憑依奮闘記2 第二話
2008-08-22
拘りというのは厄介なものだ。 少なくとも妥協することができないモノに直面した人間の傾向としては、そもそも諦めるという選択肢を奪うからだ。 俺の場合は特にそうだ。 ルール<社会>に生きる以上はその最低限は守るが、逆に言えばそれさえ守ればなんだってオーケーなのである。 であれば、限界まで突っ走るしか無いだろう。 妥協したその瞬間に限界が生まれ、それ以上先を得るチャンスを奪ってしまう。 それでは駄目だ。 妥協しても横道に滑り込んでどうにかするぐらいの気概が無くては嘘になってしまう。――まあ、多分に意地もあったかもしれんが。
「……室長、栄養ドリンクです」
「ああ、グリモア君。 いつもすまないねぇ……」
「室長……それは言わないお約束です」
冷蔵庫に用意してあるそれを一本取り出して、グリモア君がやってきた。 彼女はとにかく俺の健康に気を使ってくれる。 中々よく出来た助手である。 俺が助手だった頃は、寧ろ室長に俺が心配されていたぐらいだった。
――君のその執念は凄いんだけどねぇ、生命維持活動を全く無視するようじゃ二流だよ。
思い出したら懐かしい話だ。 あの頃はよく室長に迷惑をかけたものだ。 研究室に持ち込んだ寝袋と栄養ドリンクの二つで徹夜を日夜していたあの頃。 元々の知識が独学だったから、追いつくために必死だった気がする。 ああ、それから考えるとグリモア君は優秀すぎる。 一度教えたら絶対に忘れないし、こうして駄目な室長の世話までしてくれる。 彼女のおかげで俺は大分楽をさせてもらっているといっても過言ではない。
「……さすがにもう限界では? 眼が犯罪者でかなりワイルドになっていますよ」
「いやまだだ!! この程度ではまだ終わらんよぉぉ!!」
既に二日の貫徹は超えている。 そろそろいい加減テンションがヤバイ。 危ないのではない。 ヤァヴァイのである。 だが、もう少し。 あと少し詰めておかなければキリが悪いのだ。 ここで立ち止まるわけにはいかない。 それをしたらデバイスの女神に見捨てられる。
「やると決めたらやる。 やらないと決めたら絶対にやらない。 これが俺のジャスティスだ!!」
「……はぁ。 正義<ジャスティス>というよりは室長の場合自由<フリーダム>すぎるのだと思いますが」
「かもしれん。 だが、引けないのだよ。 クライド・エイヤルは漢だからな」
「でも室長、何をそんなに焦っているんです?」
「知り合いの占いでヤバイのがあったからな。 もしかしてこれが運命の分岐点なのかと思うと気が気でないのだ」
「運命の分岐点ですか? また随分と大げさですね」
「”後悔が無いようにしたほうが良い”だとさ。 そんなこと言われたら不用意に止まることなど到底できない。 基本的に俺はあらかじめ用意しておいて、それで有事の際にどうにかするタイプだからな」
「はぁ……ところで、室長は占いなんてものを信じるんですか?」
若干信じられないという風に彼女は俺を見る。 合理的なグリモア君のことである。 そういう怪しいのは信じないのかもしれない。 俺だって信じたいとは思わないが、言われたら気になってしまうのだからしょうがない。 特に、不吉な奴は俺の場合は怖い。 怖すぎる。
「基本的には良い占いは信じる。 悪いのは信じない。 というか、信じないように自分に言い聞かせている」
「なんか、狡いですねそれ」
「そんなので一喜一憂してたら、朝の占いと週刊誌の占いと月刊誌の占いを目にするたびに疲れることになると俺は思う。 信じたいものを信じれば良い。 もっとも、怖いもんは怖いのでやっぱり気にしてしまうこともあるが」
「マメにチェックしているんですか?」
「月刊デバイスマイスターに偶に載ってるデバイス占いが面白くてな。 アレだけはチェックするな」
「デバイス占いですか……どんな占いなんですか?」
「自分と相性の良いデバイスを探すんだが、中々に面白い。 ちなみに、俺は何故か普通のデバイスが選ばれず、全部”ロストロギア”しか引けない。 ここまで来るとある種の因縁を感じるな」
「……なんですかそれ? ストレージとかインテリジェントではなくてロストロギアなんですか?」
「――未知の存在の貴方には、ロストロギアがお勧めです。 もはやこれ意外にないほど貴方にしっくりと来るでしょう。 というか、他のは無理です。 運命的に。 今後も周りに未知を振りまくでしょう……だとさ」
「運命……ですか」
「グリモア君は……そうだな。 ストレージとかそういうのに当たりそうだな。 質実剛健、確実性を何よりも重視する貴方のお供に是非一本。 実力主義の鑑です。 これからも精進が吉とかなんとか書いてた気がする」
「なるほど、確かに私向きかもしれませんね。 室長は本当はどれが良かったです?」
「無論、ユニゾンデバイスだ」
「何故です?」
「一番ロマンがある」
「……ロストロギアにはロマンはないのですか?」
「アレは当たり外れが大きすぎるだろう? 安全なのならばそりゃあいいんだろうが、外れを引いたら恐ろしすぎて目も当てられん」
ユニゾンデバイスも一応ロストロギアにカテゴリーされるのだが、分かれているのならば断然ユニゾンデバイスを押したい。 ああ、もう安全なのが一番です。 てか、どうしてロストロギアしか引けんのかが分からない。 雑誌編集者も俺を脅したいのだろうか? 責任者出て来い。
「そういえば室長、ユニゾンデバイスといえば三年前当たりに擁護法案決まりましたよね? 色々と直前になって揉めたみたいですけど……」
「あー、アレな。 管理局側の対応が最悪だったからさ」
ドリンクを煽りながら、俺は軽くそのことを思い返す。 単純にデバイスマイスター連盟や聖王教会が到底認められないようなモノに法案を管理局が改悪して通そうとしていたのが直前になって発覚したのである。 そのせいで、一時期デバイスマイスターの連中が講義のためのストライキを起こそうとしたぐらいだ。 無論、俺はデバイスを愛する男である。 当然抗議の署名もしたしデモ活動に参加した。
「そうなんですか? 私はほとんどアレが起こっていたときは研修中でしたから良く知らないんですが」
「教会の連中や連盟が掲げていた保護構想は別にほとんど問題はなかったんだ。 だが、管理局の管理姿勢があまりにも露骨過ぎてな。 それで顰蹙を買ったのさ」
現在ユニゾンデバイスは純粋ベルカの奴だけで次元世界中に百機前後は稼動していると言われている。 今は無き世界の遺産だ。 文化保護や継承を活動目的にしている教会が理想とした形は、彼らとの共存体制を構築することである。
その籍を教会に登録をしたユニゾンデバイスは擁護されるとともに、専属騎士を探すことができる。 元々が個人の資質を最大限に発揮するためのデバイスである以上は、その当時の使用者に限りなく近いタイプの騎士が望ましいので、ミッド式の魔導師とはあまり相性が良いわけがない。 籍を教会に置こうというのは酷く当然の流れだと思うし、それが普通だ。 そうして、彼らにはそれぞれの能力にあわせたランクが与えられ、融合する機械から融合する騎士――つまりは融合機から融合騎として新しい立場を得て庇護されることになるはずだった。 このとき、彼らにはできるだけ人間と似たような権利を与える。 向こうにはほとんど人間に近い自由意志があるから、そうした方がお互いの摩擦を軽減できるだろうとのことからそうするのが望ましいと言われていた。
無論、権利を得たものは義務を果たさなければならない。 要するに、持ちつ持たれつの共生関係を作ろうという動きが当初の目的の大部分を占めていたわけだ。 騎士の任務の補助や、ユニゾンデバイスとしてのブラックボックスの究明、文化維持の手伝いをしてもらいたかったのだ。 これだけならまあ、問題はあまり無いように思える。 ギブアンドテイクの範疇としては妥当なところであるからだ。 だが、管理局が決めようとしていたのはそんな生易しいものではない。
単純に彼らを拘束するような法案にしようとしたのだ。 発信機の内臓から始まり、一部機能の凍結。 さらには、局に対する絶対服従プログラムの内蔵案など、もはや道具としての扱いしかする気が無いというスタンスを取ったのだ。
これにはさすがに教会も連盟も反発を選ばないわけがない。 擁護の名の裏で、そんなことをされては相手に信用しろというほうが無理だろう。 そんな劣悪な条件で、彼らが登録に集まってくるわけがないし、託そうと言うロード<主>は出てこない。 何を考えてそんなことをしたかったのか。 今でもクライドは首を傾げざるを得ない。 ただ、薄々は感づいてもいた。 管理局は怖いのだ。 ユニゾンデバイスという存在が。
魔導師を簡単に無力化するあの存在は、魔導師にとっての劇薬だ。 良い方にも悪いほうにも繋がるのだから警戒するのは当然なのかもしれない。 あのヴォルク提督が危惧したように、そういう魔導師至上主義社会を破壊する芽を摘むためには完全に彼らを管理下に置くしかないのだから。 ただ、そのやり方は最悪でしかない。 そんなものでは自らの”傲慢さ”や危険性を全世界に証明するようなものだ。
「まあ、結局管理局にはそれを押し通す力は無かった。 連盟の圧力だけならばまぁ力ずくでどうにかなったのかもしれないが、聖王教会が立ち上がっちまったからな。 内と外から攻撃されたんじゃぁたまらないってんで、泣く泣く折れるしかなかったんだ」
「なるほど……」
ちなみに、俺はそれに危機感を覚えていたのでミーアに言ってアギトをミッドガルズのシグナムへと譲渡させていた。 今現在は向こうに籍があるので、管理局も教会も手が出せない。 このとき何故かカグヤが色々と手を貸してくれたという。 ミーアが言っていたが、妙にすんなりと話が進んだらしいのだ。 守護騎士たちのフリーランス資格取得のときもそうらしい。 さすがというかなんというか、我ながらよく彼女の好意を賜れたものだと思う。 俺の扱いだけは相変わらず酷く適当であることだけは変わらないが。
「連盟は基本的にデバイスが好きな連中が多い。 特に、ユニゾンデバイスは俺らにとっちゃあ生きた神の具現だからな。 あの時連盟が動かないってんなら、多分連盟事態も内部分裂してただろうなぁ。 にしても、あの一連の騒動は可笑しかった。 そもそも時空管理局にとって”メリット”がそう多くないのになんであんなことをしようとしたんだかさっぱりわからん。 大体、教会が提案してたんだから立ちふさがるのは目に見えていたはずだろう? いつから管理局は態々敵を作るようなチャレンジャーになったんだろうか? そんな余裕ぶっちゃけ無いはずなんだが……」
「私に尋ねられても答えられませんよ室長」
「いや、まあそうなんだけどな」
上の連中は何かに焦っているのだろうか? それともそうやって煽ることで何かを”確認”したかったのだろうか? いやはや、偉い人たちの思考はさっぱり分からん。
「まあ、またなんかあっても立ち上がれるようにはしておかないといけないということでフィアナルアンサーだ」
「はぁ……」
「ああ、そうだグリモア君。 そういえば君週末は暇か?」
「特に予定はありませんけど」
「ではアイドルのコンサートなどに行く気は無いか? 一枚チケットが余っているんだ」
「……室長、それはもしかしてボクへのデートのお誘いという奴ですか?」
俺の誘いが予想外だったのか、妙にあたふたとしながらグリモア君が尋ねてくる。 いつもは無表情なのに妙に目元が泳いでいるところがその焦りを如実に物語っていた。
「いや、まぁ深い意味は無いぞ。 日頃から助手として頑張ってくれているし、興味があるなら気晴らしにと思ってな。 リンディも誘ってるし……どうする? 勿論無理にとは言わないぞ」
「――いえ、”彼女”が行くなら絶対に行きます」
「そ、そうか?」
「ちなみに、アイドルって誰ですか?」
「ああ、最近TVでも有名な歌姫だ。 なんとあのアリシア・テスタロッサとは俺は知り合いなのだよ!!」
「あ、え? ……本当ですか?」
「うむ、嘘ではない。 もっとも、仲が良いのは俺の使い魔なんだがな。 だが、そのツテでチケットは確保済みだ」
実際、俺はほとんど彼女とは会っていない。 ただ、妙にザフィーラが気に入られていてそのツテがあるだけに過ぎない。 まあ、それでも知り合いということには変わりは無いしこの機会に是非ともサインを貰いたいと思っている。
「し、室長は交友関係もやはり意味不明です。 これだから貴方は侮れない」
何故か頭を抱えるようにそう呟くと、グリモア君は突如としてキッと眼を鋭くさせた。 何か思うところでもあるのだろうか? それとも、彼女もファンなのだろうか? グリモア君はプライベートのことをあまり話さないからいまいちつかみ所が無い。 まあ、悪い娘では無いので今のところは問題なく俺は接してはいる。 経歴の怪しさなどもはやどうでも良いことであった。 てか、気にしてもしょうがないと思っている。 彼女は三年間何も問題を起こしていないし、勤務態度はすこぶる良い。 これでケチをつけろという方が難しい。
「なぁグリモア君。 もしかして彼女のサインが欲しいのか? 俺も貰うつもりだからアレだったら一緒に頼んでみるが……」
「……そうですね。 記念に是非お願いします」
「ああ、任せておいてくれ。 忘れられてなければ大丈夫だと思う」
「……は? 親しいのでは無いんですか?」
「ぶっちゃけ六年ぐらい会って無い。 まあ、あいつが楽屋に行くときにでも頼めば問題は無いとは思うんだが……」
関係者以外お断りで、警備員に追い出されたらどうしようか? そんな益体もない想像が頭を過ぎる。 いや、この場合はミッドTVにすっぱ抜かれる方が危険か。 『管理局本局のデバイスマイスター、アイドルに会いにいって警備員と乱闘を起こす!!』なんて見出しでミッド新聞の三面記事のトップを飾ることにでもなったら俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。 うむ、ファンクラブの闇討ちにあう可能性も無きにしも非ずだしな。
(ざ、ザフィーラ……俺の進退はお前に掛かっているかもしれんぞ)
とりあえず、怪しい格好だけはしないように気をつけておこう。
「まあ、週末のお楽しみだなこれは。 さて、続きを再開だ。 最低限設計図をあげないと俺は寝れん!!」
「室長、ファイトです」
「うむ、今日中に終わらせんとさすがに俺もやばいからな」
――そうして、優秀な助手に支えられながら俺は今日も仕事に励んだ。
憑依奮闘記2
第二話
「終わりの始まり」
人間は基本的に小さくて可愛い動物に弱い傾向がある。 例えば、子犬などがそうだ。 動物嫌いの人間は例外だが、それを除けば大抵嫌われることはない。 大人も子供もそうであるが特に好奇心旺盛な子供の場合はそれが顕著だった。 子供は純粋だ。 無垢で真っ白なその魂はある程度の知識を得るまでは果敢に何事にも興味を示してくる。
「……ジー」
擬音を自分で呟きながら、小さな人影がザフィーラを見下ろしていた。 目をパチクリさせて、しかし好奇心旺盛な様子を隠そうともせずに傍らにしゃがみ込む。 ザフィーラはその様子に気がついていたが、特に気にもしない。 気にする必要が無いというべきか。 相手が魔導師であったなら、川原で共に日向ぼっこをしている主のためにも警戒するべきかもしれないが、ただただ自分に興味を抱いている幼子を邪険にする理由は彼にはなかった。
「……青い犬さん」
そーっと自分の頭を撫でようと手を伸ばしてくるその幼子を、ザフィーラはしかし好きなようにさせていた。 地面に丸まった状態のまま、されるがままをを決め込む。 おっかなびっくり触れてくる小さな掌。 頭を撫でていくそれをどこかくすぐったく感じながらも、やはり動かない。
「ふさふさー♪」
だが、さすがにいつまでもそのままというわけにはいかなかった。 別に撫でられるだけだったなら放置しておいただろうが、彼女の行動は少しずつエスカレートしていた。 撫でられたのだから、その次をしたいと思ったのかもしれない。 そっとザフィーラの身体を抱き上げるようにして持ち上げてくる。 さすがに、これにはザフィーラも寝た振りを決め込むのは無理だった。
「抱き上げるのは構わんが、寝ているときは勘弁して欲しいものだな」
「――わっ!?」
喋ったことに驚いたのか、幼子は思わずびっくりして両手を離す。 ザフィーラはなんなく地面に着地すると、あとずさった少女を見上げた。 青いリボンで可愛らしく両サイドに金髪を縛っているその少女は少し警戒するようにしながらザフィーラを見下ろしている。 だが、好奇心は抑えられないのか離れる様子はなかった。
「私に何か用なのか?」
「や、やっぱり喋ってる……」
「私はそこの男の守護獣だからな」
眠りこけている男に視線を向け、ザフィーラは言う。 少女とのやり取りで起きてこないということは大分深い眠りについているのかもしれない。 訓練学校を卒業し、次は本局へと行くためにここ最近準備に追われていたので疲れがたまっているのだろう。 守護騎士たちの出向のこともあったしそのために色々と動いていたからその疲れが出ているのもしれない。 もうしばらくは寝かせておいてやろうと考え、彼はできるだけ静かに少女に対応することにした。
「しゅごじゅう? ペットじゃないの?」
「厳密にはペットではないな。 ミッド風に言うならば魔導師に仕える使い魔という奴だ」
「そうなんだ? ……使い魔の犬さんなんだね」
「ついでに言うと犬でも無い。 私のベースは狼だ」
小首を傾げる少女にそういうとザフィーラはその場にしゃがみ込む。
「狼……じゃあ私、食べられちゃうの?」
「待て、なぜそうなる。 私は人は食べない」
「でも、悪い狼さんはお婆ちゃんも私も食べちゃうってかーさまがお話してくれてたよ?」
「それは童話の中での話だ。 後、私はまだ悪くは無い狼だ」
それは事実だった。 ”今回”は主の意向でまったく蒐集行為をしていないし、犯罪に加担したことなどまったくない。 つまりは、良い狼に分類されるはずであった。
「じゃあ、良い狼さんだね。 ねぇ、撫でて良いかな? あと、抱きしめてモフモフしてみたいな」
「別にそれぐらいならかまわないが……モフモフ?」
「やった!!」
再び少女の愛玩攻撃が始まった。 しゃがみ込むようにして座ると、ザフィーラを腕に抱き抱いて背中を撫でるようにしたり頬釣りしたりしてくる。 ここら辺りには自分ぐらいの野生動物が少ないのだろうか? 次々と迫り来る少女の攻撃を一身に受け止めながら、ザフィーラはそんなつまらないことをふと思った。
「そういえば、君はこの近くの子なのか?」
「うん、ほら『時の庭園』の向こうの辺りにお家があるよ」
「ああ、あの辺りか。 そういえば少し前に誰かが新しく引越ししてきたという話を聞いたな」
そういう噂を道端で話し込んでいた住人が喋っていたような気がする。 アレは、確か数日前の話だったか。 少女が指差している辺りを見ながら、ザフィーラはなるほどと唸った。 ミッドチルダの南部、ここアルトセイムは自然が豊富に残っており、さらに首都からも離れているせいもあってかわりと田舎である。 何か一つ噂が出れば、すぐに広まるほどであるから相当住人は変化というのに敏感なのであった。 ザフィーラ、そしてシグナムたちがクライドと共に周辺の地理の案内をされたときなどは珍しさによってか、色々と妙な噂を流されていた気がする。
(美人三姉妹と一人身の少年の同居生活……か。 どこのメロドラマなのだろうな)
自分はどうやらペット扱いで数に入っていないらしい。 そのこと事態は別にどうでも良いのだが、奇妙な噂を広められて主が酒の肴にされるのは面白くはなかった。 とはいえ、近所付き合いというのがある。 無難に従姉妹が遊びに来ているのだという風にして、なんとか火消しをしていた主の苦労を考えれば、噂が落ち着くまでは静かにしているしかないだろう。 所詮、人の噂も七十五日である。
「狼さんのお家はどこなのかな?」
「向こうの方に大きな家があるだろう? そのすぐ隣の家だ」
滅多に帰ってこないが、その豪邸に住むのが主の恩人らしい。 出会ったら粗相の無いようにしなければならないが、その機会は少ないと思われる。 よほど忙しいらしく、主の話ではほとんど家に帰って来ることは無いのだとか。 主がほとんど独り立ちした今では、帰って来るのは長期休暇を取れたときぐらいらしい。
「ふーん……ねぇ、偶に遊びにいっても良いかな?」
「駄目だとは言わないが、いつもいるかは分からないぞ?」
「いいよ、近くにまだお友達がいないから寂しかったんだ」
若干寂しそうにそういうと、少女は少しばかり俯く。
「……そうか。 なら、好きにすると良い」
地方の過疎化が進む現実という奴なのだろう。 都会の方が働き口も多くなるのは当然だし若い人間はどんどんと少なくなってきているとザフィーラは聞いていた。 事実、のんびりとした空気の漂う南部を見ていると首都クラナガンのあの喧騒が嘘のように思えてくる。 やはり、人間は人工物のある場所に最終的には集まるということなのか。 便利でクリーンな魔法の力。 その力をいくら結集した近代都市だといっても、自然を抹殺して作り上げた事実は質量兵器時代となんら変わらない。 人間の根源とは時代に左右されないのだ。 都に住み続ける連中の掲げるクリーンで自然に優しい力という言葉が、どうにもザフィーラには痛快な皮肉に思えてならない。 主と共にある守護獣をやっているものの、やはりそう考えるのはその芯の部分に自然への敬意があるからか。 狼のとしての思考が、そんなとりとめのないことを彼に感じさせていたのかもしれなかった。
「家族は?」
「かーさまがいるよ。 とーさまはいなくなっちゃったけど」
「ふむ、では母親が心配しているのではないか?」
「大丈夫、いつもこの辺りで遊んでいるのは知ってるし、ここの人たちは良い人ばっかりだから暗くなる前に帰ってくれば大丈夫なんだよ」
「そうか。 ならばもうしばらく好きにすると良い。 私たちもまだここにいる」
「うん。 そういえば狼さんの名前はなんてゆーの? 私はアリシア。 アリシア・テスタロッサだよ」
「――ザフィーラだ」
まっすぐに自分を見つめる幼子の無垢な瞳を見ながら、彼はしばらくそのまま彼女の相手をすることにした。 特に何か特別なことをしたわけではない。 ただただ話し相手になったり、彼女の好きなようにさせたりしたぐらいだ。 ただ、それだけだったけれど無邪気に自分と遊ぼうとする幼子を見ていると不思議と暖かいものを彼は感じていた。
やがて、主が起きだしてきてからは二人で彼女の相手をし、家まで送っていった。 家から出てきた母親の女性と出会ったときには、その内包する圧倒的な魔力に主共々冷や汗を掻くことになったのは余談である。 これが確か、大体九年前の話だった。
やがて、その後も彼女との邂逅は主が本局へと行ってからも続いた。 彼女が母親の研究について行ってから戻ってくるまでも、そしてキッズモデルになってからもアイドルになってからも彼女の相手をザフィーラはし続けた。
主の家を守ることと各地に散らばった騎士との連絡役、そして家にある夜天の書の管理こそが己の役目だと自負していたから彼はずっと家で家事をしながら過ごしていた。 暇だったからといえばそうなのかもしれない。 だが、偶にやってくる少女の相手をするのは苦ではないし嫌でもなかった。
最近はオフで実家に帰って来るときはかかさずに自分の所に遊びに来ているようだ。 そのたびに色々な話をした。 ほとんどザフィーラは聞く役に徹していたが、それでも少女にとっては十分だったらしい。 新曲をこっそり披露してくれたり、ミッドチルダでコンサートがあるときはチケットをくれるので、応援に行ったりもしている。 ザフィーラは彼女にとって良き狼さんであり続けていたのだ。 多分、このまま何事もなければずっとそのままで彼は在り続けるだろう。
――彼はやはり、良い狼さんなのだから。
「む……懐かしい夢を見たものだな」
縁側の辺りで横になっていたザフィーラは、苦笑しながら呟いた。 時間の流れとは早いものだ。 主の家の管理を始めてからもうそれだけの月日が流れている。 偶に騎士連中が戻ってきたり主が帰って来ることを除けば、ほとんどザフィーラはこの家から動かなかった。 それが彼が自分に課した役目であり、自分がしなければならないことだと彼は考えていたからだ。
時空管理局の本局へとついてくるかとクライドに尋ねられたとき、彼は黙って首を振るった。 確かに、本当ならそれが一番良いと思う。 だが、それは主にとってのリスクが増えることを意味することをザフィーラは言われずとも理解していた。
守護騎士として、夜天の書の騎士として管理局と対峙した数は少なくない。 今は子狼フォームで誤魔化せているが、できるだけそこから主に足が着くようなリスクは負わせるべきではない。 また、夜天の書もそうだ。 気軽に持ち運んでトラブルに巻き込まれる可能性を増やすよりは、一所に隠して静かにしていた方が当然リスクが減るだろう。
夜天の書は自動的に自らの存在を隠すような防衛機構が備えられているが、それでもどこまでそれで隠蔽し続けれられるかどうか分からない。 恐らくは大丈夫だとは思うが、本局に持っていったりなんかして発見されたら眼も当てられない。 また、守護騎士の出向先であるスクライアの方へと持っていくこともやはりするべきではない。 バレたときに関係の無い連中が不利益を被ることになるからだ。 一級捜索指定ロストロギアの秘匿所持、または共謀隠蔽罪でしょっ引かれる未来など彼の一族の誰もが望んではいない。 何かあってもヴァルハラで偶々雇って魔導師が守護騎士だったということで、白を切ることができるように決められているのもそのためだった。
慎重になりすぎて悪くなることは無い。 ザフィーラはクライドが何かあっても迷惑をできるだけかけないようにしたがっていることを知っている。 だから、唯一人で家に残ることを選択した。 主が何か言いたそうにしていたが、それでも彼はこうするのが最善だと言った。 そうして、今に至る。
「そういえば、明後日だったか。 ふむ……何か土産でも持っていくべきだろうか」
あの時の幼子は、いつの間にか世界に大きく羽ばたくようになっていた。 ヴァルハラの企業の特色としては基本的にミッドガルズの進出している場所に展開していくやり方が普通らしく、そのせいでアリシアの名はミッドチルダの外にも広がっている。 歌う歌も悪く無いし、あの可愛らしい容姿だ。 ウケない理由が無いのかもしれない。
本人は幼い頃から大人に囲まれて育ったせいで物怖じしない性格だし、割と好奇心が旺盛である。 様々な世界を渡り歩いて公演するのは楽しいと笑顔で言っていた。 その際、時間が無いときにはちょっと凄い少女に送迎をされるそうだ。 どうも、プロデューサー兼社長のストラウスとか言う人の友人らしいのだが、一秒もしないうちに会場まで運んでくれるという。 まるで手品だとはしゃいでいた。 次元跳躍魔法か何かなのだろうとザフィーラは思ったが、一秒もしないというのには少しばかり驚いたことは記憶に新しい。 やはり、次元世界は広大だ。 名も知れぬ偉大な魔導師がゴロゴロと在野にいるらしい。
守護騎士として、夜天の蒐集補助と護衛を使命としている身であるから興味が無いこともなかった。 ただ、今はそれは必要の無い思考であるということは理解しているので、特に何かをする気はまったくない。 主がいない間に蒐集をする理由は無いし、それは明確な裏切りである。 忠義に生きる者は、それだけはやってはならない。 騎士道に反するその行為をするとしても、全ては主のためでなければならない。 が、今はそれをする理由がまったくなかった。 ならば今成すべきことは、平穏を守ることだけ。 ただそれだけが使命だった。 そのせいで完全に家事スキルが身についたことはご愛嬌だったが、別にあって困るものでもないのでむしろ好意的に受けとめている。 主が長期の休みに帰って来たときなどは腕を振るって舌を楽しませたりもした。 恐らくは、今現在守護騎士で一番家事が得意なのは彼だった。
デバイスマイスターとなったクライドは、メンテナンスの度に魔法を入手できる立場にいる。 研究のためという理由と、デバイスの調整のためなどという理由で合法的に局員から蒐集できるのである。 それのおかげで容易に魔法を蒐集することができていた。 直接書くのはザフィーラの仕事になってしまったが、その程度は別に苦ではない。 今ではもう665ページまで埋めているので残すところあと一ページだけである。
この状態になって既に二年は経っていた。 その間、夜天の書に動きは無い。 ただ黙って鎮座するだけで、己に書き込まれた全てを拒絶するではくただただ黙って受け入れている。 危険が無いので防衛プログラムも起動しないし、手書きというマニュアル入力に対する抵抗も皆無で、後はただ決起の時を待つだけだった。
クライドは既にユニゾンデバイスの弄れるようになっている。 アギトのデータを参考にベルカ系のそれの調整もできるほどになっているので、もし後一ページの手書き入力で完成させることができたとしたら、面白いことになるかもしれないと言っていた。
彼は本気でデバイスマイスターとして前人未到の闇の書改造に踏み切る用意を着々と勧めているのだった。 マニュアル入力で完成した闇の書が、クライドを主と認めたならばクライドは勝算があると踏んでいる。 リンカーコアの魔力蒐集をしないということは、闇の書の防衛プログラムはガス欠で全力が出せないはずだからだ。
ユニゾンデバイスとしてフルスペックを発揮できないだろうが、そんなものは別に欲を出さない限りは必要ではない。 守護騎士がいるだけでもう十分だと彼は思っている。 そうして、完成時に強制ユニゾンによる融合事故で取り込まれつつも夜天の王として管理者権限でもって内部から徹底的に改造する。 改造する際には、後付で付け加えられたらしいはた迷惑な防衛プログラムなど不要。 いっそのこと守護騎士システムと管制人格以外の全部をデリートし蒐集機能やユニゾン機能、魔力侵食機能をことごとくオミットしてやれば良いのではないかと考えている。 それができないのだとしたら、管制人格に拝み倒して切り離してもらってフルボッコの後殲滅。 幸い、知り合い連中にはそういうのが可能な連中にことかかかないので、全てを丸く治めるためにも養父のヘルプは必要だろう。 可能な限り最高を目指しつつ、最悪も考慮した上で勝負に出るかをクライドは決めるつもりだった。
けれど、別段そこまでする必要があるのだろうか? ザフィーラはそのことをクライドに問うたことがある。 今のままでも十分に平和ではないのか? それだけでは駄目なのか? と。 そんなザフィーラにクライドはしかし少し苦笑いしながら言った。
――奇跡を起こせる奴に一人だけ当てがある。 俺が”無理”だとしたらそいつにお前らを託すしかない。 ただ、タイムテーブルを考慮するとキツイんだ。 やるかやらないかを決めるのも正直辛いし悩むところなんだが、最悪コレを逃すとお前たちは永遠にこのままかもしれない。 どうするのが一番良いのか分からないが、それでもやっとく。 そうでもしないと、お前らは永遠にお尋ね者になっちまうからな。 そんなのはまぁ、なんだ。 あんまり精神衛生上よろしくないと思うし、もしかしたらコレが俺の夜天の王としての責務なのかもしれん。
できれば自分でけりがつけられれば良いと言って、そうして彼は本局へと行った。 あれからまだ決起の話は聞いていないが、それでも少しずつその時間が近づいて来ていると思われる。 平和な時間が続くのか、それともまたあの蒐集転生の生活に戻るのかは分からないがザフィーラとしては主の思うがままになれば良いと祈るだけだ。
自分たちはただの魔法プログラム。 それ以上でもそれ以下でも無い。 こうまで平和な時間を過ごせたことは初めてだったと思うが、戦場が自分たちの本当の居場所なのかもしれない。 それ以外の道はシステムに縛られている以上は考えることは難しい。 シグナムもヴィータもシャマルも同じことを恐らくは考えているだろう。 自由な現状への戸惑いと、振って沸いた未知の時間への葛藤がそれぞれの内にある。 けれど、その中で過ごしたこの九年はそうそう悪いものではなかったとザフィーラは思うのだ。 ならば、多分”そういう日”が来たときにでもこの思考に決着をつければ良い。 自分たちを唯の道具だとして在り続けるか、それとも生きた生の存在として自己認識するか。 難しい問題であったが、その新しい答えを得る日は近いのかもしれなかった。
「さて、どうしたものか。 アリシアは花が好きだったから……当日は奴の花屋にでも寄ってから行くべきか?」
どんな花が好みだったかは覚えていないが、多分喜んでくれるだろう。 フッと小さな笑みを浮かべるとザフィーラは家の中へと戻っていった。 会場に行くまでの間に花屋『レインボーマン』への道順を確認しておかなければならない。 確か今回のコンサート会場からそう遠くない場所にあったはずだから、時間的な問題は無いだろう。 ただ、あまりあの辺りには行ったことが無いので記憶を掘り返すためにも、確認は必要である。 優しげな狼は、そうして彼女のために久しぶりに地図を開いた。
「……なぁザフィーラ、なんで俺だけSPに両脇を固められているのだろうか?」
「挙動不審だったからではないのか?」
「しょうがないだろう? 俺はこんなコンサートなんかに来るタイプじゃあないんだし、楽屋に行くなんてこと初めての経験だぞ」
「まあ、こういうのは慣れだ。 すぐに向こうが確認して入れてくれるさ主よ」
小さな花束を持った少年ザフィーラが苦笑しながらそういった。 さすがに、何のチェックも無く楽屋へといけるわけもない。 クライドがおっかなビックリしているのを不審に思ったのか黒服のSPが通報したのが始まりだ。 ザフィーラが自分の名前を出して知り合いだから確認を取ってくれといって今現在確認中だが、その間ずっとクライドは居心地の悪い時間を送っている。 特に、問題だったのがクライドが普通にデバイスを所持していたことだろう。
険しい顔でチェックをしているプロのSPは、完璧にクライドを拘束している。 不審なことでもすれば、確実に攻撃してくるだろう。 SPの中には魔導師も当然いる。 一番怖いのは魔導師なので当たり前か。
「貴方、本当にどこに行ってもトラブルを呼ぶわね?」
「か、カグヤ?」
「この二人は大丈夫だから元の場所をお願い」
「「「はっ!!」」」
鶴の一声だった。 敬礼して去っていく黒服を眺めながら、クライドは不可解な出会いに首を傾げる。 九年前と変わらぬ姿のカリスマ少女は、長い髪を後ろへとかき上げながら悠然とその存在感を放っていた。 白と黒のゴスロリ服が戦慄する程のカリスマを放ち、その紅眼は視線の先にある全ての存在を凍えさせる。 あるいは、SPもその感覚に支配されていたのかもしれない。 支配者の風格を十分に備えたその姿に、一も二も無く従ったのはそのせいではないのか。 げに恐ろしきは、その絶対零度の魅力であった。
「なんであんたがここにいるんだよ? てか、なんでSPがアンタの一言で散るんだ?」
「私は今フリーランスの仕事中なの。 アリシア・テスタロッサは今や次元世界中を渡り歩くアイドルよ? しかも稼ぎ頭筆頭だし、当然警備は厳重になるから私みたいなのが呼ばれるの。 それに、事務所がミッドガルズの系列だからその関係でも私はよく声をかけられてしまうのよ」
「……まあ、アンタが警備してるって分かったら誰も襲わんわな”ソードダンサー”」
「少なくとも、”私と出会って”逃げられる奴は少ないわ」
「検挙率100%そうだもんな。 管理局の連中にも見習わせてやりたいぞ」
どんなに逃げても、襟首辺りごと引っ張られたらそりゃあ逃げられるわけがない。 ある意味、最凶の警備員である。
「まあ、こんなところで無駄話をしていても意味は無いわ。 アリシアに用があるんでしょ? ついてきなさい」
関係者以外立ち入り禁止の看板を超え、長い通路を歩いていく。 こういう場所は普通の人間は入ることさえないので、クライドはキョロキョロと辺りを見回しながらついていく。 と、いくらか通路の角を曲がったところで一つの部屋にたどり着いた。 どうやらここがアリシアの待機している楽屋らしい。 カグヤがノックすると、中から帽子を被った付き人風の女性が出てくる。 どこかで見たことのある女性に似ているので、クライドは少し首を傾げた。 マネージャーとかそういう人っぽいので、とりあえず流れに任せることにする。
「アリシアにお客さんよ」
「これはカグヤ様……お客様ですか? ――ああ、ザフィーラ様ですね。 いつもいつもありがとうございます。 それと、そちらの方は?」
「私の主でクライド・エイヤルという。 今日は都合がついたようなので連れてきたのだが、アリシアと会わせても大丈夫だろうかリニス?」
「貴方がザフィーラ様の……ええ、それでしたら問題はありません。 是非アリシアに会ってあげてください。 プレシアも一度貴方と話したいといっておりましたし、丁度よい機会です。 私はアリシアのマネージャー兼お世話係のリニスと申します。 今後ともよろしくお願いしますエイヤル様」
「いえいえ、こちらこそよろしく」
軽く会釈しながら、クライドは少しばかりリニスの頭の上に載っている帽子に眼を向けた。 確か、あの下には猫耳があるという話だ。 リニスはアリシアの母であるプレシアの飼っていた山猫の使い魔であり、動物形態の名残が残るそれが恥ずかしいので隠しているらしい。 思わず帽子を外してもらいたい衝動に駆られたが、さすがにクライドは自重した。 漢たるもの婦女子には紳士であらなければならないのだ。
「じゃあ、私は警備に戻るから後はお願い」
「はい。 それでは、中へどうぞ」
リニスの先導に従い、ザフィーラとともにクライドは中へと入った。 と、まず眼に入ったのは 化粧台であり、その手前には二人の女性がいた。 一人は十四歳の少女アリシアであり、その隣にいるの妙齢の女性がプレシアだった。 クライドの記憶から大きく成長しているアリシアは、舞台衣装のドレスを纏っており金髪の綺麗なツインテールを降ろしてストレートにしている。 対して母親のプレシアはスーツだった。 確か、ヴァルハラ系列の民間企業にスカウトされたという話だったから、そこの制服なのかもしれない。 ややウェーブのかかったような紫の髪をそのままに、プレシアはアリシアと穏やかに談笑していた。
「アリシア、お客様ですよ」
「……ザフィーラ? それに……あ、もしかしてクライドお兄ちゃん!?」
「久しぶりだな」
「どうも、久しぶり。 さすがに忘れられてるかと思ってたよ」
椅子から立ち上がって駆け寄ってくるアリシア。 そんな彼女にザフィーラは用意していた花束を差し出す。
「お土産だ。 さすがに、いつもいつもお菓子だとアレだからな」
「ふふ、ありがとね」
はにかみながら、花束を受け取るとアリシア。 ザフィーラはそれを渡すとすぐに子狼フォームになる。 どちらかといえば、その形態の方が彼女と馴染みがあるからだった。 そうして、旧交を温める二人を眺めながら、クライドは隣にやってきたプレシアと会話する。
「どうもこんにちわ。 あれから会ってなかったけれど、貴方も随分と大きくなったわね?」
「まあ、結構経ってますからね。 これでも今は一応一端の管理局員ですよ」
「管理局……ね。 私はあまり好きじゃあないけれど、クライド君にとっては良い場所になったのかしら?」
魔導炉ヒュードラの件のことを言っているのだろう。 あの事故の原因はほとんど管理局の強引なやり方のせいだったいう話だし、娘が死に掛けたりしたことを考えれば良い感情を抱けという方が無理だろう。 なんともいえない表情が、そのことを深く物語っていた。
「まあ、悪くは無いですね。 割と愉快な連中の多い部署なんで」
「ふふ、羨ましいわね。 楽しい職場で働けるってことは良いことだわ。 私も今の職場は大分気に入っているのよ。 民間企業だけれど、結構技術力も高いし社員を大事にしてくれるから働き甲斐があるの」
「やりがいは大事ですね。 俺の方なんてほとんど趣味で仕事してますよ」
「確か、デバイスマイスターを目指していたんだったわよね?」
「ええ、今じゃあ小さい研究室を一つ持ってます。 助手もいますし、一国一城の主ですよ。 ただ、助手の子には迷惑をかけまくってますけどね」
「そう、ところで……いくつか”聞きたいこと”があるのだけれど良いかしら? あの使い魔の子に聞いてもどうして貴方が”あんなもの”をアリシアにプレゼントしたのかが分からないっていうのよ。 折角会えたことだし、話してくれないかしら?」
「なんのことです?」
クライドは惚ける。 プレシアの聞きたいことは大体分かるが、それに答える言葉などクライドは持っていない。 いや、答えても別にかまわないのだが馬鹿にされたと思うだろう。 今更話すことに意味があるとは思えなかった。
「アリシアを助けてもらったことには、本当に感謝しているの。 ただ、どうしてもこれだけは確認しておきたいのよ。 アレは”貴方”の仕業だったのかしら?」
「どっちのことですかね? 事故の方ですか? それとも”彼女”が生きていられた理由の方ですか?」
「できれば両方教えてもらいたいわね。 前者は人として、後者は技術者として知りたいわ」
「プレシアさんがどういう答えを聞きたいのかいまいち分からないんですけど、勘違いをしていそうなので言っときますよ。 俺はあの事故とは全くの無関係です。 そもそも、何かを出来る立場に無かったし、するメリットが無い。 もう一つの方は……まあ、俺がデバイスマイスターを目指していたからってことですかね」
「……嘘は言ってない見たいね? でも、全部話してもいない。 ……まあ、アレが貴方のせいで無いのならば良いわ。 恩人か元凶なのか、ここ数年ずっと気になっていたから」
「不自然なことでもあったんですか?」
「ええ、後から気づいたことだけどね。 あのときは色々と追い詰められていたから気づけなかったけど、アリシアが無事だったから余裕があったのかもしれない。 それで研究凍結が決まったとき、データを纏めていたら”不自然”なものを見つけたのよ。 それからずっと私の中でそれが燻っていた。 ごめんなさいね、疑ったりして」
「いえ、まあ別に納得してもらえたんなら良いんですけどね」
正直、クライドはそのプレシアの言葉には驚いていた。 そんな話は初耳だった。 今、クライドは確かに”可笑しな”ことを一つ見つけた。 これも自分が生み出したズレなのだろうか? 若干首を傾げながら、尋ねてみる。
「俺の方からも質問して良いですか?」
「ええ、話せることなら」
「俺は魔導炉ヒュードラって結局何なのかよく知らないんですよ。 アレって結局なんだったんですか? ニュースじゃあ新型の次元航行エネルギーを利用した新機軸の駆動炉だったって話ですけど、それが暴走したぐらいで”中規模次元震動”が起こせる程のエネルギーが得られるのかちょっと気になるんですが」
「……貴方、魔導炉に興味があるの?」
「ちょっとだけデバイスの研究のために調べてみたことがあるんですよ。 通常の魔導炉って結局次元航行艦や発電所で使われる……要するに大量の魔力を作り出すためのエンジンですよね? けど、通常製造魔力が暴走したぐらいでそこまでの出力が得られるなんて話は聞いたことがないし、できたとしても安全面を考慮すればそんな膨大な出力で実験する理由がない。 暴走したとしても、そこまで行く前に何十にも安全装置があるはずだし果たしてそこまでできるんですかね? 新型航行エネルギーって魔力以外のものなんですか?」
魔力は魔法科学や魔法を使用する上での動力源だ。 現在の管理局のあり方からすれば魔法至上主義のためにも別を用意するのは不自然に思われる。 研究の一環であるならばまあ、ありえないこともないのかもしれないけれど少しばかり気になっていたのだった。 もし通常の魔導炉が暴走したぐらいで次元震動を起こせるのだとしたら、管理局の使用している全ての艦船は航行する爆弾になってしまう。 まぁ、さすがにそれは無いとは思うが。
「……もう随分と経っているし、別に話しても良いかしらね。 興味があるなら話してあげるわ。 アレは普通の魔導炉じゃあないのよ。 アレの新型エネルギーをなんと呼べば良いのかは私には上手くは言えないけれど、強いて言えば”超魔力”かしら。 魔力を超えた魔力。 現在の魔力とは似て非なるもの。 未知のエネルギー。 それを利用するためのデータを取るのがあのヒュードラだったの。 ただ、私の理論は完璧だったはずなのよ。 シミュレーションじゃああんなことが起こる可能性をはじき出せなかった。 不自然なのはそこだったわ」
思い出すように天井の照明を見上げながら、プレシアは続ける。
「超魔力は現在次元震動を起こしうる危険性を示唆されて研究計画は全て凍結。 本当なら、虚数空間内でさえ航行できるようになる時代が来るはずだったのに……」
「うぇ!? 虚数空間内で作動するんですか? 魔法科学の常識思いっきり無視してるじゃないですか!!」
「そう、アレは普通の魔力が持っていたことごとくの弱点を克服したものなのよ。 アレを使用して完璧に制御しきれるのなら、虚数空間内だろうが問題なく艦船での航行ができるようになったはずだわ。 最後の実験のデータから計算しても、その可能性は十分にあった」
新しい航行時代の未来がヒュードラにはつまっていたと、プレシアは言う。 そして同時に、そもそもあれだけの惨状をヒュードラ単体で起こすことは不可能だとも。 弱点は克服しているがエネルギー総量はほとんど通常の魔力と変わらないらしい。 それがプレシアの出した結論であり、だからこそ不審に思ったのだ。 暴走程度であれだけ過剰出力を生み出すことなど到底できない。 ならば、外的要因……それも事故に見せかけられるだけの何かがあのとき作用していたとしか思えないのだった。
「勿体無い話ですね。 虚数空間が走破できるんなら、アルハザードへも行けるかもしれないのに」
「……アルハザード<知識の墓場>、伝説の都、御伽話の中だけで存在したといわれる架空世界。 確かに、興味はあるわね」
「”行ってみたい”ですか?」
「興味が無いとはいえないわね。 アレは技術者にとっての夢の一つだもの。 でも、勝算の無い片道切符に全てをかけるほど、私は人生に絶望していないわ。 アリシアも貴方のおかげで助かっているし、今の生活にも不満はないもの」
「そうですか……じゃあ後二つ。 プロジェクトFって研究に心当たりは?」
「プロジェクトF? ……いいえ、私は知らないわ。 一体何なのそれ?」
「いえ、知らないのならいいです。 ”もう”プレシアさんには必要が無いでしょうしね」
やはり、確実にフェイト・テスタロッサは生まれそうに無い。 まあ、本当にそうなるかはまだ未知数だが、少なくとも可能性の段階ではかなり誕生できる可能性は限りなく低いだろう。 それで良いのかと悩む半面、あんなことになるよりかはマシだろうとクライドは思った。
「じゃあ、次です。 技術者として聞きたいんですけど、デバイスに組み込めるサイズの魔導炉か大容量の魔力バッテリーって現在の技術力で作れそうですかね?」
「無理よ。 将来的になら不可能ではないかもしれないけれど、今の技術ではそのサイズにするのは不可能。 どちらもいくつもの技術的ハードルをクリアしなければならないわ。 小型化はいつも課題として上げられるけど、それでもさすがにそこまで小さくするのは厳しい。 ……貴方、私にそれを聞くってことはもしかしてそんなものをデバイスに組み込みたいの?」
「いやぁ、色々とデバイスでできることを模索してるんですけどね。 どうしても、そっち方面には疎いんで行き詰ってるんですよ。 プレシアさんは魔導炉とかそういう関係は強いって聞いてるからもしかしたら参考になる意見でも聞けるかと思ったんです。 しかし、そうか……まだ無理か」
「ふふ、ごめんなさいね」
「いえいえ。 ああでも、質問に答えてくださったのでアレのネタ晴らしでもしておきます。 まぁ、できるだけ秘密にしておいてくれると助かるんですけどね」
そういうと、クライドは適当に銃のマガジンのようなものを二つ取り出す。
「アリシアちゃん、昔プレゼントしたデバイスを今持ってるかな?」
「うん。 ずっと肌身離さず持ってるけど……」
「ちょっと貸してくれるかな?」
「いいけど、どうするの?」
「保険を復活させようかと思ってね」
ポケットの中からデバイスを取り出したアリシア。 懐かしいそれをクライドは受け取ると、デバイスを展開。 グローブタイプのそれを取り出して、適当に化粧台に置き神速の速さで分解をして見せた。 日頃の修錬の賜物である。 いつの間にかその手に握られている工具に、アリシアたちは眼をパチクリさせた。
「ふむ、誰かに調整してもらってたのか……綺麗に整備されてるな。 リニスさんかな?」
ステータスの状態と実際の中身を見てそう判断すると、今度はクライドは取り出していたマガジンを分解する。 そうして、中から二つのパーツを取り出してデバイス内にあった類似部品と入れ替え、組み立てる。 後は適当にシステムを再起動して、オートバリアの発生条件の変更と防御力を少し上げるように設定してから作業を終える。 この間、プレシアが怪訝な表情をしていたが、途中からまさかというように表情を絶句させた。 質問された内容から推察してみればこれほど簡単な答えなど無い。 原理は意味不明だったが、それができるというのなら確かに納得できるものがあったからだ。
「よし、完了。 一応、中身の予備をプレシアさんに渡しておきますから何かあったときのお守り程度にしてやってください。 ああ、勿論そのマガジンを研究用に分解しても構わないですし、デバイスの調整もそっちでやってくれても大丈夫ですよ? 中身の魔力さえ消費しなければ取り替えれば使えますし」
マガジンを一つプレシアに差し出すと、クライドはデバイスを待機状態へと戻してデバイスをアリシアに返す。 リニスが少し興味があるようで、デバイスのステータスを覗いていたがクライドは別にどうでも良いのでそれはまったく気にしない。
「基本設定を少し変更したから、前よりは燃費が悪くなる反面ちょっとだけ防御力が上がってる。 まあ、さすがにこれ以上何も無いとは思うけどお守りにはなるかな」
「……呆れてものも言えないわ。 ついさっき当分無理だと言ったものを目の前に出されてはね」
「無理なもんは無理ですよ。 これ、魔力バッテリーじゃあないですからね。 ただ”拡散しない魔力”を詰め込んだだけのチャンバーです」
「……それでも普通は無理だから呆れてるんじゃない。 カートリッジシステムの充填用儀式魔法の応用かしら? 興味深いわね」
考え込むプレシアは、そういうとマガジンを眺める。 技術者として刺激されるものがあるのかもしれない。 クライドはその様子に苦笑しながらも、ザフィーラとともにこちらの様子を見ているアリシアに近づく。
「そうそう、悪いんだけどサインもらえないか? 知り合いと俺の分が欲しいんだけど」
「私の? 別にかまわないけど……」
「それは良かった。 じゃあ、これに頼むな」
買ってきておいたサイン色紙を三枚懐から取り出すと、クライドはついでにサインペンも取り出す。
「はーい、すらすらすらーっと」
「おお!? さすがに手馴れたもんだな」
見事なペン捌きだった。 可愛いそのサインにクライドが感嘆しながら満足そうに頷く。
「ふふ、さすがに何枚も書いてたら慣れてくるよ」
「んー、そうか? ならこれにも書いてくれないか?」
と、クライドは調子に乗って仕事着の白衣を二枚取り出す。
「こ、これにも欲しいの?」
「主よ、欲張りではないか?」
未だかつて白衣にサインをしたことは無いのだろう。 さすがのアリシアも頬を引きつらせている。
「一枚は背中に背番号の如く、もう一枚は内側にやはりデカデカと頼む。 保管用と仕事着にしたいんでな」
ついでに、書きやすいようにラウンドシールドを台として生成。 そのなんともアレな魔法の使い方に、周囲の人間は口をポカンとさせた。
「あ、相変わらずお兄ちゃんは魔法をどうでも良いことに使うんだね」
昔もそうだった気がする。 そうだ、アレは確か時の庭園の近くの水辺でのことだ。 楕円形のシールドの上に自分をのせて簡易ボートにして遊んだりした記憶をアリシアは思い出す。 あの頃から魔法を適当に利用して彼は遊んでくれていた。
「使えるものは何でも使う。 それが俺の主義なのだ」
「それを貧乏性と人は呼ぶのだと思いますが」
「うぐぅ」
胸を張って言い切るクライドをリニスが穏やかな顔で斬り、周囲がそれに軽く笑った。 本番前の僅かな時間、ザフィーラがアリシアにモフモフされたり、プレシアやリニスがクライドにデバイスのことを尋ねたりして彼らは旧交を温めた。
「……クライドさんたち遅いですね」
「そうですね」
放置されている二人の女性は、指定されているの席の上でぼんやりと座っていた。 喧しい喧騒と、ファンたちの興奮が熱気となって二人を襲う。 二人ともこういうのは初めてだったから、さすがにこの一種も異様な世界にはダレてきている。 と、ようやくその頃になってクライドがザフィーラと一緒に戻ってきた。 開始ギリギリであったが、どうやら間に合ったらしい。
「よう、悪いな二人とも。 久しぶりすぎて話が弾んでたんでな」
「待たせたようだな」
「しかし、なんで二人とも席を一つ開けているんだ?」
「もう、デートに誘ってくださっているんですから貴方が隣になるようにするのは当然ですよ?」
「室長、この場合それがここでのルールです」
「……なんだそりゃ?」
首を傾げるクライドだったが、リンディとグリモアの二人に引っ張られるようにして強引に二人の間に収まる。 ザフィーラはそれにため息をつくようにしながら、リンディの隣に座った。
(いつの間にやら、主にも春が来たのだな。 いきなり高難度な関係のようだが……)
生暖かい眼で主を見るザフィーラ。 当のクライドは落ち着かないようにしながら、なんとか乗り切ろうと必死に念話でザフィーラにヘルプを要請している。 だが、さすがにザフィーラは無視した。
『――我ピンチなり。 至急盾の守護獣に援護を要請されたし。 繰り返す、至急援護を――』
『主よ、私もさすがに馬に蹴り飛ばされたくはないのでな。 ここは自分一人で切り抜けるのが良いだろう。 さすがにこんなことの盾にはなれん』
『ちょ、待て!! ザフィーラヘルプ――』
打ち切られた念話。 そのことに愕然としながら、クライドはしかし起死回生とばかりにアリシアのサインを取り出して二人に渡す。 それで流れを変えようというのだろう。 だが、それで誤魔化されるような二人ではなかった。
「そういえば、どうしてクライドさんは白衣を着ているんですか?」
「室長、背中に何か文字があるんですが?」
「あ、ああ。 実は白衣の背中の方にもサインを貰ったんだ。 どうだ? カッコイイだろう?」
ホクホク顔でそう言い、アリシアのサインが背中に入った白衣を二人に見せびらかす。 それを見た瞬間、隣の二人の顔が微笑に変わった。 玩具を見せびらかす子供を見る母親の眼だ。 けれど、その笑顔の裏にはとてつもなく黒い感情があることだけは確かである。 闇のオーラを纏う二人は口を揃えて言った。
「「……で、アリシアさんとは結局どういう関係なんです?」」
(主、今その状況でそれは首を絞めるだけだぞ)
大体の構図を察したザフィーラは、同情を禁じえない。 いやはや、分かっていてやっているのではないかと邪推してしまうぐらい、クライドは墓穴を掘っていた。 それにしてもこのクライドヘタレである。 昔はリンディを一方的にからかって逃げられるだけのスキルが備わっていたはずなのだが、成長したリンディには手も足も出ないらしい。 そして、助手の方にもそうだった。 滅多に自己主張をしない彼女までもが何故か機嫌が悪い。 両サイドからの詰問するようなその視線の前には、クライドも胃がきりきりと痛む。 このまま色々な意味で敗北を喫しそうになったところで、しかし天はクライドに味方したらしい。 開始のブザーが鳴り、それとともに会場の照明が一気に落ちる。 そうして、壮大な禅僧が流れ始めたのだ。
「は、始まるぞ!! 開演中はお静かに、だ!!」
「「――むむ!?」」
コレ幸いと常識をうたって前を見る。 ステージの上、スモークの向こう側からスポットライトに照らされるようにして人影が歩いてくる。 今更それが誰かなどと尋ねることに意味は無い。 金色の髪の少女は、マイクを片手にスモークを突っ切って現れると音楽にあわせて歌を歌う。
「ぬぉ? いきなりその神曲から入ってくるのか!?」
最強のフルボッコソングの登場に、ノッケからクライドは興奮を隠せない。 隣の二人のことなどその瞬間に消し飛んでいた。 思いっきり現金な奴である。
心地良いソプラノボイスにが、壮大なBGMを彩りながら会場中に響き始めた。 その歌姫の美声に酔いしれるオーディエンスになりながら、そうやってクライドは逃げきった。 そのいつもの理不尽さに、両者がため息をつく。 だが、ただでは終わらない。 テンションの上がったクライドの左手にリンディがそっと手を乗せた。
それにグリモアも気がついていたが、さすがに彼女はそこまではできなかった。 自分の”領分”というものを逸脱することに迷ってしまったのだ。 それは、いつもいつも戦略を考えて実行できない彼女の戸惑いであり、未知がもたらす結果への恐怖からだった。 だが、それを”彼女”の歌が後押しした。
観客の熱気が、そしてそれを生み出す歌姫の歌が或いは彼女に作用したのか。 ほとんど無意識の間にグリモアもまた手を伸ばしていた。 やってみれば、大したことは無い。 ただ、手を重ねただけの行為だ。 だが、それでも何か”致命的”な思考を彼女は手に入れてしまっていた。
思考にノイズが走る。 次々と、生み出されては自己の知性を侵食するその未知がグリモアの中を駆け巡る。 それが悪いことだとは分かっていたが、グリモアはその未知を受け入れた。 意味など無い。 その先が無意味であることさえ理解している。 合理的な知性が、無機質なそれがあの時彼の言葉で破壊されたように、無意味でもそれが欲しいと思ってしまった。
この先、何があってもこの手に入れた”何か”がこれから先の自分を突き動かすだろう。 良いか悪いかなどどうでも良い。 どうしようもないことがあったとしても、それの意味を自分で作ろう。
思考に、心地良いノイズが奔り続ける。
無意味な、感情という名のバグが全身を侵す。
笑顔なんて、そんなモノを表現する機構など本来は無い。 無かったはずだ。 だが、それでも今のその表情を形容するとすれば、それは笑顔以外の何者でもなかった。 嗚呼、そうだ。 自覚するまでもなかったことだ。 そんな不必要ななものさえ手に入れてしまうほどに、自分はもう”影響”を受けすぎていたのだから。
余韻を残しながら消えていく音楽。 その後に続く間隙の妙。 その中でグリモアは決めていた。 記念に今の曲の入ったアルバムを買っていこう。 そうして、先ほどの感覚をその身に刻むのだ。 自分はもう壊れている。 破綻している。 ならば”最後”ぐらいは”これで”良い。 いや、”これが”良いのだ。
「……うむ、さすが神曲。 だが――」
(い、意識を曲に持っていかれている間に両サイドが物凄いことになっているのでせうが、こ、この状況はいかに? お、落ち着けクライド。 クールだ、クールになるんだ!!)
未だかつて無いほどの決意をしたグリモアの隣で、しかしその元凶となった男は彫像のように固まっていた。 左手にリンディ、右手にグリモアの柔らかな手の感触が確かにある。 何がどうなってそうなっているのか全く理解できないまま、クライドは次の曲が始まるまで魂を虚数空間の彼方まで飛ばした。
そうして、歌姫のコンサートは続く。 一人の男の戸惑いなど放置して、ミッドチルダに光臨したそのアイドルの名を刻むために。
――アリシア・テスタロッサの美声が、その日確かに会場にいる全ての人の心を奪っていた。
アリシアの美声を再生する、家庭用の音楽再生機。 スピーカーから流される歌声にコンサートで感じた高揚を思い返しながらザフィーラは家で夕飯を作っていた。 満足の一日だった。 本当は夕飯は四人でにしないかという話になりかけていたが、ザフィーラは一人アルトセイムへ終電前に帰らなければならないことを理由に、一足先に帰ってきていた。
どうにも、面白いことになっていたのでお邪魔虫な自分はとっとと消えたほうが良いだろうと気を利かせたのである。 恐らくはラーメン屋によってから本局に帰るだろう三人。 主が例の二人に挟まれながら片身の狭い思いをする姿を想像して、ザフィーラは苦笑する。
「それにしても、主もハラオウンも意外に長く続いているな……」
妖精から成長しているリンディの攻撃にタジタジになりながらも、必死に最後の砦を守り続けている主。 大体は理由が分かっているが、それでももう少しやりようがないものかと思う。 なまじ昔から二人を知っているからこそ感じることだった。
「災厄がある間は動けぬ……か。 臆病なのか彼女のためを思ってか分からぬが、そのままではお互いに辛いだろうに。 その間に一人また捕まえているようだし……酷い男だ」
まあ、どちらにしても主には幸せになってもらいたいものだ。 そう考えて、ザフィーラは料理をテーブルに運んだ。 作ったのは主の好物の炒飯である。 割と簡単でありながら、パラパラにするには難しいアレである。 やはり、決め手は中華鍋だ。 スプーンでそれを食べようとして、しかしザフィーラは動きを止めた。
台所に響くチャイムの音。 こんな時間に来客? 怪訝な顔をしながら、しかしいつもの回覧板の類だろうと考えザフィーラは玄関へと向かう。 そうして、扉を開けた瞬間その考えが甘いことを思い知らされた。
目の前にいたのは、見たことも無い二メートルを超えるほどの大柄の男だった。 紅で染まった全身鎧<フルプレート>の騎士甲冑を纏ったままの姿でデバイスを展開するその男。 顔は時代錯誤な兜のせいで見えない。 だが、その中に潜んだ鋭い眼光に乗せられた殺気だけでザフィーラは理解した。
――間違いなく、こいつは敵だ。
「何用だ? 夜中の来訪にしては物々しい出で立ちのようだな?」
だが、ザフィーラの声には答えずに無言でその男は両手に握ったデバイスで殴りかかってくる。 ザフィーラは舌打ちしながら、主から貰っていたナックル型のデバイス、バンカーナックルを展開。 同時に、元の青年姿に変身しながらデバイスで敵のデバイス――盾に握りをつけたようなトンファー型のデバイス――を受け止める。 その瞬間、甲高い音を立てて金属が咆哮。 打撃力に換算されていた互いの魔力が爆発した。
「――ちぃ!!」
思いの他強いその威力に、ザフィーラは戦慄する。 だが、引けない。 主の家を任されている以上は、家に傷一つつけさせてやるつもりなど全く無い。 爆裂した魔力の粉塵を突きぬけ、敵に向かって踊りかかる。
ザフィーラの闘志を受けて、バンカーナックルが甲の部分から白き魔力杭を吐き出す。 鋼の軛を手の甲から発生させてそのまま突進。 玄関の入り口から相手を吹き飛ばす勢いでもって全力の魔力を叩きつける。
フルプレートの男はその攻撃に少し警戒しながら距離を取るように跳躍。 舞台を空へと移そうと言うのだろう。 ザフィーラもまた、それに応じた。 こんなところで戦闘をすれば、被害が広がるのは当然だ。 できれば、広く暴れても問題の無い場所へと移動したい。
空を舞う紅鎧とザフィーラ。 相手の狙いが何であるかなど、考えるのは容易い。 恐らくは、アレだ。 少なくとも狙われる理由などそれしかない。 クライドは本局で勤務しているから、犯罪者の報復テロを受けるようなタイプではないしそんな事件に巻き込まれたとも言っていなかった。 だとしたら、やはり”そういう”ことなのか。
伏兵を警戒するように、鼻を鳴らす。 人型になっているとはいえ、狼の嗅覚は健在だ。 少なくとも、ミラージュハイドの類の魔法で隠れていたとしてもザフィーラには理解できる。 だが、今のところは周囲に不自然な匂いはなかった。
敵の持つ幅の分厚い盾が、グリップを中心に回転。 高速回転しながらザフィーラを襲う。 それを受け止めるザフィーラは、しかしその思いのほか重い威力には屈しない。 少なくとも防御力だけ見ればAAAランクにまで到達しようというのだ。 彼が本気で防ごうと思えば生半可な攻撃では意味が無い。 だが、そこまで考えてザフィーラは舌打ちする。 目の前の男もまた、似たようなタイプであると理解したのだ。 近接戦闘下での攻防を両立させたスタイルのようだが、どちらかといえば防御力を重視している。 それは騎士甲冑を見ればよく分かる。 全身を覆うそれは、恐らくは高速戦闘を完全に度外視している。 敵を消耗させながら堅実に倒すタイプなのだろう。 確か、ああいう輩がロイヤルガードあたりの戦術としてあった気がする。
(削りあいになるか……管理局への事情聴取がめんどうだから長期戦はなるべくしたく無いが……)
だが、そうまで考えたところでザフィーラは腑に落ちないものを感じた。 どうやってこいつは夜天の書を嗅ぎつけたのかということだ。 時空管理局でさえ気づけていないものなのだ。 あの高度なステルスをどうやってこいつは感知したのだ?
敵が時空管理局であるはずはない。 彼らであったなら、降伏勧告などをまず行うはずだ。 だが、それをせずにただ黙って襲ってくる。 ならば、やはり夜天の書を狙う犯罪者や悪漢の類だろう。
「何者だ貴様。 ベルカの騎士のようだが……」
「―――」
ザフィーラの問いに、しかしベルカ式の紅い剣十字の魔法陣を発生させながら鎧の男は答えない。 ただ、黙ってトンファーを叩き込んでくるだけだ。 まるで、自分は物言わぬロボットであるといった具合である。 その不気味な相手に、ザフィーラは腹を括る。 どういう輩だろうと、叩き潰さなければならない。 バンカーナックルに仕込まれているカートリッジの使いどころを考えながら、激しい打撃戦を繰り広げていく。
トンファーの一撃と、ナックルの魔力杭が二人の間で幾度も衝突。 古代ベルカの近接戦闘技術を惜しげもなくミッドの地で晒しながら、打撃戦闘を続けていく。 単純な近接戦闘技術にそれほどの差は無い。 ならばと、距離を取って鋼の軛で薙ぎ払う。 と、その瞬間鎧の男がようやく一言呟いた。
「――イージス」
恐ろしく低い声だった。 と、手に持っていたトンファーがくっつき、紅いの盾に変形する。 上下についているのはヴィータのラケーテンフォルムのロケット推進機構に似ている。 敵はそのまま鋼の軛を受け止め、さらにカートリッジをロード。 グリップ下部でカートリッジを使用すると同時に、そのまま急加速。 ロケットブースターを使用しながらの体当たりを敢行してくる。
「つっ!?」
ザフィーラの三角のシールドを展開した瞬間、攻防一体の盾が衝突。 互いの魔力を食い合いながら火花を散らす。 だが、それは長くは続かない。 ザフィーラの滞空維持能力限界を突破したそれがついにザフィーラを弾き飛ばしたのだ。 虚空をきりもみしながら、しかしザフィーラは体勢を立て直す。 ダメージはそれほどあるわけではないが、やはり倒すのは厳しい。 攻撃力が絶望的に足りないのだ。 ここにヴィータが居れば真正面から粉砕してくれるかもしれないが、生憎とザフィーラは一人である。
「……十二発、まとめて叩き込むしかないか」
ゆっくりと旋回するようにしながら、再び距離を詰めてくる鎧の男。 ザフィーラは腹を括るとクライドがくれたそれに思いを馳せる。 主の傑作が勝つか、向こうの盾が勝るのか。 勝つにはそれしか無い以上、それに全力を注がなければならない。
(ふむ、主の仕事を疑う理由は無いか)
少なくとも、効果の程はザース・リャクトンが確認しているという。 ならば、信じない理由は無い。 対高ランク魔導師防御突破用貫通特化デバイス『バンカーナックル』。 両腕にあるそれならば、或いは現状を打破できるかもしれない。 仮に無理だったとしたら、最悪削り勝つしかないがカートリッジの予備はまだある。 ならば、限界まで叩き込んで防御ごと撃ち貫くまでだ。
「勝負だ――」
突撃してくる紅の鎧。 ザフィーラは一度それを避けると、一度距離を取る。 そうして、上を取るように高度を上げると真下に敵が来た瞬間を見計らって突撃を敢行する。
「はぁぁぁ!!」
重量と重力とバンカーナックルの打撃貫通力。 現状利用できる全てを利用してその強固な盾に挑む。 信じるべきものはすでにその腕にある。 九年前の、あの他愛もない冗談のような約束を守ってくれた主が自らのために作成してくれた”これ”で貫けぬものなどあるものか。
「――」
「はっ、温い防御だぞ紅鎧<レッドアーマー>!!」
叩き付けるように放たれた左腕が接触する。 敵の防御をただ貫通することだけにリソースを振られたそのデバイスが、カートリッジを飲み込む。 同時に、左腕の魔力杭が下がり圧縮魔力カートリッジが生み出した爆発な魔力爆圧によって加速。 敵のシールドに圧倒的な速度でぶつかった。
「――――!?」
「どんなシールドだろうと、打ち貫くのみ――」
驚愕を眼に載せる紅鎧、その動揺の中唯ひたすらにザフィーラはカートリッジを使用する。 左のバンカーナックルの杭が、その度に敵のシールドを揺るがしていく。 だが、足りない。 左腕の六発だけでは抜けない。
「――――」
そこに勝機を見たのか、紅鎧が眼で笑みを浮かべる。 たがさらにザフィーラは右腕を叩きつけて追加攻撃。 右腕の白き鋼の魔力杭が、敵のシールドを食い破らんとする牙となってさらに吼える。 一発、二発、三発、この時点で敵のシールドにヒビが入った。
「――!?」
「そのまま、くたばれ!!」
強引に押し切れる。 そう確信したザフィーラが、残り三発もカートリッジをロードしていく。 至近距離でのカートリッジのマズルフラッシュ。 内燃部での爆発の閃光が二人の間で咲いて散り、闇夜を切り裂いた二発目、ついにシールドごとザフィーラのバンカーナックルが敵のシールドを粉砕した。 眼を見開く紅鎧。 声に無い声を上げながら、目の前に迫るザフィーラの右拳に抵抗しようとする。 だが、間に合わない。
「――零距離、取ったぞ!!」
そのまま敵の胸部を殴りつけるようにしながら、最後の一発をロード。 吐き出される魔力杭が圧縮魔力の輝きに火を点す。 高ランク魔導師の装甲をぶち抜くための一撃が、爆裂する爆圧によって叩きつけられ敵の騎士甲冑を貫いた。
紅鎧の声にならない悲鳴を、確かにザフィーラは聞いた。 だが、そのままでは終わらない。 確実に倒すために浮力を失った敵をそのまま地面に叩きつけるようにして降下。 魔力杭によって胸部から貫かれた敵には、それに抵抗することはできない。 そのまま川原に叩きつけられるようにして、背中カから大地に叩きつける。 衝撃で巻き上がる地面。 飛び散る土と石の礫。 だが、フィールドを纏っているザフィーラにはそんな程度では意味が無い。 戦闘力を失ったであろう敵を確認するために兜を外そうとしたところで、異常に気づいた。
「――こいつは!?」
そこでザフィーラは驚愕した。 目の前に魔力の霧となっていく敵。 これではまるで、自分たちのような魔法プログラム体だ。
「――我々と同じ? いや、これはリビングデッドか? だが何故……」
と、そこまで言った瞬間、ザフィーラは高速で飛来する何者かを感知する。 どうやら、息をつく暇も無いらしい。 バンカーナックルからカートリッジを弾装ごと取り出し、残りと取り替える。 そうして、天を見上げた瞬間ザフィーラはシールドを張った。
「はっはー!! やるじゃねーか。 こんなに速くフーガをあんたが倒すなんてなースペック上ありえないことだぜー? 腐っても守護騎士ってわけかい。 随分と勇ましい犬だなお前――」
「貴様――!?」
今度は、若い女だった。 シャギの入った青のショートを揺らしながら、白の長槍でもってザフィーラのシールドとぶつかりながら快活に笑う。 紅鎧と違って、喋らないというわけではないらしいが先ほどの相手よりもさらに強い。 ザフィーラの背中に冷や汗が流れた。
「まぁ、随分と頑張ったがここまでだろ。 あたいの槍を受け止めた時点で、本当ならお前はもう死んでるんだぜ?」
「なに!?」
白の槍が、白のシールドを喰っていく。 瞬間、怖気がしたザフィーラは後ろに下がるようにして、逃げる。 だが、槍先から伸びるフィールドが、ザフィーラを逃さない。 槍の上を滑るようにしながら、白のフィールドがまるで意思を持っているかのようについてくる。
「く、なんだこれは!?」
「お前の色はあたいと同じだからまぁ、あんま分からんだろうが”そういう”ことさ。 さて、任務ご苦労さん。 不真面目な生贄に変わってあたいらが変わりに使命を果たしてやるから今回はこれでオネンネしてな!!」
引き戻した槍の軌跡に沿うようにして、フィールドが戻っていく。 だが、それは次の一撃への布石にすぎない。 体勢を立て直し、距離を取ったザフィーラが防御の構えを取ると同時に再びやってくる白の槍。 身体から突撃するような神速の槍が絶世の突きとなってシールドと接触。 そのままザフィーラのシールドを喰らっていく。 ザフィーラがそれを見てカートリッジをロード。 魔力杭へ攻撃利用ではなく、カートリッジシステムの本来の威力強化を実行する。 だが、それでもその槍は”止まらない”。 いや、一瞬強化されたシールドが止まったが、それだけだ。 相変わらずシールドを”食い散らかしながら”突き進み、ついにそれを貫通した。
「ば、かな……」
いくらなんでもシールドを貫通する速度が早すぎる。 まるでありえない事象に、ザフィーラが驚愕した次の瞬間その白の槍はザフィーラの胸を貫いていた。 胸部から流れ出る鮮血、口内にこみ上げてくる血の味を感じた頃にはザフィーラの意識はほとんどなくなっていた。 常人ならばそこまで持たないだろうが、彼は生憎と普通よりも頑丈にできている。 だが、それでも死神の迎えが少しばかり遠のいただけだ。
「ま、こんなもんだろ。 あたいの槍を止めたかったら、あたいより上のランクを持ってくるしかねーよ。 そうだな……あたいがS+だから……ああ、最低SSでも用意しなきゃな。 でもまぁ、ミッドの奴ならそれでもキツイぜい? 何せあたいは連中にとっての鬼門だからな」
ニッと八重歯を見せるように獰猛に笑い、ザフィーラが死にそうなことになど気にせずに語りかける女。 ザフィーラにはもう、声を満足に吐き出す力さえ残っていない。 だが、それでもザフィーラは動こうとした。 まだ、自分は役目を果たし終えていない。 こんなとこで、終わってはいけない。 その矜持が、その忠誠心が、辛うじて彼を繋ぎとめる。 だが、それでも結末は変わらない。
「ん? ああ、もう無理すんなって。 心配しなくても主は殺さんさ。 まあ、アレに喰われるかもしれんけどな。 そっちは自分でどうにかしてもらうしかないからまぁ……恨むなよ”ザフィーラ”?」
「――貴……私の……名を……故……」
「ああ、だってあたいは”お前”のことも”他の奴ら”のことも知っているからな。 懐かしい話じゃないか。 あの時、ベルカ最後のあの日、あの腐った戦場で、あんな化け物どもと戦ったあたいらだ。 高々数百年であんたらを忘れるほどあたいは薄情じゃあないぜ? ま、王様からの命令があればこうやって殺しあうけどな」
知らないことを、さも当たり前のように吐く女。 夜空の輝きを見上げながら、霞むような視界のなかで女は言う。
「じゃあな、”次”に会えたら酒でも飲もうぜ。 もっとも、”次のお前”はこれを覚えていないだろうけどな」
身体が消えていく。 ザフィーラを構成する魔力が霧となってどんどんと周囲に溶けて消えていく。 フーガと呼ばれたあの紅鎧の男と同じようにして、ザフィーラもまたそうやって死ぬのだ。 それが、魔力を用いて実体顕現している魔法プログラムの最後であると決まっていたから。
(主……すま……い。 ア……シ…も、……すま……次の…コン…ート……行け…そうに…無い――)
ザフィーラの脳裏に浮かぶのは主と、そうしてあの金色の幼子のことだった。 自分が居なくなってもやっていけるだろうか? 主の計画に、支障はでないだろうか? アリシアはちゃんと寂しがらずにやっていけるだろうか? もう、満足に見えない眼。 彼らのためにも生きたいと、みっともないほどに共にいることを執着したいとどれだけ心の底から願っても、悲しいかな朽ちるしかない体はそれを許してはくれない。
暗黒の視界の中で、ただそれだけを悔いながら、 ミッドの双子月と星の光を浴びながらザフィーラは消えていった。 彼女と初めて会ったこの川原で、その優しい思い出に抱かれたままで。
ただ、主に貰ったデバイスだけが彼が生きていたことの唯一の証として静かにその場に残り続けていた。
「――ちっ。 嫌いでもない知り合い殺すのはさすがに後味が悪りぃな。 でもまぁ、しょうがないか。 ”姉御の命令”だしな。 ”王様”にはさすがに逆らえんわ」
軽く、ザフィーラが居た辺りに向かって指で簡単に十字を切る。 古代ベルカの剣十字にして、教会の連中が捏造した立派な騎士を冥界に送る簡素な印。 そして軽く黙祷を捧げると、それで終りだとばかりに気持ちを切り替える槍の騎士。 彼女は湿っぽいのが嫌いだ。 だから、いつまでも引きずったりしない。
「さて、後は本を回収して合流か。 残りの奴はまぁ、本があったら十分だろうし……一応は計画通りって奴なのかねー。 フーガがやられたのは予定外だけどなぁ」
月明かりを背にしながら、彼女はそう呟くと彼が守ろうとした家へと向かう。 死者にはもう何も守れない。 ザフィーラが守ろうとしたそれへと踏み入りながら、彼女は目的の物を奪取して夜の闇へと消えていった。 その際、”宣戦布告”とでもいうのかクライドの家を跡形も無く魔法で吹き飛す。 そのせいで深夜に轟いた爆音と、ザフィーラの魔法戦闘に気づいた付近の住人が様子を見るためにその辺りを散策したとき、クライドの家が跡形も無く吹き飛ばされたのに気づき管理局へと通報した。 けれど、そのことがクライドの耳に入ったのは日付が変わってからのことである。
――運命はこうしてクライドの知らないところで静かに動き始めていた。
「ああ、グリモア君。 いつもすまないねぇ……」
「室長……それは言わないお約束です」
冷蔵庫に用意してあるそれを一本取り出して、グリモア君がやってきた。 彼女はとにかく俺の健康に気を使ってくれる。 中々よく出来た助手である。 俺が助手だった頃は、寧ろ室長に俺が心配されていたぐらいだった。
――君のその執念は凄いんだけどねぇ、生命維持活動を全く無視するようじゃ二流だよ。
思い出したら懐かしい話だ。 あの頃はよく室長に迷惑をかけたものだ。 研究室に持ち込んだ寝袋と栄養ドリンクの二つで徹夜を日夜していたあの頃。 元々の知識が独学だったから、追いつくために必死だった気がする。 ああ、それから考えるとグリモア君は優秀すぎる。 一度教えたら絶対に忘れないし、こうして駄目な室長の世話までしてくれる。 彼女のおかげで俺は大分楽をさせてもらっているといっても過言ではない。
「……さすがにもう限界では? 眼が犯罪者でかなりワイルドになっていますよ」
「いやまだだ!! この程度ではまだ終わらんよぉぉ!!」
既に二日の貫徹は超えている。 そろそろいい加減テンションがヤバイ。 危ないのではない。 ヤァヴァイのである。 だが、もう少し。 あと少し詰めておかなければキリが悪いのだ。 ここで立ち止まるわけにはいかない。 それをしたらデバイスの女神に見捨てられる。
「やると決めたらやる。 やらないと決めたら絶対にやらない。 これが俺のジャスティスだ!!」
「……はぁ。 正義<ジャスティス>というよりは室長の場合自由<フリーダム>すぎるのだと思いますが」
「かもしれん。 だが、引けないのだよ。 クライド・エイヤルは漢だからな」
「でも室長、何をそんなに焦っているんです?」
「知り合いの占いでヤバイのがあったからな。 もしかしてこれが運命の分岐点なのかと思うと気が気でないのだ」
「運命の分岐点ですか? また随分と大げさですね」
「”後悔が無いようにしたほうが良い”だとさ。 そんなこと言われたら不用意に止まることなど到底できない。 基本的に俺はあらかじめ用意しておいて、それで有事の際にどうにかするタイプだからな」
「はぁ……ところで、室長は占いなんてものを信じるんですか?」
若干信じられないという風に彼女は俺を見る。 合理的なグリモア君のことである。 そういう怪しいのは信じないのかもしれない。 俺だって信じたいとは思わないが、言われたら気になってしまうのだからしょうがない。 特に、不吉な奴は俺の場合は怖い。 怖すぎる。
「基本的には良い占いは信じる。 悪いのは信じない。 というか、信じないように自分に言い聞かせている」
「なんか、狡いですねそれ」
「そんなので一喜一憂してたら、朝の占いと週刊誌の占いと月刊誌の占いを目にするたびに疲れることになると俺は思う。 信じたいものを信じれば良い。 もっとも、怖いもんは怖いのでやっぱり気にしてしまうこともあるが」
「マメにチェックしているんですか?」
「月刊デバイスマイスターに偶に載ってるデバイス占いが面白くてな。 アレだけはチェックするな」
「デバイス占いですか……どんな占いなんですか?」
「自分と相性の良いデバイスを探すんだが、中々に面白い。 ちなみに、俺は何故か普通のデバイスが選ばれず、全部”ロストロギア”しか引けない。 ここまで来るとある種の因縁を感じるな」
「……なんですかそれ? ストレージとかインテリジェントではなくてロストロギアなんですか?」
「――未知の存在の貴方には、ロストロギアがお勧めです。 もはやこれ意外にないほど貴方にしっくりと来るでしょう。 というか、他のは無理です。 運命的に。 今後も周りに未知を振りまくでしょう……だとさ」
「運命……ですか」
「グリモア君は……そうだな。 ストレージとかそういうのに当たりそうだな。 質実剛健、確実性を何よりも重視する貴方のお供に是非一本。 実力主義の鑑です。 これからも精進が吉とかなんとか書いてた気がする」
「なるほど、確かに私向きかもしれませんね。 室長は本当はどれが良かったです?」
「無論、ユニゾンデバイスだ」
「何故です?」
「一番ロマンがある」
「……ロストロギアにはロマンはないのですか?」
「アレは当たり外れが大きすぎるだろう? 安全なのならばそりゃあいいんだろうが、外れを引いたら恐ろしすぎて目も当てられん」
ユニゾンデバイスも一応ロストロギアにカテゴリーされるのだが、分かれているのならば断然ユニゾンデバイスを押したい。 ああ、もう安全なのが一番です。 てか、どうしてロストロギアしか引けんのかが分からない。 雑誌編集者も俺を脅したいのだろうか? 責任者出て来い。
「そういえば室長、ユニゾンデバイスといえば三年前当たりに擁護法案決まりましたよね? 色々と直前になって揉めたみたいですけど……」
「あー、アレな。 管理局側の対応が最悪だったからさ」
ドリンクを煽りながら、俺は軽くそのことを思い返す。 単純にデバイスマイスター連盟や聖王教会が到底認められないようなモノに法案を管理局が改悪して通そうとしていたのが直前になって発覚したのである。 そのせいで、一時期デバイスマイスターの連中が講義のためのストライキを起こそうとしたぐらいだ。 無論、俺はデバイスを愛する男である。 当然抗議の署名もしたしデモ活動に参加した。
「そうなんですか? 私はほとんどアレが起こっていたときは研修中でしたから良く知らないんですが」
「教会の連中や連盟が掲げていた保護構想は別にほとんど問題はなかったんだ。 だが、管理局の管理姿勢があまりにも露骨過ぎてな。 それで顰蹙を買ったのさ」
現在ユニゾンデバイスは純粋ベルカの奴だけで次元世界中に百機前後は稼動していると言われている。 今は無き世界の遺産だ。 文化保護や継承を活動目的にしている教会が理想とした形は、彼らとの共存体制を構築することである。
その籍を教会に登録をしたユニゾンデバイスは擁護されるとともに、専属騎士を探すことができる。 元々が個人の資質を最大限に発揮するためのデバイスである以上は、その当時の使用者に限りなく近いタイプの騎士が望ましいので、ミッド式の魔導師とはあまり相性が良いわけがない。 籍を教会に置こうというのは酷く当然の流れだと思うし、それが普通だ。 そうして、彼らにはそれぞれの能力にあわせたランクが与えられ、融合する機械から融合する騎士――つまりは融合機から融合騎として新しい立場を得て庇護されることになるはずだった。 このとき、彼らにはできるだけ人間と似たような権利を与える。 向こうにはほとんど人間に近い自由意志があるから、そうした方がお互いの摩擦を軽減できるだろうとのことからそうするのが望ましいと言われていた。
無論、権利を得たものは義務を果たさなければならない。 要するに、持ちつ持たれつの共生関係を作ろうという動きが当初の目的の大部分を占めていたわけだ。 騎士の任務の補助や、ユニゾンデバイスとしてのブラックボックスの究明、文化維持の手伝いをしてもらいたかったのだ。 これだけならまあ、問題はあまり無いように思える。 ギブアンドテイクの範疇としては妥当なところであるからだ。 だが、管理局が決めようとしていたのはそんな生易しいものではない。
単純に彼らを拘束するような法案にしようとしたのだ。 発信機の内臓から始まり、一部機能の凍結。 さらには、局に対する絶対服従プログラムの内蔵案など、もはや道具としての扱いしかする気が無いというスタンスを取ったのだ。
これにはさすがに教会も連盟も反発を選ばないわけがない。 擁護の名の裏で、そんなことをされては相手に信用しろというほうが無理だろう。 そんな劣悪な条件で、彼らが登録に集まってくるわけがないし、託そうと言うロード<主>は出てこない。 何を考えてそんなことをしたかったのか。 今でもクライドは首を傾げざるを得ない。 ただ、薄々は感づいてもいた。 管理局は怖いのだ。 ユニゾンデバイスという存在が。
魔導師を簡単に無力化するあの存在は、魔導師にとっての劇薬だ。 良い方にも悪いほうにも繋がるのだから警戒するのは当然なのかもしれない。 あのヴォルク提督が危惧したように、そういう魔導師至上主義社会を破壊する芽を摘むためには完全に彼らを管理下に置くしかないのだから。 ただ、そのやり方は最悪でしかない。 そんなものでは自らの”傲慢さ”や危険性を全世界に証明するようなものだ。
「まあ、結局管理局にはそれを押し通す力は無かった。 連盟の圧力だけならばまぁ力ずくでどうにかなったのかもしれないが、聖王教会が立ち上がっちまったからな。 内と外から攻撃されたんじゃぁたまらないってんで、泣く泣く折れるしかなかったんだ」
「なるほど……」
ちなみに、俺はそれに危機感を覚えていたのでミーアに言ってアギトをミッドガルズのシグナムへと譲渡させていた。 今現在は向こうに籍があるので、管理局も教会も手が出せない。 このとき何故かカグヤが色々と手を貸してくれたという。 ミーアが言っていたが、妙にすんなりと話が進んだらしいのだ。 守護騎士たちのフリーランス資格取得のときもそうらしい。 さすがというかなんというか、我ながらよく彼女の好意を賜れたものだと思う。 俺の扱いだけは相変わらず酷く適当であることだけは変わらないが。
「連盟は基本的にデバイスが好きな連中が多い。 特に、ユニゾンデバイスは俺らにとっちゃあ生きた神の具現だからな。 あの時連盟が動かないってんなら、多分連盟事態も内部分裂してただろうなぁ。 にしても、あの一連の騒動は可笑しかった。 そもそも時空管理局にとって”メリット”がそう多くないのになんであんなことをしようとしたんだかさっぱりわからん。 大体、教会が提案してたんだから立ちふさがるのは目に見えていたはずだろう? いつから管理局は態々敵を作るようなチャレンジャーになったんだろうか? そんな余裕ぶっちゃけ無いはずなんだが……」
「私に尋ねられても答えられませんよ室長」
「いや、まあそうなんだけどな」
上の連中は何かに焦っているのだろうか? それともそうやって煽ることで何かを”確認”したかったのだろうか? いやはや、偉い人たちの思考はさっぱり分からん。
「まあ、またなんかあっても立ち上がれるようにはしておかないといけないということでフィアナルアンサーだ」
「はぁ……」
「ああ、そうだグリモア君。 そういえば君週末は暇か?」
「特に予定はありませんけど」
「ではアイドルのコンサートなどに行く気は無いか? 一枚チケットが余っているんだ」
「……室長、それはもしかしてボクへのデートのお誘いという奴ですか?」
俺の誘いが予想外だったのか、妙にあたふたとしながらグリモア君が尋ねてくる。 いつもは無表情なのに妙に目元が泳いでいるところがその焦りを如実に物語っていた。
「いや、まぁ深い意味は無いぞ。 日頃から助手として頑張ってくれているし、興味があるなら気晴らしにと思ってな。 リンディも誘ってるし……どうする? 勿論無理にとは言わないぞ」
「――いえ、”彼女”が行くなら絶対に行きます」
「そ、そうか?」
「ちなみに、アイドルって誰ですか?」
「ああ、最近TVでも有名な歌姫だ。 なんとあのアリシア・テスタロッサとは俺は知り合いなのだよ!!」
「あ、え? ……本当ですか?」
「うむ、嘘ではない。 もっとも、仲が良いのは俺の使い魔なんだがな。 だが、そのツテでチケットは確保済みだ」
実際、俺はほとんど彼女とは会っていない。 ただ、妙にザフィーラが気に入られていてそのツテがあるだけに過ぎない。 まあ、それでも知り合いということには変わりは無いしこの機会に是非ともサインを貰いたいと思っている。
「し、室長は交友関係もやはり意味不明です。 これだから貴方は侮れない」
何故か頭を抱えるようにそう呟くと、グリモア君は突如としてキッと眼を鋭くさせた。 何か思うところでもあるのだろうか? それとも、彼女もファンなのだろうか? グリモア君はプライベートのことをあまり話さないからいまいちつかみ所が無い。 まあ、悪い娘では無いので今のところは問題なく俺は接してはいる。 経歴の怪しさなどもはやどうでも良いことであった。 てか、気にしてもしょうがないと思っている。 彼女は三年間何も問題を起こしていないし、勤務態度はすこぶる良い。 これでケチをつけろという方が難しい。
「なぁグリモア君。 もしかして彼女のサインが欲しいのか? 俺も貰うつもりだからアレだったら一緒に頼んでみるが……」
「……そうですね。 記念に是非お願いします」
「ああ、任せておいてくれ。 忘れられてなければ大丈夫だと思う」
「……は? 親しいのでは無いんですか?」
「ぶっちゃけ六年ぐらい会って無い。 まあ、あいつが楽屋に行くときにでも頼めば問題は無いとは思うんだが……」
関係者以外お断りで、警備員に追い出されたらどうしようか? そんな益体もない想像が頭を過ぎる。 いや、この場合はミッドTVにすっぱ抜かれる方が危険か。 『管理局本局のデバイスマイスター、アイドルに会いにいって警備員と乱闘を起こす!!』なんて見出しでミッド新聞の三面記事のトップを飾ることにでもなったら俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。 うむ、ファンクラブの闇討ちにあう可能性も無きにしも非ずだしな。
(ざ、ザフィーラ……俺の進退はお前に掛かっているかもしれんぞ)
とりあえず、怪しい格好だけはしないように気をつけておこう。
「まあ、週末のお楽しみだなこれは。 さて、続きを再開だ。 最低限設計図をあげないと俺は寝れん!!」
「室長、ファイトです」
「うむ、今日中に終わらせんとさすがに俺もやばいからな」
――そうして、優秀な助手に支えられながら俺は今日も仕事に励んだ。
憑依奮闘記2
第二話
「終わりの始まり」
人間は基本的に小さくて可愛い動物に弱い傾向がある。 例えば、子犬などがそうだ。 動物嫌いの人間は例外だが、それを除けば大抵嫌われることはない。 大人も子供もそうであるが特に好奇心旺盛な子供の場合はそれが顕著だった。 子供は純粋だ。 無垢で真っ白なその魂はある程度の知識を得るまでは果敢に何事にも興味を示してくる。
「……ジー」
擬音を自分で呟きながら、小さな人影がザフィーラを見下ろしていた。 目をパチクリさせて、しかし好奇心旺盛な様子を隠そうともせずに傍らにしゃがみ込む。 ザフィーラはその様子に気がついていたが、特に気にもしない。 気にする必要が無いというべきか。 相手が魔導師であったなら、川原で共に日向ぼっこをしている主のためにも警戒するべきかもしれないが、ただただ自分に興味を抱いている幼子を邪険にする理由は彼にはなかった。
「……青い犬さん」
そーっと自分の頭を撫でようと手を伸ばしてくるその幼子を、ザフィーラはしかし好きなようにさせていた。 地面に丸まった状態のまま、されるがままをを決め込む。 おっかなびっくり触れてくる小さな掌。 頭を撫でていくそれをどこかくすぐったく感じながらも、やはり動かない。
「ふさふさー♪」
だが、さすがにいつまでもそのままというわけにはいかなかった。 別に撫でられるだけだったなら放置しておいただろうが、彼女の行動は少しずつエスカレートしていた。 撫でられたのだから、その次をしたいと思ったのかもしれない。 そっとザフィーラの身体を抱き上げるようにして持ち上げてくる。 さすがに、これにはザフィーラも寝た振りを決め込むのは無理だった。
「抱き上げるのは構わんが、寝ているときは勘弁して欲しいものだな」
「――わっ!?」
喋ったことに驚いたのか、幼子は思わずびっくりして両手を離す。 ザフィーラはなんなく地面に着地すると、あとずさった少女を見上げた。 青いリボンで可愛らしく両サイドに金髪を縛っているその少女は少し警戒するようにしながらザフィーラを見下ろしている。 だが、好奇心は抑えられないのか離れる様子はなかった。
「私に何か用なのか?」
「や、やっぱり喋ってる……」
「私はそこの男の守護獣だからな」
眠りこけている男に視線を向け、ザフィーラは言う。 少女とのやり取りで起きてこないということは大分深い眠りについているのかもしれない。 訓練学校を卒業し、次は本局へと行くためにここ最近準備に追われていたので疲れがたまっているのだろう。 守護騎士たちの出向のこともあったしそのために色々と動いていたからその疲れが出ているのもしれない。 もうしばらくは寝かせておいてやろうと考え、彼はできるだけ静かに少女に対応することにした。
「しゅごじゅう? ペットじゃないの?」
「厳密にはペットではないな。 ミッド風に言うならば魔導師に仕える使い魔という奴だ」
「そうなんだ? ……使い魔の犬さんなんだね」
「ついでに言うと犬でも無い。 私のベースは狼だ」
小首を傾げる少女にそういうとザフィーラはその場にしゃがみ込む。
「狼……じゃあ私、食べられちゃうの?」
「待て、なぜそうなる。 私は人は食べない」
「でも、悪い狼さんはお婆ちゃんも私も食べちゃうってかーさまがお話してくれてたよ?」
「それは童話の中での話だ。 後、私はまだ悪くは無い狼だ」
それは事実だった。 ”今回”は主の意向でまったく蒐集行為をしていないし、犯罪に加担したことなどまったくない。 つまりは、良い狼に分類されるはずであった。
「じゃあ、良い狼さんだね。 ねぇ、撫でて良いかな? あと、抱きしめてモフモフしてみたいな」
「別にそれぐらいならかまわないが……モフモフ?」
「やった!!」
再び少女の愛玩攻撃が始まった。 しゃがみ込むようにして座ると、ザフィーラを腕に抱き抱いて背中を撫でるようにしたり頬釣りしたりしてくる。 ここら辺りには自分ぐらいの野生動物が少ないのだろうか? 次々と迫り来る少女の攻撃を一身に受け止めながら、ザフィーラはそんなつまらないことをふと思った。
「そういえば、君はこの近くの子なのか?」
「うん、ほら『時の庭園』の向こうの辺りにお家があるよ」
「ああ、あの辺りか。 そういえば少し前に誰かが新しく引越ししてきたという話を聞いたな」
そういう噂を道端で話し込んでいた住人が喋っていたような気がする。 アレは、確か数日前の話だったか。 少女が指差している辺りを見ながら、ザフィーラはなるほどと唸った。 ミッドチルダの南部、ここアルトセイムは自然が豊富に残っており、さらに首都からも離れているせいもあってかわりと田舎である。 何か一つ噂が出れば、すぐに広まるほどであるから相当住人は変化というのに敏感なのであった。 ザフィーラ、そしてシグナムたちがクライドと共に周辺の地理の案内をされたときなどは珍しさによってか、色々と妙な噂を流されていた気がする。
(美人三姉妹と一人身の少年の同居生活……か。 どこのメロドラマなのだろうな)
自分はどうやらペット扱いで数に入っていないらしい。 そのこと事態は別にどうでも良いのだが、奇妙な噂を広められて主が酒の肴にされるのは面白くはなかった。 とはいえ、近所付き合いというのがある。 無難に従姉妹が遊びに来ているのだという風にして、なんとか火消しをしていた主の苦労を考えれば、噂が落ち着くまでは静かにしているしかないだろう。 所詮、人の噂も七十五日である。
「狼さんのお家はどこなのかな?」
「向こうの方に大きな家があるだろう? そのすぐ隣の家だ」
滅多に帰ってこないが、その豪邸に住むのが主の恩人らしい。 出会ったら粗相の無いようにしなければならないが、その機会は少ないと思われる。 よほど忙しいらしく、主の話ではほとんど家に帰って来ることは無いのだとか。 主がほとんど独り立ちした今では、帰って来るのは長期休暇を取れたときぐらいらしい。
「ふーん……ねぇ、偶に遊びにいっても良いかな?」
「駄目だとは言わないが、いつもいるかは分からないぞ?」
「いいよ、近くにまだお友達がいないから寂しかったんだ」
若干寂しそうにそういうと、少女は少しばかり俯く。
「……そうか。 なら、好きにすると良い」
地方の過疎化が進む現実という奴なのだろう。 都会の方が働き口も多くなるのは当然だし若い人間はどんどんと少なくなってきているとザフィーラは聞いていた。 事実、のんびりとした空気の漂う南部を見ていると首都クラナガンのあの喧騒が嘘のように思えてくる。 やはり、人間は人工物のある場所に最終的には集まるということなのか。 便利でクリーンな魔法の力。 その力をいくら結集した近代都市だといっても、自然を抹殺して作り上げた事実は質量兵器時代となんら変わらない。 人間の根源とは時代に左右されないのだ。 都に住み続ける連中の掲げるクリーンで自然に優しい力という言葉が、どうにもザフィーラには痛快な皮肉に思えてならない。 主と共にある守護獣をやっているものの、やはりそう考えるのはその芯の部分に自然への敬意があるからか。 狼のとしての思考が、そんなとりとめのないことを彼に感じさせていたのかもしれなかった。
「家族は?」
「かーさまがいるよ。 とーさまはいなくなっちゃったけど」
「ふむ、では母親が心配しているのではないか?」
「大丈夫、いつもこの辺りで遊んでいるのは知ってるし、ここの人たちは良い人ばっかりだから暗くなる前に帰ってくれば大丈夫なんだよ」
「そうか。 ならばもうしばらく好きにすると良い。 私たちもまだここにいる」
「うん。 そういえば狼さんの名前はなんてゆーの? 私はアリシア。 アリシア・テスタロッサだよ」
「――ザフィーラだ」
まっすぐに自分を見つめる幼子の無垢な瞳を見ながら、彼はしばらくそのまま彼女の相手をすることにした。 特に何か特別なことをしたわけではない。 ただただ話し相手になったり、彼女の好きなようにさせたりしたぐらいだ。 ただ、それだけだったけれど無邪気に自分と遊ぼうとする幼子を見ていると不思議と暖かいものを彼は感じていた。
やがて、主が起きだしてきてからは二人で彼女の相手をし、家まで送っていった。 家から出てきた母親の女性と出会ったときには、その内包する圧倒的な魔力に主共々冷や汗を掻くことになったのは余談である。 これが確か、大体九年前の話だった。
やがて、その後も彼女との邂逅は主が本局へと行ってからも続いた。 彼女が母親の研究について行ってから戻ってくるまでも、そしてキッズモデルになってからもアイドルになってからも彼女の相手をザフィーラはし続けた。
主の家を守ることと各地に散らばった騎士との連絡役、そして家にある夜天の書の管理こそが己の役目だと自負していたから彼はずっと家で家事をしながら過ごしていた。 暇だったからといえばそうなのかもしれない。 だが、偶にやってくる少女の相手をするのは苦ではないし嫌でもなかった。
最近はオフで実家に帰って来るときはかかさずに自分の所に遊びに来ているようだ。 そのたびに色々な話をした。 ほとんどザフィーラは聞く役に徹していたが、それでも少女にとっては十分だったらしい。 新曲をこっそり披露してくれたり、ミッドチルダでコンサートがあるときはチケットをくれるので、応援に行ったりもしている。 ザフィーラは彼女にとって良き狼さんであり続けていたのだ。 多分、このまま何事もなければずっとそのままで彼は在り続けるだろう。
――彼はやはり、良い狼さんなのだから。
「む……懐かしい夢を見たものだな」
縁側の辺りで横になっていたザフィーラは、苦笑しながら呟いた。 時間の流れとは早いものだ。 主の家の管理を始めてからもうそれだけの月日が流れている。 偶に騎士連中が戻ってきたり主が帰って来ることを除けば、ほとんどザフィーラはこの家から動かなかった。 それが彼が自分に課した役目であり、自分がしなければならないことだと彼は考えていたからだ。
時空管理局の本局へとついてくるかとクライドに尋ねられたとき、彼は黙って首を振るった。 確かに、本当ならそれが一番良いと思う。 だが、それは主にとってのリスクが増えることを意味することをザフィーラは言われずとも理解していた。
守護騎士として、夜天の書の騎士として管理局と対峙した数は少なくない。 今は子狼フォームで誤魔化せているが、できるだけそこから主に足が着くようなリスクは負わせるべきではない。 また、夜天の書もそうだ。 気軽に持ち運んでトラブルに巻き込まれる可能性を増やすよりは、一所に隠して静かにしていた方が当然リスクが減るだろう。
夜天の書は自動的に自らの存在を隠すような防衛機構が備えられているが、それでもどこまでそれで隠蔽し続けれられるかどうか分からない。 恐らくは大丈夫だとは思うが、本局に持っていったりなんかして発見されたら眼も当てられない。 また、守護騎士の出向先であるスクライアの方へと持っていくこともやはりするべきではない。 バレたときに関係の無い連中が不利益を被ることになるからだ。 一級捜索指定ロストロギアの秘匿所持、または共謀隠蔽罪でしょっ引かれる未来など彼の一族の誰もが望んではいない。 何かあってもヴァルハラで偶々雇って魔導師が守護騎士だったということで、白を切ることができるように決められているのもそのためだった。
慎重になりすぎて悪くなることは無い。 ザフィーラはクライドが何かあっても迷惑をできるだけかけないようにしたがっていることを知っている。 だから、唯一人で家に残ることを選択した。 主が何か言いたそうにしていたが、それでも彼はこうするのが最善だと言った。 そうして、今に至る。
「そういえば、明後日だったか。 ふむ……何か土産でも持っていくべきだろうか」
あの時の幼子は、いつの間にか世界に大きく羽ばたくようになっていた。 ヴァルハラの企業の特色としては基本的にミッドガルズの進出している場所に展開していくやり方が普通らしく、そのせいでアリシアの名はミッドチルダの外にも広がっている。 歌う歌も悪く無いし、あの可愛らしい容姿だ。 ウケない理由が無いのかもしれない。
本人は幼い頃から大人に囲まれて育ったせいで物怖じしない性格だし、割と好奇心が旺盛である。 様々な世界を渡り歩いて公演するのは楽しいと笑顔で言っていた。 その際、時間が無いときにはちょっと凄い少女に送迎をされるそうだ。 どうも、プロデューサー兼社長のストラウスとか言う人の友人らしいのだが、一秒もしないうちに会場まで運んでくれるという。 まるで手品だとはしゃいでいた。 次元跳躍魔法か何かなのだろうとザフィーラは思ったが、一秒もしないというのには少しばかり驚いたことは記憶に新しい。 やはり、次元世界は広大だ。 名も知れぬ偉大な魔導師がゴロゴロと在野にいるらしい。
守護騎士として、夜天の蒐集補助と護衛を使命としている身であるから興味が無いこともなかった。 ただ、今はそれは必要の無い思考であるということは理解しているので、特に何かをする気はまったくない。 主がいない間に蒐集をする理由は無いし、それは明確な裏切りである。 忠義に生きる者は、それだけはやってはならない。 騎士道に反するその行為をするとしても、全ては主のためでなければならない。 が、今はそれをする理由がまったくなかった。 ならば今成すべきことは、平穏を守ることだけ。 ただそれだけが使命だった。 そのせいで完全に家事スキルが身についたことはご愛嬌だったが、別にあって困るものでもないのでむしろ好意的に受けとめている。 主が長期の休みに帰って来たときなどは腕を振るって舌を楽しませたりもした。 恐らくは、今現在守護騎士で一番家事が得意なのは彼だった。
デバイスマイスターとなったクライドは、メンテナンスの度に魔法を入手できる立場にいる。 研究のためという理由と、デバイスの調整のためなどという理由で合法的に局員から蒐集できるのである。 それのおかげで容易に魔法を蒐集することができていた。 直接書くのはザフィーラの仕事になってしまったが、その程度は別に苦ではない。 今ではもう665ページまで埋めているので残すところあと一ページだけである。
この状態になって既に二年は経っていた。 その間、夜天の書に動きは無い。 ただ黙って鎮座するだけで、己に書き込まれた全てを拒絶するではくただただ黙って受け入れている。 危険が無いので防衛プログラムも起動しないし、手書きというマニュアル入力に対する抵抗も皆無で、後はただ決起の時を待つだけだった。
クライドは既にユニゾンデバイスの弄れるようになっている。 アギトのデータを参考にベルカ系のそれの調整もできるほどになっているので、もし後一ページの手書き入力で完成させることができたとしたら、面白いことになるかもしれないと言っていた。
彼は本気でデバイスマイスターとして前人未到の闇の書改造に踏み切る用意を着々と勧めているのだった。 マニュアル入力で完成した闇の書が、クライドを主と認めたならばクライドは勝算があると踏んでいる。 リンカーコアの魔力蒐集をしないということは、闇の書の防衛プログラムはガス欠で全力が出せないはずだからだ。
ユニゾンデバイスとしてフルスペックを発揮できないだろうが、そんなものは別に欲を出さない限りは必要ではない。 守護騎士がいるだけでもう十分だと彼は思っている。 そうして、完成時に強制ユニゾンによる融合事故で取り込まれつつも夜天の王として管理者権限でもって内部から徹底的に改造する。 改造する際には、後付で付け加えられたらしいはた迷惑な防衛プログラムなど不要。 いっそのこと守護騎士システムと管制人格以外の全部をデリートし蒐集機能やユニゾン機能、魔力侵食機能をことごとくオミットしてやれば良いのではないかと考えている。 それができないのだとしたら、管制人格に拝み倒して切り離してもらってフルボッコの後殲滅。 幸い、知り合い連中にはそういうのが可能な連中にことかかかないので、全てを丸く治めるためにも養父のヘルプは必要だろう。 可能な限り最高を目指しつつ、最悪も考慮した上で勝負に出るかをクライドは決めるつもりだった。
けれど、別段そこまでする必要があるのだろうか? ザフィーラはそのことをクライドに問うたことがある。 今のままでも十分に平和ではないのか? それだけでは駄目なのか? と。 そんなザフィーラにクライドはしかし少し苦笑いしながら言った。
――奇跡を起こせる奴に一人だけ当てがある。 俺が”無理”だとしたらそいつにお前らを託すしかない。 ただ、タイムテーブルを考慮するとキツイんだ。 やるかやらないかを決めるのも正直辛いし悩むところなんだが、最悪コレを逃すとお前たちは永遠にこのままかもしれない。 どうするのが一番良いのか分からないが、それでもやっとく。 そうでもしないと、お前らは永遠にお尋ね者になっちまうからな。 そんなのはまぁ、なんだ。 あんまり精神衛生上よろしくないと思うし、もしかしたらコレが俺の夜天の王としての責務なのかもしれん。
できれば自分でけりがつけられれば良いと言って、そうして彼は本局へと行った。 あれからまだ決起の話は聞いていないが、それでも少しずつその時間が近づいて来ていると思われる。 平和な時間が続くのか、それともまたあの蒐集転生の生活に戻るのかは分からないがザフィーラとしては主の思うがままになれば良いと祈るだけだ。
自分たちはただの魔法プログラム。 それ以上でもそれ以下でも無い。 こうまで平和な時間を過ごせたことは初めてだったと思うが、戦場が自分たちの本当の居場所なのかもしれない。 それ以外の道はシステムに縛られている以上は考えることは難しい。 シグナムもヴィータもシャマルも同じことを恐らくは考えているだろう。 自由な現状への戸惑いと、振って沸いた未知の時間への葛藤がそれぞれの内にある。 けれど、その中で過ごしたこの九年はそうそう悪いものではなかったとザフィーラは思うのだ。 ならば、多分”そういう日”が来たときにでもこの思考に決着をつければ良い。 自分たちを唯の道具だとして在り続けるか、それとも生きた生の存在として自己認識するか。 難しい問題であったが、その新しい答えを得る日は近いのかもしれなかった。
「さて、どうしたものか。 アリシアは花が好きだったから……当日は奴の花屋にでも寄ってから行くべきか?」
どんな花が好みだったかは覚えていないが、多分喜んでくれるだろう。 フッと小さな笑みを浮かべるとザフィーラは家の中へと戻っていった。 会場に行くまでの間に花屋『レインボーマン』への道順を確認しておかなければならない。 確か今回のコンサート会場からそう遠くない場所にあったはずだから、時間的な問題は無いだろう。 ただ、あまりあの辺りには行ったことが無いので記憶を掘り返すためにも、確認は必要である。 優しげな狼は、そうして彼女のために久しぶりに地図を開いた。
「……なぁザフィーラ、なんで俺だけSPに両脇を固められているのだろうか?」
「挙動不審だったからではないのか?」
「しょうがないだろう? 俺はこんなコンサートなんかに来るタイプじゃあないんだし、楽屋に行くなんてこと初めての経験だぞ」
「まあ、こういうのは慣れだ。 すぐに向こうが確認して入れてくれるさ主よ」
小さな花束を持った少年ザフィーラが苦笑しながらそういった。 さすがに、何のチェックも無く楽屋へといけるわけもない。 クライドがおっかなビックリしているのを不審に思ったのか黒服のSPが通報したのが始まりだ。 ザフィーラが自分の名前を出して知り合いだから確認を取ってくれといって今現在確認中だが、その間ずっとクライドは居心地の悪い時間を送っている。 特に、問題だったのがクライドが普通にデバイスを所持していたことだろう。
険しい顔でチェックをしているプロのSPは、完璧にクライドを拘束している。 不審なことでもすれば、確実に攻撃してくるだろう。 SPの中には魔導師も当然いる。 一番怖いのは魔導師なので当たり前か。
「貴方、本当にどこに行ってもトラブルを呼ぶわね?」
「か、カグヤ?」
「この二人は大丈夫だから元の場所をお願い」
「「「はっ!!」」」
鶴の一声だった。 敬礼して去っていく黒服を眺めながら、クライドは不可解な出会いに首を傾げる。 九年前と変わらぬ姿のカリスマ少女は、長い髪を後ろへとかき上げながら悠然とその存在感を放っていた。 白と黒のゴスロリ服が戦慄する程のカリスマを放ち、その紅眼は視線の先にある全ての存在を凍えさせる。 あるいは、SPもその感覚に支配されていたのかもしれない。 支配者の風格を十分に備えたその姿に、一も二も無く従ったのはそのせいではないのか。 げに恐ろしきは、その絶対零度の魅力であった。
「なんであんたがここにいるんだよ? てか、なんでSPがアンタの一言で散るんだ?」
「私は今フリーランスの仕事中なの。 アリシア・テスタロッサは今や次元世界中を渡り歩くアイドルよ? しかも稼ぎ頭筆頭だし、当然警備は厳重になるから私みたいなのが呼ばれるの。 それに、事務所がミッドガルズの系列だからその関係でも私はよく声をかけられてしまうのよ」
「……まあ、アンタが警備してるって分かったら誰も襲わんわな”ソードダンサー”」
「少なくとも、”私と出会って”逃げられる奴は少ないわ」
「検挙率100%そうだもんな。 管理局の連中にも見習わせてやりたいぞ」
どんなに逃げても、襟首辺りごと引っ張られたらそりゃあ逃げられるわけがない。 ある意味、最凶の警備員である。
「まあ、こんなところで無駄話をしていても意味は無いわ。 アリシアに用があるんでしょ? ついてきなさい」
関係者以外立ち入り禁止の看板を超え、長い通路を歩いていく。 こういう場所は普通の人間は入ることさえないので、クライドはキョロキョロと辺りを見回しながらついていく。 と、いくらか通路の角を曲がったところで一つの部屋にたどり着いた。 どうやらここがアリシアの待機している楽屋らしい。 カグヤがノックすると、中から帽子を被った付き人風の女性が出てくる。 どこかで見たことのある女性に似ているので、クライドは少し首を傾げた。 マネージャーとかそういう人っぽいので、とりあえず流れに任せることにする。
「アリシアにお客さんよ」
「これはカグヤ様……お客様ですか? ――ああ、ザフィーラ様ですね。 いつもいつもありがとうございます。 それと、そちらの方は?」
「私の主でクライド・エイヤルという。 今日は都合がついたようなので連れてきたのだが、アリシアと会わせても大丈夫だろうかリニス?」
「貴方がザフィーラ様の……ええ、それでしたら問題はありません。 是非アリシアに会ってあげてください。 プレシアも一度貴方と話したいといっておりましたし、丁度よい機会です。 私はアリシアのマネージャー兼お世話係のリニスと申します。 今後ともよろしくお願いしますエイヤル様」
「いえいえ、こちらこそよろしく」
軽く会釈しながら、クライドは少しばかりリニスの頭の上に載っている帽子に眼を向けた。 確か、あの下には猫耳があるという話だ。 リニスはアリシアの母であるプレシアの飼っていた山猫の使い魔であり、動物形態の名残が残るそれが恥ずかしいので隠しているらしい。 思わず帽子を外してもらいたい衝動に駆られたが、さすがにクライドは自重した。 漢たるもの婦女子には紳士であらなければならないのだ。
「じゃあ、私は警備に戻るから後はお願い」
「はい。 それでは、中へどうぞ」
リニスの先導に従い、ザフィーラとともにクライドは中へと入った。 と、まず眼に入ったのは 化粧台であり、その手前には二人の女性がいた。 一人は十四歳の少女アリシアであり、その隣にいるの妙齢の女性がプレシアだった。 クライドの記憶から大きく成長しているアリシアは、舞台衣装のドレスを纏っており金髪の綺麗なツインテールを降ろしてストレートにしている。 対して母親のプレシアはスーツだった。 確か、ヴァルハラ系列の民間企業にスカウトされたという話だったから、そこの制服なのかもしれない。 ややウェーブのかかったような紫の髪をそのままに、プレシアはアリシアと穏やかに談笑していた。
「アリシア、お客様ですよ」
「……ザフィーラ? それに……あ、もしかしてクライドお兄ちゃん!?」
「久しぶりだな」
「どうも、久しぶり。 さすがに忘れられてるかと思ってたよ」
椅子から立ち上がって駆け寄ってくるアリシア。 そんな彼女にザフィーラは用意していた花束を差し出す。
「お土産だ。 さすがに、いつもいつもお菓子だとアレだからな」
「ふふ、ありがとね」
はにかみながら、花束を受け取るとアリシア。 ザフィーラはそれを渡すとすぐに子狼フォームになる。 どちらかといえば、その形態の方が彼女と馴染みがあるからだった。 そうして、旧交を温める二人を眺めながら、クライドは隣にやってきたプレシアと会話する。
「どうもこんにちわ。 あれから会ってなかったけれど、貴方も随分と大きくなったわね?」
「まあ、結構経ってますからね。 これでも今は一応一端の管理局員ですよ」
「管理局……ね。 私はあまり好きじゃあないけれど、クライド君にとっては良い場所になったのかしら?」
魔導炉ヒュードラの件のことを言っているのだろう。 あの事故の原因はほとんど管理局の強引なやり方のせいだったいう話だし、娘が死に掛けたりしたことを考えれば良い感情を抱けという方が無理だろう。 なんともいえない表情が、そのことを深く物語っていた。
「まあ、悪くは無いですね。 割と愉快な連中の多い部署なんで」
「ふふ、羨ましいわね。 楽しい職場で働けるってことは良いことだわ。 私も今の職場は大分気に入っているのよ。 民間企業だけれど、結構技術力も高いし社員を大事にしてくれるから働き甲斐があるの」
「やりがいは大事ですね。 俺の方なんてほとんど趣味で仕事してますよ」
「確か、デバイスマイスターを目指していたんだったわよね?」
「ええ、今じゃあ小さい研究室を一つ持ってます。 助手もいますし、一国一城の主ですよ。 ただ、助手の子には迷惑をかけまくってますけどね」
「そう、ところで……いくつか”聞きたいこと”があるのだけれど良いかしら? あの使い魔の子に聞いてもどうして貴方が”あんなもの”をアリシアにプレゼントしたのかが分からないっていうのよ。 折角会えたことだし、話してくれないかしら?」
「なんのことです?」
クライドは惚ける。 プレシアの聞きたいことは大体分かるが、それに答える言葉などクライドは持っていない。 いや、答えても別にかまわないのだが馬鹿にされたと思うだろう。 今更話すことに意味があるとは思えなかった。
「アリシアを助けてもらったことには、本当に感謝しているの。 ただ、どうしてもこれだけは確認しておきたいのよ。 アレは”貴方”の仕業だったのかしら?」
「どっちのことですかね? 事故の方ですか? それとも”彼女”が生きていられた理由の方ですか?」
「できれば両方教えてもらいたいわね。 前者は人として、後者は技術者として知りたいわ」
「プレシアさんがどういう答えを聞きたいのかいまいち分からないんですけど、勘違いをしていそうなので言っときますよ。 俺はあの事故とは全くの無関係です。 そもそも、何かを出来る立場に無かったし、するメリットが無い。 もう一つの方は……まあ、俺がデバイスマイスターを目指していたからってことですかね」
「……嘘は言ってない見たいね? でも、全部話してもいない。 ……まあ、アレが貴方のせいで無いのならば良いわ。 恩人か元凶なのか、ここ数年ずっと気になっていたから」
「不自然なことでもあったんですか?」
「ええ、後から気づいたことだけどね。 あのときは色々と追い詰められていたから気づけなかったけど、アリシアが無事だったから余裕があったのかもしれない。 それで研究凍結が決まったとき、データを纏めていたら”不自然”なものを見つけたのよ。 それからずっと私の中でそれが燻っていた。 ごめんなさいね、疑ったりして」
「いえ、まあ別に納得してもらえたんなら良いんですけどね」
正直、クライドはそのプレシアの言葉には驚いていた。 そんな話は初耳だった。 今、クライドは確かに”可笑しな”ことを一つ見つけた。 これも自分が生み出したズレなのだろうか? 若干首を傾げながら、尋ねてみる。
「俺の方からも質問して良いですか?」
「ええ、話せることなら」
「俺は魔導炉ヒュードラって結局何なのかよく知らないんですよ。 アレって結局なんだったんですか? ニュースじゃあ新型の次元航行エネルギーを利用した新機軸の駆動炉だったって話ですけど、それが暴走したぐらいで”中規模次元震動”が起こせる程のエネルギーが得られるのかちょっと気になるんですが」
「……貴方、魔導炉に興味があるの?」
「ちょっとだけデバイスの研究のために調べてみたことがあるんですよ。 通常の魔導炉って結局次元航行艦や発電所で使われる……要するに大量の魔力を作り出すためのエンジンですよね? けど、通常製造魔力が暴走したぐらいでそこまでの出力が得られるなんて話は聞いたことがないし、できたとしても安全面を考慮すればそんな膨大な出力で実験する理由がない。 暴走したとしても、そこまで行く前に何十にも安全装置があるはずだし果たしてそこまでできるんですかね? 新型航行エネルギーって魔力以外のものなんですか?」
魔力は魔法科学や魔法を使用する上での動力源だ。 現在の管理局のあり方からすれば魔法至上主義のためにも別を用意するのは不自然に思われる。 研究の一環であるならばまあ、ありえないこともないのかもしれないけれど少しばかり気になっていたのだった。 もし通常の魔導炉が暴走したぐらいで次元震動を起こせるのだとしたら、管理局の使用している全ての艦船は航行する爆弾になってしまう。 まぁ、さすがにそれは無いとは思うが。
「……もう随分と経っているし、別に話しても良いかしらね。 興味があるなら話してあげるわ。 アレは普通の魔導炉じゃあないのよ。 アレの新型エネルギーをなんと呼べば良いのかは私には上手くは言えないけれど、強いて言えば”超魔力”かしら。 魔力を超えた魔力。 現在の魔力とは似て非なるもの。 未知のエネルギー。 それを利用するためのデータを取るのがあのヒュードラだったの。 ただ、私の理論は完璧だったはずなのよ。 シミュレーションじゃああんなことが起こる可能性をはじき出せなかった。 不自然なのはそこだったわ」
思い出すように天井の照明を見上げながら、プレシアは続ける。
「超魔力は現在次元震動を起こしうる危険性を示唆されて研究計画は全て凍結。 本当なら、虚数空間内でさえ航行できるようになる時代が来るはずだったのに……」
「うぇ!? 虚数空間内で作動するんですか? 魔法科学の常識思いっきり無視してるじゃないですか!!」
「そう、アレは普通の魔力が持っていたことごとくの弱点を克服したものなのよ。 アレを使用して完璧に制御しきれるのなら、虚数空間内だろうが問題なく艦船での航行ができるようになったはずだわ。 最後の実験のデータから計算しても、その可能性は十分にあった」
新しい航行時代の未来がヒュードラにはつまっていたと、プレシアは言う。 そして同時に、そもそもあれだけの惨状をヒュードラ単体で起こすことは不可能だとも。 弱点は克服しているがエネルギー総量はほとんど通常の魔力と変わらないらしい。 それがプレシアの出した結論であり、だからこそ不審に思ったのだ。 暴走程度であれだけ過剰出力を生み出すことなど到底できない。 ならば、外的要因……それも事故に見せかけられるだけの何かがあのとき作用していたとしか思えないのだった。
「勿体無い話ですね。 虚数空間が走破できるんなら、アルハザードへも行けるかもしれないのに」
「……アルハザード<知識の墓場>、伝説の都、御伽話の中だけで存在したといわれる架空世界。 確かに、興味はあるわね」
「”行ってみたい”ですか?」
「興味が無いとはいえないわね。 アレは技術者にとっての夢の一つだもの。 でも、勝算の無い片道切符に全てをかけるほど、私は人生に絶望していないわ。 アリシアも貴方のおかげで助かっているし、今の生活にも不満はないもの」
「そうですか……じゃあ後二つ。 プロジェクトFって研究に心当たりは?」
「プロジェクトF? ……いいえ、私は知らないわ。 一体何なのそれ?」
「いえ、知らないのならいいです。 ”もう”プレシアさんには必要が無いでしょうしね」
やはり、確実にフェイト・テスタロッサは生まれそうに無い。 まあ、本当にそうなるかはまだ未知数だが、少なくとも可能性の段階ではかなり誕生できる可能性は限りなく低いだろう。 それで良いのかと悩む半面、あんなことになるよりかはマシだろうとクライドは思った。
「じゃあ、次です。 技術者として聞きたいんですけど、デバイスに組み込めるサイズの魔導炉か大容量の魔力バッテリーって現在の技術力で作れそうですかね?」
「無理よ。 将来的になら不可能ではないかもしれないけれど、今の技術ではそのサイズにするのは不可能。 どちらもいくつもの技術的ハードルをクリアしなければならないわ。 小型化はいつも課題として上げられるけど、それでもさすがにそこまで小さくするのは厳しい。 ……貴方、私にそれを聞くってことはもしかしてそんなものをデバイスに組み込みたいの?」
「いやぁ、色々とデバイスでできることを模索してるんですけどね。 どうしても、そっち方面には疎いんで行き詰ってるんですよ。 プレシアさんは魔導炉とかそういう関係は強いって聞いてるからもしかしたら参考になる意見でも聞けるかと思ったんです。 しかし、そうか……まだ無理か」
「ふふ、ごめんなさいね」
「いえいえ。 ああでも、質問に答えてくださったのでアレのネタ晴らしでもしておきます。 まぁ、できるだけ秘密にしておいてくれると助かるんですけどね」
そういうと、クライドは適当に銃のマガジンのようなものを二つ取り出す。
「アリシアちゃん、昔プレゼントしたデバイスを今持ってるかな?」
「うん。 ずっと肌身離さず持ってるけど……」
「ちょっと貸してくれるかな?」
「いいけど、どうするの?」
「保険を復活させようかと思ってね」
ポケットの中からデバイスを取り出したアリシア。 懐かしいそれをクライドは受け取ると、デバイスを展開。 グローブタイプのそれを取り出して、適当に化粧台に置き神速の速さで分解をして見せた。 日頃の修錬の賜物である。 いつの間にかその手に握られている工具に、アリシアたちは眼をパチクリさせた。
「ふむ、誰かに調整してもらってたのか……綺麗に整備されてるな。 リニスさんかな?」
ステータスの状態と実際の中身を見てそう判断すると、今度はクライドは取り出していたマガジンを分解する。 そうして、中から二つのパーツを取り出してデバイス内にあった類似部品と入れ替え、組み立てる。 後は適当にシステムを再起動して、オートバリアの発生条件の変更と防御力を少し上げるように設定してから作業を終える。 この間、プレシアが怪訝な表情をしていたが、途中からまさかというように表情を絶句させた。 質問された内容から推察してみればこれほど簡単な答えなど無い。 原理は意味不明だったが、それができるというのなら確かに納得できるものがあったからだ。
「よし、完了。 一応、中身の予備をプレシアさんに渡しておきますから何かあったときのお守り程度にしてやってください。 ああ、勿論そのマガジンを研究用に分解しても構わないですし、デバイスの調整もそっちでやってくれても大丈夫ですよ? 中身の魔力さえ消費しなければ取り替えれば使えますし」
マガジンを一つプレシアに差し出すと、クライドはデバイスを待機状態へと戻してデバイスをアリシアに返す。 リニスが少し興味があるようで、デバイスのステータスを覗いていたがクライドは別にどうでも良いのでそれはまったく気にしない。
「基本設定を少し変更したから、前よりは燃費が悪くなる反面ちょっとだけ防御力が上がってる。 まあ、さすがにこれ以上何も無いとは思うけどお守りにはなるかな」
「……呆れてものも言えないわ。 ついさっき当分無理だと言ったものを目の前に出されてはね」
「無理なもんは無理ですよ。 これ、魔力バッテリーじゃあないですからね。 ただ”拡散しない魔力”を詰め込んだだけのチャンバーです」
「……それでも普通は無理だから呆れてるんじゃない。 カートリッジシステムの充填用儀式魔法の応用かしら? 興味深いわね」
考え込むプレシアは、そういうとマガジンを眺める。 技術者として刺激されるものがあるのかもしれない。 クライドはその様子に苦笑しながらも、ザフィーラとともにこちらの様子を見ているアリシアに近づく。
「そうそう、悪いんだけどサインもらえないか? 知り合いと俺の分が欲しいんだけど」
「私の? 別にかまわないけど……」
「それは良かった。 じゃあ、これに頼むな」
買ってきておいたサイン色紙を三枚懐から取り出すと、クライドはついでにサインペンも取り出す。
「はーい、すらすらすらーっと」
「おお!? さすがに手馴れたもんだな」
見事なペン捌きだった。 可愛いそのサインにクライドが感嘆しながら満足そうに頷く。
「ふふ、さすがに何枚も書いてたら慣れてくるよ」
「んー、そうか? ならこれにも書いてくれないか?」
と、クライドは調子に乗って仕事着の白衣を二枚取り出す。
「こ、これにも欲しいの?」
「主よ、欲張りではないか?」
未だかつて白衣にサインをしたことは無いのだろう。 さすがのアリシアも頬を引きつらせている。
「一枚は背中に背番号の如く、もう一枚は内側にやはりデカデカと頼む。 保管用と仕事着にしたいんでな」
ついでに、書きやすいようにラウンドシールドを台として生成。 そのなんともアレな魔法の使い方に、周囲の人間は口をポカンとさせた。
「あ、相変わらずお兄ちゃんは魔法をどうでも良いことに使うんだね」
昔もそうだった気がする。 そうだ、アレは確か時の庭園の近くの水辺でのことだ。 楕円形のシールドの上に自分をのせて簡易ボートにして遊んだりした記憶をアリシアは思い出す。 あの頃から魔法を適当に利用して彼は遊んでくれていた。
「使えるものは何でも使う。 それが俺の主義なのだ」
「それを貧乏性と人は呼ぶのだと思いますが」
「うぐぅ」
胸を張って言い切るクライドをリニスが穏やかな顔で斬り、周囲がそれに軽く笑った。 本番前の僅かな時間、ザフィーラがアリシアにモフモフされたり、プレシアやリニスがクライドにデバイスのことを尋ねたりして彼らは旧交を温めた。
「……クライドさんたち遅いですね」
「そうですね」
放置されている二人の女性は、指定されているの席の上でぼんやりと座っていた。 喧しい喧騒と、ファンたちの興奮が熱気となって二人を襲う。 二人ともこういうのは初めてだったから、さすがにこの一種も異様な世界にはダレてきている。 と、ようやくその頃になってクライドがザフィーラと一緒に戻ってきた。 開始ギリギリであったが、どうやら間に合ったらしい。
「よう、悪いな二人とも。 久しぶりすぎて話が弾んでたんでな」
「待たせたようだな」
「しかし、なんで二人とも席を一つ開けているんだ?」
「もう、デートに誘ってくださっているんですから貴方が隣になるようにするのは当然ですよ?」
「室長、この場合それがここでのルールです」
「……なんだそりゃ?」
首を傾げるクライドだったが、リンディとグリモアの二人に引っ張られるようにして強引に二人の間に収まる。 ザフィーラはそれにため息をつくようにしながら、リンディの隣に座った。
(いつの間にやら、主にも春が来たのだな。 いきなり高難度な関係のようだが……)
生暖かい眼で主を見るザフィーラ。 当のクライドは落ち着かないようにしながら、なんとか乗り切ろうと必死に念話でザフィーラにヘルプを要請している。 だが、さすがにザフィーラは無視した。
『――我ピンチなり。 至急盾の守護獣に援護を要請されたし。 繰り返す、至急援護を――』
『主よ、私もさすがに馬に蹴り飛ばされたくはないのでな。 ここは自分一人で切り抜けるのが良いだろう。 さすがにこんなことの盾にはなれん』
『ちょ、待て!! ザフィーラヘルプ――』
打ち切られた念話。 そのことに愕然としながら、クライドはしかし起死回生とばかりにアリシアのサインを取り出して二人に渡す。 それで流れを変えようというのだろう。 だが、それで誤魔化されるような二人ではなかった。
「そういえば、どうしてクライドさんは白衣を着ているんですか?」
「室長、背中に何か文字があるんですが?」
「あ、ああ。 実は白衣の背中の方にもサインを貰ったんだ。 どうだ? カッコイイだろう?」
ホクホク顔でそう言い、アリシアのサインが背中に入った白衣を二人に見せびらかす。 それを見た瞬間、隣の二人の顔が微笑に変わった。 玩具を見せびらかす子供を見る母親の眼だ。 けれど、その笑顔の裏にはとてつもなく黒い感情があることだけは確かである。 闇のオーラを纏う二人は口を揃えて言った。
「「……で、アリシアさんとは結局どういう関係なんです?」」
(主、今その状況でそれは首を絞めるだけだぞ)
大体の構図を察したザフィーラは、同情を禁じえない。 いやはや、分かっていてやっているのではないかと邪推してしまうぐらい、クライドは墓穴を掘っていた。 それにしてもこのクライドヘタレである。 昔はリンディを一方的にからかって逃げられるだけのスキルが備わっていたはずなのだが、成長したリンディには手も足も出ないらしい。 そして、助手の方にもそうだった。 滅多に自己主張をしない彼女までもが何故か機嫌が悪い。 両サイドからの詰問するようなその視線の前には、クライドも胃がきりきりと痛む。 このまま色々な意味で敗北を喫しそうになったところで、しかし天はクライドに味方したらしい。 開始のブザーが鳴り、それとともに会場の照明が一気に落ちる。 そうして、壮大な禅僧が流れ始めたのだ。
「は、始まるぞ!! 開演中はお静かに、だ!!」
「「――むむ!?」」
コレ幸いと常識をうたって前を見る。 ステージの上、スモークの向こう側からスポットライトに照らされるようにして人影が歩いてくる。 今更それが誰かなどと尋ねることに意味は無い。 金色の髪の少女は、マイクを片手にスモークを突っ切って現れると音楽にあわせて歌を歌う。
「ぬぉ? いきなりその神曲から入ってくるのか!?」
最強のフルボッコソングの登場に、ノッケからクライドは興奮を隠せない。 隣の二人のことなどその瞬間に消し飛んでいた。 思いっきり現金な奴である。
心地良いソプラノボイスにが、壮大なBGMを彩りながら会場中に響き始めた。 その歌姫の美声に酔いしれるオーディエンスになりながら、そうやってクライドは逃げきった。 そのいつもの理不尽さに、両者がため息をつく。 だが、ただでは終わらない。 テンションの上がったクライドの左手にリンディがそっと手を乗せた。
それにグリモアも気がついていたが、さすがに彼女はそこまではできなかった。 自分の”領分”というものを逸脱することに迷ってしまったのだ。 それは、いつもいつも戦略を考えて実行できない彼女の戸惑いであり、未知がもたらす結果への恐怖からだった。 だが、それを”彼女”の歌が後押しした。
観客の熱気が、そしてそれを生み出す歌姫の歌が或いは彼女に作用したのか。 ほとんど無意識の間にグリモアもまた手を伸ばしていた。 やってみれば、大したことは無い。 ただ、手を重ねただけの行為だ。 だが、それでも何か”致命的”な思考を彼女は手に入れてしまっていた。
思考にノイズが走る。 次々と、生み出されては自己の知性を侵食するその未知がグリモアの中を駆け巡る。 それが悪いことだとは分かっていたが、グリモアはその未知を受け入れた。 意味など無い。 その先が無意味であることさえ理解している。 合理的な知性が、無機質なそれがあの時彼の言葉で破壊されたように、無意味でもそれが欲しいと思ってしまった。
この先、何があってもこの手に入れた”何か”がこれから先の自分を突き動かすだろう。 良いか悪いかなどどうでも良い。 どうしようもないことがあったとしても、それの意味を自分で作ろう。
思考に、心地良いノイズが奔り続ける。
無意味な、感情という名のバグが全身を侵す。
笑顔なんて、そんなモノを表現する機構など本来は無い。 無かったはずだ。 だが、それでも今のその表情を形容するとすれば、それは笑顔以外の何者でもなかった。 嗚呼、そうだ。 自覚するまでもなかったことだ。 そんな不必要ななものさえ手に入れてしまうほどに、自分はもう”影響”を受けすぎていたのだから。
余韻を残しながら消えていく音楽。 その後に続く間隙の妙。 その中でグリモアは決めていた。 記念に今の曲の入ったアルバムを買っていこう。 そうして、先ほどの感覚をその身に刻むのだ。 自分はもう壊れている。 破綻している。 ならば”最後”ぐらいは”これで”良い。 いや、”これが”良いのだ。
「……うむ、さすが神曲。 だが――」
(い、意識を曲に持っていかれている間に両サイドが物凄いことになっているのでせうが、こ、この状況はいかに? お、落ち着けクライド。 クールだ、クールになるんだ!!)
未だかつて無いほどの決意をしたグリモアの隣で、しかしその元凶となった男は彫像のように固まっていた。 左手にリンディ、右手にグリモアの柔らかな手の感触が確かにある。 何がどうなってそうなっているのか全く理解できないまま、クライドは次の曲が始まるまで魂を虚数空間の彼方まで飛ばした。
そうして、歌姫のコンサートは続く。 一人の男の戸惑いなど放置して、ミッドチルダに光臨したそのアイドルの名を刻むために。
――アリシア・テスタロッサの美声が、その日確かに会場にいる全ての人の心を奪っていた。
アリシアの美声を再生する、家庭用の音楽再生機。 スピーカーから流される歌声にコンサートで感じた高揚を思い返しながらザフィーラは家で夕飯を作っていた。 満足の一日だった。 本当は夕飯は四人でにしないかという話になりかけていたが、ザフィーラは一人アルトセイムへ終電前に帰らなければならないことを理由に、一足先に帰ってきていた。
どうにも、面白いことになっていたのでお邪魔虫な自分はとっとと消えたほうが良いだろうと気を利かせたのである。 恐らくはラーメン屋によってから本局に帰るだろう三人。 主が例の二人に挟まれながら片身の狭い思いをする姿を想像して、ザフィーラは苦笑する。
「それにしても、主もハラオウンも意外に長く続いているな……」
妖精から成長しているリンディの攻撃にタジタジになりながらも、必死に最後の砦を守り続けている主。 大体は理由が分かっているが、それでももう少しやりようがないものかと思う。 なまじ昔から二人を知っているからこそ感じることだった。
「災厄がある間は動けぬ……か。 臆病なのか彼女のためを思ってか分からぬが、そのままではお互いに辛いだろうに。 その間に一人また捕まえているようだし……酷い男だ」
まあ、どちらにしても主には幸せになってもらいたいものだ。 そう考えて、ザフィーラは料理をテーブルに運んだ。 作ったのは主の好物の炒飯である。 割と簡単でありながら、パラパラにするには難しいアレである。 やはり、決め手は中華鍋だ。 スプーンでそれを食べようとして、しかしザフィーラは動きを止めた。
台所に響くチャイムの音。 こんな時間に来客? 怪訝な顔をしながら、しかしいつもの回覧板の類だろうと考えザフィーラは玄関へと向かう。 そうして、扉を開けた瞬間その考えが甘いことを思い知らされた。
目の前にいたのは、見たことも無い二メートルを超えるほどの大柄の男だった。 紅で染まった全身鎧<フルプレート>の騎士甲冑を纏ったままの姿でデバイスを展開するその男。 顔は時代錯誤な兜のせいで見えない。 だが、その中に潜んだ鋭い眼光に乗せられた殺気だけでザフィーラは理解した。
――間違いなく、こいつは敵だ。
「何用だ? 夜中の来訪にしては物々しい出で立ちのようだな?」
だが、ザフィーラの声には答えずに無言でその男は両手に握ったデバイスで殴りかかってくる。 ザフィーラは舌打ちしながら、主から貰っていたナックル型のデバイス、バンカーナックルを展開。 同時に、元の青年姿に変身しながらデバイスで敵のデバイス――盾に握りをつけたようなトンファー型のデバイス――を受け止める。 その瞬間、甲高い音を立てて金属が咆哮。 打撃力に換算されていた互いの魔力が爆発した。
「――ちぃ!!」
思いの他強いその威力に、ザフィーラは戦慄する。 だが、引けない。 主の家を任されている以上は、家に傷一つつけさせてやるつもりなど全く無い。 爆裂した魔力の粉塵を突きぬけ、敵に向かって踊りかかる。
ザフィーラの闘志を受けて、バンカーナックルが甲の部分から白き魔力杭を吐き出す。 鋼の軛を手の甲から発生させてそのまま突進。 玄関の入り口から相手を吹き飛ばす勢いでもって全力の魔力を叩きつける。
フルプレートの男はその攻撃に少し警戒しながら距離を取るように跳躍。 舞台を空へと移そうと言うのだろう。 ザフィーラもまた、それに応じた。 こんなところで戦闘をすれば、被害が広がるのは当然だ。 できれば、広く暴れても問題の無い場所へと移動したい。
空を舞う紅鎧とザフィーラ。 相手の狙いが何であるかなど、考えるのは容易い。 恐らくは、アレだ。 少なくとも狙われる理由などそれしかない。 クライドは本局で勤務しているから、犯罪者の報復テロを受けるようなタイプではないしそんな事件に巻き込まれたとも言っていなかった。 だとしたら、やはり”そういう”ことなのか。
伏兵を警戒するように、鼻を鳴らす。 人型になっているとはいえ、狼の嗅覚は健在だ。 少なくとも、ミラージュハイドの類の魔法で隠れていたとしてもザフィーラには理解できる。 だが、今のところは周囲に不自然な匂いはなかった。
敵の持つ幅の分厚い盾が、グリップを中心に回転。 高速回転しながらザフィーラを襲う。 それを受け止めるザフィーラは、しかしその思いのほか重い威力には屈しない。 少なくとも防御力だけ見ればAAAランクにまで到達しようというのだ。 彼が本気で防ごうと思えば生半可な攻撃では意味が無い。 だが、そこまで考えてザフィーラは舌打ちする。 目の前の男もまた、似たようなタイプであると理解したのだ。 近接戦闘下での攻防を両立させたスタイルのようだが、どちらかといえば防御力を重視している。 それは騎士甲冑を見ればよく分かる。 全身を覆うそれは、恐らくは高速戦闘を完全に度外視している。 敵を消耗させながら堅実に倒すタイプなのだろう。 確か、ああいう輩がロイヤルガードあたりの戦術としてあった気がする。
(削りあいになるか……管理局への事情聴取がめんどうだから長期戦はなるべくしたく無いが……)
だが、そうまで考えたところでザフィーラは腑に落ちないものを感じた。 どうやってこいつは夜天の書を嗅ぎつけたのかということだ。 時空管理局でさえ気づけていないものなのだ。 あの高度なステルスをどうやってこいつは感知したのだ?
敵が時空管理局であるはずはない。 彼らであったなら、降伏勧告などをまず行うはずだ。 だが、それをせずにただ黙って襲ってくる。 ならば、やはり夜天の書を狙う犯罪者や悪漢の類だろう。
「何者だ貴様。 ベルカの騎士のようだが……」
「―――」
ザフィーラの問いに、しかしベルカ式の紅い剣十字の魔法陣を発生させながら鎧の男は答えない。 ただ、黙ってトンファーを叩き込んでくるだけだ。 まるで、自分は物言わぬロボットであるといった具合である。 その不気味な相手に、ザフィーラは腹を括る。 どういう輩だろうと、叩き潰さなければならない。 バンカーナックルに仕込まれているカートリッジの使いどころを考えながら、激しい打撃戦を繰り広げていく。
トンファーの一撃と、ナックルの魔力杭が二人の間で幾度も衝突。 古代ベルカの近接戦闘技術を惜しげもなくミッドの地で晒しながら、打撃戦闘を続けていく。 単純な近接戦闘技術にそれほどの差は無い。 ならばと、距離を取って鋼の軛で薙ぎ払う。 と、その瞬間鎧の男がようやく一言呟いた。
「――イージス」
恐ろしく低い声だった。 と、手に持っていたトンファーがくっつき、紅いの盾に変形する。 上下についているのはヴィータのラケーテンフォルムのロケット推進機構に似ている。 敵はそのまま鋼の軛を受け止め、さらにカートリッジをロード。 グリップ下部でカートリッジを使用すると同時に、そのまま急加速。 ロケットブースターを使用しながらの体当たりを敢行してくる。
「つっ!?」
ザフィーラの三角のシールドを展開した瞬間、攻防一体の盾が衝突。 互いの魔力を食い合いながら火花を散らす。 だが、それは長くは続かない。 ザフィーラの滞空維持能力限界を突破したそれがついにザフィーラを弾き飛ばしたのだ。 虚空をきりもみしながら、しかしザフィーラは体勢を立て直す。 ダメージはそれほどあるわけではないが、やはり倒すのは厳しい。 攻撃力が絶望的に足りないのだ。 ここにヴィータが居れば真正面から粉砕してくれるかもしれないが、生憎とザフィーラは一人である。
「……十二発、まとめて叩き込むしかないか」
ゆっくりと旋回するようにしながら、再び距離を詰めてくる鎧の男。 ザフィーラは腹を括るとクライドがくれたそれに思いを馳せる。 主の傑作が勝つか、向こうの盾が勝るのか。 勝つにはそれしか無い以上、それに全力を注がなければならない。
(ふむ、主の仕事を疑う理由は無いか)
少なくとも、効果の程はザース・リャクトンが確認しているという。 ならば、信じない理由は無い。 対高ランク魔導師防御突破用貫通特化デバイス『バンカーナックル』。 両腕にあるそれならば、或いは現状を打破できるかもしれない。 仮に無理だったとしたら、最悪削り勝つしかないがカートリッジの予備はまだある。 ならば、限界まで叩き込んで防御ごと撃ち貫くまでだ。
「勝負だ――」
突撃してくる紅の鎧。 ザフィーラは一度それを避けると、一度距離を取る。 そうして、上を取るように高度を上げると真下に敵が来た瞬間を見計らって突撃を敢行する。
「はぁぁぁ!!」
重量と重力とバンカーナックルの打撃貫通力。 現状利用できる全てを利用してその強固な盾に挑む。 信じるべきものはすでにその腕にある。 九年前の、あの他愛もない冗談のような約束を守ってくれた主が自らのために作成してくれた”これ”で貫けぬものなどあるものか。
「――」
「はっ、温い防御だぞ紅鎧<レッドアーマー>!!」
叩き付けるように放たれた左腕が接触する。 敵の防御をただ貫通することだけにリソースを振られたそのデバイスが、カートリッジを飲み込む。 同時に、左腕の魔力杭が下がり圧縮魔力カートリッジが生み出した爆発な魔力爆圧によって加速。 敵のシールドに圧倒的な速度でぶつかった。
「――――!?」
「どんなシールドだろうと、打ち貫くのみ――」
驚愕を眼に載せる紅鎧、その動揺の中唯ひたすらにザフィーラはカートリッジを使用する。 左のバンカーナックルの杭が、その度に敵のシールドを揺るがしていく。 だが、足りない。 左腕の六発だけでは抜けない。
「――――」
そこに勝機を見たのか、紅鎧が眼で笑みを浮かべる。 たがさらにザフィーラは右腕を叩きつけて追加攻撃。 右腕の白き鋼の魔力杭が、敵のシールドを食い破らんとする牙となってさらに吼える。 一発、二発、三発、この時点で敵のシールドにヒビが入った。
「――!?」
「そのまま、くたばれ!!」
強引に押し切れる。 そう確信したザフィーラが、残り三発もカートリッジをロードしていく。 至近距離でのカートリッジのマズルフラッシュ。 内燃部での爆発の閃光が二人の間で咲いて散り、闇夜を切り裂いた二発目、ついにシールドごとザフィーラのバンカーナックルが敵のシールドを粉砕した。 眼を見開く紅鎧。 声に無い声を上げながら、目の前に迫るザフィーラの右拳に抵抗しようとする。 だが、間に合わない。
「――零距離、取ったぞ!!」
そのまま敵の胸部を殴りつけるようにしながら、最後の一発をロード。 吐き出される魔力杭が圧縮魔力の輝きに火を点す。 高ランク魔導師の装甲をぶち抜くための一撃が、爆裂する爆圧によって叩きつけられ敵の騎士甲冑を貫いた。
紅鎧の声にならない悲鳴を、確かにザフィーラは聞いた。 だが、そのままでは終わらない。 確実に倒すために浮力を失った敵をそのまま地面に叩きつけるようにして降下。 魔力杭によって胸部から貫かれた敵には、それに抵抗することはできない。 そのまま川原に叩きつけられるようにして、背中カから大地に叩きつける。 衝撃で巻き上がる地面。 飛び散る土と石の礫。 だが、フィールドを纏っているザフィーラにはそんな程度では意味が無い。 戦闘力を失ったであろう敵を確認するために兜を外そうとしたところで、異常に気づいた。
「――こいつは!?」
そこでザフィーラは驚愕した。 目の前に魔力の霧となっていく敵。 これではまるで、自分たちのような魔法プログラム体だ。
「――我々と同じ? いや、これはリビングデッドか? だが何故……」
と、そこまで言った瞬間、ザフィーラは高速で飛来する何者かを感知する。 どうやら、息をつく暇も無いらしい。 バンカーナックルからカートリッジを弾装ごと取り出し、残りと取り替える。 そうして、天を見上げた瞬間ザフィーラはシールドを張った。
「はっはー!! やるじゃねーか。 こんなに速くフーガをあんたが倒すなんてなースペック上ありえないことだぜー? 腐っても守護騎士ってわけかい。 随分と勇ましい犬だなお前――」
「貴様――!?」
今度は、若い女だった。 シャギの入った青のショートを揺らしながら、白の長槍でもってザフィーラのシールドとぶつかりながら快活に笑う。 紅鎧と違って、喋らないというわけではないらしいが先ほどの相手よりもさらに強い。 ザフィーラの背中に冷や汗が流れた。
「まぁ、随分と頑張ったがここまでだろ。 あたいの槍を受け止めた時点で、本当ならお前はもう死んでるんだぜ?」
「なに!?」
白の槍が、白のシールドを喰っていく。 瞬間、怖気がしたザフィーラは後ろに下がるようにして、逃げる。 だが、槍先から伸びるフィールドが、ザフィーラを逃さない。 槍の上を滑るようにしながら、白のフィールドがまるで意思を持っているかのようについてくる。
「く、なんだこれは!?」
「お前の色はあたいと同じだからまぁ、あんま分からんだろうが”そういう”ことさ。 さて、任務ご苦労さん。 不真面目な生贄に変わってあたいらが変わりに使命を果たしてやるから今回はこれでオネンネしてな!!」
引き戻した槍の軌跡に沿うようにして、フィールドが戻っていく。 だが、それは次の一撃への布石にすぎない。 体勢を立て直し、距離を取ったザフィーラが防御の構えを取ると同時に再びやってくる白の槍。 身体から突撃するような神速の槍が絶世の突きとなってシールドと接触。 そのままザフィーラのシールドを喰らっていく。 ザフィーラがそれを見てカートリッジをロード。 魔力杭へ攻撃利用ではなく、カートリッジシステムの本来の威力強化を実行する。 だが、それでもその槍は”止まらない”。 いや、一瞬強化されたシールドが止まったが、それだけだ。 相変わらずシールドを”食い散らかしながら”突き進み、ついにそれを貫通した。
「ば、かな……」
いくらなんでもシールドを貫通する速度が早すぎる。 まるでありえない事象に、ザフィーラが驚愕した次の瞬間その白の槍はザフィーラの胸を貫いていた。 胸部から流れ出る鮮血、口内にこみ上げてくる血の味を感じた頃にはザフィーラの意識はほとんどなくなっていた。 常人ならばそこまで持たないだろうが、彼は生憎と普通よりも頑丈にできている。 だが、それでも死神の迎えが少しばかり遠のいただけだ。
「ま、こんなもんだろ。 あたいの槍を止めたかったら、あたいより上のランクを持ってくるしかねーよ。 そうだな……あたいがS+だから……ああ、最低SSでも用意しなきゃな。 でもまぁ、ミッドの奴ならそれでもキツイぜい? 何せあたいは連中にとっての鬼門だからな」
ニッと八重歯を見せるように獰猛に笑い、ザフィーラが死にそうなことになど気にせずに語りかける女。 ザフィーラにはもう、声を満足に吐き出す力さえ残っていない。 だが、それでもザフィーラは動こうとした。 まだ、自分は役目を果たし終えていない。 こんなとこで、終わってはいけない。 その矜持が、その忠誠心が、辛うじて彼を繋ぎとめる。 だが、それでも結末は変わらない。
「ん? ああ、もう無理すんなって。 心配しなくても主は殺さんさ。 まあ、アレに喰われるかもしれんけどな。 そっちは自分でどうにかしてもらうしかないからまぁ……恨むなよ”ザフィーラ”?」
「――貴……私の……名を……故……」
「ああ、だってあたいは”お前”のことも”他の奴ら”のことも知っているからな。 懐かしい話じゃないか。 あの時、ベルカ最後のあの日、あの腐った戦場で、あんな化け物どもと戦ったあたいらだ。 高々数百年であんたらを忘れるほどあたいは薄情じゃあないぜ? ま、王様からの命令があればこうやって殺しあうけどな」
知らないことを、さも当たり前のように吐く女。 夜空の輝きを見上げながら、霞むような視界のなかで女は言う。
「じゃあな、”次”に会えたら酒でも飲もうぜ。 もっとも、”次のお前”はこれを覚えていないだろうけどな」
身体が消えていく。 ザフィーラを構成する魔力が霧となってどんどんと周囲に溶けて消えていく。 フーガと呼ばれたあの紅鎧の男と同じようにして、ザフィーラもまたそうやって死ぬのだ。 それが、魔力を用いて実体顕現している魔法プログラムの最後であると決まっていたから。
(主……すま……い。 ア……シ…も、……すま……次の…コン…ート……行け…そうに…無い――)
ザフィーラの脳裏に浮かぶのは主と、そうしてあの金色の幼子のことだった。 自分が居なくなってもやっていけるだろうか? 主の計画に、支障はでないだろうか? アリシアはちゃんと寂しがらずにやっていけるだろうか? もう、満足に見えない眼。 彼らのためにも生きたいと、みっともないほどに共にいることを執着したいとどれだけ心の底から願っても、悲しいかな朽ちるしかない体はそれを許してはくれない。
暗黒の視界の中で、ただそれだけを悔いながら、 ミッドの双子月と星の光を浴びながらザフィーラは消えていった。 彼女と初めて会ったこの川原で、その優しい思い出に抱かれたままで。
ただ、主に貰ったデバイスだけが彼が生きていたことの唯一の証として静かにその場に残り続けていた。
「――ちっ。 嫌いでもない知り合い殺すのはさすがに後味が悪りぃな。 でもまぁ、しょうがないか。 ”姉御の命令”だしな。 ”王様”にはさすがに逆らえんわ」
軽く、ザフィーラが居た辺りに向かって指で簡単に十字を切る。 古代ベルカの剣十字にして、教会の連中が捏造した立派な騎士を冥界に送る簡素な印。 そして軽く黙祷を捧げると、それで終りだとばかりに気持ちを切り替える槍の騎士。 彼女は湿っぽいのが嫌いだ。 だから、いつまでも引きずったりしない。
「さて、後は本を回収して合流か。 残りの奴はまぁ、本があったら十分だろうし……一応は計画通りって奴なのかねー。 フーガがやられたのは予定外だけどなぁ」
月明かりを背にしながら、彼女はそう呟くと彼が守ろうとした家へと向かう。 死者にはもう何も守れない。 ザフィーラが守ろうとしたそれへと踏み入りながら、彼女は目的の物を奪取して夜の闇へと消えていった。 その際、”宣戦布告”とでもいうのかクライドの家を跡形も無く魔法で吹き飛す。 そのせいで深夜に轟いた爆音と、ザフィーラの魔法戦闘に気づいた付近の住人が様子を見るためにその辺りを散策したとき、クライドの家が跡形も無く吹き飛ばされたのに気づき管理局へと通報した。 けれど、そのことがクライドの耳に入ったのは日付が変わってからのことである。
――運命はこうしてクライドの知らないところで静かに動き始めていた。