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憑依奮闘記 断章02

 2010-07-12
※微妙に気に食わないので欠番だった奴 














 満たされた人生を送るためには、一体どういう生活をするべきだったのか。 そんなとりとめのないことを考えるその少年は、いつもどこかで白けている感覚を持て余していた。 いつも、ずっと、そうだった。 思い返してみれば例え刹那の瞬間に満たされたとしても、常に永続的にその高揚と快感を満足なレベルで享受し続けることなんてできなかった。 そのことに、何か物足りなさのようなものを感じる自分がいて、満たされない日々が続いていた。

 だからこそ、思っていたのかもしれない。 自分以外の誰かが満たされているような姿を見せるときには、自分も彼らのようになりたいと。

 他人の芝生は青い。 自分ではないからこそ、それはとても幸せそうに見えてしまう。 理解できない他人の、自身とは違う何かを見つける度に彼はそう考えた。 ”違い”はなんだろう? どうして、あいつらはあんなにもやれるんだろう? 何が違うのだろう? ただ漠然と日々を生きてきた少年は、だからこそ目に映ったそれらに対して憧憬を持った。

 もしかしたら彼らもまた自分にそういう考えを持っているのかもしれない。 もしかしたら、彼らと自分もまた同じなのかもしれない。 前者は自分が満たされていることに気がついていないだけだと信じたいからか、後者はただ単純に皆が同じなのだから羨ましいと思うこの感情が間違っているのだと、日本人らしい安堵感が欲しかったからか。 

 赤信号、皆で渡れば怖く無い。 高々数メートル――車が2台通れるか通れないか程度のギリギリの狭い道――の距離にある歩行者用の信号が赤だったとしても、場所によってはほとんど誰も止まらないのと同じだ。 青になるまで渡ってはいけないと誰しもが知っている癖に、車が通ってさえいなければ平気で人間は渡っていくことがある。 また、渡っている人間を見て真似をすることがある。

 ”時間が勿体無いから”、”立ち止まる時間さえも億劫だから”、”他の誰も止まってはいないから”、”皆が渡っているから”。 もし後者郡が理由なのだとしたら理論武装としては十分だ。 だって、そうではないか。 皆がそう言うのであれば、そうするのであれば、それはきっと”間違ってはいても許容されること”なのだろうから。 そう、だからきっとそれらの理由は安易な安堵感を少年に与えるのだ。

 そんな、グレーゾーン的な自分ルールが社会には根付いている。 勿論、そんな法などありはしない。 交通ルールに照らし合わせて考えれば子供でも分かることだったろう。 けれど、いい年をした大人たちが、ある程度成熟した青い年頃の連中が、親が、兄弟が、目に見える誰かかが、そんなことを許容していることがある。 許容できる連中が居る。 少数派ではなく、大多数にそれが見えれば、或いはそれは正しいことのように錯覚する。 ルール通りに生きる連中は、グレーゾーンに侵略される。 未発達な意志ならば尚更に。 

 そんなものさえ、彼には時折眩しく見える。 いや、常時眩しく見えるのだ。 仮にあれらが普通なのだとしたら、そうなることで普通になれるのか。 同じようにしていれば満たされるのか? 悩まされる。 人と同じように埋もれていくのだろうと自覚しながら、それに疑問を抱く毎日は終わらない。 自身を満たす術を、見つけれられない。

 結局、グレーゾーンにもそれはない。 そんなことにもいつしか気づいた。 やはり、個人の主観の問題なのだ。 だとしたらそれは彼の感性を根本的に変えてしまうような運命的なきっかけでもなければ無理だろう。 そうでなければ死んで生まれ変わるぐらいの劇的なものが必要か。 まるで雲を掴むような話しである。 故に、それは容易にはならない。 それがよくある人生の苦しみだと笑えたならば、それはそれで一つの答えになりうるが、果たしてそれが分かるほどの余裕は残念ながら彼には無かった。 

 中学、高校と何の選択もなくただ、地元にある学校がそれだけだという理由とそれ以外の道を知らなかった少年は、そうしてただただ無難にそれらを卒業し、都会の専門学校へと入学した。 それは挑戦だったはずだった。 したいことがあった、やってみたいことがあった。 だからこそ、満たされるために幸福な未来を信じてそこを選んだのだというのに、そこに広がっていた世界は少年には何も感じさせることはなかった。 未来への希望はただの願望に成り下がり、求めたモノにさえ苦痛を感じるようになるともはや何をするべきなのかさえ分からなくなった。 とはいえ、少年はそれでも縋る思いでそこへと通う。

 まだ、見つけられてないだけなのかもしれない。 鈍い自分には見つけられないそれが、ひょっこりと意地悪く隠れているのではないかと、有るかも分からない不確かな希望を探す。 そしてその場所で少年は数人の友を得た。 
 
 今でもまだ忘れない。 少年と青年になるまでの境界の、その狭間の時にで出会った友のことを。 その中でも特にあの二人のことだけは。

 一人は紛れも無く天才で、もう一人は努力家だった。 天才は少年に言った。

『俺は人に見せてないだけで水面下ではバタバタ足を動かしてるんだぜ?』

 どうも、彼は自分は白鳥だと言いたいらしい。 だが、少年はそれでもその言葉が何によって支えられているのかを考察し、やはり彼が天才

なのだという結論に達した。 少年は真面目でもなければ不真面目でもなかったから、地元レベルではそこそこの学はあったつもりだった。 だが、どうやっても天才のように上手くやれる方法が理解できない。

 結論としては要点を捉える能力の差だと少年は考えた。 天才はノートも取らずに授業中に寝る。 そしてその間起きてずっとノートを取っていた少年にテスト前にノートを借りた程度で高得点を平然とたたき出す。 同じことを少年がやったら絶対に単位を落とすだろうことは簡単に想像できた。 やはり、何かが根本的に違うのだろう。 ならばそれこそ所轄、才能の差という奴なのかもしれなかった。

 自分もあんな風になってみたいと思った。 天才を気取りたいわけではない。 ただ、そういうことが平然とできてしまう人間を羨ましく思ったのだ。 多分、彼には自身に見えぬ世界が見える。 ならば、己を満たす方法ぐらい簡単に見つけられるかもしれない。 その溢れんばかりの才能で。

『うーん、がんばってればこれぐらいはできると思うけど?』

 次に、努力家の友人は苦笑しながらそう言った。 彼が天才だとは少年は思わない。 いつもいつもそう呼ばれるのに相応しいだけの時間を勉強につぎ込んでいることを知っていたからである。 消費した時間の分だけ彼は進んでいる。 ただ、それだけのことなのだろう。 規則正しく生活し、己のリズムでマイペースに突き進みながら着実に前へと歩む。 そういう有り方を体現する彼をもまた、羨望の眼差しで少年は見た。

 自分にはそこまでのことはできない。 己もきっとマイペースではあったが、彼のようにキチッキチッとメリハリを付けた生活がどうしてもできなかったからだ。 見習って少しばかりやってみたこともあったが、途中で息苦しくなってやめた。 それ以来、その苦行をやり続けられる彼には尊敬の念を持つようになった。 平然とがんばれる人間の強さを見た気がして、またしても彼は羨ましくなる。 彼を見ていると自分がどうしても意思の弱い人間に見えるのだ。 本当に自分が成らなければならないのは彼のような有り方だと理解しながら、それをただ遠くから眺めることしかできない己自身は、きっと彼のように一心不乱に何かに打ち込んで満たされることはないだろうということも漠然と理解した。

 天才と努力家の友人。 彼らと居ることは楽しかった。 自分が知らないことを沢山見せてくれる。 それが羨ましくも有り、苦しく思うこともあったが、それでも彼は日々を謳歌した。 後から考えてみれば、アレはアレで幸せだったのだろうと思えるほどに。

 満たされていたかは分からないが、それでも幸福だったことには違いは無い。 ならばきっと、それは満たされていたと思っても良い日々だったはずだろう。 満たされているからこその空虚に喘ぎ、自身の欠落を埋めるために何かを探すのだ。 探している間はずっとつまらなかったというのに、それがもう手に入らないと知ってしまえばその無為な時間さえも満たされていたのだと思えてくる。 裏返しの空虚感。 もしかしたら、満たされないというのは認知できない幸福なのかもしれない。 或いは、そうと感じれる瞬間が来るまで決して理解できない未来の彼方に存在する幻想にも等しきものなのか。

――青になったばかりの横断歩道を渡る彼の元に、信号を無視したトラックが突っ込んでくる。

 彼は走馬灯にも似た何かを感じながら自身の生を振り返り、決して埋まらなかった空虚感を埋めた。 或いは、それもきっと瞬間的な自己満足の類だったのだろう。 満たされなかったことは決まっている。 そんなつまらない日々を逆転の発想で満たされた日々へと強引に変換し、そう感じて満足に逝きたかったのかもしれない。

 だって、トラックだ。 問答無用でトラックだ。 そんなものに不意打ち気味に突っ込まれたら、ただの人間である少年には何もできない。 精々できることといえば無様に跳ね飛ばされて死ぬことするぐらいだ。 それ以外の選択肢などない。 ありえない。 ただの人間には絶対に、決して――。



――今度生まれるとしたら、絶対に俺もあいつら見たいに■■■満た……――



 ザザァーっと彼の視界の奥で何かが霞む。 一瞬で世界がノイズの向こう側に堕ち、全てが意味不明な0と1の羅列に変わる。 今見ていた全てが、まるで偽りの姿だったかのように換わっていく。 トラックが、今歩いていた都会のコンクリートジャングルが、通行人が、自分の身体が、空が、地面が、全てアスキーアートのような0と1の文字絵に変わる。 所狭しと数字が動き、二進数という0と1だけの世界の中で超高速で稼動する。 高速を越え光速を越え、ありとあらゆる下位存在のそのどれよりも早く、最上位の認識に自動干渉。 片端から予め知覚していたその中から、必要な部分の羅列に最上位の認識で書き込ませ続ける。 ただ、それだけ。 それだけで、その少年は命を拾った。

 トラックに跳ね飛ばされ、悲鳴と怒号と轟音を正確に把握しながら朦朧とする意識の向こうで身体は少年自身の理性など無視して転がり続ける。 視界は出鱈目に回り、混乱を極める理性がただただ呆然と成す統べなくそれを享受する。 やがて、数メートルほどそのまま転がってはガードレールを支える柱に受け止められた。 そうして強引な抱擁で動きを止められた後、少年はしかし”平然と起き上がった”。 いや、ほとんど理性は無い。 ただ、無意識的に身体が起き上がっただけだ。 何せ、ついさっきまで立っていた。 混乱した頭が勝手にその状態に戻ろうとしただけのなのかもしれなかったが、それははっきり異常であると言えるだろう。

 少年は生身の人間だった。 だとしたら何故トラックに跳ね飛ばされて平然としているのか? 誰かが、その事実に思い立って驚愕の表情を浮かべたその瞬間、その世界はいきなり停止する。 同時に勿論、少年が無意識で知覚していた雑音も一部だけ消えた。 そこで、恐らく彼は一度――消えたのだ。







「――どうだジル、一応それらしい者を見つけたから報告したが……」

「はは、……まさか本当にこの方法で現れるとは驚きですよシモン。 さすが、『世界の始まりと終りを探求する者』だ」
 
 ジル・アブソリュートはその瞬間を記録したデータを眺めながら顔を綻ばせる。 その様を眺めながら、称賛の言葉を満更でも無さそうに頷きながら受け取る白衣の男シモン。

 シモンはジル・アブソリュートの個人的な友人である。 研究者らしく体格は良くないがそれでもジルよりも長身だ。 180はあるだろうか? アッシュブランドの長髪を撫で付けるようにしながら、自信満々な様子でジルに言う。

「確かにお前の推察は正解だったわけだな。 可能性としては偶然に発生する可能性は確かに零ではないと考えられたが、まさかあんなのが出てくるとは……いやはや、この研究も存外恐ろしいモノになりそうで戦々恐々してしまうな。 うっかり想像し得ない者が出てくる可能性を俺は考えていなかったんだ。 我ながら迂闊すぎたよ』

「そうですね。 まかり間違ってもアレイスターさんみたいな人が生まれたらそれだけで恐ろしい気がしますよ。 可能性が無限ならば、シモンの生み出したデジタル世界の中では、それこそなんだって起り得なければ可笑しい。 僕がそれこそこの中に誕生する可能性だってあるし、

君がこのデジタルな世界に生まれる可能性というのもまたある。 確率は低くてもそれが零ではないのであれば、”なんだって起り得る”……

それが貴方の世界だ。 一体何度演算を繰り返したんですか?」

「ざッとまぁ、数えるのも億劫なぐらい、だ。 正直、そんな中でも人類が発生したのは一兆回も無いが、妙な連中は沢山生まれたな。 空飛ぶ魚やら星を食いつぶす虫とか、五足歩行する人間もどきとか、指一本と頭しかない生き物とか、名状しがたいなんか訳分からんのとかな。 ああ、魔法使う人間とか宇宙を素手で引き裂く奴もいたっけな。 こっちでも呆れるほど変な奴はごまんといるが、デジタルな世界でも同じようなのが生まれてくると正直ゾッとしない。 俺たちは随分と薄氷な聖域の上に立ってるんじゃないかって、怖くなるよ。 この宇宙の法則が乱れていないことを祈るばかりだ」

「それはまた……」

「まぁ、結論としてはつまり限界突破者もレアスキル持ちも怪物も動物も何もかもが”偶然”と”無限の可能性”の中に内包されているということかな。 任意では無理でも、不確定性原理と偶然を逆手に取ってやれば俺のラプラスでも随分と面白い世界が覗ける。 嗚呼、この溢れる才能が憎い。 俺は今、確かにこのラプラスの中の世界の連中からすれば創造神ってわけだ」

「”偶然”発生しただけじゃあないですか」 

「いいんだよ。 偶然だろうと生まれた原因が俺ってことは変わりない。 ま、でも所詮コンピュータの中の宇宙さ。 超速でかっ飛ばしてたらいつの間にか崩壊してたりする。 それにまだシミュレーターとしての完成度が怪しい。 課題もまだまだある。 不完全だが、こいつでいいか? 稀にバグるけどな」

「ええ、ここまでくれば許容範囲です。 二度目の偶然が都合よくあるとは思えませんしね」

 神妙に頷きながら、ジルは再びモニターに目を移す。 シモンはそれを見てジルが一体何をしたいのか漠然と考える。 予想はできていた。 だがそれが可能かどうかは分からない。 とはいえ、ジルがどういう人間かどうかなどは知っていたから諦めないだろうとも思っていた。 マゾさではアルハザードでも上位に君臨するだろう男だ。 こと我慢強さという観点だけは病的なものを持っているから、執念でモノにするだろう。 ジル・アブソリュートとは”そういう男”だ。

「さて、データはすぐにお前の研究室に送っといてやる。 検索かけながらやると速度が落ちすぎてたまらんからな」

「すいません、実験の遅延は研究者としては歯がゆかったでしょう?」

「まぁな。 当然タダじゃあやらない。 というわけでジル。 ブツを寄越せ」

「ではこれを。 約束の品ですよ」

 白衣の中から分厚い封筒を取り出すと、それをシモンに手渡すジル。 封筒を受け取ったシモンは思わずガッツポーズをとりながら気合を入れる。 そうして、何やらこそこそと研究室の隅っこに向かうと中身を確認。 封筒内部に納められていたそれを確認すると、一枚一枚まるで全力で眼に焼き付けるようにしながら凝視する。 そうして、全てを確認することもなく数枚を堪能したシモンはすぐにジルのところに戻るとジルに向かって握り拳を突き出し、親指を立てる。

「――グッジョブ!!」

 ズビシィっと突き出された親指は天を衝くかのように力強い。 興奮を隠さずに称賛の言葉を送ると満足そうにジルの背中を何度も叩く。

「しゃー!! よくやった我が友ジルよ。 お前のような友を持てて俺は幸せだ。 だからこれからもできれば定期的かつ優先的にこの俺を頼ってくれ。 今後とも”格安”で引き受けてやる」

「ええ、その時が来ればまた頼みますよ」

「なにその時といわず今でも良いぞ。 さぁ用件はなんだ? 絶対領域生成能力保持者の次は限界突破者か? 俺の世界は無限だ。 なんだったら、アレイスターのそっくりさんでも探し出してやるぜ」

「気が早いですよ。 というか、恐ろしいことを言わないで下さい。 アレイスターさんなんか発生させたら、向こう側から自力で顕現しそうで怖いじゃあないですか。 暴れられたら洒落になりませんよ」

「……それもそうか」

 興奮の余り口走った危険人物の名前。 思わず冷静に戻ったシモンは、テンションにかまけて馬鹿なことを言ったとばかりに頭を振る。 今の発言はジョークにさえならない。 真顔でジルが言うものだから、余計にそう思えてきた。

「今日は安全地帯に逃げよう。 どうも、迂闊な発言のせいで胃の辺りが痛くなってきた。 殲滅兵器の近くで酒でも飲みながら世間話でもしてくる」

「殲滅兵器って……またアムステル叔父さんの所ですか?」

「ああ、人生の先達として良い女を口説き落とすためのテクニックをあの人のところで磨いているのさ」

「……好きにしてください」

「ああ、好きにする」

 呆れ顔のジルをそのままに、シモンはそそくさと仕度を整える。 手土産のツマミと酒を忘れないところがこの男の本気具合を伺わせた。 どちらもまた、アムステルの好物であることをジルは見抜く。

「アレ? もう一つのとっておきの酒はどこにおいたっけか……ジル、知らないか」

「この前持ってきた新しい銘柄の奴ですか?」

「ああ、試してみようかなと。 あれ、どこだったかなー。 この辺りの棚に置いたはずなんだが……」

「僕が知ってるわけないですから、がんばって自力で探してくださいよ。 ああ、それと今度の件は他言無用でお願いしますよ」

「んあ? んー、別にいいけどよ」

「それじゃあ、失礼しますよ」

「おう、明日中にでもデータを抽出して送ってやるからよ」

「分かりました」

 がそごそと棚の中を探索している友人に背を向けて、ジルは出て行く。 だが、ふと思い出したかのように呟いた。

「……シモンはやはり本気なのだろうか」

 封筒の中に収められていたのは、全てストラウスが取り貯めた”誰かさん”の写真である。 そのほとんどが手芸クラブで暇を見てストラウスやシモンが作った服を着た人物の写真だった。

 シモン・ラプラスは女性が苦手だ。 それを克服するためにストラウスの手芸部に入って鍛錬しているのだが、昔からずっと女性と普通に話すことが致命的にできない。 あの温厚が服を着て歩いているとまで言われるストラウスとさえまともに喋れないのである。 そのせいで意思疎通が難しく、とてもではないが彼の本命とも会話したことなどほとんどない。

「お互い、苦しい戦いですねシモン」

 苦笑の中にもはや届かない寂しさのような感情を感じながら、ジルは自分の階層へと帰っていった。 当然、彼の全てを賭した最後の賭けを実行に移させる後押しをしたのは、”彼”の誕生故である。 そのときのジルは、呆気ないほど簡単に手に入った希望に縋るしかもはや道がほとんど残っていなかった。

 救いの無い希望、絶望しかない未来。 自身の行く末にはきっとそんなものしかないだろう。 そんなことは容易に己の頭脳で分かっていたが、ジル・アブソリュートは結局のところ止まることができなかった。 止まれなかった。 止まりたくなかったのだ。 ありもしない希望に縋リ続けるのはきっとそのためである。 それもこれも全て彼女のためであり、それをし続けることを選び続けた自分自身のためだった。 

――それをきっと、彼は生涯飽きることなく続けて逝くのだろう。


















憑依奮闘記
断章02
「伝説の地への帰還」






















 人の縁を信じるならば、それが無為のものではないと信じなければならない。 刻んだ時の重さと、そこにあった感情の果てに繋がる縁の果てにこそ、感じるのが信頼の情である。 しかし当然、それ以外でも可能性は在り得るだろう。 例えば、因縁。 憎悪で結ばれた関係でも良いだろうし、悲哀を共有した者同士でも良いだろう。 要するにつき抜けたモノの極限的感情でさえあれば縁はより強固に繋がるわけである。

 喜怒哀楽の極限、感情の極限に位置するもの。 つまりは、そんなようなものであったりする。 だが、それ以外にもあったらどうだろう? 感情ではなく、もっと根源的な原始の彼方に根ざすもの。 血であったりルーツであったりするもっと先天的なもの。 それもまた縁によって結ばれ引き合うものではないだろうか。

 ドクンと、一際大きく心臓が鼓動するのをクライド・エイヤルは感じた。 何かに圧迫されるような、そんな強烈な気配。 学生なら教師、社会人なら上司、子供なら親。 とかく上位に位置する何かに雰囲気が侵されていくのを感じて不意に息苦しさを覚えたのだ。 いや、もしかしたらそうではないのかもしれない。 何かと勘違いしている可能性は捨てきれなかった。

「……室長?」

「いや、なんでもない」

 一瞬、クライドの身体がブレたように揺らめいたことをその時隣にいたカグヤと空間モニター越しに見つめていたグリモアだけが気づいた。 だが、当の本人はそれに気づかずカグヤに問うた。

「それで、ここがアルハザード……なのか?」

「ええ、ここはその最外装区画第六層に当たる部分よ。 簡単に言えば国境とか次元港に当たる部分かしらね」

 人っ子一人いない物寂しい通路である。 だが、よく見れば確かに空港やら駅にも似た雰囲気があった。 物珍しそうにクライドがキョロキョロと周囲を見回す中でグリモアもまた周囲を見た。

 彼女の記憶の中にあるそれと比べるが、ほとんど何も変わっていない。 強いて言えば、人がいないことぐらいだ。 それもそのはず、本来アルハザードは次元空間を彷徨い往く世界である。 そうして、外部からの留学生や更なる叡智を求めて辿りついた者たちの最果てだった。 しかし虚数空間に落とされて通常時空から切り離されてしまったせいで、昔ほど容易に踏み込める世界ではなくなっている。 当然のように到達できる人間の数は激減した。 今では極僅かにスカウトマンによって招かれる少数の人間と、偶然に流れ着いた人間、もしくは片道切符に命をかけて挑んだ後先考えない極端な人間ぐらいしかやってこない。 ならば、この場所の出入りが活発なわけがなかった。

「こっちよ、ついてきなさい」

 黒髪の少女の後ろを歩きながら、クライドはゆっくりと歩いていく。 奥の方に大きなカウンターがありそこに誰かが座っているのが見えた。 黒銀の髪にグラマラスな肢体。 柔らかな微笑を浮かべるその受付嬢の姿に、クライドはなんとなく首を傾げる。 見たことがある顔だったからだ。

「ようこそ、アルハザードへ」

 軽く会釈してくるその女性に、クライドはカグヤの隣に立ちながらなんとなく会釈を返す。  

「お帰りなさいカグヤちゃん、それにカノンちゃん」

「ただいま」

「ついさっきまでヴァルハラで見送りに来てくれていたはずなのに、一体ここで何をしているんですかストラウス」

「何って、決まってるじゃない。 受付よ。 ジルが居なくなったのは話したでしょ。 だから私がここの仕事も一時的に引き受けることになっちゃったのよ。 でも常時人を置く必要は無いから、必要なときだけ私はここに居ることにしたの」

「なるほど。 つまり”仕事の虫”が疼くわけですね」

「そういうこと。 それから、えーと……」

 視線をクライドに向けながら、少しばかりストラウスはクライドの名前を呼ぼうとして、ふと上品に小首を傾げる。 そうして、何を思ったか胸元にそっと両手を置いた。 まるで、胸を隠すような仕草である。 

「……室長?」

 グリモアがクライドに向かって綺麗な笑顔で微笑む。

「ま、待て誤解だぞグリモア君。 俺は別にこの人の特定部位を凝視したりなんかしてない!!」

「ええ、そうでしょうね。 男の人はこういう場合よく否定すると相場は決まっています。 いますが、女性からすればそういうのはとても不

快ですよ」

「気をつけた方がいいわよ。 この子”ムッツリ”らしいから」

「あらあらそうなの。 じゃあこれはやっぱり”任意”でやってるのかしら」

「いやだから、俺は別に何もしてないっつーの!!」

 無意味に慌てるクライドに、少しばかり眉ねを寄せて悪い心象を抱いたストラウスだったが、それでもふと何かを思い出したかのように頷いては苦笑した。

「うーん、こうして会う度に”してもらう”とちょっとアレね。 貴方……なんというか、本当にとっても卑猥な眼を持っているわよね」

「室長」

「いや、だから落ち着くんだグリモア君。 俺は何もしていないだろ」

「ですが、ストラウスはああ言ってますが?」

「んなこと言われても困るぞ。 大体、俺は眼つきが悪いとは言われたことはあるし自覚もしてるが、少なくとも卑猥な眼だなんて生まれて初めてだ」

 勘弁してくれとばかりに弁解するクライド。 気分は電車の中で痴漢に間違えられて右往左往する哀れな男である。

「まぁ、この子が卑猥な眼でストラウスを視姦していたかなんてどうでもいいわ。 さっさと登録してくれない」

「それもそうね。 私が我慢すればいいだけのことだし。 それじゃあこちらの用紙にサインをしてくれるかしら」

「うぐぐ……何故だ、こんな冤罪っぽい屈辱は初めてだぞ。 俺が一体何をしたっていうんだよ」

「「視姦してたんでしょ?」」

「あんたら、どうあっても俺をエロい人にしたいのか!?」

 がっくりと項垂れながら、カウンターのボールペンを引ったくって用紙に書きなぐってやろうとクライドが挑みかかる。 しかし、握り締めたペンは動きを止めたまま微動だにしない。

「……誓約書?」

 てっきり名前やらを書く類いのものだと彼は思っていたが違った。 いくつかの項目とサインをする場所しかない。

「中に入りたければまずはそれに同意して下さいな。 他の個人的なのを記載する用紙は別にあるの」

「これに同意できなきゃアルハザードの土を踏めないってか。 まぁ、別にいいけどさ」

 それほど長ったらしいものはない。 極めてシンプルな条文がいくつかあるだけだ。 それも分かりやすいぐらい簡単である。


1.誓約後、アルハザードにどういう理由があろうとも敵対しないことをここに誓う。

2.誓約後、アルハザードの流儀を犯さないことをここに誓う。

3.誓約後、誓約内容を自身が反故にした瞬間に関係者諸とも殲滅されることを受諾する。(この関係者には出身世界も当然含まれることがあ

る)


 見たところの内容は凄まじく簡素なものだった。 だが、三つ目の条文がクライドの不安を煽る。

「この三つ目の奴……随分と過激だなぁおい」

「別にその程度大したことではないでしょ」

「そうは言うがなカグヤ、この出身世界も含まれることもあるっていうのは当然そういう意味なんだよな?」

「当然よ。 判断はアルハザード側がやるけど、今のところ例外なくその誓約書の内容を守らなかった人間はいないそうよ。 ストラウス、この誓約書の内容からも逃れることができた人間はアルハザードの記録上どれだけいるのかしら?」

「うーん、私が知っている限りだといないわね。 こっちが撃ち損ねた逆賊はまだいないわ。 シュナイゼルは異例なほど執行が遅れてるけど彼は有る意味特例で保留中みたいなものだし、それ関係以外だと全員殲滅し終えてるから……誓約不履行者はいないかしら」

「だ、そうよ」

「ちなみに室長、世界単位でここに戦争を吹っかける世界もありましたが、例外なく世界ごと消し飛ばされてますよ。 誓約があろうと無かろ

うと、敵対者には一切容赦しないのがここの流儀です。 気をつけてください。 まあ、でもそれ以外だと割りと寛容なところがありますからそれほど問題にしなくてもいいでしょうけど」

「把握した。 じゃあ二つ目のここの流儀ってのは?」

「法律というかルールみたいなものね。 それを最低限守れと言ってるだけよ。 特に深い意味は無いらしいわ」

「へぇ……苛烈なのか適当なのか分からんなこの誓約書」

 名前を記載しながらクライドが呟く。 彼自身はこんなものは様式美みたいなものだろうと考えていた。 というか、そもそも彼にはアルハザードに敵対する理由がない。 サインしない理由が特に見当たらないのだ。 内容に抵触する理由が無い以上、心配するだけ無駄であった。

 サインを書き終えた誓約書をストラウスに差し出す。 だが、それを受け取ったストラウスはしばし悩むように唸った。

「うーん……果たしてこのままでいいのかしら……」

 呟きに反応したクライドたちは怪訝そうな表情をストラウスに向ける。 高々名前を記入しただけの用紙だ。 何か不備があるはずがない。

「一応聞いておくけど、クライド君はこの名前で登録していいのかしら?」

「――は?」

「今更の話なんだけど、その名前は貴方が身体を乗っ取っていた子の名前でしょ? オリジナル本人がミッドチルダで生きてるのに偽者の貴方がその名前で登録していいのかなと、私は疑問に思うの」

「……あー、ストラウスさん? 何か今とても意味不明な単語が聞こえたんだけど……詳しく俺にも分かるように話してくれない」

「どういうこと?」

「カグヤちゃんは当然だろうし、多分カノンちゃんも知らないと思うんだけどね。 ここにいるクライド君は”クライド・エイヤル君本人じゃない”のよ」

「それは当然ではないの? だってこの子はもう”魔法プログラム”なのよ? オリジナルなわけがないでしょ」

「その認識がまず間違ってるのよ。 ここに存在しているクライド君は容姿こそクライド・エイヤルだけれど、中身が全然違うのよ。 もっと分かりやすく言うと、クライド・エイヤルの姿をしただけの別人なの」

 その瞬間、二人の視線が一斉にクライドに向けられた。 クライドは答えない。

「沈黙は肯定と同義。 どう? 本人もこうして自覚しているからこの名前で登録するのは少しばかり変でしょうカグヤちゃん。 どうせなら本当の名前でお願いしたいと私は思うのだけれど……」

「……」

「どういうことですか? 室長は室長ではないんですか? 中の人だったとは聞いてますけど、今の貴方が中の人の偽者ということなんですか?」

 グリモアが探りを入れるようにクライドを見つめる。 グリモアもまたこの瞬間に勘違いしていた。 彼の知っているクライドが別人と入れ替わったのではないだろうか、と。

 場合によっては当然それなりの行動に出るつもりである。 また、カグヤもそうだった。 既にその手には刀が顕現されている。 彼女の場合はクライドがシュナイゼルの手先と入れ替わったのかという部分まで想像している。 当然、不穏な動きがあれば一刀の元に切り伏せるつもりだ。 絶対領域があろうとなかろうと関係ない。 その絶対さえ超えてやるつもりであった。

 一瞬で凍りついた空間。 答えをある程度知っているストラウスはのほほんと微笑を浮かべるだけだったが、カグヤとグリモアの眼は降って湧いた疑惑に対して戸惑いと困惑が混じったような視線を向ける。 とはいっても、ほとんど半信半疑といった風な様子だった。

 居心地が一瞬で悪くなった空間の中で、クライドは考える。 だが、とにかく何を言えばいいのかが分からない。 彼は彼でオリジナルとやらのことが気になっていたのだから当然だ。

「俺は……俺のハズだ」

 ようやく搾り出した言葉は、ある意味では正解であり外れでもある。 ストラウスはそれが彼自身の持つ真実なのだろうと理解するが、グリモアとカグヤはそうはいかない。 だから、クライドは知っていることを打ち明ける。

「確かに俺はクライド・エイヤルの偽者だ。 といっても五歳ぐらいのときからずっとクライド・エイヤルをやってたから俺自身はもうクライドのつもりだったんだけど……そうじゃない。 もう俺はクライド・エイヤルじゃあいられないってことなのか? だったら、教えてくれないかストラウスさん。 そのオリジナルのクライド・エイヤルがミッドにいるってのはどういうことなんだ。 魔法プログラムは通常一体しか存在できなくて、本物が生きているんだとしたら現れることが出来ないんだろう。 俺が偽者だから存在できるのか? それとも、やっぱり俺はトールの言うように”ジル・アブソリュートに生み出された人間”なのか? 答えを知っているなら教えてくれ。 俺はここに自己のルーツを探すためにも来たんだ」

 偽者だと公言したクライドの言葉にグリモアが自分の勘違いに安堵し、カグヤが眉根を寄せたが、更にでた後の言葉に二人ともあきれ果てる。 完全に理解不能だ。 それらは二人の想像の埒外の外にあった。 だが、グリモアは突如として気がついたような気がした。 クライドが絶対領域を扱える意味。 ジルが介入したようなことを確かに言っていたが、『俺の魔道書』にはそのような機能は付加されていない。 少なくともシステム上ではそうである。 管制AIである彼女の眼を盗んで起動するようなものが今現在あるはずがない。 であれば、どうやってクライドは絶対領域を使っているのか。 答えはなるほど、そこに在ったのかもしれない。 つまりそれは、書ではなくクライドに何か秘密が在ったということに他ならないということなのだ。

「まず、順番に話していきましょう。 私自身は知り合いから聞いただけだから、その後は貴方自身で調べて頂戴。 指し当たってはクライド君の疑問から解消しましょう。 クライド・エイヤルのオリジナルは生きてるわ。 というか、アレイスターが助けたというべきかな」

「アレイスター?」

「アルハザード十三賢者第二位『見護る者』にして、現在のアルハザードの実質的な支配者アレイスター・クロウリー。 限界突破者<リミットブレイカー>の中でも最古参の人間で……歩く荒唐無稽だと思っておいてくれれば良いわ」

「歩く荒唐無稽……」

「逸話には事欠かないわ。 アルハザードの生きた法律みたいな人でね、彼が介入したらもうその時点で全てが一切合財無意味になるわ。 それはシュナイゼルも例外じゃあない。 だから、その足跡を分かりやすい形で匂わされたオリジナルのクライド・エイヤルにシュナイゼルは過度の干渉ができなくて、本来なら色々とあるだろうにも関わらず罪をかなり軽減されているみたい。 怖いのよ、彼のお気に入りらしい人物に手を出したらどういうことになるのか目に見えて分かっているから。 強大な力を持つ彼をまだシュナイゼルは敵にしたくない。 そして、それでなくてもあの事件の全容は今までの管理局のどの事件よりもある意味奇怪な結末で終わっている。 そのせいで、重要参考人として極力手を出さずに監視する方向で落ち着いているみたい」

「とりあえずオリジナルはとんでもない人に救われたわけか」

「後は……そうね。 何も知らない五歳児をどうにかする法律が無かったとことも要因かしら」

「五歳児?」

「あれから二年経ってるから……もう七歳児かしら? アレイスターが二十二歳だった彼を子供に戻したから、そのせいで特にどうこうするわけには行かなくなったみたい。 貴重なサンプルの確保みたいな側面もあるんでしょう。 定期的に他の人よりもより精密な健康診断を受けさせられてるようだしね」

「……頭が痛くなってきた。 冗談なのか事実なのか、サッパリ分からん」

 どこの世界に二十二歳が五歳に戻る魔法があるのだろうか? 変身魔法もないことはないが、”本当に戻る魔法”などミッド式にもベルカ式にもない。 技術もない。 だが、ふとクライドは思い出す。 今現在己が立っている世界こそ、御伽に歌われた伝説の都アルハザードだと。

 知識の墓場にして古き叡智の眠る場所。 死者蘇生の秘術から何までがあるという噂の世界である。 単純にそれらの超技術が眠っているだけなのだろう。

(アルハザードをまだ侮っていたのか俺は。 グリモア君の完成型やらカグヤの存在だけで既に許容量オーバーの技術が埋まってるなんざ想像できただろうに……)

 確かな眩暈を感じながら、強引に思考を繋ぎとめ理解することに全力を費やすクライド。考えるだけ無駄なような気がしないでもなかったが、それでも思考を止めないのが彼である。 なんとか許容しきることに成功すると、ことの真偽はまず置いた。 でなければそもそも冷静に受け止めることができないのだから当然だ。

「と、これがまあ今のオリジナルの状況かしら。 軽く調べてみたけど、特に不自由しているわけでもないし、それなりに平和な毎日をグレアム提督の家で送ってるみたいだから安心していいと思うわよ」

「そうなのか。 そいつは朗報だな」

「で、この子は結局なんなわけストラウス。 もったいぶってないで教えてくれない?」

「うーん、なんて言えばいいかしら……」

「言い辛いことなんですか? それとも、アレイスターに口止めでもされているんですか?」 

 急かすカグヤになんとも言いづらそうに言葉を濁すストラウスに対してグリモアが尋ねる。 基本的に自ら進んで嘘は言わないストラウスであるが、頼まれれば曲解させる言い回しぐらいは使うし嘘をつけないわけでもない。 彼女に真実を喋らせるコツは単純なイエスかノーで聞けば良い。 それぐらいは、カグヤもグリモアも知っている。 だからこそ、直球で尋ねる方がより正確な言葉を引き出すことができた。

「別に口止めされているわけではないんだけど……なんていえば良いか分からないのよ。 クライド君はね、極めてデジタルな世界から強引にこちら側に顕現させられた異邦人なのよ」

「デジタルな世界……というと?」

「極論すればカノンちゃんと同じようなプログラムAIみたいなものなんだけど、彼の場合は偶然自然発生させられたプログラムなのよ。 そんな存在を呼ぶ言葉を私はまだ知らないわ」

「ありえませんよストラウス。 AIは誰かに人工的に作られて初めて存在できるんです。 すべからくプログラムとはそういうモノです。 私たちは誰かの手で記述されるなりコピーされなければ生まれ得ない。 自然発生するものは生物だけで、プログラムが自然に発生するなんて馬鹿げたことがあり得る訳が――」

 そこまで言って、グリモアはふと言葉を切る。 それは、アルハザードでは決して通じない概念ではなかったか? ”あり得ない、なんてことはあり得ない”。 限界突破者が既にその言葉を体現している。 即ち、どれだけ不可思議でもそれを起こす方法がこの多次元世界には無限に隠されているのだ。 であれば、彼もまたそれを体現する一人なのかもしれない。 その可能性だけは、否定できない。

「だから”偶然自然発生させたプログラム”だといったのよカノンちゃん。 ジルが今の彼を作ったという言葉に惑わされては駄目よ。 それだって事実の一側面に過ぎないの」

「随分と面倒くさい言い回しをするのねストラウス。 もっと分かりやすく言ってくれない? つまりこの子は何なの?」

「私なりに噛み砕いて言えば、彼は魔法プログラムと自然発生したプログラムの合成体<キメラ>。 初期の基本ベースはデジタルな世界で自然発生させたそのプログラムだから、普通はこちら側を認識するにはカノンちゃんみたいな身体やセンサーが必要。 でも、それでは彼の絶対領域が展開できない。 それでは困るからジルは”こちら側”の身体を与えて適応させるために魔法プログラムを合成することを考えた。 そうして、こちら側に顕現するための身体の要素としてジル・アブソリュートとクライド・エイヤルの魔法プログラムの記述をツギハギして合わせた結果、ようやく生まれたハイブリットな超希少種が今のクライド君。 正直、普通に実体顕現して人間のように振舞える時点で私には信じられないわ。 偶然を積み重ねて必然にすりかえたその執念には目を見張るモノがあるかな。 呆れるほどに、ね」

 そこで一旦区切ると、ストラウスは一同を見回す。 話の内容に理解が遅れている者はいない。 だが、やはり一番うろたえているのは本人である。 自分の両手に視線を落としながら、気味が悪い何かを見るかのように見ていた。

「偶然に救われたところもあるんでしょうけど……これを任意で成功させるには恐らくアレイスタークラスの領域に片足でも浸かるしかない。 だというのに、限界突破者でもないただの人間であったジルが他者の手助けを得たとはいえ、知恵と運だけでここまで到達した。 正直、人の持つ恐ろしさに触れた気がしてくるわ。 恐ろしいものね。 人間の可能性というのは」

「俺は、もう自分を人間だと名乗れないのかな」

「そんなことはないと思うわ。 人間を模倣して魔力情報から実体顕現させたのが魔法プログラムだし、合成されているとはいえその本質は変わらない。 基本的には人間みたいなものでしょ。 魔法プログラムを人間のように扱って認識できるのであれば……ね」

「……」

「それで、そのことを踏まえて貴方に問うわ。 貴方の名前はこれでいいのかしら? 本物がいる。 そして貴方はある意味でそれから脱却した存在。 オリジナルとジルの要素があるせいで、世界は貴方の身体をオリジナルとは別人だと判断しているからこそ本物がいても外に出てこられるようになった。 つまり、貴方がその身体を得た瞬間から別人としての生が始まっているというわけ。 なら、新しい貴方の名前はいつまでも借り物でなくても良いと思うのよ」

「だから名前がコレでいいかと尋ねた、と」

「誰だって誰かと同じように呼ばれるのは嫌なはずよ。 見た目はオリジナルそのままでも、それはもう新しく手に入れた貴方だけの体なのだ

から。 いっそのこと名前も変えてしまえばいいんじゃないかしら? 当然、そのままでも別にかまわないけど……これは単純に好みの問題。 ……どうする?」

「……」

 いきなり問われても、クライドは答えることができない。 衝撃の事実を聞かされた今、なんとなく一人になりたいアンニュイな気持ちになっていたからである。 が、今はそんなことができる環境はない。 ストラウスはクライドの言葉を待ち、疑問をある程度解消することができたカグヤとグリモアもまた言葉を待っている。 ため息を一つ吐くと、そのまま懐に手を伸ばす。 が、そこにあるはずの禁煙パイプは無い。 ヴァルハラで買い忘れたままでいたことを今更思い出して顔を顰めると、頭をガリガリと掻いて結論を出す。

「もう呼ばれ慣れたし、名前はクライドのままで良い」 

「名前は、というと?」

「名前はそのままでファミリーネームを今から募集する。 というわけで、似合うのを考えてくれ」

「呆れた……貴方自分の名前よ?」

「呼ばれ方が変わったところで、俺になんか悪影響があるわけでなしぶっちゃけどうでも良い。 とはいっても、”エイヤル”を名乗り続けるのはなんか違うと思った。 ならカッコイイのがいいわけだが、その、なんだ。 俺はネーミングセンスが欠片も無いらしい。 だから考えてくれ。 良さそうなのを採用する。 名付け親になれるチャンスだぞ」

「……むむ、なるほどそれは重要ですね。 これは是が日にでも室長の名前を決めなければ。 ”テインデル”とかどうですか?」

「テインデル?」

「ボクの前マイスターのです。 妹扱いされてたボクのファミリーネームですから、丁度良いです。 このまま婿養子として貰ってあげます。 嫁ぐ予定でしたが、そちらでもオーケーなので」

「却下」

 神速の速さでクライドは却下する。 背中にある冷や汗が彼の心境を物語っていた。 油断も隙も無いとはこのことである。

「クライド・テインデル……いいじゃないですか。 物凄くカッコイイのに……。 ”魔導砲”とか”殲滅兵器”とか”機動砲精”とかに連なる名前を手に入れるチャンスなんですよ室長」

「思いっきり君の願望で汚染されてる気がするので却下だ。 それに、そのなんだ。 確かに俺はフリーになったが、やはりよくよく考えてみるとこういうことは慎重に慎重を重ねなければならん。 無責任なことはできんからな」

「名前なんて別に拘る必要ないと思うけどね。 いっそのことアブソリュートとでも名乗れば? 語呂はあまり良くないけど、ある意味貴方の生みの親なんでしょうジルは」

「それも嫌だ。 俺はそのジルとかいう奴のことをサッパリ知らんのだ。それにだ。 何か知らんがそいつとは反りが合わない気が今になってしてきた。 こう、人の運命を玩んだ野郎的な意味で」

「そう、じゃあ自分で考えれば?」

「うぐぅ」

 心底どうでも良いのだろう。 他人事なのは本当に他人事だからである。 身も蓋もない言葉を返されたクライドは縋るように最後の一人に眼を向ける。 だが、受付嬢は笑顔で誓約書をズズィっと差し出すだけで何も言わない。 いや、誓約書を持っていない左手で胸元を静かに隠した。

 本当にクライドはまったく不埒な眼でストラウスを見てなどいないのだが、警戒したようにジリジリとストラウスは下がろうとする。 いや事実下がっていた。 ミリ単位で少しずつ。 顔は笑顔だ。 人当たり良いスマイルだ。 マスクドバーガーの支店長が思わずバイトで雇いたいぐらいの逸材である。 だがしかし、彼女は致命的にクライドと相性が悪いらしい。

「だから、何故貴女は俺からそんなにも距離を取ろうと必死なのか教えてくれまいか?」

「駄目よ。 だって、教えてそれに気づいたら悪用されそうだもの。 そんなこと”できない”とは思うけど念のために、ね」

 何が、ね? なのか。

「室長……真逆見た目の局所的な”戦闘力の差”なんですか? そうなんですか?」

 何か気づいてはいけないものに気づいたグリモアが戦慄する。 ワナワナと震えるのは致命的にすれ違った誤解を抱いたおかげだろうか。

「ちょっと待てグリモア君。 君はまた何か勘違いしてやいないか?」

「く、正に戦力差は歴然……あの女とボクのを比べても……いや、でも射程範囲内だったはずで……」

 ブツブツと呟くグリモア。 マシンハートを得た結果として随分と感情表現が進化しているが、客観的に見れば誰もが進化のベクトルを間違っているような気がしてならないだろう。 影響を与えた男が与えた男だ。 進化のベクトルが少し歪むぐらいはしょうがないことなのかもしれない。

「何故そんなに落ち込むのだ」

「カノンちゃんは今必死に現実と戦ってるのよ。 大変よねぇ」

「そうね。 これはきっと普通の乙女が誰でも通る道。 同情を禁じえないわ」

「だから、何故分かり合うのはそっち側だけで俺を蚊帳の外にするのか教えてくれ」

 首を傾げながら訳が分からんとばかりにヘタレストは言う。 だが、カグヤとストラウスはグリモアを何やら励ますのに急がしそうでクライドなど見向きもしない。

「……ああ、そうか。 結局どこの次元世界でも”女三人寄れば姦しい”わけか。 男には入る余地などないと、そういうことだな?」

 女性陣に向かって問いかけるが、返って来る言葉はない。 むしろ、返事をしないことこそが答えであったのかもしれない。

 その日、大宇宙の真理を一つ得はしたが、クライドはその代償として孤独を手に入れた。 熱弁を振るいながら語り合う三人を尻目に、クラ

イドは無言でその三人から距離を取りカウンターから少しばかり離れた位置にあるソファーテーブルに座り込むと、カウンターに備えられていたメモ用紙に適当に名前の候補を書いていく。 ネーミングセンスがないと自覚しているせいで、どうにもピンと来るものがない。 かなりの難航したことは言うまでもなかった。

 第一、名前など親から命の次に貰うプレゼントであって普通は自分で決めるものではない。 女性陣の喧騒をBGMに一人寂しくクライドはネーム作りに勤しむ。 その苦行が終わったのは結局十数分後だった。 無論、同時にそれは女性陣の井戸端会議が終了するのに掛かった時間であることは言うまでも無い。 

「……随分と長かったな」

「お待たせしました室長。 もう大丈夫です、ボクはこれ以後つまらないことでは迷いません。 絶対普遍の真理を得ましたからね。 次元世界に一つだけの華という奴です。 オンリーワン万歳です」

「そいつは奇遇だなグリモア君。 俺も一つ、孤独な宇宙の真理を学んだところだ」

 ようやく孤独から開放された男は、そうやって女性陣の輪の中に戻っていった。 その眼にキラリと光る何かが流れていたかどうかは定かではない。












「さて、これで登録処理はおしまいよ。 お疲れ様」

「案外、簡単に終わるんだな」

 名前を決めたクライドは誓約書を書き終えた後、プロフィールのようなものを書かされた。 そしてその後にはDNAパターンと固有魔力情報の記録処理をクライドは受けた。 アルハザードの中にいる間はその固有魔力パターンを機械が認識し、様々なサービスを受けられるようになっているらしい。 魔力が無い人間は変わりに特殊なカードなどを渡され、それで個人を判別する仕組みになっているそうだ。 これでアルハザード内を歩く場合に進入区域の制限を行うのだ。 カードをなくしたら再発行してもらわないと身動きが出来なくなるため、非常に大事なものである。 とはいえ、魔導師の場合は自前の固有魔力情報があるせいでそんなものは持たなくても良い。 少しばかり楽が出来るというわけである。

「これで貴方はアルハザードで暮らせるようになりました。 改めて歓迎するわよ”クライド・ハーヴェイ”君。 何か分からないことがあったら、私やカグヤちゃんに尋ねて頂戴。 手が空いていたらできるだけ手を回したり教えてあげるから……といっても、貴方にはカノンちゃんがついているから特に問題は無いとは思うけど。 ああそれと、これを持っていって」

 新たに手渡された辞典サイズの本を受け取る。 すると、そこには『快適なアルハザード生活の栞』と何故か日本語で書かれていた。

「何故に日本語?」

「ミッド語の方が良かったかしら。 貴方にはそっちの方がいいと”聞いていた”のだけれど……」

「いや、別にこれでも問題はないんだけどさ」

 問題は無い。 問題は無いが、どこか釈然としないクライドであった。 

「一応それは最新号だから基本的なことを網羅してるわ。 一度は必ず眼を通しておいてね。 最低限理解しておいて貰いたい必要事項が書いてあるから」

「了解」

「それでは、これより心逝くまで存分にアルハザードでの生活をお楽しみください――」

 形式的な礼に軽く会釈で答えると、クライドは再びカグヤの案内を受けて先を進む。 なんだかんだで時間を食ったが、それでもストラウスから有意義な話を教えてもらった。 まだ知りたいことは残っているが、それは後でも構うまい。 今はまず、アルハザードという世界のことを知らなければならないのだ。 でなければ動きようが無い。 幸い、クライドには常時グリモアが付いていてくれているおかげである程度はどうとでもなるだろうと楽観していた。

 そのまま誰もいない通路を進み、エスカレーターやら何やらに乗ってやがて二人はトランスポーター<転移装置>へとたどり着く。

「基本的にここでの移動はコレを使うわ。 特に階層移動や長距離移動は殆どトランスポーターで最寄のポーターに移動してから行くのが主流になっている。 貴方はまだ新参者だから移動できる場所は少ないでしょうけど、それでもこれで移動することだけは覚えておきなさい」

「カグヤも使うのか?」

「私の場合は一度でも行ったことがある場所か、座標が分かる場所なら大抵どこでもいけるから、初見の場所に行くときだけは使うわね」

「それで、まず初めはどこにいくんだ?」

「アルハザードは全部で六階層から成っているんだけど、これから行くところは第一層よ」

「ちょっと待ってくださいシリウス。 普通は六層で部屋と端末を得るのが先でしょう?」

 いきなり最下層である第一層と言われてグリモアが抗議する。 本来なら初心者がいきなり用事もなく赴く場所では決して無い。 それをよく知っているグリモアは当然非難の視線をカグヤに向ける。 だが、カグヤはそれに動じることもなく平然と言う。

「アレイスターに会っておきたいから案内ついでに寄ってくれと言われているのよ」

「……冗談ですか?」

「まさか。 こんな笑えない冗談を言う必要がどこにあるというの」

 カグヤとしても不本意なのかもしれない。 ため息交じりのその態度には、決して嘘はないようである。 グリモアは少しばかり絶望的な気分になった。 帰ってきて早々なんということか。 モニターの向こうで頭を抱えながら絶句するグリモアの顔は確かに強張っていた。

「なぁ、アレイスターって少し前に話に出たここの支配者なんだろう? なんだってそんな偉い奴が俺を呼ぶんだよ」
 
「知らないわ。 ただ、渡すものがいくつかあるとか言ってたわね」

「渡す物?」 

「とりあえず、怒らせないようにしてくださいとしかボクからは言えません。 室長、貴方が一番恐ろしい人は誰ですか?」

「あー、高ランク魔導師全般……かな。 一番って言えばこの前遭遇した完成型の君か聖王……だ。 アレは洒落にならん。 今の所打つ手が無い」

「じゃあそれよりも無量大数倍恐ろしい相手だと思ってください」

「無量大数倍って……おい、ちょっと待ってくれ。 どんだけ恐ろしいんだよそれ!!」

「つまり、言葉にできないぐらい恐ろしい相手ということよ」

 事も無げにぶっちゃけるカグヤに、神妙にグリモアが頷く。 クライドは冷や汗をかきながらゴクリと唾を飲み込んだ。 試しに頭の中でとりあえず恐ろしいモノを沢山思い浮かべてみる。

(聖王カルディナ、核ミサイル、グリモア君完成型、ブチキレたフレスタ、アルカンシェル、カグヤ、管理局、第四次のグラン○ン、えーと、それから怒れる孫馬鹿提督な爺さんに生真面目ディーゼル……は大して怖くないから除外してと。 獲物に狙いを定めたロッテとアリアに鍛錬モードのシグナムに……納品期日にロストロギアに死亡フラグに……)

 そうして、思い浮かべたそれらよりも尚恐ろしい存在というのを想像してみた。 すると、想像の限界を容易く突破してしまった。 無論、想像の中でさえコレである。 実物はきっともっと恐ろしいに違いない。

「――なんと、こいつはまた恐ろしい相手だな」

 何を想像したのかはクライド以外謎であるが、凄まじい超生物が彼の頭のなかで爆誕したことだけは確かである。 面倒くさいので全部ミックスしただけだったが、それでも十分に恐ろしさは想像できた。

「甘いわね。 多分それよりも更に数千倍は恐ろしいわよ」

「お前、単に俺を怖がらせて楽しんでないか? 無知を理由に遊ばれてる気がしてきたぞ」

「――さて、十分に脅したところでそろそろ行きましょうか」

「ちょ、待て。 まだ心の準備がだな……」

「室長大丈夫です。 逝く時はボクも一緒ですよ」

「大丈夫じゃない、それはきっと大丈夫じゃあないぞグリモア君!! 何故もっとポジティブに笑ってくれない!? どうせなら笑顔で笑い飛ばしてくれよ。 お願いだからそんな悲壮感背負ったような青ざめた微笑みを浮かべるのは勘弁してくれ」

 一人と一機がそうしてゴチャゴチャやっている間に、カグヤはトランスポーターを操作する。 瞬間、二人の姿が消えグリモアの姿を映した空間モニターだけがその場に残る。 だが、それもすぐに消えて転移先である場所にクライドたちの傍に現れる。

「……赤絨毯? いよいよもって雰囲気が出てやがるな。 どこのラスボスだよおい」

 トランスポーターの前から真っ直ぐに伸びる赤の道。 更にそれは豪奢な扉へと続いている。 一本道だ。 それ以外に道は無いと言わんばかりの一本道がクライドたちの前に続いている。

「あの扉の向こうに、アレイスターがいる玉座の間があるの。 大体彼はそこかその奥の執務室かプライベートスペースにいることが多いわ。 といっても、普段は好き勝手に出歩いているみたいだからほとんどここでしか会えないだけなのだけれどね」

「城下にくり出しては正体を隠し、悪を懲らしめる正義の副将軍とかっていうオチを熱烈に希望する」

「誰もがひれ伏す力は持っているけど、印籠を持ってないからそんなことはしないわよ。 彼、どちらかといえばワイン片手にビルの最上階から下界の民を見下ろしてはニヤニヤと楽しむタイプだから」

「もろ典型的な悪役じゃないか!?」

「だって、ここの支配者だもの」

 その言葉に全ての意味を押し付けるとカグヤはただ悠然と歩く。 カグヤが進めばついていかないわけにもいかず、クライドとグリモアの映る空間モニターもまたその後を追った。 二人の靴音を飲み込む赤絨毯、そして大理石を思わせる豪奢な通路を歩む間一歩踏みしめる度にクライドはふと全身が鉛のように重くなっているような錯覚に陥った。 そして同時に、ストラウスのところで受付を済ませる前に感じたき妙な圧迫感を再び感じた。 言葉にできるものではない。 ただ、なんとなく近いのは鎖に繋がれた猛獣の、その鎖が届く範囲内に踏み込んだときのような恐怖である。 いつ襲い掛かってくるか知れない、そんな漠然とした不安に足を止めてしまうそれに近い。

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

 強がってみるが、その感覚はこの場に踏み込んだ者が誰しも一度は感じる感覚である。 そしてそれは、カグヤもまた例外ではない。

「慣れればどうということは無いけど、それまではきついわよ。 気をしっかりもっていなさい。 彼の魔性に中てられないように……ね」

「”慣れれば”、ねぇ……」

 何かが可笑しい。 冷静に考えれば、高々偉い人に会うだけだ。 そのはずだったのに、何故こうまでして構えなければならないのか。 クライドは自分の感性と感覚が狂っているのではないかとさえ思った。 毒性の神経ガスや、見たことも無い古代魔法でも掛けられたのかと無意識に疑う。 だが、当然そんなことはない。 

「……扉が、開く?」

 大仰でレトロな扉が、その前に立った二人の前で自然と開く。 その向こう、照明に照らされた広い部屋の中に玉座があった。 赤絨毯はその前までしっかりと続いており、部屋の主のもとまで続いている。

 クライドは眼を凝らしてやや高い段差の上にある玉座に腰掛け、読書をしている少年を見上げる。 流れるような流麗な金髪がまず目に入り、その後には紫色の法衣が目に映る。 けれどやはり、一際目を引くのはその金髪だろう。 まるで獅子の鬣のようにも見えるそれのせいで、一瞬クライドはその少年が獣か何かのように錯覚して見えた。

 クライドたちの来訪に気づいたその少年は、手に持っていた分厚い本から視線を上げる。 そうして、金色の眼でクライドを見た。 瞬間、悪寒を感じるよりも先に心臓が止まったような錯覚をクライドは受ける。 鼓動するはずのそれが停止し、呼吸さえしていないのではないかと思うほどに全身が金縛ったように感じてしまう。

「邪魔するわよアレイスター。 ご希望通りに彼を連れてきたわ」

「ああ、助かる。 しかし、随分と遅れたな。 予定よりも遅れているぞ。 おかげで少し待ちくたびれた。 ああ、このままでは少し遠すぎるな。 会話し難いからもっと近くに来れば良い。 別段面白みの無い部屋だが、新しい住人となった貴公のために引っ越し祝いも兼ねていくつか用意したものがある。 是非君に受け取ってもらいたいんだがどうだろうか。 ”クライド・ハーヴェイ”」

「だそうよ。 良かったわね」

「……」

 だが、そう言われてもクライドは反応を返さなかった。 ただ、呆然とアレイスターの方向を見続けるだけで、カグヤの声に何も言わない。 いや、変化はあった。 瞬間、クライドの身体が明滅したように瞬いたかと思えば、突然ビクリと痙攣するような動きを見せていきなりその場に崩れ落ちる。 しかし、それでも一応床にキスをする前には手を伸ばし身体を紙一重のところで支えた。

「貴方、何をやってるの?」

「室長、今体が……」  

「――な、んだ今の?」

 クライド自身、自分に今何が起こったのかわかっていなかった。 ただ、どういうわけか床に倒れかけたことだけは分かった。 

「ふむ、やはり”感度”が上がりすぎているのだな。 ストラウスの時にはそのような症状は無かったようだが……彼女と余の違いが出たというわけか。 なるほど、確かに無と負が同じわけがない。 完全に固着した今となっては当然といえば当然の結果か……」

「アレイスター、何かしたの?」

「いや、余は別に何もしてはいない。 ただクライド・ハーヴェイが勝手に”自爆”しただけだ」

「自爆?」

「一応自動調整はしたようだから、もう大丈夫だろう。 ふむ? すぐには立てんか。 ならばしょうがない。 こちらから歩み寄ろうか」

 読書用の本を玉座の肘掛に置き、ゆっくりとアレイスターは立ち上がる。 瞬間、クライドが体感している目に見えない圧力のような何かが更に増す。 しかし先ほどのようにいきなり倒れるようなことはしなかった。 立ち上がった状態を維持する。

「”始めまして”、そしてようこそアルハザードへ。 余はアレイスター・クロウリー。 アルハザード十三賢者第二位『見護る者<ディフェンサー>』だ。 以後お見知りおきをジル・アブソリュートのラストワーク<最後の作品>。 貴公の来訪、余は嬉しく思う」

 少年はただ微笑を浮かべながら右手を差し出す。 最後の作品という言い様にどこか苦々しいモノを感じながら、それでもクライドもまた右手を出しだしては握手し、自らの新しい名を名乗リ上げる。

「……クライド・ハーヴェイだ。 出来れば名前の方でこれからは呼んで貰いたいもんだな」

「これは失礼した。 別に他意は無かったのだが、嫌味に聞こえたというのであれば謝罪しよう」

 鈴のような声色が至近距離から耳に響く。 少年のようでもあり少女のようでもあるアレイスターの容貌は間近でみれば恐ろしい程に整っていた。 だが、それ故に恐ろしい。 見た目は二十にも届かない位にしか見えないというのに、全身から滲み出る貫禄と威圧感と魔性がチャーム<魅力の魔法>のように作用してそれで当然なのだと思わせてくる。 まさしくそれは天性のカリスマに相違ないだろう。 けれどそれは、カグヤのカリスマとはベクトルが完全に違っていた。

 カグヤの場合はついつい従いたくなる、目に見えない威厳のようなものからなるカリスマだったが、アレイスターの場合は底の見えない暗黒の闇に魅入られてしまうかのような熱狂的な危うさがある。 惹きつけられるという面では同じだろうが、感触が全く違うのだ。

「それで、用件は?」

 気圧されないようにクライドは強気に出る。 少しばかり無礼かとおも思ったがそうでもしなければ、自分を保つ自信がクライドには無かっ

た。 実はまだ、心臓が止まっているのではないかと思っていたのだ。 異常なほどに、初対面の相手にこれほど怯えたのは初めてのことで彼自身、自分が正常なのかどうか判断がつかなかった。 だとしたら、手早く会話を終わらせるしかない。

「先ほども言ったが、いくつか貴公のために用意したモノが三つある。 是非受け取ってくれたまえ。 まずはコレだ」

 瞬間、アレイスターが指を弾いたかと思えば、虚空より飛来した銀閃が握手を終えたクライドとアレイスターの間の床に突き刺さった。 床に突き刺さる甲高い音が一瞬響き、ギョッとしたクライドが思わず後ろに飛び上がりかける。 

「こいつは……刀? まさか、俺がカグヤに貰った奴か!?」

「そうだ。 時の庭園には少し余も用事があったのでな。 帰りがけに回収しておいた。 あの時クライド・エイヤルとカノン・テインデルの命を繋いだ対魔法刀。 捨て置くのは惜しかろう?」

「……」

「二つ目はこれだ」

 法衣のポケットから取り出したのは、何の変哲も無い鍵である。

「本来、アルハザードを訪れた人間は凡そ四つに分類される。 この地の技術を自世界に持ち帰るために学びにやってきた”留学生”。 観光や交易交渉に訪れた者達などといった王侯貴族や企業人といった”ゲスト”。 そして自力でこの世界に辿りつくかスカウトマンによって招かれてきた将来有望な”技術者”。 後は例外的に意図せずして偶然辿りついて住み着いた”マレビト”の四つがある。 そういう者たちはアルハザードの初心者として住む場所が予め決められている。 だが、貴公には特別に例外を適応しようと思っている」

「家でも用意してくれるってのか?」

「その通りだ。 貴公にはジル・アブソリュートの家を進呈しよう。 更に彼の財産も全部相続できるようにしておいた。 存分に活用してくれたまえ」

「な、んだって」

「これで君はより自分のルーツを探しやすい環境を手に入れられるわけだ。 真逆、ストラウスの説明程度で全てが分かった気になっているわけではないのだろう? 彼の家を探れば案外捜し求めた何もかもが容易く見つかるかもしれんぞ」

「――っ!?」

「最後の一つは君に、ではなくて君の助手であるカノン・テインデルのために用意した。 機動砲精の今の状態も余は把握している。 だが、余も木石から生まれたわけではない。 今すぐ復元してやるのも一興かとも思ったが、それでは芸が無いし雅さに欠ける。 だからこそ、手軽な身体を用意しよう。 五層の品だから機女の本来の身体と比べたら玩具のようなモノだろうが、それでもクライド・ハーヴェイが機女の体を新しく用意するにはそれ相応の時がいる。 その間何もできないのは嫌だろう?  間に合わせ程度のものだが書に組み込むパーツを用意をしてある。 どうかな? この三つを受け取ってくれるかな」

「……タダでいいのか」

「勿論、コレは祝いの品だ。 見返りを求めるようなセコイ真似を余はするつもりはない」

 何かを吹っかけられるかと思ったクライドであったが、生憎と相手はそんな器量の小さいことをするつもりはないらしい。 冷静に考えればあまりにも怪しいが、本当にそれが善意なのか悪意なのかの判断が初対面のクライドにはできなかった。 とはいえ、破格のプレゼントであることだけは間違いない。 この機を逃すという選択をクライドは選べなかった。

「……ありがたく、頂戴することにする」

「良い判断だ。 その選択ができるのならば、きっと貴公は内なる敵とも今後うまくやっていけるだろう」

(内なる敵?)

 差し出された鍵を受け取りながら意味不明な言葉の意味を考えようとするが、思考する前にはすでにアレイスターが口を開いていたために、それ以上深く考えることがクライドはできない。

「これで一応用件は済んだことになる。 最後の三つ目は”君の友人”に持っていかせるから後で受け取ってくれ。 これ以後は自由にしてくれて構わないから、ここアルハザードでの生活を満喫するが良い。 恐らくはきっと、クライド・ハーヴェイならここを気に入ってくれるだろうと余は確信している。 夜天の書を好き勝手に改造するもよし、助手の復活に時間を費やすもよし、観光をするでもよし、デバイス関係の技術を学ぶもよし、何もせずにジルの財産で自堕落で退廃的な日々を過ごすでもよい。 ”汝の欲することを成せ”。 その行動が流儀に反しない限り、アルハザードは未来永劫無限の聖域となって貴公を歓迎するだろう。 それではまた会おうクライド・ハーヴェイ――」

 そう締めくくると、アレイスターは踵を返して玉座に戻り読んでいたらしい本を片手にとってそのまま奥にある執務室の方へと歩き去っていく。 これで、謁見は終りということなのだろう。 いや、執務室に入る前に一度振り返った。

「そうだ、クライド・エイヤルからキミ宛の伝言があることを忘れていた」

「――は?」

「『究極の馬鹿野郎、サンキュー』……確かに、一字一句違えずに伝えたぞ」

 それだけ言うと、今度こそアレイスターは振り返ることなく奥の部屋へと消えいった。 

「クライド・エイヤルから? でも、俺は……」

 ただ、人の人生を横から掻っ攫っただけの男のはずだった。 ”馬鹿野郎”は分かるが、何故”サンキュー”なのか。 クライドは思わず疑問に思う。 だが、それも一瞬だ。 その場に残されたクライドは、アレイスターが去っていく間ずっとその手にある鍵を指先で弄りながら、床に突き刺さった刀に目をやった。

 グリモアから完成型との戦いで使ったという話は聞いていたが、まさか手元に戻ってくるとは微塵も思っていなかった。 それほど愛着があったわけではなかったが、それでも苦しい戦場で共に戦ったという感慨がある。 両手で握りを掴むと、それを全力で引き上げる。 驚くべきことに、刃は欠けもせず相変わらず流麗な姿のままだった。 レールガンの弾丸にされて原型を保っている時点で、常識が裸足で逃げ出してしまうのではないかと思わせるほどに異質な強度を持っている。 その事実だけで頼れる武器のようにクライドには見えた。

「……鞘がないな。 後で鞘型のデバイスでも作るか」

 一人ごちると左手にストラウスから貰った本を持ち、右手に抜き身の刀を握り締めた何をするのかまったくよく分からない装備を施した新人類となる。 本が剣術指南書でもあればまだ意味は分かるが、『快適なアルハザード生活の栞』を持っている時点でどこかを襲う算段でもしているのかと容易に疑えるだろう。 土産物の木刀であればまだそんな誤解はないだろうが、眼つきの悪さも合わさってならず者っぽくなっていた。

「貴方、デバイスマイスターを辞めて強盗にでもなるつもり?」

「んなわけあるか」

 からかいの言葉を両断し、クライドはそのまま玉座の間から出て行く。

「くそ、やっぱツールボックス分ぐらい金借りて買っとくんだった」

「荷物も持たずに来ましたからね。 といっても、ほとんど何も持ってなかったわけですが」

「カグヤ、書を出してくれ。 ツールボックスの変わりにするわ」

 トランスポーターに戻りながら、カグヤのデバイスに収納されていた書を取り出しアブソーブ<吸収>させる。 物体を魔力分解し内部に取り込む機能であり、今のところそこには大破したグリモアのボディが収められているだけだ。 刀や本の一本一冊程度は余裕で納められた。

「クライド、丁度良いからここで私は帰るわ。 後はカノンに案内してもらいなさい」

「なんかの用事か? 分かった。 案内サンキュー」

「それじゃ、これで失礼するわ」

 黒髪をかきあげるや否や、そのまま無限踏破で去っていくカグヤ。 距離を制御しながらの移動は本当に便利そうである。

「で、別れたは良いんだがこれからどこへ行けばいいんだ? やっぱジルって奴の家か」

「そうですね、まずはそこが先でしょう。 当分こちらにいるのであれば、まずは拠点の確保が必要でしょうし、アルハザードのことをもっと

理解してもらう必要があります。 そのためにはやはり、回線が繋がった端末を手に入れるべきでしょう」

 頷き、クライドは来るときにカグヤが触っていたトランスポーターの制御装置らしき物体に手を伸ばす。 しかし、当然のようにその手は止まった。 動かし方が分からないのである。

「グリモア君、さっそく出番だ。 このトランスポーターはどうやったら動くのだろうか?」

「そのやや手の形に凹んだ窪みに手を当てた後、感応制御の要領で意識を集中してください。 それで意識接続がされますから」

「ああ、なるほど……」

 デバイスの要領と同じらしい。 確かにこれならばスイッチなどいらないだろう。 手を当てて感応するとインターフェースの向こう側から脳裏に情報が送られてくる。

「えーと、階層はどこだ?」

「検索機能で探してもいいのですが、面倒なので直接入力してください。 ジルの家に一番近いのは六層の田舎居住区画Bです」

「ふむふむ。 おお、転送準備に入ったぞ」

 瞬間、一瞬の浮遊感と共に魔力分解されたクライドの身体が超長距離を移動する。

「……お?」

 気がつけば、目の前の景色が一片していた。 黒く透明なもので囲まれたドームのような形状の物体の中にいた。 中心には制御装置があり、軽く見渡しているとドームの壁にはドアらしきものが見える。 出入り口なのだろう。 転移を終えたクライドに少し遅れる形でグリモアの空間モニターが展開。 斜め前に現れたそれからグリモアの指示に従って転送施設を後にする。

「ここが、アルハザードの居住区画なのか?」

 見たところ特に発展したような様子が無い。 空からは太陽が燦燦と照りつけ、目の前には舗装された道が道路標識と一緒にある。 その様に思わず拍子抜けしてしまう。 田舎区画とか言われている割にはそれほどアルトセイムの田舎町と変わらないほどに田舎な様子が広がっているのだ。 伝説の地も田舎の様子は変わらないのかと、変に関心してしまう。

「空は人工スクリーンに映し出された偽物ですが、視界に広がる自然は本物です。 雲は本物なので、日によっては雨も降ります。 もしかして、もっと先進的な風景を想像していましたか?」

「正直に言えば、な。 田舎でもクラナガンぐらいはあるのかなーとか思ってた」

「そういう近代都市のような区画もありますよ。 ただ、アルハザードは次元世界中から人が移り住んできたような世界です。 だからその人たちのストレス軽減のために、文明レベルで似せて意図的に区画分けがされています。 管理局本局の食堂のメニューみたいなものですね。 多次元世界を意識されている造りなわけです。 そうして、アルハザードの市民権を得た人たちはそれぞれ好きな場所に住むことになるわけですね」

「ふーん。 サービスが行き届いているというかなんというか……」

「室長に早くも市民権が渡されているかどうかは分かりません。 正直、アレイスターの意図がボクにはサッパリわかりませんから」

「やっぱ、裏があると思うか?」

「一つ目と三つ目程度であれば別に戯れだと判断しても良いレベルなのですが、ジルの家と財産を一括して室長に相続させるのは度を越してます。 何も勘繰らずにいるということはできません。 といっても、やはりあの人が何を考えているのか理解できるわけもないので、どうしようもないわけですが……」

「嫌に心臓に悪い人だったから、あんま長く会話したくなかったんだが……突っ込んどいた方が良かったかな?」

「どうでしょうか。 ボクも数回しか直接会ったことはないですが、真意がサッパリ読めない人です。 追求するだけ無駄な気もしますし、下手に竜の逆鱗に触ることもないでしょう。 さっさと忘れる方がいいかもしれません」

「ならいいか。 どうせ俺から会いに行くことなんてないだろうし……」

 予定は未定でも、好き好んで会いたい人物ではないことだけははっきりとしている。 とりあえず今考えすぎることでもなかったのかもしれない。 例によって例の如く、どうでも良いことの一つにしてクライドは精神を安定させた。

 舗装された道を歩く。 田舎道の向こうでは、田んぼやら畑やらが普通にある。 住人が栽培しているのだろうか。 それとも研究用なのか。 普通にそこにあるものが何やら異常に思えてくるからアルハザードは不思議な世界である。 クライドはその度に好奇心を隠しもせずにグリモアに尋ね、グリモアは飽きもせずに湧き上がってくる彼の疑問に答えていく。 

「へぇぇ……なるほど、一般市民も普通に住んでいるのか」

「やろうと思えば技術者だけでも世界を維持したり回したりできるんでしょうけど、彼らは基本的に自分のジャンルに没頭したいという人が多いんです。 だから、普通の一般市民が技術者の生活を支えるようになってます。 技術者は研究した技術を一般に還元します。 そうして、技術者と市民がある程度持ちつ持たれつの関係を構築しています。 その調整に尽力しているのがストラウスです。 ストラウスが十三賢者になる以前は、ここには技術者とその関係者しかいなかったと聞きます。 そのせいで随分と無味乾燥な世界だった、とも。 ストラウスは自分の住みやすい世界にしようとした程度だったのかもしれませんけど、そのせいでアルハザードの支配者はアレイスター、運営維持者はストラウスだという認識が住人の間では広がってます。 事実そうやって役割分担されてますけど、そのせいでこの二人にはアルハザードの誰もが逆らえません。 そもそも二人とも限界突破者なので逆らうだけ”物理的”に無駄ですが……」

 誰もが認めるアルハザードの顔たる二人。 それ故にその力は広く住人に知られている。 そして、その上限の見えない力もまた畏怖と尊敬の目を向けるための土台を形作っていた。

「じゃあ人望があるのはやっぱりストラウスさんか?」

「そうですね、一般市民と普通の技術者の人は大抵そうです。 でも彼にはどういうわけか限界突破者<リミットブレイカー>の支持者が極めて多いんですよ。 それにストラウスもアレイスターと権力争いをしたりしようとすることが皆無なので、人心はこの二人で二分されたままでも上手く回っています。 ある意味権力闘争とは無縁な世界ですね」

「ふーん」

「あ、この家ですよ」

 案内された家は、ただの一軒家だった。 どこをどう見ても一軒家である。 豪邸でもなければ工場でもない。 庭付き一戸建ての普通の家だ。 田舎区画という名称からまったくといって良いほど溶け込んでいる。 

「……ん? あれ、ジルはもう死んだって聞いたが……手入れがされているのか?」

「みたいですね。 多分、隣のテインデルの家の人がやってくれてるんでしょう。 家族ぐるみでの付き合いがありましたから」

「そうか、なら後で挨拶にでもいかないとな。 グリモア君の実家でもあるんだろうし」

「今の時間帯なら彼は多分研究室にいると思います。 帰ってくる頃に合わせて会いにいきましょう」

 小奇麗に維持されている家を見上げながら、門を潜って中に入る。 基本的にはかつて住んでいたエイヤルの家と大差ない気がした。 広くもなく狭くも無いイメージで、なんとなく普通を地でいく家のようだった。 全体的に白い壁と青い屋根が印象的であるが、築何年かは分からない。 建築技法も数段進んでいる可能性もあるし、ロストロギアに使われているような技術がふんだんに盛り込まれたビックリハウスの可能性もある。 内心では凶悪なセキュリティを警戒しながら、クライドは玄関の鍵を開ける。 

「おじゃましまーす」

 といっても、もう自分の家らしいがなんとなく落ち着かない。 玄関には段差があり、どうやら日本と同じように靴脱ぎスタイルのようである。 靴を脱いで上がると、とりあえず一階の散策を開始する。

「電化製品の類はそのままか。 生活用の奴は全部あるみたいだな。 しかし、どこの世界もあまり形が変わらんなぁ」

「使うのが人間ですから、ヒューマンインターフェースも似てくるんでしょうね。 求める機能が同じであればあるほど形状が似て来るんでしょう」

「なるほどな。 リビング、キッチン、トイレ、浴室に書斎に物置部屋に……お、電気と水道も生きてやがるぞ」

「確かオール電化ですから、それだけあればもう普通に生活できますよ」

「ふむふむ。 生活用具一式はほぼ揃ってるから、調達する物は少なくて済むな」

「二階にも後三部屋ぐらいありますよ。 うち一つがジルの私室です」

 懐かしそうに言うグリモアの言葉に、たいして昔と変わっていない様子を感じ取るクライドは感慨深そうにしている彼女の様子を伺う。 モニター越しではあったものの、デフォルトが無表情だった表情には暖かい微笑が浮かんでいる。 そういう顔もできるんだなと、改めて助手の一面を知ったところで二階へと進軍を開始した。

「そういえばジルは基本的に物持ちが良いというか、もったいないお化け症候群に感染していたので、かなりの物が残ってる可能性があります。 特に二階の私室以外は物で溢れてた気がします」

 確認してみると、確かにそうだった。 私室は小奇麗にされていたが、後の二つの部屋はガラクタと兵器っぽい何かと本の山で埋まっていた。 イマイチ何がなんだか分からないモノが多かったが、もしかしたら大量にロストロギアが死蔵されている可能性がある。 触ると何が起こるかわからないのでとりあえず放置することにすると、クライドは私室の机の椅子に座ってなんとはなしに部屋を眺める。 ベッドに書棚に机にタンスやクローゼットにコンピュータ端末と、目に見えて変わったものは無い。 どこの世界にでもありそうな、男の部屋という趣だ。 と、そこで一つの写真立てに目を惹かれたクライドはそれを持ち上げて写真を見た。

 小さな幼子が二人、中年男性の腕に抱かれてピースサインを取っている。 朗らかなその笑みは屈託ない笑顔で満たされており、幸せそうな様子であることを簡単にクライドに理解させた。

「男の子がジルで女の子がアルシェです。 子供時代の写真のようですね。 二人を抱きしめてる人が、アルシェの父親で隣の家に住んでいるアムステル・テインデル。 短気な人ですけど、アルハザードの中では比較的人間味がある人ですよ……室長?」

「……」

 グリモアの問いかけにはこたえず、クライドはそのとき無意識に端末を立ち上げていた。 一瞬で開いた空間モニターがパスワードを要求してくる。 だが、それを知らないはずのクライドがそこにパスワードを入力。 セキュリティーを容易く突破してしまう。

 一瞬唖然としたグリモアだったが、声をかける前にクライドが凄まじい速度で空間キーボードを叩く様を見てやめた。 尋常な様子ではない。 ほとんど無表情に機械的な動作を繰り返す。 まるでどこに何があるのか知っているのではないかと思うような様子である。

 フォルダをいくつも遡り、目当てのファイルを片っ端から展開していく。 その様を見て、グリモアは一瞬クライドがジルに乗り移られたかのように錯覚した。 クライドは止まらない。 そのまま狂ったようにキーボードを叩き続ける。 そうして、遂に最後のファイルを展開したところで動きを止めた。 何やら思案しながら考えあぐねるように虚空へと視線を泳がせる。 その様が、余りにも誰かに似すぎていてグリモアは驚いた。

「あの、いきなりどうしたんですか?」

「ちょっとまってて下さい”アルシェ”。 今良いところなんですよ。 ずっと考えていたんですけどね、ご先祖様の絶対領域を再現させられ

そうな方法を思いついたんです。 メモしますからちょっと少し時間を――」

「アルシェって……室長?」

「あ、れ? なんだ”カノン”じゃないですか。 可笑しいな、今さっきアルシェに声をかけられたかと思ったんですけど……貴女でしたか。 今日はアルシェと一緒ではないんですか? ああ、それとも勉強がいやになって逃げてきましたか?」

「室長!!」
 
「室長? カノン、それは一体誰のことですか?」

「――室長しっかりしてください!! 貴方はジル・アブソリュートじゃあありません。 貴方は、クライド・ハーヴェイでしょう!!」

 そのとき、グリモアは必死になって叫んだ。 名前を呼びながらモニターを顔に目一杯近づけて大音量で訴える。 手足があったならここでガクガクと胸元を引っつかんで揺らしまくるか平手打ちをお見舞いしてやっていただろう。 だが、生憎と声に訴えるしか彼女には手が無かった。 身体が無いことが酷くもどかしい。

「あれ……クライド・ハーヴェイ? って、誰? 僕はクライド・エイヤルだよアリア。 ん、あれ……お姉さんアリア……じゃない? 猫耳がなくなってる!?」

「室長、貴方はもしかして……完全では、ないんですか……」

 今度はジルではなくエイヤルが表に出てきた。 その間、不自然にクライドの身体が明滅していく。 その時、グリモアはストラウスが「普通に実体顕現して人間のように振舞える時点で私には信じられない」と言った意味を理解した。

 魔法プログラムを人間が普通は一から造れないのに、何故それを掛け合わせた体を持って顕現させることができていたのか? 一から造れないということは、それは普通に合成したりツギハギしたりできる可能性など極めて低いだろうに。

 ストラウスが言ったのはこのことだったのだろう。 強引に顕現させられたせいで今のクライドは酷く不安定になっているのだ。 これではベースも何もありはしない。 奇跡的なバランスで安定したそれが一度でも不安定になれば、それだけで自己崩壊するのかもしれなかった。

「カノン……アリア……グリモア……アルシェ? あれ、どっちだっけ? いや、そもそも僕は……僕は……俺? グリモア君、僕は何を……視界がノイズ……0と1……堕ち……領域……観測……リン――」

 もはや思考さえまともではない。 しかし、グリモアには打つ手が無かった。 書に流れる魔法プログラムのデータのステータスを眺めるが、それら全てが全て正常であることを示している。 異常を異常だとシステムが認識できていない。 いや、そもそもそれさえも初めから狂っていたのかもしれない。

 グリモアは急いでクライドの魔法プログラムをロックしているシステムに挑みかかる。 このままではクライドを構成しているプログラムが持たないだろう。 最悪、ただのバグデータになる可能性もある。 それだけは避けなければならない。 その前に一度プログラムをロールバック――記憶しておいた復元ポイントでの再起動――をしなければならない。 復元ポイントは常に作成されているが、相手はバグっている。

 果たしてどこまで有効なのかが分からない。 相手は常識が通じない非常識だ。 それさえも全部バグっているというのであれば、復元などできない。 そして、そうなればその時点でグリモアが知っている彼は消えることになる。

「お願いです室長、耐えてください!!」

 もはや運を天に任せるしかないのか? ジルの仕掛けたロックが焦るグリモアの行く手を阻む。 ロックはびくともしない。 長い時間をかけて解析するつもりではあったが、予測通り強固過ぎる。 数分では絶対に無理だ。 数時間でも無理かもしれない。 数年かかるか? 試算さえできない。 その間に、いよいよクライドの身体を構成する魔力が結合を解き始める。 実像がブレ、まるで幽霊のように半透明になっていた。

(く、これでは絶対に間に合わない!? こうなったら書を自爆させるしか――)

 自爆し、無限転生機能を用いて顕現前の初期状態に無理やり戻す。 それの方がどの案よりも一番確実かもしれない。 咄嗟の思いつきにしては、良かった。 それを実行に移そうとしたところで、ドタドタと階段を駆け上がってくる音が聞こえた。 何者かと疑うよりも早く部屋に踏み込んできたその者は、事態を把握するや否や神速の速さでクライドの身体に十字架剣を突き刺す。 その瞬間、明滅を繰り返していたクライドの身体が内側から魔力の粒子となって吹き飛び、虚空へと溶けていった。

「――な、何故貴方が」

「疑問に思う前に早く彼のデータをロールバックしろ機動砲精。 死亡状態なら例外的に干渉が可能なはずだ。 防衛プログラムの再生機構に先を越されると先ほどの状態で顕現するぞ。 ”間に合わなくなる前に急げ”」

 グルグル眼鏡を頭に装備し、買い物袋と金色の剣を持つ金髪の少年がそう言う。 問うよりも先に反射的に行動に移した。 すると、確かにあれほど強固だったロックが消え干渉が出来るようになっている。 急いで復元ポイントからデータをロールバック。 プログラムが異常になる前に戻す。

「外への実体顕現はまだするな。 一階に下りてからだ。 ここはジル・アブソリュートの魔法プログラム因子が活性化しやすい。 そのせいでバグりやすいのだろう。 まだ安定しきっていない彼では存在がもたんぞ」

「そんな危険な場所を用意した貴方がそれを言うんですか!?」

「その理由は後で説明する。 今はまず、ここを離れるべきだ」

「……」

 現れた少年はそういうと机の上に置かれたままになっている夜天の書とクライドが着ていた服を持ち上げ一階に下りる。

「それにしても、予想はできていたが存外に早かったな。 やはり、ジルのプログラム情報が他二つに比べて圧倒的に”多すぎる”。 これではふとしたきっかけで容易くバランスが崩れるぞ。 実体顕現してからアルハザードに来るまでよく存在を保てたものだ」

「全部、なにもかも知っているんですね」

「時の庭園での一件の少し前に彼のことは理解した。 後は推察すれば簡単に問題に気がついたさ。 理解し切れていない物を強引に使おうとするからああなるのだ。 着眼点は良かったがな、いくら時間が無かったとはいえジルは”焦りすぎた”わけだ」

「……」

「こうなれば、先にジルの研究室に移動しよう。 あそこの方がまだ影響はすくなかろう。 元々パーツを加えるつもりであったし、その方が貴公も安心だろう?」

 自分よりも少年の方が詳しいことに歯噛みしながら、グリモアは不承不承頷く。 ただ、もし仮に彼に害成すつもりであったならば絶対に許さないと視線で威圧することは忘れない。 紫銀の輝きに潜む剣呑さを感じてか、少年は少しばかり苦笑した。

「案ずるな、”今のところ”彼を害する気はこれっぽっちも余には無い」

「……どうして、貴方はそんなにも彼の世話を焼くんですか?」

「率直に言えば”楽しい”からだ」

「楽しい?」

 信じれないとばかりにグリモアは益々目を鋭くする。 だが、少年はその追求を無視して家を出た。 とはいえ、空間モニター越しに睨み続けるグリモアに根負けしたのかあっさりと口を開く。 いや、そもそも別に隠し立てするようなことではなかったのだろう。

「別段不思議というわけでもあるまい。 基本的にはできるだけ不干渉を心がけてはいるが、それはつまらなくなるのを極力防ぐためだ。 失うことでつまらなくなるのだとしたら、少しばかり骨をおることもある。 その上で選ばせた先にこそ最高の娯楽が待っているのだが、こんなところで何もせずに逝かれたらつまらないことこの上ないだろう?」

「……」

 問われても、その感覚が分からないグリモアには何も理解することなど出来なかった。 ただ、今はとりえあず彼のためになることだけを選ぶことしかできない以上、目の前の少年からできるだけ知っていることを聞くべきだった。

「それで、室長は大丈夫なんですか」

「リスクはいつまでも残る。 実体顕現に拘り続ける限り彼は常に自分を脅かすモノと戦わなければならない。 特に、ジルの魔法プログラムの部分は手強いぞ? クライド・エイヤルのデータが外見では全面的にフィードバックされているが、逆に内面や技能関係に関してはジルの方に影響を受けすぎている。 本人さえ気づかぬ間に、知らず知らずのうちにジル寄りの思考に傾いている。 だからこそ、貴公は思ったことがあるはずだ。 彼が”ジルに似ている”とな」

「そんな、じゃあ室長は……」

「その通り。 初めから彼が信じる自分らしい自分などもはやどこにもいないのだ。 齢を重ねれば重ねるほど交じり合ったデータに彼自身は本当の自分から乖離させられていく。 当然、彼はそれに気づけない。 もう混ざり合っているのだ。 前と同じ考え方などできやしない。 それが異常だと気づくことも自分ではできないのだ。 それに、それを彼自身が望んでいる節がある。 或いは今のような男になることが彼の願いだったのかもしれぬな」

 老人のように老成したジルと、幼い少年の因子とが混ざり合った体。 中身の基本として元の彼が採用されていたとしても、絶望的に身体データがもたらす反応は老人か少年に終始する。 そのせいでクライドは”ああいう”風な男でしかいられない。 そして致命的にそれを許容してしまえるベースがある。 だから結果として傍から見れば不可思議な人格を形成していたように見えてしまう。

「プラシーボ効果だったか? ただのビタミン剤を薬だと思って飲み続ければ病気が治ってしまう現象に似ている。 彼は今の自分こそが自分

だと思い込み続けることで確実にそれに近くなってきているわけだ。 そして、それが態々余が彼にジルの家を与えた理由にも繋がってくるわけだが……」 

「まさか、それで室長を強引に安定させるつもりですか」

「因子が活性化しやすい場所に住まわせることで人格をざわめかせ、今の自分を強く意識させる。 そうして、合成人格としての基盤を強固にしてもらうしか方法が無い。 エイヤルとジルと元の彼。 この三人のデータがバランスよくまとまるためにはそうするのが一番だ。 今であることを選ばせ続けるしかあるまい。 下手に弄ったらそれこそ、二度と今の彼としては存在できんだろうしな」

「しかし、その度に室長があんなになるかもしれない可能性を許容するのは不可能です。 ……いつも上手く対処できるかなんて分かりません」

「しょうがなかろう。 ジルは絶対領域が発動できる状態の彼だけで十分だったのだから、彼が人間として生活する機能など必要としていなかった。 基本的にはこちら側に干渉できるようになった彼を絶対領域生成プログラムとして待機モードで防御兵器の一種として運用する計画だったようだ。 アルシェを守るためと、自身の最後の作品として後世に残すためにな。 最初から彼を実体顕現させて生活させる予定など無いのだ。 それこそが”時の庭園”でトールが彼に課そうとした大きすぎる代償になるはずだったが、彼のデータのコピーは装置ごと余が破壊した。 故に書の中の彼は剣聖の家で起動することができ、結果として貴公は彼と離れられない環境を偶然にも得たわけだ」

 よどみなく答える少年は、そうして冷めた目でグリモアを見る。 まるで値踏みするような、そんな視線だった。 クライドだけではなく、グリモアにも何か娯楽性を見出しているのかもしれない。 AIにまで感じてしまう不穏な空気が、得も知れぬ恐怖となってグリモアを襲った。 少年の相貌に浮かんだ亀裂のような笑みが酷く酷く恐ろしい。 狂気と正気が裸足で逃げ出す深い闇の底から、まるで手招きされているように感じてしまうのは錯覚だろうか。 機人にさえそんな風に感じさせてしまう出鱈目な存在は、しかしすぐにもとのヒトの表情に戻した。 形作るのは微笑。 先ほどまでとは一変した、邪気の無い見た目に年相応な笑顔だった。

「そうそう、これがある時は”僕”の名前はペルデュラボーだから間違えないようにしておいてくれるかな? 特にクライド君がいるときにはね。 僕は一応彼の友人としての顔も持っているからさ」

「はい?」

 アルハザードの支配者からいきなりただの占い好きの少年に戻ったペルデュラボーは、頭上のグルグルメガネを指差してそうのたまう。 言っている言葉の意味が分からなかったが、グリモアはいきなり態度を豹変させた少年の変わり身の早さに驚き、ただただ頷くしかなかった。 ギャップが激しすぎた。

「それにしても彼も色々と大変だよね。 せっかく引っ越し蕎麦を用意してきたのに、警告する前にあんなになってるなんてさ」

 彼が手に持つビニール袋にはカップ麺が入っていた。 ウルトラカップの特盛サイズであり、容器がいやに大きい。 とんこつ味としょうゆ味らしく、赤と緑の色が薄っすらと半透明なビニール袋から伺える。 サイズが嫌に飢えている若者臭いチョイスだった。

(もしかして、室長はボクが思っているよりも更に奇天烈な方向で大物なんでしょうか? それとも単純に類友なんですか? グルメガ<グルグルメガネの略>なアレイスターがカップ麺特盛……これは白昼夢という奴なんでしょうか。 ええ、きっとこれは悪夢です。 そうに違いありません)

 想像だにしたことが無い光景が目の前にある。 果たして、このような彼を見たことがある住人がいまだかつてどれだけいたことだろう。 半ば放心しながらグリモアはペルデュラボーといっしょに一度ジルの研究室へ向かった。 そこには第二位としての威厳や貫禄が欠片も無かった。
















「――何故だ。 二階に上がったあたりからの記憶が無くて、よく分からない場所のソファーの上でグリモア君に膝枕されつつ我が本の友ペルデュラボーに会っている。 これは夢か現か幻か? バトルデバイサーハーヴェイ君は現状を理解できないことを理由に頭を抱えながらも、我が親愛なる助手に無邪気にも質問を試みてみる」

「じつは”かくかくしかじか”で――」

「――そんな馬鹿な。 ”かくかくうまうま”……だと!?」

 事情を聞いて驚きの声を上げるクライドはすぐさま体を起こす。

「やぁ、元気そうでなりよりだよ。 どうだい、目覚めに一杯」

「喜んで頂こう。 本の友よ」

 研究室の机の椅子に頬杖つきながらパタパタとカード占いをしていたペルデュラボーはそれに頷くと、クライドの方に緑のラベルのカップ麺を投げる。 とんこつをゲットしたクライドは、そのまま上蓋を開けるとスープの粉を投入。 すぐにサバイバル魔法でお湯を投入する。

「お湯いるか?」

「いや、自前でやったからいいよ」

 見れば、確かに湯気の出るカップがそこにある。 いつの間にと、感心するクライドだったが、その上に更に割り箸が隙の無いほどど真ん中に置かれているのを見て唸り声を上げた。

「完璧な左右対称な面積を意識して割り箸が置かれている。 ……これが秘儀シンメトリー設置割り箸か!?」

「ふふふ、どうだい僕の奥義は」

「なんの、ならばこちらは必殺シールド重し蓋の構えだ。 上に展開されたミニサイズのラウンドシールドが湯気さえも逃がさず蓋を圧迫し、

三分立てば消えるようにタイムセットまでされている。 時計要らずの親切設計仕様だ」

「むむっ、やるねクライド君。 そんな無駄に斬新な魔法は初めてみたよ」

「お前程じゃないさペルデュラボー。 そっちこそ随分と置き慣れているじゃないか。 さてはお前、食べ慣れているな?」

「君程ではないよ」

 互いの健闘を称えあう男二人。 グリモアはポカンと口を開けたまま初めて二人の奇行を眺める。 恐らく、一人は面白がってクライドに合わせているのだろうが、それでもついていけるだけ侮れないものを感じてしまう。 人間やればあそこまでできるらしい。 ならば、機人も努力さえすればあの境地までいけるかもしれない。 無意味にペルデュラボーから希望の光を貰ったグリモアはクライドの隣の椅子に座り、”室長”を学ぶことにする。

「さて、ペルデュラボー。 簡単なことは聞いたけど、今グリモア君はどうなってるんだ?」

「おや? 自分の体のことではなくて良いのかい」

「自分でもどうにもならないものだって分かったから今は良い。 それよりも、こちらの方が問題だ」

 隣にちょこんと当たり前のように”座っている”グリモア。 モニター越しにしか会えないはずだったが、今はもう普通に存在している。 訝しがらないわけが無かった。

「ああ、アレイスターが提示した三つ目の品を夜天の書に組み込んだんだよ。 組み込んだパーツは空気中の分子や魔力を利用して立体映像<ホログラフ>を投影するモノでね、君に膝枕するのも余裕な程の密度を持ってる。 君が彼女の体を修復するまでの繋ぎとしては十分機能する品というわけだね」

「……ほう? だがペルデュラボー。 君は一つ、とても軽率なことをしてしまった。 返答次第では我らの友情に亀裂が走るかもしれないほどの大惨事になるぞ」

「君が起きていない間にパーツを組み込んだことかい? それならしょうがないよ。 どの道断ってからでも結局は変わらないから」

「なに?」

「だって、そうじゃないか。 書を改造するにしてもパーツを加えるにしても、書の電源を切っておかないとできないよ。 そして電源を落としたら君の魔法プログラムも必然的に演算停止するから結局クライド君には”何もできない”じゃないか」

「――し、しまったぁぁぁぁ!?」

 頭を抱えながらクライドは悔し涙を流す。 外付けのハードディスクをパソコンにUSBケーブルで繋げるのとは訳が違うのだ。 一度電源を落としてからでないと付けられない類のパーツというのは往々にして存在し、それゆえにそれを自分で付け加えるという作業が自分にできないことに初めてクライドは思い至ってしまった。 正に想定の範囲外という奴である。 

「お、俺の長年の野望が……夜天の書改め俺の書改造計画が……何も出来ずに泡沫の夢に終わってしまった……なんてこったい」

「やるとしたら、そうだね。 信用のできる”助手の人”の体を修復し終えた後に頼んで改造してもらうぐらいしかできないだろうね。 手が空いていたら僕がやってあげるのも吝かではないけれど……まぁ、クライド君の望むようにすればいいんじゃないかな」

「なるほど、ならば何も出来ずに終わるということもない……のか。 しかしデバイスマイスターとしては寂しいものがあるな」

 ガクリと肩を落とすクライド。 しかし、当然そのチャンスを彼女は逃さない。 クライドの手を取っては攻勢に出た。

「大丈夫です室長。 ここに室長の親愛なる助手がいますよ。 体を取り戻した暁には、それはもう丁寧に室長の命令どおりミッションを遂行して見せますよ」

「おお、実に頼りになる言葉だ。 さすがグリモア君だな。 ならば約束の日が来るまでに君の体を修復せねばな!!」

「ああ、それとアレイスターが言い忘れてたみたいなんだけどね、このジル・アブソリュートの研究室も好きに使ってくれて構わないそうだよ」

「……マジか」

「当然」

「はーっはっはっは。 となれば話は早い。 一刻も早くグリモア君の体について調べなければな!! 至れり尽くせりなアルハザード万歳!! 技術者にとっての聖地だなここは!!」

 クライドは浮かれたように立ち上がると室内を見渡す。 妙にだだっ広いその研究室は、かつて本局で宛がわれていた研究室などとは比べ物にならないほどに広く、訳の分からない機械やら何やらで一杯だ。 それを調べるだけでも随分と楽しそうである。 考えるだけでも心が躍った。

「はは、喜んでくれて何よりだよ。 おっと、そろそろ三分経ったようだね」

「なに、それはいけない」

 席に着席し、シールドが無くなったカップの上蓋を完全に取る。 すると、湯気の向こう側から何ともいえない匂いがただよってくる。

「そういえば、グリモア君の分はないのか?」

「ボクは遠慮しておきますから、気にしないで下さい」

「ふむ? そうか、悪いな。 じゃ、引越し蕎麦を美味しく頂かせてもらうぞペルデュラボー」

「どうぞ」

 二人して割り箸を割ると、それぞれカップ麺を啜り始める。 チープな味だが、しかしだからこそ食べたくなってしまうような、そんな中毒性がカップ麺には存在する。 しばし二人は特盛に挑みながらも会話の華を咲かせた。

「へぇ……じゃあお前は次元世界中を巡りながら人材のスカウトをしてるわけか」

「うん、黙っていて悪かったね。 番外位「スカウトマン」……それが僕ペルデュラボーの姿なんだ。 アルハザードが虚数空間に落ちて以来、やってくる人はめっきり減ったけど、ここに来るに値するレベルの技術者を放置するのははっきり言えば人類の損失だ。 そんな人たちに声をかけるのが僕の仕事なのさ」

 ただ待つだけでは人材はやってこない。 交易していた時代はほっといても向こうから探し出してやってくる気概のある連中が多くいたが、それも情報が隠匿されてからはとんとこなくなった。 それ以前からこれはという人材には接触し、ペルデュラボーは人材をスカウトしてきた。 その誰もがその出身世界で名を残せるほどの偉人であったのは言うまでも無い。

「技術といっても色々ある。 生命工学、科学、言語学、魔法科学とか沢山あるよね。 料理でも裁縫でも掃除でも僕はスカウトする。 とにかくつき抜けた人材をアルハザードは広く募集し、彼らが求めるものそれ以上の環境を与える。 だから、ここは知識の墓場とか叡智の眠る場所とかって言い方もされていたんだ。 昔はね」

「今は違うのか?」

「シュナイゼル・ミッドチルダのことはシリ……カグヤに聞いたね?」

「ああ。 無茶苦茶胡散臭い話だったけどな」

「一連の事件でここは虚数空間に落とされ、存在を抹消された。 当然それは完全ではないわけだけど、それでも伝説に成ってしまうほどの時は経っている。 記憶と記録を継承する人の中と、幻想たる夢の中にしかそれらは残っていないんだ。 君もロマンの果てにある幻想かもしれないと感じていただろう? そういうことだよ」

「なるほどなぁ、ここは歴史とかも学べるか?」

「簡単な概略とかはね。 歴史を研究する人間もいるし、新聞も発行されてる。 情報収拾は比較的簡単にできるよ。 とはいっても、機密レベルは存在するけどね」

「機密レベル?」

「第六層は最外層区画にして最も初心者な連中の巣窟。 どこの世界にも”知ってはいけないこと”というのはあるということだよ。 ただし、ここでは信用度や貢献度、年数を積み重ねて永住していけばそれらを閲覧することはできるようになっていく。 ストラウスに入り口でDNA情報や魔力情報を取られただろう? アレで個人を特定し、ここでは情報制御をしているんだ。 つまり、古株ほどアルハザードを深く学べる構造になっているわけだね」

「そういえば、室長の今の機密レベルは一体どうなっているんですか?」

「当然初心者と同じようなものが渡されているね。 ジルの家や研究室はアレイスターの気まぐれなサービスだろうけど、他は特に優遇するつもりは無いらしいよ」

「では、ボクは一体どうなってますか?」

「君は当時の機密レベルそのままだよ。 アルシェのレベルまで可能だ。 とはいえ、君の場合はカードの再発行が必要かな? 後で発行してもらいに役場に行くと良い」

「わかりました……しかし、いいんですか? ”ボク”は一応少し前までシュナイゼルに使われていたんですけどね」

「君の意思でそうだったというわけではないんだろう? ならば別にアルハザード側は何もしないさ。 それに、今から何かことを起こす気が君にはない。 ほら、だったら別に”どうでも良い”ことだよ。 上もとりたてて目くじらを立てることでもないんだろうね」
 
 軽く微笑しながらペルデュラボーは言う。 その金の瞳が一度クライドを見て、次にグリモアに戻った。 瞬間、意図を理解したグリモアは頷いた。 一瞬視線を向けられたクライドは、しかしそれには気づかずにカップ麺を啜っている。

(何かしようとしてもいつでも”揃って消せる”と、そういうことですか)

 発汗機能が無いはずの今の体に、しかし冷や汗が出ているような感覚にグリモアは陥った。 その意図がそもそも無いのだが、後になって間違われるのが嫌なので尋ねたことをグリモアは思わず後悔した。

「信用しているのさ。 ”君たち”のことは。 だからアレイスターも君たちにサービスした。 そういうことだと思うよカノン君」

「そうですね、信用は大事です。 それならば安心ですね」

「しかしあの人結構怖かったぞ。 そんな優しい玉かな?」

 麺を平らげたクライドは、そういうと会話に復帰。 ペルデュラボーに愚痴るように言った。

「ははは、クライド君は相変わらず正直だねぇ――」

「いや、マジな話だって。 あの時、絶対に俺の心臓止まったぞ。 ラスボス臭がプンプンした。 アレなら知り合いの孫馬鹿提督を怒らせる方がまだマシだぜ。 向こうは冗談で済ませられる余裕はあるけど、多分こっちは無理だ。 あれは絶対に冗談が通じるタイプじゃない」

(嗚呼、知らず知らずのうちに室長が死亡フラグのスイッチを押して行きます。 ていうか、何故本人だと気づかないんですか貴方は)

 その時の恐怖を事細かに愚痴るクライドの隣で、グリモアは一人オロオロしながらペルデュラボーの顔色を伺う。 しかし、少年はニコヤカに透明な笑みを浮かべるだけだ。 何を考えているのかサッパリ窺わせないスマイルで受け流しているように見える。 ただ、稀に頭上のメガネに手を伸ばしては位置を戻しているのが非情にグリモアには気になった。

(……真逆、”それ”ですか? ”それ”なんですか室長!? そのメガネで彼を識別しているんですか!?)

 アレイスターとペルデュラボーの違いなど、単純に服装とグルグルメガネがあるかないかの違いだけだ。 なのにこの至近距離で気づかないのはあまりにもおかしすぎる。 その後、適当に話をし終わった後にペルデュラボーが帰っていった後にグリモアはなんとなく尋ねてみた。

「室長、アレイスターとペルデュラボーって似てると思いませんか?」

「似ている? ……一体どこがだ? 髪の色は同じ金髪だが、それ以外ではサッパリ似てないではないか。 特にあのメガネだ。 最近の若者には珍しい勤勉さが恐ろしいほどに滲み出ている。 ラスボス然としたアレイスターがあんなファンションをしたところで失笑を買うだけで逆立ちしてもペルデュラボーの境地には立てんぞ。 第一、キャラが違いすぎる。 悪の黒幕だと初対面で思わせるような雰囲気を持つアレイスターと、あれほど親しみやすいペルデュラボーでは雲泥の差があるぞ」

「……そ、そうですか」

 メガネ一つあるだけで何故そんなにも印象が変わるのか、彼女にはその謎が理解できない。 光学情報も声紋情報も魔力情報も何もかもが一致するというのに、何故自らのマイスターには区別できないのか? 当然、この謎にはペルデュラボーがやってくる度に悩まされることになるグリモア。 愛する室長を完全に理解しきるにはまだまだ時間がかかるようだった。













 例えば、自分の娘と同じぐらい大切に扱っていたライバルの息子と、愛娘の協同作品がいきなり目の前に現れて、どこの馬の骨とも知らぬポッとでの男を紹介して来たとしたら、世の父親たちは一体どういう反応をするだろうか? 一升瓶を片手に無言で酒を煽りながら、アムステル・テインデルは自らが鍛え上げ続けてきた脳細胞を利用して考えてみた。


1.とりあえず全力でぶん殴る
2.出身世界ごと消し飛ばす
3.世にも恐ろしい笑顔を浮かべて殲滅する


 パッと浮かび上がってきた選択肢は三つ。 どれも素敵すぎて悩むところだったが、彼は基本的に短気であるし、即決することが多い。 長考するのは研究のときだけだった。 ならば自然と、答えは己の脳細胞が導き出してた判断と本能と激情に選択の行方を委ねるだけで十分であった。


1.とりあえず全力でぶん殴る
2.出身世界ごと消し飛ばす
3.世にも恐ろしい笑顔を浮かべて殲滅する←ファイナルアンサー


 回答はすぐに出た。 アルシェ絡みであれば二番を押すが、そうでないので三番で十分だろう。 少なくとも、これだけすれば百人中百人の父親たちは皆とりあえず溜飲を下げる。 納得するが早いか、左手の指で空間を叩くようにして軽く動かす。 と、その瞬間どこからともなくアムステルの頭上の空間に穴が空き、小手調べのロケットランチャーの砲身がポッとでの黒髪野郎に向けられた。

「わ、わーっつ!? グ、グリモア君、せっかく引越しの挨拶に蕎麦持参で来たというのに随分と過激な人がいるぜ。 引越しの挨拶でいきなり恐ろしげな武器を向けられたのは今回が初めてで、さすがのクライド君も素直にビビっているぞよ」

「はぁ、といっても”グランパ”はいつもこんな感じですが?」

「ぐ、グランパ<おじいちゃん>……だと!?」

「元マイスターのアルシェからは妹扱いされていましたが、彼女は姉にして母親ですからその父親は必然的にボクのグランパになります。 ボクが生まれたその日に仕事をブッチして部屋を準備してくれましたし、市民権も取ってくれました。 機人にとても理解あるグランパです。 おかげで家電扱いされなくて済みました。 機人権万歳です」

「なるほど……いや、しかし過激なお爺さんなんだな」

「貴様に義爺さんと呼ばれる筋合いはねぇ……とりあえず視界から消えうせろ。 おめぇにカノンは勿体ねぇ。 二秒だけやるから回れ右して前に向かって全速で走れ。 勿論、その後でこいつをぶっ放して細胞一つ残さずに殲滅してやる。 いいか? そのままでも発射してやるから結果は同じだが逃げる時間ぐらいは与えてやる。 その俺の優しさと慈悲深さに泣き叫びながら感謝しつつ、諦めて逝って来い」

「えーと、随分と無茶なことを言いなさる御仁だぜ。 HAHAHA、普段温厚で通っているクライド君もこんなにもいきなりでアレな言葉には反論せずにはいられない。 というかやるなら徹底抗戦だこん畜生。 寧ろこっちから挑みかかってやるっつーの。 俺は生まれてこのかた娘や孫に身勝手に振る舞う爺さんが大嫌いなのだ」

 ギロリと笑顔でガンを飛ばされたので、眼つきが悪いと大絶賛評判中な黒瞳でクライドは返礼する。 同時にバリアジャケットを展開。 脅し文句には屈しないと、不敵な笑みを浮かべながら思考を展開する。 簡単な話だ。 この至近距離からそんなものを放てば、下手をすればグリモアにも当たるだろうし命中後爆発するタイプならば撃つアムステルさえ危ないだろう。 どういう原理で空間に穴を開けているのかは分からないが、通常の火器程度であればとりあえずなんとかなるだろうとクライドは高を括る。 ここが一体”どこ”で、自分が今相手にしている男が”誰”かということを知らないが故に、無知なる無謀を行っていた。

「……あの、室長? それがボクが知っている奴だとすると反物質内臓の砲弾を飛ばす大砲なんですが」

「はあ? 反物質?」

 反物質。 簡単に言うと通常宇宙の物質に触れると――空気でも可能――とてつもない威力の爆弾となるものである。 量にもよるだろうが核兵器よりも比べ物にならないほどクリーンな癖に、それを上回る威力を出せる通常宇宙には存在しないはずの物質だ。 間違っても家の玄関先で撃って良い代物ではない。

「は、ははは。 何を言うんだグリモア君。 あんな危険なモノをこんな家の前で撃てるわけないじゃないか。 そういうオーバーなジョークがアルハザードジョークなのか? さすがにそりゃビッグマウス過ぎて流行らないぞ」

「グランパなら撃ちますよ。 自分の研究室でもどこでも、その威力を対象の周囲だけに限定するように他の兵器を併用して完全に攻撃範囲をコントロールしてましたから」

「いや、そんなこと普通は無理だから」

「本当にそう思いますか? ここは”アルハザード”ですよ」

「わぁーっつ?」

 アルハザード。 それは理不尽なる荒唐無稽を可能にしている者や物の存在を納得させてしまう素敵に無敵な魔法の言葉だ。 文脈で効果的に使えばなんでもかんでも納得させてしまうデウス・エクス・マキナなワードである。 これに限りなく近い意味で使える言葉でロストロギアというワードもあるが、両方を併用すると相乗効果で信頼性が限界突破すること間違いなしであった。 勿論、クライドの思考もこの時点でオーバーフローした。

「あとですね、グランパの魔力資質はSS+ですよ。 普段は魔法とかそういうのが嫌いなので出力リミッターでほとんどゼロレベルまで魔力を

殺してますけど、開放すればアルカンシェルも生身で撃てますよ」

「……」

「ですので、単純に室長がグランパに喧嘩を売るのはあらゆる意味で自殺行為です」

「……」

「室長、聞いてますか? おーい、やっほー」

 青ざめたまま動かないクライドに声をかけるグリモアだったが、クライドはやっぱり動かない。 というか、動けない。 その間アムステルはニヤニヤしながら、世にも素敵な笑顔を浮かべていた。 

「あー、そろそろ二秒どころか三十秒以上経つが……撃つぞ?」

「ぜ……」

「ぜ?」

「絶対領域、君に決めた!!」

「ポチッとな」

 瞬間、クライドの目の前にあった砲門から弾頭が発射される。 見てから回避することなどできない距離だ。 瞬間クライドを襲った弾頭は寸分の狂いもなく命中し、閃光を発しながら爆発。 想像を絶する破壊エネルギーをクライドだけに叩き込んだ。 当然、バリアジャケットも着ていた服も余りの威力に耐え切れずに消し飛ぶ。 クライドは全裸で倒れた。

「――ああん? こいつ、今のまともに喰らって何故生きてやがる。 そのくせ、服だけ消し飛んでるのはどういうわけだ」

「し、死んだ。 絶対死んだ。 一度で十回以上絶対死んだ。 神の試練を越えた英雄でも絶対に殺しきる威力だったぞ今の!?」

「室長はどうやらジルの研究成果らしいので、絶対領域が使えるそうですよグランパ。 彼はジルのラストワークだそうです」

「そうなのか? だったらそれを早く言えカノン。 ふむ……アルシェの娘と……ジルの息子……だとしたらこいつも一応孫になるのか。 んー血の繋がりはまぁ当然無いとして……問題はないのか? しょうがない、ジルの作品なら多少は目を瞑ってやる」

「ありがとうございます」

「おう、ただし結婚するまで同棲は禁止だ。 通い妻までは許す」

「そんな、それはあまりにも横暴です。 二十四時間攻め続けて陥落させるというボクの壮大な計画が水の泡に!?」

「んん、そうか。 じゃあ一日一回で良いから研究室に顔を出させろ。 とりあえず一ヶ月ぐらい一日一個今溜まってる超兵器で殲滅を試みてみるから、生き延びられる程の男だと分かったら交際を黙認してやろう。 だが門限は守れよ」

「むむっグランパにしては大した譲歩です。 室長、是非ともチャレンジしてボクを勝ち取ってください」

「い、嫌だ。 こんな危険な中年親父が俺の爺さんに当たるだと!? み、認められん。 絶対に嫌だ。 引越し蕎麦も消し飛ばされたし、あんまりだ!! 今日のところはただ挨拶に来ただけなのになんでこんなことに……」

 偶々グリモアが夜天の書を胸に抱き、クライドが挨拶のために態々商店街で買ってきた引越し蕎麦を持っていたせいで助かったが、危うく書まで消し飛ばされるところだった。 さすがに反物質による攻撃を至近距離で喰らったら書でもひとたまりも無かっただろう。 二度と関わりたくない。 やはり、孫馬鹿に碌な奴はいないとクライドは心底思った。

「そう言わないで下さい室長。 ジルのことで一番詳しいのはこの人なんですし、ボクの設計図とかはアルシェの部屋にあるんですよ? これは避けては通れない道です。 天命にも等しき試練ですよ」

「ぐぬ!? く、そ、それならばしょうがない。 ならばこの俺も人肌脱がねばならぬかもしれん。 我が助手のためにな!!」

「お前、それ以上脱ぐもんなんてないだろうが。 何無駄にテンション上げてやがる。 ウゼェからやめろ」

「あんたが消し飛ばしたせいだろ!!」

 またも素肌にバリアジャケットを展開して難を凌ぐクライド。 屈辱に打ち震えながら、しかし判明した圧倒的な戦力差故に今はただ我慢する。 そう、今はとりあえず下手に出てチャンスを待つべきだった。 それ以外の道はどこにもない。 今に見ていろとばかりに、クライドはこの悔しさを心に刻む。 彼の心の中に、また新たな下克上対象が増えた。

「しゃーない、じゃあ明日一杯使って殲滅しつくしてやるからそれで我慢しろ。 それと当分は家に寝泊りしとけカノン。 お前にも花嫁修業は必要だ。 とりあえずテインデルの家の者ならば完全に習得してから嫁に行け。 俺の嫁がこれだけは絶対に欠かすなと生前良く言ってたからな」

「なるほど……そういえば第一章『洗濯と裁縫』までしか習得していませんでした。 恥をかかないように後二章きっちりと勉強しておきましょう。 嫁姑戦争に備える必要はありますしね」

「それで良い。 アルシェの娘なんだ、物覚えは悪くねぇだろ。 明日から精進しとけ。 二章は『掃除』、三章は『料理』だ。 この三つを覚えてたら大抵の男をイチコロにする最低限は学んだことになる。 俺が女だったら幻の四章『正しい病み方』を伝えられたかもしれんが、アレはアルシェが誰かに伝える前に逝ったから失伝した。 あいつの部屋を漁って自力で本を探して習得しろ」

「分かりました。 テインデルの女に恥じぬよう頑張ります」

「その意気や良し。 頑張るんだぞカノン。 家の家訓は『病むくらい隣人を愛せ』だからな」

「はいグランパ」

「おい、とゆーわけでもうお前帰っていいぞ。 えーと……名前なんだっけか……ああめんどくせー。 ジルの子でいいか」

「クライド・ハーヴェイだ覚えとけ歩く超兵器め!! 絶対に俺は殲滅されん。 殲滅されんぞ!!」

「あ、室長が尻尾巻いて逃げた」

 新たなる自宅に向かって走り去りながら、捨て台詞を放って去っていくクライド。 すぐに隣の家であるジルの家の鍵を開けて中に消えていくその様は、正しく負け犬そのものであった。 だが、そこで後を追うのをグッと我慢したグリモアは、気丈にもキリリとアムステルの顔を見上げて言った。

「グランパ、早速修行に入りましょう。 一日でも早くテインデルの奥義を物にして室長を向かえに行きます」

「いいだろう。 ……と言いたいところだが、まずは近況を教えろ。 さっきの男のことももっと詳しく話せ。 あいつ、アブソリュートの一族じゃあないだろ? なのに”絶対領域”とはどういうこった」

「まだ完全にはわかってませんけど、それでよければ」

「構わん。 俺はあやふやなもんが大嫌いだ。 場合によっては情報収集に手を貸してやる。 お前も気になってるんだろ」

「はい」

「ああ、それと良い酒もある。 お前も飲め。 さすがにもう飲んでも良い歳頃だろ。 アレは起動してやがるな?」

「彼のおかげで」

「そうか……いつ起動するかは不明な代物だったが、そのことだけは認めてやってもいいのかもしれんな」

 アムステルとて、カノンのことを忘れたわけではなかった。 てっきりアルシェと一緒に居なくなって使い潰されでもしているのかとも思っていたが、なんてことはない。 こうしてしっかりと戻ってきた。 ならば特に何かを言うこともなかった。

(しかし、一体どっちのアルシェがお前に命令したんだか……後で本人に聞いてみるか)

 腕輪に軽く目を落としながら、懐かしい孫を家に迎える。 一応部屋の掃除はしてある。 すぐにでもカノンを受け入れることは出来る。 ついでに、アルシェとジルのことを教えてやったら面白いだろう。 軽く口元を歪めながら、アムステルは孫の帰還を心から祝った。

 忘れられた伝説の都アルハザード。 そこはまだクライドにとって優しいのか厳しいのかよく分からない世界であった。

コメント
ここだけ読んだらクライド・ハーヴェイしかリリカルの登場人物?が登場しないなこりゃw

しかし、ハーヴェイかこれで黒い三連星ごっこができるな!
【2011/01/27 18:48】 | Tomo #SFo5/nok | [edit]
最初なんだかわからなかったが後半普通に面白かった。

やっぱりこの辺りの入植編ないと流れがわからん!
って感じで前回の更新時に書きこめんかったしw
【2011/01/29 11:05】 | 名刀ツルギ #qx6UTKxA | [edit]
正しい病み方ww
アルシェのアレは正しいのか?結局手に入れられたのだからいいのかwww
【2011/01/31 17:43】 | ななし #- | [edit]
正しい病み方ってw
まあ確かにやったことはかなり病んでるけどw
そしてクライド君の恐ろしいものにさりげなく混じってる第4次のグラン○ンw
しかし、なんでフランスの数学者がアルハザードにいるんだかw
【2011/02/06 05:16】 | SAKA #snujudlg | [edit]












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