人材、装備、数え上げたらきりがない。 そして海の局員たちは一般的にはエリートとされるものたちばかりで構成されているため、それへの憧れというのは潜在的に強いものがあった。
陸が勝っていることといえば、熱意だろうか。 決して恵まれない環境のなかであっても、それでもミッドチルダの治安を守りたいという正義感を持っている人間が多い。 だからこそ、彼らは必死にスカウトをする。 ギリギリの条件を可能な限り提示して交渉し、ギリギリまで粘り強く語りかけるのだ。 だが、現実は厳しい。 その熱意に負けて地上本部へと行くものも少数存在することは確かだが、やはり学生たちの夢は本局にあることが多い。 待遇、夢、装備、憧れ、総合的に人間が判断するほとんどの部分を海が抑えている以上は、陸が海に負けることは仕方のないことなのかもしれない。 その事実が、陸で必死に働く人間にとっては悲しい現実となっていた。
優秀であればあるほどその魔導師を本局に吸い上げられていく。 残った魔導師が無能というわけではなく、魔法を使えるという観点からすれば十分に優秀なのだが、それでも確実にランクは下回ってしまう。 例外は初めから地上で勤務することを選んでいた者たちぐらいだ。 そのせいで、陸はいつも人手不足が深刻である。 だからこそ彼らは海を嫌っており、海はエリートな高ランク魔導師が少ない陸をどこか見下した思考でいることが多い。 基本的に優先されるのが犯罪の規模からいって海だし、本局の優劣というものが現実に存在する以上はこの対立は一種の構造問題であったのかもしれない。
と、そんな日の只中にあって、しかしリンディはどちらにも目をかけられることなくミズノハの最後の授業を受けていた。 彼女の場合は例外だ。 既に本局で嘱託の資格を取っているのだからその身柄は基本的に本局にあるし、”ハラオウン”の名を受け継ぐものは皆本局へといくと半ば諦められていたからだ。 事実、リンディが地上へ行くことはありえない。 彼女には彼女の目的がある。 それを達成することが陸では出来ない以上、それは仕方がないことだった。
「さて、これで私の授業は最後になるわけだが……今日はいつもの模擬戦ではなく講義をやる」
「……講義ですか?」
自他共に認める戦闘狂の最後の授業とすれば、それは不思議なことだった。 最後だからこそ、全力で私を倒してみろとか言いそうだっただけに、コレにはリンディは首を傾げざるを得ない。 バリアジャケットを纏わずに二人して模擬戦場への道を歩きながら話を続ける。
「そう、講義だ。 これは現在のミッドチルダの魔導師にはタブーな内容でな、本当なら教えてはならないのだが、お前には必要だから教えておこう」
「……それはえと、どんなことなんですか? そんな話は聞いたことが無いんですけど」
「当然だ。 これは過去、特に黎明期前後に用いられてきた非合法戦闘手段であり、今の管理世界には必要がない手段ばかりだ。 管理局の裏話という奴だな。 大体は口伝で伝えられるが、最近はこの存在自体が闇に葬られている」
「それは、私が知っておかなければならないことなんですよね?」
「そうだ。 ”高ランク”魔導師であるお前は知っておかなければならないことだ」
神妙な顔をしてそういうと、ミズノハは天を仰ぐ。 この話事態がタブーなのは、現在のヒエラルキーを破壊するにたるだけのものがあるからである。
「まず、そうだな。 何から話したものか。 ……”高ランク魔導師”に”低ランク魔導師や魔法が使えない者”は勝てないという話が一般的だな?」
「そうですね、それが”常識”です。 例外みたいな狡い人が中にはいるみたいですけど……」
「ふふ、そうだな。 クライド・エイヤルや”私”のように限定的にそれを覆そうとするふざけた奴も中にはいる。 だが、あいつや私は合法な手段を持って高ランク魔導師を倒すことを選択する。 だから、あいつもまだ問題は無い。 というか、あいつのことだから恐らくは分かっていてもしないだろう。 リンディ・ハラオウン。 魔導師を一番効率よく倒す手段は何か知っているか?」
「……いえ」
「あいつなら話していそうだが、そうか。 話していないのか。 ならばやはりこの時間を取ったことは間違いでは無いようだな」
「非合法戦闘手段ですから、法に触れる類の戦術なんでしょうか?」
「うむ。 当時、管理局発足前の段階において新しい管理社会魔法によって築こうとしたが、あまりにその案が奇抜すぎて賛否両論が次元世界中で巻き起こっていたという。 特に、周辺の次元世界を平定したとはいえ、それに反対するものの中に対魔導師戦闘法を確立しようとしたものたちがいた。 そんな彼らが生み出したものでな、魔導師を無力化することだけを突き詰めた方法が存在したんだ。 無論、管理局推進派がそれらを闇の中に抹消したが、そのデータを持ち出した生き残りなどが少数ながら次元世界中に散らばっているらしい。 つまりは――」
「――彼らと敵対した場合にはそれに対抗するために知っておかなければならない?」
「そういうことだ」
対魔導師戦闘法。 魔導師が魔導師を倒す手段ではなく、魔導師とそうでない者もしくは弱い魔導師が戦うために編み出した対魔導師戦術。 質量兵器が十分に使用可能だった時代の遺物であり、今はもう存在されては困る類のものだった。
「AMF(アンチマギリングフィールド)の理論もそうだが、ああいう魔法を無効化する技術や魔導師を効率的に殺害する方法などが実に幅広く研究されていたそうだ。 まあ、そのほとんどが常識的に見て危険すぎるものばかりだったからこそ、抹消されたわけだな。 管理社会を構築する上で邪魔だったからこそ排除したという側面もあったのだろう」
ミズノハもどこまで本当なのかは知らない。 だが、先達の魔導師や古い人間から教えられたぐらいで、その全容を掴んでいるというわけではない。 情勢から考えればそういうことがあっても可笑しくはないので、否定することができないからこそあったかもしれないものとして捉えているだけに過ぎない。 ことが起こった背景を今さら問題にしてもどうしようもないというのもある。 タブーとされ抹消された物事だ。 闇に消えたそれらを調べることなど個人では到底出来まい。
「だが、抹消されたとはいえそれを継承している人間がいるかもしれないし、またそれを研究し続けている輩がいないとも限らない。 そういった場合、彼らがまず狙うのは”お前”たち高ランク魔導師だ。 低ランク魔導師も脅威ではあるが、単独で街を焼き尽くせるほどの火力を持っているかもしれないお前たちの方が危険な存在であるということは口にせずとも分かるだろう? だからこそ、お前はそれを知っておかなければならない」
「……なるほど」
「管理局の高官が暗殺された事件や、逮捕された次元犯罪者の仲間による報復テロなどもある。 特にここ最近、表向きには穏やかに見えるがどうも少しずつミッドチルダの治安も悪くなってきている。 知っているに越したことは無いだろう」
そういうと、一旦ミズノハは口を閉ざし模擬戦場の先へと進む。 周辺には誰もいない。 午後の授業で皆出ているからだ。 時折模擬戦場の奥の方から戦闘音が木霊してくることから授業をしていることは分かるが、目に見えて近くでやっている人はいなかった。
「さて、ここらで良いか」
その後、ミズノハが聞きかじっていたいくつかの方法をリンディは静かに聞いた。 そういうやり方があるということだけ頭に入れておけということだった。 話された内容はどれも現在の”魔導師”が普通には考えないことばかりだ。 質量兵器を用いて戦争をしていた頃の戦術や、テロリストが使う類の戦術。 開発されていたという噂のAMFやそれに関連する技術。 特にトラップと暗殺の類の話については頬を引きつらせるしかない。 えげつない方法ばかりがミズノハからは話され、リンディは少しばかり怖くなる。
「一番多いのは不意打ちによる暗殺だ。 魔導師が戦闘態勢に入る前にそれをされては、さすがに我々でもどうしようもない。 特に恐ろしいのは我々がプライベートなときを狙われることだな、だからこそ金を持っている高ランク魔導師の多くはホームセキュリティーを欠かさずに導入する。 そこには”明確”な理由があるからだ。 それに、高ランク魔導師の名は売れやすいから標的にされやすいのだ。 気をつけておけよ? お前は特に危険だ。 ハラオウンの魔導師がしょっ引いた犯罪者の仲間に報復を誓う奴らが出てくるかもしれんからな」
「……はい」
嫌な話だったが、どうしてミズノハがこの話をしたのかをリンディは理解した。
「例えば、こんな風にだ」
ミズノハが指を弾く。 と、その瞬間リンディの背後からいきなり何者かが現れ、リンディへと攻撃を開始する。 無意識に展開している極小範囲のグラムサイトが無意識的に領域を侵してきた存在に反応したが、行動を起こすよりも拘束の方が早い。 抵抗する間もなくリンディの小さな身体が地面に倒され、背中にゴツゴツした感触の物体を押し当てられる。
「……と、まあこんな具合だ」
「……なんか狡いです」
「ミズノハ先生、二分の遅刻ですよ?」
「これはすまないミハエル先生。 だが、さすが『無音の魔導師』ですね。 そこまで見事に忍べる魔導師は貴方ぐらいだ」
「いえいえ、私なんかまだまだですよ。 どこぞの提督の飼い猫と比べるとまだまだ未熟です」
ミハエルはそういうと、拘束したリンディを開放する。 その手に握られていたのは玩具の銃だ。 小さなプラスチックの弾丸を空気の力で発射するだけのものだったが、もしそれが本物であったなら、引き金を引かれた時点でリンディの命は無かっただろう。
「まあ、こういうことだな。 光学迷彩の技術なんかは普通の質量兵器でも確立されているし、銃なんてのは次元世界を探せば簡単に手に入るのが現状だ。 質量兵器撤廃を訴えても、裏で暗躍する連中は後を立たない。 バリアジャケットさえ着ていればその程度は”普通の魔導師”には問題ないが、奇襲されればこうも脆い。 こういう戦術はごくごく初歩だが、それでも察知されるまではこれは非常に有効な戦術だ。 ただの人間は銃弾に勝てない。 魔導師が魔導師として戦う前に制圧する方法など幾通りもあるだろう。 それに、今のお前は子供だ。 大人にいきなり襲われては魔法を使わなければ対処できんだろう。 魔法を使えなければSランク魔導師もただの子供だからな」
「なるほど」
「まあ、これは極端な例だがな」
そういうと、ミズノハはミハエルとへ視線を飛ばす。 ミハエルは頷くと補足を入れる。
「加えて、管理外世界のフリーランスの魔導師の中には魔法と質量兵器の両方を使う人間もいる。 そういう人間がさっきの私のように動くというのもありえるだろう。 正規の管理局の魔導師ではありえんが、そういうのもいるかもしれないというのを覚えておきたまえ」
「はい」
ミハエルもミズノハも実際に質量兵器保有者と戦ったことがあるが、さすがにやられたことは無い。 だが、それでも連中には連中のやり方があり、セオリーがあることを知ってもらわなければならない。 現状、ミッドチルダは質量兵器の類を封印しているせいでそういったものが原則存在しない。 だから知識としてはそういうものがあるということは知っていても、それ止まりになることがある。 それでは困るし、やはり教えられることは教えるというスタンスでミズノハが教育に臨んでいる以上はこういう話もまた、するのだった。 その後、午後一杯ミズノハとミハエルの体験や実戦で得た現場の話などの講義が続いた。
「さて、そろそろ授業は終りだが。 もう少しだけハラオウンには付き合ってもらうぞ。 ミハエル先生彼女を借りていきますよ」
「了解です。 ”例”の模擬戦ですね?」
「サプライズも結構ですが、やはり”知らされていない当事者”の立場からすればこれほど馬鹿げた話は無いでしょう。 ここは一つ、奴に発破をかける意味でも”本人”を連れて行くべきでしょう」
「はは、貴方は彼よりなのですな?」
「生徒を応援しない教師はいないでしょう。 それに何より、相手が”高ランク”魔導師であるというのなら尚更味方する理由が無いですよ。 私はああいう先天的理不尽に”背を向けず立ち向おう”とする魔導師が大好きですから」
「なるほど、貴女らしい」
「一体なんの話なんですか?」
「なに、余興だよ。 はた迷惑なお節介とでも呼ぶべき。 それで良いかどうかは結局当人次第なのだろうが、私はああいうやり方はあまり好きではない。 何よりもロマンが無いからな」
「ロマン?」
首を傾げるリンディをよそに、苦笑をするとミズノハは彼女を連れて本日のメインイベント会場へと向かう。 無論、彼女自身に興味が無いわけがなかった。 奴がどういう戦い方をするかは分からないが、もし万が一にでも勝てたとしたら、またアークの店のラーメンでも驕ってやろうかと彼女は思う。
戦闘狂は口止めされているわけではないので妖精に知っている全ての事情を話すと、自身の知らぬ間に動いていた状況に思考を停止させた少女を促して進んでいった。
ボンヤリと、クライドは空を眺めながらザフィーラとともに決戦場の入り口にいた。 決戦場の入り口には二人が作った看板が三つある。 『関係者以外立ち入り禁止』『大蛇に注意』『緑の自然を大切に』とペンキで書かれた看板で、目立つように赤のペンキで書かれたそれらが自己の存在を大いに主張していた。 あれなら、嫌でも目に入るだろう。
クライドはもはや人事を尽くして天命を待つだけの状態である。 ことここに到れば、もはや迷っている暇さえない。 時間が過ぎ去るたびにドクンドクンと波打つ心臓の鼓動と、勇む心に自身の身体を振るわせる。 ブルブルと震える指先。 緊張しないわけがなかった。 宮本武蔵と戦った佐々木小次郎の気分である。 待ち人や対戦者が早くきやしないかと、神経質そうに何度もチラチラと背後の道を振り返ってはため息をつく。
「随分緊張しているようね?」
「――あう!?」
澄んだ女性の声と、知り合いの小さな悲鳴がいきなり背後から聞こえてくる。 ビクッとして振り返ってみると、そこにはいつかのカリスマの少女と背中から炎の翼をはためかせるフェレットが一匹いた。
「――何者だ!?」
「待て、ザフィーラ。 知り合いとミーアたちだ」
威嚇するように子狼形態で言うザフィーラに、それをクライドが遮る。 最も、何故カグヤがミーアと一緒にいるのかが分からなかった。 若干首をかしげながら、しかしミーアたちが”間に合った”ことに安堵のため息をつく。
「よう、久しぶり。 カグヤにミーア、あとアギトもな」
「ごきげんようクライド・エイヤル。 今日は少しばかり楽しそうな催しをやるみたいだから、暇つぶしに見学させてもらうわよ? お土産も持ってきてあげたし、文句はないわよね?」
「お土産って、ミーアたちのことか?」
「ええ、渋滞に巻き込まれてたから私がつれてきてあげたのよ」
「だまらっしゃい襟首女!! いきなり現れていきなり拉致していくなんて、あんたふざけてんじゃないわよ!!」
フェレットがカグヤの身体をよじ登るようにして駆け上がり、耳元で盛大に抗議の声を上げる。 ついでに、いつかのようにペチペチと肉球で攻撃するのも忘れない。
「ふふ、見た目どおり可愛らしい攻撃ね」
シュッシュッと空気を切り裂きながらフェレット級パンチを次々と見舞ってくるミーア。 くすぐったそうにその頭を軽く小突くと、カグヤはミーアを無造作にクライドに投げる。
「ひゃっー!?」
放物線を描きながらクライドのまん前に飛んでくるスカイフェレット。 それをキャッチするとクライドは肩に乗せてやる。
「……割りと豪胆だな。 あいつに肉球で攻撃するとは」
「命を惜しむな名を惜しめだよお兄さん。 スクライア一族として、断固としてあの女には負けてやらないの!!」
「……賑やかなことだな主よ」
いつの間にか、緊張で強張った表情消えていた。 毒気を抜かれたというか、いい意味でいつもの調子がクライドに戻ってきていた。
「はは、まあがんばってくれ。 さて、最後の打ち合わせといこうかアギト?」
「あいよぉ」
スカイフェレットがフェレットに退化する。 ユニゾンを解除したアギトが、フワフワとクライドの元に向かいヒソヒソと会話しながら戦術をつめていく。 さらに、それがある程度終わるとクライドはアギトにミラージュハイドの魔法をかける。
「じゃ、そういうことでな」
「あんま気が進まないけど、しょうがねーな。 アタシが一肌脱いでやるよ」
「キャッ!?」
その二人のやりとりを盗み聞きしようとこっそり聞き耳を立てていたミーアだったが、いつの間にかカグヤの手の中に納まっていた。 例によって、カグヤがミーアを”引っ張った”のである。
「興味が沸くのは分かるけど、少しばかり大人しくしていなさい。 先を知ってしまったらつまらないでしょう?」
「だからって、そうやって何食わない顔でそれ使わないでよね。 うう、思い出しただけで背筋が凍るわ」
全身の毛をプルプル振るわせるミーアの頭を撫でるようにしながら、カグヤは少しばかり目を細める。 正直にいえば、このような催しに顔を出すことにカグヤとしては意味が無い。 メリットもないし、こんなことは暇つぶし以上の理由がないのだった。 なら、何故来たのかといえば、彼がやろうとしていること如何によっては、某提督殿が確実に邪魔をするだろうと踏んだからである。 何せ、クライドの作戦は時空管理局のタブーにギリギリ抵触する事柄を含んでいるのだ。 クライドを監視している彼女は、ミーアに言ったこととは裏腹に大体やりたいことを察していた。 だからこそ、最悪クライドの邪魔をするだろう提督を抑えるためにここにいたのだった。 お節介といえばそうだったが、それでも誰も実力で”提督殿”に意見を述べられる人間がいない以上は”ソードダンサー”としての立ち位置でもって魔法言語で介入できる彼女しか場を”抑えられない”。
彼女としてはそこまでしてやる義理は無いのかもしれなかったが、巻き込んでいる以上は少なくとも彼の先に抵触する事柄についてぐらいは援護してあげるのも吝かではなかった。 彼女はもう、分かっていて何もしないのは嫌なのだ。
(本当にあの子が欲しいのか、それとも別の要素が絡んでいるから休学してまで勝ちたいのかは知らないけど、ここが貴方の人生のターニングポイントだというのなら手を貸してあげるわクライド・エイヤル。 最悪、ミッドチルダから追い出されるようなことがあってもヴァルハラへ招待してあげるから、思う存分貴方の”意地”を通して見せなさい)
「貴女……何笑ってるの? お兄さんにまた何か企んでるの?」
薄っすらと笑っていた彼女を訝しんでミーアが尋ねるが、それを頭を撫でることで無視するカグヤ。 だが、ふっと思い出したかのように一言言った。
「貴女、割と撫で甲斐がある毛並みよね?」
「勿論よ。 私の毛並みは次元世界一だもん」
どこからその自信が沸いてくるのかは知らないが、自信満々に言い切るフェレットの負けん気の強さにカグヤは噴出して笑った。
「いつの間にか仲よくなったんだな二人とも」
「まさか!! この女と仲良くする日なんて未来永劫ないもん」
「お友達に向かって酷い言いようだわ。 これは教育が必要かしら?」
「いーっだ!!」
フェレットが軽く火花を散らしていた。 クライドはその楽しげなやりとりをいつに無い様子で観察する。 アギトの姿はそこにはない。 ミラージュハイドで消えているし、必要になればそのタイミングで介入してくることだろう。 彼女こそクライドの切り札であるのだから。
「っと、それはいいのだけれど。 クライド、今回の当事者がきたわよ?」
「え?」
軽く促された視線の先、そこには何故かミズノハと一緒にこちらに向かってくるリンディの姿がある。 それを見て、クライドが顔を顰める。
「あちゃー、まさかとは思ったが来たのかあいつ」
「本人を差し置いて状況を進められたら、本人としてはたまったものでは無いわよ」
「いや、そうなんだろうけどな。 こっちとしてもやり辛くなる」
若干ぎこちない様子でやってくる二人組み。 クライドとしてはどうやって説明したものかと内心で悩む。 が、とりあえずいつも通りにすることにする。
「先生、リンディを連れてくるのはアレでしょ?」
「ふん、当事者を無視してことを運ぼうとするお前たちのほうがどうかしているのだ。 女としてはそういうのは不愉快極まりないのでな。 勝手ながらこの子をつれてきたというわけだ。 それに、私は別に誰にも口止めを頼まれていない。 なら、話さない道理が無いだろう?」
軽く笑いながらそういうと、何を言おうか困っているリンディの背中を押してクライドの前に押し出す。 困ったような、なんともいえない表情でリンディの翡翠の瞳がクライドを見上げ、交差した視線がクライドの黒瞳に絡む。 なんという気まずさなのだろうか。 つい先ほどいつも通りに接するしかないと考えていた癖に、いざ目の前に来られるとその考えが微塵も吹き飛んでしまった。
「……その……あの……」
何かを言おうとしたリンディだったが、さすがにそれを言葉にすることができなかった。 彼女にとっては何もかもがいきなりすぎたのだ。 一体どこの世界に知らぬ間に自分の婚約者を決めるための戦いに巻き込まれた知り合いの男にかける言葉があるというのか。 少なくともリンディにはそんな言葉を知らなかった。 これで、クライドが彼女の恋人とかであったなら別だろうが生憎と二人の関係はそんなものではなかった。
そして、それはクライドも同じだった。 だからこそ頬をかきながら、時を止めたのだ。 だが、このままでいても意味は無い。 一行に浮かばない言葉を強引に捜すと、なんとか言葉を吐き出した。
「まあ……なんだ。 ”任せろ”……悪いようにはしないつもりだ」
「……はい。 その……”勝つ”つもりなんですか? 相手は現役の執務官の人ですよ?」
「そりゃあ……な。 負けるために戦う奴なんて普通はいないさ。 俺にはどこにも”負けてやる”理由がない」
そう、クライドが自分から負けなければならない理由はどこにもないのだった。 虹男に言われたことも、ヘタレながら答えを出した今相手が執務官だろうがなんだろうが知ったことではなかった。
「応援してくれとは言わないし、したらフェアじゃないだろうからしない方がいいぞ。 まあ、少なくとも俺には必要ない。 執務官を応援したいのならそうすれば良いけどな」
「それは……でも……」
何かを悩むように困惑するリンディをよそに、クライドはそれだけだとばかりに視線を外す。 そうして、悩む妖精から離れるとミーアの方へと向かう。
「ミーア、そういえばお前って広域結界張れるか?」
「うん? どういうの?」
「ここの模擬戦場全部覆えるぐらいの広い奴。 高度はこれぐらいで」
「うーん、できないことはないと思うけど強度は保証できないよ?」
「なら、私がバックアップしてあげるわ」
「……大盤振る舞いだなカグヤ。 何かまた俺にさせるつもりなのか?」
「失礼ね。 私の善意よこれは」
「そうか、じゃあ頼む。 初めは多分いらないから、必要になったら手を貸してくれ。 でないと多分、色々と不味いことになる」
心外だとばかりに肩を竦める少女に頼むと、そこでクライドはそのまま敵の到着を待つことにする。
「ふむ、ところでクライド。 その二人は誰なのだ? お前の知り合いか?」
「ええ、二人とも知り合いですよ。 一人はこの前の旅行の時に知り合ったスクライアの子で、もう一人は……」
「――第二十三自治世界ヴァルハラの魔導師ギルド、ミッドガルズ所属のソードダンサーよ。 今日は面白そうな催しがあるようだから、彼の様子を見に来てあげたのよ」
軽く黒髪をかきあげながらそういうカグヤ。 名前は名乗るつもりはないらしい。 だが、その言葉を聞いてミズノハが驚愕を声を上げる。
「ソードダンサー!? アークの師匠の!?」
「あら、そういえば貴女は見覚えがあるわね……確か、アークが剣を教えていた子だったかしら?」
「よろしければ、一戦どうでしょうか!? 貴女の話はアークからよく聞いています!!」
興奮気味にそういうミズノハ。 アークの剣に惚れていた彼女にとっては、その源流となる剣の使い手に会えたことが嬉しいらしい。
「別に構わないけれど、貴女……どこまでアークから学んでいるの?」
「基本とエア・ステップまでです」
「グラムサイトとAMBは?」
「恥ずかしながら、グラムサイトを習得仕切る前にアークがあんなになってしまって、それっきりです。 さすがに、剣を置いた彼に教えを請うのは酷でしたし……」
「そう、まあいいわ。 なら対戦者が来る前にやりましょうか。 少しぐらいなら付き合ってあげるわ」
ミズノハの様子に苦笑を浮かべながら、アークの関係者ならばと少しだけ剣を抜くことにする。 刀型デバイスを展開するカグヤは銃剣を二つ準備するミズノハと共に皆から少し離れた位置に移動していく。
「そういえば、あなたって強いの?」
「そうね、そんなに”弱く”はないつもりよ」
肩から飛び降りるようにしながら問うミーア。 彼女も、そしてクライドもカグヤが戦っているところは見たことが無いだけに、その様子を興味深く見守ることにした。 勿論、隣でリンディが色々と悩んでいたようだったがクライドはそれをあえて放置する。 多分、それは自分で決めないといけないことであるはずだから。
その後、対戦者一行がやってくるまでの間クライドたちはカグヤの強さを目にすることになった。 あの自他共に認める戦闘狂が、あのスパルタ教師が、一太刀も浴びせられぬままに膝を突く。 あくまでも優雅に、ただただやりすぎないように相手をしただけの少女はそれで終りだとばかりに剣を引く。 背筋さえも凍るようなその剣閃には、オーディエンスは言葉も無かった。 ミーアが口をあんぐりと開け、クライドが驚愕に顔を引きつらせ、リンディがただただ感嘆した。
「……次元が違うな」
「き、気をつけないとフェレットの刺身にされちゃうかも……」
「――え? フェレットって食材になるんですか?」
「「……」」」
――発動した妖精の天然ボケに、しかし突っ込む余裕は二人にはなかった。
眼つきの悪い黒髪の少年と柔和で人当りのよさそうな黒髪の少年が、予備の模擬戦場に爆裂魔法か何かで作られた百メートル四方の更地の上で向かい合って対峙していた。 一人は訓練学校に通っている”クライド・エイヤル”。 もう一人は執務官になっている”クライド・ディーゼル”である。
その少年二人は、似ているところも少しはあったが決定的に違うものがいくつもあった。 そのことをリンディ・ハラオウンは知っている。 だが、どうすれば良いのかなんて考えても答えは出ない。 全ては突然にやってきた。 まるで嵐に翻弄される小船のように、荒れ狂う波が通り過ぎるまで耐えることぐらいしか彼女にはできない。 九歳の孫に婚約者を与えようという祖父も祖父だが、それで戦おうとしている知り合い二人が何を考えているかすら、少女には分からない。 というよりも、察しろという方が無理であった。
執務官とは数回しか会った事はない。 デートというか遊びに誘われたことはあるが、それだけで理解することなど到底出来はしない。 どういう人間なのか、そもそも自分に好意を持っていたのかさえ分からない相手なのだ。 悪い人ではないということはなんとなく分かってはいるが、それ以上はさすがに知っているわけがなかった。
そしてもう一人、少しズレているような価値観を持つ変わり者にしてクラスメイトの少年。 この三ヶ月の間で少しは人となりを理解しているつもりだが、それでも彼の場合はどこまで本気なのかが分からない。 冗談と本気の境界、そして本音と建前の境界が酷く曖昧な彼はつかみ所が無い。 ただ、彼は彼自身が必要だと判断したことがらにのみ全力を尽くすタイプであったから、この”戦い自体”には本気で望んでいることだけは分かっていた。 いつものやる気の無い眼つきではない。 あのやる気になった目で静かに彼の敵を見定めている。
(本気で私の婚約者になりたいって思っているわけじゃあないと思いますけど……)
この前の一件が頭を過ぎる。 覚悟がどうたらとか、決意がなんなのかとか、そういうことを言っていたことは知っているから、彼の守備範囲内に自分がいないというわけでもないと思う。 ということは、”そういうこと”なのだろうか? 自意識過剰だと思う反面、そう考えるとなんとなく嬉しく思ってしまうのもまた事実だった。
思い返してみれば、一月ほど前あたりから彼の様子がおかしかった。 眼つきが急激に悪くなったり、透明人間を自称したり、おまけに授業を休学する始末である。 それらすべての行いが、今日この日のためだけにあったことなのだとしたらどれだけ彼がこの一戦にどれだけ重きを置いていたかがよく分かる。
だが、そこまでしても勝てる可能性は限りなく低いだろう。 相手はあのときのリンディとは違う。 彼女のように戦闘をほとんど知らなかった魔導師ではない。 本物の戦闘を知っている相手なのである。 その差は歴然としていると思えてならない。 そして、彼は自分にいつもいつも言っていた。
――魔力はただあるだけで決定的な差を生み出すのだ、と。
事実、その差を覆すのは容易ではない。 真っ向勝負など普通はありえない。 そう考えればこういう向かい合った場面から始まる模擬戦の形式は、クライド・エイヤルにとって最悪のスタートとなるだろう。 彼が勝つ手段を持っていないわけではない。 あのときのように、彼が隙を突いて奥義を決められれば勝てる可能性が全く無いことはないだろう。 だが、それが出来るだろうか?
「ふむ……お前はどう見るリンディ・ハラオウン? クライドに勝ち目はあるか?」
「……無いことも無い気がしますけど、やっぱり無謀だと思います」
「そうだな。 ”このまま”だと話にならんな」
ミズノハが厳しい目で対峙する二人を見ながら言う。 距離が近すぎる。 あれでは策を弄する暇が無い。 クライド・エイヤルの戦い方から勝利するための方法を考えてみるが勝つ前提としてクライドが一度懐に潜り込んで攻撃を防御させなければならないが、アレでは敵が防御する理由が無い。 単純なクロスレンジでの戦闘になれば、クライドでは相手の攻撃をまともに裁ききれず、敗北するしかないのだから。
相手が後衛系ならばまだなんとかなるだろうが、執務官というからにはある程度の汎用性は確保しているはずである。 近距離でも戦う術、もしくは対処法を持っているだろうからやはりアウトだ。 単純な威力で押し負けるのは容易に想像がつく。
「ねぇねぇ、二人ともあんなこと言ってるけどお兄さん大丈夫なのかな?」
カグヤの頭の肩の上で少しムスッとした顔のミーアが言う。 これがどういう戦いなのかを知ってご機嫌斜めらしい。 そんなフェレットの様子に苦笑しながら、しかしカグヤは二人とは違う意見を述べる。
「そうでもないわよ。 アレはアレで十分なチャンスだわ。 大博打だけれど、勝算が無いわけじゃあないもの」
「……ほう? では奴は貴女からアークのような剣を学んだのですか?」
「いいえ。 クライドはまだAMBを”モノ”にしてないわ」
「では、一体どういう方法が?」
少し前の一戦でボロボロにされたミズノハが、興味深げにカグヤに尋ねる。 しかし、カグヤは微笑を浮かべるだけでそれには答えない。
「見ていたら分かるわ。 ただ、それで得た勝利を”勝ち”とあの提督が認めるかどうかが問題ね。 私が審判ならそれでも勝ちと認めるでしょうけど、古い管理局の提督はそれを認めることはしないでしょうね。 禁忌に近いもの」
「禁忌……ですか?」
「アレは時空管理局にとって世に広められたら困る戦術の一つ。 黎明期初頭の悪夢。 魔導師潰しの戦術の一つにしてデバイスマイスターにとっての『悪夢の五年間』を作り出した元凶に限りなく近い戦術だもの」
もうかなり経った今、それを知っている人間はそう多くはいないだろう。 首を傾げるミズノハだったが、ミーアはそれを知っていた。
「『悪夢の五年間』ってアレだよね? 確か時空管理局発足当時、新暦の初めから五年間あった奴でしょ? 確か……杖以外のデバイスの作成を一時的に禁じたんだったっけ?」
「新しい管理世界には質量兵器を模したデバイスなど不要。 魔導師の象徴であり、誇れるべき形態である杖こそが管理局の推奨するデバイスのあるべき姿。 そんな謳い文句で作られた五年間よ。 その名残で今でも訓練学校や通常の管理局の支給デバイスは皆杖型デバイスになってるわ。 当時アレのせいで特にダメージを受けたのが銃型のデバイスね。 質量兵器そのものの形状だったから嫌悪の対象となったわ。 今でもミッド式で銃型デバイスの使い手が少ないのはそのせい。 まあ、解禁後に少しずつ使い手の数は増えているらしいけれど……」
「正に、デバイスマイスターにとっての悪夢だね。 お兄さんが聞いたら激怒しそう」
「そうね。 ん、そろそろ始まるみたいね」
対峙する両者の間でヴォルクが左腕を掲げ、振り下ろした。
「君はバリアジャケットを着ないのかい?」
「いや、開始宣言がされてから着ようかなと思ってね」
肩を竦めてクライドはディーゼルに言う。
「そうかい」
別段、ディーゼルとしてはそれでも別に構わなかった。 それぐらいなら大した時間にはならないし、装着する前に倒そうなんて考えは彼には無い。 今までずっとヴォルクが用意した管理局員と戦っていたせいで、今更訓練生如きに負けるなどとは思えないのだ。 一人だけ不可思議な方法で自分を攻撃してきた学生がいたが、今となってはもうディーゼルにはどうでも良かった。 それよりも、何故五十人抜きを達成した後に訓練学校生と戦わなければならないのかという理由が知りたかった。
「ところで、どうして君が最後の相手なんだい? 僕にはちょっと分からないんだけど……」
本当に全くの謎である。 ヴォルクはこのことに関してディーゼルに何も教えてはいなかった。 リンディを条件付ではあったが倒した少年であり、自身を昏倒させたこともあるということさえ話してはいない。 もし彼が話していたらそれはそれで警戒していただろうが、ディーゼルにはクライドが最後の一人ということの意味が計りかねていた。
「うーん、クラスメイトだから目障りだったからとか?」
無論、大嘘である。 だが、クライドは少なくともこの戦いが終わるまでは自分から語るつもりはない。 どんな情報もやるつもりはなかった。
「……そうなのかい?」
「さあ? 終わったあとでもう一回聞いてみたら教えてくれるんじゃないか?」
「まあ、いいや。 君で最後らしいからこれで終りにさせてもらうよ。 いい加減、職務の間に模擬戦をするのも疲れてるしね」
ため息交じりの言葉に、クライドは同情の視線を送る。 激務の執務官のプライベートな時間さえも容赦なく奪っていく孫馬鹿の提督。 しかも、魔法言語での会話が大得意であり、色々と冗談が通じないタイプであるだけにそのため息にはかなりの疲れが混じっていた。
「……さて、そろそろ始めたいのじゃが良いかね?」
「構いません」
「こちらもいつでもどうぞ」
「うむ、では……初め!!」
二人の間でヴォルクが左腕を掲げ、振り下ろす。 それを合図にクライドがゆっくりとバリアジャケットを装着。 続いてブレイドを抜き放つ。 青の魔力刃が柄から生まれ、敵を切り裂く刃となる。
それに対するはジャベリンである。 ストレージデバイスの先端から現れる青が、敵を貫く槍となる。 そうして二人が共に構え、ジリジリと距離を測るようにしながら相手の様子を探る。 と、場が動き出す前にクライドが口を開いた。 勝負は始まっているが、できれば今聞いておきたい事柄があるらしい。
「ディーゼル執務官、やりあう前に今更だが聞いておきたい」
「……ん、なんだい?」
油断なく対戦者を見据えながら、ディーゼルが話に耳を傾ける。 だが、注意は逸らさない。 不意打ちなんていうやり方が往々にして存在する以上は、警戒するのは当然だった。 だが、紡がれた次の言葉にディーゼルの注意力が一気に消し飛ぶ。
「――あんたはリンディを愛しているのか?」
「む、難しい質問だね」
照れを含まない、真摯な顔で問いかけてくるクライドに対して若干ディーゼルは意味も無く焦る。 それは、直球もはなはだしい問いかけだった。 ことここに到ったからには、前提として”そういう”認識でいなければ話にもならない。 少なくともそのはずだろうとクライドの目が問いかけてきていた。
(ま、まさか彼は本気なのか!?)
違う意味で戦慄せざるを得ない。 もし仮に彼が心底本気だったとしたら、なるほどこれでは自分は人の恋路を邪魔する悪漢である。 何せ、明確な好意を自覚する前の段階である。 自覚している人間と自覚していない人間とではこの戦いの”重み”が違う。 違いすぎる。
黒の瞳を探るように見るが、やはりその目は真っ直ぐにディーゼルを射抜いたまま微動だにしない。 ディーゼルは違う意味で戦慄を覚えるとともに、何かに追い詰められたような息苦しさを感じた。 さすがに執務官といで色恋沙汰の至難など受けているはずが無い。 人間としてこういう”雰囲気”には耐性がなかった。 やはり、その辺りは少年であったからだ。
「答えられない……それが答えだと思って良いか?」
「僕は……それ確認するためのここにいると認識している」
反射的に言葉が出た。 明確に自覚した気持ちなどまだない。 だからこその、彼なりの精一杯の言葉だった。 だが、それを聞いたクライドはフッと一笑するように笑うと声高に言った。
「――執務官、破れたり!!」
「な、なに!?」
早すぎる勝利宣言だった。 一刀も刃を交えずに、しかも明確な格上に対してのこの宣言。 正直、理解しろというほうが無理だろう。
「明確な気持ちも無く、ただただ”自分の気持ちを量るため”だけに戦うような男に俺は倒せん!!」
ブレイドの青い刃を突きつけるようにしながら、クライドが言う。 その言葉に、ディーゼルは打ちのめされたような衝撃を受けた。
「なんだって!?」
「正直に言おう。 実際は俺もあんたと大した違いがあるわけじゃあない。 明確な好意を持っているわけでもなければ、ましてや愛なんてものを持っているとは到底思えない。 だが、少なくとも俺はあいつのためになるだろう考えを持ってここに立っているんだ。 ただ、自分のことしか考えられなかったあんたとは決定的に違う!!」
クライドは容赦しない。 さらに畳み掛けるように心理的にディーゼルを追い詰めていく。
「さらに、俺はある人物から最近『好意があるというのなら、別段問題ではない。 ただ、そういうものが無いというのであれば、勝てる勝てないを考える前に君は戦うべきじゃあない』という言葉をかけられた。 なるほどと、思わず思ったよ。 だからさっきの質問であんたが明確な気持ちを持ってるんだったら、とっととギブアップしようかとも思っていた。 だが、あんたは違う!! そんな”余裕”さえない!! だから戦う前にこれだけは言っておく。 その自分の行動の中に明確な思いが無いと自覚しているのなら、あいつのためになることさえ考えられないのだったら”良識ある人間として今すぐ”ギブアップしろ!!」
「――なぁ!?」
戦いもせずに負けを認めろという。 その言葉に、ディーゼルの顔が凍りつく。
(か、彼は……僕の良心さえ試している!? 本気で彼女のためになることが何かを考え、その通りに行動しろと言っているのか!?)
今までの対戦者の中で、試合中にこんな問答をしてくる人間はいなかった。 だからこそ、ディーゼルはそういうことを考えずに戦ってこれた。 しかし、今はどうしようもない焦りが胸の中にある。 何かを言い返さなければならないと思う。 だが、思考してもクライドに叩きつける言葉がでてこなかった。
「どうした、答えられないのか執務官!! ならば、やはり俺の勝ちだ!! あんたがどれだけ強くても、どれだけのランクを持っていても決して勝っちゃあいけないんだよ!! あいつのためにもギブアップしろクライド・ディーゼル!!」
叱責するようなクライドの罵声が飛ぶ。 そうして、クライドは無防備にも一歩前に足を出した。 その力強い歩みに、ディーゼルは思わず後ろ一歩後退する。
(く、これじゃあ僕が悪者みたいじゃないか!!)
なんだかよく分からないうちにヴォルク提督に婚約者候補に決定され、後々リンディ・ハラオウンの害になりそうな連中を片っ端から叩き伏せさせられてきたというのに、最後の最後でこれはなんなんだろうか? 目の前の少年が強いわけでは決して無い。 事実上、ディーゼルが敗北するような理由が無い。 だが、しかし目の前の少年が今このときばかりは途方も無く強そうにディーゼルには感じられた。 まるで、目に見えないオーラでも纏っているかのようだ。 真摯な目で自分を追い詰めてくる少年に対して、ディーゼルは思わず口を開きかける。 だが、しかし、その言葉を飲み込んだ。
ここでギブアップするのは簡単だ。 だが、たった五文字の言葉を吐くだけで終わるのだから。 だが、今までを振り返ってディーゼルは思う。 例えそうだとしてもどれだけ相手の言うことが正しいと思えたとしても、それは”目の前の相手”から一方的に答えを求められているだけに過ぎず、自分の生の答えでは決して無い。 倒してきた五十人を踏み越えて自分は今そこにいるのだ。 その是非を決めるのは自分ではなく、最終的には彼女のはずだ。 決して目の前にいる訓練学校生では断じて無い。 どのような結末だろうが、自分なりのケジメは自分の手で彼女と相対してつけなければならない。 それが、男と女という奴じゃあないのか?
「……僕は、悪いがそれだけはできない」
「なに!?」
一歩下がった足を前に戻し、ディーゼルは言う。
「君に感謝するよエイヤル君。 そうだ、これが僕なりの答えなんだ。 僕は君に勝って彼女に直接是非を問う!! 僕たちがここで押し問答をしても意味が無い!! それを決めるのは”僕たち”じゃあなくて彼女自身だ!! だからこそ、僕は君と戦おう。 渾身の力で戦おう!!」
明確な意思を得た執務官が、黒の瞳でクライドを見返す。 そこには、先ほど呻いていた少年はいない。 ただの青臭い主張を臆面も無く言い切ることができる漢<おとこ>がそこにいるだけだ。
開放されていく圧倒的な魔力。 総合Sランクの魔力が、迷いから晴れて鳴動していた。 その様子を見て、しかしクライドは再度勝利宣言を言ってのける。
「はっ、笑止也。 今更何を決意したところで、もう絶望的に遅い!! もう一度あえて声高らかに宣言しよう!! 執務官破れたりだ!!」
二度目の勝利宣言を全く臆さずにクライドは言う。 と、その瞬間それを合図にディーゼルの背中に何者かが体当たりをしてきた。
「な!?」
「――ユニゾン・イン!!」
その瞬間、ディーゼルの背中に張り付いた小悪魔が炎の翼を吐き出しながらディーゼルに融合した。 状況を理解できないディーゼルを置いてきぼりにしながら、執務官にとっての最悪のシナリオは既に動いていた。
「さぁ、面倒くさい”前置き”はこのくらいにして戦おうかディーゼル執務官? もう、あんたは”絶対”に俺に勝てない」
ニヤリと笑みを浮かべたクライド。 先ほどの真摯さはどこへやらだった。 釣りあがった唇が、邪笑を刻む。 まるで悪魔にでもなったかような悪い顔をしながら、クライドは真正面からディーゼルに斬りかかっていく。 それを眺める提督の顔は、恐ろしいほどの無表情だったがクライドはあえてそれを無視した。
「……なんだ、あれ?」
「ふ、不意打ちなんて卑怯です!!」
「ど、どこからどうみても悪役だよお兄さん……」
恥ずかしい少年たちの主張が終わったかと思えば、いきなりの奇襲から始まった模擬戦。 これには観客の女性陣の半数以上が目を丸くした。 唯一違うのはお腹を抱えて笑うカグヤとザフィーラだけである。 もっとも、ザフィーラは一言も口を開かずにただただ状況を見守るだけだったが。
「くっくっく、あはははははは!! 二段構えかと思ったら三段構えなんて。 ふふ、しかも戦わずに勝とうっていうのも作戦に入れるなんてね。 ふふ、体を動かすセンスは無いとは思っていたけど、悪知恵のセンスだけはあるみたいね」
恐らく、アレでギブアップさせるのが最良の方法だった。 ”そもそも”戦わなくてすむのならそれが最上の方法に他ならない。 勝手に敗北を感じ、勝手に負けを認める。 それを提督が認めるかどうかは知らないが、それも一つの勝ち方であろう。 というより、もしそれが決まっていたとしたら見事としか言いようがない。 ある意味最強の小細工である。
『ふはははは!! どうした執務官!! 総合Sランクの称号が泣いているぞ!! 魔法は使わないのか? 使ったら暴発するけどな。 くっくっく!! ほら、ジャベリンは消えたぞ? バリアジャケットが消えるのも時間の問題だな? どれだけ高級なストレージデバイスでも、そもそも規格外のスペックを持つ古代ベルカのユニゾンデバイスには到底勝てん!! 無駄な抵抗だ、やはりギブアップしたほうがいいんじゃないか?』
『くそ、汚いぞ!!』
『戦いに綺麗も汚いも何もあるか!! 最後に勝った方が正義なのだ!! それに、一応俺たちは提督に開始宣言をされてからしか動いていない。 気づかなかったあんたが悪い!! 注意力散漫って奴だ!!』
『二対一じゃないかこれじゃあ!!』
『デバイスと魔導師は一心同体!! ほらみろ、一対一だ!! 見事に合法な戦術じゃないか』
『正々堂々と戦う気が無いのか君は!!』
『正々堂々? 何を言うかと思えば、あんたらの方が卑怯だろうが!! なんだその魔力量は!! この”先天的卑怯者”め!! そういう台詞を言いたいんなら、せめて俺と同等の魔力量になるように出力リミッター仕掛けてから出直してきやがれ!! そうしたら真正面から”叩きのめして”やるよ!!』
『ぐぬぬ!! ああ言えばこう言う!!』
まるで、子供の喧嘩であった。 地面を走り回って逃げるディーゼル。 それを追い回すクライド。 既に、本来の立場というのが逆転していた。
「……で、これが禁忌の答えなのですか?」
見ていられないとばかりに、ミズノハがカグヤに尋ねる。 こんなのは正当なミッドチルダの魔導師の戦いでは断じて無い。 頬を引きつらせたミズノハの言葉に、カグヤは言う。
「ええそうよ。 これがユニゾンデバイスの能力を利用した凄く簡単に魔導師を潰す方法。 クライドは一応自重して魔法の妨害と所持魔力の全放出をさせているだけのようだけど、他にももっとえげつないのがあるわね。 例えば、融合した瞬間に魔導師の魔力を利用して内部から自爆させる方法とかね?」
「それは――!?」
「そう、それをやられたら事実上誰にも”防げない”。 どんな高ランク魔導師も死ぬしかない。 辛うじて生き残れたとしても、二度と魔法は使えないでしょうね。 融合したユニゾンデバイスがいる魔力中枢ごと爆破されるんですもの」
だからこそ、禁忌なのであった。 ユニゾンデバイスは通常バリアジャケットや騎士甲冑の上からでもユニゾンができる。 つまり、言い換えれば魔導師のフィールド防御を無視して融合することができるのだ。 フィールドを透過して魔導師に取り付き、融合する。 そうして内部からデリケートな魔法行使を阻害すれば事実上魔導師は魔法を使うことができない。 魔法演算中に介入されれば容易く暴発する危険があるのだ。 そんな状態で魔法を放つなんてのは自殺行為でしかない。 しかも、これは決まればどんな強力な魔導師でも決まれば確実に葬ることができるジョーカー<反則>だ。 また、内部から自爆させる以外にも態と粗悪なユニゾンデバイスを作って融合させ、融合事故を誘発させるという手段もありえる。 つまりは、どうやっても融合された時点で勝負が決まるのだ。 一度融合したら最後、解除できないようにしておくというのも考えられるだろう。 もしこれが当時に広まっていたならば、これから魔導師を前面に押し出した管理社会を形成しようという情勢では邪魔でしかない。 だからこそ、このような明確な脅威は闇に葬られたのだ。
デバイスの値段は使用するパーツによってピンきりだが、大体高級機でも高級車が一個購入できるほどの額だ。 ユニゾンデバイスは豪邸が一件建てられるほどの額が必要と言われる。 けれど、考えてもみよう。 たったそれだけの額で”都市を焼き尽くせる”程の力を持つ”高ランク”魔導師を葬れる可能性を買えるというのなら安いものではないか? しかも、ユニゾンデバイスはデバイスだ。 ロストロギア扱いされているが、質量兵器ではなく魔法科学の産物であるデバイスなのである。 その規制は比較的緩いしレプリカを作るだけの技術力さえあれば作成することは不可能ではない。 そうして、合法的に所持して不意打ちで魔導師を攻めればこれほど容易に魔導師を倒すことができる手段は無いだろう。
「あれ? でもユニゾンを強制解除してしまえばいいんじゃない?」
「ミーア、貴女使ったことも無いデバイスをどうやって扱うの? アギトはユニゾンデバイスの中でも超高級機。 しかも、明確な自我を持つように当時のベルカで作られた希少存在よ? 貴女と融合したときには強制的な融合解除方法とかを感応制御で教えてくれるでしょうけど、そんなもの態々敵に教えるのを許すわけないじゃない? 今あの執務官は未知の異物が身体の中に入って好き勝手されている状態。 どうすることもできはしないわ。 クライドが命じてアギトにユニゾンを解除させるか、アギト自身がユニゾンを解除しないとどうすることもできない。 つまりは、アギトが執務官に取り付く隙を作った時点でクライドの勝ちなのよ」
「ま、まさかさっきの問答もそのための布石ですか!?」
「多分ね。 まあ、本人は多分嘘は言って無いんでしょう。 あのとき面白いぐらい執務官の子が動揺してたもの。 隠れていたアギトがクライドの頭の上からこっそり忍び寄る時間は十分に稼げたわ。 逆に、それができていなければアウトだった。 アギトも無く、あの至近距離。 確実にクライドは敗北していたでしょう。 まあ、勝率五割はあったんじゃない? それだけの確率をあの子<低ランク魔導師>が稼げたのだとしたら破格でしょう? 魔法が使えない魔導師はただの人間。 だからこそ闇に葬られたわけだし、”ユニゾンデバイス擁護法案”の裏にも掛かってくるわけだけど……それにしても、あの子えげつないわね。 どうやっても勝つつもりらしいわ」
薄っすらと細めでクライドを見るカグヤ。 クライドの戦術が元々二段構えだったということを考えれば、今のうちに徹底的に魔力的にも体力的にも疲弊させるつもりなのは目に見えて理解できる。 一気に決めないのはそのためだ。
『くそ!? バリアジャケットが!?』
『ふはははは、それ後が無いぞ!! 後はその馬鹿魔力を全部再利用できないように無意味に放出した上で、このブレイドの刃に滅多切りにされてから敗北してもらおうか!! 非殺傷設定が効いているとはいえ、当たり所が悪ければ一日中手足が痺れてるかもしれんがな!!』
『と、とことん性根が腐っているぞ君!!』
『獅子はウサギを追い詰めるにも全力を尽くすという!! ならば、全力で潰しに掛かって何が悪い。 強すぎた君がいけないのだよ!!』
それにしても、このクライドノリノリである。 一月の鬱憤をここぞとばかりに執務官に向けていた。 見事な”強いもの苛め”である。 本来は狩られるだけのウサギのはずだったのに、そのウサギが実は銃で武装した武装ウサギであったなどとどうやって執務官が予想できるのか。
「この戦術に必要な前提は、執務官が仕事で一度もアギトと似たようなユニゾンデバイスとの融合経験がないこと。 ユニゾンデバイスなんて普通には訓練学校生が所持していないものを持ち出してくるなんてことを想定されないこと。 そして、アギトの存在を融合する直前まで隠しきり、尚且つそのための時間を稼ぐこと。 この三つの前提が無ければ無理だったでしょう。 クライドは賭けに勝ったというわけね」
「むぅ……見事というかなんというか」
「すごいっぽいんですけどその……すごく、卑怯です」
「弱いもの苛めにしかみえないねぇ。 でも、うん。 さっすがお兄さんだね。 戦力比が滅茶苦茶なのにどうにかしちゃうんだもん」
「そもそもが無茶苦茶じゃない。 Sランク相手に低ランクが単独で挑む? これほど馬鹿な話は無いわ。 現役の管理局員でさえ無理でしょこれ。 ”勝ち目”が絶望的なのにさらに真正面からやれなんて条件つけられたら勝てる子なんていないでしょう普通。 アークならどうだったかは分からないけど」
「アークなら……勝ちましたか?」
「彼なら真正面からいって問答無用で勝ってくるわ。 彼はそれができる技量があったもの」
あの弟子ならば、そうするだろう。 力ずくで真正面から高ランク魔導師を屈服させる。 彼はそれができる器を持っていたのだ。
「でも、さてそろそろかしらね?」
「ん、なにが?」
「怖い顔してる人が一人いるでしょう? 二人の決闘に無粋を働きそうだわ」
刀型のデバイスを展開するカグヤ。 その視線の先には、ヴォルク提督がいる。 あの提督は恐らく”純粋魔法”での戦いを望んでいたのだろう。 黎明期を生き抜いたあの世代は、とかく質量兵器を排除することでしか平和は護れないというある種の過剰なマインドコントロールを受けて育っている。 しかも実際にそれらと戦ってきたのだからその認識を強固に保持し続けるのは仕方が無いことだった。 質量兵器アレルギーとでも呼べば良いのか、特にその傾向はエリートである本局の人間にこそ多い。 だからこそ、こういう誰でも魔導師を屈服させうる手段を心の底から恐れており、それ故にそれを認めることはできないだろう。
格上を打倒する魔導師は大いに結構。 だが、それが”魔法以外”の手段で戦ったとなれば話は別だ。 アルカンシェルという”誰でも使える”魔法科学の産物は許容できるという矛盾を孕みながらも、こうしたものに対する忌避を持ち続けたまま肥大化していった時空管理局という組織の、これは体質であり性質であった。
魔法社会を護る上で、前提としてなければならないのが”魔法こそが世界を管理しうる絶対の力”だという事実だ。 それが原則なければならない。 この前提が崩れ去ったときこそ、今の時空管理局はその存在を保てなくなるだろう。 便利でクリーンな魔法の力とはよく言ったものだ。 確かに、それが優れている点は多いが同時に不自由を沢山持っていることもまた事実。 けれど、その不自由を無視してまで押し切ってきたのだから、今更そういうものを受け入れられるはずもない。 そして、その象徴である魔導師が実はこうも”容易く”魔法以外の力で倒されるなどという事実はあってはならないのだ。 例えそれが魔法科学の産物であったとしても、”魔法”以外を認めてはならない。 現行の魔法至上主義社会を守るため、高ランク魔導師至上主義社会を守るため、そしてなによりもようやく形になった時空管理局という管理組織にとってはこういう事実は致命的なものになりかねない。
高ランク魔導師が実は倒すことができない存在でもなんでもないという事実が次元世界中に広まれば、それだけで魔法社会は崩壊する。 魔法以外の力を認めれば、自ずと人類が質量兵器に手を伸ばすことになるだろうことは目に見えているのだ。 そちらは古くから”人類の力”として認知されている。 不平等な力である魔法が今度は逆に淘汰される時代が来るかもしれない。 その芽を摘むこともまた、時空管理局の仕事である。 だからこそ、ヴォルク提督はそれを認められない。 認められるはずがない。 どれだけ破格の戦術でも、それが持つ危険性を正確に理解していればこそ、時空管理局の提督としてそれを受け入れることなどできるはずがなかった。 だからこそ、ヴォルク提督は動かざるを得ない。
カグヤがそれを見て動こうとする。 だが、ふいにその腕が止まった。 別にカグヤにとってはクライドがどこでどうしようがどうでもよい。 クライドで釣り上げる。 情報を得られるようにすれば良いのだから。 クライドを助けるとすれば、それは連中と関わったときだけだろう。 今回のはは余分なことであったが、彼女の持つ罪悪感はその余分をさせようとしていた。
ルナ・ストラウスという友人が彼女にはいる。 永遠を約束された女性だ。 力をつけすぎてしまった彼女は終わることさえ難しいという。 完全に自らを滅することができる存在に滅してもらえばあるいは滅びれるといっていたが、それが出来る存在などどれだけ封鎖世界にいるのか。 ましてや、それに協力する人間など。
退屈が何よりも恐ろしいと彼女は言う。 そして、これからそんな道を永遠に歩むことになる彼の偽者が生まれるのだ。 ”あの言葉”は生きているクライドに言った言葉では無く、その後に続く死ねないクライドに対して送った言葉だ。 だからこそ、オリジナルがその生を終えて、初めてあの報酬が彼女より賜れる。 無限に続く時間の共有。 退屈しのぎの相手という、法外な報酬。 永遠に終わる事の無い報酬。 それだけが、全てが終わった後のカグヤが選んだクライドへの贖罪であった。 だが、乱入しようと思った矢先にクライドは自分でどうにかしようとしていた。 自分でなんとかしようというのだろう。 カグヤは柄に手を伸ばしていた手を放す。 自分のことを自分でやる。 それが当たり前なのだ。 ならば、自分が無粋を働く必要など無い。 精々、どうするのかを見させてもらうだけである。 また、悪知恵で切り抜けるのだろうか? 少しばかりクライドに興味を持った自分がいることに苦笑しながら、カグヤはもう何もしないことを選択した。
逃げ惑う執務官をただただ追い回す。 高速移動魔法さえ使わず、ただ足だけで追う。 たっぷりと時間をかけるべきだった。 獲物を前に舌なめずりをするのは三流のすることらしいが、そもそも敵はもう逃げられない。 檻の中に閉じ込められた反撃できない獲物が入った檻の中に、ハンターが一緒にいたとしたらもうその時点で詰みである。 逃がしてしまうはずが普通は無い。 仮にここからディーゼルが助かる方法があるとすれば、それは二つだけだ。 何とかしてアギトを自分から引き剥がすか、第三者の手助けを得る以外には方法が無い。
(ふむ、大分弱ってきたな?)
体力はまだ持ちそうだが、如何せん魔力が半分以上減っている。 時間を置けば当然回復するだろうが、それでもできるだけ削っておくに越したことは無い。
(それにしても、うん……気持ちいいなこれ。 なんというか、勝利が約束されているって感覚がものすげー快感だ。 ギリギリの綱渡りをしなくて良いっていうのはこんなにも気持ちいものなのか。 しかも高ランク魔導師相手にだ。 これで高揚しないなんて嘘だな)
魔法を使えない人間の恐怖、あるいは低ランク魔導師と高ランク魔導師ぐらいの絶望的な戦力差というのを知ってもらおう。 今まで自分が踏み潰してきた人間が感じる不条理を、その身でとくと味わいやがれ。 そんな認識でクライドはディーゼルを追い回す。
『クライド、もう半分切ったぜ? まだやんのかよぉ?』
『限界ギリギリまで頼む。 そう簡単に楽にはしてやらない。 できれば本当に手足の一本二本潰しておきたいんだけどなぁ』
『ああ、そいういえばあんたは割と腹黒だったっけ?』
『腹黒言うなよ。 むしろ、より拡張高く狡猾であると言ってくれ』
共闘するユニゾンデバイスと念話で語りながら、クライドが言う。 向こうとしても不本意なのだろう。 本来、ユニゾンデバイスとは主<ロード>の力を限界まで引き出してなんぼのデバイスである。 それが、内面からのサポート機能を利用し、敵魔導師を致命的なまでに弱体化させるという正反対の方向で使われれば気分の良いものではないだろう。 だが、ここはグッと我慢してもらうしかない。 クライドだって、まともに挑んで勝てるのならば迷わずその選択を選ぶ。 だが、それが選べない以上はこうするしかないのであった。
(即席の一段目は避けられたが、二段目は成功。 これで終わってくれたら楽なんだけどなぁ……てか、もう絶対に勝てないんだからとっととギブアップしてくれないかね、この執務官?)
ディーゼルにもプライドがあることは理解している。 高ランク魔導師の執務官が、満足に戦えもせずに低ランク保持者に敗北するなどという現実を認めたくないのかもしれない。 自分がもし逆の立場だったとしたらどうしただろうか? ふと、漠然とそう思った。
(俺がもし執務官だったら、やっぱり敵を侮ったんだろうなぁ。 勝てるわけないって思って、術中に嵌ったかもしれん。 アギトはちっこいから気配感じ難いし、問答のほうも大体似たような答え出しててそうだしなぁ。 ああ、でも俺なら相手の話聞く前に魔法叩き込んでたかもな)
面倒くさいなどと思って話を無視していたかもしれない。 戦闘中に敵からの話など聞くことにあまり意味は無い。 ましてや、最悪一撃で終わる相手に態々時間を取るのは無駄というものであろう。 大体、試合中に話す理由が無い。 そんなのは始まる前か終わった後でいいじゃないか。 そんな益体ないことを考える自分がいることに、クライドは苦笑する。 目の前の少年は人が良すぎたのである。
そうして、数分追い回した後、魔力がほぼ枯渇した執務官にトドメを指すべく動く。 高速移動魔法で先回りし、刃を振るう。 辛うじてそれをディーゼルが杖で受け止めようと足掻くが、その身体が宙を舞った。 魔法や魔力が込められていないただの鈍器<杖型デバイス>では魔導師の攻撃を受け止めるのは難しい。 そもそもその威力を受け止められるだけの身体能力がただの人間の少年には無いのだ。 止めろという方が無理な注文である。
「く!?」
歯軋りする執務官が衝撃で倒れたところに駆け寄り、ブレイドの刃を突きつける。 これで終りだった。
「俺の勝ち……だな? もういいか? それともまだ追いかけっこを続けるか? ”もう詰んでる”ってことは分かったと思うんだが」
「……止めを刺してくれないか? ギブアップはするつもりはないよ」
最後まで抵抗する。 それが執務官の意地なのだろう。 クライドはそれに頷くとブレイドの刃を掲げる。
「いい覚悟だ執務官殿。 これで”終り”なら後で握手でもしてくれよな」
そういって、ブレイドの刃を振り下ろそうとした。 だが、そうは問屋が卸さないらしい。 背後で馬鹿みたいな魔力が開放されていた。 この中にいるオーバーSランクの中でも洒落にならない御仁が介入し始めているのだ。 高揚していた頭に無理やり冷水を浴びせられたような感覚がして、クライドの背中から冷や汗が流れる。 無意識に、クライドは振り下ろそうとした腕の動きを止めていた。
――スティンガーブレイド・ジェノサイドシフト。
全方位からの単体封殺魔法。 深緑の魔力剣が一斉にクライドの周囲に展開されている。 どう足掻いても抵抗など無意味だった。 首だけを後ろに向けながらクライドは言う。
「……どういうつもりですかね、これは?」
「どうもこうもない。 もう見るに耐えん。 だから止めたのじゃ」
静かな怒りを内包した提督の言葉が、場に響く。
「君はそれでも魔導師なのかね? そんなもので勝って、それで満足なのかね?」
「”勿論”ですよヴォルク提督」
静かに問うてきた提督に、間髪いれずクライドは答えを返した。 魔導師であることに拘るのならば、そもそも勝てはしない。 力と力をぶつけ合うのなら、勝つのはより強いほうだ。 だからこそクライドはまともに戦えないようにしたのである。
ただ、一つだけ腑に落ちない感じがした。 アギトを隠し、不意打ちをしたことで勝つことにブーイングされるならまだ分かるが、”そんなもので勝って”などと言われることに理解ができないのだ。 クライドはタブーなど当然知らない。 『悪夢の五年間』は知っていたがその裏にある思惑など知りうるはずも無い。 彼はそんなことを誰にも教えられていないのだから当然の話だ。 だからこそ、アギトを否定するような言い回しに違和感を感じた。
(なんだ? 予想外の反応だぞこれ?)
「……で、一体何がお気に召さないんですかね? 俺は合法的に戦ったつもりなんですが?」
「ギリギリ合法であるからこそ不味い戦術もある。 ”その戦術”は世に出てはならないのじゃよ」
「世に出てはならない?」
ますます眉を顰める。 合法なのに世に出てはいかないとはどういうことなのか? 確かに、ユニゾンデバイスをこういう風に使うなんて話は聞いたことはなかったが、時空管理局法にそれを禁止する法があるわけでもないはずだ。 別段犯罪行為をしているというわけでもないし、クライドにはやはりヴォルクの言っていることが理解できない。
「分からないかね? まあ、そうじゃろう。 だからこそ”こういうこと”を平然とできるのじゃろうしのう」
「……ディーゼル執務官。 あんた、あの爺さんが何のことを言っているのか分かるか?」
さっぱり分からないから、とりあえず執務官に振ってみる。 だが、執務官もその言葉に首を横に振るった。 どうやら彼も知らないらしい。
「いや、僕も聞いたことがない」
「じゃあもう一つ、俺は犯罪行為をしたのか?」
「……いや。 君がこのユニゾンデバイスを不法所持しているというのならそうだけど、それ以外の要素では犯罪行為は無かったと思う」
「ユニゾンデバイス……アギトは今日呼んだ観客の一人に借りたもんだ。 そっちが管理局から許可貰ってるから問題は無い……やっぱり納得がいかないな。 明確なルール違反をしたわけでもない。 法に触れたわけでもない。 なのにその戦術は不味いといっていちゃもんをつけられてる……ということは、やはりこの勝負”そういうこと”だったと認識してよろしいんですかね?」
「……そういうこと?」
「端から俺に勝ってもらっちゃ困るということさ。 小細工を凌駕する完全無欠の魔導師が完成しなくなるからな」
吐き捨てるようにそういうと、クライドはヴォルクを視線で射抜く。 初めからそういうつもりだったのだろうか? だとしたら笑えない。 そんな八百長のような勝負にはなんの意味も無いではないか。
「何を勘違いしているのかね? 私は君が”きちんとした魔法”で戦うのであればこんな無粋はせんよ。 君は魔導師の基本を忘れている。 ディーゼル君もだね。 失望だよ」
「魔導師の基本?」
「魔導師は魔法でもって管理世界を管理する尖兵となる。 管理世界に住む魔導師の基本的な心構えじゃよ。 その心得からいえば、その魔法を用いる魔導師の力を”否定しかねない”戦術というのはあってはならないし使ってはならない。 確かに、勝負は君の”勝ち”じゃろうクライド君。 だが、君の勝ちは”魔導師”として認められない」
「……だから納得しろと? だから俺の邪魔をすると?」
「その通りだ」
「……じゃあ、今回のリンディの話は無しですかね? こんな戦術を”使う男”、そしてそれに”負けるような奴”は相応しくないでしょう? それとも”もう一度模擬戦をやり直せ”と?」
「ふむ、やり直すまでも無いよ。 これでは先が思いやられる。 二人とも現段階では不合格じゃ。 よって、一度私が直々に叩きのめ――オホン。 魔法言語で魔導師としてのなんたるかを教えよう」
「今、思いっきり私情を混ぜたな!! そうだな爺さん!!」
不穏当な発言に、さすがのクライドも黙ってはいられない。 だが、そんなことは知らんとばかりにヴォルクは抗議を無視した。 老獪な狸が涼しい顔で若者を嘲笑うの図である。
(く、模擬戦をやり直す気さえないってのはどういうことだ? 予定外すぎるぞこれ。 そんなにあれ不味かったのか?)
焦るクライド。 基本的にクライドの敵想定対象はオーバーSレベルの法外な力を持つの冥王とか魔王の嫁とかであるが、断じてSS持ちなどではない。 そもそもが想定外であるし、今日は執務官を叩きのめすことを目標にしていたのだ。 だからこのような展開は彼の想定範囲外の事象でしかない。 最悪、ブーイングの後にやり直しを要求させられる程度だろうと高を括っていたのだが、やはり『この世界はこんなはずじゃないことばっかり』だ。 しかも、さらに難易度が跳ね上がっている。 管理局ほぼ最高クラスのSSランク。 そんなのをクライドが相手にできるはずがない。
(まあ、リンディの件がご破算になるのなら別にかまわないんだが……俺の一月がこうも容易く消えるのはどうも納得いかねーな。 気分的には勝ったしここで切るというのもありなんだが……。 一矢報いたいという気持ちがないでもない……けど……)
クライドはリンディについて一つ危惧していたことがあった。 この勝負が終わった後、どういう結果が待っていようとあの少女にこの話事態を断ることができるのか? という点だ。 多分、それは無理だ。 今日話しをしてみてやはり確信した。 あの少女には”祖父”が決めたことに対する反抗心がほとんどない。 この戦いを知って困った顔をしていたが、それだけだ。 否定の言葉も何も言われなかった。 きっとあの親との時間に飢えている少女のことだ。 我慢してその境遇に身をおくつもりなのかもしれない。 お嬢様育ちだし、反抗するという選択肢があることさえ知らないのではないかと思う。 それは致命的に”クライド・エイヤル”としては嫌だった。 無論、そこから発展する関係もあるだろう。 だが、そういうのは庶民として生きてきたクライドにとっては認めたくは無い類のものだ。 少なくとも、クライドの恋愛感ではそうである。 だからこそ、そういうのをさせないために自分が動くべきだと思った。 余計なお世話だろうが、それがリンディのためになるとクライドは思う。
今日もしディーゼルに完勝したら、ヴォルクの目の前でまずご破算にするつもりだった。 そうして、反抗することをしても良いことだと教える。 それでもって是非を問うべきだと考えていた。 勿論、その答えも別段すぐに出せというわけではない。 リンディも自分もまだまだ十分に若い。 これから多分に色々な出会いというのがあるだろう。 その中で決めればよい。 ディーゼルを選んでも良いし別の誰かでも勿論構わない。 それがリンディ・ハラオウンの”自由意志”で決めたものならば、それが一番最善のはずだろうから。
「……アギト、こっちにユニゾン頼む」
「……た、戦うのか!? あの爺さんと!?」
融合を解除し、おっかなびっくりアギトは問う。 アギトとしてもあんな規格外をクライドと一緒に相手にするなんてのは真っ平御免である。 センサーが感じる魔力量だけで既に先ほど苛めていたディーゼルを大きく上回っているのだ。 躊躇するのも仕方が無い。 あるいは、シグナムがユニゾン相手だったらそんなことを考えず腹を括ったかもしれない。 だが、クライドである。 状況は絶望的だ。
「わりぃな。 もう少しだけ付き合ってくれ」
「たく、しゃーねーな。 一度引き受けたし……こうなったら最後までめんどうみてやるよ」
アギトとユニゾンするクライド。 その様を見ながら、しかしヴォルクはそのまま動かない。 不気味にただただそれを眺めるだけだ。 余裕の表れといったらそれまでだが、その余裕を貫けるほどの戦力差があるのだから笑えない。
(ちっ、素直にノックダウンされてもいいんだけどな。 なんか納得いかねーんだよなぁ)
状況的にはディーゼルにも勝ったわけだし、話はご破算。 既にクライドには彼と戦う理由は無い。 まあ、自分の身を守るためには今を凌ぐしかないわけだが。 と、そこまで考えてクライドは気づいた。 そもそも戦って勝つ必要がどこにもないということに。 ディーゼルには勝たなければならなかったが、ヴォルクに勝つ必要性は”どこにも”ない。
(あー、アホなこと考えてたな。 いかん、俺の悪い癖だな。 自重しようぜクライド)
勝てないと決め付けられるのは嫌いだし、理不尽に反抗するのは当然としても限度というものがある。 一度釣られた手前、クライドはもういい加減いいようにされるつもりはないのだった。 二度も釣られる気はない。 そして、そうなると話は別だ。 最善を尽くして精々今を生き延びよう。 余裕綽々の顔でこちらの動きを観察するヴォルク提督。 勝負にさえならないのに何も動く気配の無いその姿から、クライドが何も出来まいと高を括っているのがありありと理解できる。 その余裕の有様を見て、クライドはやはり不敵に笑った。
――勝てはしないが、逃げるだけなら無理ではない。
(アギト、スティンガーブレイドを防いでから転移魔法で”決戦場”へ離脱する。 転移魔法の方の演算頼む。 俺だけで攻撃は防ぐ)
(うーい。 了解)
「やる前にやっぱり一つだけ言っておきますけどね、ヴォルク提督」
「ん? 何かね?」
「――いい加減”低ランク魔導師”を侮る癖を捨てたほうが良いですよ?」
瞬間、クライドはヴォルクの返事を待たずに立ち上がろうとしていたディーゼルの背後に高速移動魔法で移動し、その首根っこを掴むようにしながら地面に一発爆裂魔法<ブラストバレット>を放つ。 舞い上がる土砂と、吹き飛ぶ地面。 人一人が入れるだろう穴を作るとクライドはその穴に倒れこむようにして体を潜ませ、ディーゼルを上にして即席の盾にする。
「――ちょっ!?」
ディーゼルがそれを理解した瞬間、ヴォルクが放った百数本の手加減されたスティンガーブレイドが悲鳴を上げるディーゼルを無視してクライドを狙うべく殺到する。 だが、スティンガーブレイドがクライドを襲うためにはディーゼルが邪魔だ。 全方位射撃とはいえ、クライドが隠れた穴を塞ぐ形でディーゼルがいるのだから攻撃は”届かない”。 非殺傷設定魔法なのだから、当然だ。 次の瞬間にはハリネズミとなった執務官が出来上がるだろうが、クライドもヴォルクもそんなことはどうでも良かった。 とはいえ、執務官もまた抵抗しないわけがない。 若干回復していた魔力を振り絞ってストレージデバイスになけなしの魔力を注ぎこみ、ラウンドシールドを展開する。 ストレージデバイスの反応速度でなければ恐らくは無理だっただろう。 まさに、紙一重でS1Uがディーゼルを救ったのだ。
「ふっ、これぞ必殺執務官シールドだ!! 恐れ入ったか提督!!」
「ぜぇ、ぜぇ、君は鬼か!!」
肩で息をするディーゼルが、限界一杯一杯の魔力行使を強要させたクライドに抗議する。 だが、そんなことをしても事態は好転しない。 むしろ、導火線に火をつけただけだ。
「ふむ? ディーゼル君、君はクライド君の味方をするのかね?」
「は? い、いえ僕は……」
「当然だろ爺さん!! 自分を倒した男が意味不明の論理でボコボコにされようとしているんだ。 それだけじゃなくて無力な民間人を管理局の提督が襲ってるんだ。 人間が出来てる執務官なら民間人を救うために身体を張って盾になるのは当たり前だろう!! 見ろ、彼こそは執務官として、管理局の魔導師として誇れる立派な人物じゃないか!! どこぞの孫馬鹿提督も是非に見習うべきだ!!」
「なるほど……よろしい。 ならば講義の時間だ。 二人まとめて掛かって来たまえ。 時空管理局の魔導師とはどういうものか教育しなおしてあげよう。 無論、君たちの大好きな”魔法言語”でだ」
「て、提督僕は――」
「やってみろ耄碌爺!! ”俺たちクライド”二人を相手にしたことを後悔させてやるぜ!!」
「ふん小童<こわっぱ>めが。 年寄りに対する敬老精神というのが足りないと見える」
「無鉄砲でキレやすい最近の若者ですからね。 てか、あんたもう隠居してリンディの側にいてやれ!!」
「ふん、生涯現役じゃよ私は。 ときに、二人ともそろそろ覚悟は良いかね?」
「いや、だから僕は無関係――」
「おうともさ!! そっちこそブルブル震えて命乞いする準備はオーケーか? ぎっくり腰ってのは無しだぞ爺さん!! いい加減こっちがいつまでも大人しくしてると思ったら大間違いだぜ!! いくぞディーゼル!!」
「ああもう、君ちょっと調子が良すぎるぞ!! なんだってそんなことを僕がしなきゃならない!!」
「はん、今更逃げられるもんかよ!! 絶対あの爺さんあんたに階級差を利用して八つ当たりするぞ!! 見ろ、あの顔を!! あんたももうロックオンされてんだ、覚悟を決めろ!! ついでにあんたは敗者なんだから勝者の言うこと聞いとけ!!」
「誰が敗者だ!!」
「あんただあんた!!」
「茶番は終りだ……我が弾幕にて地に伏すが良い小童<こわっぱ>ども」
にらみ合う二人のクライド。 だが、その二人の問答を無視するかのように鳴動する魔力があった。 その爆発的な魔力の開放に、二人は揃って顔を見合わせる。 まず、生き延びなければ話にならない。 それがここでの真理であった。
「くそ、こんなのはコレっきりにしてくれよ!! あの人相手じゃあ生きて帰れるかどうかさえ分からないんだ!! 非殺傷設定魔法で消し炭にされるぞ!!」
「それはあの爺さんに直接交渉しろ!! とりあえずここは一旦引く!! やい爺さん、俺たちを相手にしたかったら決戦場まで追ってきやがれ!! そこで白黒つけてやんよ!!」
クライドはディーゼルを引っつかんだ状態で叫ぶと、アギトが用意していた転移魔法発動。 予備の模擬戦場の中心へと転移する。
「ふん、逃げるか。 だが、私の弾幕から逃れられることなどできないと知るべきだなクライド君」
武装ウサギ<クライド>を狙う移動要塞<ヴォルク>は、そう呟くと飛行魔法を展開。 ゆっくりと空へと上がっていった。
目の前の草原に横たわるようにしながら、五、六メートルをゆうに超えているでかい蛇がいた。 さすがにそんなものが近くにいれば、人間は戸惑う。 無論、魔導師もそうだ。 ディーゼルはクライドに連れられてやってきた瞬間、思わずそれから距離を取りつつバリアジャケットを羽織る。 そういえば、蛇に注意とか言う看板が会った気がする。 それがコレなのか。
「ああ、それか? 今となっては無害だから気にすんな」
そういうと、クライドは無造作にその蛇の頭を殴る。 と、その瞬間幻影魔法が衝撃を受けて消え去り、その下から連結刃の形態となったレヴァンティンが現れる。 それは、クライドが使おうとしていた仕掛けの一つであり、幻影魔法をかけられたレヴァンティンだった。
「くそ、本当はあんたに使うための仕掛けだったってのによ!!」
悪態をつきながらクライドはそれを回収し、待機状態にしてから別のデバイスを取り出す。 展開。 クライドの指に装着されたそれはクラールヴィントだ。 それで空間モニターを展開しながらあらかじめ仕掛けていたサーチャーから状況を確認。 ヴォルクの様子を観察するとすぐさま行動を起こした。
「特殊フラグサーチャー1起動 対象は爺さんの魔力座標。 フラグA、B群総数五百起動。 喰らえ我がカッターの舞!! ついでにフラグサーチャー2起動。 ダミー半分起動!!」
画面の向こう、ヴォルク提督に向かうシールドカッターの群れがある。 結界で隠されていたそれが次々とクライドの指示に従ってヴォルクを襲っている。 それに面食らったヴォルクが、空中で止まって迎撃体勢に移行する。 虚空からいきなり現れたシールドカッターが次々とヴォルクを強襲していく様は圧巻の一言だった。
「な、なんだ今の魔法は? 君がやったのか?」
ディーゼルには理解できない。 そもそも”そういう”遅延操作ができる魔法など存在しないのだからその驚愕は当然だった。 アレはクライドが時間をかけてコツコツと作り上げた罠魔法である。 術式に起動条件をつけ、フラグサーチャーから発進される信号を受けた瞬間に、限られた範囲内で限定行動を起こす特殊魔法。 アルハザード式という魔法を利用して作りだしたクライドのオリジナルであった。
現状維持というレアスキルを使うことで、特殊な制御術式を埋め込まれたシールドカッターを無数に用意しておく。 普通ならばリソースの関係で同時制御数には限りがあるし展開枚数も限られるが、一旦クライドが放置した魔法は条件付けされた条件を満たすか破壊されない限り永久に残り続ける。 法外な制御能力を持ったデバイスがあれば、態々条件付けをしなくても任意で操ることができるのだろうがそんなものをクライドは持っていない。 だからこそ、ゲリラ戦的に潜んでディーゼルをただひたすらに削るためだけにこれを考案したのであった。 フラグサーチャーによる信号操作で、数パターンの行動をとらせることで遠距離から安全に攻める。 削ることだけをひたすらに考えられたそれは、とりあえず数だけは模擬戦場内部に馬鹿に用意されているのだ。
シールドカッターだけでなく、クライドの居場所をかく乱するためのダミーも用意しているのでここに逃げ込んだ今そう簡単に叩き潰されるつもりはクライドには無い。 まあ、ある程度目星をつけられているだろうから、早くこの領域を離脱しなければならないが。
「……よし、後は二手に分かれて逃げるぞ。 あんな化け物いちいち相手にしてられるか」
「た、戦わないのかい?」
「勝てるのか?」
「……無理だね」
「だったら挑むことに意味はない。 メリットが無いしめんどくせぇ。 戦いたいならどうぞご自由に? ただし、一人でやってくれ。 大体、俺たちがあの爺さんの道楽に付き合う義理がそもそも無いだろう」
「は? リンディさんは?」
「そんなもん、個人的に口説けば良いだけの話だろう? なんでわざわざ爺さんの許しがいるんだ?」
「い、いやしかし……」
「あの爺さんの弱点はリンディだ。 付き合うならリンディを盾にしつつうまく立ち回れば良いだけだ。 うむ、何も問題はない。 それとも、爺さんの援護が無いと付き合えない? 馬鹿な。 そんな程度ならそもそも婚約者なんてやってもお互いに辛いだけだと思うぞ俺は」
「……一理あるね。 確かに、提督に許しを請う必要は無い……のか」
「そういうこと。 さて、じゃあこれ預ける。 お互い生き延びようぜ」
「これは……何のデータだい?」
デバイスに送られてきたデータを見て、ディーゼルが訝しむ。 それは、この演習場の地図だった。 だが、所々に座標を明記されており、なんらかの意味があるようにディーゼルは思う。
「その位置に、発炎筒を隠してる。 できるだけ多くの発炎筒を炊いて視覚を潰すんだ。 そうすればあの法外な弾幕も、少しは無意味になるだろうよ」
「目晦ましか。 そしてその間にさっきの魔法で提督の足を止めつつ領域を離脱……なるほど逃げ切れないことはないね」
「そういうこと。 ある程度したら念話を送るからそっから”自由行動”だ。 二手に分かれて別々に逃げれば逃げ切る確率も上がるだろうよ」
「君、もしかしてこんな方法で僕にゲリラ戦を挑むつもりだったのかい?」
「ああ、いちゃもんつけられたらこうしようかと思ってた。 思惑は外されたけどな」
肩を竦めながら、クライドは言う。 戦争をテーマに考えた結果、数で押すことをクライドは選んでいたのだった。 視界を塞ぎ、ミラージュハイドで隠れながら時間をかけて作った膨大な数のシールドカッターを用いてひたすらに少しずつ削っていく。 そうして、弱ったところでこの”決戦場”に迷い込ませ隙を突いて始末する。 それがクライドが考えていたディーゼル制圧作戦の最終戦術であった。
「……君、発炎筒を使うとか本当にとんでもないことを考えるね。 今なら提督がどうして君と僕を戦わせようとしたのか分かる気がするよ」
ディーゼルたちのように単純に強いのではない。 それ以外の何かで、自分のできることでもって勝てる算段を作り出す狡猾さにディーゼルは自分たちにはない異質な魔導師の脅威を見た。 だからこそ、やりすぎてヴォルク提督が怒ったわけだがそもそもそうしなければ勝てないのだから、彼を攻めるのは少し間違っているような気がしないでもない。 そうしないと勝てないのだからそうしたのだ。 それが彼の限界であるが故に。 そして、そうやって戦うことを選ぶだろうということを知っていながら戦わせたというのに、乱入したヴォルク提督には少しばかり含むものを感じてならない。
魔導師のなんたるかを説くのは良いが、それは決着がついてからにすべきだったはずだ。 でなければ”合法”で戦ったクライドにはあんまりだろう。 無論、あの奇襲攻撃は狡いと思うが、なんとなく否定できないものがあることもまた事実だった。 何せ、彼はそもそもまともに戦う気がないし、それをやれば勝てないのである。 そんな相手に正道を説いたところで意味は無いだろう。 価値観の相違という奴である。
そんな風に漠然とディーゼルが考えてしまうのは、恐らくはヴォルクと育った環境が違いすぎたせいだろう。 黎明期を戦い抜いたわけでもないし、全て手探りだった当時と比べれば魔導師としてのあり方の教育にも大きな差がある。 ジェネレーションギャップというか、古い世代と新しい世代の思考の差であったのかもしれない。 そう思うと、まるで世代交代の摩擦を自分たちが演じているように思えてならなかった。
「もう二度と君とは戦いたくないね」
「俺も嫌だ。 もう絶対にあんたとは戦わない」
互いにそういって頷くと、反対方向に揃って駆け出していく。 移動要塞が全てを灰燼にする前に逃げなければ、ノックダウンされる未来しかないのだ。 そんなのは御免被る。
「……グッドラック執務官」
ミラージュハイドを使い、溶ける様に森林へと潜みながらクライドは呟く。 それと同時に、手近にあった発炎筒を炊き、クライドはまた移動を開始する。 勿論、小刻みにフラグ操作をしながらだ。 そうして、さらにもう一つの嫌がらせをするべくミーアに念話を送る。
次々と二人のクライドが発炎筒を使い、煙を発生させまくる。 通常、それだけでは煙はやがて大気中に拡散するだろう。 だからこそ”その煙を閉じ込めるための結界”が必要なのだ。 数分後、そろそろ限界かと思ったクライドはディーゼルに念話で合図を送る。 それと同時に、煙にまぎれるようにして転移魔法を展開。 ”リンディたちがいる”場所へと戻る。
「あ、戻ってきた」
「ミーア、結界よろしく!! アギト、ユニゾン解除だ」
「はーい♪」
「おう」
融合を解除し、転移によって再び解除されたミラージュハイドを纏うクライド。 ついでにここぞとばかりに残りのダミーとカッターのフラグを操作。 ミーアの広域結界がディーゼルとヴォルクを閉じ込めるのを確認すると、一斉に残りを起動する。
「ダミー<身代わり>、シールドカッター残り全部起動!!」
これで、クライドは安全である。 視界を塞がれデバイスのセンサーを頼りにしなければ探せない状況でカッターを乱舞させてヴォルクをかく乱し、さらに駄目押しのダミーとディーゼルさえも巻き込む。 人でなしの戦術であったが、これが一番有効であるのならそれをしない理由は無い。 魔法言語での話し合いなど、御免なのである。
「ふぅ、これで一安心だな」
声だけ出しながら、クライドが汗を拭う。 その仕草を理解できる人間はこの場には二人しかいないのだが、安堵のため息をついたことだけは見えない連中も悟った。
「お兄さん、お疲れ様。 でも、いいのあれ?」
「問題ない。 ディーゼル執務官との模擬戦はもう状況的に俺の勝ちだろ? なら別にそれ以上こだわりを持ったって旨味がないよ。 それに、話はご破算にするってヴォルク提督いってたしな。 まあ、保留にするだけなのかもしれんが……」
「そうなの?」
「何でもかんでも自分の思い通りに行くと思ったら大間違いだ。 あの爺さんにはいい薬だろうよ」
そういうと、クライドはリンディの前に歩いていく。
「というわけでだ。 あの話は多分お流れだ。 どうだ、悪い結末じゃあないだろう?」
「というか、こういう終りはありなんですか?」
「十分アリだろ? ああ、それとリンディに言っとくことがあったわ」
「なんですか?」
ムニムニとリンディの頬っぺたを引っ張るクライド。 その餅肌の弾力を味わいながら真面目な顔で言った。
「これで全部お流れだ。 後は”お前”の好きにしたら良い。 あんなの他人が決めるもんじゃないしお前はお前のペースで好きな奴を見つければいいんだ。 嫌だったら断れよ? こういうのは多分、誰かのためにじゃなくて自分のために決めるべきだ。 でなきゃ、”辛い目”にあうかもしれん」
それが、今のクライドが言える精一杯の言葉だった。 これで理解できるかどうかは分からないが、そういう言葉しかクライドはリンディにかけてやれない。 所詮、青二才の薄っぺらい言葉だと自分でも思ったがしょうがない。 それが”クライド・エイヤル”なのである。
「……クライドさんは”それで”良いんですか?」
「ん? ああ、そうだな。 俺は”自由恋愛”の方が良い。 でないと、なんだ。 嘘っぽい関係になるだろう? 何よりもロマンが無い。 こういうのは少しずつ近づいていくから美しいんだ」
「……はぁ。 そうですよね、”貴方”はそういう人でした」
どこか疲れたようにそういうと、リンディはため息をつく。 何故ため息なのかクライドは理解しかねたが、すぐに顔を上げたリンディがいつもの調子を取り戻していたので両手を離した。
「さて、模擬戦終わったし飯でも食いに行くとしますかね? ザフィーラはどうする?」
「ふむ、付き合おう」
「あ、え? お爺様たちが戻ってくるのを待たないんですか?」
「当然だろ? 待ってたら面倒くさいことになる。 スティンガーブレイドで蜂の巣にされるのは御免だ。 ミーアにアギト、今日のお礼に見送りがてら美味いラーメン屋を紹介してやるよ」
「らーめん?」
「あら、いいわね。 私も行こうかしら」
「……私はここに残ろう。 さすがに、アレを放置していくわけにはいかんからな」
「ああ、じゃあミズノハ先生。 ヴォルク提督に伝言と、後結界の維持頼めます? 結界無くなると”とんでもない”ことになりますからね。 まあ、全部の責任は今回の模擬戦を提案したあの提督のせいにしてください」
そういうと、軽く耳打ちしてクライドは伝言を伝える。
「……嫌味な奴だな。 フッ、だがそのまましっかりと伝えよう。 あの人が怒り狂うのが容易に想像できるな」
くくっと喉を鳴らして笑うと、ミズノハは頷く。
その後、十数分後に結界をぶち抜いて逃げ出してきたディーゼルと、それを追ってきた羅刹<ヴォルク>が来るまでの間リンディとミズノハはその場にいた。 どうやら、緑の自然を大切にという看板はヴォルク提督には意味がなかったらしい。 結界がぶち抜かれたことで模擬戦場が見えたのだが、自然は見事に魔法で焼き払われ丸裸にされていた。
「ミズノハ君、彼はどこにいったのかね?」
「ああ、ヴォルク提督遅かったですね。 クライドなら腹が減ったから友達と一緒に食事にいくそうですよ。 一応貴方宛に伝言を頼まれてます」
「あの小僧、逃げおったのか。 ……で、なんと言っていたのかね?」
「『低ランク魔導師の底力を思い知ったか? これに懲りたら本人に勝手に話を進めるような真似はやめるんだな。 でないと可愛い孫を奪っちまうぞ? byクライド・ハラオウン』――だ、そうですよ」
「あの小僧……今度会ったら絶対にただでは済まさん――」
伝言を聞いて激怒する提督。 その後、同じ名前を持つディーゼルに対して八つ当たりと指導を含めたさらなる超絶魔法言語による会話がなされることになるのだが、それを知っているのは苦笑いをしているミズノハと伝言内容を聞いて顔を紅くしたリンディだけであった。
また、さらに結界が消えたことで発炎筒の煙を火事だと勘違いした教職員によって消防隊が呼ばれ、クライドが言った通り”とんでもない事態”にまで発展するのだが、その責任はすべてヴォルクが追う羽目になってしまった。 当然、クライドがそれも狙っていたのは言うまでも無い。 夜に寮に帰宅後、そのことをリンディから聞いたクライドは、だから結界を張ったんだといって大笑いしていたという。
――とりあえず、当分は二人の関係はこのままらしい。