バハムートラグーンIF02
2007-09-23
――キィィィン。まず知覚できたのは、圧倒的な存在感であった。
パルパレオスは目を疑った。
目の前の出来事が、理解できなかったのだ。
だが、どこの世界にそれを理解できるものがいるのだろうか?
人の身で鋼の剣を叩き折る人間など?
「な……なんだというのだ?」
弾かれるようにして距離をとり、折れた片方の剣に眼を見開く。
殺れると確信した一撃は、しかしそれが達成されることなく何か得体の知れない青白い光に包まれた人型の者に叩き折られた。
根元からポッキリと折れたそれは、まるで岩塊にでも剣をぶつけたように容赦がなく折れている。
「無粋で済まぬが、我が主を殺させるわけにはいかぬのでな。 ここは引くが良い、異国の騎士よ」
低いビュウの声で、それは言葉を発していた。
まるで王のような貫禄と、聞いた者に従わねばと思わせるような神聖さで。
ビュウの体を借りている何かは、ビュウの弾き飛ばされた長剣を拾うと腰に差す。
それで話は終わりだとでもいうように。
構えていたパルパレオスは、しかしそれをただジッと見ていることしかできない。
本能で理解していた。
アレに手を出せば、矮小な人間など容易に地獄に行くであろうということを。
まるで地獄の蓋を開けたようだとパルパレオスは思った。
自然に震えが走る体、剣を握る腕が振るえ一本だけになった剣が揺れる。
「GHUUUU」
知らぬ間に、戦っていたはずの自分の竜が彼と自分を遮るように降下してきた。
「止めろというのか、お前も?」
竜でさえ引けという相手。
戦慄を感じたまま、パルパレオスは動くことを止めて剣を引く。
いつの間にやら彼の体を借りた何かは、アイスドラゴンに乗って南に飛翔していた。
どうやらこの場を去るようだったが、その進行方向が北西の森でないことを心底安堵する。
「元カーナのビュウ……なんなのだ彼は……」
パルパレオスの独白は、しかし誰にも聞かれることなく空にとけた。
ドラゴンソード
第二話
「ふむ、ここにサウザーがいるんじゃな?」
「レギオンの情報ではそのようでアリマス!!」
「よしタイチョー、ワシに続けー!!」
「はいでアリマス!!」
血気盛んな重武装の二人組みが率先して森に突入する。
それを苦笑して見ながらビュウは、激痛に痛む全身を隠しながら平静を装っていた。
始めは、パルパレオスにやられたのかと思ったがそうではなかった。
剣による切傷も無ければ、殴られたような後すらない。
そもそも、どうやって自分がアイスドラゴンの背に乗ったのかすら覚えていないのだ。
気絶しているさなか、フレデリカが熱心にホワイドラッグをかけてくれたらしいが、それもどれほどの意味があったのか分からない。
だが、激痛に苛まれる体は休むことさえ許されない。
この森にはパルパレオスがいる。
そして、グランベロス帝国皇帝のサウザーとカーナの姫君であったヨヨがいる。
ヨヨはもうどうでもいいが、パルパレオスとサウザーを逃がすわけにはいかない。
一歩一歩歩くたびに途方も無く走る激痛を精神力でねじ伏せながら、ビュウはドラゴンに餌をやる。
「アイス、済まなかったな」
負担をかけた分、多めに餌をやりながらその体を撫でてやる。
裂傷が走り、流麗な体躯が血で汚れていた。
「もう少し辛抱してくれ、ファーレンハイトに戻ったらたっぷり休ませてやるからな」
回復に優れた竜であるモルテンやプリーストたちによってある程度回復してはいるだろうが、やや弱弱しい鳴き声を聞くと、自分の浅はかさを攻められているようで、ビュウは彼に謝った。
気にするなとでもいうように、触れる手をアイスは心地よさげに受け入れる。
その純粋な行為が、ビュウにはとてつもなく心に重かった。
激痛に声を上げそうになったが、それを飲み込んでは餌をやる。
全ドラゴンに餌をやり終えたころには、森に入っていった二人が戻ってきた。
「モンスターがうじゃうじゃでアリマス!!」
「行くぞ!! 姫様が待っておるんじゃ!! 準備はできておるなビュウ?」
「ああ、もちろん」
「では、オレルス反乱軍出撃じゃ!!」
「「「「「おおぉぉぉぉぉ!!!!!」」」」
「今回ビュウは後衛よ? これ以上無理させられないから」
「あー、でも前線で指揮を取らないと――」
「何言ってるんだい、そんな体で何をどう指揮しようっていうのさ? あんたはリーダーなんだから、今回は後ろのほうでどっしりと構えてたらいいのさ。指揮ならセンダック老やらマテライトの旦那に任せときなよ」
フレデリカとゾラが俺を押しとどめる。
どうやら、彼女たちプリーストから見れば俺の状態など一目瞭然のようだ。
これ以上はドクターストップだといわんばかりの血相で、俺をプリーストの部隊に配置する。
(あー、なんというかリーダーの面目丸つぶれかな?)
二人のほうがよっぽど頼もしいじゃないか。
「ついでにこの子も私の部隊でいいね? 後衛を守るぐらいなら負担もかからないから傷も早く癒えるだろうさ」
アイスを撫でてやりながら、ゾラは言う。
どうも、子供を心配する母親のようだ。
その顔には慈愛が満ちている。
キャンベルに息子がいるって話していたから、その息子の姿が俺とダブって見えたのかもしれない。
この戦争で失ってきた命の儚さを、彼女らプリーストは嫌というほど知っている。
だからこそ、彼らは人の機微に敏感なのだろう。
その人が救えるか救えないかを一番よく知っているのは、彼女たち死を一番看取ってきたプリーストたちなのだから。
「……すまない。 ではお言葉に甘えて、今回は後衛でいさせてもらうよ」
「ああ、そうしな。 でないとフレデリカが心配で倒れちまうよ」
「ちょ、ゾラさん!?」
「じゃフレデリカ、ビュウに肩でも貸してゆっくりとついてきな。 多少遅れてもかまいやしないからさ」
そういうとゾラはディアナと共にゆっくりと前進を開始した。
「あ、じゃあ行きましょうか?」
「迷惑かけるね」
おずおずと恥ずかしげに肩を貸してくれるフレデリカに苦笑しながら、苦痛をそれ以上表に出さないように努めながら後を追った。
「め、迷惑だなんてそんな……」
恥ずかしいのか、やや頬を染めるフレデリカ。
あー、そんなに恥ずかしがられると俺まで恥ずかしいんだけどな。
またラッシュたちにからかわれそうだ。
だけど、こういうのも悪くないかな?
野に育ったモンスターたちは、多種多様である。
さらに、散発的に出会う帝国軍の護衛たち。
それらを屠り続けながら、反乱軍は押し進む。
少しずつ力を蓄えるように戦闘経験を積み、来るべき対峙に向けて少しずつその力を増していく。
その勢いは止まる所を知らず、破竹の勢いで森の中を走破していった。
前衛の騎士団とウィザードが作り上げる屍の上を歩きながら、ビュウは戦闘の行方に安堵していた。
これまで数度の戦闘があったが、見たところ一度も敵の将軍と出会っていない。
ということは、ここにいるのはサウザーとパルパレオスだけということになる。
グランベロス帝国の誇る武将たち、そのどれもが単一でドラゴンと戦えるほどの武勇を誇っているという。
反乱軍にはドラゴンがついているとはいえ、それでもそれは脅威である。
人の姿をしたドラゴンなど脅威以外の何者でもないのだ。
(今はただ、敵の戦力を減らせればいい。 サウザーとパルパレオス、もしくはその場にいるかもしれない将軍たちを相手にする前にどれだけ敵の戦力を奪えるか――)
そこがポイントであるとビュウは考えていた。
もしグランベロスの将軍が全て居て、さらに展開した部隊があったなら、こちらの苦戦は必須であろう。
そうなれば反乱軍は三年前と同じように蹂躙されることになるかもしれない。
(いや、まだそうなると決まっているわけじゃない。 俺もパルパレオスに迫るぐらいにはなれた。 他のみんなだって一対一を挑みさえしなければなんとかなる)
反乱軍設立の折、皆がどれだけがんばってきたのかを俺は知っている。
皆と訓練してきた俺が、皆の力を疑ってどうする?
やれることはこの三年間やってきたはずだ。
(その成果を信じろビュウ。 皆はそんなに弱くは無い)
「いた、サウザーと姫だ!!」
先を行く声ラッシュたちの声が聞こえた。
どうやら答えを知るときが来たようだ。
俺たちの三年間が試されるときが。
「ビュウ!!」
「ああ、ありがとうフレデリカ。 急ごう!!」
先走りやすいマテライトとタイチョーが慎重に周囲をうかがっている。
彼らでさえ緊張するこの瞬間、俺の動悸もまた激しくなっていた。
不思議とそれは、全身の苦痛を忘れるほどに。
集まって、突撃のタイミングを図る。
だが、その前にマテライトはセンダックに尋ねた。
「センダック、これから突撃する前に一つお前さんのウダウダ話が聞きたくなった。 何か言っておくことはあるか?」
「――ワシ考えた。 どうして姫をサウザーは生かしたままにしていたのかを」
それは、皆が感じていた疑問だ。
まさかヨヨを娶る気だったとかそういうことではないだろう。
敵国の姫君。
捕らえて反抗する俺たちを誘い出すための餌にするためではないだろう。
その程度のために、態々あの”戦争の天才”と呼ばれたサウザーがヨヨを生かすわけがないのだ。
オレルスの空を手に入れた男が望むヨヨ。
彼女にある価値といえば一つしかない。
「姫様はドラグナーの血を引いている。 つまりサウザーは、その神竜の力すらものにしようとしているということ。 でも、だとしてもどうして今?」
「あの時、カーナが滅びるときにバハムートは答えなかった。 だから、それ以外の神竜を探すのに時間を費やしてきたんじゃないか?」
そうとしか考えられない。
カーナ王家以外ではもう詠われることがなくなった神竜の伝説。
どうやってサウザーが知ったのかは謎だが、それを復活させてどのような意味があるのか?
「――なんじゃ、お前らはそんなことをウダウダと考えておるのか?」
だが、俺たちの知りたい答えなどマテライトはどうでもいいと切って捨てる。
「そんなことはどうでもよかろう。 今大切なのは目の前に姫様がいて、姫様を救える場所にワシたちがいるという事実のみじゃ。 反乱軍として、カーナの生き残りとしてそのことを考えるのがウダウダと考える内容じゃろう? そんなどうでもいいことを考えてどうする?」
確かにマテライトの言うとおりだ。
分からないことなど考えてもしょうがない。
俺たちは手探りでも前に進んでいくしかないのだ。
「――でも、勝てるのかサウザーに」
誰かがぼやく。
それは、誰しもが内に抱いてしまう恐怖だった。
反乱軍の誰しもが押し黙る。
皆故郷を奪われ、流れてきた者たちだ。
サウザーや帝国によって蹂躙されてきた記憶は、忘れ去りたい過去の記憶。
それを思い出させるあいつらを前にして、二の足を踏んでしまってもおかしくは無い。
だけど、俺たちはそれを超えに来たはずだ。
だから、こんなところで立ち止まることに意味なんかない。
そのことをよく分かっている老兵は、だからこそ皆に言った。
「――なぜあきらめる?」
力強いその言葉は、沈んでいた反乱軍の雰囲気を払拭した。
「目の前に姫様がいる。 それでこのまま何もせず引き返すぐらいならワシはドラゴンの餌になったほうがマシじゃ!!」
老兵の言葉は俺たち全ての心を代弁していた。
だからこそ俺たちは手に武器を取る。
目的はタダ一つ。
全ての帝国に占領された国々を解放する。
そのための過程として、これははずせない作戦なのだ。
反乱軍に士気が戻った。
後はどこまでやれるかである。
それは神のみぞ知る事象だ。
俺たちがウダウダ考えるべき事柄じゃあない。
「さあ、ウダウダ話はもう終わりじゃ!! 行くぞ皆の者!!」
号令をかける老兵。
皆がそれに導かれるようにして後を追う。
障害となりうるは敵将二人。
皇帝サウザーとパルパレオス。
その護衛をしているレギオンや魔術師たちなど、今ここまで練度を高めた俺たちの道を塞ぐことなどできやしない。
だから俺は、マテライトに並ぶようにして剣を構え号令を発した。
「俺たち反乱軍のこれからは、この一戦にあると思え!! 取り戻すんだ、俺たちの手で!! このオレルスの国々を!! そのための決意をこの戦いで皇帝サウザーに思い知らせてやるんだ!!」
「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」」
続いて竜笛を吹き、ドラゴンを突撃させる。
命令は勿論”行け”。
「行くぞサラ!!」
俺に併走するように空を飛ぶ相棒と共に、俺は先陣を切っていった。
怒号と喧騒があたりをつつみ、阿鼻叫喚の戦場を彩っていく。
生と死が入り乱れるこの戦場において、ただ凪のように平静であったのは覇王タダ一人である。
ビュウの姿を見つけたパルパレオスは、先に対峙した奇妙なビュウと今のビュウの違いを見て少し安堵していた。
その背後には金髪を靡かせる少女を背にしたまま。
晒さぬように、この狂乱とも言える戦場の生々しさを見せぬように。
カーナの城を攻めるときに嫌というほど見せつけたであろうに、彼女を気遣うような仕草をするパルパレオスの表情は硬い。
どうするべきなのか迷っているのだ。
どうすればヨヨが幸せなのかが分からず、ただ背後にある少女が傷つくような結果が出ぬように思考する。
無骨な武人であるパルパレオスが、しかしそれほどに敵国の、しかも自ら滅するに加担した国の姫君を守るその姿はいっそのこと滑稽に映る。
だが、彼の親友であるサウザーはその内心の葛藤を見抜き、あの堅物にようやく春が来たのだなと達観していた。
だからこそ、彼が彼女と多く接することを禁止することなく今に至る。
少女は目の前の凄惨な殺し合いを見ぬようにとの配慮を受けながら、耳に響く戦場の生々しい音を両手で遮った。
(どうして?)
どうして今さら、彼らは自分の目の前に現れたのか?
もう、カーナという国は無くなったというのに。
なぜ、彼らは自分を目指して血を流し流させるのか?
彼女は知らない。
彼らが今日この日までどのような苦渋を舐めてすすんできたのかを。
歩んできた苦しさを。
一人、帝国に連れ去られた彼女にそれを理解しろというのは酷なのかもしれない。
だが、彼女は彼らの姫君であった。
だから彼らの思いから眼を背けてはならないのだ。
「ヨヨ様ーーーしばしの辛抱ですぞ!! このマテライトが必ずお救い申す!!」
マテライトが姫に叫ぶ。
嗚呼、懐かしい声がする。
戦場の阿鼻叫喚の中で、自分を姫と呼ぶ懐かしい声が。
(マテライト……)
厳しかったが、それでも可愛がってくれた老兵を思い出す。
「姫様、ワシたちがんばった。 まだまだこれからだけど、絶対姫様を助ける!!」
(ウダウダのセンダック……)
いつも相談に乗ってくれた老師が、もう若くないというのに精一杯の声を張り上げている。
「姫様ーーーー俺たちもいるぜーーーー!!」
「ヨヨ様!!」
「姫様!!」
ビュウと仲が良かったナイト三人の声がする。
「ヨヨ様!!」
「姫様!!」
「ヨヨ様!!」
「姫様!!」
カーナの皆が自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
耳をいくらふさいでも、どれだけ塞ごうともこの闘争の只中であっても止まぬその声を、彼女が遮ることなどできやしない。
それは、彼らの願いを踏みにじることになるから。
閉ざしていた耳は、やがてさらに彼らの声を聞くことになる。
塞いでいた耳は離れた両手故にさらに彼らの叫びを聞き、伝わってくる必死の思いが彼女の前にあるパルパレオスの背中さえも透視して、彼らの姿をヨヨに見せる。
「ヨヨ……」
そっとパルパレオスの背中に顔を隠すヨヨ。
だが、弱い少女の心は揺れに揺れていた。
(私は、一体どうすればいいの?)
答えをくれる誰かはいない。
相談に乗ってくれる誰かもいない。
目の前にある困難を打ち払ってくれる老兵はいない。
そこにるのは、敵国の将だけだ。
ただ彼女を真摯な願いをぶつけてくる彼らの思いから守る盾は、もう目の前のパルパレオスしかいないのだ。
「どうして、皆今になって……こんな…………」
皆の叫びが自分を責めているように聞こえる。
胸を締め付ける望郷の念。
そして、懐かしき隣人たちの呼ぶ声。
いっそ、帝国でパルパレオスという男に会わなければよかったのだ。
彼に興味を抱かねばよかったのだ。
そうすれば、きっと彼女は敵に囚われたままであっても彼の名前を叫べたのに!!
ふと、彼女は思う。
一人だけ、本当に一人だけ聞こえない声があるということに。
皆の叫びや、戦闘の音によって掻き消されているというわけではない。
まるで初めから声を発していないのではないかと思えるほどになにも聞こえない声がある。
「どうして……ビュウ?」
呟かれた名前。
その一言で、パルパレオスの体が一瞬震えた。
心音が跳ね上がった。
だが、それにヨヨが気づくことは無い。
彼女はその頃には、恐る恐るパルパレオスの大きな背中に体を預けることは止めて戦場を見たから。
視線の先には地獄あった。
あんなに優しかったマテライトが必死に戦斧を振り下ろしては敵を殺し、センダックが編んだ黒魔法が敵の兵士を焼き殺す。
ナイトたちは敵を次々と剣の錆にし、背中に乗せてくれたドラゴンたちも雄叫びを上げて怖いぐらいに咆哮を上げる。
今までみたことのないような、必死の形相で剣を振るう彼らを見た瞬間ヨヨは怖くなった。
アレが、本当に皆なのだろうか?
あんなに優しかった皆の姿なのか?
カーナが消えてから三年。
たった三年であんなにも皆の姿が変わるのか?
ヨヨは怖くなった。
だから、藁にもすがる思いで彼の姿を探す。
あの凪のように、いつも自分の傍にいて我侭を聞いてくれた幼馴染の姿を。
戦竜隊隊長を若くして任され、自分を守るために剣を振るってくれていた彼の姿を。
「ビュウ……どこに……」
だが、彼女は彼を探しだすことはできない。
彼がどういう思いで戦っているのかさえ、微塵も理解することはないだろう。
もうすでに、彼が自分をなんとも思っていないことさえも知らずに優しかった彼の姿を探した。
双剣を操る、カーナの誇るクロスナイトの姿を探した。
でも、一向に彼はいない。
いるはずだというのに、彼女にはみえなかった。
二本の長剣を武器に戦う剣士がただ一人戦場にいる。
だが、彼女がそれを彼と認めていないが故に、昔の彼の姿以外をフィルターで除外して見ているが故に、変わり果てた彼をみることができなかった。
ただ、怖いと思った人間がいたというぐらいに。
その者は二本の剣を操って、並み居る敵を切り伏せる。
圧倒的とも言えるぐらの強さを誇り、それ相応に敵の返り血を浴び、戦場を徘徊する悪魔だった。
いつも着ていたクロスナイトの服装ではなく、黒で服を統一している。
バンダナはあの頃から変わっていないが、それでもその眼に宿った鋭い輝きは彼女の知っている彼ではない。
彼はあんな眼をしない。
彼はあんな眼で人を殺さない。
彼は、彼は、彼は、彼は、彼は彼は彼は―――!!
「ビュウは……どこなの?」
知らず知らず涙が流れた。
認めたくない現実。
だが、彼女はそれをもうとっくに理解しているはずだった。
ただ、認めたくないから認めないだけ。
頭の中ではもう理解しているのだ。
優しかった彼が、今戦場では悪魔となっているという現実を。
「どうして………どうしてこんな……私どうしたらいいの?」
少女は揺れる心の中で、もうただ一人になった頼れる男のマントをギュッと握ることしかできなかった。
何人もの敵兵を倒した。
壇上の上で、ただ俺たちの足掻きをせせら笑うように済ました顔を憎憎しげに見上げて。
パルパレオスにしてもそうだ。
背後に傷ついた竜とヨヨをそのままに、なんでもない風を装っている。
蹂躙されている兵隊など、どうとでもなるということなのか。
動く気配さえないことが帰って不気味であった。
何をたくらんでいる?
その背後にいる神竜の亡骸で、お前たちは何を望む?
どうでもいいと、マテライトが言っていた問い。
だけれども、この局面になっても動じないような理由がそれにあるのか?
――主よ、覚悟を決めよ。
内なる声が聞こえる。
まったく唐突に、突然に、あいつは声をかけてきた。
忘れ去ったときに、一々忠告するように。
勝手に俺を主と呼び、勝手に俺の中にやってきて勝手に俺を助けてくれた神竜が。
(どうしろってんだ? 俺に何をさせたいバハムート?)
――ドラグナーの娘は神竜を呼ぶだろう。
ただ、あの者は心弱気者。
今のままではドラグナー足り得ない。
我が執り成す。
汝があやつ、ヴァリトラの魂を拾うがいい。
(そうして、どうなる? お前みたいに唐突な奴が俺の中に入ってこようがこまいが、どうでもいいだろう?)
――主は器だ。
神竜の心を知る者でも、古えの友たちとも違う、新たな存在。
新たな時代を担うに相応しい。
(買いかぶりだと思うが?)
それに、欲しいのは力だ。
神竜の魂じゃない。
――我らの力を使え。
さすれば、汝の望みは叶おう。
全て終わった日に、我は汝を主として共に飛びたい。
生き残られよ、主。
そのために我らを統べよ。
これは、頼みだ。
(……力か。 オーケー、そっちはそっちで好きにしろ。 ただし、俺は俺のやりたいようにやらせてもらうぜ)
――うむ。
さあ、行かれよ。
ドラグナーの娘よりも早く、我らを統べよ。
バハムートはそれっきり黙った。
たくどうやれっていうんだ?
”あの時”みたいに、神竜の亡骸に近づけばいいのか?
「まったく、現れては消えていく変な奴だ」
だが、悪くない。
相手が竜だからだろうか?
(はっ、このままじゃ俺の将来はドラゴン親父決定だな)
双剣を掲げ戦場を睥睨する。
怒号と叫びが木霊する戦場、より強い者たちが全てを制する場所がここにある。
ドラゴンたちが敵の大部分を薙ぎ払い、騎士たちが血路を開いていく。
失った過去を、これからを取り戻すために武器を振るう。
俺を除く全ての心が一つだった。
いっそ美しいとさえ感じる連帯感。
それに突き動かされるようにして、俺は攻勢に出ることにした。
「マテライト、ラッシュ、ビッケバッケ、トゥルース、センダック!! 俺たちで突き崩すぞ!! タイチョーはドラゴンとウィザードたちと一緒に残りの敵の掃討を頼む!!」
流れはすでにこちらにある。
後は、あの壇上の覇王たちを引き摺り下ろすのみ。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
周辺で敵兵を薙ぎ払っていた5人が、俺の号令に従って集まってくる。
「センダック、俺に強化魔法を頼む。 みんなは速攻でサウザーを!!」
「やれるのかビュウ!!」
「強化魔法があればな!!」
答えながら、かける。
「しゃぁぁぁぁ!!」
ショートソードを掲げるレギオンたち。
隊列を成して俺たちを阻まんとする小隊を、炎をまとった剣で薙ぎ払う。
「フレイム・ブレイク!!」
焼き尽くす炎刃。
死に行く彼らを絶叫をBGMに俺たちは突き進む。
投げ放たれた一条の矢のように、止まらぬことを知らぬ反乱軍が敵の板垣を突破する。
「「「フレイムゲイズ!!」」」
前方に火柱がほとばしり、援護の炎術が敵を飲み込む。
自らも敵を倒すことに忙しいというのに、的確なその援護は俺たちをほぼ無傷で敵の下へと送り込む要因となる。
「「ニョニョーーー(美味しいところは任せたぜ)!!」」
前方に雷の精が現れる。
バチバチと火花を散らしながら、周囲を焼き焦がす電撃の嵐が敵を飲み込む閃光となって弾ける。
デビルダンスは激しくビートを刻んでは、俺たちを鼓舞する舞となり――。
「「「スリーピン!!」」」
――殺傷力を持たぬ白魔術が、敵を昏倒させて道を作る。
誰しもが戦っている。
皆が今、この瞬間を戦っている。
可能な限りの援護を、可能な限りの力で。
その加護に守られた俺たちは、遂に敵の包囲を突破する。
「サウザー覚悟ぉぉぉぉ、インスパイア!!」
戦斧を掲げるマテライトが、一番斧とばかりに雷を纏う戦斧を掲げ、それを援護するように放たれる三本のフレイムパルスが空気すらも焼き尽くしながら敵に向かう。
城門すら撃破する破壊の鉄槌に、焼き切るための剣が今放たれる。
反乱軍最高の戦力を誇るナイトとそれを率いるマテライト。
あの4人ならば、皇帝サウザーといえどもただでは済むまい。
そのうちに俺は俺の戦いに決着をつける!!
「パルパレオス、お礼参りに来たぜ」
「カーナ戦竜隊隊長ビュウ…………何がお前をそう変えた? 姫から聞いた人物像と、今のお前は違いすぎる」
「それはあんたのせいさ。 あんたのおかげで俺は国を捨ててまで、力を求めるようになった。 普段は変わった気はないけど、戦場に出れば人も変わるさ。 それより、さっさと決着をつけよう。 いい加減、俺はあんたと会話するのは御免だ」
「……よかろう。 ならば押し通れ、貴様らの姫君は俺が渡さん」
共に双剣を抜き放つ。
「ビュウ、がんばって!! ビンゴ!!」
センダックの身体強化魔法が薄い赤の光となって、俺の全身を包み込む。
「今度は、前のようにはいかない!!」
共に掲げる武器は双剣。
「来い、ビュウよ!!」
そうして俺たちは、互いに自らの我を通すべく懇親の力でぶつかった。
「いけぇぇぇぇマテライト!!」
「援護します!!」
「やぁぁぁぁぁぁ!!」
全員が全員とも初撃から懇親の一撃。
4人の最高の一撃が、ほぼ同時に覇王の命を狙いゆく。
「ふっ――」
だが、覇王には恐怖も絶望も無い。
静かに抜き放った大剣を、静かに振り下ろすだけで全てを一切合財無にする一撃を繰り出す。
「切り裂け、カイゼルブレイド!!」
鞘から抜き放たれた剣が、魔の煌きに刀身を輝かせながら三度閃く。
その瞬間、ナイト三人が放ったフレイムパルスが切り裂かれ、空中で霧散した。
「「「な!?」」」
ナイト三人はその圧倒的な力に思わず声を上げる。
しかし、彼の老兵は違った。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
驚愕することなく勢いを乗せた懇親の一撃を、躊躇も無く振り下ろしたのだ。
紫電を放つ破壊の鉄槌が、空気を焼き焦がしながらサウザーを襲う。
それを下からの切り上げで迎え撃つ覇王。
その瞬間、戦斧と大剣がぶつかって耳を劈くような爆音が両者の中央で炸裂する。
冷静に考えれば、破壊することに特化したこの雷神の如き一撃を真正面から防ぐことなど不可能である。
武器自体の質量差も当然だが、振り下ろす側と振り上げた側では加えられる力が圧倒的に違うのだ。
重力の加護さえ得た、その十分に威力が伝わっている戦斧の一撃を迎撃するには、途方も無いほどの力が必要になる。
いくらサウザーの持っている剣が魔剣の類であったとしても、勝敗は眼に見えているはず――。
炸裂した瞬間、雷の衝撃が大地の粉塵を巻き上げて両者の周囲を砂塵が舞っている。
マテライトの側から見たナイト三人には、この一撃で勝負がついたように確かに見えた。
だが――。
「ぬぅ!?」
飛びずさるマテライト。
反射的に盾で防御するような姿勢をとった瞬間、マテライトは大きく体制を崩した。
ドサリッと、地面に倒れこむマテライト。
その左腕に存在する盾が、剣戟による裂傷を負っていた。
「ふむ、少しはマシになったようだがまだ温いな」
「馬鹿な!? インスパイアを迎撃した!?」
トゥルースがそのまさかの事態に呻くように呟いた。
まるで悪夢だ。
城砦すら破壊する一撃を前にして、剣をぶつけて弾き返すなどという芸当はおおよそ彼らの範疇外の出来事である。
その衝撃といったら、彼らが思わず一歩後ずさってしまったことからもよほどのものだと伺える。
「どうした? 反乱軍とやら……よもやこの程度で終わりというわけではあるまいな?」
冷笑するように、サウザーは4人の騎士に向かって言い放つ。
その様は正に威風堂々。
王者の貫禄を否が応でも見せ付ける。
「ぐぬ……サウザーめ……やりおるわい」
戦斧を杖のようにしながら起き上がるマテライト。
裂傷が刻まれた盾を放りすてると、戦斧を両手で握り締めて怒号を発した。
「若造ども怯むな!! 一度防がれたぐらい、なんぼのものじゃ。 まともに入ればワシたちの勝ちじゃぞ!!」
奮い立たせるように吼える声。
叱咤する老兵の声にハッとした三人は、各々の剣を構えながらサウザーを取り囲むように移動する。
真正面からだめならば、全周囲から。
セオリー道理とも言うべき動きにサウザーの笑みが歪む。
「貴様らのような雑兵がいくら現れたところで、物の数ではない。 何故そう死に急ぐ?」
「カーナを取り戻すためじゃ!!」
サウザーの四方を取り囲むようにして円状に歩きながら、マテライトは間髪いれず答えた。
老兵は黙って去るという言葉がある。
だが、それは全てが終わった後での話。
まだ彼には全てが終わったという認識はない。
まだ、ヨヨという亡きカーナ王家の血筋が生き残っている今、去るわけにはいかないのだ。
「サウザー、覚悟ぉぉぉぉぉぉ!!」
4人の騎士は圧倒的な力を持つ覇王に向かって同時に武器を振り上げた。
剣と剣が、ぶつかっては弾かれる。
終わらない剣舞が、ワルツのように流れては消えていく。
苛烈な憎悪と譲れぬ思い。
執念と恋慕の衝突は、センダック老師の身体強化魔法によって拮抗に陥っていた。
速度だけでなく威力さえも得たビュウの剣が、圧倒的な手数を持ってパルパレオスに襲い掛かる。
対するパレパレオスは、戦闘経験に裏打ちされた技と勘を頼りに鉄壁の防御を誇る城砦を、その剣によって作り上げていた。
上下左右から迫る凶刃を前にして、紙一重で互いが互いの攻撃をやり過ごす。
それはまさに、仮初めとはいえ二人の実力が途方も無く近づいていることを示していた。
そこには、一度目のように猛る感情によって爆発するものなど微塵も無く、両者が互いに自らの感情すらも研ぎ澄ませて一部の隙も生じさせないように完璧に自らをコントロールしている。
感情は爆発さえすれば、肉体の限界を超える力を彼らに渡すが、ここまで実力が伯仲している状況において一部の感覚の乱れも自らの害にしかならない。
故に、感情を押し殺すようにして両者が打ち合う剣戟によってのみその感情の行き場所としていた。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
全身の筋肉をバネのように利用し、剣が衝突した瞬間に両者が同時に後方に跳躍。
そうして、瞬きもせぬ一瞬の間に必殺剣を幾度も放つ。
一回、二回、三回、四回、終わることの無い衝突は二人が持てる限りの技でもって相殺される。
先手が放つのが炎ならば、後者は冷気を。
次の先手が雷ならば、後者は大地を。
属性の相克を用いて互いに剣を貪りながら、精神の続く限り全力で打ち合った。
キャンベルラグーンの誇る緑の大地は、二人の踏み込みによって荒れに荒れ、周辺を暴虐の嵐が吹き抜ける。
「がんばれ、ビュウ!!」
センダック老師も、援護の構えを見せながらもしかしその激しい戦闘に援護できる状態ではない。
できたのは応援することぐらいだ。
もしもに備えてホワイドラッグの詠唱を済ませてはいるが、それを使うような事態に陥らないことを切に願う。
しかし、反対側にいる彼女はその立場故にどちらかを応援することも加勢することもできやしない。
どちらが勝ったとしても、彼女には辛い現実しか待っていないのだ。
まだ、どちらも大切だと思って揺れていたから。
胸の前に併せた両手は、祈りを捧げる女神像のように微動だにしない。
心臓の鼓動が、二人が剣を交えるたびに跳ね上がり、ヨヨは心臓が止まりそうな錯覚を受けた。
現実から逃げ出したい誘惑が頭に幾度も浮かぶが、逃げ出すことすら彼女にはできない。
呪縛された体は鉛のように重く、耳に響く剣戟と叫びが耳を打つ。
決して逃れることのできない現実は、いつ結果が出たとしてもおかしくはない。
パルパレオスの真紅のマントが切り裂かれた。
ビュウの鎧を掠めて剣が奔った。
紙一重の戦闘が、二人の装束を奪っていく。
自身の肉体を完璧に操って戦う二人の前に、もはや防具など要らないのかもしれない。
「――っ!?」
声にならない悲鳴が上がる。
ただ目の前の敵を倒すことしか考えていない二人には届かぬ悲鳴。
今度こそ眼を閉じたくなるような凄惨な幻視が、幾度もなく脳裏を掠めては消えていく。
――しかし、それは二人にはそれはまったく関係が無い幻想でしかない。
やがて戦闘は佳境に入る。
全力と全力の衝突は、二人の双剣にもダメージを及ぼす。
蓄積されるそのダメージに、剣の方が悲鳴を上げて絶叫する。
「フレイムブレイク!!」
「アイスヒット!!」
もう限界さえ超えようという二人の必殺剣の衝突は、ほぼ同時にありえないほどの呆気なさで幕を下ろすことになる。
――キィィィィン!!
身体能力強化魔法――ビンゴ。
その恩恵を得たビュウと、元々断頭台のように鋭く重い剣戟を放っていたパルパレオス。
この二人の衝突に、二人が根をあげる前に剣の方が先にリタイアしたのだ。
空に舞う四本の鋼鉄。
四本が四本とも、二人がゼロ距離で放った必殺剣の負荷に耐え切れず真っ二つに折れていた。
地面に突き刺さるように落ちた破片が、まるで大地に墓標のような剣墓を作り出す。
「なっ!?」
「剣が!?」
ありえない終わり方であった。
だが、例え奇妙であってもそれが二回目の結果である。
互いに距離をとって折れた剣に視線を送る。
どちらも、通常の戦闘ができそうな状態ではない。
無理をすれば戦うことができないわけではないのだが、しかしそれ以上戦闘をするのは剣を扱う二人にとっては分の良いかけではなかった。
使い慣れた獲物であっても、その間合いが変化しているということは紙一重の綱渡りのような今の二人にとって、勘を狂わす最大の要因となりかねない。
互いに条件が同じであっても、この急激な間合いの変化は互いの危険性を限りなく高めることになるだろう。
ビュウもパルパレオスも勝利は望むが互いに自滅覚悟の選択に踏み切るには、しばしの躊躇が必要だった。
だが、外野にいる人間には二人の躊躇など微塵も関係が無い。
ホワイドラッグを詠唱していたセンダックが、術を切り替えてフレイムゲイズの詠唱を開始していた。
両者が躊躇して再起動を果たすまでのごく短い間であったが、ウィザード顔負けの詠唱速度でもって術を編んだセンダックが今まさにその魔力を開放しようとしたその瞬間。
――サウザーと相対していた4人の絶叫が木霊した。
――”戦争の天才”、”覇王”などの異名を持つグランベロスの皇帝サウザー。
驚くべきことに、彼は傭兵上がりの皇帝であった。
剣一本でそこまでのし上がってきた皇帝の力は、彼の持つ魔剣カイゼルブレイドと共に今でもグランベロス帝国の伝説となっている。
曰く――彼の操る剣は竜殺しでさえ可能とする魔剣である。
通常の剣では斬ることができないドラゴンの鱗や、灼熱の吐息さえ容易く切り裂くといわれるその魔剣は、魔剣や聖剣と呼ばれる類の剣の中でも最高クラスの一本である。
こと切裂くことに関しては、他の追随を許さぬ最強の剣の次に強力であるといわれている。
そんな魔剣と彼の剣術の融合は、天才の名に相応しいほどの武となって全てを支配してきた絶対の力だ。
一騎当千であると呼ばれる最強種であるドラゴン。
そのドラゴンと一対一で剣のみで戦えるというこの男に、ただの量産型の剣と斧しか持たぬ彼ら反乱軍のエースたちは成す術がなかった。
四方からの同時の攻撃を、しかしサウザーは容易くその卓越した剣術と剣の力によってやりすごし、むしろ圧倒するほどの力でもってねじ伏せて見せた。
――生ける帝国の伝説がここにある。
その凄まじい力の片鱗は、ナイト三人と老兵を血の海に沈めた。
全員が全員とも致命傷だけは避けていたが、今すぐに動けるわけがなかった。
敵の掃討が終わった者たちから順に、絶叫を上げて崩れ落ちた彼らの元に駆け寄っていく。
その顔は皆が緊張と恐怖に歪んでいた。
プリーストたちは必死に治癒魔術を詠唱し、タイチョーたち前衛を張れる者達はとどめを刺されぬようにマテライトたちの前へ出てサウザーの進行をけん制する。
「GYOOOO!!」
ドラゴンたちもそれに習って威嚇するように唸り声を上げる。
しかし、その只中であってもサウザーは揺るがない。
自然体で笑みを浮かべながら反乱軍を見渡し、流れるような自然な動作で剣を振るった。
「ぬ!?」
「ぐあぁぁぁ!!」
ヘビーアーマーのタイチョーとグンソーの隣を、まるで散歩でもするかのような軽快な歩みで通り過ぎた瞬間、彼らの重装備に身を包んだ体から鮮血が飛び散った。
重厚な鎧の守備力のおかげで、やはり彼らも生き延びてはいたが死に体の状態となって地に付していく。
誰もこの暴君を止めることなどできないのか?
敵意ごと敵の反抗の意思をねじ伏せていく覇王は、ゆっくりと反乱軍の包囲を抜けていく。
ドラゴンたちでさえ、彼と相対することを恐れるかのように本能的に道を明ける始末だ。
彼の行く先にいるのはパルパレオスとヨヨ。
ビュウに一瞬だけ視線を向けはしたが、興味はないとばかりに視線を外して覇王は行く。
「さて、邪魔が少々入ったようだがカーナの最後の姫よ。 貴方をこれまで生かしてきた理由はすべて、この神竜の心を知るためだ。 貴女のドラグナーとしての力……今こそ私のために役立ててもらおうか」
拒否は許さんと、サウザーは言葉にそういう意味を持たせて言っていた。
さらに、周囲を睥睨して笑みを浮かべる。
まるでそうしないのならば、反乱軍の命を散らすとでも言うかのように。
「私には……できません。 私はバハムートの言葉さえ聞こえなかったから……」
俯きながら、姫は言う。
「そんな……約束して下さったではないですか姫!! 私に神竜の心を教えてくださると!! やってみてくれると!!」
言い募るパルパレオス。
それが引き金となったのか、ヨヨはおずおずと神竜の所へと歩いていく。
今にも泣きそうな顔で、しかしやるしかないという悲壮を漂わせて。
彼女はもともと神竜に興味などなかった。
カーナの王家として神竜バハムートと幾度かの祭事はあったが、本格的に神竜と語ったことは無い。
それもそのはずであろう。
カーナの歴代の王でさえ、初代カーナ王以降バハムートと心を通わせた者はいなかったのだ。
だから彼女は自分もできないと思い込んで、それを心のそこから願ったことは無い。
それがストッパーとなって語ることを可能にしなかっただけだというのに。
「……なるほど、こんなわけわからん存在があんたらがヨヨを生かしていた理由かよ」
イラつきを抑えながら、ビュウは折れた剣を構えてすでに三人だけの舞台となった場所に無遠慮に乱入した。
サウザーもそうだが、パルパレオスやヨヨでさえもう自分たち反乱軍を歯牙にもかけていないという事実は、酷くビュウを怒らせた。
――今にも命を失いそうな仲間がいる。
ただ一人を救うために一番に傷ついた老兵がいる。
それを報いることなく、一言名前さえ呼ばれないとはどういうことだ?
決死の覚悟で戦っている者たちがいるというのに、助けられる側が彼らに対してなんのアクションも起こさないとはどういうことだ?
例え”助けられることを望んではいなかった”としても、これでは傷ついてきた仲間があまりにも可愛そうだ。
命乞いをしてやれとは言わない。
命乞いがして欲しいわけでもない。
それでも、何か一言ぐらい彼らにはあってもよかったはずだろうに。
「本当、これぐらいムカついたのはこれまでの人生の中で三度目だ」
刃が折れた剣を構え、猛る心に火をつける。
サウザーとパルパレオスに、三年をかけてまで届こうと足掻いてきた反乱軍。
三年かけて準備しても、いまだ届かぬ高見にいる存在の、その眼中にもないといわんばかりの態度。
まるで価値が無いと、お前たちには気にするほどの価値もないと嘲笑されている現実。
「お前たちが俺たちを見ないってんなら、見ずにはいられないようにしてやる」
まずはそこから。
本当に、そんな低いレベルから這い上がっていかねばならぬとは。
「……ふむ、ではどうするというのだ? 私にはお前たちにかける時間も労力もありはしないのだがな」
気だるそうに、サウザーが振り向きながらいい放つ。
三人しかいない舞台に乗り込んできた乱入者に、それ以上は構えぬと無理やり舞台を続けるために。
事実、サウザーには彼らなどどうでもよかった。
オレルスの空を制した彼にとって、彼らなど塵芥にも等しい。
すぐに鎮圧できるほどの規模しか持たぬ相手なのだ。
本気でかかるまでもない。
本気でそう考えていた。
「価値がないなら作ってやるさ。 今ここで、貴様たちの目の前でな!!」
その瞬間、ビュウは内なる存在に語りかけた。
(今まで見ていたな? お前なら見ていたはずだ。 だったら、俺がこれからどうしたいかも分かっているな? 俺を主と言うのなら、俺と共に飛びたいというのなら、その力をこの俺に貸してくれバハムート!!)
――その瞬間、大気が鳴動し圧倒的な存在感がその場に突然に現れた。
「これは……まさか!?」
「む?」
「……え!?」
異変を一番敏感に感じたのは、それと相対していた三人であった。
サウザーは警戒するようにカイゼルブレイドを構え、パルパレオスはヨヨを背後に庇うようにしてそれの様子を伺う。
「…怒ってる? ビュウの中で何かが……この感じ……まさかカーナの――」
「――バハムートの気配!?」
センダックとヨヨが、その良く知っている感覚に眼を剥いた。
ありえないのだ。
そもそも、バハムートはカーナ王家のドラグナーにしか心を許さぬと言われてきた神竜である。
それを、カーナに属していた騎士とはいえ、王家となんら血筋も通わぬ騎士の出の男の内から、その存在を感じるなどということはあってはならないことなのである。
「カーナの守護竜の気配だと……これが?」
眉を顰めるサウザー。
目の前の、自身が歯牙にもかけなかった男がよもや自らが求めていた答えを知りうるものだとは。
さしものサウザーもその意外性には驚愕した。
――主よ。
我が力、存分に振るわれよ。
大気が鳴動する。
ビュウの中に存在する神竜の力が、猛るビュウの心に重なって周囲に青白い光を放つ。
まるで閃光のような輝き。
それがビュウの体を包むように薄い膜のようなものを形成し、さらには折れた剣先から青白い刀身を生み出していく。
神竜からすれば児戯にも等しい芸当ではあったが、その身が人間ということから最大出力をかなり抑えられたそれはビュウの体を守る鎧であり武器であった。
「……反乱軍クロスソードのビュウ、押して参る!!」
ドンと、爆発するように大地を蹴りだしてビュウは矢のように飛び出した。
人間にしてはありえない速度で、15メートルほどの距離を一瞬にして無にかえるその力は神竜の持つ膨大な魔力によってしか生み出すことのできない奇跡であった。
「く!?」
構えたカイゼルブレイドに、二本の双剣が衝突する。
瞬間、まるで大砲でも受け止めたかのような鈍重な衝撃がサウザーの体を襲う。
今までのどのような剣戟よりも比べ物にならないほどに重いその一撃は、灼熱の吐息さえ切裂く魔剣の使い手であっても驚愕するような威力であった。
鍛えに鍛えぬいた身体能力を持つサウザーでなければ、今の一撃ですでに剣ごと叩ききられているところだ。
「ちぃぃぃぃ!!! カイゼルブレイド!!」
舌打ちしつつも、圧倒的なその竜の力を前にしてサウザーは果敢にも剣を振るった。
竜殺しさえ可能とする皇帝の剣が、上段から懇親の膂力を持って閃いた。
――キィィン。
それを、無造作に受け止めるは一振りの光刃。
対となる光剣は、振り下ろして隙だらけになったサウザーを目指す。
至近距離から頭部を狙うビュウの最速の一撃。
矢よりも速いその突きは、まるで狙撃銃のようだった。
――血が周辺に飛び散った。
突きはサウザーが咄嗟に上半身を横にずらしたことでかわされたが、掠った光刃に切裂かれた頬から流れる皇帝の血は、その回避が紙一重で彼の命を救ったことをことを物語っている。
後コンマ数秒遅かったなら、サウザーの首は確実に飛んでいたはずだ。
「サウザー!!」
「来るな、パルパレオス!!」
パルパレオスが加勢しようとするが、サウザーはそれを止めてただ目の前の暴風と戦うことを選んだ。
(サウザー……楽しんでいる? いや、敵の力を測っているのか!?)
今にも震えそうな圧倒的な力を内包する存在を前にして、少しも揺るがないその探究心。
好奇心とも言うそれは、サウザーを突き動かした。
「この程度ではあるまい。 その”程度”が貴様の全力ではあるまい!!」
魔剣が主の意思に呼応して、リィィンと鳴きながら閃光を発する。
切裂く魔剣の咆哮が、確かに相対するビュウには聞こえていた。
次の瞬間、サウザーから繰り出された破滅の一撃。
今までの力がどれだけ手抜きであったかを思わせるような、人間の限界を超越した一撃がビュウの光刃を弾き飛ばす。
「まだある先を見せてみよ!! 新たな時代を開くというその力、この私に見せてみよ!!」
飛び出すように光刃と魔剣が絡み合う。
魔剣が今、久しぶりの全力を振るうことに歓喜していた。
対する光刃はその刃と相対するたびに密度を失い、切裂かれて殺された光がさらにそれに抵抗するための輝きを増していく。
「はぁぁぁぁ!!」
ビュウは歓喜する。
ようやく、奴らの関心が自分たちに向いたという事実に。
そして、彼らと戦える力がこの腕の中にあるという現実に。
振り下ろされる魔剣。
それに全霊を込めた剣でもって対応する。
ぶつかった瞬間、神竜の魔力が切裂く魔剣と衝突しては力を解放していく。
限界などないと、そんなものは忘れたといわんばかりに。
本気を出した皇帝さえ飲み干そうという竜となって。
――サウザーの容赦の無い斬撃が、ついに衝撃刃まで発生させる。
剣の上を走るその剣気が、ビュウの体を薄く幾度となく切り刻む。
だが、そんなものはオマケにしか過ぎない。
本当の極限はまだまだこの先にこそある。
飽和する神竜の力。
迎え撃つは竜の力を内包する竜撃とも言える剣戟。
衝突の際に破裂する膨大な魔力が、力任せに魔剣の剣気を散らしてはせめぎ合う。
――正にこの二人の衝突は竜の衝突にも等しい。
超人とも言うべき勢いで剣を振るう孤高の天才サウザー。
激しい感情に竜の力を乗せて放つ稀有な人間ビュウ。
その闘争は正に、弱肉強食の論理によって突き動かされる天上の乱舞だ。
より強い者が勝つというタダ一つの絶対の真理が、今この二人に限界を超えさせる。
互いに放った懇親の一撃が、両者を激しく後退させる。
地面に衝撃だけで軌跡を刻むような二人の間で、勝負を決める最強の一撃が放たれた。
「吼えよ我が魔剣!! その神さえ屠る威力を我に示せ――」
魔剣に収束する剣気と魔力。
オレルスの空を制した人間の、至高の剣が唸りを上げる。
「――ラグナレック(神薙し黄昏の刃)!!」
放たれるは怒涛の斬撃。
当たれば切裂かれることは必定とばかりに放たれたその斬撃が、地面に衝突したならラグーンでさえ切裂きそうな一撃となってビュウを襲う。
――しかし、その瞬間ビュウは確かに聞いていた。
内でざわめくバハムートの言葉を。
(体が熱い。 全身が燃え尽きそうになるぐらいに熱い)
力の使い方すら知らぬ無作為な力が、彼のものの言葉に従って指向性を持っていく。
全身を駆け巡る途方も無い魔力の本流。
竜のもたらす超越的な量のそれを、自らが扱えるギリギリの範囲で解き放つ。
握る光刃が、炎のような赤く煌いては収束される。
途方も無い魔力の渦が全身をから噴出し、目の前の全てを焼き払うために燃え上がった。
左手にある光刃が真っ直ぐ後ろに構えられ、右に握る光刃は背中から真っ直ぐ振り下ろしやすいようにと掲げられる。
静かに蓄えた力を開放する瞬間をつくるため、サウザーに背を向けるほどに捻られた体が、弓の弦のように引き絞られる。
限界まで力をため、ただの一撃で全てを決するそのために。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
放たれるクロスソードの一撃。
赤い光刃がビュウの目の前で交差したその刹那、丁度十文字を描く剣の衝突地点から、極限の熱量を誇る怒涛の斬撃が繰り出された。
その一撃はラグーンの表面を触れただけで炭化させる、常人には到底放てぬ威力を誇る獄炎の刃。
ドラゴンの灼熱の吐息もかくやという程の一撃が、迫り来る無色の斬撃と交差する。
――その瞬間、周辺の全ての音という音を飲み込むような壮絶な爆音が周辺を飲み込んでは消え去った。
――熱量による圧倒的な破壊撃と、全てを切裂く魔剣の一撃が衝突する。
パルパレオスはただ、それを見ていることしかできなかった。
剣を叩き折るような存在の、想像を絶するような一撃を前にして、背後のヨヨを庇うように抱きしめて、威力を開放した技の衝撃で吹き飛ばぬようにするだけで精一杯なのだ。
勝敗の行方など、考えるまでもない。
いくら極限の人間であるサウザーであろうと、あの規格外の一撃を前にすればどうなるか。
燃やし尽くされていく大地、押されていく斬撃はやはりただの人間であるサウザーの方であった。
ジリジリとその威力に負け、ついには10メートルほど後方にじりじりと押されていく。
無を飲み込む赤がサウザーを包み込んだ。
「サウザーーー!!」
炎に焼かれていく親友を前にして、パルパレオスは無力な自分に悔しがった。
砲撃が着弾したかのような爆音の後、粉塵の向こうに姿を隠した両者を前にパルパレオスは駆け出した。
「そこにいてくれ、ヨヨ」
姫君に声をかけ、その返事を待たぬ間に粉塵の向こう側へと飛び込んだ。
その身がどうなるかなど、考えてもいない。
今はただ共に駆けた親友の無事な姿だけを追い求めた。
炭化した大地が熱い。
ブーツが溶けてしまいそうだ。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
こんな高温の大地の上で、膝を突いているかもしれぬ親友を思えばそんなことは気にしてはいられない。
「サウザー!! どこだサウザー!!」
一向に消えぬ粉塵。
(速く消えてくれ……あいつが……どうなっているのかさえ分からないじゃないか!!)
その思いに天が味方したのか、突風が吹きあがる。
瞬間、見覚えのある微かな煌きをパルパレオスは確かに見た。
「サウザー!!」
魔剣カイゼルブレイドの煌きだった。
その場所に急いで駆け、大地に仰向けに倒れた男を見つけた。
――酷い有様だと思った。
上半身のほとんどの衣服は燃え尽き、その下にある火傷のような十字の傷痕は嫌な予感を彷彿させる。
このオレルスの空を席巻した覇王の姿とは、誰がその姿を見て思うだろう。
それほどに凄惨な状態で、危険な状態であったのだ。
ただ、そんな状態になっても離していない魔剣を握ったままの腕を見ると、彼が生きていることは確かだった。
だが、急いで治療をせねば長くは持つまい。
慎重にサウザーを担ぎあげると、パルパレオスは急いで竜を呼び寄せる。
ビュウが使っている竜笛に酷く似たそれもまた、ドラゴンに命令を下す一種の伝達手段だ。
サウザーを負担がかからぬように乗せあげると、次にヨヨを乗せようと考えたところで、しかしそれを成すことはできない。
粉塵を消し飛ばすような魔力風が吹き荒れて、彼らの姿を晒したのだ。
その向こうにいるのは、神竜の力を扱える人間である。
パルパレオスは背後を振り返る。
50メートルは離れた位置にいるその男に畏怖の念を抱きながら。
しかも、粉塵を消し去ったと思った魔力風は実は彼の背中から生え出したように見える魔力の翼の羽ばたきであったらしい。
(この分では空さえも飛びそうだな)
冷静に、しかし場違いに抱いた感想を抱いた頃にはその男は彼の前から忽然と消えていた。
「!?」
どこだと姿を探し、見渡した視界の端。
後方にいるヨヨの近く、そこにいた神竜の亡骸の前で神竜の体に手を触れている。
今しかないと思った。
意識が辛うじてこちらを向いていない今しか。
ビュウのこともそうだが、彼らのほうに駆け寄ってくる反乱軍もいるのである。
特に、竜たちに追われればサウザーの命を救う前に自分たちもやられるのは明白だ。
今は逃げの一手しかない。
ヨヨを置いていきたくはなかったが、パルパレオスにはそれしか生き延びる術は無かった。
ただ、もう一度ヨヨとビュウに視線を向けてから竜を飛ばす。
言いたかった言葉があった。
伝えたい一言があった。
それを許さぬ現状故に諦め、今は言えぬその一言を飲み込んで、パルパレオスは帝国の戦艦を目指す。
大切何かを失ったような喪失感を心の奥底で感じながら、傷ついた皇帝の命を繋ぐために。
深い深い闇の中。
ただ、夢の如き儚き境界の世界にて、ただ佇む三つの存在があった。
一人は漆黒の色を纏った人間で、その人間は強大は力を持つ竜の上に跨っている。
内なる声に従って辿り着いたこの場であっても、その人間の男には恐怖は無い。
本能的に彼らに恐怖するという感覚が欠如しているがために。
もっとも身近にいる大事な者たちと同種の存在だったおかげだろう。
それ以外の魔物や怪物ならば、彼もやはり唯人と同じように目の前の強大な存在を前にすれば畏怖と恐怖を抱かずにはいられないから。
『バハムートか……』
呟いたのは、人間と人間をその首に乗せている竜の目の前にいる、深緑の色を持つ巨体を輝かしている竜であった。
通常のドラゴンの何倍もありそうな巨体。
オーソドックスなイメージが当てはまりそうな感じの、特殊な容姿を持たぬ若き竜。
威厳と共に困惑しつつも、確かな怒りを称えてその竜――神竜ヴァリトラは対峙する二人を睨みつけた。
『久しいな……ヴァリトラ。 幾年、幾千年の時の果ての邂逅になろうか。 既に我らの体が死に絶えるほどの時が流れている』
口を開いたバハムートは、しかしヴァリトラとは違ってその体に憎悪の光を携えてはいない。
あるのは、久方ぶりの後輩にあったようなそんな気軽さだけである。
『貴公が我らを裏切ってから、もうそれほどの時が経過したか。 バハムート、今更何のようだ』
『分かっているのだろう? 時代が動き始めた。 我らもまた、そのために行かなければならぬ。 我はそのためにあえてドラグナーではない者を選び、今ここにいる』
『ぬぅ……その者に扉が開けるというのか?』
『然り、今となってはこの男でしか無理であろう』
『異なことを。貴公を除く全ての我らが、ドラグナーの内にて力を出せば――』
『それはもはや不可能。 一度それをやって失敗しているだろう? また同じ失敗を繰り返すか?』
『む――』
『それに、我はもう選んでいる。 この者意外の誰の中にも行かぬ。 つまり、私がいるここに貴公らが集まらぬ限り、道は開かぬということだ』
『……何が狙いだ』
『久方ぶりに現れた我らの楔に染まっていない人間。 その行く末を見届け、共に空を駆ける夢がある故に我は今ここにいる。 さあ、選ぶが良いヴァリトラよ。 時代を担う者を』
『……断るといったら?』
『その時はただ、時代の扉が開かぬまま我がこの者と一緒に消え行くだけだ』
『……変わり者め。 だが、そこまで言うならば致し方ない。 そこにしか道が無いのならば、我が選ぶ道もまたそこにしか無い。 人間よ、貴様の名は?』
「俺はビュウ――クロスソードのビュウだ」
『クロスソード……懐かしい言葉だ。 彼の大戦以降久しく現れていない、あの血族の者か? まあ、それぐらいでなければ我らの魂の受け入れなどできぬが……否。 ビュウ――そなたはそれとも違う存在のようだな』
『言ったはずだ。 我が主は我らの楔が無い、新しい存在であると。 この者は純然たる人間でありながら、我らを統べる力を持つ稀有な人間である』
『……まあいい。 何であろうと、我らを新たな時代へと誘う使者となるというのなら、我らはそなたの中に参ろう。 さあ、心を開くが良い』
瞬間、強大な体躯が青白い光を放ったかと思えば、拳大の大きさとなってビュウの中へ飛び込んできた。
流れ込んでくる膨大な魂。
神の竜が内包する全てが、器たるビュウを満たしていく。
やがて、それがビュウの中に完全に溶け込んだ頃。
闇が少しずつ崩れていった。
何処とも知れぬ闇が消え、夢の世界が崩壊していく。
邂逅は終わりだと、この夢は所詮流れいく過程に過ぎぬと。
時代を変える力を持つモノたちの願う先。
それを担うための真実を追わせるために。
――幻想とも夢想とも似つかぬ夢は、こうして終わりを告げた。
――神竜の前に佇んで、微動だにしない竜を統べる者。
神竜の亡骸に触れたまま、そのまま動かぬビュウに一番近かったヨヨはしかし動くことさえできなかった。
自分を置いていったパルパレオス。
そして、自身の近くにいる変わり果てた幼馴染のビュウ。
だが、それは反乱軍の大半も同じだった。
よく分からない、それも自分たちを圧倒した皇帝を倒したその男の、尋常ではない様子に誰もが近づくことができないのだ。
異様の気配、圧倒的な存在感。
声をかければ、それだけで殺されてしまいそうな圧倒的な恐怖。
自分たちが知りさえしなかった力の片鱗を見せたビュウに、どのように接していいのか分からなかった。
ナイトたち三人とマテライトでさえ、プリーストの白魔法によって回復していたというのに動くことさえできない。
ふと、視線の先の人物が動いた。
瞬間、霧散する竜の翼。
光刃も消え去り、いつものビュウに変わっていく。
鳴動していた大気が静まりかえり、キャンベルラグーンの風が動き出す。
わけの分からぬ恐怖が消える。
だが、動き出すきっかけになったのはひとりだけだ。
「ビュウ!!」
フレデリカが駆け出した。
唯一人、いつものビュウに戻ったと確信した彼女は、あまり強くない体を酷使してビュウの元へと急ぐ。
その声に反応したのか、ビュウが振り返った頃にはフレデリカはビュウまで後10メートルというところまで来ていた。
「はぁはぁはぁ――」
激しくなる動悸、苦しくなる呼吸。
けれど、フレデリカはそんなことにはかまわずにビュウを目指す。
ビュウは、そんなフレデリカにいつもの微笑みを浮かべながら――――。
「ビュウ!?」
――地面に向かって倒れた。
「ビュウ、しっかりしてビュウ!!」
前のめりに崩れ落ちたビュウを、ようやく辿り着いたフレデリカが仰向けにさせて状態を確かめる。
呼吸、脈拍共に正常。
しかし、原因不明の何かに襲われるようにしてビュウは苦しみの声を上げる。
「ぐ……がぁ……」
「ホワイドラッグ!!」
気休めにはなろうと、フレデリカが白魔法を放つ。
淡い癒しの光がビュウを包む込んで癒すが、それさえも無意味だというように苦しむビュウにはまるで効果を発揮しない。
「どうしよう、ビュウ、ビュウ!!」
「がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
轟く絶叫。
その叫びに、ようやく動くことができるようになった反乱軍がかけよった。
「アイス!! 手伝ってくれ!!」
ラッシュが急いで竜を呼び、その背にビュウを乗せる。
「急いでファーレンハイトに戻りましょう。 ここよりはマシな治療ができるはずです!!」
反乱軍の皆によって運ばれていくビュウ。
顔からは苦悶の表情が消えず、誰しもがビュウを心配した。
さっきまでの恐怖など、もはやどうでもよかった。
苦しむ仲間の姿をみながら、ただ黙って怯えているような薄情な関係では決して無いのだ。
この三年間で培ってきた信頼関係は、この程度で縁が切れるほど柔ではない。
「がんばって、ビュウ!!」
アイスの背に乗り、ビュウの体を支えながらフレデリカは、ビュウの額に浮かぶ汗を拭った。
そして、帰り着くまで自身が唱えられる限界まで白魔術を行使し、少しでもビュウの苦しみが和らぐように努める。
それはファーレンハイトに戻ってからも、フレデリカが倒れるまで続いた。