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憑依奮闘記3 第五章

 2013-04-08
――時空管理局本局、無限書庫。

 管理世界に内包された世界の情報が集う場所。 そこへ足を踏み入れた者は、まず第一にその莫大な本の数に圧倒される。 だが、その場所の管理といえば現在は相当に杜撰である。 単純に冊数が多すぎるというのもあるし、気の遠くなるほどの数の本をどうにかしようと意気込むほどの猛者がいないのが現実だ。 管理局員が利用したり、一般人が閲覧に来ることはあるが、余りの本の多さに年単位でチームを組んで探し物をするほどである。 名前の通り、図書館としてではなく書庫として機能しているだけの場所だった。

 今はどこかのチームが探索しているというわけでもないらしく、二人以外は誰も居ない。 そんな中、これ幸いとばかりにカグヤはリインに案内させる。 

「計算に間違いが無ければここだ」

「そう」

 そこは出入り口からかなり下の位置にあり、周囲から見づらいように巧妙に本棚で隠された位置にあった。 カグヤは頷くと、右手を突き出し躊躇なく砲撃魔法を放つ。 すると、砲撃され砕け散った本棚の後ろの壁に盛大な大穴がポッカリと開いた。 その向こうには、人が四人ほど並んで通れそうな通路がある。

「行くわよ」

「ああ」

 空間を蹴るようにして通路に飛び込むカグヤを追うように、スレイプニールの黒い翼をはためかせるとリインもまた通路を進む。 ローラ・デュエットの記憶は途中までしか見ていない。 故に、これ以降の情報はないためリインはワイドエリアサーチのスフィアサーチャーを放つ。 地下水路のように立体的に解析しても良かったが、さすがに本局でそれをやると余計な者たち<何も知らない管理局員>までやってきそうなのでそれはしない。

「……」

 そういえば、いつも大抵はヴィータがいるせいかソードダンサーと二人だけで行動するという機会はなかったことをリインは思い出していた。 ストラウス邸では避けられているという風であったが、こうして一緒に潜入することについては何も言われない。 自分の力があてにされているだけなのだとしても、少しばかり嬉しくなった。 と、少し頬を緩めていた彼女の前で、カグヤが少しばかり飛翔スピードを緩める。 

「来るわよ」

 虚空で停止し、刀を抜く姿を見てリインもシュベルトクロイツと蒼天の書を展開する。 先行しているはずのエリアサーチからは何も反応はない。 しかし、それでもリインは素直に身構えることにした。

「何処から来る」

「空調の中よ。 小さくて、早くて、数が多いわね」

 探索用のスフィアは通路に沿って先行している。 そのため、さすがに空調の中までは把握できていないのだ。

「来る」 

 呟きと同時に、二十メートル先に右の壁にあったエアダクトのフィルターが破壊され、四十センチメートル程の大きさの物体が次々と出てくる。 それらは通路に出るや否や鮮やかなコーナリングを見せつけて二人の方へと飛翔した。 その軌道に迷いはない。 メタリックなボディを持つそれは、形状で言うなら槍の矛先が一番近いだろうか。 先端にある刃には、人を殺傷するための獰猛な刃がついている。 と、その刃が中心で開いた。 その中から顔を出したのは砲門だ。 瞬間、それから魔力のビームが発射される。 だが、二人は頓着しなかった。 カグヤは無限踏破故に攻撃を届かせないし、リインに至っては騎士甲冑のフィールド防御が強すぎるからだ。 

「これは、デバイス用に開発されているというビット兵器に似ているな」

「知っているの」

「彼が、クライド・ハーヴェイがこの前デバイスの雑誌を片手に欲しがっていた。 なんでも、教導隊に一部回されて試験運用されているらしい。 彼でも作ろうと思えば作れるらしいが問題があるとか」

「欠陥持ちということ?」

「空間把握能力が高く、さらに魔力量に余力のある人間じゃないとあまり有効に使いこなせそうに無いからそれが問題だと言っていた」

「そう。 にしても、煩わしいわね」

 魔力ビームによる攻撃に効果が無いと悟ると、砲門を仕舞い体当たりしてくる。 さしずめソードビットとでも呼べるそれは、当たってもすぐにフィールドで弾かれるか絶対に届かない攻撃を届かせようと虚空で静止しつつ進むかのどちらかだ。 ただし、数は多く次々とダクトの中から出てくる。 まるで、蜂の巣を突付いたかのような有様だ。

「無駄なことを」

 ただただ事実を口にすると、少女は次々と刀を振るう。  距離を越えるその斬撃は、次々とビットを破壊して行く。 リインフォースもまた、ブラッディダガー放ち撃墜していく。 ただし、爆破はしない。 広くない通路の中だ。 視界を塞ぐような攻撃は自重する。

 そのまま五十機ほど破壊した頃には、ようやく打ち止めになったのかビットが襲い掛かってくることはなくなった。 その中から、適当に破損が少ないものを選んでカグヤが機体を回収していく。

「それはどうするのだ?」

「クライドが欲しがっていたんでしょ」

「そうだが……持ち帰るのか?」

「お土産ぐらいにはなるわ」

 デバイスに目が無い彼のことだ。 確かに、開発中のビットに酷似している品を持ち帰れば喜ぶかもしれない。 蒼天の書をタダで貰っているということもあり、リインもスクラップの中から適当に破損の少ない物を見繕いデバイスに収納することにする。

「それにしても変ね。 防衛兵器は出てきたけどリビングデッドが出てこない」

「最低でも一人はここに司書の女がいるはずだが」

 ローラ・デュエットの記憶で見たその司書。 恐らくは無限書庫を維持しているだろう何者かを思い出し、リインは首を傾げる。

「派手にやって、本局の人間が進入してくるのを懸念しているのかもしれない」

「もう逃げたっていう可能性もあるけどね」

 向こう側としても、バレるのは不本意だったはずなのだ。 攻撃魔法を喰らったら消えるリビングデッド。 ただでさえ抵抗する相手のバリアジャケットを解除させ、記憶を探る魔法を仕掛けるのは並大抵のことではない。 カグヤも過去何度か試したことはあったが、戦闘中にジャケットだけを選んで破壊するなどという器用な真似はさすがに”狙って”できるものではなかった。 ギリギリ薄皮一枚斬る程度で止めることならできるが、その薄皮さえ致命傷になる相手だからそれはどうしようもないのだ。

「……十分拾ったし、行くわよ」

 無限書庫内部はほぼ一方通行であり、探索に放っておいたエリアサーチのおかげで脳裏にマッピングされた地図が浮かんでくる。 リインはそれをカグヤへと中継しながら探索を継続する。 途中、いくつかの施設を発見した。 デバイスの開発施設と思わしき部屋だったり、魔導機械の研究施設だったり、大量の資料や記憶媒体が保管されている資料室だったりと様々だ。 特に、デバイスの開発施設ではかつてクライドが発見したオーパーツ級のパーツなどがあり、ダクトシュートは本局内部のスクラップ置き場へと繋がっていた。 また、無限書庫の隠し通路以外にも本局へと繋がるいくつかの通路も発見できていた。

「妙ね、逃げたにしては資料が放置されすぎている」

「持ち出す暇が無かっただけではないか」

「持ち出せないのなら、ここの施設ごと破壊しておけばよいでしょ。 でも、そんな形跡がまるでないわ」

「書庫の機能を維持するためでは?」

「どうかしら。 危機管理の観点からいけば、さっさと処分するべきだと思うのだけれど……」

 今回は”らしくない”ことばかりである。 さすがに、長年追ってきているカグヤからすれば不自然極まりないことばかりだ。 秘匿するべきものの秘匿さえも放棄した風に見えるのだ。 なんらかの狙いがあるのであれば納得はするが、その狙いがさっぱり理解できなかった。 罠という可能性はあるが、それにしたって反応が無さ過ぎる。 最大の脅威であるはずの自分を前にしてこれでは、さすがにカグヤとしても肩透かしを食らったような気分になるのも仕方が無い。

 そのまま片っ端から調べて行くも、欲しい情報は出てこない。 途中にあった端末や資料、物品に関しては適当にストラウス邸の一角に放り込んでいるので、後で解析を依頼することになるのだが、カグヤは余り期待していなかった。 それよりも死霊秘法を探すことに専念する。 さすがに代替が効かないアレを残して行くとは思えないというのが彼女の結論だったが、その予想さえも裏切られた。

「理解不能だわ」

 最後の大部屋に、それはあった。 どこかうんざりしたような顔で呟かれたことが妙にリインには印象に残る。

 その部屋は、かなりの広さを保っていた。 学校の運動場をぐらいの大きさだろうか。 遠慮なくズカズカと進んで行くカグヤを追いながらリインは周囲を睥睨する。 間違いなかった。 ここが、無限書庫の心臓部だ。

 空調とファンの音が絶えず聞こえる。 室内はひんやりとしており、スパコンの筐体が立ち並んでいる。 人が通れるような最低限の通路を除けば、そのほとんどが筐体だ。 コンピュータルームといっても差し支えないだろう。 正に、無限書庫の中枢と呼んでも過言ではない部屋である。

 やがて筐体の森を抜ければ、その先には床が四角にくり貫かれているような場所が見えてきた。 その上では数々の机や椅子が並び、端末が必ず一つ備えられている。 それらは百台以上並んでいただろうか。 どれもこれも、すぐ先ほどまで作業していたのではないかと思えるほどだ。 リインは思わず、どこかの会社に迷いこみでもしたのかと困惑した。 机の上には付箋が貼られ、資料と思わしき紙媒体がが山済みにされている。 そこにスーツで武装した企業戦士でも椅子に据えればすぐにでも仕事が始まりそうな、そんなオフィスチックな光景なのだ。 無言でそのオフィススペースに飛び降りる。 すると、そんな二人を出迎えるかのように一人の人間がデスクから立ち上がった。

「司書……」

 ローラ・デュエットの記憶で見た女だ。 オレンジ色の髪をバレッタで軽く止め上げたまま、管理局の青い制服に身を包んでいるその女性。 見たところ二十台前後と言った所か。 太ってはいないが、痩せすぎているという風でもない。 その女性は、特にデバイスを構えるような真似もせず、したり顔で二人に声をかけてきた。 

「無限書庫にようこそソードダンサー。 そして夜天のお姫様。 私はフィーア・アクセル。 便宜上、ここ無限書庫を管理している司書とでも思ってくだされば結構です。 どうぞよしなに」

 腰を折ると、慇懃に礼をするその女。 それは余りにも無防備だった。 魔力値は最低ラインのF相当。 デバイスのセンサーを信じるなら、一般人よりもマシ程度の魔力保有量しか伺えない。 しかし、出力リミッターという方法もある。 その力量は依然として不明。 

(……なんだ? 無防備に過ぎる)

 彼女はデバイスを携行していない。 既にリインたち二人が完全武装しているというのに、だ。 そして今もまだそれに対して頓着していないかのように面を上げる。 その顔には営業スマイルのような透明な笑みを浮かべたままで。

 不気味なほどの余裕が顔にはにじみ出ていることに、リインは少し眉を顰めながらカグヤに視線を向けてみる。 だが、そこにはもう彼女はいない。 甲高い音が、前方から鳴った。 同時に、挨拶をした女の前でカグヤが抜刀した体勢で止まる。 その問答無用の初撃が、長剣を握る紅い髪の男に遮られてしまったからだ。

「相変わらず、容赦が無い女だな”シリウス”」

「防衛……プログラム!?」

 リインが声を荒げ、発現した青年を紅眼で睨みつける。 そこには、確かにリインの眼前で切られタ消失したはずの青年がいたのだ。 右手でしっかりと握られた長剣は、カグヤの刀の切っ先を受け止めてもなお微動だにしない。 左手には鞘があり、烈火の将が使うような防御の型を取っている。 再起動し顕現しただろうことは簡単に分かる。 その存在のことに知識があれば、それは容易く理解としてリインの中に浸透した。 だが、先ほどに出会ったあの男と違うような印象を彼女は受けた。

 あの、腹の底から湧き上がってくるような憤怒がどうしてかリインには沸いてこない。 闇の書を歪める存在であり、禍々しき闇の書を呪いの魔導書と言わせしめた根源たるその存在。 それを前にして直感的に憎悪することを忘れるなんてことがあるのか? 脳裏に湧き上がっていたその思いが、リインの中でせめぎ会う。 しかし、熱くならない己の心は冷水のようにその疑念を思考から拭い去り次の”違和感”へと瞬時に彼女を誘った。 その正体はすぐに分かった。 見れば分かる。 少なくとも、魔導師であれば。

 感じられないのだ。 あの、物理と魔力を防ぐための交互四層の結界が。 それを口にしようとした瞬間、カグヤが膝を曲げて後方に跳躍したかと思うとリインの右斜め前に現れ口を開く。

「まさか、今度は貴方自身が出てくるとはね”レイヴァン”」

「俺に言われても困る。 そういうのは呼び出した連中に言ってくれ」

 困ったように頭をかきながら、レイヴァンと呼ばれた男は言う。 そしてそれは、カグヤもそうだったに違い無い。 対峙したまま、それ以上何も言わずに動かない。 その背中を見ていたリインには、迷いのようなものが感じられた。 先の戦いでは容赦が無く撃破したというのに、今はその気配がまるでないのだ。

「どうやら、お気に召していただけたみたいねソードダンサー。 いいえ、シリウス・ナイトスカイ様」

「出し物としては確かに面白くはあるわ。 他の有象無象と比べればね。 でも、それだけよ」

「貴女が望むなら、彼を返してあげるそうよ。 どう、シュナイゼルと手を組む気はない? 貴女になら、次元世界の半分をあげてもいいそうなの。 彼、どうも貴女の隠れファンみたいでね」

「冗談にしては面白くない話ね。 私はあの男の痕跡がこの次元世界に存在しているという事実だけで虫唾が走る程なのに」

「なら、掛け金を上乗せしましょうか。 レイヴァンのデータだけで足りないっていうのなら……そうね、そこに居る夜天の姫様。 貴女の妹の改変前のデータならどう? エレナ・ナイトスカイの失われたその記憶、取り戻せるのなら欲しいでしょう」

「え――」

 リインは思わず、その言葉に心臓が止まるのではないかと思うほどの衝撃を受けた。 動揺したと言っても良い。 そんな話は一度たりとも聞いていない。 クライドはもとより、守護騎士たちもそうだ。 皆そのことを言わず、過去の記憶とやらを取り戻した後でも言われなかった。 皆がリインフォースとして接してきた。 しかし、それはそれでショックではあったが何よりも一番動揺を与えたのはやはり、カグヤの態度だ。 必要以上に接触しようとはせず、一定以上の距離感を構築したままほとんどそのままだったのだ。 肉親であるというのなら、一言ぐらいあっても良かったはずなのに。

「ねぇ、エレナ様。 貴女もそうは思わない? シュナイゼルに消された貴女の記憶がこの書庫に眠っているのよ。取り戻したくはない?」

「私の……過去がここに?」

 震えるような声で、リインは問う。 これが敵の甘言であるという事実は当然のように頭の中にある。 だというのに、背中を向けたまま黙った他称姉は否定も肯定もしない。 リインに念話をしてくる兆しもなければ、振り返りもしなかった。 その背中が、やはり遠い。

「エレナ・ナイトスカイ……それが、私の名だと?」

「ええ、そうよ。 貴女の姉が頷いてくれるだけで、貴女は取り戻せるのよ。 昔の自分を、自分の過去を。 ここからデータを持ち帰ればアルハザードでならどうとでもできるはず。 ほら、シリウス・ナイトスカイに……貴女のお優しいシリウスお姉様にお願いしてみたら? 愛しい妹のお願いならお姉様も頷いてくれるわ。 アルハザードへの渡航の時だってそう。 シュナイゼルの時だってそう。 最終的に貴女が言えば、内心では反対しても黙認してくれる貴女自慢のお姉様。 羨ましいわぁ……私にもそんな人が居てくれればよかったのに」

 どこか陶酔したかのような視線が、リインへと向けられる。 美酒に酔ったかのようなその恍惚さが、生々しい熱となって精神を揺さぶってくる。 エレナ・ナイトスカイ? 自慢の姉? そんな聞いたこともない話で、何故こうまで自身の心がかき乱されるのか。 昔の記憶などない。 気がつけばリインはリイン<夜天の書の管制人格>だった。 そうして、書の中で使命のために生きていただけの存在のはずなのだ。

(どうして……何故否定の言葉さえ紡げない。 私のプログラムが故障しているわけではない。 なのに、どうしてこうも揺さぶられる。 揺さぶられなくてはならない! 望んでいるのか? 私はそれを。 それとも、覚えては居なくても魂が求めているとでもいうのか――)

 過去を取り戻し、姉らしい存在との再開を果たす。 それはきっと、字面だけを追えば喜ばしいことに違い無い。 だって、肉親なのだ。 家族なのだ。 血の繋がりが、似通った容姿にまで発展するほどのものだったのだから、それはきっとフィーア・アクセルと名乗った司書が言うように羨ましがられるようなものなのだったはずなのだ。

 だというのに、それを何故か彼女はそれを口にはできなかった。 言えば良い。 聞けば良い。 他称姉は目の前に居る。 逃げも隠れもしていない。 確認すれば済むことで、それを聞いてから判断しても遅くは無い。 敵の言うことを言われるままに信じて何に成る。 何かの罠でないとも限らない。 しかし、どうしてその言葉が紡げないのか?

「――」

 何故、唇を開き、発声するだけの作業が何故こうも”恐ろしい”のか。 気がつけば、リインは両手で肩を抱くゆように震えていた。 知らないことへの恐怖。 過去を知ることへの期待と、その果てに変わる現実。 それをすれば、致命的なまでに何かが変わる。 そこにある漠然とした不安が、胸中で期待と鬩ぎあう。 縋るようにフィーアから視線を反らし黒髪の女性の背を見つめる。

 思い返せば彼女が傍に居ると、視界に入ると、どうしてもリインは気になった。 すぐに姿を消してしまうので避けられているのではないかと思い、気にしていたこともあった。 アイスが甘過ぎると言われたので砂糖を減らしたし、喜ばせたくて何かできることが無いかと思いクライドが言ったように無限書庫のことを話して褒められた。 そのことが酷く嬉しかったのは、少しばかり前のことだ。 その理由が姉と戯れる妹の構図を無意識に求めた過去の自分の残影ならば納得できもする。 しかし――、

「――解せない」
 
「解せない? それは一体何がでしょうか」

「解せないと言ったのだ司書! お前の言うことは、腑に落ちない!」

 リインは肩を抱いていた手を下ろし、シュベルトクロイツを力強く握り締めながら蒼天の書を開いた。 途端、彼女の足元でベルカ式魔方陣が白く輝く。 白く明滅する魔力光は、しかし次第にその光陵を増していく。 開放された膨大な魔力が、励起しながら彼女の心象を顕していく。

「お前の言葉が正しいのであれば、何故私の姉は名乗り出てくれないのだ。 こうして困っている私に、一声かけてくれないのだ!? 自慢の姉だと貴女は言った!! ならば何故だ。 何故なんだ!!」 










「それはね、貴女の”姉”は、もうこの世にはいないからよ」











 背中越しに、カグヤの声がリインに届く。 心情を吐露したリインは、その言葉にただただ無言で頷いた。 その言葉は残酷で、しかしそれでも優しかった。 泣きじゃくる子供をあやす母親のような暖かさと、我侭を言って姉を困らせる妹を叱るような冷たさが耳から染み渡り脳へと届く。 どうして、死んだなどと言い切れるのか? 聞いてしまいたい欲求が反射として口から零れ落ちそうになる。 だがリインフォースは問わなかった。 その言葉を飲み込んで、カグヤの隣へと歩み寄った。 その足元へ、目元から零れた雫が落ちる。 水滴はやがて、今更のように凍りつき彼女の涙の足跡となる。

 カグヤの魔力に触れた物質の冷却が加速する。 その冷却源である女性は、振り返らずに左手を差し出している。 不思議と、リインには彼女が何を求めているのかが理解できた気がした。 だから、そのままにその手に触れてスキルを使った。

――融合<ユニゾン>。

 魔力分解されながら、その差し出された左手の温もりに涙する。 ただ、自分と彼女の間にある溝はそのままでも、少しだけなら甘えさせてくれることに安堵した。 白の魔力に白が重なる。 SSとSSの姉妹融合。 カグヤの魔力中枢のその中で、リインはどこか懐かしい感触に歓喜する。 記憶は無くても、身体は覚えている。 自分を包んでしまう安堵感に、その力強さに。

『今日だけは、今だけはかつてのように私に重なることを許してあげる。 問題はないわね』

『問題など……ない。 微塵も……ない――』

 融合適正にブレはない。 血縁で、しかも魔力光の色も完全に適合する二人はその瞬間確かに一つになった。 背中から伸びたスレイプニールの六枚羽と、爆発的に増幅した保有魔力。 そして、発現する豪奢なガウン。 バリアジャケットの衣装が夜天の領主の装束となってその身を包む。 夜天の領主としての完成形。 かつて、そんな日が来るときのために用意していた代物だ。 生憎とそれが日の目に出ることはないはずだったが、時を越えてそれはレイヴァンとフィーアの前に顕現した。

「シリウス……今の言葉と、その在り方。 お前らしいな」

「嘘は言って無いわよレイヴァン。 シリウス・ナイトスカイはあの日アルハザードで死んだ。 そして、エレナ・ナイトスカイや貴方はベルカで死んだ。 それだけのことよ。 私という存在はオリジナルに似たただの残滓。 それ以上でもそれ以下でも無いの。 だから、ここに居るのはどいつもこいつも塵芥以下の亡霊なのよ」

「はっ、そんなのはおためごかしだろ。 そんな嘘で、エレナ様が救えるものか」

「笑わせないで。 初めから”救うつもりなんてない”のよ。 私はただ、終わらせるためだけに生き恥を晒しているだけなのだから」 

「……」

「だいたい、今の私はアルハザードのカグヤよ。 そして、この娘はかつて夜天の書の管制人格とされていたただの魔導騎士。 私は救わなかったわ。 救ったのはジルとトールのお節介、そしてあの子の思いつきで私ではないの。 それに何を持って救うのかが私には分からない。 ねぇレイヴァン。 一体”今更”何をどうすれば良いというの」

 もはや遅すぎる。 救えたのは遥か過去。 今となっては遠すぎる。 距離の壁は越えられても、時間の壁は越えられない。 失ったものは戻らない。 ただそれだけのことに過ぎないのだ。 だがレイヴァンは違った。 そんなことでは納得できない。 彼は彼女ではないが故。

「名乗ればいい。 求められているのならば、与えてやれば良いだろう。 傀儡に成り下がっている俺にはできなくても、お前にはできるはずだ」

「それは貴方の独善的な”願い”でしょう。 私に擦り付けないでくれないかしら」

「ちっ。 ああもう、お前は本当に昔から可愛げが無い奴だよ」

 レイヴァンが剣を構え、カグヤはただそのまま自然体で刀を握る。 その中で、フィーアはその顔に穏やかな微笑を貼り付けていた。 いや、そこには確かに先ほどまでの熱もある。 自らの誘いを姉妹揃って拒絶されたというのに、それで当然だという顔をしている。

「”良かった”。 やっぱり、うん、そうよ。 シリウス様はそうでなくっちゃ。 エレナ様は正直微妙なラインだったけど……うん、この方が”魔導王”にとっては都合がいいだろうし問題ないわ」

「どうでもいいけど……ねぇ、フィーア・アクセル」

「はいはーい、何ですかアルハザードのカグヤ様」

「そのままでいいのかしら。 今は少しばかり機嫌が悪いから、待ってあげてもいいわよ」

「あれま。 さすがはシリウス様、余裕綽々でいらっしゃる。 敬服します。 感服します。 その余裕とそれを成すためのそのお力。 私みたいな凡骨はただただ見上げて焦がれるばかり。 ――ああ、嗚呼、アア、AA!! 妬ましい。 嫉ましい。 誰もが思う。 輝ける貴方様のようになりたいと、貴方様のように鮮烈に生きたいと!!」

 他者の抑圧を撥ね退けるだけの力と意志。 それに純粋に敬意を表し、憧れのような視線がカグヤを舐める。 恐らくは、その言葉に嘘は無く、その思いにも嘘はない。 だから、フィーア・アクセルはお言葉に甘えるのだ。 ”これまでも”、そして”これからも”。 

「では、お望みどおりにして差し上げます。 ここは無限書庫。 無限の叡智が眠る場所。 無限に蒐集されてきた魔導師たちが眠るデータの墓標。 では、どうぞご堪能あれ。 今宵、貴女様に振舞うは、現在に至るまでの管理局員や旧暦の時代から記録されてきた歴代の強者たち。 犯罪者、局員、民間人の屍人<リビングデッド>。 粗野な連中ではありますが、必ずや貴女の無聊を慰める一時にさせましょう。 司書として、貴女の”一ファン”として、それだけは努力させていただきます――」

 調子よく指を掲げ、パチンと弾く。 瞬間、結界が張られると同時にありとあらゆる場所から次々と顕現してきた魔導師たちが一斉に夜天の姉妹に襲い掛かった。



















憑依奮闘記3
第五章
「クロスライン」


















 閉店後の店の中、アーク・サタケは三度その男に会っていた。 二回目までと違うのは、その男が本当に”男”に戻っていることだろうか。 短く、癖の無いストレート。 その紅い髪とどこか女形に通じそうな顔立ちは、一目見れば女と錯覚するほどに中性的だった。 また、体系もそうだ。 長身ではあるが、どこか身体の線が細い。 だが、その細さは絞り込まれたボクサーのように力強い印象を感じさせてくる。 その威圧感は、かつて剣士だった彼をして圧倒されそうな程だった。  

「単刀直入に言おうミッドチルダの侍」

「ああ、そうしてくれや。 言いたいってんなら聞いてやる」

「俺の望みは、貴方の持つ宝だ」

「はっ、『宝』だぁ? んな値打ちもん、俺は持ってねーぜ。 持ってたらもっとでかい店を建ててらぁ」

「それは嘘だ。 今このミッドチルダで、唯一貴方だけが持っている物がある。 アレが、宝でなくてなんだというのだ」

「……」

 アークには何がなんだか分からない。 だが、出さなければ抜くという殺気だけは理解していた。 その、いかにも剣呑な空気は前にしてアークは”お玉”を握り締め、いつもの如く肩を叩くようにして構える。

「まさかそんなもので俺の剣を止めるつもりだ、などとは言ってくれるなよ」

「だぁほ。 そんなの、姐さんでもなけりゃ無理だっての」

 ただの人間がお玉で魔法剣を止めるなど不可能だろう。 さしもの元侍にも無理だ。 師匠ならばどうか知らないが。

「……そうか、彼女ならばできるのか。 留意しておこう」

「信じるなよおい。 まぁ、実際やれても驚かないけどよ。 それより話がみえねーんだよ俺には。 宝ってのはなんのことだ?」

「アレの価値を正しく理解していないのか? ならば、分からないでもないが……」

「もったいつけるなよ」

「”マサムネ”だ」

「――」

 その瞬間、確かにアークの眼がギラついた。 だが、レイスは気圧されない。 ただのラーメン屋の親父には決して放てない剣気を涼しい顔で受け流して見せる。

「寝言は寝て言え”坊主”。 アレは過去の俺の魂だ。 二度と握らぬと誓ったとはいえ、お前にやるわけにはいかねぇ」

 師匠から貰った二刀のデバイス。 もはや魔法を使えないとはいえ、それでも渡すわけにはいかなかった。 アレは、ミッドチルダの侍の魔法と共に眠りについた対魔法刀。 今、この管理世界に存在しない物質で作られた刀身を持つデバイスだ。 いいや、かつての彼の半身にも等しい存在だ。 振るわなくなったとはいえ、断じて誰かに気安く渡して良いものなどではなかった。 

「そうか、では貸してくれるだけでも良い。 ソードダンサーと対峙するためにそれが欲しい。 できる限り差を埋めておきたいのだ」

「姐さんに使いたい……ねぇ。 それ以外には使わないのか?」 

「そもそも使う必要がない」

 その答えを聞いたアークは、盛大にため息を吐くとズボンのポケットに手を突っ込んだ。 

「もってけ」

 心底嫌そうに待機状態のそれを放り投げる。 苦渋の決断であった。

「言っておくが、貸してやるだけだぞ。 負けたら姐さんに渡せ。 ないだろうが、もし仮に勝ったらそのときは自分で持ってこい。 つーか、折ったり傷つけたりしたらぶっ飛ばすぞこの野郎」

 半分、キレているような勢いでアークは言う。 さすがに、彼をして断って暴れられても困るという現実には負けたらしい。 それに、一々来る時間帯を”娘が帰宅した後”にされているという事実には手も足も出なかったのだ。 お玉を突きつけるようにして明後日の方向に向けると、顎をしゃくる。 さっさと失せろということであった。

「感謝する”同胞”」

「ああん?」

「かつて、一度だけ貴方と彼女に救われたことがある。 貴方は覚えていないだろうが、俺は薄っすらとまだ覚えている。 あのときの彼女への嘆願も、今思えば俺もしておけばよかったと悔やむほどに、な。 恐らくはあれが、俺のターニングポイントだった。 もっと早く俺が俺としての自我を取り戻していたなら、貴方は俺の兄弟子だったかもしれないな」

「お前――」

 何かを思い出し、アークが問いかける寸前。 しかしその言葉は遮られる。

「さらばだミッドチルダの侍。 これで、俺の時間は終わりだ。 目的も済んだ。 もう、二度と会うことはないだろう」

 言うだけ言って、レイスは消えた。 少し前まで居た場所からは、もう気配さえ感じられない。

「くそっ、最後に爆弾発言までかまして行きやがって!! つーか、絶対にマサムネ返す気ないだろあいつ!!」

 訳が分からないその男は、もう来ないだろう。 不思議とそんな感慨を抱きながらアークは今度こそカグヤに連絡を取ることにした。 明日の仕込みもそこそこに、私服に着替えると娘に留守を任せて外に出る。 間に合うかどうかは彼にもわからない。 だが、間に合わせなければいけないと思ってただ夜のミッドを駆け抜けた。

















 かつて、ライバルだったこともあった。 かつて、淡い恋心を向けたことがあった。 そんな、歳相応な想いを抱いていたことも確かにあった。 しかし、既にもうそんな事実は過去のもの。 代替に向け、代わりに享受しようなどという思考は彼女の中には存在しない。

 駆け抜けた日々を、留めた記憶の彼方として懐かしむことはあっても今に引きずることを良しとする精神は持ち合わせては居ないのだ。 それを指して意地っ張りとでも可愛らしく呼んでやれば良いのかは、さしものレイヴァンにも分からなかった。 ただ、フィーア・アクセルを背後に庇ったまま眼前の戦闘風景をただ見守るだけの彼は、別にサボっているわけでは当然無い。 今飛び込めば確実に殺られると理解しているので飛び込めないだけなのだ。

 飛来する数多の誘導弾を切裂き、時にエレナの魔法で迎撃しながら縦横無尽に戦い続ける剣姫が居る。 一人、また一人とその凶刃によって魔導師たちが事切れていく。 屍は残らず消えうせ、まるで痕跡を残さない戦いが続いている。 それもレアスキルを使わずに、だ。 多勢に無勢の中を駆け抜けるのは、一騎当千の騎士ならばある意味心躍る展開ではあるだろう。 手強い敵との一騎討ちもそうだ。 しかして、一方的にただ駆逐するだけの戦いというのはもはやただの断罪でしかなかった。

 自分が死んだ頃の記憶はレイヴァンには無かったが、それでも知っていることはある。 例えば、ああして八つ当たりしているあの女に絡めば禄なことにならないという経験則。 そして、もう自分では抑えきれないレベルにまで駆け上がられてしまったという寂しさだ。 エレナ・ナイトスカイが融合しているとはいえ、それでも時間稼ぎ程度ならばなんとかなるかと思っていた自分の馬鹿さ加減に、彼は深いため息を吐いた。 仮に、今手元に自分の融合騎があったとしても結果は変わるまい。 それだけの差が彼には簡単に見て取れた。

(もはや、満足に相手さえできないか。 それどころかしてやれることさえ何もないとは)

 シリウスがエレナに手を差し伸べはしたものの、結局はそれだけだ。 記憶にある当時のそれにさえ及ばない生温い関係は、彼からすれば腹立たしいものでしかない。 記憶が無いならば取り戻してやればよい。 姉として求められているならば、昔のように甘やかしてやればよい。 それが出来るくせに、それを放棄しているシリウス。 内部で戦闘の補助をしているだろうエレナの悲痛な顔が見える気がして、レイヴァンはただ己の無力を嘆いていた。 

 シュナイゼルやフィーア・アクセルとかいう女の思惑など知ったことではない。 ただ、エレナに冷たいシリウスにガツンとかましてやれないことだけが残念でならない。 従う振りをして裏切るとか、方法はあるだろうに頑なにそれを認めない。 それは、それだけ彼女の怒りが凄まじいということなのだろう。 そう思うと、やりきれなかった。 シリウスが言った通りなのだ。 過去は戻らない。 取り戻せない。 たったそれだけの言葉が、何故これほどに重いのか。 重く圧し掛かる時の重みで、レイヴァンは心が押しつぶされそうになっていた。

「どうです、騎士レイヴァン。 かつてのライバルに勝てそうですか?」

「無理を言う。 戦りあえば一分も持たんよ」

「やはりそうですか。 さすがはシリウス様だわ」

「アレからどれだけ時間が経過しているのか知らないが、駆けた抜けた時の差が歴然だ。 もはや俺では届かん。 どうにかしたければ今すぐ聖王陛下でも呼んでこい」

「いえ、既に彼女もまた敗北させられておりますので無理でしょう」

「ならば潔く白旗でも揚げるんだな。 そしてシュナイゼルの首を差し出し、跪いて許しでも請え」

「その必要はございません。 これも予定通りなのですよ。 ですので、貴方はここでもう一度死んでください」

「……なに?」

「もう一度、彼女には貴方を殺してもらいます。 そうすれば、彼女は止まれなくなる。 実に”好都合”ではないですか」

「焚き付けるための俺か」

「ええ。 貴方の価値などその程度です。 今も、昔も、これからも」

「テメェ……」

 所詮、相手はシュナイゼルの犬。 首輪を付けられている自分と同じ存在。 だというのに、嫌に訳知り顔で言われるとさすがの彼も殺気立つより他に無い。

「ふふふ。 そんな怖い顔をしないで良く見ておくべきかと。 どうやらシリウス様は美味しいものは最後まで取っておくタイプのようですし」

 フィーアの趣向など、無視して敢えて切りかかればいいものをすぐにせずに遊んでいる状況を見れば、それは確かに明らかだ。 最後にしたいのか、それとも単純に自分に魅せ付けたいのかはレイヴァンにも分からない。 しかし、確かにそう、抗うのであれば少しでもその剣を見ておくべきではあったのだろう。 だが、そんな気は彼にはない。 身体は勝手に動くのだろうが、その身体に宿った魂はこの戦いの無意味さを理解していた。

「待たせたわねレイヴァン。 ウォーミングアップに手間取ったわ」

「冗談、ウォーミングアップにさえなってないだろ」

 デバイスの刃を軽く振るい、身体の調子を確かめているカグヤにレイヴァンは引きつった顔で言う。 戦闘によるダメージは皆無。 同時に、使用した魔力も極最小。 どういう原理か彼が知る由もないことだったが、魔導師の防御をほとんど無視して一撃で倒していた。 いや、そればかりか敵魔導師の魔法さえも切裂いて無効化して見せていた。 無論、自分の身体のことは聞いている。 故に、かすり傷一つでさえも致命的なのだというのに切られれば一撃で終わるというハンデまである以上その事実は厄介極まりないと理解していた。 ましてや、エレナと融合している彼女をレイヴァンが心理的に斬れるわけがない。 これで勝てという方が馬鹿げている。 なのに、身体はマリオネットよろしく操者の操り糸のなすがまま長剣と鞘を構えた。

「一応聞いておくけど、命乞いなんてしないわよね」

「するかよ。 する必要がない。 さっさと終わらせてくれ」

「ええ。 それにしても良かったわ」
 
「何がだよ」

「貴方がそういう潔い馬鹿な男で。 躊躇しないで済むものね」

「おい。 せめてもう少し気の利いた言葉はなかったのかよ」

「心外だわ。 これでも一応褒めてあげたつもりなのに」

「あのなぁ、今から殺す男にそんな褒め方があるか。 まったく――」

 両者、共に歩みよりながら軽口を叩き合う。 死人同士の刹那の交差。 この馬鹿げた茶番を終わらすために、終わりをこそ互いに望む。 これ以上は生き恥で、恥の上塗りに他ならない。 ならば、彼は当然のように勝利は望まず、彼女もまたそれ以上の上塗りは阻止することに否はない。

「後は頼むぞ」

「嫌よ。 どうして私が貴方の頼みを聞いてあげなくちゃいけないの」

「っとに、お前は可愛げがない。 だがまぁ、いいか。 そんな奴が一人ぐらいこの次元世界に居たとしても」

 会話は、それで終わりだった。 三メートルほどの先を残して立ち止まり、視線を交わしたと同時に動き出す。 踏み込みの瞬間、床が砕け散り破片が舞った。 同時に、レイヴァンの長剣からカートリッジの空薬莢が宙を舞う。 

「紫電――」

「凍破――」

「「―― 一閃!!」」

――空薬莢が放物線を描く。

 小細工抜きの真っ向勝負――とはいかなかった。 潔い全力行使を望んだ彼の意志は捻じ曲がり、ただ勝利する道筋へと変化する。 レイヴァンの身体は、手を煩わせたくないという彼の誇りさえも許しはしない。 刃が衝突。 だが、冷剣に掛かる炎剣の威力が軽かった。 その力加減は絶妙で、速度を重視する彼女の剣の軽さを織り込んでのニ撃目への布石であることは明白。 しかし、シリウスはそれに頓着しない。

――空薬莢がバウンドする。

 互いの剣が弾かれながら、次ぎの出番を待ちわびる。 レイヴァンは左手の鞘を押し出し防御の構えを取り、そこへいち早く次の攻撃を繰り出したシリウスの剣が下から掬い上げるようなニ撃目となって飛来する。 如何に剣速が速かろうと、一撃目からニ撃目への間に用意された鞘の防御速度は物理的に越えられない。 刀の刃は鞘に阻まれ、その鞘に皹を入れる。 あと少しで割れるのではないかと思えたその瞬間、ニ撃目を凌いだレイヴァンの腕が振――。

――空薬莢がバウンドする。

 ――るわれることはなかった。 炎剣の炎が、起死回生の手応えを得る機会さえ与えられずに炎を散らす。 自身が得意とした鞘での防御。 それで一撃は凌げると読んだ思考さえも白い残線に掻き消された。 斬線の軌跡のその向こう、可愛げの無い女の目元が冷たさを忘れ、一瞬笑んだ。 

――空薬莢が跳ねる力を失い転がる。

 刃は当然のようにその後ろにある彼の身体へと接触し、騎士甲冑へと押し込まれていく。 それに抗う術は、レイヴァンにはない。 恐怖を得る暇さえもなく身体へと食い込んだ刃によって、その身体から血が滴る。 同時に、レイヴァンを攻勢している魔力体が魔法攻撃に耐え切れず霧散していく。

「――嗚呼、そうか。 やっと分かったぞ。 お前、もう人間を止めてたんだな」

 レイヴァンの視線の先には、汗一つかいていないシリウスの顔がある。 その事実に今更のように気づいたことに、どこか呆れた顔で呟きながらレイヴァンは静かに目を閉じた。 その身体は数秒も経たずに掻き消えていく。 都合99人。 最後の一人になるまでの間、ついにカグヤを仕留められる者は居なかった。 そして最後の百人めもこうして供物として捧げられたのだ。 

「なるほど、確かにこれは人間技ではないですよね」

 ブルリっと、フィーアの身体が本能的な畏れによって震えていた。 恐怖だけではない。 畏怖の念と、幾ばくかの崇拝の念が確かにそこには在っただろうか。 声色は弾んだまま、ただ理解の色だけを乗せて紡がれている。 次は自分の番だというのに、そこには諦観もなければ後悔もない。

「――で、今ので終わり? 少々拍子抜けなんだけれど」

「いえいえいえ、一応選りすぐりだけを選んだんですけどね。 呆れました、脱帽です。 どうしようもないぐらいに。 ええ、本当に。 これが、”死んだリミットブレイカー<限界突破者>”って奴ですか。 なるほどなるほど、死んでいるからこその”意味”もある。 闇の書の防衛プログラム、所謂それに用いた裏コードと同じですかね。 人間のようでいて人間ではない。 そりゃあそうです。 魔法プログラムで形作られた生前を模倣するだけの魔力体。 人のコピーとはいえ、人そのものではないが故に人間のような生体活動を真似することができるだけでなく、人間としての活動から外れることもできるわけですしね。 しかも本人がリミットブレイカーだともうどうにもならない。 シュナイゼルってのは本当に大馬鹿です。 世紀のアホです。 客観的に見るとアホを極めているといっても過言ではない。 貴女のような連中がごまんと存在する狂気の軍団に攻撃を仕掛けるんですから」

 例えば、魔力が疲弊するなんてことはない。 空腹で餓死することもない。 結局のところ、それは似せているだけでしかないのだ。 究極的にはもう魔法プログラム体というのは人外なのだ。 それを完全に戦闘用に”調整”すれば、永遠に戦うことだって不可能ではないかもしれない。

 通常ならば体力が落ちれば集中力が落ち、ミスを誘発する。 体力が尽きれば身体は動かなくなる。 だが、アルハザードの死人はそうではない。 これが如何に恐ろしいことかは、想像するに容易いだろう。 しかも、倒すことができても時間を置けば復活してくる。 つまりは敵対者は無限の闘争を強いられるということだ。 誰だってそんな馬鹿げた連中と事を構えたいなどとは思えない。 子供だって分かる。 だが、それをシュナイゼルは実行した。 そうして今に至る。

「別に無限書庫が演算の過負荷で堕ちるまで遊んであげてもいいけど?」

「いやぁ、さすがにそれはちょっと困りますから止めてください。 それにしても”アルカンシェル”が作った無限書庫も、貴女からすればトレーニングルームに過ぎないってことですね。 いやはや、馬鹿げているというかなんというか……」

「そう、ここはアルシェが作ったの。 ジルが注目していたわけね」

「といっても、完成型機動砲精の中のコピー人格が、ですけどね。 基礎の図面はある程度残されていたので、それをコツコツと作り上げたわけです。 後は、貴女も知っての通りです。 それからかなり遅れて管理局計画が始動。 無限書庫を取り込んで、次元世界最大規模の施設として建造されました。 まぁ、アルハザードには負けますけどね」

「あそこは比べるだけ無駄よ」

 比べてもしょうがない。 そんなのは無駄だ。 アレを凌駕するとしたら、それさえも超える狂気と執念が必要である。 そんな連中が次々と現れるなんてことは、カグヤだって想像したくなどない。

「でしょうねぇ。 皆無というわけではないらしいですけど。 アルシェ曰く、仮にアルハザードを潰すとしたら方法は二つしかないとのことでしたのでね」

「へぇ……興味深いわね。 是非とも教えてくれるかしら」

「いいですよ」

 フィーアは頷いた。 そこに、逡巡などという言葉はない。

「一つはリミットブレイカーを味方につけること。 単純ですけど、確実ですよね。 人外を倒すなら人外を連れてくれば良い。 それだけのことです」

「毒を持って毒を制す。 道理ではあるわね。 二つ目は?」

「アルハザードの中枢を破壊すること」

「なるほど。 現実的ではないということを無視すれば効果はありそうね」

「できるできないは問題ではありません。 ただ、そうすれば十分に勝算があることが重要です。 それは何故か? リミットブレイカーの貴女にならお分かりでしょう」

 アルハザードの維持機能を剥奪することだけでなく、それをすれば死人はすべて消える。 つまり、戦力はガタ落ちになる。 とはいえその行為の本質はそこではない。 それはつまり、聖域の”外側”の連中にとって格好のチャンスを作り出すことに他ならない。

「第一位が開放し、第四位が取り込み、第五位の血族たちが作った領域で隔離しながら第二位がそれを見護る。 この聖域は”連中”にとっては格好の餌場だという話。 ならば、連中に箱庭を一時的にでも開放してやれば、それだけでアルハザードは動けなくなる。 恐らくは、第二第三のシュナイゼルは現れられない。 これを教訓として、そちらは隙を減らす。 アレイスターもお遊びを自重するでしょう。 それが分かるから、攻め込む連中は徹底して攻勢をかけてくる。 構図を読み取れるならばそれだけでいいことは簡単に理解できます。 アレイスターでさえ手を焼く連中が来るんです。 それだけで十分にアルハザードを滅ぼしてくれることを期待できます」

「そう簡単な話ではないと思うけど? 第一、シュナイゼルにはそれができない」

「はい。 シュナイゼル単独ではそれができません。 この計画の根本の問題はそこでしょう。 実は布石が在ったんですけどね。 そのための”鍵”はメディスに置かれていたんですが……恐らくはジルに消されたはず。 それ以降は”打つ手”が無くなってしまいました。 非常に残念な話です」

「その割りには余裕ね」

「はい。 それは当然でしょう。 だって、最優の駒である”貴女様”がこうしてまだ場に残っておられるのですから」

「……」

「あら? そろそろ自分の役割が分かってきたころだと思いましたけれど……もしかして分かりません? シリウス様なら気がつく頃合かと思っておりましたのに」

「そうね、実の所貴女の言うことがサッパリ分からないわ」

 分かるはずが無かった。 カグヤにしてみれば自分を駒扱いする相手のことが理解できない。 完璧に御している自分にブレはないのだ。 ただ、ふとカノンが言っていたことが頭を過ぎる。 カグヤやアレイスターはもう勝てないかもしれない。 そんなことを言われた。 どういう論理でもってそう言ったのかは今でさえも彼女にはわからない。 だから、この屈辱的な問いを発した。

「私が彼の手駒だと貴女は言うけれど、そんなはずはない。 だって、そうではなくて? でなければ私はここに立っていないし、彼を憎悪しているはずがないのだから」

「いえいえ、今の貴女様だからこそ駒なのですよ。 この状況で、この局面にまで到達した。 だからこそ必要なのです。 速すぎては駄目だった。 遅すぎても駄目だった。 けれど、貴女はここにたどり着きました。 こうして”概ね予定通り”に」

「勿体つけないでよ。 いい加減、我慢ができそうにないの。 今でもそう、こうして貴女を斬ることに相当な我慢をしているのだから」

「ふふっ。 正直に言いますと、ここでネタ晴らしをしてしまいたいぐらいなんです。 でも、まだ駄目ですよシリウス様。 貴女が気づいて良いのは、まだ少し先なんです。 でなければ、このシュナイゼルの舞台を観覧しているだろう”獣殿”が楽しくないでしょう。 それは駄目です。 駄目駄目よ。 ああいえ、べつにここで演目を”打ち切り”にしてもらっても一行に構わないのですがしかし、一番面白くしたいのであればまだ我慢してもらうしかありません――」

 フィーアがそう言った瞬間、カグヤが胸倉を掴み上げるようにして無言で引き寄せる。

「御託はうんざりよ。 殺してやるからさっさと吐きなさい」

 絡まった視線の先で、その行為に眉一つ動かさずにフィーアは両手を掲げて彼女の頬に手を伸ばす。

「嗚呼、嗚呼、嗚呼、やはり貴女様は良い素材です。 その心地良い怒り、その真っ直ぐな殺意。 いつか、そう。 いつかきっと、シュナイゼルは貴女に殺される。 ”殺されるために生きていた”。 きっと、そうなんですよ。 その確信があったから、”エレナの忠犬<レイヴァン>”ではなく”貴女”でなくてはならなかったのです! 最後まで絶対に”放棄しない貴女”でなければ!!」

「――」

「勝利してくださいませシリウス様。 私は貴女の勝利を願います。 だって、だってだって、貴女の勝利こそがシュナイゼルの勝利に華を添えることになるのですから。 黄金の夜明け。 そう、黄金色に染められた未来が貴女という鍵を経て顕在化する日がすぐそこまで来ているのですよ。 ふふ、ふふふ、あははははははっ!!」

 焦がれるように言い募りながら、フィーア・アクセルの身体が消えていく。 自分で実体顕現を解除したのか、それとも誰かが解除したのかはカグヤには分からない。 だた、消え行く刹那にもう一つだけ彼女は言い残した。

「魔導師のデータだけは消しておきますが、それ以外は残します。 ”好きにしてください”。 ここは無限書庫。 求めるモノに検閲された知識を与える場所。 ですが、貴女様の追撃に必要な情報ぐらいは残っています。 それではまた、次にお会いできる瞬間をお待ちしております。 我らが希望の鍵、シリウス様――」 

「どいつもこいつも私を馬鹿にするのはいい加減にしてくれないかしら」

 右手を震わせながら、カグヤは剣を鞘に戻す。 その内面では、かつてないほどの怒りが錯綜していた。 彼女の中に居たリインが、自然と融合を解除してしまうほどに。

「私の勝利が、あの男の勝利に華を添える? 冗談じゃないわ。 ええ、ええ、本当に。 面白くもないことを言ってくれるものだわ。 ふふ。 ふふふふ、はははははははは――」

 その笑い声は、何処か空しく書庫の中枢に響き渡ってリインの心を苛んだ。 ほんの少し前まで、確かにリインは彼女と重なることに安堵していたのだ。 後ろから抱きしめられるような、温もりを得たと思えたのだ。 だが、今はもうそれはない。 まるで幻のように、それは目の前から消え去ってしまっていた。

 それが悲しくないわけがない。 記憶は結局奪われたままで、姉もまた奪われたままだ。 そこに居るのに存在しない。 そんな理不尽が彼女の前に顕現している。 どうすれば取り戻せるのだろう。 どうすれば、どうすれば。 思案しても答えはでない。 当然だ。 そこに至った経緯も、理由も、何もかもが奪われているのに、回答など出るはずもない。

――リインはただ、そうして立ち尽くすことしかできなかった。
 
















 プリウス移送から一時間半後、管理世界内の全ての管理局施設に突如として”三提督”の命令が届き、抜き打ちでその検査が行われた。 夜勤や宿舎に止まっている者以外は翌朝になるが、それでも十分に意味はあるだろう。 それは、今までに局員が体験したことのない検査であった。 戸惑いはしたものの、理由を説明されれば局員たちは同僚の魔導師による<魔法攻撃>に応じた。 応じざるを得なかった。

 そして見つかる獅子身中の虫<リビングデッド>に、偶々スパイ活動をしていて馬脚を現し逃亡したスパイの逮捕劇。 それにより生じる少なくない混乱。 だが、それでも管理局は持ちこたえる。 大多数はやはり、白だったからだ。 黒なのは規模から考えれば極一部に納まる程度。 だが、それでも存在したという事実と、それらがそれなりに高く重要な地位に多く居たという現実に高官たちは戦慄した。 三提督は言うに及ばず、実行を促し、構えていたグレアムたちでさえもその途中報告には苦々しいものを感じずには居られなかった。待ち人を待つ間、少しずつ明らかになる実態。 それを思えば、やりきれない思いに駆られてしまう。 

 まず、一番多いのは監査部や情報部だった。 情報とはこの現代社会において重視される非情に重要度の高いものである。 それを扱っている連中に多いという事実は、真実驚愕に値する。 そもそも在ってはならない。 ただの一兵卒であったなら、権力がないためにできることなど高が知れるが、ことその部署はに関しては無視することなどできない。 そして、高官たちの場合はこの場合文字通りの権力者になる。 扱える権力に比例して、できることは増えていく。 本来は平和のために使われなければならないそれが、まさか犯罪者風情に使われていたかもしれないと思うと、無性に悔しかった。 だが、これは無意味などでは決してなかった。 そのことを、誰よりも痛感した男がいた。 戻ってきたと同時にその検査を”受けさせられた”ゴルド・クラウンだ。

(グレアムめ、ここまで大胆にかつ早急に動くとは。 存外、堪え性がないな)

 ゴルドはグレアムを慎重な男だと思っていた。 冷静さと慎重さを併せ持ち、静かに立ち回る男。 老獪さという意味では確かに古狸たちに比肩するが、さりとて彼は善人だ。 それを実行するにおいて生じる局の混乱を最小限に抑えるために少し時間をかけて調整するかと思われた。 だが、実際には彼は想像よりも遥かに迅速に実行した”せっかちな正義漢”だった。

 やるべきことはもう終っている。 他に気にしなければならないことがあるとしたら、あのオリジナルの駒が不本意にも局に回収させられたデバイスだけだった。 そのためにグレアムの挑発に乗ったというのに、いきなり先制パンチを食らわされた気分だ。 当然、愉快なことではない。 

(余計なことをしてくれる)

 まだアレの露見は早すぎたのだ。 超魔力と第四魔法は、後の管理世界のキーアイテムだ。 今後活発化するであろうAMF犯罪や、エクリプス・ウィルス、対魔法装備に対する魔導師たちの切り札になりうる素材でも在る。 それを、こうも安易な形で流出させるのはいただけない。 更に、内臓されている小型魔力炉はかなり技術的なブレイクスルーを到来させかねない代物だ。 純粋魔導師の特権が奪われるという”最悪”は避けねばならない。 故に、ゴルドは姿を隠す前にそれらに関するデータを破棄または改竄し、ハイブリッドデバイス『プリウス』に関しての対処行動を取らななければならなくなっていた。

(騎士グラシア、そしてギル・グレアム。 この二人は共に善人だ。 動き方は予測できたが、ここまでやってくれるとは恐れ入るよ。 本当に、有能な敵ほど鬱陶しいものはない)
 
 プリウスには重要部位のブラックボックス化処置がしてあった。 ある程度察せたとしても、それだけで本局がすぐに再現できるほど容易い代物ではないし、魔力炉はそもそも”アルハザード製”。 教会が取得していたプリウスのデータも改竄はしてあるが、これも”騙されていた”可能性がある。 危惧すべきところではあったが、まだ実物を残すよりかはマシだった。 しかし、懸念するべきだったので探る必要はある。

 何処の世界にも天才という奴はいる。 超魔力を実用一歩手前のところまで理解していたプレシア・テスタロッサや、そもそもそれの第一人者であったジェイル・スカリエッティのクローンたちに渡す愚は避けたかった。 だから、その可能性を摘み取ることを彼は選んだ。 姿を眩ますその前に。

 だが、潜ませていたリビングデッドはこの機会に一掃されるだろう。 だとしたらせめて、本物のパーツだけでも回収しなければならない。 グレアムが知り合いのデバイスマイスターに渡し、研究保管させたところまでは彼は掴んでいた。 だから、グレアムの挑戦を受ける振りをして先に回収に来たのだ。

「――ッ!?」

 だが、正直ここまでグレアムの手が及んでいたことにゴルドは内心歯噛みした。 視線を、ゆっくりと背後に移す。 瞳には何も実体はない。 だが裸眼には見えないが、ゴルドは気づいていた。 そこに、確かに何者かがいるということが。

「ああ、やはり君は”向こう側”だったようだね。 ゴルド君」

 ミラージュハイドを解き、声を掛けてきたのは彼の知っている男だった。 もう白髪が出来る歳でありながらも、十分に現役で通用するレベルの魔導師。 その名を”ギル・グレアム”という。 

「おや、グレアム提督ですか。 これは一体どういうことで? 悪戯にしては少々やりすぎな感がしますが……」

 背後から、目に見える形で杖を突きつけられた格好のままゴルドは尋ねる。

「冗談はよしてくださいよ。 一体どういうことなんですか? この状況、私にも分かるように説明してもらいたいものですね。 というか、貴方は部屋で私が来るのを待っていたはずでは? この後すぐにうかがうつもりだったのですがね」

「ふむ、非情に優秀なスパイである君ならば聞かずとも分かると思ったのだがな。 今、執務室に座っている私は”替え玉”だと、ね」

「いいえ、皆目検討もつきませんでしたよ。 私はここに預けてあったデバイスパーツを取りに来ただけなのでね」

「ほほう? 確かにアレは非情に珍しいと私も思う。 だが、それを研究員がいなくなった今見に来る必要はないと思うがね。 態々部屋の”ロック”を外してまで、ね」 

「ははっ、職業柄こっそりと監査するのが好きなんですよ。 厳重に隠されているものほど、覗きたくなりせんか? 女性のハート然り、宝物然り、裏帳簿然りです」

「ご婦人の胸のうちを知りたいという男のどうしようもない好奇心は理解できるがね、さりとて不法侵入はよくないな。 英国紳士としては、見てみぬ振りなどできぬからね」

「なるほど、それで”コレ”ですか」

「そう、だから”コレ”なのだよ」

 交わした視線の先のその眼には、普段の優しさなど欠片も宿ってはいなかった。 険しい表情でただ敵を牽制する歴戦の魔導師がいるだけだ。 存外に”隙がない”。 そのことを容易く見て取り、ゴルドはそのまま不用意に動くことを止めた。

「見事でしたよ、騎士グラシアとの連携は。 さすが、歴戦の勇士とその助言者だ」

「私たち二人だけではないさ。 他にも優秀な管理局員や騎士はいる。 そのものたちの犯罪を憎む心が、この結果を導き出した。 ただ、それだけのことなのだよ。 さすがにここまで綺麗に釣れるとは思ってもみなかったがね。 実は私の替え玉はヴォルク提督でね、君は運がいい。 彼の八つ当たりをその身に受けなくて済むのだから。 君たちの組織なのだろう? 彼女を攫い、今また子供にしたのは」

「そこまでお分かりですか。 前者はともかく、後者は読めないだろうと思っていたのですがね」

「いや、今のはカマかけだったのだが……そうか。 ありがとう、また一つ事件が繋がったよ。 正直な話、君が無能で助かった。 私なら、ここにはこない。 絶対に、だ」

 その口から出た言葉は皮肉が多分に入り混じっていた。 いつもの彼を知るものならば、彼がそこまで相手をなじる姿など想像もできないだろう。 しかし、今日のグレアムは違った。

「それは可笑しい見解だグレアム提督。 真の無能ならここには来ない。 有能だからこそ貴方の執務室にはいかず、ここに来たと思いますが?」

「いいや、無能だ。 どちらにしても、今は動くべきときではない。 そう判断できる者こそが真に有能な人物だ。 仲間は狩り立てられている最中で、援護は期待できない。 孤立無援のこの状況で、更に疑われていることを承知で姿を現すなど正気の沙汰ではないよ。 私なら、日を改めるか別人を投入する」

「なら、今日でなくてはならない理由があるとすれば?」

「それでも変わらんよ。 少なくとも、警戒されている君はここに来てはいけない。 君で陽動するならばともかく、君自身が行為に移ろうという時点でお話しにならない。 それでは無意味にリスクだけを上げる。 そうだろう?」

 理路整然と、グレアムはそう言い切った。 ゴルドはそれに対して言葉を返さない。 ただ、口元を緩ませるだけだった。

「ああ、そうだ。 それと、折角だから君が犯したもう一つのミスについても語っておこうか」

「ミス?」

「四年前の”闇の書事件”と”今回の事件”、君だけだよ。 命令も無しに関わってきたのは。 いいや、そればかりか君は命令書を偽造して他にも数回動いていたようだな。 教会に行ったのは間違いだった。 こちらの動きを詳しく説明されておらず、よく分かっていないリンディ提督ならともかく、ロッテは正確に状況を把握していた。 あの子に見られた時から、君の失敗は決まっていたのだよ」

「……なるほど、それは迂闊でした。 そういえば、貴方の飼い猫も居たはずだった。 姿が見えなかったのでどうやら忘れていたらしい」

「その若さで健忘症かね? 大変だな君も」

「ははっ、これは手厳しい」

「さて、このまま君の他の失敗を語りたいところだが、そろそろ教えてくれないかねゴルド君。 我々は知らぬことが多すぎる。 君のこと、古代の叡智のこと、闇の書事件のこと。 知らぬことばかりだ。 だから、是非とも”生身を持っている”君に尋ねたいと思っている。 君たちの目的や本拠地の場所、構成員の数やリンディ提督のこと。 無論、そこの出所不明のデバイスパーツのこともだ。 ああ、すぐに思いつくだけでもこれだけあるな。 さぁ、教えてくれないかねゴルド君」

「教えて差し上げても良いのですが、貴方にはどうすることもできないことです」

「ほう、それは何故かね」

「陳腐な展開ですが、まぁこういう場合大抵決まっているじゃあないですか。 貴方がここで死ぬからですよ」

 瞬間、ゴルドの身体から黄金色の魔力が吹き荒れたかと思うと高速で移動した。 グレアムは咄嗟に右に飛ぶ。 それにコンマ数秒遅れてグレアムのの左側を莫大な魔力を宿した黄金の杖が通り過ぎ、床を盛大に陥没させる。

「凄いな、君の魔力量は」

 バックステップで距離を取りながら、素直にグレアムは感嘆の声を上げた。 グレアム自身、SSランクの魔導師ではあるがその彼をして驚嘆するほどの魔力をゴルドからは感じたからである。 SSオーバーは堅い。 魔力やランクに関する書類も偽造かと、グレアムはのんきに考える。

「正直、あのヴォルク提督さえ上回っているようにも感じるな。 彼は魔力量だけなら最上位クラスのはずだが中々どうして、凄まじい」

「でしょうね。 一度だけ全力を試してみたことがあるんですが、数値は軽く超えてましたよ。 一応は最高ランクのSSSクラスをマークしています」

「ほう? で、それが一体どうかしたのかね」

「……」

 危機感さえ感じさせぬグレアムの問いに、ゴルドは一瞬眉を顰める。 それは当然だ。 今の彼の魔力量を感じ取って、何も思わない魔導師など存在しないはずだからだ。 少なくとも、今まで相対したほとんど全ての魔導師は身体を震わせ、恐怖に顔を彩っていた。 なのに、グレアムは涼しい顔のままだった。

「うむ、魔力量は凄い。 それは認めよう。 だが、それだけなのかね? 他に、君に一体”何ができる”のかね」

「――ははっ」

 ゴルドは笑う。 微笑を浮かべて。 

「例えば、そうですね。 こういうことができますよ」

 足元でミッド式の魔法陣を回転させながら、左手を眼前に突き出していく。 瞬間、溜めなしで魔力の散弾が吹き荒れた。 至近距離で広がるその弾丸を、グレアムはあらかじめ多重処理<マルチタスク>で準備しておいた水色のバリアを張って弾き飛ばす。

「なるほど、溜めが無くともかなり重い魔法を放てるわけだな? ふむふむ、それは確かにそれなりに脅威ではあるが、別段工夫があるわけでもないな。 それはただ適当に砲撃魔法を撃っているだけではないかね?」

「……」

「図星かね? まったく、なっていないな。 そんなものは魔法でさえない。 ただのままごとだ。 いいかね、ヴォルク提督の魔法言語を少しは見習いたまえよ。 魔法とは元来、ああいうもののはずではないかね。 ただ放つだけなら魔法学校の学生にだってできる。 いいや、今日びの学生の方がまだ貪欲だ。 そんな程度で魔法を誇ったりなどしない」

「ペラペラと良く喋る口だ」

 不快感を露にしながら、ゴルドは再び魔法を使う。 彼の前面に、一瞬にして黄金の剣は生成された。 スティンガーブレイド・ウォールシフト。 部屋一杯にまるで壁のように作られたそれは、やはりノーチャージで放たれる。 どのような魔導師が見ても、きっとそれを見たら馬鹿げているというだろう。 何せ、本当に溜めがない。 リンカーコアがまるで魔力を放出するという工程を忘れているのではないかと思うほどに早すぎた。

 瞬間、弾幕がグレアムを押し流す勢いでぶつかった。 それは、黄金で出来た剣の壁だ。 しかしその壁を前にしてもグレアムは微動だにしない。 冷静にバリアを張るだけに留める。

 炸裂する黄金の魔力剣。 バリアで防御したグレアムの身体に当たらなかった分が、次々と研究室の奥へと突き刺さり、壁やテーブルを粉砕して高価な機材をスクラップに変えていく。 辛うじてプリウスのパーツが補完されていたカードが入った調整槽だけが残り、それ以外はもはや銃撃でも受けたのかと思うほどに悲惨な姿を晒している。 だが、その中にあってもやはりグレアムはやはり平然としていた。

「うむ、やはり技巧は見る影も無いな。 敢えて言おうかゴルド君。 君はもしかしてアレかね? センスが絶望的に無いタイプかね」

 瓦礫が散らばった部屋の中、残念そうな顔でグレアムは言う。 その、暗に馬鹿にしたような態度にはさすがのゴルドも参ってきた。

「センスが……無い? この私が? ”SSSランクの資質を持つ”この私が言うに事欠いてセンスがないと、貴方はそう言ったのかグレアム提督!?」

「ああ、確かにそう言ったよ。 なんだ、私よりも若いのに耳も遠いのかね」

 更に気の毒そうな顔になった。 挑発を通り越して侮蔑でしかないそれを受けて、ゴルドは笑った。 笑うしかなかった。

「はは……」

「はっはっは」

 笑い声は、次々と大きくなる。 やがて、腹を抱えて笑うゴルドに合わせてグレアムもまた朗らかに笑った。

「くは、くははは。 面白い、面白いよグレアム提督。 くく、そのジョークだけで腹が捩れそうだ。 それが貴方の祖国に伝わるという紳士的なジョークという奴なのか? この局面で凄い”強がり”もあったものだ」

「いやなに、事実とは時として爆笑を提供するものだよ。 君も、いい加減認めたらどうかね?」

「はは、私が? くくく、いったい何を認めればいいのかな」

「自分は”魔力量だけの残念な魔導師だ”、とね」

「黙れ成り上がり」

 瞬間、またもゴルドは散弾を放つ。 だが、グレアムは今度は受け止めるようなことはしない。 高速移動魔法で散弾を避けると、瞬時にゴルドの眼前へと移動する。

「短気は若者の損気だよゴルド君」

「己、まだ囀るか!!」

 右手一本で上段から繰り出されてくる杖がある。 ジャベリンを纏ったその杖を、ゴルドはゴールドロッドで受け止める。 軽い手応え。 そのことに訝しい視線を送る暇が、ゴルドにはない。 いつの間にか、彼の腹にグレアムの蹴りが飛来していたからだ。

「ぬぅっ」

 突き刺さる爪先は、バリアジャケットを貫通することこそせずにゴルドの身体を吹き飛ばす。 完全に頭に血が上っていたゴルドは、衝撃に悶えながらも受身をとって前を向く。 その瞬間、ゴルドの首が中空に縫い付けられた。 グレアムのバインドだ。 容赦の無いそれは、そのまま絞め殺そうかといわんばかりにゴルドの首を圧迫する。 いや、それだけではない。 既に、彼の眼前で腰溜めに杖を構えるグレアムの姿を見た彼は、一も二も無く全力で抗った。

「ぐぅぅぉおぉぉぉ!!」

 吼えると同時にバインドを力ずくで吹き飛ばす。 だが、その速度が絶望的に遅い。 既にグレアムの”ブレイズカノン”が発射されている。 水色の閃光によってその身体が研究室の端まで飛んだ。 無論、その魔法は非殺傷設定である。 周辺の瓦礫一つ破壊せぬままゴルドだけに痛打を与えた。 実にスマートな魔法行使である。

「どうだねゴルド君。 これが”魔法”という奴だよ。 君が理解できるかどうかは知らないが、一応言っておくよ」

 ただ魔法を使うだけならばそれこそ魔法を使える者ならば誰だって出来る。 グレアムが言っているのは、一つ一つにその魔法を放つ意味が果たしてあるのかどうかということだった。 散弾、そしてスティンガーブレイド。 先の二つに果たして、どれだけの意味があったのかが見えてこない。 それを指してグレアムはセンスが無いと言っていた。

「ヴォルク提督は一見派手に立ち回るが、それでもしっかりとあの弾幕に意味を持たせ戦術として成り立たせている。 故に、あの弾幕はセンスがあるし美しい。 だが、君のそれにはまったくと言って良いほどにセンスが感じられない。 絵に描いたようなスペック頼みの力押しだ。 ははっ、私が今まで見てきた中でも君は特にセンスがない。 欠片も見当たらないな。 新人以下だよ君」

「おのれぇぇ!!」
 
 壁にめり込んだ状態で、ゴルドが吼える。 魔力放出の余波だけで壁を粉砕し、高速移動魔法で距離をつめる。

「良かろう、来たまえ」

 グレアムはそれに応じた。 再びジャベリンを形成し、遮二無二叩き付けられて来る連撃を”受け流す”。 力の流れを巧みに変え、決して受け止めずに払い続ける。 その両足は絶えず動き、床の上を滑る流水の如き滑らかさで下がっていく。 まるで床の上でスケートでもしているかのようだった。

「高速移動魔法で近づいた。 うむ、それは良い。 近づいて何かを仕掛けたいというのであれば意味があったな。 だが、君に接近戦で私をどうにかする技量が、はたして備わっていたのかな」

「はっ、意味が知りたいというのならば教えて差し上げよう」

「是非ともそうしてくれたまえ」

 涼しい顔で二コリと笑うその余裕。 それが悲痛に変わる様を狙って、ゴルドは立ち回る。 グレアムの技巧は確かに素晴らしい。 だが、それも所詮彼にとってはただの足掻きにしか見えなかった。 なぜなら、グレアムがしっかりと受け止めないのは”受け止めたくはない”からで、それ即ち魔力量の差が明確な武器になっていることの証明であるからだ。 そして、それは確かに間違いではなかった。

「逃げ場はもう無いぞグレアム!!」

 ただゴルドは杖を振り回していたわけではない。 後方に下がるグレアムを、壁の隅に押し込むべく立ち回っていたのだ。

「いやはや、本当に駄目駄目だな君は」

 しかし、それでもグレアムは強気な態度を崩さない。 むしろ失笑さえしていた。 そうして、あと一息で壁にという場所まで来て前に出た。  瞬間、杖の殴打を掻い潜り、水色の槍が飛来する。 連撃のリズムを読み、その間隙を突いたその突きがゴルドの胸を打つ。 だが、さしものグレアムのジャベリンであってもゴルドのフィールドは容易く抜けない。 抜けないが”しかし”、そのままグレアムはジャベリンのリーチを零距離から伸ばしてゴルドを強引に後方へと”押しのけていた”。

「ば、かな――」

 ゴルドは気がつけば、なんの抵抗も出来ずに床から離れ反対側の壁まで大幅に運ばれていた。 喰らった本人でさえ、理解が及ばない程自然に。

「後一歩私を追い込んでから、仕掛けていたトラップバインドで身動きを封じ、そして大技といったところかね? 地形を使おうと頭を捻るのは良いがね、しかしここまでお粗末なものはないな。 教科書そのままで捻りもない。 本当に君はランク試験を通ってそのランクにいるのかね? というか、その程度で良く空戦AAAランクの試験を通ったものだな。 もしかしてアレかね、得意の裏工作で手に入れたランクなのかね。 正直な話、魔力量は凄いが技巧は見るに耐えないな」

「……」

「ああ、それと君の感じているだろう疑問だがね。 一応は答えてあげよう。 ”空戦”をしていたなら確かに対空維持限界を超えない限りはさっきみたいな距離の取り方はできないだろう。 先ほどの君は、ただ単に強固なバリアジャケットを纏っていただけの人間だった。 ならちょっと”斜め上”に持ち上げてやれば簡単に浮いてしまう程度の非力な存在でしかなかったのだよ。 それほど驚くことではないよ。 少しばかりコツがいるがね」

 だが、果たして彼を相手に当たり前のように冷静にことを運べる人間がどれだけいるのか。 なんら面白げもなく言い切るグレアムに、ゴルド・クラウンは初めて戦慄を感じた。 全くといっていいほどに自身に対して脅威を感じていない人間が目の前にいる。 それは、つまりゴルドを超える強者にのみ許された特権だ。 そう、”ゴルド”よりグレアムの方が今現在の事実として強いのだ。 彼をやすやすと無能だと言い切れるほどに。

「さて、まだまだ気になる点はあるが別段私は君に講義がしたいというわけでもない。 ヴォルク提督なら嬉々として魔法言語での会話をするのだろうが、時間が勿体無いのでそろそろ片をつけよう。 ああ、逃げたければ逃げると良い。 ただし――」

 グレアムが後方のバインドをブラストバレットで爆破処理しながら、歩を進める。 その様が、まるで”彼女”のようにゴルドには見えた。 何をしてもどうにもならない存在。 直接相対したことこそ”彼”は無いが、それほどの存在に錯覚した。

「――逃げられればの話しだがね」

 瞬間、一際大きな音がしたかと思うと、グレアムがジャベリンの槍先を射出していた。 その槍先を、ゴルドは反射的にロッドで弾き飛ばす。 だが当然、それで終わりではない。 グレアムが攻めるために前に出る。 走るたびに床を蹴る革靴が、独特の音を奏でながら風に乗る。

――革靴の音がする。 

 突きの構えで突っ込んでくるグレアムめがけて杖を向け、砲撃を放つゴルド。 轟くは砲音。 ノーチャージの抜き打ちは、溜めさえいらぬ神速の抜きとなってグレアムを襲う。 だが、その砲撃はグレアムを捕らえない。 既に彼の身体は、疾風の如き速度で駆け回り、放った位置にはいないからだ。 それどころか、ゴルドに狙いをつけさせないように移動しながら接近していた。

――革靴の音がする。 

「くっ、何故当たらん!?」

 抜き打ちはやがて、連射に変わる。 連続して木霊する砲撃音。 杖から感じる瞬間的な反動。 それらを力ずくで押さえ込みながら、ゴルドは遮二無二砲撃を繰り出す。

――しかし、靴音の主は止まない。

 尽く黄金の閃光をすり抜けながら、ゴルドの周囲を円を描くように駆けながら迫り来るグレアム。 その顔には、いつもの人当たり良さげな笑みはない。 魔導師としての、戦場に立つときのポーカーフェイスが張り付いているだけだ。 恐怖も高揚もそこにはない。 まるで、淡々と事務仕事を処理するような程度の認識で黄金弾雨を切り抜けてくる。

「ちぃ――」

 止められない。 それを理解したゴルドは、その瞬間杖を振り下ろした。 床を叩き、魔力を爆発。 魔力の波を発生させる。 全周囲攻撃魔法『グランドウェーブ』。 地を流れる魔力の大波が、津波のように全てを押し流し叩き潰す魔法だ。 その瞬間、確かに研究室全てが黄金一色に輝いた。 

「センスがないと言ったなグレアム!! だが、センスなどもはや純然たる力の前には意味を失うと知るがいい!!」

 グレアムに逃げ場はない。 高速移動魔法であろうとも研究室内では逃げられる場所は限られている。 光に飲み込まれてくグレアムの残影に向かって、ゴルドは内心に沸いた屈辱的な思考を振り払うべく声を上げて笑った。

 しかし、それだけで落せるなどとはもはやゴルドは思わない。 二発、三発と波を発生させ周囲を根こそぎ押し流す。 瓦礫、機材、テーブルの破片が一斉に周囲に流れては潰されていく。 そのいっそ爽快な掃除現場の只中で、ゴルドの耳はその微かな音を拾っていた。

――それは、革靴の音だった。

 音はやがて近くなり、波の向こうより人影を映し出す。 瞬間、黄金の津波を突き破ってグレアムが彼の眼前に躍り出た。 

「馬鹿な!?」

「すまないねゴルド君。 私は波に乗る趣味は無いのだよ。 次元の海は好きだがね」

 そのグレアムの眼前には、円錐状のバリアがある。 通常の半円のバリア<プロテクション>の形を変形し前方に発生させ波を突き抜けたのだろう。 そもそも、広範囲系の魔法は威力が拡散する。 全てを一点に集められればグレアムとてひとたまりもないが、”拡散”しているならば話しは別だった。

 やや歪なそのバリアを解除してグレアムは己の射程圏を踏み抜く。 再び高鳴る革靴の音。 それに伴うグレアムの移動は、ただの一歩で彼我の距離を無視した。 それは、魔法でもなんでもない。 ただの踏み込みだった。 そう、理解したゴルドの胸を杖が打つ。 踏み込みの加速力と一点に集束された大魔力による魔力打撃。 フィールドで緩和したとはいえ、その威力はこのレベルになると”生半可”なものではない。

「か、はっ――」

 ゴルドの身体が、自然とくの字に曲がる。 折れ曲がったその身体を、グレアムの左拳が掬うようにアッパーカットで拾い上げた。 顎下から打ち抜くその衝撃は、脳を揺さぶりゴルドの意識を断ちに来る。 自然と、彼の中で床を踏みしめる感触が消えた。 その次に感じるのは浮遊感。 そして敵の恐ろしくも冷ややかな声だった。
 
「まだ寝るには早いだろう」 

 グレアムは手を緩めない。 全てが彼にとっては予定調和。 アッパーカットで浮き上がったゴルドの眼前で左足を軸にして旋回していた。 無防備にも晒した腹に回し蹴りを叩き込まれる。 炸裂する蹴撃とそれに乗せられた膨大な魔力がインパクトの瞬間に燐光を宿す。 瞬間、ゴルドの意識を繋ぎとめているなけなしの空気が、その途方も無い衝撃に耐え切れず肺の中から一目散に逃げ出した。

 もはやその身体には立っていられるほどの力は残されていないことは明白だが、それでもグレアムは”許さない”。 蹴りの衝撃で吹っ飛ばされたゴルドの身体がいつの間にか背後に仕掛けられていたトラップバインドで捕まえられている。 まるで罪人のように四肢を拘束された彼は倒れこむことすら”許されなかった”。

「せめて、ここまでやって魅せてから魔法を誇って欲しかったよゴルド君」

 瞬間的に溜められた魔力が、デバイスの先端よりその危険な力を解き放つ。 意識をほとんど失っている彼には、もはや抵抗することはできなかった。 放たれるブレイズカノン・ペネトレイター。 バインドごと吹き飛ばす水色の閃光に飲まれ、壁に叩きつけられたゴルド。 その身体からはもはや完全にバリアジャケットが破壊され、魔力ダメージで無様に昏倒している。 もはや、ピクリとも動かない。 そこまでキッチリ叩きのめして、初めてグレアムはいつもの柔和な表情を貼り付けながら曲がったタイを余裕を持ってまっすぐに直す。 その頃になって、ようやくそとから駆けつけて来る局員たちの声が聞こえてきた。

 ゴルドの逃亡を防ぐべくトランスポーターと次元港に張らせていたディーゼルとメリーが応援でも連れてきたのだろう。 いや、それ以前に戦闘がそれなりに派手だったせいで周囲の魔導師が確認しにきたのかもしれない。

「ふむ、丁度いいタイミングだな。 しかし、少しやりすぎたか。 年甲斐も無く”本気”になってしまったよ。 すまないね、ゴルド君。 まあ、今のは”クライド君”や”リンディ提督”の分も過分に入っているから許してくれたま――」

 瞬間、グレアムが弾かれたかのような勢いで後方へ振り返る。 そこにはプリウスのパーツが納まっているカードを手に持った、紅い髪の青年が立っていた。 どこか女顔めいた丹精なその顔には、紅の瞳が納まっている。 纏う騎士甲冑の意匠は、兜の無い全身鎧。  それにはまるで、現代社会とは相容れぬ異物感のようなモノがあった。 そんな感慨を胸に去来するのを、グレアムは止められない。 遥か過去から飛び出してきた古へからのメッセンジャー。 そんな風になんとなく思えてしまった。

「彼のお仲間……かね。 なるほど、魔法の腕はしょっぱいが、有能な部下を手配していたわけか。 そういう”センス”はあるのだな」

「……」

 青年、レイスは答えずに無言で左手を虚空へと伸ばし引き寄せる。 瞬間、その腕はゴルドの身体を虚空より引きずり出していた。 グレアムが眉を顰め、内に発生した驚愕を押し留める。 けれど、不思議なことに彼の唇からは自然とその言葉が洩れていた。

「それが”無限踏破”かね」 

 零れ落ちるその問いかけに、青年は何も答えない。 ただ、百戦錬磨のグレアムをして感じたことのない異質な魔力を放つだけだ。 それが、超魔力という代物だということをグレアムが真に理解する時間はない。 突きの構えで、いつでも動ける体制を取ったグレアムを前にした彼は軽く膝を曲げて後ろへと跳躍。 背後の壁をすり抜けるかのようにして消え去った。 まるで、亡霊のようだった。

「――」

 狸か狐にでも化かされたかのような気分だ。 その目でしかと見たグレアムをしてそういう胡散臭さを拭えないのだから、”連中”の異質さは彼が出会ってきたいくつもの犯罪組織の中でも間違いなく郡を抜いていることは間違いない。

「……妙だな」

「提督、ご無事ですか!!」

 呟いてすぐ、駆け込むようにしてディーゼルが姿を現す。 その背後には、デバイスで武装した武装隊員が数人いた。 いや、他にも途中で合流したらしいメリーの姿もある。 己のストレージデバイス『ランスロット』を待機状態であるカード形態に戻してポケットに収めながら、グレアムは静かに頷いた。

「ああ、私は無事だ。 今のところ抜かりは無い。 余りにも手応えがなかったので、作戦を変更して捕縛した上で頭の中でも覗こうかと思っていたぐらいだったが、パーツともども盗まれたよ。 男の無限踏破使いに」

「では!?」

「ああ、すぐにブリーフィングの準備を。 恐らく、最初にして最後の好機になる。 心して準備にかかってくれ」

「「「了解!!」」」

 その言葉に、ディーゼルとメリーが頷き飛び出していく。 今回に限って言えば、ヴォルク提督経由で繋いだ三提督の援助がある。 迅速にこの案件を処理するためにかなりの優遇を賜っている。 だが、しかしそれでもグレアムの胸中はざわめいていた。

(妙だ。 少しばかり、予定通りに進みすぎていやしないか?)

 撤収していく局員たちを尻目に、破壊しつくされた室内でグレアムは思う。

(”ゴルド君を捕縛し吐かせる”か、”彼を泳がせて居場所を探るか”、はたまた”仲間の手引きで逃げ出したところを追跡する”か。 想定の範囲内で納まったことは良しとしよう。 そのために敢えて挑発しながら長引かせたのだ。 当然、あのデバイスには発信機は仕掛けてある。 DPS<ディメイション・ポジショニング・システム>で連中の足跡はすぐに分かる。 だから追えることになるが――)

 その際、気づかれれば終わりだ。 無論そのために敢えてケースであるカードと本物に細工をさせて放置していたのだ。 そこまでやったのだから、案内してもらわなければ困る。 だが、それでもグレアムは引っ掛かりを覚えていた。

――無限踏破使いのあの男が、何故もっと早くに姿を現さなかったのか? と。

 タイミングがギリギリではあったが、回収に来たことは問題はない。 だが、それにしてもタイミングが絶妙であったし、グレアムに奇襲してこなかった理由が彼には皆目分からなかった。

『提督、座標が出ました』

 通信だった。 DPSを監視させていたオペレーターだ。 何かあれば急いで伝えて欲しいといっておいたので、瞬時に知らせてきてくれたのだろう。 不審に思ったことを一旦封印しながら、彼は問う。

「ふむ。 どこなのだね」

『移動した世界は”ミッドチルダ”。 現在位置は惑星ミッドチルダの双子月……ムーン1です』

「月……か。 分かった連絡ありがとう」

 次の戦場へと向かうそのために、準備を急がなければならない。 グレアムは頷き、足早にその場を立ち去った。



















 ただ黙々と、クライドはストラウス邸の玄関先で久しぶりにデバイスの点検をしていた。 といっても、分解して本格的に整備しているわけではない。 グリモアの仕事はいつだって完璧だ。 ならば、いまさらそれを確認する必要はない。 これはただ単に冷静さを保つために、自分にとって落ち着く行動を取っていただけなのだ。

 アレイスターとの謁見は終り、条件付で書の持ち出しも許可された。 その中で、結局彼が望む答えは聞けなかった。 そのことが、彼を苛立たせている。 苛立たせてしょうがなかった。

「”余は何もしていない”……か。 その癖、他にも出来る奴はいるしロストロギアもあるだと? つまり、本物か偽者かなんて魔法ぶつけて試してみないと判断できないってことかよ」

 クライドには結局、本物か偽者かなど分からなかった。 リビングデッドはオリジナルをまるごとコピーしたような存在だ。 プロジェクトF関連とは違って、完全にコピーした上で構成されている以上、クライドにはその差異を判断する手段は一つしかない。 試していない以上は、どちらが回答なのか分かるわけがなかった。 だが、だとしたら妙な話でもあった。 教会で大人しくしている間に向こう側から脅迫されなかったからである。

(しかも、仮死状態にされてると魔法プログラムが起動する裏技があるだとかも言いやがったせいで、役々よくわからない。 そこまで態々手間かけてたとして、何も具体的な行動に移っていないのは何故なんだ。 ……いや、移れない事情があったのか?)

 カグヤが見張っていることを警戒して行動しなかったのだとしたら、慎重に動いた結果だということでなんとなく納得できないこともないが、そんな余裕が”向こう”に在るのだろうか? 一刻も早くアルハザードの情報を欲しているはずなのだ。 それとも、それはクライドの勝手な思い込みで全く微塵も関係がなかったのだろうか? だがそれもフレスタのリビングデッドの件を考えれば首を傾げざるを得ない。 彼を介入させたかったから投入してきたのではないならそもそも投入する必要がないのだ。

「悩んでいるのか?」

「ザフィーラか。 まだ起きてたんだな」

「一連の事件には私も関心があるのでな。 見送りぐらいはしようかと思って来た。 それに、どうも色々と気に喰わん事件だからな。 リンディ・ハラオウンとは面識もある。 気にはなるさ」 

「そうか……ふあぁぁ」

 夜である。 欠伸をかみ殺しながら、クライドはザフィーラが投げてきた缶コーヒーのプルタブを開けた。

「コレ激甘だな」 

「甘い方が、女性陣は好きらしいからな。 疲れているならその方が良いだろう?」

「そうだな。 甘いのも悪くは無い。 俺の助手はブラックしか攻めないけどな」

「人それぞれということなのだろうさ。 それで、もうすぐ”行く”のだろう? 我らの助力はいらぬのか。 誰も断りはしないと思うが」 

「いや、今回も俺と”連れ”だけでいい。 皆の手を借りるとしたら……それ以降だよ。 少なくとも俺はそうしたい。 折角管理局と進んで揉めることもなくなったんだ。 俺があいつを蒐集したら、連中お前らにもアレルギー反応起しそうだろ? それはちょっと……いや、かなり面白くない」

「そうか」

 態々無害化されたということを教えたのに、その悪名を轟かせた行動をしようと企んでいるのだ。 今守護騎士を自分と共に動かせば、余計な騒動にも発展しかねないとクライドは危惧していた。 ヴィータは降りてきてはいても、直接何かを起してもいないしグラシアの目が合ったベルカ自治区内をメインに動いていたおかげでお目こぼしを貰っていた。 リインに関してはただのフリーランサーという情報しか無いはずだ。 裏側はそうでなくても、表はそれで良いと思う。 態々恐れられ、嫌われるような真似をさせるわけにはいかない。 もはや彼女たちは、誰の道具でもないのだから。

「まぁ、だけどそれは多分今回で終るよ。 この次だザフィーラ。 面倒くさいことを考えずにさ、俺が皆の力を借りなきゃいけないだろうって思う局面は必ず来るはずだ。 だから、それまで待っててくれ。 なんとなく思うんだが、それはかなり近いような気がするんだ。 その時は頼むぜ。 皆の力、当てにさせて貰いたい」

「了解した。 それまでは予定を空けて置こう」

 コーヒーをグイッと仰ぎ、一気に飲み干すとクライドは再び無言になる。 ザフィーラはその沈黙の中、ただ隣で黙って言葉を待った。

「なぁ、もしあいつが死んでたら俺はどうすれば良いと思う?」 

「……」

「キレたらいいのか? アルハザード側の連中と一緒に滅茶苦茶に暴れればいいのか? それとも、今回の件から手を引いて何もせずに不貞寝したらいいのかな」

 空を仰ぎながら、淡々とクライドは彼に尋ねる。 敢えて、”仇”を取るとは言わないクライドの本心はザフィーラには分からなかったが、失う恐怖が如実にクライドを襲っていることだけは理解できた。

「怖いのか?」

「ああ怖い」

 カグヤを怒らせて斬られるよりも、シグナムに挑戦してコテンパンにされるよりも、グレアムに殴られることよりも怖かった。 人の命にやり直しなど効きはしない。 仮に本物がもう居なくて、偽者<データ>だけが残るだけになってしまっていたのならと、そう考えるとどうしようもなく怖かったのだ。

「あいつのデータだけを助けたって意味が無い。 そもそも、それは助けたって言えないしな。 ようやく、本当の意味で始まったかと思ったのに……始まる前に終ってたとかになってたら最悪だろ」

「……」

「助け出したときにさ、答えが出せたんだ。 寝てるあいつの顔を見て、無茶苦茶嬉しかった。 無事で居てくれて、心底よかったってさ。 そう思って、だったらその感情はなんだって考えたら答えはすぐに出たんだ。 前よりもはっきり、ずっと明確にだぞ? んで、牢屋の中で告白までやらかしてオッケー貰ったかと思えばコレだ。 あいつは俺にとって夢やら幻なのかっつーの」

「……」

「なぁ、ザフィーラ。 お前は、恋ってしたことあるか? 俺は多分、本気になったのはこれが始めてだ。 ずっと前に、学生時代に一度だけ片思いぐらいはしたことはあったけど、結局行動しようなんて思えるほどじゃあなかった」

 結局、その頃は自分のことで精一杯だった。 だからそれは独りよがりの初恋だった。 でも、そんな自分がいつの間にやら本気の恋をしたらしい。 そう理解できれば、クライドはもういてもたっても居られない。

「でも今はなんかこう、前に進まないといけないって感じだ。 訳が分かんないかもしれないけど、そういう感じなんだよ今はさ」

「だったら、先の問いの答えは決まっているのではないか? そこまで分かっているのだとしたら、何も考える必要は無いだろう」

「突っ走れって?」

「ああ。 恐怖を希望にすり替えて、我武者羅にやってみればよかろう。 成すべき事を成せば、結果は後からついてくるものだ。 良いも悪いも、そもそも行動しなければ語れまい。 現状維持ではどうにもならない。 ならば、ただ己の足で、今を駆けるしかないのだ。 魔法の奇跡が我らを死の先へと誘ってくれている。 その恩恵がある間は、そうするしかあるまい」

 怖がっても現実は変わらない。 ならば、そんな暇などないのだとザフィーラは言う。 クライドは横で頷きながら、そんな当たり前のことを確認した。 いつだって、どんなときだってただ前に進むしかないのだと。 

「言葉遊びかもしれぬ。 だが、その様子だとすこしはマシになったようだな」

「愚痴って吐き出せばさ、人間少しは楽になるってことなんだろ」

「腹を括ったか」

「そうなるんだろうな。 最後まで本当の意味で決着つけないと、この先ずっと後悔することになるかもしれない。 そんなのは御免だ。 もう、絶対に御免だ」

 外に出していたデバイスたちを収納すると、クライドはようやく立ち上がった。 その背後から、大事な話とやらをしていたストラウスとペルデュラボーたちがやって来ている。 もう、時間だった。

「もういいのか?」

「ええ。 貴方の方こそ、準備はいいのねクライド君」

「忘れ物はないよ。 大事なもんはペルデュラボーが持ってるしな」

「うん、安心してくれていいよ。 ”僕”もそれなりに強いから足手纏いにはならないよ」 

「んー、貴方の場合は”暴れすぎないように”注意して欲しいわね」

 夜天の書を持っているペルデュラボーに視線を向けながら、彼女は苦笑を浮かべていた。 アレイスターは書を持ち出すことをクライドに禁止した。 しかし、ペルデュラボーが持ち出すことに関しては許可を出していた。 ”スカウトマン”である彼の実力はクライドにとっては未知数だったが、注意するストラウスを見ているとどうやらかなり強いらしいということだけは理解できる。 ならば、”アルハザードの民”の力を疑う必要はない。

「大丈夫さ。 やりすぎないようにするし、邪魔者にはちょっとだけ眠っていてもらうだけだからね」

「ならいいのだけど」

 苦笑いする彼女と、ペルデュラボーの視線が交差する。 と、その時更に後ろから更に五人ほどが姿を現した。 ここには居ないシャマルを除く、クライドの仲間たちだった。

「くれぐれも気をつけろ。 私との特訓の成果を見せてやれ」

「クライドの旦那は危なっかしいからなぁ。 そっちのツレの人の足引っ張るなよぉぉ」

「おい、俺が足引っ張るの前提かよアギト」

「そりゃそうだろ。 文句なしにお前が強かったら二人が心配したりしねぇよ」 

「……何故だ。 それなりに強くなったはずなのに、何故ヴィータの中では俺の評価が変わらない」

「ふふっ、これでも心配してはいるのだ。 そう言ってやらないでくれ元主」

 ザフィーラがフォローの入るが、『しらねーよっ』とばかりにヴィータは顔をプイッと背ける。 いつもの年齢設定に戻っているせいで、妙に可愛らしいアクションだ。 それを見たクライドの口元を、自然と緩ませる程に。

 彼らは、仲間だ。 夜天の書という”ロストロギア”が運んできた、不可解な縁で繋がった仲間である。 これに、今は外しているリインやカグヤが集まれば噂のシュナイゼルなどどうとでもできるような気がしてくるから不思議だった。 信頼、なのだろうか? 自分の中にある安堵感の正体は。 そう思うと、クライドは少しくすぐったい気分になった。

「それじゃあ、出発しようかクライド君」

「おう」

 白衣を翻しながら、転移のために皆から離れる。 術者はクライドでも融合しているミニモアでもなく、本の友ペルデュラボー。 魔導師ではなく”魔術師”と名乗る少年だ。 驚くべきことに彼は、アルハザードからヴァルハラまでクライドを転移させている。 それだけでも、非凡な力が伺えるためクライドは彼の力も信頼していた。 また、ストラウスもそうだ。 彼女はリンディの居場所を掴んでおり、嫌に正確な情報をクライドに提供していた。 ミッドガルズを経由した、フリーランサーたちの情報網だろうことは明白だが、お膳立てされている以上失敗するつもりは微塵もない。

「行って来る」

 振り返り、手を挙げた瞬間、クライドとペルデュラボーの姿が皆から消えた。

「……行ったな」

「大丈夫かなぁ旦那」

「心配する必要ねーだろ。 あいつもアタシらと同じだし、妙な力も持ってるしな」

「それに機動砲精とやらの加護もある。 手を貸してくれと言って来るまでは、見守るだけで良いだろう」

 ザフィーラが言うと、シグナムたちは軽く頷きそれぞれ自分の部屋へと戻っていった。 

「あら、貴方は戻らないの?」

「しばらく、空でも見ているさ」

「そう。 じゃあ、もうしばらくしたらここにカグヤちゃんのお弟子さんがくるから、適当な部屋に案内してあげて。 カグヤちゃんが戻ってくるまでは、居てもらう方がいいでしょうから」

「それは構わないが……相変わらず驚かせてくれる。 本当に未来が見えているのか?」

「まさか。 私は未来なんて分からないわ。 私に分かるのは集積された”今”と”過去”だけ。 未来予測はできるけどね――ってそうだわ。 昼間にヴィータちゃんと遊んでいたせいで明日の会議の書類がまだ残ってたのよ。 ごめんなさいね、そういうわけだから後はお願い」

「了解だ」

 邸宅に急ぎ足で戻って行く彼女の足音を背中で聞きながら、ザフィーラは空を見上げた。 決戦の時は近い。 そのことを、他の騎士たちも分かっているのだろう。 皆、それぞれ自分の力が必要とされるその時に備えている。 

 祈る程度では変わらない。 行動しなければどうにもならない。 だが、彼女に関しては男の矜持という奴が関わってくることがザフィーラにはよく分かっていた。 自分の手で女を助けたいという、どうしようもない男の欲求だ。 力と、そして最低限の協力者がいる。 だから、これが上手く行けばクライド・ハーヴェイはある程度自らに枷を嵌めることなく行動するだろう。 全ては、それから。

「願わくば、『こんなはずじゃなかった』などと思わぬ優しい世界であって欲しいものだな」

 答えぬ空に呟きながら、ザフィーラは二人の無事を静かに祈った。














 目を血走らせるようにしながら、怒涛の如き勢いでミーア・スクライアは作業をしていた。 ブツブツと文句を言いながらデータの羅列を追っているのは、全てあの女のせいである。 就寝前にいきなり呼び出されたかと思えば、手伝えという。 報酬は、無限書庫の全データだというから来てみればカグヤとリインの手伝いをさせられている。 

「さすがはスクライア一族。 情報処理に関しては手馴れたモノね」

「ようやく私の有能さに気がつくなんて、一世紀は遅いよ襟首女」

「あら、その頃には貴女は生まれていないのだからしょうがないでしょう」

「あー、何その態度。 せっかく手伝ってあげてるのになぁ」

 これみよがしにニシシっとばかりに笑うその少女は、未だかつて無いほどにビッグな態度で臨んでいる。 頼られているという弱みに付け込み、日ごろの敗残記録のストップを目論んでいるご様子なのだ。

「あー、なんだか肩が疲れてきちゃったなぁ。 作業継続のためにも、ここは誰かさんが肩たたきとかしてくれると嬉しいのになぁ」

 チラッチラッと目配せが飛んでくる。 どこか期待するようなその視線に、ため息交じりでカグヤは応じた。

「しょうがないわね」

「えー、悪いなぁ。 でも襟首女がどうしてもそうしたいっていうなら私としても断ることはできないかな。 ねぇー、リインフォースさん」

 勝った!! などと内心で万歳していたミーアである。 苦節十数年。 遂に妖怪をギャフンと言わせられる瞬間が来たのだ。 ミーアにしては遅すぎた一歩であるが、この一歩は大きい。 これからのためにも、この千載一遇のチャンスをモノにできるかどうかで人生の潤いが変わってくるはずなのだからしょうがない。 無論、仕事には手は抜かない。 そもそも、カグヤやリインが束になってもどうにもできないほどの圧倒的な性能差をこの分野では持っているのだ。 日ごろから培われてきたその力こそ、研鑽の証。 戦闘能力などという野蛮なものよりも日常生活で活用できるスキルなのである。

「リイン、ご使命よ」

「……え?」

 だが、その目論見は見事に避けられた。 無言でリインは席を立つと、ミーアの背後にスタンバイ。 優しく丁寧に肩揉みを開始する。

「え、E、エ? なんでリインフォースさんがするの? ていうか、何故当然のようにあの女の言葉に従ってるの!? あー、でも気持ちいい……って、そうじゃない、そうじゃないでしょ!! なんなのこの一連の流れ!! 今のはどう考えても襟首女の仕事でしょ!!」

 うがーっである。 コンソールを叩き壊しそうな勢いでミーアが立った。 胸元に揺れるレイジングハートは、やれやれとばかりに明滅する。 いつものことであったが、さすがのインテリジェントデバイスもその様には呆れるしかない。

「だって、私は忙しいもの」

「リインさんだって忙しいよ!! あ、そこ気持ちいい……」

 立ち上がった勢いが、急速に奪われていく。

「うわぁ……なにこれ、駄目だよ。 このままだと私、リインさんに骨抜きにされちゃう」

『骨抜きは言いすぎだと思うが、気持ちよかったなら良かった』

『ふあぁぁ、リインさん癒し系だったんだね。 嗚呼、このまま眠ってしまいたいよぉ』

 何故か念話での会話に移行した。 この快楽を天敵に教えてやる義理はないので丁度良かったのだが、ミーアとしても気にはなった。 ただ、カグヤにはリインの爪の垢でも煎じて飲ませるべきだと考えるのは忘れなかった。

『眠るのは勘弁してくれ。 それに、実は少し彼女には内緒で頼みたいこともある』

『いいよ。 リインさんにはお世話になってるしね』

 日頃の依頼でのこともある。 カグヤの依頼などよりもよほど張り合いがある相手だ。 自分の調べ物もあったのだが、一つぐらい増えたところで変わりはしない。 感応制御型の高速インターフェースの板に手を触れながらマルチタスクでの仕事をこなす。 処理能力だけで言えば、何も問題はない。 ここにアギトが居れば更に能率はアップするのだが、いない以上はしょうがない。 その代わりレイジングハートの極めて優秀なスペックを全力で開放するだけだ。

『エレナ・ナイトスカイという人物についての情報を頼む。 もしかしたら、ここにあるかもしれない』

『はーい。 あ、もうちょっと右がいいかも。 ひゃっ、そう、そこそこ……』

 思わず悩ましい吐息を吐き出しそうになりながら、ミーアは作業を進めていく。 データの海には呆れるほどの情報が眠っている。 そこから、目当てのデータを探すのは面倒ではあるものの苦ではない。 なぜならば、これは発掘作業と同じだからだ。

 古代の遺跡のデータベースなどに触れる機会など何度もあった。 それと同じだと思えば苦痛はない。 それどころか、未知のなる情報が暴かれるかもしれないというその好奇心が、絶大なるモチベーションとなってミーアの身体を突き動かす。

 無限書庫。 どこの誰が作ったのかもわからない超巨大書庫。 情報源が未知数な上、割りと曖昧な記述も多い。 彼女やキールからすればド素人の作ったようなデータベース。 使い勝手は最悪で、そもそも管理する者さえいなかった。 だというのに、その中枢が遂に見つかって自分の眼前に全てのデータを曝け出している。 笑いが止まらないとはこのことである。 例えカグヤのお手伝いのついでだとしても、それこそ問題にはならない。

(エレナ・ナイトスカイ発見!! おおっ、夜天の領主の人で……夜天の書の持ち主。 姉はシリウスで剣聖? ……シリウス? あれ? どこかで聞いたことのある名前のような……)

 ミーアがふとカグヤを見る。 そして、レイジングハートに刻まれたデータも参照。 ついでに、AIにも聞いてみる。 すると、『想像の通りです』なる回答が帰ってくる。 レイジングハートは嘘を吐かない。 ただただ答え、沈黙するのみ。

『どうだろう。 見つかりそうか?』

『え? あ……うん。 あったよ。 えーと、とりあえず渡しとくね』

 乾いた笑顔を貼り付けたまま、リインが座っていた端末にデータを送る。 

『すまない、恩にきる』

『リインさんなら別にいいけど、でもなんでその人のことを調べてるの?』

『昔の、記憶を失う前の私だからだ』

『……ふぇ?』

 今度こそ、ミーアの我慢が許容量を越えた。

「うぇぇぇぇぇ!?」

 絶叫を上げ、またもや席を飛び上がる。

「うるさいわね。 きちんと仕事をしているの?」

「し、してるわよ。 ただ、ちょっと信じられない話があって動揺してるだけだもん!!」

「ふぅん。 まぁ、確かに色々と”眠っている”みたいだけど……」


――そう言うな。 シリウス。 

 チャットのようなウィンドウの中、文字が一人でに踊る。 タイプされてはリロードを繰り返す文字列。 それを書いている相手は、『トール』と言うAIだ。 かつてクライドがインストールしたプラグインにより闇の書にインストールされた存在にしてジルの尖兵であり、シュナイゼルの拠点探しを名目にしながらアルシェ捜索とクライドの監視を行っていた存在である。

――で、貴方の仕事はどこまで進んでいるの。

 カグヤはインターフェースを用い、文字を打ち込む。 対話方式は古めかしいが、しかしてそれでも十分に意思の疎通はできる。 これもまた、ジルの趣味だろうと気にもせずに先を促す。

――ここでの君たちの戦いのおかげで送信用の道が開いた。 恐らくは、貴公の戦闘データの解析用か何かだろう。 辛うじて送りこめた私のコピーがある。 だが、余り期待はするな。 アルシェの手が入っているせいで、やたらと時間がかかったのだ。 セキュリティの強度によっては手が出せずにウィルスとして駆除される可能性もある。

――分かった、戦力としての期待はしないでおくわ。 それであと二つの場所は分かっているの?

――判明はしている。 ここにも何故かデータとしても残されているがどうにも解せん。

――場所は?

――惑星ミッドチルダの双子月だよ。 どちらも廃棄都市にある。 灯台下暗しという奴だったようだ。

――呆れた、どんな辺境に隠しているかと思えばそんなところに? ……ということは、次元戦争時代の月陥落の話は偽装?

――実際に攻撃は受けたが、敵勢力は撃破したとされていたがそうだった可能性はある。 誰もが宇宙から次元世界へと目線を変えていた時代だ。 それは、我々も同じだった。

――まぁ、いいわ。 行けばいいだけだしね。 ……リンディ・ハラオウンについては何か知ってる?

――あの超魔力兵器の素体候補か。 それなら月に運ばれたらしい。

――1? それとも2?

――1だな。 ただし、今現在管理局のギル・グレアム提督が艦隊を編成して攻撃準備に入っている。 異例の処置だよ。 少々、”死人狩り”のせいでごたついてもいるが、明日の昼までには出るだろう。

――そう……なら、遅刻しないようにしなければね。 どうする、貴方も来る? クライドも多分来るわよ

――……止めておこう。 私は彼を裏切った身だ。 彼もいい顔はすまい。

 時の庭園でトールは逃げ場を模索していたクライドに話を持ちかけ、一生を奪い去る提案をした。 絶対領域を生成するためのコアプログラムとして。 どうやら、その道は頓挫したらしいことは伺えたが、それでもやはり抵抗がトールにもあった。

――随分と殊勝な態度ね。

――歳の離れた弟のようなものだからな。 弟に気を使うのは兄の仕事だ。

――ふぅん。 まぁ、いいわ。

――それよりも、気になる計画がいくつか動いている。 そちらの方に留意しておけ。 可能な限り収集したデータをそちらにデバイスに送るが、一応こちらでも見ていけ。


 いつかカグヤがたどり着くことを予想してのことだった。 空間モニターが複数展開され、同時にデバイスにデータが送られてくる。

――用意のいいこと。

――仕事が終われば、君の手伝いをするように命じられていたからな。 彼にとっては贖罪の意味もあったのだろう。 ジル・アブソリュートと君では立場が違う。 それが分かっていながら、彼は動いてきた。 君に黙秘したままで。

――水臭いというか、ジルらしいというか……呆れてものも言えないわ。 おかげで私は随分と遠回りをさせられたようだし。

――それについては代わりに謝罪する以外にはないな。 指し当たっては、注意事項の一つだ。

 モニターの一つが拡大され、表示される。

――プロジェクトL?

――人工的にリミットブレイカーを製造する計画だ。 君のクローンから生まれるかどうかの研究だったようだが、頓挫した。 最終的には可能な限りの強化を施すことで同レベルの存在を生み出すという方向で模索されていた。 かつての古代ベルカでの聖王開発技術を参考にして模倣し、更にはそれだけでは飽き足らずに君のレアスキルのコピーにも腐心していたらしい。 そのせいで、一人だけではあるが近年モノになった固体がある。 既に、君の前に姿を現しているはずだ。

――ああ、居たわね。 私を身内だと勘違いしている坊やが。

――遺伝子上では、君の息子になるらしい。 名前はレイス・インサイト。 母親は君のクローンで父親は騎士レ――、

――言わなくても分かるわ。 どうせ、血による継承発現を考慮にしているのでしょう? なら確率を上げるために誰を使うか想像できるわ。

――……そのようだな。 連中は君を余すことなく研究している。 君が限界突破者の唯一のサンプルだといわんばかりにだ。 君の歴代の戦闘記録が事細かに分析されている。

――薄気味悪い話ね。

――とはいえ所詮は君の敵ではない。 仮に連中が本物に限りなくそっくりな偽者を作り上げたとしても限界突破者ではない以上は問題はない。 問題なのは、そんな程度の存在を倒したところで君が心から喜べるような勝利がもはや”無い”ということだ。

――貴方もそう言うのね。 カノンも、さっきの女も口にしていたわ。

――機動砲精もか? なるほど、ならば私の危惧もあながち外れてはいないのだろうな。

――皆焦らしてばかりで教えてくれないのだけど、貴方はどうかしら?

――望むのであれば答えよう。 私は、君の味方をするように命令を受けているのだから。

 トールはカノンでもフィーアでもない。 故に、口に出すことに戸惑いはない。 シリウスが勝つことは彼の中で決定事項だ。 ”どの視点”から考えてもその考察に不備はない。 しかして、望む勝利だけは得られないこともまた推察できていた。 だが、それでもそれは彼女が勝ち取れる勝利である。 選ぶのは彼女であってトールではない。 今ここで聞いて参戦拒否したとしてもトールには関係が無い。 その時は管理世界が滅びるだけだ。 そんなことはどうでもいいので、トールは言うのだ。

――実に簡単な話だ。 君に”過去をやり直す力”はない。 故に、”既に勝利している者に敗北を刻むことができない”のだ。

――勝利、している? 待ちなさい。 私はまだ負けてなんて――

――戦術レベルで君が負けることはない。 君は目の前の敵ならば君以上の理不尽と相対しない限り負けはしない。 そういう運命にある存在だと言っても良いだろう。 しかし、戦略の上で君は既に負けているのだ。 言うなればこれは、君とシュナイゼルの勝利条件の違いでしかない。

――……。

――君の勝利条件は単純明快だ。 死霊秘宝を全て回収、及び破壊してシュナイゼルという存在をこの次元世界から抹殺すること。 だが、そうだな。 奴の目的を仮に魔導王になることとしようか。 この場合、シュナイゼル抹殺を掲げる君と魔導王になるという勝利条件はかみ合わない。 何故って? 別に君に勝つ必要性はどこにもないからだ。 いいや、それどころかこれならばアルハザード側に勝つ必要さえない。

 目標の相違だ。 相手に勝つとか負けるとかそんなレベルの話ではない。 それならば、自らの目的を達成するかしないかだけがシュナイゼルの勝利条件になる。 ただ、それだけのことなのだ。

――スポーツならば勝つか負けるかの二択。 しかして、これはスポーツでもなければ殺し合いでもない。 実際の所、『アルハザードに勝つ』、『魔導王になる』などというのはただの狂言なのかもしれない。 君たちの目を欺くためだけのな。

――すると何? 私は戦いもせずに負けたということ?

――そうなるだろう。 つまり、彼らは君と戦っていないのだ。 下手をすると、”敵”とさえ認識されていなかったのかもしれない。 先ほどの戦闘は観戦させてもらったが、フィーア・アクセルが言っていたな。 君が奴の勝利に華を添えると。 なるほど、アレが本当のことを話していたとするならば納得もいく。 構図は読めたよ。 奴はとんだペテン師だ。 奴は我々に最終目標を悟らせずに既に”終わらせたのだ”。 そうして、今頃は君の困惑を肴に勝利の美酒を味わっているというわけだ。 計画の”後片付け”をしながら、な。

――奴の勝利条件は……何?

――今、君が考えた通りだろう。 ”新暦”だよシリウス。 管理世界の始まりこそ彼の悲願だったということだろう。 それ以外は私には推察できない。 君もきっとそうだろう?

 旧暦から新暦へ。 その流れはつまるところ、時空管理局の創設と現在の管理社会の到来。 それ以外では、表立って特に何かがあったというわけでもない。 ならば、”なるほど”最終目的と過程を摩り替えることでアルハザード側を騙しきり目標を達成できるかもしれない。 何せ、過程が目標だ。 偽りの目標を潰しにかかってもその過程はスルーしてしまうこともある。 現に、存在を抹殺しようとしかしていなかったシリウスは”時空管理局創設”について首謀者たちを探ったことはあっても”妨害工作”を行ったことはない。

――ありえない。 なら、アレイスターが何故阻まなかったのよ?

――彼も”騙されていた”。 それだけのことだろう。

 その言葉に、カグヤはガツンとハンマーで頭を殴られたような衝撃を受ける。 あのアルハザードの支配者でさえも騙されていた? そんなことがあるのか? なまじ信じられない事実だけに、脳が理解を拒否する。 しかし、そうだ。 これもまたカノンが言っていたはずなのだ。 アルハザードも勝てないかもしれないと。 そのときの推察がコレを予期していたものであったなら、何故機動砲精やトールが気づけたのか?

――彼が分からないものが何故貴方たちに読めたのよ。

――奴のレアスキルは人間には効くらしいが、生憎と機械知性体や模造知性とか言われるAIの私には効かない。 もしかしたら、その差かもしれないが……まぁ、奴が騙した手段を論じる必要性はここではない。 今ここで問題なのは、勝利の先にある彼らの目的だ。 当然だが、今の推察には一つだけ穴がある。

――アルハザードね?

――その通りだ。 気づいた頃にはもう奴の勝利は動かない。 だが、しかして究極的にはアルハザードもまた奴の勝利条件とは違う勝利条件を持っている。 故に、その後でぶつかる。 管理社会を作ることだけが目的と仮定するならばアルハザードの有無は問題ではない。 しかし、在続させようとするならば労力は桁違いに跳ね上がる。 当然だな。 計略に気づけばアレイスターは当然としてアルハザードも黙ってはいない。 連中が奴の好きになどさせるものか。 だからここで、『君』の出番が来るわけだ。

 ここまでくれば、カグヤにも意図は読める。 管理社会在続のための駒が必要になる。 そして、都合が良いことに今のカグヤはそのための権利を取得している。 それも、アレイスターから直々に。 元来、それはジルとカグヤに押し付けられた仕事のようなものだったが、しかしてその意味が今になって生きてくるとは皮肉な話だ。

(ジルや私がシュナイゼル対策の要というわけではないけれど、私たちが終わらせれば後は余計な追撃はしないように留意”してくれる”という話だったわ。 つまり――)

――つまり、私の存在意義は奴を倒すことで管理社会を在続させる”切り札”ってことね。

――そうなるだろうな。 これならば君の勝利が奴の勝利に華を添える。 管理世界の構築、そしてその後のアルハザード側の攻撃も抑えられる。 他のモノはともかくとして、ここまでやられればアレイスターは笑ってそれを許すだろう。 君やジルの性格、そしてアレイスターの性格さえも利用し読みきった上に作り上げたこの構図は、恐ろしいほどに完璧だ。 既に奴の勝負は完結している。 これはもう、君にもアルハザードにも覆しようが無い。 更に奴はイレギュラーである”彼”をも計画に取り込み磐石なものとしてみせた。

――彼……ね。

――そのためのリンディ・ハラオウンだよ。 彼は彼女を助けるために右往左往するドンキホーテさ。 アレイスターの目を楽しませるデコイでもあるな。 ここに来て、超魔力でアルハザードを自ら攻撃する計画まで用意している。 これは意思表示だ。 つまるところ、心理的には管理世界が在続しようがしなかろうがどうでも良いというな。 管理世界の成就が目的であり、その後は別にどうなっても知らんということだ。 守るならば、不可能を可能にして見せなければならないがその必要を放棄すればそんなことは考えなくてもすんでしまう。 管理世界が君のおかげで残れば高笑いを決め込み、滅ぼされても気づくのに遅れたこちらを地獄の底で嘲笑ってやるという悪辣な悪戯だ。 これで最終的には勝利を手にしたまま消えられる。 結果として奴の勝利は揺るがない。

 だから、シュナイゼルの駒であるフィーア・アクセルは打ち切りでも構わないと言ったのだろう。 既に彼らの中で大勢は決しているのだから。 通常の生き物であれば、死や敗北を恐れるものだが連中は死人。 生きてさえいないのだから命乞いをする必要さえもない。 となれば、かねてより推察していたオリジナルなどもはやどこにも存在しないのかもしれない。

 カグヤは瞳を閉じ、目頭を抑えた。 眩暈のようなもののせいで、一瞬世界から平衡感覚が消えたように錯覚さえしたのだ。 噛み締められた奥歯が砕けるのではないかとばかりギリリと鳴った。 怒りを通り越して脱力感さえしてくる程だった。

 構図から考えれば、カグヤはもう動けない。 動いてはならない。 何故ならば、カグヤの勝利こそ敵最も望むこと。 事実、そのように望まれている。 ここの司書を名乗るフィーア・アクセルに。 そして、そのダメ押しとして二度も”レイヴァン”を手にかけさせられた。 意識のある彼を。 かつて焦がれたあの男を。

 そうまでしたのは、”彼女”に勝たせたいからなのだ。 だとしたら、カグヤはもう戦えない。 敵に最大の戦果を与えるために剣を取ることはできない。 今できる抵抗手段とは、即ち何もしないことだけだ。 最高の戦果を与えない代わりに、最低の戦果にしてやる程度。 ただし、それもまた彼女に葛藤をもたらす選択には違い無い。

 シュナイゼル抹殺こそ彼女の悲願であり、終わらせるためのその戦いは彼女が自らに課した使命である。 そのために生き恥を晒したまま生きてきたのだ。 だというのに、戦わずして負けが確定した。 いや、厳密にいえばカグヤの勝利とシュナイゼル側の勝利が噛み合ってしまっただけだ。 終わらせることが目的だというのなら、勝ってしまえばそれだけで終わる。 今までどおり、敵とさえみなされずに潰して周れば良いだけだ。 だが、それを迷わずに受諾することが心理的にカグヤにはできそうもない。

 けれど、そうなった場合のことも考えられているのが余計に腹立たしい。 止めれば彼女の代わりをドンキホーテが担うのだ。 ジルの代わりのような位置にいつの間にか滑り込んだクライド・ハーヴェイ。 アレイスターを楽しませる彼がシュナイゼルを排除すれば、アレイスターは楽しませた褒美として管理世界の在続を黙認するかもしれない。 そこで、もう一つ気づきたくないことにカグヤは気づいてしまった。

(私が、私の存在がリンディ・ハラオウンを巻き込ませる片棒を担いでしまった?)

 彼はカグヤにとって餌であるが紛れも無い協力者。 その存在はジルが待ち望んだイレギュラーではあるものの、今ではもうカグヤの勢力としての資格がある。 そんな彼ならば、カグヤがここで降りても代わりになるかもしれない。 故に、だからこそのリンディ・ハラオウンでもあるのだろう。 彼女がいる限りクライドは介入し続ける。 機動砲精と夜天の魔導書、そしてアルハザードとの繋がりが今では彼の力として顕在化している。 連中が保険として巻き込んだわけである。

 無論、カグヤとクライドが失敗してもやはり問題はないのだろう。 最高は在続で、最低限の勝利は既に得ている。 だから、保険といっても彼は予備でしかないが、それでもより高確率で最高のエンディングを迎えるために取り込まれてしまったのだ。

 ならば、心理的にどれだけ抵抗があってもカグヤは離脱することができない。 巻き込んだ責任を取らなければならない。 全てをクライドに投げ出して、楽になることは何よりも彼女自身が許せないからだ。 故に、もう駄目だった。 逃げ出せず降りられず、ただ敵の掌で踊らされる未来しか眼前には存在しない今、生まれて初めて彼女は敗北感を彼らによって刻まれた。 屈辱の極みだった。 頭がどうにかなってしまいそうなほどのこの恥辱。 表面ではともかく内心が冷め切っている彼女をして理性の箍が外れそうになるのを抑えるので精一杯な程である。

――トール、何故貴方は私にこれを話したのかしら。

 彼が言わなければ、何も知らずにキリングマシンのように剣を抜きいつものように終わらせられた。 カノンが言わないわけである。 この事実はカグヤにとって毒でしかない。 口を閉ざしたのは、彼女なりの不器用な優しさだったのだ。

――君が尋ねたからだ。 その選択の責任は君にある。 自爆しようが後悔しようがそれは私の知ったことではない。

――冷たいわね。

――私は生憎とレイジングハートやカノンのように人間に配慮するような感情的なプログラムは持ち合わせては居ないのでな。 ただただ合理的に振舞うことしかできない。

――合理的、ね。 私に敗北宣言を突きつけて、それはないわ。

――いいや、これは必要な儀式だよシリウス。 アルカンシェルやカノンは言わないだろうが、ジル・アブソリュートなら言う。 間違いなく言う。 『勝てシリウス』とな。

――矛盾してるわよトール。 勝ちと負けがイコールだわ。 勝てば奴が喜ぶ。 負けても勝たれて終わるだけ。 これではもう、私の剣は届かないも同然よ。 さすがに時間を遡って奴を斬ることは私にだってできないものね。 しかも私はもう降りられない。 どうしろというのよ。

 椅子の背もたれに身体を預けたまま、焦点を失った紅眼をそのままに天井を見上げる。 深いため息と同時に、今までの苦労を無にする結果が無気力感となって身体全体に広がっていく。 認めたくなくても、認めてしまうより他に無い。 死人として生きてきた人生が、ただの無価値な物に成り下がる苦痛によって。

 意味の無いことを続けられる人間はいない。 彼女の中に生じた疑念は、それと同様のものである。 勝っても負けても同じであるならどちらも等しい価値しか持ち合わせない。 ならばきっと、それは無意味と断じられてしかるべきもので、そんなもののために剣は振るえない。 振るいたくもない。 

 モニターがつらつらと文字が流れていくが、それだってもうどうでも良くなってくる。 何がソードダンサーだ。 何が剣聖だ。 何が限界突破者だ。 そんな大層な肩書きがあったとしても、眼前に望める勝利は無い。 最も必要な時に勝利できない存在に、果たしてどんな意味があるのか。 自嘲の言葉を吐かずとも、歪んだ口元は自分の今までを否定しようとする思考が止まらない。 

(ベルカは奪われ、エレナもレイヴァンも死んだ。 残っている私の価値なんて後始末以外には何も無かったというのに、それさえもままならないなんてなんて無様な……)

 とめどなく溢れてくる屈辱と恥辱の感情で、彼女の胸の中が一杯だ。 武力が無為にされたのだとしたら、カグヤなどはただ強いだけの魔力の塊に他ならない。 そもそも、魔法プログラム体としての生に求めたのは終焉だ。 終わらすためだけの、救いようのない義務の剣。 その双肩に勝手に『シュナイゼル被害者の会』の代表を背負っていたに過ぎない。 誰にも頼まれていないことを、自らの使命として成そうとした哀れな道化。 それがつまるところ、彼女に相応しい肩書きか。

 クライドがシュナイゼルの舞台に迷い込んできた偶然の迷子であり予備ならば、それこそ本命である彼女もまたドンキホーテ<滑稽な英雄>だ。 別に彼女は英雄になりたかったわけでは断じてない。 ただ、彼女はシュナイゼルが許せなかっただけなのだ。 だというのに、たったそれだけのことさえできない。 その事実が、酷く彼女の気力を奪う。 初めてだった、”勝てない”と理解させられたのは。 

――腑抜けるのはまだ早いぞシリウス。

 空間モニターが、ぼんやりと天井を見ていたシリウスの眼前に現れる。 勝てない存在に、まだ戦いを強要するつもりなのだろう。 文字の羅列はただただ続く。

――間違えるな。 君は”まだ”負けてなどいない。 負けてなどいないのだ。

 慰めのような言葉が続く。

――このままでは負けるだけの話だ。 いいか、”結果は過程の後に生じる”ものだ。 結果を確定させていない君が完全敗北した事実はまだない。 そもそもだが、先ほどの話はシュナイゼル側の勝利戦略についての話であって、君の勝利方針とは何ら抵触しないはずだ。

――それは、シュナイゼルの勝ちを認めろということよ。 ならば奴の勝利で変わらない。

――違う、初めに戻るが勝利条件が違うというだけの話なのだ。 君は敵の勝利の方程式を目の当たりにして愕然としているが、知った今だからこそ初めてそれを”挫くために戦える”のだ。

――ふん。 遅すぎる始まりもあったものね。

――だとしても、だ。 今、君はようやく奴と同じ土俵に立ったのだ。 さぁ、ここからだぞ君の戦いは。 なんとしてでも、奴の勝利を踏みにじり、剣を届かせる戦術を模索しろ。 戦略での敗北を、戦術で覆せ。 君にしかできない方法で、”君なら可能な”方法で。 忘れるな。 君はもう”ベルカの剣聖シリウス”ではなく”アルハザードの剣聖カグヤ”なのだ。 ならば、勝つことは容易い。 ペテンに騙されたがどうしたという。 君の後ろには”アルハザード”があるのだぞ? まさか、こんな法外な条件を持ってして敗北するつもりか? 私を、私たちを失望させないでくれシリウス。

――……。

――何故この条件で敗北できる? さぁ、こちらもカード出してやろう。 連中はもう、これ以上のカード<戦略>は出せない。 連中の最強のカードがクイーンたる君だということを奴らは愚かにもコール前に露見させたぞ。 ならば、こちらは後出しで鬼札<ジョーカー>を出してやれ。 無論、好みでキングでもエースでも好きなものを出せば良い。 君が納得の行く勝利カードは、それこそ手札<アルハザード>に腐るほどあるはずだ。
 
 文面から滲み出るその激励は、感情など理解できないと言った前言を翻して余りある活力をカグヤに与えた。 自然と、歪んでいた口元に笑むほどに。 そして同時に、アルハザードの流儀をまた不思議とこのとき彼女は思い出していた。 やられたらやり返す。 それも相手が立ち直れないほどの兆倍で。

 もしかしたらそれは、ただの負け犬の遠吠えになるかもしれない。 だが、それでも確かに一矢報いることぐらいはカグヤにもできるかもしれない。 いいや、して見せると彼女は誓った。 第一、届かないなら届かせれば良いだけのことでしかない。 己のレアスキルを想起する。 届かないはずのモノにさえ手が届く希少技能、距離を変動するための”無限踏破”。 踏破するのは距離だけではない。 自らの運命さえも踏み越える。 今こそ、その力を使わずしてなんとする。

(なるほど、ヒントはあったというわけね。 奴の勝利は所詮自己満足に由来するもの。 ならばそれを破壊し、その上で届かせるしかない。 なら、最も悪辣な手を使いましょう。 禁じ手だけど、それしか私には思いつかないものね)

――ふむ、その顔なら手が浮かんだか。 さぁ、コールの時間はすぐそこまで迫っているぞ。 ここで暇つぶしをしている時間はもうないはずだ。 シリウス、君の勝利をこの”私”が観測できないのは残念だがもう行くが良い。 ここは私が責任を持って自爆させる。 十分後で構わないな? それまでの間に死霊秘宝を奪取して離脱しろ。

――そう。 世話になったわね。 とても良い話が聞けたわ。 趣旨変えが生じることに関してはやっぱり屈辱だとは思うけれど、この茶番劇のことを思えばそうも言えない。 終わらせてくるわ。 明日にでもこの茶番を。

――武運を祈る。

 カグヤは席を立ち、なにやらこそこそと話しているリインとミーアへと声をかける。

「手伝ってもらって悪いけど、目処がついたからそろそろ帰るわよ。 帰る準備をしなさい」

「え? ちょ、ちょっとまだもうちょっといいじゃない!!」

「ぐずぐずしてると、管理局員が来るわよ。 見つかったら貴方、面倒臭いことになるけどそれでもいいの?」

「うぅぅ、じゃ、じゃあ後五分頂戴!! 個人的な調べ物もあるから!!」

「しょうがないわね、五分だけよ。 十分後にはここは自爆するらしいから」

「じ、自爆ぅぅ!? 待って、ここは無限書庫の中枢なんでしょ!? そんなことしたら――」

「私に言っても無駄よ。 中の彼が勝手にするだけのことだから」

「彼? 彼って誰? あ、こら無視するなぁぁ!!」

 軽く跳躍し、カグヤがオフィスちっくな区画から奥へと向かう。 そこにあるのは、アルハザードからかつて盗まれた物体だ。 しばし感慨深げにジッと見ていると、後ろからやってきたリインが問いかけてくる。

「ね……ソードダンサー、それが目的のモノか?」

「ええ。 奴らには過ぎた玩具よ」
 
 死霊秘法。 そのレプリカ。 ジルが持っていたオリジナルとは違い、不完全な魔力体しか作れぬそれは、床と天上から生えた透明な柱の中央に浮かびながら明滅している。

 小さな結晶体のような多面体。 赤黒く、怪しげに光るそれはまるで見ているだけで魂さえも吸い取られてしまいそうな危うさがある。 それを眺めながら、一体カグヤが何を考えているのかなどリインには分からない。 ただ、ふと横に並んだ左手に右手が添えられたことに驚いた。

「リイン。 エレナのことは忘れなさい。 戻れば、私は貴方を斬らずには居られないだろうから」

「……」

「その代わり、今のままならちょっとぐらいは相手してあげるからそれで我慢するのよ。 恐らくは、ヴィータたちもそれを望んでいるわ。 いいわね」

「嫌だと言っても、聞いてはくれないのか」

「ええ」

「……卑怯だ。 それは、狡い。 狡いよ本当に」

「せいぜい私を恨みなさい。 この理不尽は、先に生まれた者<姉>の特権なのだから」

 五分後、死霊秘法を回収された書庫からは人が居なくなる。 そして更にその数分後にはトールが自爆装置を作動させた。 その後、無限書庫がどうなったかは彼女たちは知らない。 ミーアだけは後でこっそりとどうなったか調べたが、それも意味がないものとなる。

 また、さすがに内部機構が自爆したことは、管理局員に察知されていた。 駆けつけた局員の眼には、無限書庫の本は全て消えた姿しか確認できなかったという。 隠し通路も発見されたが、その先がほとんどが粉々になっており原因は分からなかった。 ただ、”一般事務員”によって本棚から発見されたベルカ語の詩集は古代ベルカの資料となるかもしれないと考えられ、ミッドチルダの自治領にある教会へと寄贈された。  












 開け放たれた窓ガラスの向こうから、柔らかな風が吹いていた。 月夜の威光は健在で、今はまだ天と地の光に満ちている。 ユラユラと揺れるカーテンから時折零れる光が、目を閉じている彼女の瞼に差し掛かる。 そのたびに、リンディの瞳は瞼で遮られた優しい光に晒される。 眩しくなく、それでいて無遠慮に照り付けない静かな光だ。 眠りを妨げるような効果はない。 だが、ふと彼女の瞳が開かれた。
 
「……」

 視線を左に向ければ、椅子の上で丸まった猫が居る。 ”気づいていない”のか、目を覚ます気配はない。 それともやはり、相手が彼だったから警戒心が彼女には無いのか? リンディには咄嗟にその理由が分からなかった。

「何か用ですか? 透明人間のクライドさん」

「――やっぱ、お前には分かるか」

 既にカーテンを超えて内側に進入していたクライドが、呆れるように呟いた。 ミラージュハイドで隠れているにもかかわらず、当たり前のように視線を合わせられたら誰だって驚く。 相手がグラムサイト使いだとしても、常時展開でもしていない限りはありえない。

「よくここまで来ましたね。 見張りの騎士さんたちがいるはずなんですけど」

「騎士なら今頃全員屋上で眠ってるよ」

「それは貴方が?」

「まさか。 誰にも見つからずにそんなことができるかよ。 知り合いがやってくれただけさ。 どうやったかは知らんがな」

「そう……ですか」

「安心しろ。 魔力ダメージで黙らせただけだってさ」

 クライドが傷害沙汰を起してないと知ると、リンディは小さく安堵のため息を吐き出す。 それを見て、クライドはやりにくそうに眉を顰める。

「安堵してるが、お前俺が何をしに来たか分かってるか?」

「私を助けに来てくれたんですよね」

「間違ってはないんだが、どうしてそう信じられるかねー。 少なくとも、俺なら絶対に怪しむけどな。 こんな夜中に来られたら特に、だ」

「まぁ、クライドさんですからね」

 クスリっと、小さく笑う。 そのずっと昔に見たあどけない笑顔が、クライドには懐かしすぎて一瞬言葉を失った。 やはり、似すぎていた。 魔法プログラムと本物の差異が、クライドにもまったく分からないほどに。

「ロッテは寝てるのか?」

「みたいです」

 丸まったまま、椅子の上で微動だにしない。 こうなると、普通の猫そっくりで強力な使い魔にはまったく見えない。

「まぁ、いいか。 後で起せば」

「……起すんですか?」

「ああ。 騎士連中はともかく、いきなりお前が居なくなったらロッテが困るだろ」

「騎士さんたちはいいんですね」

「居たら煩さいだけだからな。 ロッテなら少なくとも話ぐらいは聞いてくれる」

「そうですか。 あれ? ということは私ってもしかしてこれから誘拐されちゃいます?」

「展開としてはそういうのもアリだ。 でも、その前にちょっとだけ話をしないか」

「良いですよ」

 クライドは体を起しながらこっくりと頷くリンディの傍に寄ると、なんとはなしに掌をリンディの頭に載せた。 

「しっかし、マジで小さいな。 そういえば、初めて会ったときはこれぐらいだったかなぁ」

「もう……いきなり子ども扱いですか」

「懐かしがってるだけさ。 そういや、あの頃のお前には面倒くさいことを頼まれてたよな」

「それでも、結局色々と教えてくれたじゃないですか」

「あんま意味はなかっただろうけどな。 お前の場合、素で強い」

 持って生まれた潜在能力が莫大だった。 故に、何もしなくても強い。 にも拘らず貪欲だった。 けれどそうだったから仲が良くなったのかもしれない。 そう思えば、少し邪険にしすぎたかとクライドは今になって思う。
 
「あの頃は悪かった。 面倒くさかったってのもあったが、嫉妬してた部分もあったんだろうな。 俺は魔力量がどうやっても成長しなかったから」

「そう、だったんですか?」

「ザースやフレスタは伸びてただろ? 今じゃあいつらと比べたら明らかに下だぞ。 俺の体はどうやら特殊らしくてさ、身体的な方はともかく、魔力量に関しては成長できない体になってるらしい。 まぁ、その分”スキル”があるが」

「あのレアスキルですね? でも、使い方さえきちんとしていれば便利そうですけど……」

「確かに、使い方さえ間違わなければ有用だよ。 アレが無いと、正直格上とは闘えてない。 お前との初めての摸擬戦の時だって、逃げ回ることしかできなかったろうよ。 ディーゼルとも、そうだな。 無いと確実に負けてただろうな。 考えてみりゃあ、それで終ってた可能性もあるんだ。 そう思うと、随分と引っ張ったなぁって思う。 俺にとっては運が良かったことなんだろうな。 お前との関係が切れなかったことは」

「クライドさん……」

「ようやくそう思えるようになった。 だからこうやってここに来たわけだが、悪いなリンディ。 俺は、もしかしたら”お前”を救えないかもしれない」

 言いながら、クライドはベッドに淵に腰を下ろす。 やがて、乗せられたままだった手がリンディの頭から肩へと降りて、その華奢な体を抱き寄せた。 リンディはそれに抵抗はせずに、自然とクライドに体を預ける。 互いのぬくもりが伝わる。 彼女にとって惜しむらくは、それが元の大きな体ではないことだったが、それでも今はそれで十分だった。

「ずっと、このままなんですか私は」

「いや、もっと根本的な問題があるかもしれないんだよ。 小さくなっただけなら、別に何も問題なんかないだろ。 そのうち大きくなるまで待てばいいんだからな」

「待ってくれるんですか?」

「ああ。 別に、待つ必要もないしな。 年齢上は問題ないわけだし、先に事実を手に入れることもできるだろ」

「本気ですか? こんなにちっちゃいのに……」

「傍から見たら歳の差カップルだな。 まぁ、嫌だったら振ってくれ。 ちょっとゴネるかもしれないが、”努力”はする」

「また、卑怯ですよそんな言い方」

「振るよりも振られる要素のが多いと自負してるからな。 ただし、もう平手打ちは勘弁してくれ。 ありゃぁ、かなりダメージが来る。 体よりも胸に来るんだ」

「なんでそんな、自信なさげなんですか」

「分からんのだ、こればっかりは。 理屈じゃないときってあるだろ」

「そう……ですね。 貴方とこんな風にしてるのも、理屈じゃないですものね」

 理屈で何もかもが通るのであれば、悩む必要もない。 苦しかったり、寂しかったりなんてするはずもない。 感情が全く作用しない関係ではないのだ。 それは、理屈を超えた何かなのだ。 

「ねぇ、クライドさん」

「ん?」

「もし、私がこっち<管理世界>に帰ってきてくださいってお願いしたらどうします?」

「考えるさ。 考えて、結論を出す。 個人的にやらないといけない仕事もあるから、そっちが優先ではあるがな」

「そうですか。 じゃあ、責めちゃいますよ。 仕事と私どっちが大切なんですかって」

「どっちも大事だ」

「ふふっ、そう言うと思いました」

 答えを予測していたリンディは、苦笑しながらクライドに寄りかかった頭を下ろしていく。 その先には、ベッドに座っていたクライドの脚があった。 そこに頭を乗せて甘えるように見上げると、クライドが髪を梳くようにして撫でていく。 そうして、すぐに意地悪く言う。

「さっきの質問、お前だって言って欲しかったか?」

「更に付け加えるなら、即答がよかったです」

「そう、言えたらいいんだけどな。 しがらみって奴だよ。 恩義もある。 そうして欲しいって、言われたわけじゃないけど俺があの娘をあんなにした。 だから、せめてそれだけはしてやりたい。 デバイスマイスターとして、それが俺のケジメなんだ」

「あの娘って誰ですか?」

「んー、そのうち会わせてやるよ。 だから、今は内緒だ」

「……えいっ」

「痛てっ、ちょっ、脚を抓るな!!」

「私を怒らせたのはクライドさんですよ。 まったく、居なくなったと思ったら別の女の人と仲良くなってたんですね。 えい、えいっ」

 拗ねながら、抓った指を捻るリンディ。 それが地味に痛くて、クライドが情けない声を上げる。 だが、当然やられっぱなしではない。

「止めろ、止めろって。 この、こっちだって責めるぞこら」

「らふぁらって、ろーひてふぉっぺふぁをふぃねるぅれふか」 

 無防備な頬っぺたへと手を伸ばし、グニグニと引っ張るクライド。 凄惨な引っ張り合いの始まりである。 

「あのさぁ、二人ともこんな真夜中に何色気の無い遊びしてるのかなぁ。 どうせならもっとこう、アダルティーに行けばいいじゃない」

 さすがに、寝たふりを決め込めずにロッテが言う。 同時に、欠伸をしながら人型形態へと変身。 一応、クライドを警戒しているというポーズを取った。

「寝た振りしてる誰かさんが居るからな。 恥ずかしすぎて手なんて出せるか」

「にゃはは、居なかったら出すんだねそれは」

「可能性としてはありえたな」

 否定はできない。 真っ正直に頷くと、クライドはすぐに用件を切り出すことにする。 ロッテが起きるなら、見てもらった方が手っ取り早い。 ペルデュラボーが持ち出したことになっている夜天の書を展開し、左手に持つ。 すると、さすがにそれを見たロッテとリンディはすぐにそれが何なのかを察して驚いた。

「二人とも察しが早くて助かる。 その反応だとこれがなんだか分かってるな」

「そりゃーねぇ。 アタシらは一応資料で見てるし」

「ですね。 でも、それでどうするんですか。 もしかして、その中に私を元に戻す魔法があるってことなんですか?」

「在ったら簡単なんだがなぁ。 生憎とこの中にはそんな便利な魔法は無い。 これはな、お前を蒐集するために出したんだよ」

「ふえ?」
 
「クライド君? 更に意味が分からないんだけど……」

 理解できないのは当然だった。 二人にはクライドの意図が分かるだけの材料は無い。

「俺はな、今ここに居るリンディが偽物じゃないかと疑ってるわけだ。 普通なら魔法ぶち込んで調べたらそれで終わりなんだが、それだけだと俺にとっては意味が無い。 だから、保険をかけるためにこれを使うわけだ」

「私、偽物なんですか? で、でもそんな変わったことなんて私には全然……」

「本人には分からない。 それどころか、怖い話をすればお前のその思考だって操られている可能性はある。 お前がリビングデッドだっていうんならな。 だから、俺はお前の言葉さえ怖い。 本心か嘘かさえも分からないからな」

「そのための、保険? でもクライド君。 リンディ提督を蒐集して何の意味があるのさ」

「こいつにはリンカーコア<魔力中枢>から魔法を蒐集するだけじゃなくて、実はリビングデッドみたいな魔法プログラムを作る機能が備わっているんだよ。 俺はそれを使ってリンディの魔法プログラムを作る。 もしこいつがリビングデッドなら、俺が蒐集して起動する。 魔法プログラムは、同じ存在が二体同時には存在できないっていうルールがある。 だから、そうすれば今後リンディの偽物に右往左往させられずに済む。 本物ならただちょっとしばらく魔法が使えなくなるだけだし、俺の憂いはなくなる。 但し、不可解存在は除いてだがな。 どうする? 抵抗するなら今のうちだぞ。 とはいえ、抵抗しても俺はお前を逃がしはしないが」

「……」 

「もう分かってると思うが俺はリビングデッドを消せないようにする手段がある。 だから、どうやっても”お前”を逃がさない。 おい、俺の女の後ろでこそこそ”聞いてる”奴、居るなら抵抗してみろよ。 俺からこいつが離れれば、逃げ切れるかもしれないぞ。 俺の偽者のときみたいにな」

 居るかどうかもわからない相手に、クライドは言う。 相手からの返事はない。 リンディを介しての返答も無ければ行動も無い。 不自然すぎるほど何も無い。 いいや、それどころかリンディは言った。

「それで貴方の憂いが無くなるんなら、やってくださいクライドさん」

「リンディ提督……」

 微笑みながら言い切るリンディに、ロッテは思わず言葉を失う。 クライドの言葉を拒絶するという意思が、全く彼女から伺えなかったからだ。 果たして、ここまで無防備に成れる相手が本当に偽物なのか? リーゼロッテには判断ができなかった。 そして、それにただ無表情で頷いたクライドの心境はどうなのか? ロッテは咄嗟に考えたくも無かった。

 騙されていたのなら、告白までした意味が無い。 そのことで怒りを向けもせず、ただ堪え、そして普通に接しようと勤めている。 それは、何の痛痒も感じずにできることではないはずだ。 煮えたぎるような心のマグマを静かに制御している状態にも等しいのではないのか。 そう思うと、ロッテは自然と悲しくなった。

「やるぞ」

『グリモア君、蒐集する。 手を貸してくれ』

『いきなり声をかけてきたかと思えば、まぁ室長が望むなら仕方ありませんけど。 その調子で存分に甘えてください永久に』

『……それはそれで情けない気がするが』

 夜天の書にアクセスしながら、管制AIに頼み込む。 すると、無防備だったリンディの胸から、翡翠色の球体が現れる。 魔力中枢たるリンカーコアだ。 無理矢理魔法で体外に射出しなくても、夜天の書にはリンカーコアを引きずり出す機能がある。 だから、これまでにもシャマル以外の守護騎士たちが書を使って蒐集することができていた。

「ぐ、くうっ――」

 リンディの顔が、激痛によって強張る。 無理矢理体外に魔力中枢を引っ張り出されるというのは、通常はありえないことである。 その際の激痛は、クライドだってロッテの偽物によって体験している。 故に自然と、クライドは耐える彼女の手を握っていた。

「そのまま我慢してくれ。 ちょっとの間だ」

「は、い……」

「気休めかもしれないが、少しはマシにしてやる」

 言うなり、クライドは『絶対領域』を起動する準備に入る。 本当は、リビングデッド体が消えないようにする効果がある。 だが、この先の蒐集でより苦しむリンディの姿を見たくないという彼の思いは本物だった。 故に、使わないという理由が無かった。 

 瞬間、クライドの中で特殊なグラムサイトが起動する。 それはいつも使っているものではない。 カグヤが使っている戦闘用など、所詮絶対領域を生み出すための過程でジルが生み出した副産物に過ぎないのだ。
 グラムサイトは本来ジルが作ろうとしていた絶対領域発生のために必要な補助センサー。 だから、トールのプラグインに加えて初歩の初歩としてクライドにグラムサイトを習得させるように彼<ジル・アブソリュート>は仕向けさせていた。 それを加えることで、クライドの領域展開範囲が広がることを実験過程で掴んでいたから。 初歩にして秘奥。 それこそが、グラムサイト<妖精の眼>が生まれた本当の理由。

――クライド・ハーヴェイ専用のグラムサイトverAが駆動する。

 クライドの中で世界が0と1の羅列に変わる。 同時に、周囲が一斉にアスキーアート染みた数字に変わりノイズが奔った。 それは、特異な出自の彼だけが持つ認識世界であり、数値の楽園。 世界の情報を観測している全ての上位観測者の観測情報。 やがて、常時限定的にしていたハッキングとクラッキングで得たその状態データを記録監視させ、周辺に居るヒトらしきモノのダメージに直結しそうな変数の変動を起動初期に戻しつづける。 これはただそれだけのレアスキル。 

 かつて、機械に演算された世界の中で空虚に喘いでいた男がいた。 その男は、自分が満たされていたことなど知りもせずに漠然と生きていた。 だが、その最後に彼は一台のトラック<抵抗できない絶対的な脅威>に出会い、空虚を強引に満たす術を手に入れ、その能力<スキル>を偶然にも開花させた。

 ならば、そのトリガーは決まっている。

 瞬間的に、強引にシステムがそのトラウマを幻視させる。 ノイズの地平のその中で、エンジン音を轟かせながら”奴”が来る。 馬鹿にでかいそれは、魔導師の力を得たクライドにさえ抵抗できないほどの質量を兼ね備えていた。 全長十キロはあろうかという大質量。 総重量など考えたくも無いそれは、何故か音速を超えるだろうという速度でクライドへと迫ってくる。 イメージの中のクライドは、もう逃げ出すことさえできずに呆然とするしかない。 だが、その瞬間にはもう、十分だった。

 男は逃げ切れずにあっけなく衝突する。

 その精神的な衝撃と同時に、スキルは成った。 暴力を駆逐する不可侵領域。 ゲームで言うところのステータス値を観測者の認識速度で固定させ、変動すれば自動で発動時の状態へと修復させる現状維持派生型現実改変式レアスキル。 アブソリュートの血族の秘奥にしてジル・アブソリュートが求めた『絶対領域』の類似品。

 それは、結局のところ水の上を走る理論と同じである。 実際には誰も傷つかないわけではない。 傷ついても傷つく前に観測情報を戻すことで結果に干渉し生存に悪影響を及ぼす事象を無かったことにするだけの代物に過ぎない。 だが、それだけできれば暴力は無意味になる。 故に、その領域内では結果として誰も彼もが傷つかない。 傷つけられない。

「始めるぞ」

 脳内のノイズが煩い。 訳が分からない羅列をただ流し、視界を埋め尽くさんとしてくる。 だが、そんなことは彼にとってもう知ったことではない。 それの意味は理解する必要はない。 何がどうなっていたとしても、効果だけは分かっている。 ならば、恐れる必要はどこにもない。 例え使いすぎればバグりやすくなるらしいことは分かっていても、使いどころを間違えるなんてことをするつもりは彼にはないのだ。 

「蒐集行使――」

 ビー球サイズの小さなリンカーコアから、魔力が吸われて行く。 ダメージ判定は全て却下。 数値はそのまま、更なる痛みを感じる前にその前に戻されてダメージをほとんど無にさせてしまう。

「私の魔力が……吸われてく……」

 ページが次々と埋まり、リンディ・ハラオウンという人間の情報を余すことなく書き殴る。 それの全ページは666。 かつて、闇の書と呼ばれていた時代には全て埋まれば完全に書が起動しリインフォースが顕現される。 だが、もはやそんなことをする必要などどこにもない。 故に、これはただの人生採集。 記録し、記憶し、コピーを生み出すためだけの作業に過ぎない。

「消えませんよ? じゃあ、私は――」

「いや、消えるのは俺が止めてる。 だから、まだ分からん」

 書き殴られていくページ。 クライドにもたれかかったまま、リンディはそれが終るまでただ待っている。 自身が偽物なのかもしれないという恐怖はある。 だが、偽物なら偽物ではっきりする。 不可思議が一つ消える。 そうなれば、彼女自身を心配してくれていた者たちを騙さなくて済む。

「……さすが、一人にしては多いな」

 三十ページは超えただろうか? 並みの魔導師ではそこまではいかない。 そこまでいってようやく蒐集が終った。

「どうするの? クライド君」

「消えないようにしてたのを解く。 その上で魔法を喰らわせる。 それで確認は済む」

 グラムサイトAを止め、通常のAMB戦闘用に戻す。 すると、ノイズが消えていつもの視界だけがクライドの中に残った。 同時に、蒐集をやめたことで開放されたリンカーコアがリンディの体に戻る。

「うぐ、ぁ――」

「よし、ここまでは想定通りだ。 後は、魔法攻撃だけだが、何か言い残すことはあるか? 最悪、お前はここで消えるかもしれない」

「そうですね……じゃあ――」

 たどたどしく体を起す。 気絶しなかっただけでも相当に辛いだろうに、リンディはクライドの肩に手を回し目を閉じた。 クライドは一瞬迷ったが、頷いてすぐに彼女の唇を塞いだ。 ただ触れ合うだけのバードキス。 だが、それは彼が初めて自分から誰かにしたキスだった。

「ありがとうございます。 クライドさん」

「じゃあ、行くぞ」

 電撃魔法を行使したクライドのその眼前で、リンディの体が服だけ残して”消えて行く”。 偽りの体は魔力の残滓となって消えて無くなる。 クライドは、それをしっかりと目に焼き付けながら、それが消えて無くなるまで黙って見つめ続ける。 

「ちくしょう――」

 怒りに拳を震わせながら、眼つきを役々悪くさせる。 そうして、ただ静かに肩を震わせる。 けれど、その感情に浸り続ける暇はない。 偽物だったなら、本物を探さないといけない。 例えそれが地の果ての向こうでも、次元の空の彼方でも。 虚数空間のその向こうであったとしても。

『――グリモア君、設定年齢22で起動してやってくれ。 同時に、似ているだけの別物かもチェックも頼む。 今すぐにだ』

『わかりました』

 クライドの眼前にリンディ・ハラオウンを実体顕現させる。 室内に零れる翡翠の光。 一瞬少女の体だったその体は、しかしすぐに設定を年齢は変更されて歳相応の体へと戻っていく。 

「私……偽物さんだったんですね」

「みたいだな。 俺は、本物を探しに行く。 お前はどうする」

「ついていっちゃ、ダメですか?」

「好きにしたらいい。 ただし、その時は戦力換算するぞ」

「構いません」

 頷き、リンディは怒りと悲しみを堪えているクライドの頭を胸に抱いた。 暖かなそのぬくもりが、偽物だなどとクライドには思えない。 だが、それでもやはり偽物なのだ。 そう思うと、どうにもやりきれないものがあった。

「なぁ、リンディ」

「なんですか?」

「お前の心は、”今”どこにある」

「ここにありますよ。 ”きっと”、本物と変わらないものがここに」

「そっか。 ここに”在る”のか。 幻じゃあ……ないんだよな」

「困った人。 また疑っているんですね」

『どうやら、室長が危惧していた最悪<不可解存在>ではないらしいです』

『そうか、ありがとう』

 グリモアが保障するならば、そうなのだろう。 クライドは頷き、リンディの腕の中から出る。 そして、床板をしっかりと足で踏みしめながら窓際に立ち、己の頬を両手で張った。 パチンと小気味良い音を響かせながら、気持ちを切り替え振り返る。

「ロッテ、そういうことだ。 このリンディは貰って行くぞ」   

「しょうがない、かな。 偽物だったなら、こっちも本物を探さないといけない。 このリンディ提督も偽物ならアタシが護衛する必要もないわけだしね」

「ロッテさん、後をお願いします」

「うん、行っておいで。 こっちはこっちで動くから。 だから、その間はクライド君を頼むよ」

「はい」

「そうだ。 騎士は全員屋上に寝かせてるから回収してやってくれ。 それと、これをグラシアさんに渡してくれ」

 展開した書を投げる。 闇の書に酷似したそれは、蒼天の書をリインに渡す前に適当にでっち上げていた魔導書型デバイスだ。 適当に夜天の書などと呼んでいたが、結局蒼天の書を作ったことでお蔵入りしていた代物であった。 当然、死霊秘宝が内臓されているわけもなければユニゾン能力も無いただの強力なストレージデバイスに過ぎない。

「その中に闇の書の中にあったベルカ式系統の魔法を全部詰めてる。 俺からの迷惑料だっていっといてくれ。 これで貸し借り無しだ」

「はーい。 騎士グラシアかなり喜ぶよ」

「風邪引く前に渡してやってくれよ。 んじゃ、またな」

 リンディの体を抱き上げると、クライドは窓から外へと跳躍する。 更に、その近くに待機していたらしい仲間<ペルデュラボー>と合流し、直ぐに虚空へと消えていった。

「あーあ、行っちゃったか。 結局色々と無茶苦茶だけど、まぁ、いっか。 なるようになるよね」

 夜空に消えた二人の行方を詮索しても意味はない。 リーゼロッテは開け放たれたままの窓を閉めると、魔導書を片手に屋上へと向かって行った。 すると、そこには気絶したままロープでグルグル巻きにされている騎士たちが居た。 全員が全員伸びている。

「やっほー騎士グラシア。 生きてるー?」

「ううぅ、ロッテ君か。 聞いてくれ、私でも理解できないことが現実になったのだよ。 なんと、選りすぐった九人もの高ランク騎士たちが全滅したのだ。 三分も持たずにだよ!?  なんなんだあの少年はっ!! 夜天の王の仲間らしかったが、彼に手を出すととんでもないものが出てくるらしい!! 嗚呼ァァァ、窓にぃ、窓にぃ――」

 恐怖に引きつった顔で、グラシアがのたまう。 何が在ったのかをよく分からないロッテだったが、とりあえずロープを解きながら彼に書を差し出す。

「はいこれ。 クライド君からプレゼントだってさ。 これで貸し借りは無しだって」

「何かねこれは。 夜天の書に似てはいるが……」

「ただの魔導書型のデバイスでしょ。 でも、クライド君が言うにはベルカ式の魔法、それも闇の書の中に入ってる奴全部ここに入れてるってさ」

「ぬわにぃ!? 本当かねそれは!!」

「うん、迷惑料のつもりみたい」

「くっ、やってくれるなミスタークライド!! これでは怒るに怒れないではないか!!」

「いや、素直に怒ってもいいと思うけどね。 面子丸つぶれだし」

「ええい、こうしてはおれん。 解析と保存と……ああもう、騎士たちの開放が先だ。 悪いが、手伝ってくれんかね」

「うん。 でも、終ったらすぐに帰るよ。 父様も動いてるみたいだし、私もそろそろ本局に帰らないといけないからね。 ああ、それとあのリンディ提督はリビングデッドだったよ。 ここと教会の検査機械、調べたほうがいいかもね」

「手が伸びていたと? それで彼はどうしたのかね」

「クライド君は本物の彼女を探しに行くみたい」

「ふむ、アルハザードについて何か聞いたりはしたかね」

「いやぁ、さすがにそんな雰囲気じゃなかったしねぇ。 でも、大丈夫だと思うよアタシは。 クライド君は頭かんかんで大激怒だったから、連中に絶対容赦しないよ。 そこに教会騎士をコテンパンにしたっていう仲間もいるし、ソードダンサーもあの子の味方なわけでしょ。 アタシらとは別に、色々とやらかしてくれそうだよ」

「だと、いいのだがな」

 どうなるかなど、預言者であっても分からない。 だが、それでも理解できない何かと戦っているらしい誰かが居るのなら、最悪の予言が成就することがない可能性も出てくるだろう。

「夜天の王とソードダンサー……ソード……剣? まさか、あの二人がセットで意味があるというのか?」 

「騎士グラシア?」

「いや、なんでもない。 さっさとロープを取ろう」

 一瞬新しい解釈が頭の中を過ぎったが、グラシアはそれを深く考えるまえにロープの撤去に取り掛かった。 月攻めのこともある。 気絶している騎士が動かせるようなら、グレアムのところに送り込んだシスターのところへ追加の派遣戦力を送ることを考える。 やるべきことは沢山あるのだ。




















 ――月。 ミッドチルダの二つの衛星のうちの一つ。 ムーン1と呼ばれる双子月の片割れである。 彼らが居るのはその中で廃棄されたはずの月面都市だった。

 陸、海、空の次のフロンティア。 かつて次元の海に漕ぎ出す前に、開発されていた第四の地。 宇宙ステーションや衛星軌道上監獄などと同じ、深遠たる宇宙に立ち向かった人類の到達点だ。 それは、ミッドチルダに開発途中で放棄された地下都市と同じく、見捨てられた都市である。 強いて違うところを上げるとするならば、地下都市は途中で建造が止まったが、月の都市は試験的に稼動していたということだ。 人々がまだ、かつてのように宇宙への情熱と熱気を失ってさえいなければ、本格的な入植などもあったかもしれない。 だが、そうはならなかった。 ミッド人はそれが盛んになるまえにその次のフロンティアを見つけてしまったからである。

 次の開拓地の名は”次元世界”。 平行世界だとか並列世界だとか隣接する別宇宙だとか、とにかく様々な解釈がされる場所だ。 そうして発見された世界の中には、人間が活動できるレベルの惑星があった。 人類が活動するのなら、当然大気圏内での方が楽である。 また、移住したり採掘惑星などにするとしても場合によっては余計な心配<空気や水>をしなくてすむ可能性があるし、宇宙の次に発見されたその概念は宇宙航海時代を飛び超えて次元航海時代を到来させた。 そして、これが恐らく重要だが、別次元の人間の発見、接触という過程を早い段階で経験したことも大きかったのだろう。 宇宙開発で培われたノウハウは、すぐに次元開発の分野へと引き継がれ、資源衛星の発掘などの分野に留まり次元へとシフトした。 月はその煽りをモロに喰らい、最新技術であったエアフィルター技術の完成と同時に実験都市として利用されはしたものの、かつての次元戦争で破壊され廃棄されたはずだった。 

「帰っていたのかレグザス。 無限書庫が今しがた落ちたぞ」

「ああ、”知ってる”。 それより、功を焦って馬鹿やらかしたあいつはちゃんと”眠らせた”かレイス?」

「言われたとおりにしてある」

「じゃあ、後で必要になったら起こしてやらないとな。 明日にはきっとグレアムが来るぞ。 妙なもんを仕込んでくれてたからな。 おかげでプリウスの動力がオシャカだよ。 起動した途端爆発しやがったんだぜ? ははっ、一回そのせいで無駄に死んだっての。 やってくれるぜあの狸親父」

 唇を釣り上げたまま、楽しげにレグザスが笑う。 司令室でどっしりと肘掛け椅子に座った彼の顔からは、これから襲撃を受けるという事実を前にする恐怖はない。 寧ろ、早く来いとばかりの喜色があった。

「俺にはまるで理解できない。 これのどこがシュナイゼルの計画なのだ。 拠点でグレアム……管理局を迎え撃つ必要などどこにもあるまい。 ましてや、無限書庫を”連中”に何もせずにくれてやることに何の意味があった。 これではまるで――」

――見つけて欲しがっているようなものではないか。 

 最後まで言う前に、その言葉は遮断される。 レグザスだ。 今、計画の全てを遂行しているその男が、手を上げて遮ったのだ。

「そんな疑問を抱くのはお前が駒だからだよレイス。 お前は何も”知らない”。 お前は”何も聞かされていない”。 この完璧なる計画の意味も意義も何もかも知らない。 つまりそれは、お前が知らなくてもいいことってわけだ。 第一、興味なんてお前は無いだろ。 お前が興味があるのは、シリウス<ママ>を手に入れる邪魔になるんじゃねーかってことだけだろ」

「……」

 確かに、レイスにとっては計画そのものにはまるで興味などない。 進んで滅びの道へと足を進めようと、何の痛痒も感じていない。 しかし、邪魔されることだけは御免だった。 そもそも、シュナイゼルから”時の庭園襲撃前”にメールでレグザスの指示に従うようにと命令されてから本物に会っていない。 直接命令されないことは今までもあったので疑ってはいなかったのだが、今では不信感が募っている。

「安心しろよ。 お前の舞台はここじゃあない。 お前にはちゃんと、舞台があるんだよ。 だーから、そんな怖い顔をするなっての」

「どうだか」

「信用しろとは言わないがね、夢ぐらいはちゃんと見させてやるつもりだぜ?」

 だが、ニヤけるレグザスのその顔には、まったくと言って良いほど期待の程は伺えない。 むしろ、より狙いが分からなくなった。 シュナイゼルの計画、などと嘯いているが、一行にその勝利の道筋がレイスには分からないのだ。 シリウスを利用したいという意図はあるらしいが、この男は”どう”利用するかを匂わせない。 言動から察すれば不審なことばかりだった。

(まさかこの男、シュナイゼルを裏切っているのか?)

 リンディ・ハラオウンを向こうに魔力情報だけとはいえ返還したことといい、グレアムの件、無限書庫。 裏切りの気配は濃厚だ。 まさか、”アルハザード側”に命を対価にスパイでもしているのだろうか。 それとも、計画を歪めながら自分好みのシナリオにするために流れを変えているのか。

「お前は、一体何を望んでいるのだ」

「計画の成就だ」

「俺には、お前が自分の都合で動いているようにしか見えない」

「ほほぅ」

 愉快そうに、黒瞳をレイスへと向けるレグザス。 肘掛けに手を置き、頬を乗せるかのように尊大にくつろぎながら、少しばかり目を細めてレイスを見ていた。 闘おうという気はないらしいことだけはレイスにも分かる。 そもそも、勝負にならない。 魔法プログラムを握られているレイスでは、レグザスをどうこうできやしないからだ。 レグザスは上位権限を持つ個体だ。 通常のリビングデッドとは違い、システムと繋がっている。 言うなれば、リインフォースのような管制人格。 彼が演算を止める命令を出せば、それだけで決着が着く。 これでは勝負になるわけがない。

「否定する要素はないな。 俺の都合に合致しているからこそ、俺はこの位置に立っている」

「本局の人間にここを襲わせるのも、無限書庫を襲われて放置したこともか」

「ああそうだ。 そもそも、計画のうちなんだよ。 いやまぁ、テコいれしたっていうことになるのかもしれないがね。 順調だぞ”計画”は。 ほぼ全て想定の範囲内に納まっている。 イレギュラーはクライド・エイヤルの件ぐらいさ。 まぁ、それもシリウスの予備になったから寧ろ大歓迎な飛び入りだがな」

「……」

「なぁ、レイス。 そんなに気になるんなら、お前にだけ特別に計画の目的を教えてやろうか?」

 聞きたいなら教えてやるぞ、とその男は言った。 だが、その問いに一瞬レイスは躊躇した。 余計なことに首を突っ込んだところで禄なことはないのだ。 特に、この目の前の男の言葉は、全てが全て胡散臭い。 どうせきっとろくでもないことなのは目に見えている。 だが、聞かなければ教える気はないということでもあった。 ゆえに、レイスは尋ねることにした。

「聞かれた程度で答えるつもりがあるのなら、どうして今まで言わなかった」

「”聞かれなかった”からだよ」

「ならば、答えろ。 この計画の真の目的はなんだ。 魔導王のシナリオとは一体なんなんだ」

「”復讐”だ。 最終的には初動は全てそこに集約されるな。 ははっ、もっとすげぇ目的だと思ってただろ? だが、生憎と陳腐でチンケな目的しかこの計画にははなっから無かったのさ」

「復讐……だと? それは、シュナイゼルとお前に共通の敵が居るということなのか?」

「さて、そこまでは教えてはやらないさ。 だが、前にも言ったと思うがこれは遊び尽くしたゲームのクリア後の計画だ。 用意した三つのルート、全てがそこへ行き着くように配置されている。 完璧だぜ、一部の隙も無いと言っても過言ではないほどに顕在化している。 この計画をひっくり返すことは、もうシリウスにはできやしない。 アルハザードだって無理さ。 そう、恐らくはあの”男”でさえもだ。 だからな、レイス――」

「……」

「――俺がお前のお膳立てをしてやるよ。 シリウスが欲しいんだったよな? 舞台は整った。 お前、ムーン2で待機しとけ。 無限書庫を襲ったのが奴らなら、”間違いなく”シリウスはそっちに向かうぞ」

「馬鹿な、何故そんなことが断言できる!」

「グレアムがムーン1に”来る”からだ」

 無限書庫内部に拠点の情報を敢えて残し、シリウスに情報を仄めかしたのはそのためだった。 レグザスの読みではグレアムの方には”クライド”が来ることになっていた。 シリウスは基本的に単独行動を好む傾向がある。 降りるとしたらムーン2。 だが、もうすぐ本局を出発したグレアムの混成艦隊がムーン1に来るはずだった。 その情報程度なら、恐らくはストラウス経由で手に入れていると予測している。 ならば、邪魔が入るような戦場よりも思いっきり好き勝手できる方を”あの女”が選ぶのは目に見えていた。

 管理局と月の防衛戦力がぶつかっている間に漁夫の利を得ることも可能であろうが、性格上より”難易度が高い”方を選ぶ。 ましてや、グレアムはクライドの知り合いであり恩人だ。 その快刀、ディーゼルもそこに着いている。 ならば、クライドをそこへ投入できないこともない。 共闘するかどうかは別として、無駄に潰しあうことはないだろうことは予測できる。 御守りをする戦力も、エレナ・ナイトスカイや守護騎士が確認されていることでないわけではない。 となれば、効率的に考えれば二面作戦を展開したほうが時間的なロスも少ない。 自分でムーン2を落とし、その次に混戦に紛れてムーン1を落す。 彼女がやりそうな手だった。

「ほら、さっさと行けよ。 こっちも向こうも、迎撃準備で大変だ。 アレを発生させる実験場を死霊秘法の前の広間に用意してある。 それ使えば、楽に捕まえられるはずだぜ」 

「ちっ――」

 まだ聞きたそうな顔をしていたレイスだったが、渋々消えた。

「まぁ、でも多勢に無勢だろうとなんだろうと、お前はあいつに負けるだろうけどな」

 レグザスはレイスがシリウスに勝てるなどとは思っていない。 可能性として考えはしても、結果として負けるだろうと思っていた。 でなければ、”ならない”。 三つのルートを述べはしたが、シリウスが勝つルートが最も彼にとって望ましいが故に。 無論、勝ってしまっても別に問題ではない。 その時はクライドを勝たせれば代役は務まる。 そう、シリウスとクライドはレグザスからすればもはや同じ”駒”なのだ。 

「さて、一応は整ったわけだが……」

 もう、やることはほとんどない。 相手の動きと同調している。 と、そこまで考えてレグザスは”その反応”に気がついた。 それは、ありえない三つ目の選択肢のことを思い出すには十分なものである。 今のところ三つのルートがあるわけだが、シュナイゼルが勝つという絶望的に不可能な可能性を顕現させるために必要な行動を一つ忘れていたことに気がついた。 それが無ければ、第三ルートへの道が開けない。 かつて、印となるべく仕掛けた人形はアルシェのオリジナルが眠っていた基地が消滅する少し前に何者かによって消されている。 その代替となるべきものが。期待してはいなかったが今こうして機能している。 ならば、一応全てのルートを開かれていることになる。

「いけね、トレースした後に確認に行かないといけないこと忘れてたな。 時間ももう無い。 一応は忘れないように気をつかないとな」

 ぼやきながら、肘掛け椅子から立ち上がる。 同時に、リビングデッドを大量に月面都市内に呼び込んでいく。 無論、全員が全員ともオーバーAAA以上である。 ここを制圧したいなら、管理局は一々魔導師を投入して邪魔な連中を倒すしかない。 だが、彼の手の内には死霊秘法が存在する。 殺されても蘇らせれば、どれだけやられても構わない。 つまり、時間は相当に稼げる。 アルカンシェルか艦船の魔導砲で施設ごと容赦なくケリをつけてくるなら話は別だが、古代の叡智の情報を探ることや、リンディ・ハラオウンが誘拐されたままだという事実を視野に入れれば、人の良いギル・グレアムは無茶な進攻はできなくなる。

 何も知らないが故に情報に飢えている。 飢えれば目の前に用意されている釣り針の餌が毒だろうと丸呑みせずにはいられない。 これはそういう状況だ。 部隊保有制限も有効に効いている。 法の味方はグレーゾーンは得意でも、破ることはできない。 特例を持ち出すとしても、お役所ならその速度は高が知れる。 だから、十分に時間は取れることになる。 たったの数時間だろうとなんだろうと、それだけあれば十分なのだ。 全て想定しているが故。

「さぁて、ほんじゃぼちぼち終わりを始めようか」

 遣り残したことなどもはやない。 後はただ、終幕のシナリオを主演女優とイレギュラーの男にアドリブを利かせて演じさせるだけでおしまい。 それで、本当にこの我欲作は終わりを見る。

(これは二度と見れない魔導王の檜舞台。 ”レグザス”、あなたが見たかった理想郷の、その未来を決める戦いが始まる。 勿論、結果は出たからどうでもいい。 でも、貴方の理想がここに在ったという事実はもう、誰にも消せやしない。 それは、全能で冷酷な神様にだって、限界を突破した獣たちにだって汚せない――)

――理想の楼閣。














 そこは戦場だった。 一人の男と二人の女性が慌しく動きまわりながら、作業に打ち込む戦場だ。 時間が無いという事実だけを理由に慌しくしている。 彼女、リンディ・ハラオウンの魔法プログラム体はその戦場には入れない。 全く何も出来ないというわけではないが、プロのデバイスマイスターが必死で作業している中に割って入るほどにデバイスに詳しいわけでもない。 故に、少し遠めからデータ収集用のテストデバイスに魔法プログラムの入力をしながらぼんやりと様子を眺めていることしかできなかった。

「室長、要求どおりに仕上げたので調整をお願いします!!」

「分かった! 変わりにこっちのリンディのデバイスを頼む。 パーツの選定は終わってるから、後は組み込みと調整だ。 セッティングの細かい部分を俺が後でやるから、それ以外のをできる限り頼むな」

「はい!」

「私はどうすればいいロボ?」

「ミニモア君は俺と融合後、こいつの調整だ。 上品にテストしてる暇はないから工程をかなり飛ばしながら行くぞ」

「了解ロボ」

 クライドはリンディを連れてアルハザードの家へと戻った後、ソードダンサーと話してからずっとこうだった。 時間が惜しいとばかりにリンディを連れて来て、後はひたすらに準備をしていた。 もっと色々と話をしたりちょっと甘いひと時などを期待していた彼女からすれば、少しばかり肩透かしを喰らった気分だった。

 今はミニモアとかいうグリモアそっくりの小さなユニゾンデバイスと融合し、グリモアが先ほどまで弄っていた全身鎧型の兵器のようなものを着込んで足音を無駄に響かせながら研究室の奥へと向かう。 ソレの名はまだない。 ただし、PC計画とか言うモノのための実験用に組んでいたモノであり、クライドの趣味がバリバリに積み込まれた代物とだけは聞いていた。

「……」

 ソードダンサーが来る前には二人のことを軽くは聞いていたものの、以心伝心とばかりの二人(プラス一機)を見ているとオリジナルも大変だなぁ、などとリンディは達観した気持ちになった。

「のんびりと室長の観察ですか。 いいご身分ですね」

「あ、グリモアさん」

「ボクは貴女程度であればそこらの粗悪なジャンクデバイスで十分だと思うのですが、室長がどうしてもというので手を貸してあげるんです。 だもんで、とっととデータを寄越しやがれです」

「え、ええ」

 手に持っていた杖型のテストデバイスを持って、リンディはグリモアの所まで向かう。 クライドが記憶の中のかつてのリンディの好みにあわせてありあわせのパーツを選んではいたが、四年もの月日の中での成長や好みの変化などにも対応しなければならない。 細かい調整はクライドがやると言ったが、リンディのために余計な労力を使わせたくないグリモアは内心の苛立ちを抑えながら作業を進めていく。

 いつもの無表情であるが、リンディにもさすがに機嫌が悪いことぐらいは分かる。 だが、さすがにそれを聞くのもどうかと思い自分の知りたいことを聞くことにした。

「その、まだ色々とよく分からないんですけどグリモアさんはクライドさんとこちらで暮らしていたんですよね」

「実家が室長の家の隣なので、通い妻をやってました。 なので、貴女の出番はこれからもまったく微塵もありません。 用が済んだらとっとと追い出しますので、どうぞよろしく」

「よろしくって言われても……」

 その、なんだ。 とても困る。 だが、そんな心配などグリモアには知ったことではない。 当然のようにお邪魔虫扱いである。 クライドがテストのため離れていることを良いことに、ズバズバと攻め立てる。 対魔女用の毒舌は四年経っても健在なのだ。

「勿論、用が済んだらデリートしますから心配は無用です。 一バイトどころか一ビットも貴女が存在したというデータは残しません。 ええ、絶対に消去してやりますとも。 室長の頼みでさえなければ、そもそも書の中に邪悪なる異物であり室長を右往左往させる貴女を取り込むなんてこと、次元世界が七回崩壊してでも許されることではないのですから」

「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃないですか?」

「いえ、酷いのは貴女の存在そのものです。 なんですか、横からポッと出てきたような存在の癖に室長を横取りするは、甘いひと時を期待するような目で室長を誘うは!? 室長が無駄に張り切ってしまっています。 見てください、あの張り切りようを!! PC計画の研究用素材まで持ち出してますよ。 アレは室長がボクのためだけに用意した代物のはずなのに!!」 

 怨嗟の篭った瞳が、リンディを攻め立てる。 悔しくて悔しくてたまらないといった風情である。 クライドから二人の関係の説明はされていたが、ここまで露骨に敵視されるとは思わなかったリンディは困惑を通り越して我慢するのに必死である。 昔は天然で切り抜けていたが、もう既にことはそんな段階を通り過ぎていた。 毒舌という名のミサイルが次々と飛んでくるのだ。 これはもう、対空ミサイルという名の口撃で撃ち落すしかない。

「それだけ、クライドさんが私の心配をしてくれてるってことですよね」

 薄く笑みを浮かべながら、言う。 余裕の笑みを浮かべるところがポイントである。 管理局の提督として鍛えられた腹芸だ。 瞬間、工具でデバイスを組み立てていたグリモアの手が止まった。 怒りに震える手でその言葉を無視しようとする。 けれど、無表情を取り繕って居る顔が明らかに強張ったのをリンディは見逃さない。

「グリモアさん、手が止まってますよ」

「くっ――」

 一瞬ストライキを起こそうかと検討したグリモアである。 だが、そうなればクライドが困った顔をするのは目に見えている。 なんという屈辱だろうか。 放棄すればクライドに器が小さいと思われ、仕事を完遂すれば目の前の魔女が喜ぶのだ。 彼女からすればどちらも選ぶことが出来ない難題だ。 少しでもクライドのためにと思い、私情を押し殺して助太刀しに来ただけだったというのに蓋を開けてみればコレである。 天敵たる魔女の持つその余裕が、今は何にも増して憎らしい!

「汚い、さすが魔女。 やり方が汚いです。 なんて高度な心理戦ですか。 室長、貴方は絶対に騙されてます!! く、こうなったらやはりボクが身体を張って室長を守るしか!?」

「えーと、グリモアさん?」

 何がどうなったらそういう結論になるのかリンディには分からない。 だが、決意に燃えるグリモアはそんな彼女の視線などお構い無しだ。 デバイスを組み立てる手を動かしながら、平行してブツブツと呟く。 やれ自爆装置はどうしようだとか、やはり遠隔でとか、いっそのこと誤作動させて、などと物騒な単語がいくつか聞こえてくる。 こうなると、リンディも気が気ではない。

「ぐ、グリモアさん? 後でクライドさんがチェックすると思うので変な細工をするのは止めた方がいいと思いますけど……」

「くっ、なんという余裕。 ボクに助言までするほど、室長のハートをガッチリキャッチした手応えがあるということですか。 敵ながら天晴れな女です。 しかもそれを利用してボクを良いように使おうだなんて! まさしく魔女の所業!」

「ええっ!?」

 結局のところ、何を言われてもグリモアが気に入らないだけなのだが、リンディはそれに気づかない。 発言をするたびにグリモアがケチをつけ、それに何か言えばグリモアが更にリンディを敵視していく。 悪循環ここに極まれりである。 そうして、なんだかんだで色々と話している様を盗み見るクライドは、予想よりも仲良くしてくれている二人に胸を撫で下ろしていた。

「ふぅ、最悪ケンカし始めるかと思ったんだが中々どうして、二人ともあんなに楽しそうに話してるなんてな。 よし、俺たちも負けてはいられないなミニモア君」

『目が腐ってるのか現実逃避してるのか、一体どっちロボ?』

 融合していたミニモアが呆れたように呟くが、クライドはそんな現実は直視せずに調整を進めていった。 だが、結局それには限界があった。 当たり前だ。 グリモアはクライドの味方ではあるもののリンディの味方ではない。 リンディはまだそれほど敵視してはいないのだが、二人は相容れぬ存在なのだ。

「決闘<デュエル>です。 もはや、それで白黒つけるしか!?」

「分かりました!! 受けて立ちますよ!!」

 なにやら物騒な発言が飛び出してきたが、クライドは調整を理由に聞かなかったことにした。 明日の昼には月を攻めることになっている。 自分の装備のこともあるが、カグヤに頼まれている仕事のこともある。 一分一秒とて時間を無駄にすることはできないのだ。 無論、女の戦いに首を出すような愚かな真似なんてする余裕は、彼にはない。

「二人とも暴れるなら迷惑のかからないところでなー」

「勿論です。 深夜ですしご近所に迷惑ですからね。 それにグランパに抜け出したことがバレたら室長が殲滅されます。 ですので、書のシミュレータ機能を利用して決着をつけてきます」

 何気に組み立て追えた杖型デバイス手に持ったまま、リンディを引っ張り外出していくグリモア。 微妙に応援して欲しそうなリンディの視線を黙殺しつつ、クライドは盛大にため息を吐いた。

「はぁ。 二人の仲が良すぎて生きるのが辛い。 そう思わないかミニモア君」

『だから、現実逃避はやめるロボ』






 三十分後、肩を落としたグリモアと何故かまた子供姿に戻っているリンディが研究室へと戻ってくる。 理由は分からないが、グリモアのせめてもの抵抗という奴なのだろう。 無駄に潔いところがあるグリモアがションボリしているということは、決闘で敗北したということなのか。

「室長、シミュレーターシステムでの実戦的な調整まで終わらせましたのでボクはもう帰ります」

「そ、そうか。 ありがとう助かったよ」

「いえ、ボクは敗者なので優しい言葉をかけられる資格などないのです。 せめてもの抵抗とばかりにあの女を明日の朝までミニマム化させます。 でも、こんなのはきっと気休めです。 決戦までの間、がんばってください。 ああ、それとミニモアにはとびっきり頑丈な盾を持たせてます。 言い忘れてましたけど、必要なら使ってください。 それでは、おやすみなさい」

「グ、グリモア君?」

 とぼとぼとクライドに背を向けて去っていくグリモアの、その哀愁漂う姿にはクライドをして声をかけたくなってしまう。 だが、敗者に情けは無用とばかりにリンディが遮った。

「クライドさん、勝ちましたよ」

 誇らしげなその様子を見て、クライドはどうしたものかと天を見上げる。 何がどうなったのかは分からないが、杖を両手に握り締めたまま嬉しそうに微笑む彼女の水を差すことがクライドにはできなかった。 

「あー、俺はまだやることが一杯あるんだが……どうする。 俺の家に先に戻ってるか?」

「ここで見てたら駄目ですか?」

「いいけど、多分つまらないぞ」

「いいんです。 いつもは見られない、クライドさんの仕事風景を楽しませてもらいますから」

「そ、そうか」 

 執務官とデバイスマイスター。 当時はその仕事がかみ合うことは恐ろしく少なかった。 だから、デバイスマイスターとしてのクライドをリンディはあまり知らない。 これは良いチャンスだった。 例え、本物が生きていて助け出せることができたら消え行く運命だったとしても、それまでにクライドと過ごす一分一秒が彼女には何よりも大切なのだから。

 本物が生きていれば、今ここに居る魔法プログラムの自分は消える。 そのことは既に説明されている。 言うなれば、今ここに居るリンディ・ハラオウンは幻なのだ。 オリジナルが居ないが故の代替者。 だが、オリジナルとの差など肉体を構成するものの差でしかない。 そしてその区別を、彼女もクライドもつけていない。 偽者が好きなものは本物も好きで、本物が好きなものは偽者も好きなのだ。 同時に存在しえない以上は、今そこに居る彼女こそが本物である。 ならば、本物に遠慮する必要さえない。 居ない以上は、怒ることもできない。 そんなものに対して遠慮するような余裕など、彼女にはないのだ。

 オリジナルは生きている。 そんな風に、彼女は思っている。 根拠などない。 それでもそう思うのだからしょうがない。 ただそれだけのこと。 仮に、もはや自分が居ないのだとしたら成り代わる。 そうでないのだとしたら消えるだけのことである。 優先順位が本物にあることが少しだけ羨ましかった。

 消えなくて済むならば、それに越したことなんてどこにもない。 オリジナルとだって、グリモアと少し前に戦ったように争っても良い。 クライドが困るかもしれなかったが、それはしょうがない。 存在する以上、自我を持つ以上はそうなってしまう。 でも、それは不可能なのだ。

(やっぱり、私の恋敵はグリモアさんじゃあないんですね。 はぁ、絶対に勝てない本物がそうだなんて、笑えませんよクライドさん……)

 真剣な顔をしながら黙々と作業を続けていくクライドを眺めながら、リンディの魔法プログラム体は苦笑した。 こんな狡い勝負はない。 酷い話だった。 

「どうかしたか」

「いえ、オリジナルがちょっぴり羨ましくなっただけですよ」

「羨ましい? 誘拐されて行方知れずになってるのにか」

 よくわからないという風に、首を傾げながらクライドはその発言を吟味する。 けれど、やはり彼には今の彼女の憂鬱な感情は分からない。

「いえ、そういうわけではないですよ。 ほら、そんなに一生懸命に作業しているのはオリジナルのタメじゃないですか。 それが羨ましく思えただけ」

「お前を助けるのに一生懸命になってるだけなんだが」

「それは私じゃなくて、オリジナルのためですよね? だから、そういうことです」

「大して変わらないんだけどなぁ。 お前もリンディだし、オリジナルもリンディだろ。 ややっこしいけどさ」

「この微妙な違いが重要なんじゃないですか」

 繊細な乙女心という奴である。 クライドは眉を顰めながら理解しようとするが、やはりそれを理解することはできなかった。

「よく分からんが、リンディ・ハラオウンが大切だってことで勘弁してくれよ」

「そういえば誤魔化せるって思ってません?」

「それは企業秘密ということで」

「もうっ」

 答えを聞いて唇を尖らせるリンディ。 クライドとしては、それ以上の回答は用意できない。 オリジナルも偽者もリンディであるというのは、クライドの中での真実だ。 大事に想う以上のことはできない。 比べる必要も無い。 というか、比べて何かが変わるとも思えない。 本質は同じなのだ。 これで二人が違う時を歩み、完全に乖離した存在として在ったなら話は違う。 だが、今はまだそうではない。

「拗ねるなって。 そうだ……何かして欲しいことはあるか? 出るのは明日の昼ぐらいだしな。 それまでになんとか終わらせるつもりだ。 そんなに時間は取れないかもしれないけど……どうだ?」

「良いんですか? そんなこと言っちゃって」

「良いも何もないだろ。 俺がお前に何かしたところで、文句を言う奴なんていないさ」

「グリモアさんは怒りそうですけどね」

「うぐっ。 ちょ……そこであの娘のことを引き合いに出すかよ普通」

「姿を消してからずっと、貴方のことをグリモアさんが守っていてくれたんですよね。 さっきは勝たせてはもらいましたけど、そのことはちょっぴり感謝してるの」

 機動砲精としての力。 その片鱗を見てきた。 そして、その力が四年前にクライドのためになったのだと言うのであれば、リンディは感謝する以外にはない。 そして、今夜もそうだった。 クライドのために進んで力を貸していた。 あの時何も説明されなかった自分、何もできなかった自分。 そんな自分をよそにクライドの力に成ってくれていたのだとしたら、怒るに怒れない。 それに、さっきの戦いではズルをされなかった。 彼女にとってはそれだけで十分だった。

 グリモアは正々堂々と戦い、リンディにチャンスを与えてくれた。 意地悪でまた小さくされはしたが、それだけだ。 口は悪いし敵意もむき出し。 だがそれでも、認めてくれてはいたのかもしれない。 恋敵として、クライドを想ういないはずの”三人目”として。

「で、どうする? おねだりされたら俺の能率がアップするかもしれんぞ」

「ふふっ、考えておきます。 決まったらお願いしちゃいますから、覚悟して置いてくださいね」

「おう。 そうと決まれば、急がないとな」

 何をお願いされるかは分からないが、それはそれで楽しみなクライドであった。














 夜は眠い。 夜行性の生物などを除けば、睡眠というのは大事な作業だ。 一日の疲れを癒す大切なそれを、人間は理由をつけて抗う。 時間が足りないから、宿題に追われているから、仕事の残業で、24間営業だから。 無論、それらが身体に悪いことは誰もが知っている。 だが、誰もがやらないからこそ進んでそんな仕事をすることにビジネスチャンスが生まれる。 例え、そのせいで寿命が縮まるのだとしても。 けれど、彼女の場合はそうではない。 彼女の理由はただ一つ。 好奇心、ただそれだけあれば徹夜さえ乗り越えられるのだ。 そして、遂に見つけた。 無限書庫の五分間で、彼女は最後に必要なピースを手に入れたのだ。

 正直、無限書庫のデータなどはどうでもよかった。 必要としたのは次元座標。 それも、アギトが隠されていた世界のもの。 無論、今の座標ならばミーアにも簡単に探し出すことが出来る。 しかし、彼女が求めたのは”次元震動”の影響を受ける前の座標だ。 こればかりは、どれだけ探しても見つからない。 だが、無限書庫にはそれが在った。 恐らくは、中枢と書庫のデータは同じ。 だから、ミシェル・スクライアは”到達”できたのだが、それを知らないミーアは胡散臭い書庫に頼るという選択を用いずにここ最近必死に探していた。 しかし、その成果は芳しくなかった。

 キールがストラウスのツテで、ヴァルハラの大学で考古学の講師としての職を得て離脱したのも痛かった。 キールの実力はミーアも認めていたのだ。 だが、さすがにシャマルとの蜜月の邪魔をするような真似はできなかったしヴィータやリインという新しい護衛のこともあってか、独立して動いていた。 そして、遂に長年の努力が報われるときがきたのだ。 

 今まで数多く調べてきた遺跡の中から、彼女が研究の末にはじき出したものだけを抽出。 その結果、やはりあの性悪女が居た場所の重要性を外すことができなかったが、最も重要な四つの座標の中心点には何も無い。 だが、今回無限書庫で入手したそれに座標を再計算してみると中心にヴァルハラが浮かび上がったのだ。 無論、それだけではない。 サバイバルデバイスで詳しくその次元座標を調べてみれば、その位置の真上にはストラウス邸があった。 ミーアは深夜にも関わらず絶叫した。

「もう、ストラウスさんも人が悪いよ。 地下にこんなに沢山ベルカの遺産があるんだったら教えてくれればよかったのにぃ!!」

 恨みがましい目でミーアはストラウスを見る。 だが、フェレット姿で凄まれても可愛いだけである。 指先にミーアの顎に当ててくすぐるストラウスは悪びれない。 ストラウス邸地下五十階、もはや知る者さえ限られた禁断の保管庫。 その巨大な保管庫に二人は居た。

「ごめんね。 でも、そういう風にお願いされていたの。 ここにあるのは全てカグヤちゃんが当時に蒐集したものばかりだから。 持ち主の意向はちゃんと聞いてあげないと、ね?」

「でもさ、がんばって探して探してやっとの思いで最終目的地が分かったときの私の落胆をどうやって処理しろっていうの」

 長い道のりであった。 それを思えば、拍子抜けしてしまうのも無理は無い。 そもそも、カグヤの仕込みである時点で胡散臭い。 だが、この地下に保管されているそれらは全て本物だ。 一番大きいものはベルカの移民船で、小さいのにいくと当時ベルカで発行されていた新聞や書物まである。 年代測定魔法で調べるとまず間違いなく当時の時代をはじき出す以上、信じないわけにもいかない。 更に極めつけは移民船内に残された乗組員や一般人の航海日誌だ。 それには、かつて”あの次元災害”を生き延びた時代の人たちの記録が存在する。 確かに彼女が求めたミッシングリンクに繋がる解答あったのだ。 また、あのクライドと初めてであったときの移民船に居た住人たちをヴァルハラやそれ以外のミッドから遠い世界へと招いたのも彼女らしい。

 同盟世界であったミッドの方に逃げなかったベルカ人だけをひっそりと手の届かないところに拡散させたのだ。 今では自分にベルカ人の血が流れているということを知っているものさえ少ないかもしれない。 彼女の剣聖としての名を使えば、確かに当時母星が消えて不安がっていた彼らも縋ったかもしれない。 その結果、多次元世界よりもベルカ式を継承する人間がヴァルハラには特に多い。 当時の最新鋭の魔法科学の、その技術の一部はそうやってヴァルハラの技術力を高める礎となっている事実はそれこそごく一部の人間しか知らない機密だ。 無論、ストラウスが流出させるアルハザードの技術も発展のカンフル剤であることは言うまでもないが、ヴァルハラが自治世界連合の顔となるまでに躍進できたのはその事実は外せなかった。 

「そういえば、ストラウスさんって結局何者なの?」

「ふふっ、レディは他人の事情を無闇に詮索しないものよ」

「えー、教えてよー。 レイジングハートは知ってる?」

 首筋にある紅いビー玉サイズの宝石はしかし、主の問いには答えない。 ミーアと同じ以上のことは知らないので、答えようが無いのだ。

「うーん、レイジングハートも知らないかぁ。 とんでもなく長生きなのは確かみたいだけどなぁ」

 そもそも、出会ってから既に十年以上経っているが一向に変化が無い。 これは普通の人間にはありえない。 次元世界では人間の寿命も千差万別ではあるが、こうなるとやはり吸血鬼という通り名が頭を過ぎる。 ただ、そうなると襟首女もそれに似た存在であるということになってしまうが、”シリウス・ナイトスカイ”という正体にたどり着いた手前、首を傾げざるをえなかった。

「ま、いっか。 でもストラウスさんが変わらないままなのは吸血鬼っていう理由があるからいいとして、襟首女は大きくなったり小さくなったりするけど……ああいうレアスキル持ちなのかな?」

「ああ、それは違うわよ。 あの娘は守護騎士たちと同じで魔法プログラムなだけなの。 だから、稼動している限りは見た目の年齢なんて関係が無いのよ」

「ずるっ!! 私は魔法少女を近々卒業しちゃうのに!!」

「アルハザードに行けば見た目の年齢だけはどうとでもなるけど……うーん、ミーアちゃんはそのままの方がいいわね。 ミシェルちゃんと同じで、その方が絶対に可愛いわ」

「お婆ちゃんと一緒にされてもなぁ。 最近だともうずっとフェレットのままだよ」

「ミシェルはもうお婆ちゃんだもの」

「あ、出た!!」

 カグヤである。 アルハザードでクライドと情報を交換してきた帰りだった。 

「そろそろ寝た方がいいわよ。 お子様はもう寝る時間でしょう」

「あのねぇ、私もいい加減いい歳になってきたんだけど?」

「私からすれば貴女もクライドも子供みたいなものよ」

「そして、私からすればカグヤちゃんも皆も赤ちゃんみたいなものよ。 二人とも、夜更かしは身体に悪いから気をつけなさいね」

「貴女に夜更かしで怒られるのはどこか釈然としないのだけど……まぁ、いいわ」

「サービス残業の鬼だもんねぇ」

 もはや普通の人類が到達できる就業時間を軽く越えている。 ストラウス専用の勤務表まで作成されているほどだが、本人は相変わらず仕事をやめない。

「いいじゃない、それでこの世界が発展していくのだから。 あ、そうだ。 ミーアちゃんのためにこんなのを作ってみたんだけど……どう?」

「なにこれ」

「何って、フェレット用のお洋服よ」

「……え?」

「カグヤちゃん、お願いね」

「はいはい」

「ちょっ――」 

 数秒後、抵抗空しく黒の背広にも似た服を着せられたミーアは、カグヤに背中から抱え上げられたままストラウスにボタンを締められていた。

「うーん、やっぱりもっと可愛らしく仕上げるべきだったかしら」

「問題はそこなの?」

「ミーアちゃんのラブリーさと、スーツのハードボイルドさを掛け合わせて見たかったんだけど、バランスがちょっとアレね。 んー、これはこれでよいと思うけどまだまだみたい」

「もしかして、今度はペット用の服を売るの?」
 
「ええ、犬用のはザフィーラに手伝って貰うつもりなのよ」

 次元世界には愛犬に服を着せる飼い主が居たりすることはミーアも知識では知ってはいたものの、まさかフェレット形態の自分が着せられるとは想像したことさえなかった。 しかも、ストラウスが採寸して作ったある意味稀有な服を着ている。 だが、いくら貴重な体験といえど奇妙な違和感は付きまとう。 慣れればそうでもないのかもしれないが、慣れるほど着ていたいと思うものでもない。 やはり、獣の服は自前の毛皮で十分ということなのだろう。 無論、ザフィーラの冥福を祈ることだけはミーアは忘れはしなかった。 寡黙な彼がフリフリのピンク服を用意されたら一体どうなるというのか。 考えるだけでも楽しみだった。

「ザフィーラさんといえば小さい方が可愛いのに、最近だとあんまりならないよね。 どうしてかな?」

「男の子の矜持とかじゃないかしら。 キールさんも滅多にフェレット姿にならないでしょ。 それと同じなのよきっと」

「なるほどね。 そういえば、そうなのかも。 キールも格好悪いとかなんとか昔言ってたし。 ヘタレの癖に生意気だよねぇ。 こんなに可愛いのに」

 大抵の男は可愛いなどと言われると微妙な気分になる。 褒められているというニュアンスは伝われど、その属性がなんとなく気に食わないからである。 だが、それを女性に理解しろと言っても酷なもので、ミーアは嫌がらせの如くキールのフェレット服を作ろうという話しまで出した。 無論、ミーアとしては冗談ではある。 けれど、それが現実になっても別に構うことは無いとも思っていた。 勿論、理由は言うまでもない。 存分にからかって遊べるからだ。 それにシャマルもフェレットは嫌いではない。 それを利用してキールを複雑な顔にさせるのは楽しそうである。 ストラウスの伸ばしてきた手に乗ると、ミーアはそのまま彼女の肩の上に搭乗する。 すると、服の上からストラウスに撫でられた。

「それで、カグヤちゃん。 明日の準備は?」

「それなりね。 クライドは時間がかかりそうだけど、私は基本的には身一つでいいし仕込みは終わったから待つだけね」

「お兄さんとどこかに出かけるの?」

「私は戦場へ。 彼は、誘拐された昔の女を助けに行くのよ。 ミッドチルダにね」

「は? ちょ、なにそんなサラリとなんでもない風に言うの!? 誘拐って……ストラウスさん!?」

「うーん、”私が”どうにかすると禄でもないことにしかならないから手を出せないのよ。 それに、心配しなくても管理局も動いてるから」

「どっちにしろお兄さんは激ヤバじゃないのそれっ!?」

 闇の書の主で、指名手配されてもいるのだ。 管理局と鉢合わせしたらどういうことになるか考えるとミーアは気が気ではない。

「お、お兄さん捕まったりしないよね?」

「どうかしら。 助ける彼女は局員だし、助けた後に身も心も捕まえられるかもね」

「ふぇぇ!? せ、説明!! 説明してよ!!」

「面倒だからしないわ。 ああ、でも出る前に一度ここに集合になってるから応援でもしてあげれば喜ぶんじゃない? 今度は守護騎士たちも出るしね」

「ヴィータたちも行くんだ。 だったら応援するするのはいいけどさぁ、大丈夫なの? 前みたいにならない?」

「大丈夫よミーアちゃん。 ちょっと彼、死にそうな目に会うぐらいだから」

「余計に心配だよっ!?」

 一人だけ蚊帳の外だったのはまだ我慢できるが、また危ないことをしようとしているのは我慢できそうに無い。

「この際クライドのことは置いておいてストラウス。 調査結果は?」

「どれから聞きたいかしら」

「そうね、ヴィータが言っていた監査官からお願い」

「ゴルド・クラウン? 彼は今管理局で指名手配されてるわね。 男の無限踏破使いに助けられて逃亡中。 居場所は管理局のギル・グレアム提督が掴んだレベルでならムーン1かしら。 そこからの足取りは不明よ」

「じゃあ、アークが言っていたレイスとかいう子や、あの件の子達については?」

「貴女が助けた子達は貴方の弟子を除いて”行方不明”。 成長してそれなりに人間らしい生活ができるようになって来た段階で、みんな極秘任務で”消えてる”。 例外はアーク・チェザイルのみ。 貴女が守った……ということになるのか、彼の身体に埋め込まれていたモノのテストのためかは知らないけれど、とにかく彼以外は全滅ね」

「……最後のフィーア・アクセルは?」

「”旧暦”のミッド人。 探偵助手として何かの事件を捜査している最中に行方不明になった。 ああ、その時タント・レグザスっていう探偵と一緒に山奥の村を散策していたみたい。 けれど近くで軍の演習があったみたいで、それに二人して巻き込まれたって風に片付けられてるわ。 貴女が”女学院”の学生になるよりも前かしら」

「なるほど、”よくわかったわ”。 貴女も、捻じ曲げていたのね」

「”ええ”」

 言うなり、カグヤは刀を抜いた。 当然、そこに手抜きはない。 ミーアが止める暇も無く放たれたその鋼の刃は、しかし目的を果たすことも出来ずに制止する。 何か目に見えない壁のようなものに遮られたのだ。 いや、一瞬ミーアの視界の向こうがぼやけて見えた。 彼女の目は健康そのもので眼鏡など必要とせうにいられるレベルである。 だというのに、視界が歪んで見えるということはどういうことなのか? 疑問に思った瞬間、前方で何かが弾けるような異音が炸裂。 一瞬の淡い燐光が世界を焼いたと同時に、斬りかかっていたカグヤの身体がくの字に折れ曲がって後方へと吹き飛んでいった。

「ちょっ、ええっ!?」

 ミーアがあんぐりと口をあけるその眼前で、盛大に床を転がっていくカグヤが受身を取りつつ身体を跳ね上げる。 着ているドレスの腹には穴が開き、口元からはダラリと赤い液体が落ちる。 驚くべきことに、ただの一撃でバリアジャケットが全損していた。 しかし、その見た目のダメージとは裏腹にカグヤの闘志は消えてはいない。 ミーアが感じたことのないほどに凍える瞳がストラウスに向けられている。 自身に向けられているわけではないと分かっているにも関わらず、ミーアは思わず恐怖してストラウスの肩からずり落ちそうになった。

「それは誰に”頼まれた”の」

「勿論、シュ――」

 瞬間、再度纏われたバリアジャケットを装着しながら、カグヤはストラウスの胸元に向かって突き放つ。 その刃の矛先は、紛れも無く心の蔵へと向かっていた。 距離を超える一歩により、既に小さな身体はストラウスの眼前にある。 間違いなくかわせない。 だが、カグヤには攻撃が当たった感触が伝わらなかった。 それどころか、気がつけば背中から抱きしめられていた。 それは、生きている時間軸が違うとでも感じてしまうほどの、怪異なる動きだった。

「――ナイゼルじゃないわよ」

「……」

「もう、本当に余裕が無いのね。 考えたら分かることだと思うんだけどなぁ。 いくら私でもアルハザードは裏切らないわ」

 耳元から、苦笑するような声が聞こえる。 それは、癇癪を起こした子供を宥めるような声色だった。

「貴女ならそれが”誰だか”分かるでしょうカグヤちゃん」

「調べられないはずのものまで調べられることを黙っていたのは、そのせいだとでも?」

「ええ。 私はそういう者だから。 貴女に教えていたのは、基本的には情報網からのもの。 さっきのは、さすがに時間とソースが足りなさ過ぎたから私がズルしただけだけどね。 過去から現在までの、事実として刻まれた情報の検索は大得意なの」

「本当に貴女には主体性がないわね」

「ふふっ、カグヤちゃんに言われるのも可笑しな話だけどね。 貴女にも”そんな余分な物”はほとんどないでしょ」

 ストラウスの手が、カグヤのドレスを這っていく。 一度千切れ飛んだその服の下からは、滴る血を滲ませている。 裂けた肌とその下にある肉からは血が滴り、決して軽傷ではないことを示している。 だが、その傷口を撫でるように執拗に指は動く。 その動きはどこか淫猥で艶やかだった。 愛撫のように熱が篭ったその動きは、心地よさよりも先に痛みを与えるだけのものである。 痛みは神経を刺激し、存在を何よりも主張してくる。 まるで、そうするしか存在を伝えられないとでも言うかのような行為だった。

 カグヤは確かに今ストラウスという存在に抱かれている。 だが、その熱には実体が無いように錯覚した。 まるで、温まった気体にでも抱擁されているかのように希薄なそれには、致命的な何かが足りない。 だが、”だからこそ”、カグヤは彼女を気に入ってもいたのだ。

 彼女が取り繕っている善人の顔は、どんな人物にも訳隔てなく向けられる。 彼女には究極悪も善も無く、ただただ機械的にそう在れる。 ”義務だから”そう振舞い続けるカグヤとは、その性質の近似さが何よりも心地よかった。 はたしてそれは役柄を誰かに押し付けられた者同士の共感だったのか。

 家のために役柄を決められていたその中で、幸運にも彼女は自分の役柄を受け入れる理由を見出していた。 そしてストラウスは、望まれた役柄にただ忠実にあるだけの存在だ。 その分野では驚くべきことにカグヤにさえ及ばない。 だからストラウスはカグヤに懐いたし、カグヤを何かと気にかけてきた。 そしてそれは、カグヤも同じなのだ。 差はあれど性質は同じ。 そして互いに拒絶するべき理由はなく、寧ろその道が限りなく近しい。 故に、そこにある種の繋がりが生まれていたとしても不思議ではない。 言うなればそれは、同属愛護の精神とでも言うものだった。

「血は見るのも嫌いだとか言っていた癖に、もの欲しそうに触るのは止めてくれない?」

「あら、私に愛でられるのは嫌になったの? 悲しいわカグヤちゃん」

「本当に、どいつもこいつも私のお友達は自分勝手だわ。 人の都合なんて考えやしないものね」

「偽善者のジルに、ジル以外基本どうでも良いアルシェちゃん。 持ち主に反抗することを覚え彼を狙い続けるカノンちゃんに、最初に望まれたようにあり続ける都合の良い”私”……確かにね。 皆いい感じに自分勝手よ。 ”貴女”と同じでね」

「私とカノンはまだ可愛いものだと思うけどね。 迷惑のかけ方で言えば、貴方たちは私たちの比ではないし、貴女と私では影響力が違いすぎるもの」

 財をストラウスが集めれば、それに連動して限られた富が奪われる。 それが経済のもたらす真理なのだとしても、彼女の気分一つで影響下にある世界が動く。 虫も殺さぬような笑顔をみせても、経済活動するだけで良くも悪くも影響を出す。 所詮は一人のフリーランサーでしかないカグヤとは違いすぎるのだ。

「五十歩百歩よ”シリウスちゃん”。 今更罪の意識から逃げ出すの?」

「まさか。 ただ、同じにされるのが気に食わないだけのことよ」

「比較的マシであるのは認めるけどね。 それを理由にしていいのはカノンちゃんはだけよ。 あの娘だけは真実巻き込まれただけだし、他の皆と違って”立派な免罪符”を持っている。 あの娘は悦びもしないでしょうけどね。 でも、貴女はもうこちら側。 言い訳はしないのでしょう。 ”シリウス・ナイトスカイ”は」

「ッ――」 

 ストラウスの指が、傷口に軽く爪を這わせる。 瞬間、激痛を感じた肉体が反射的に悲鳴を上げそうになる。 だが、彼女はそれさえも意志の力でねじ伏せた。 痛覚を切ることはできる。 しかし、そんな安易な方向に逃げれば負けなような気がしてただ堪えた。

「クライド君、貴女二度”見捨てた”ものね。 しかも今は貴方の予備。 可哀想なぐらいに不相応な大役じゃない。 そんな器はないのに、もっともらしい理由をつけてまた戦いに行くんだわ」

「……不可抗力よ」

「一度目は時の庭園で聖王に予想外に粘られて意地になった。 二度目はカノンちゃんのところでよそ見してた。 意識の内から自分の都合で完全に除外していたでしょ? それを見捨てたっていうのよカグヤちゃん」

「一度目はともかく、死ねない者の心配を四六時中私にしろというの?」

「剣を預けるというのなら、そうなるんじゃない? もっとも、手抜きがしたい”シリウスちゃん”は終われば夜天の書の中で眠るつもり。 挙句の果てに必要な時だけ彼に呼び出される”便利屋”にでもなって、”自分勝手”に満足したいんでしょ。 楽な贖罪よね。 実に貴女に都合が良いわ――」

「貴女――」

「ふふ、そうよ。 ごめんなさいね。 私の自分勝手で先手を打たせてもらったわ」

「カノンが渋っていたのにはそんな理由もあったのね」

 読まれて先手を打たれたことで、余計な時間を取ってしまった。 その理由を作ったのが目の前の女性だというのなら、あの結果にも納得がいった。 まさか、ストラウスに邪魔されるとは思ってもみなかったカグヤである。 今更ながらに”アルハザード”に所属するものたちの”捻くれ具合”について物申したくなってきた。 

「駄目よ、二人っきりが良いって言ってるところに割り込んじゃあ。 それじゃあ、カノンちゃんが可哀想よ。 もう遅いかもしれないけど……ね」

「知ったことじゃあないわ。 大体、あの娘に勝ち目は無いみたいじゃない」

「そうかしら? ”勝ち方”は人それぞれだって今の貴方なら理解しているはずよ。 カノンちゃんにはカノンちゃんなりの勝ち方があり、貴女には貴女なりの勝ち方がある。 勿論、”シュナイゼル”にもね」

「……」

「ねぇカグヤちゃん。 ”彼”じゃなくて”私”が勝たせてあげましょうか? というか、真っ先に頼るのは私だと思っていたからちょっと寂しかったわよ」

 傷口を弄られる痛みを我慢する精神が、一瞬だけ波打った。 それぐらい、その言葉は魅力的だったのだ。 ストラウスが劇薬なのだと知ってはいても、その安易な選択を取ってしまいたい。 そうして、早く楽になりたい。 だって、もうそこまでゴールは来ているのだ。 待ち焦がれたそれを、完全なモノとして享受するにはそれは”確実”であり”堅実”だ。

 だが、その提案を呑んでしまえば駄目になることは分かりきっていた。 今までの自分の努力が、つぎ込んできた時間が、積み上げてきた犠牲が無に返る。 大体にして、カグヤの行動は犠牲の上に成り立っている。 自分で決着をつけることを望むが故に、結果として”それまでの犠牲を容認している”のだ。 それは当然クライドだけではない。

 犠牲を増やしたくないと言いながら”手段”に拘って被害の拡大を結果として見逃した。 古代ベルカ時代においてはシュナイゼルを気に食わないと思いながらも見逃したことで致命的な滅びを誘発した。 彼女の在り方を指して自分勝手だとストラウスが断じたのもそのせいだ。

 だって、そうではないか。 本当にそれ以上の犠牲を出したくないのだとしたら、ルナ・ストラウスに頼めば良かった。 彼女は頼まれれば基本的に”嫌”とは言わない。 仮に、アレイスターがそうはさせないようにお願いしていたとしても、その条件に抵触しない範囲を探り、その上で効果的な”お願い”をすれば良かったのだ。

 例えば、”全ての死霊秘宝レプリカの場所を教えて欲しい”という頼みでも十分だし、”私を勝たせて欲しい”とでも言えば良かった。 だが、そんなことをカグヤは頼んだことはない。 せいぜいが会社を通じての情報収集程度だ。 ジルが居たからなんてことは、この際関係が無い。 できたはずなのに”していない”。 ”試してもいない”。 その時点で、カグヤはもうそんな方法に縋ることなどできやしなかった。 トールに無限書庫で会い、今のように追い詰められるようになるその時までは。

「勝たせてあげる……か。 ふふっ、なら代金は私の血になるのかしらね」

「血だけなんて言わないわよ。 まるごと全部貰ってあげる。 ”貴女は私になる”の。 そして、”貴女は私になれば良い”わ。 そうすれば、今までの苦労なんて馬鹿みたいに思えるぐらいに簡単に決着が付く。 何故か分からないけど、私は出会った頃からずっと貴女に感染してみたいと思っていたの」

「そう、でも残念ね。 答えは決まっていると貴女なら分かるでしょ。 少なくとも、意地悪されたから選択肢から外すわ。 それ以前に、勝たせてもらうよりも勝ちに行きたいわ。 だから貴女には頼まない」

「ふふっ。 そうね。 カグヤちゃんは意地っ張りだもんね。 残念、またの機会にするわ」

 傷口を弄っていた指を止めると、ストラウスはカグヤを開放する。 すると先ほどまであった異様な空気が霧散したことでミーアが慌てて変身を解く。 そうして顔を真っ青にしながらもフィジカルヒールを発動させてカグヤの傷口を塞ぎにかかる。

「ああもう、なんかよくわからなかったけど喧嘩は終わったんだよね? そうなんだよね? なら早くその傷どうにかしないと!! すっごく血が滴ってるよ!? ていうか、貴女さっきから平然としてるけど痛くないの!?」

「ものすごく痛いわ。 ほら、全身に脂汗が出てきているもの。 多分、アバラも何本か逝ってるし立ってるのが不思議なくらいよ。 人の体っていうのは考えていた以上に頑丈なのね。 あんなに軽く斬れてしまうというのに」

「いいから、そんなの説明しなくてもいいから!!」

「あらあら大変、決戦前夜に重症になるなんて前代未聞のハプニングよ」

「やったのはストラウスさんだよ!?」

「心配しなくてもいいわ。 これでも手加減されてるから、前に怒らせた時よりはかなりマシよ」

「そうそう、私が本気でやったらカグヤちゃんは今頃木っ端微塵よ。 前はカーペットに付いた血の掃除が大変でね、それでも意地を張ってくるものだからごめんなさいするまでおしりぺんぺんを――」

「あのときの話はいいでしょ。 ごほっごほっ」

「そう? 貴女がそう言うならそれでもいいのだけれど……」

 吐血しながらも意地を張り続ける少女と、その意地っ張りと何事も無かったかのように談笑する女社長。 常識人であるミーアにとっては異常極まりないことである。 一人で必死に処置しながら、二人の間で絶叫した。

「もうなんでもいいから救急車呼んでよぉぉぉ!!」

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