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憑依奮闘記3 外伝L

 2013-04-08
――ラプラスエミュレータ限定駆動。

――俺の魔導書<マイブック>内部プログラムリンク開始。

――フィールド選択『街中』で季節は春。 天気は快晴。

――リンク人数……2。

――強制没入<ダイブ>開始。


 その瞬間、リンディの意識が切り替わる。 外部情報は若干残したまま、感応制御システムで繋がるそこには第九十七管理外世界に酷似した世界が広がっていた。 管理世界どころか、次元世界にさえ存在しない可能性の中だけにしかまだない確立演算世界。 

 ここは、クライドが生まれた元々の世界のデータから構築された擬似世界だ。 書の中に駆動されたアプリケーションの世界であり、零と一の箱庭。 確かにここならどれだけ暴れたとしても被害はない。 しかし、リンディ・ハラオウンの魔法プログラムはそのことについて何も知らなかった。 故に、目が覚めてから広がった世界を物珍しそうな目で見渡した。

「ここは――」

 都会の街並みと、歩き続ける人々はシルエットだけの影法師。 簡易でしか演算しないのは、書を持ってしても全てを演算することができないからだ。 処理速度が圧倒的に足りなくなるから仕方がない。 都市のオブジェクトを配置するだけで精一杯。 だが、それでも十分二人が決闘をするだけのリソースはある。

「ようこそ魔女。 ここは室長の故郷のコピーです。 彼を分析する上でリサーチにもってこいの場所ですがどうですか? ボクたちが雌雄を決する場所としては最高のものでしょう。 本来、貴女が知るはずもない世界ですが、冥土の土産という奴です。 というわけで、ボクが勝ったら金輪際貴女は室長と同じ時空に存在しないということでどうぞよろしく」

「何が『というわけで』なんですか!?」

「ちっ、気づきやがりましたか。 魔女の癖に」

 心底嫌そうにグリモアが言う。 クライドが近くに居ないので可愛さは微塵もそこにはない。 

「それはそうと、気になってたんですけどなんで私のことを魔女なんて呼ぶの」

「室長を誑かす魔導師の女ですから魔女です」

「で、できれば普通に呼んでもらいたいんですけど……」

「そうですか、魔女」

「うう……」

 既に戦いは始まっているらしい。 心理戦でダメージを与えてイニシアチブを取ろうというのだろう。 一切譲歩することないその姿勢はいっそ清々しいまでに天晴れだった。

「昔はもっと大人しい感じの方だったのに、何故こんな攻撃的に……」

「全ては室長への愛が成せる技です。 えっへん」

 あんまりな答えに冷や汗をかく以外の態度が見当たらない。 なんでもかんでもクライドのせいにするのは狡いとは思う彼女であったが、それもここまで。 白黒つける戦場の上に立っている。 ならば、後はただ我を通すのみである。

「あの、それで戦うのはいいんですけどデバイスが今手元にないんですがどうすればいいんですか?」

「真に遺憾ですが私<書>のリソースを貸してあげます。 本来であれば、室長以外の何人たりとも触らせることはないはずなのですが、涙を呑みます。 ええ、飲んでやりますとも。 ついでにリンクさせている貴方の杖にデータをフィードバックして調整しますので無駄に暴れやがってください」

「わぁっ、すごいですねこれ。 私のデバイスより数段上だわ」

「当たり前です。 これでもかつて闇の書と呼ばれていたロストロギアなんですからね。 そこらにある半端なデバイスなんて比べ物になりませんよ」

「なるほど。 局が危険視するはずです」

 頷き、リンディが魔法を使う。 すると、瞬時に飛行魔法が発動。 背面から透明な翼が生えてくる。 同時にバリアジャケットを展開して完全に戦闘態勢へと移行する。 そのまま、準備運動よろしく空を舞ったり魔法を使ったりして感覚を馴染ませていく。 対するグリモアも、自分のデータをかつてのそれに設定。 電磁フィールド<メギンギョルズ>に紫銀のプラズマを纏わせて空に向かう。

「エミュレータプログラムに支障なし。 身体データオールグリーン。 プラズマ制御もシミュレート通りですね。 ふむ、戦闘データを選択。 対魔女殲滅パターンΩへと変更。 ――っと、こんなところですか」

 ここ最近戦闘をすることは無かったグリモアであるが、戦闘ロジックは顕在である。 身体さえあればそれこそクライドが満足するほどの力を貸すことさえもできる。 ただし、今回の戦いに参戦する気は毛頭ない。 クライドを助けるタメになら手は貸すが、進んで魔女を助ける気など彼女にはないのだ。

『準備はいいですか? コテンパンにしてあげます』

『今日のグリモアさん、なんだかとっても怖いですね』

『敵に情けは無用ですから』

『敵、ですか?』

『大敵で天敵で強敵で恋敵。 四重の意味で貴女は敵です。 ですので、今日のボクは容赦しませんよ』

『お、お手柔らかに』

『それじゃあ、始めましょうか』

 次の瞬間、紫銀と翡翠が空の上でぶつかった。 後に言う”第一次クライド戦争”の勃発である。 超高速で飛び交うプラズマに翡翠の弾幕。 クライドが見れば呆れるほどの空戦が、その日密かに決行された。








 空を舞う感触は嫌いではない。 強引に魔力電磁砲身を奔りながら、ふと、機動砲精は自らに与えられていたかつての力に思いを馳せる。 その間にも、幾重にも放つ紫銀のプラズマ。 翡翠の剣弾の間隙に滑り込んでいくその軌跡が、数の暴力へと進軍する。 数では勝てない。 いや、それをすることに意味がない。 数よりも質。 圧倒的な速度と破壊力。 その二乗を魔法と成して繰り出し、同時に敵の剣弾の雨に己の体躯を滑り込ませていく。

 演算機構は既に瞬間的に幾重にもルートを検索し、ロジックは最短で己が敵を叩き潰すための論理を紡ぐ。 元々、それを用意していなかったわけではない。 いつか、そう、いつかかつての力を取り戻すことを考えていなかったわけではないからだ。 最悪、前のボディ並のデバイスをアルハザードで用意することも彼女は考えた。 だが、結局のところ彼女はそれを選ばなかった。 なぜなら、そこに魔女はいなかったからだ。 翡翠の魔女が。

 元来、機動砲精はアルカンシェル・テインデルのためのデバイスで、彼女と喧嘩するために作られたと同時に主を護るための存在だ。 今ではその前者の理由は消え去ってはいるが、後者の理由だけは今も当然のように健在。 即ち、クライド・ハーヴェイを護るためになら十全の力を発揮して当然の存在なのである。 そんな彼女にとって、翡翠の魔女というのは最悪の大敵で、巷に溢れるゲームに例えればラスボスのような存在だ。 ならば当然、近づけようとは思わないし何よりも”盗られる”なんてのは女の沽券に関わる事象であった。 必然的に、彼女の頭には手加減などという単語が浮かぶことは微塵もない。 

「――ッ!?」

 剣弾に飲み込まれずに貫いたプラズマを、リンディ・ハラオウンは瞬時にバリアを発生させて防ぐ。 着弾は三発。 だが、当然それだけでは抜けない。 グリモアにはわかっていたことであり、そう簡単に潰せる程度なら苦労はしない。 そんな程度に”盗られる”なんて現実は己の力で叩き潰す。 そうでなければならない。 盗られるのは許せないし、盗られるとしてもそれが取るに足らない存在だというのは認められない。 そう、彼女にとってはこれは害虫駆除と値踏みを兼ね備えた戦いでもあったのだ。 

「本当、力押しで鬱陶しい女です。 どうして室長は――」 

 愚痴を飲み込んでスティンガーブレイドの間隙をくぐり抜ける。 瞬間、更に彼女の身体が加速する。 電磁フィールドと魔力電磁砲身による電磁加速。 人間なら前後上下左右へのこの急激な加速に大きな負担を蒙るだろう。 だが、グリモアは違う。 彼女単体の方が、クライドと一緒に居たときよりも更に速い。 当たり前だ。 彼女は人ではなく機人。 機械仕掛けの電脳存在。 人の負担とする行為の大半は無視できる。 データ上においてオリジナルデータが耐えられなくなるギリギリまではどこまでも無茶ができるのだ。 そしてなによりコレは聖戦。 限界ギリギリでさえ躊躇はしない。

「速い!? でも――」

 リンディは縦横無尽に空を駆ける彼女に感嘆の吐息を零した。 スティンガーブレイドの間隙をすり抜けながら、砲撃を加えてくる。  その技量にはさしもの管理局の魔導師導も舌を巻く。 だが、引かない。 いや、”引けない”。 それは戦いだ。 乙女の一念を通す戦いなのだ。

 今、リンディのその手には相棒<ワイズマン>がない。 だが、それよりも更に演算能力を持つデバイスに接続されている。 魔法を演算する上で、反応速度に不満を持っていた彼女がその恩恵得ている今愚痴を零せるわけがなかった。 考えうる最善を彼女は模索する。

 彼女は己に残された時間が分からない。 後、何時間存在できるのかさえ定かではないのだ。 彼女は本物が目覚めるまでの間の残影。 ただの身代わり。 ならば、その間の時間を一分一秒でも無駄にすることはできない。 

 速いからどうしたというのか。 それだけでは落される理由にはなりはしない。 グリモアが戦闘機なら、リンディ・ハラオウンは戦艦だ。 機動力で劣っても防御力と攻撃範囲では負けはしない。

「ブラスト・バレット……ウォールシフト!!」

 突っ込んでくるグリモアに向かって、爆裂弾の壁を張る。 並の魔導師では近づくことさえ躊躇する機雷の壁を前にして、しかしグリモアは止まらない。

「ディフュージョン・ミョルニル」

 瞬間、彼女の電磁フィールドからプラズマが加速する。 プラズマはやがて弾けるように拡散し、機雷群の一角を誘爆させる。 同時に、その爆炎を煙幕にしてその中を突き進む。 その姿、正に疾風迅雷。 目も覚めるような加速でリンディの眼前に躍り出るグリモア。 その足元で、紫銀に燃える五茫星が明滅している。

「プラズマ収束。 イルアンクライベル<雷神の篭手>展開――」

 馬鹿正直なその突撃を、リンディはしかし避けない。 グリモアの右腕に集束されたプラズマは、防御貫通に特化したアルハ式魔法。 並の防御魔法ではどうにもならない。 常のリンディならばそんなことはしなかっただろう。 だが、彼女はそれを敢えて受け止めることを選んだ。

 グラムサイトの視界密度を更に上がる。 目にも留まらぬ速度で迫るグリモアのそれを、魔力濃度を上げてその感度を更に強引に引き上げることで力ずくで反応し、掌を突き出す。

「シールド全開!!」

 瞬間、雷神の篭手<イルアンクライベル>を”小さな”翡翠の盾が受け止めようとして、リンディの滞空維持限界の方が先に悲鳴をあげた。 衝撃に耐え切れずにその身体が吹き飛ばされる。 だが、グリモアには確実にダメージを与えたという手応えを感じなかった。 寧ろ、純粋に驚いていた。 

「まさか、瞬間的にとはいえ受け止めた!?」

 バリアやシールドを貫通するためのグリモアの必殺魔法だ。 それを、受け止めようとするのは明らかに愚作だと思っていた彼女は、苛立ちを我慢することができずに吐き出した。

 あの瞬間、ラウンドシールドの面積を限界ギリギリまで減らし、通常の防御範囲分の魔力を収束し、密度を高めた小さなシールドで強引にそれを止めたのだ。 ただ、単純に音速で飛翔していたグリモアの突進力全てを受け止めることができなかったが故に滞空維持限界を超えて吹き飛ばされたが、それだけだ。 バリアジャケットが損傷したわけでもない。 いや、それどころか体勢を立て直すように背面の翼をはためかせながら砲撃を放ってきた。 

「――ッ!?」

 瞬間的にハイスピードを展開し、グリモアがそれを避ける。 クライドの魔法だが、かつての戦いでそれはグリモアに登録されている。 紫銀の残像を残しながら、すぐに魔力電磁砲身を生み出して加速。 追撃の弾幕から逃れるべく大きく距離を取る。 その後ろを、スティンガーブレイドの弾幕が追いかける。 リンディお得意のホーミングシフトだ。 だが、グリモアの加速に追いつけず、弧を描くような機動を取ればすぐに追撃を諦めたかのように霧散した。

『さすが、魔女の癖にやりますね。 正直、ウザイです』

『貴女こそ、クライドさんから少し聞いてましたけど本当に凄いわ。 さっき一瞬落されたかと思いましたからね。 でも、その魔力光を見てやっと実感が持てました。 貴女が、あの人を護ってくれていたんですね。 ようやく、四年前のクライドさんの力に対する疑問が解けました。 ありがとう、グリモアさん』

『室長を守るのはボクの義務ですから、別に貴女にお礼を言われる筋合いはありません』

『ふふっ、そうかもしれませんね』

 念話をしながらも、戦いは続いている。 グリモアは遠距離からリンディの攻撃を避けながら、ミョルニルで反撃を繰り返す。 遊んでいるわけではなく、もう一度懐に潜り込む機会を伺いながら、だ。 対するリンディも、一見魔法を無駄撃ちして魔力を無駄に放出しているように見せかけながら、下準備を進めている。 ただ、二人して直接ぶつかったのはコレが初めてだった。 故に、グリモアは不満を。 リンディは単純に好奇心をぶつける。

『そういえば、貴女はいつから”そう”なんですか?』

『出合って数ヶ月で、ですよ』

『早いんですね。 私は、随分とかかって更に遠回りまでしたのに。 初めは、多分良く分かってなかった。 自分のことなのに、変ですよね』

『ボクには理解できませんけどね。 あの人に期待ばっかりして何もしなかった癖に、ちゃっかり室長の傍にいる。 ボクは貴女のそういうところが大嫌いです』

『ふふっ、私は貴女が羨ましいわ。 だって、貴女はずっとあの人の傍にいられるんですよね』

『ええ。 でも、今の”貴女”は狡いです。 狡過ぎますよ。 貴女はオリジナルの幻の癖に、残滓の癖に、それを超えた位置に立っています。 しかも生まれてからたった一月もしない間に違うようになった! 正直、『ふざけるな!!』です。 貴女は、自分のオリジナルにさえ喧嘩を売ったんですよ。 本当に理解してますか』

『そう、なのかしら。 私は私<リンディ・ハラオウン>だから結局は同じだと思いますけど』

『違います。 貴女は、瞬間的に本物から、そして何よりもボクから取上げているんです。 後でオリジナルが生きていたら教えてあげます。 きっと、貴女のことを恨めしそうな顔をして睨みますよ』

『そう、なるのかしら』

 困ったような呟きが届く。

 偽者の癖に限定的に本物を越える。 それは、果たして許されることなのか? グリモアの尺度で考えればそれは、自分自身に対する宣戦布告に相違ない。 仮にグリモアが自分のコピーを作ってそれをクライドが寵愛したとしたら、まず間違いなく”ぶち切れる”。 完全型に敢えて自分のコピーではなく明らかに別のAIをインストールしたのはそのせいなのだ。 故に彼女は絶対にバックアップ目的以外ではコピーを作ろうとは思わないし、そんな不貞は”許さない”。 もし仮にコピーを作ったとしても、絶対に自分で手綱を握る。 あのミニモアのように、だ。 或いは、グリモアという存在のネットワークを構築し全員を自分とするだろう。

 それは、言うなれば独占欲の発露だ。 機人でさえそうなのだから、真っ当な人間として生まれたリンディ・ハラオウンがそれを許すとは到底思えない。 ただ、居なくなっていたらどうかはしらないがどちらにしてもよい感想は持ちづらいだろう。 『間女』が自分のコピーでした、なんてふざけた事象がまかり通るかなんて”新ジャンル”過ぎて笑えないからだ。

『オリジナル以上に貴女を室長が求めることになれば、絶対にそうなります。 ならないんだとしたら、それはリンディ・ハラオウンという女の感性がおかしいと言わざるを得ません』

『えーと、なんだか随分といわれてるような気がするんですけど。 気のせいかしら』

『さぁ? ただ、鏡の向こうの自分に室長が取られたと思えば分かると思いますけどね』

 言われたとおり彼女はなんとなく想像してみる。 自分を放置して自分のような誰かを選ぶ彼を。

『それは、なんだか嫌……かしら』
 
『でしょう? そういう意味でいえば、貴女の存在は本当に不自然になります。 貴女が自覚している以上に、ですよ。 これで貴女のオリジナルが死んでいたらそんなことは考える必要はないんですけどね』

『でも、私は私ですから。 それに、だとしても私をあの人が認めてくれています。 それはどうなるんですか?』

『室長だから問題はありませんよ』

『ええと、そっちの答えも色々と不自然だと思いますけど……』

 クライドだから問題がないなどと、そんな不思議理論がまかり通るのはあまりにも理不尽だ。 いや、そもそも論理的な解でさえない。 哲学者だって首を傾げる暴言以外にないはずだ。

『そうでもないでしょう。 要するに、室長を誑かす貴女が悪いんです』

『あはは……結局そっちに持っていくんですね』

『当たり前です。 室長はアレで良いんです。 アレが室長なんですからね』

『ふふっ、そうね。 あ、今もしかして初めて意見が合ったのかしら』

『不本意ながら――』

 加速する。 途切れた弾幕の瞬間を狙って、再びグリモアがリンディに接近する。 音速を超え、更にその十数倍の速度で飛ぶプラズマ弾を打ち込みながら。 あの小さな身体に、精一杯のクライドへの想いを乗せて突貫していく。 その、何も隠すことの無い無垢な姿には、リンディをしても困らされた。

 確固たる意思を持って突き進む紫銀の光。 その、最短距離を一直線に駆けてくるスタイルと、グリモアの性格がマッチしすぎている。 恐らくは、クライドに対してもそうだったのだ。 対して、自分自身はどうだったのか? リンディは思わず考える。

 リンディ・ハラオウンは気づくのに遅れ、余計な回り道をしてそこにいる。 グリモアが求めて求めて止まない位置に。 そして、本物がずっと待ち望んだ位置にだ。 その位置を手に入れたことは、きっかけは敵の策略だったのかもしれないけれど、それでも彼女は”届いてしまった”。 だから、その位置を容易く譲り渡すわけにはいかず、時間制限のためにできること全てやりたいと切に願っている。

――短時間のうちにできること全てを、誰に邪魔されることなく一緒に。

 望まれて、望んでそのまま普通に添い遂げる。 そんな普通がその身には遠すぎるから。 だから、彼女はグリモアに負けてやることはできなかった。 何より、彼女だって嫌なのだ。 ”グリモア”にクライドを取られるのは。 期間限定だろうとなんだろうと嫌なものは嫌。 それは、あやふやな鏡の向こうにいる自分よりもなお分かりやすい結論で、だから尚更にそれを避けたいと思わない。

 全身全霊、その魔法には紫銀の女性の気持ちが乗っている。 それを、恋敵<リンディ>は何より痛い程に感じ取れてしまうから。 だから、リンディは避けない。 そのまま再び止めに入る。 全力全開で真っ向からその想いを受け止めるために。 カードを切る。

「二度も同じ手は許しませんよ!!」

「でしょうね。 でも、これならどうかしら」

 リンディ・ハラオウンの前の空間が歪む。 ハラオウンの秘奥。 ディストーションシールドの兆候だ。 だが、それはどこか今までと違う。 グリモアはしかし、それには頓着しなかった。

 グリモアはかつてリンディのデバイスを整備していたクライドの手伝いをしていた助手だ。 そのときに彼女はリンディの魔法を盗み見ていた。 他にも、彼女の戦闘記録を見てどういう戦い方をするのか知っている。 だから当然のように対抗するための戦術を検討している。 どうやって彼女を倒すかある程度の算段をつけてあったのだ。 故に、当然のようにハラオウン一族の秘奥のことも考えていた。

 空間歪曲系魔法。 デストーションシールドは確かに破格の大魔法ではあるが、その分準備が必要で、彼女たちの弾幕はそのための布石。 無論、それを使う必要が無い程度の相手ならば弾幕に抗えずに沈まされる。 そして、リンディ・ハラオウンはそこに力押し以外の戦術を手に入れているオールラウンダー。 総合系として幅広い適正を持つ万能系であるが故に、相手のウィークポイントを徹底して突くことを念頭においてくる。 相手に対して合わせる後出し戦術。 魔法の数だけ戦術があり、時間をかければ適応してくる。 その、天性と後天の融合戦術形。 一見穴が無いようにも見えるがしかし、それでもやはり限界はある。 当たり前だ。 リンディ・ハラオウンは人間で、できることは限られている。 そう、だから彼女にできないことをして適応限界を超えれば勝てる。 例えば、そう。 魔法『アルカンシェル』だ。

 普通の人間なら理不尽だと嘆くような圧倒的な魔力量と魔法適正。 それを、更にスペックで上回る術がある。 かつて失ったそれのデータで今戦闘をこなしているのだから、当然グリモアにはアレがある。 ならば、彼女が自身にさえ負担を強いるものだとしてもそれの使用を躊躇するわけが無い。 

 瞬間、”補助動力”に火が入る。 膨れ上がる魔力生成力に比例して更にグリモアの魔力出力を引き上げる。 理不尽には理不尽を。 非常識には非常識を。 己の性能を全てを出しつくし、アルハザード生まれのロストロギアとしての力を振るう。

 誰のために?

 自分のために。 あの男のために。 出し惜しみはしない。 例え、デストーションブレイカーだとて溜めがいる。 そして、その溜めを超える速度でアルカンシェルを演算すればそれだけで勝てる。 だが、当然その瞬間無防備になる。 グリモアを持ってしてもそうなのだ。 だが、リンディの秘奥よりも計算上の行使速度は上である。 負ける要素がない。 そもそも、通常の射撃戦でも良いのだ。 彼女とリンディでは余りにも違いすぎる。 機械仕掛けの彼女は疲れとは無縁で、持久戦になれば魔力炉の恩恵もあずかれる。 リンカーコアの回復力と比べればそれは顕著になるだろう。 これは、この時点で負けるはずのない戦いなのだ。 秘奥を出されたとしても対応できる。 ならば、シールドを張られたとしてもその次に対応すればよい。 補助動力により瞬間的に魔力量を引き上げた。 先ほどの小細工に切り替えたとしてもこれで詰む。

「オーバークライベル展開。 これで――」

「デストーションナックル展開――」

 音速で飛ぶ、グリモアの拳が更に魔力電磁砲身<マジックレール>で加速する。 その眼前で、しかしグリモアは聞きなれぬ言葉を聴いた。 しかし、今更止まれない。 早すぎるが故に、戻す暇も無い。 故に、全力で叩きつけるしかなかった。

 瞬間、雷神の篭手がデストーションシールドに触れる。 そのシールドは彼女が知っている使い方のどれとも違っていた。 デストーションシールドは空間を歪ませて隔離する防御魔法。 シールドにしてバリアのように展開される全周囲形か、ディストーションブレイカーのように相手を閉じ込めて強引に歪められた空間が元に戻るエネルギーを相手に叩きつける風にして使う。 ハラオウンの一族が使うのはこの二つ。 そして、それはリンディにも当てはまる。 なのに、ここに来て彼女はデータに無い使い方をしてきた。 歪んだ空間をその右手に纏い、溜めが必要なはずのそれを発生部分を局所的にすることで高速で演算しきって。 それにより、デストーションシールドを張るための莫大な魔力と合わせて、空間を歪めることで直接接触しない分吹き飛ばされずに結果として受け止めている。 グリモアの渾身の一撃を、だ。 思わず、呆れたように彼女が呟いたとしてもしょうがなかった。

「――貴女、本当に人間ですか?」

「一応、そのつもりなんですけど」

 篭手とナックルが拮抗する。 貫通特化+補助動力の恩恵を得たはずのそれが、それを更に上回る理不尽によって防がれた。 ジョークだとすれば哂えない。 グリモアが思わず確認したのも無理は無いかもしれなかった。

「多分私の持っていたデバイスだと無理だったと思うんですけど、今演算能力を使わせてもらってるのがとっても凄いんですよ」

「だとしても、です。 ああもう、本当にどこまでボクに立ちはだかってくれますね貴女は!!」

「えっと、その、ごめんなさい。 でもしょうがないと思うの。 だって、私は鏡の向こうの私に取られるかもっていう不安よりも、貴女に取られることの方が我慢できそうにありませんから。 一分でも、一秒でも。 だから――」 

 微笑ながら、リンディが右腕の空間を操る。 それは、クライドがかつて使っていたシールドナックルの発想に近い。 ただ、その規模が破格だったというだけの話し。 ただ、それだけだった。

「くっ――」

 グリモアが押される。 腕力ではない。 人工的に歪まされた空間自体が凄まじい力で反発しているのだ。 咄嗟に左腕にもイルアンクライベルを纏い、リンディを攻撃しようとするが、それもまたリンディが左腕に纏ったデストーションナックルで止めた。

「――負けてあげませんからね。 貴女には」

 両腕を押し込むようにして、一気にリンディがグリモアを押す。 両手から一気にグリモアの外側に弾かれる。 その瞬間、リンディ・ハラオウンの両手に環状魔方陣が現れる。 スターダストフォール。 ミッド式ではポピュラーな、魔力弾などに加速力をつける魔法。 それで、デストーションナックルを瞬時にグリモアに向かって発射する。

「ぐ、くぅ――」

 さしものグリモアでも避けられる距離ではない。 ナックルはブーストナックルとなってグリモアの身体に叩き込まれる。 電磁フィールドを揺るがす空間歪曲弾。 グリモアは思う。 出鱈目だらけだ、と。 シールドを武器にするのはジルやクライドの専売特許だったはずだ。 それを、”使う必要がない人間”が小器用に使っているという現実がここにある。

 グリモアは知らなかった。 リンディがクライドの戦い方を参考にして己の魔導に組み込んでいたことなど。 だから、リンディがハラオウン家らしからぬ魔法を繰り出す可能性など露とも考えていない。 そもそも、王道を外れること事態が稀なのだ。 そのデータを知らなかったし、ましてや持っているデータが四年前のもので止まっているのだから人間の成長力を計算に入れていない今回の彼女には勝てる道理がなかったのかもしれない。 

「はい、これでおしまいです。 私の勝ちでいいですよね?」

 その瞬間、グリモアのフィールドにめり込んでいた二発の空間歪曲弾二発が元の空間に戻り、その反動を高エネルギーとして変換しながら破裂した。 極小規模のディストーションブレイカー。 規模が小さすぎるせいでグリモアの警戒をすり抜けたその一撃は、確かに彼女のフィールドを局所的に破壊して大破判定が出るほどのダメージを彼女に与えた。 二人の決着は、そうしてようやくついたのだった。 


















憑依奮闘記
外伝L
「翠幻の花嫁」



















 明け方の少し前、ようやく仕事が終わったクライドは家に帰って自分とリンディの再起動を行った。 さすがに寝不足で決戦に臨むわけにもいかない。 魔法プログラム体は再起動するたびに存在が再構築されるので、疲労や怪我はそこで一度リフレッシュされるのだ。 それでも、さすがに朝までは二時間ほどあるため、二人してリビングで仮眠を取っていた。

 初めは二階の部屋をリンディに推奨したクライドだったが、リンディがゴネたので一階での就寝となった。 いつものようにリビングのソファーで寝ようとしたが、そこはリンディに譲りクライドはサバイバル用に作った防御力皆無の『ふんわりシールド』を敷き、その上に毛布で包まっていた。 が、それを見たリンディが結局クライドの毛布にもぐりこんできたので結局は二人して一緒に寝たのだ。

 グリモアの年齢設定のおかげで、完全に大人と子供といった風情であったが二人は気にしない。 というか、気にする余裕がなかった。 特にクライドがリンディに腕枕をしたまますぐに精神的な疲れからか寝息を立てたからだ。 その様子にはさすがにリンディも頬を膨らませかけたが、それもまた自分のための疲労なのだと思えば溜飲も下がった。 

「ZZZ……」

(もう……本当に恨みますよグリモアさん。 これじゃあ、お父さんと一緒に寝る小さい子供だわ)

 あの助手は一応フェアプレイの精神は持ち合わせているのだが、それでもガードは固いらしい。 勿論、狙ってやったのだろうがそう思うと恨めしい。 これはこれで貴重な体験ではあるかもしれないが、それにしたってあんまりだ。 しかも、これだけではないのだ。

「ZZZ……」

 テーブルの上にはタオルに包まったまま寝ているミニモアの存在である。 つまるところ、二人っきりでさえないわけである。 時間が無いことに焦っているのに酷い話だ。 一分一秒さえ惜しいというのにガードは完璧。 こうなると、余計に彼女のガードを潜り抜けてやろうという気になってくる。

(そっちがその気なら、私だって手加減しませんからね!)

 そうして、子供姿のまま臨戦態勢に入るリンディだった。













「作戦開始です」

 体はいつの間にか大人へと戻っていた。 起床時間よりも早くに起き出したリンディはまだ寝息を立てているクライドの頬に軽くキスすると、静かに寝床を抜け出した。 自分でもこれだけ行動的な部分があることには驚いてはいたのだが、既に仮眠を取っている間に作戦は固まっている。

 問題は、補給物資がどうなっているかだった。 テーブルに置いておいた髪留めようの髪留めを口に銜え、翡翠の髪をいつも通りに後ろでまとめる。 そうしてリビングから繋がっているキッチンへと静かに向かい、冷蔵庫の扉を開ける。 すると、目論みどおりそれなりの数の食材が詰め込まれていた。 

(やっぱり、想像した通りだわ。 クライドさんが料理をしてるなんて話は聞いたことがなかったし、だとしたら足繁く通っていただろうグリモアさんが用意していても不思議じゃないものね)

 食材はそれなりに確保されている。 恐らくはグリモアがクライドのために献立を考えつつも買ってあるものに違い無い。 リンディは中身を物色すると、献立を考える。 昨日の夜から何も食べてはいない。 それはクライドも同じで、今日は昼から戦いに赴く予定になっている。 ならば、しっかりと食べておくべきなのだ。 心の中で台所を支配しているだろうグリモアに謝罪しながら彼女は調理を進めていく。 

 献立は簡単にサンドイッチにした。 丁度、サンドイッチ用にスライスされたパンがあったからだ。 具材になりそうなものを取り出すと、近くに駆けられていた青いエプロンも借りて調理へと入っていく。 気分は彼氏に料理を作る彼女さんである。 そう思うと、リンディの顔が少しだけ顔が綻んだ。

「それにしても、レティには感謝しないといけないのかしら」

 彼女の友人のレティ・ロウランは酒好きで、よくリンディはおつまみを強請られる。 その度に何か作っていたせいで料理スキルがそれなりに鍛えられているのだ。 本局住まいの管理局職員の中には、食堂に足を運べばいつでも食事が出来るという環境のせいで自炊をする習慣が中々付かないことが多い。 若くして管理局に勤めることになった者の中には満足に料理スキルを研鑽する暇さえ無かったというのも居て、女性局員の中には料理が人並みにできるというだけで羨ましがる者も以外と居るのだ。

 婚活に時間を割く女性陣などは態々休暇の間に料理教室に通うことも少なくはないし、男性職員でも料理ができる方が女性にモテるというまことしやかな噂に触発されてトライすることもしばしばある。 そういう意味では若くして魔導師への道を最短距離で走ってきたリンディは、レティ・ロウランに鍛えられたと言っても過言ではないのかもしれない。 そのことに感謝しながら、彼女はサンドイッチを作っていく。 クライドがわりと食べるということも考え、多めに作る。 すると、背後から足音がしたので朝の挨拶をしようとして振り返る。

「あ、おはようございま……あら? グリモアさんですか。 今日はまた随分と早いですね」

「室長より早く起きるのがボクの日課ですからね。 それよりも、貴方こそボクのテリトリーで何してるんですか」

「見ての通り、朝食の準備ですよ」

 それ以外の何者でもないのため、正直に言うリンディ。 無論、グリモアは激怒した。

「くっ、魔女め!! 昨日のまぐれ勝ちに味を占めたということですね? いいでしょう第二ラウンド勃発です。 貴女が調子に乗っていられるのもここまでですよ。 この二年間室長の胃袋を支配してきたこのボクの腕前、魔女にも披露してあげましょう!!」 

「……はい?」

 両腕の裾をまくると、きちんと手を洗ってからグリモアが白いエプロンを装備してキッチンに参入してくる。 その口元は楽しげに歪み、どこか自信満々であった。 リンディが止める暇は、勿論無かった。 どこに何があるか把握している彼女はリンディが作っていたモノを見てフッと笑うと、おもむろに炊飯器へと手を伸ばす。

「貴女がパンで攻めるなら、ボクはご飯で攻めましょう。 室長の大好物の”ご飯”で」

 あくまでも徹底抗戦するつもりらしい。 しかもさりげなくクライドの好みを押さえての参戦だ。 これにはさすがのリンディもピクリっと眉を動かす。

「クライドさんに好き嫌いは無かったはずですけど」

「室長にだって好き嫌いの一つ二つありますよ。 おや? もしかして知らないんですか」

「ええ、知りません。 でも、クライドさんなら一生懸命作れば喜んでくれるはずです」

「それは貴女に遠慮してそう取り繕うというだけのこと。 一種の社交辞令という奴です。 ふっ、無理をさせて喜ぶとは程度の低い愛もあったものです。 これだから魔女は」

「……言ってくれますねグリモアさん」

「実績のあるボクと貴女ではそれだけの差があるということです」

「なら、確かめてみるしかありませんね」

「――当然です。 室長の目の前で今度こそコテンパンにしてあげます」

 その瞬間、確かに二人の間で翡翠と紫銀の視線がぶつかり火花が散った。 それを合図に二人が一斉に動き出す。 こうしてパンとご飯。 朝の主食をニ分する二大食材の仁義無き戦いの火蓋が斬って落とされた。 第二次クライド大戦の勃発である。













 朝、気がつくとキッチンが賑やかだった。 そして、なにやらいい匂いがした。 それは紛れも無く料理の匂いで、独り身の男があこがれるシチュエーションだったに違い無い。 彼女がエプロンをつけ、自分の家で手料理を振舞ってくれる。 この事実の前には、さしものクライドも感動を覚えないわけにはいかない。 そう、普通ならそのはずだった。 それぞれ青と白のエプロンで武装した二人を見るまでは。 

(どうしてこうなった)

 クライドの眼前の皿には、サンドイッチとおにぎりの山が乗っていた。 それだけならまだ苦笑いで済ませられるところであったが、コーヒーとお茶までもが対峙していた。 そして当然、それを用意した二人もまた対峙している。 朝っぱらから随分と胃にくる光景であった。

「それでその、なんだ。 俺にどうしろと?」

「好きなほうを選んでください。 それによって、食についての決着が着きますので」

「どっちがどっちを作ったんだ?」

「それは秘密です。 クライドさん、信じてますからね」

 信じられても、猛烈に困る。 そもそも決着は昨日には着いたはずなのだ。 それに何故、食限定なのだろうか? クライドは首を傾げながらも料理へと視線を向ける。

 サンドイッチ選手はシンプルな三角型。 具は見たところハムとレタスのサンド、卵サンドだ。 良く見ればチーズが入っている奴もある。 対するおにぎり選手はというと、さすがに中身は分からない。 しかしサンドイッチ選手と対抗するためなのかその身を三角で統一し、味付け海苔に包まっていた。 中身がものすごく知りたいという欲求が、クライド突き動かす。 だが、手を伸ばそうとするとリンディの頬がかすかに膨れた……ような気がしてクライドは手を引く。

(おにぎりはグリモア君か)

 今度は、サンドイッチに手を伸ばす。 すると、無表情に定評があるグリモアの顔が悲しげに変わったような気がした。

(……駄目だ。 単純に好意で決めるのは何かが違うぞこれは)

 リンディを選ぶか、グリモアを選ぶか、それは昨日の時点で決着が付いている。 しかして、これは料理を用いた代理戦争ではあるものの目の前に存在する料理に罪は無いのだ。 ましてや、パンとご飯が争うことに何の意味があるのか? クライドは葛藤する。 そうして、いつものように選択した。 右手でサンドイッチを掴み、左手でおにぎりを掴む。 そうして、一つずつ平らげる。 その間、何故か白けた眼が二対クライドに突き刺さる。 

「誤魔化しましたね」

「ええ、そのようですね魔女」

 二人して追撃の構えを見せるが、クライドも譲らない。

「なんだ、どっちも美味いじゃないか。 これなら朝にどっちが出てきてもいいだろ。 パンと米で争うのは不毛だぞ」

「クライドさんはどっちが好きなんですか? この際ハッキリしてください!」

「それによって、今後の献立に大幅な修正が入る大事な案件ですよ」

「じゃ、ラーメンで」

「そんな……ここに来てまさかの第三勢力投入ですか!?」

「つまり、修行して来いということですね? 分かりました。 手打ちから学んでおきます」

 遂に、第三勢力の麺が割って入ってきた。 そのことに慄きながら、二人して唸る。 クライドはというと、悩む二人をそのままに食事を終える。 炭水化物と炭水化物の組み合わせだったが、コーヒーとお茶という増援を駆使してなんとな乗り切ると悩む二人をそのままに洗面所へと逃げ込んだ。

「やべぇな。 あの二人を一緒にすると何かにつけて対峙しかねん。 何か、何か考えておかないと。 せめて仲良くしろとまでは言わないが、争わないで居てくれればいいんだが……無理かなぁ?」

 決戦の前の朝に、何故こんなことで頭を悩まされなければならないのか? 平和主義の男は洗面所の鏡を見た。 そこには、どこか困ったような顔をしている自分が盛大にため息をついている姿が映っていた。

「はぁ……」

 眠気も残っている頭をしゃっきりとさせるべく、クライドは水道のレバーを上げる。 排水溝に流れる水のように、あの二人の相性の悪さも流してしまいたい。 そんな益体もないことを考えながら、顔を洗ってタオルで拭く。 そうして、シャワーを浴びる前に歯でも磨こうと思ったところで何故か浴室のドアが開く音がした。

 この家は当然ながらクライドのモノだ。 デバイスであるグリモアはともかくとして、三人目の住民などいない。 訝しんで振り返ったクライドの視線のその向こう、何故か湯上り姿の少女が居た。 それを見た瞬間、咥えていた歯ブラシが静かに洗面台にダイブした。

「お前、いつから入ってたんだ。 ていうか、何故さも当然のように俺の家の風呂に入っていやがるんですか」

「私が誰の家のお風呂を頂こうと私の勝手でしょう」

「そりゃ、確かに誰の家の風呂に入ろうが確かにお前の勝手だ。 その理屈だけは正しい。 しかしな、それ以前に家主に許可を貰うぐらいはするべきだろうと俺は思うわけなんだが……どうだ?」

 まさか、アルハザードでは勝手に他人の風呂に入ってもいいなどという法律があるわけではないはずだ。

「安心しなさい。 ジルに許可を貰ってるから」

 抗議すると、前の家主の名が出てきた。 しかももうこの家の主でない男の。 分かってて言っているのか、それとも単純にそれで押し通そうというのかがクライドには判別できない。 ただ、彼女が本気で言っているらしいことだけは理解した。 カグヤという女は体を張ったギャグなど間違っても行わない。 つまりは間違ってもこれはアルハザードジョークではない、ということである。

「もしかして俺が気づかない間もよく使ってたのか?」

「ええ。 カノンは知ってるわよ」

 さも当然のように脱衣所のタオルで身体を拭き始めるその少女。 クライドは落ちた歯ブラシを洗いながら、前の持ち主の度量に感服した。 それが本当ならそれが当たり前だと思うほどに利用されていた、ということなのだから。

「ジル・アブソリュートって男は、どうやら俺の想像よりも遥かに度量がある奴らしいな」

「そうね。 狭量ではなかったわ」

「ちなみに、奴は生物学上は男だったと聞いているが……」 

「私は彼にとって女性ではあるけど女にカテゴリーされているわけではなかったから問題なんてないわ。 彼の中で女に該当するのはアルシェだけだもの。 そういうところはとても可愛い男だったわね」

「……」

 カテゴリーされようがされまいが、男と女だ。 そう言おうかとも思ったが、カグヤに言っても聞くとは思えずクライドは歯磨き粉をたっぷりとブラシにつけ直して歯磨きを再開する。 だが、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。

「まさかとは思うが、だからってそいつに背中を流させてたとかそういうことはない……よな?」

「そういえばないわね。 彼なら言えばやってくれたでしょうけど」

「お前の中でジル・アブソリュートってのはなんなんだ。 召使いか何かか!?」

「アルシェの男でお友達よ」

 どうにも、それ以上だったのではないかと邪推したくなるのを堪えながらクライドは歯磨きを再開する。 それにしても、と思いながらクライドは内心に浮かんだ疑問に思考を巡らせた。

(こういうときって悲鳴上げながら男を追い出すか、浴室に逃げ込むのが普通だと思うんだが……)

 そんな気配は彼女には微塵も無い。 それどころか普通に着替えまで始める始末だ。 何故か無性に自分の常識の方が間違っているのかとクライドは本気で悩みそうになる。 

(リンディなら間違いなく悲鳴を上げるだろうな。 グリモア君の場合はこれ幸いと俺に責任を取らそうとする……かな? しかし、何故だ。 何故さも当然であるかのように着替えまでストックされている。 グリモア君のじゃなかったのか。 一応ここはもう俺の家のはずだが……まさか、二階に自分の部屋とか持ってないよな?)

 二階はクライドにとっては魔の領域。 ふと、客室があるとかグリモアが言っていたのをクライドは思い出してげんなりした。

「なぁ、もしかしてお前の部屋が二階にあったりするか?」

「当然でしょ」

 「当然なのか? 寧ろ不自然だろう!!」と、突っ込みたいのを我慢してクライドはもうこれ以上聞くのを諦めた。 ヴァルハラへの移動などでグリモア共々よく世話になっている。 それぐらいならば別に、運賃として利用してもらうのも吝かではない。 そう思うことで込みあがってくる疑問の渦を鎮めていくことしかクライドにはできない。 というか、よくよく考えればどうでも良いことだった。 なので、今度はドライヤーを使い始めた彼女を放置して口をゆすぐ。 が、何か用があって来たのではないかと思い直し尋ねる。

「そういえば、迎えのついでだとしても早くないか? 何かこっちで用でもあるのかよ」

「私の再起動のついでよ」

「お前が再起動? 別に負傷でもしなきゃする必要なんてないだろ」

「昨日の夜にストラウスに殺されかけたからよ」

「……意味が分からん。 なんでそんな状況に陥るんだ」

 クライドにとってストラウスというのは人の良い社長だ。 ミーアたちスクライア一族への出資もそうだし、ヴォルケンリッターの件でも大変にお世話になっている。 他にもグリモアの店の件なども合わせれば恩人と言っても過言ではない。 そんな人と何故そんなことになるのか、クライドには分からない。

「喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩というか八つ当たりというか……まぁ、そんなところよ。 いつもどおり一方的にやられたけど」

「お前が一方的に? 冗談だろ」

「私もまだまだ修行が足りないってことよ。 興味があるなら刃を向けてみればいいわ」

「いや、止めとく。 そうか、大人しいから忘れてたけど、あの人もアルハザードのとんでも人間だったんだよな」

 争う理由がそもそもないし、カグヤのようにVIPに勝負を挑むような度胸はクライドにはない。 あの温厚そうなペルデュラボーでさえ教会騎士を問答無用で捕縛できるのだ。 ストラウスが強くても不思議ではない。 第一、ザフィーラがストラウスがヒットマンを倒したとか言っていたことをクライドは思い出す。 ならば、そういうこともあるのかもしれないと納得しておく。

「ところでクライド、私からも聞いていいかしら」

「なんだよ」

「貴方はさも当然のように私の裸を見た挙句、着替えまでちらちらと見ていたわけだけど……普通は悲鳴を上げて逃げるか浴室に逃げるなりするべきだったんじゃないかしら」

「――え? その選択肢がお前じゃなくて俺に適応されるのか?」

「常識的に考えるとそれが順当だと思うのだけど」
 
「俺はてっきりお前が気にしないから気にしてないのかと思ってたんだがな。 いつもより更にちっこいし……な」

「いつもより小さいのはお風呂が大きいほうが気持ちがいいからよ。 別に貴方に気を使ったわけではないわ」

「「……」」

 どうやら、二人の間で見解の相違が多分に含まれている状況らしい。 クライドはなんとなく風向きが悪くなったことを敏感に感じ取る。 故に、慌てて弁解を試みる。

「待て、俺は”紳士”だ。 それに、ただ歯を磨いていただけであって断じてお前の裸を覗こうとしていたわけではない」

「自称紳士なのは知っているわよ。 でも頭に”むっつり”がつくのでしょう?」

「いやいやいや、それは男として普通レベルという意味だ。 断じて自らが死ぬかも知れない偉業を達成しようなどというハイレベルな聖戦士たちと一緒にはしてくれるな!」

「なるほど、それはつまり私には覗く価値が無いと言うのね? それはそれで問題のある発言だわ」

「いや、だからそれも可笑しい。 この状況を問題視しているのかしていないのかサッパリ分からん発言だ。 お前は俺に一体どうしろというんだよ」

「なんとなくこの状況を疑問に思ったから聞いただけよ」

「俺だって疑問だったわ!!」

 しかし、圧倒的に自分が不利だということはクライドは察していた。 このままカグヤがあの二人に自分の対応について聞いたら、一体どういうことになるのか。 考えるだけでも恐ろしかった。

(せ、戦況は圧倒的に不利だ。 これはなんとしても乗り切らねば)

 女三人に男一人だ。 この時点で勝敗は決まっているようなものではないか。

「とにかくだ。 今回は不幸な事故だった。 次回からお互いに気をつけるということでどうだ?」

「確かに注意しなかったし、気にも留めなかった私にも落ち度はあるかもしれないわね」

「うむ、これにて一件落着だ。 ご老公の印籠が出たし俺も朝シャンしたいので風呂に入る。 この件はこれで終わりにしよう。 朝飯がまだだろう? リンディとグリモア君が多めに作ってるのが残ってるはずだから食っていくといい」

「そう、じゃあ貰おうかしら」

(セーフ!!)

 浴室から出て行くカグヤの背を見送りながら、クライドは大きく息をつく。 ヘタに長引かせるのは危険だった。 こうして喧嘩両成敗にすることで相手にも妥協させる外交行為は上手くいった。 後は彼女が二人に喋るかどうかだが、態々喋るようなことはすまい。 そう思い、服を脱いで浴室へと入ろうとする。 瞬間、二人の声がした。

「すいません、クライドさんがどこに行ったか知りませんか?」 

「クライドならお風呂よ。 ついさっきまで話してたわ」

「そうですか。 ちなみにシリウス、まさかとは思いますけど室長が貴女に気づかずに浴室に乱入したということはないですよね?」

「ええ。 エンカウントしたのは私が出てすぐだから」

「それって……」

「シリウスまさか?」

「本人にその意図はなかったようだけど、見られはしたわね。 その後は着替えながら少し話しはしたけど……彼は自称紳士らしいから視線だけで手を出しては来なかったわ。 血迷ったら斬ってあげるつもりだったんだけどね。 運の良い男よ」

 クライドはそこまで聞いてすぐに浴室のドアに鍵をかけ篭城の構えを取った。 数秒もしないうちに二人が脱衣所に突入し真偽を尋ねてきたが、クライドは知らぬ存ぜぬで臨んだ。 もちろん、二人はそんな戯言を信じなかった。
















 ヴァルハラへと到着した一行はクライドとカグヤをストラウス邸へ、リンディはグリモアと共に用事が済むまでは店を見学することになり別行動を取っていた。 リンディもクライドと一緒に行くつもりだったのだが、クライドがグリモアの店で待っているように言ったので渋々そちらへと移動していた。

「へぇぇ、ここがグリモアさんのお店ですか。 確か、クライドさんもバイトをしているんですよね」

「はい。 今は誰かさんのせいでバイトはお休みですが、終わればまた復帰すると思います」

 店の鍵を開け、カウベルが鳴る店内へと進むグリモアの後を追いながらリンディは物珍しそうに店内に視線を向ける。 ちょっとした喫茶店程度の大きさ、というのが彼女が感じた感想である。 本局の研究室や航行艦内部のデバイスマイスターのそれと比べれば当然のように内装が明るい。 グリモアは適当にリンディをテーブル席に座らせると、自販機で缶コーヒーを買ってリンディに渡しそのまま店の奥へと消えていく。 リンディはなんとなくその辺りにおいてあるデバイス関係の雑誌を手にとり、用意されたコーヒーを頂くことにした。

「こ、これは……」

 間違いなく無糖であった。 甘さの欠片もない味わいに、思わず涙目になりそうになる。 どうやら、盛大なトラップを仕掛けて消えていたようだ。 グリモアの好みが無糖であることを忘れていたリンディは、カウンターの奥の部屋へと消えた機人に対して恨めしそうな目を向けてから雑誌を眺める。 特に気になる記事はない。 マニアックなそれに対して常人よりは少し詳しい程度の知識しか持って居ないからである。

 性能が気になれば本局のデバイスマイスターに相談するのが常である。 自分でどうこうする趣味はないため、パラパラと流し詠む程度が精々だった。 そうこうしているうちに、仕事着に着替えたグリモアが店内の清掃を開始する。 何故か”シスターさん”の格好で。 

「……グリモアさん。 ここは、デバイスのお店なんですよね?」 

「そんなの見れば分かると思いますけどね」

 確かに、有料の調整漕があったりデバイスのカタログや雑誌などが置かれている。 ショーケースには様々なデバイスやパーツが置かれていたりもする。 しかし、明らかにそのファッションだけが浮いていた。

「店が、というよりも貴女の格好がその疑問の源泉なんですけど」

「これはストラウスの趣味と私の実益を兼ねた仕事着です」

「そ、そうですか。 私はてっきり聖王教会にでも入信したのかと……」

 どこかホッとした顔で、リンディは安堵のため息をつく。 クライドの趣味かとも少し邪推してもいたからである。 

「聖王教会にですか? はっ、ありえませんね。 あんな大昔の人間兵器を崇めるような怪しい団体に何故ボクが入信などしなければならないんですか」

「怪しい団体って……」

「人の良い室長に粗末な拘束衣を着せて不自由な生活を何日も強い、さらには適当なレトルト食品を食事として出しつつ狭苦しくも不衛生な鉄格子の中に不当に監禁するようなカルト連中など、いっそのこと滅んでしまえばいいんです。 く、今思い出しても許しがたい連中です。 貴女の次ぐらいにムカムカしてきましたよ」

 どうやら次元世界中に広まっている一大宗教も、グリモアからすれば敵対勢力と相違ないらしい。 さすがのリンディも少し前に世話になった手前、擁護したい気持ちになったが言うのを止める。 言えば、間違いなくグリモアの機嫌が悪くなるのが分かるからである。 モップを握る両手が、怒りに震えているのがその証拠だった。

「もはや連中はボクと室長の式には不要な存在です。 やはりここはホテルの広間を貸しきって盛大に! が、ファイナルアンサーでしょうか。 当然、式は身内だけでということになります。 ああ、心配しなくても当然のように貴女は呼びませんから安心してください」

「安心できるわけないじゃないですか!!」

 さすがに、突っ込まないわけにもいかないのでリンディは突っ込んだ。

「貴女まだクライドさんを狙ってるんですか!」

「それは違います。 間違っていますよ。 貴方がボクの室長を狙っているんです。 訂正を要求します」

「ふぇぇっ!? どういう理屈ですかそれ!」

 この後に及んでまだグリモアは強気である。 その剣幕にはさしものリンディも呆れた。 クライドの彼女は自分である。 その認識は間違いない。 なのに、徹底抗戦を止める気が無いグリモアがどこか勝ち誇った顔で言うのだ。 そうまでして強気に出られる理由な一体なんなのだろうか? リンディにはそれが分からない。

「まぁ、所詮今の貴女には関係が無いことです。 アレがある限り、ボクはまだ百万年は戦えるんです」

 フッ、と口元を軽く歪ませながらグリモアが掃除の続きへと戻っていく。 思わせぶりなだけの態度ではない。 絶対の自信が彼女にはあるのだ。

「な、なんですかアレって! どうせなら最後まで説明してくださいよ!」

「説明ですか? 別にいいですけど、アレは貴女には関係ないことですよ。 困るのは貴女のオリジナルだけですからね。 アレがある限り、オリジナルは絶対に室長と結婚できません。 アレには、それだけの力があるのですからね」

 アレとは一体なんなのか? さしものリンディも唸る。 自分には関係なくて、オリジナルにはあるもの。 なぞなぞのようなそれが何なのか考えてみるが、まるで想像ができない。 管理局で航行艦の艦長にもなったリンディにも、だ。

「ふむ、やはり分からないようですね。 ふっふっふ」

「私に関係ないんだったら、教えてくれてもいいじゃないですか」

「そこまで言うなら見せてあげてもいいですよ。 これを見て精々絶望するがいいです魔女め」

 カウンター席から一枚のコピー用紙を取り出し、グリモアはリンディに見せる。 それは、とある書類のコピーだったがそれを見たリンディの顔がみるみる内に青ざめてしまう。

「こ、こここ、これはまさか……」

「そうです。 室長とボクの婚姻届のコピーです。 既にヴァルハラの役所で受理済みの」

「受理……済み? え? えぇぇぇぇ!!」

 グリモアが強気で居られるわけである。 既に世間的な決着が着いてしまっているのだから。

「ちなみに、こちらが戸籍のコピーです。 いやぁ、室長が無頓着でよかったです。 まだヴァルハラはアルハザードとの表向きには正式な国交があるわけではないので、バイトの給料とかの税金関係をどうしようかと思ってたんですが……ね。 それ関係で戸籍をこっちに作りたいという話をしたら、適当に頼むといって任されました。 ボクも自分の分を用意しないといけなかったので、きちんと二人の関係を公に刻んでおきました。 故に、ヴァルハラでは既に室長とボクは夫婦扱いです。 仲間内ではストラウスとシリウスぐらいしかまだ知りませんけど……ね。 カノン・ハーヴェイ……中々に良い響きです」

「そんなっ!!」

 ずどぉぉん、である。 心理的にそんな感じの擬音に叩きのめされるような気持ちになりながらリンディはその書類のコピーを見つめる。 しかし、どれだけ翡翠の目を凝らしてもその書類は文字を変えない。 クライドとグリモアの本名でしっかりと記入されてしまっている。 ちなみにちゃんとハーヴェイ性での登録であった。

「つ、つつつつまりこの状況だとオリジナルがクライドさんと法的な意味で一緒になるには貴女と別れさせてからでないと駄目だってことに……」

「その通りです。 当然、裁判にもつれ込めばボクは徹底的に争ってあげます。 既にストラウスにも相談積みですから、ヴァルハラでやる限りはボクに負けはありません!!」

「ここまで、ここまでしてたんですか……」

「当たり前です。 あらゆる手を打ってこその全力です。 手抜きなんてする気はありません。 それは室長に対して失礼に値しますからね」

「えーと、でもこれをクライドさんが見て怒ったらどうするつもりなんです?」

「その時は潔く離婚届に判を押すだけです。 ですが、その程度が何だというのです。 室長の戸籍に魔女の名前だけ記載されるなどという悪行、許せるはずがないじゃないですか!! この程度、可愛い悪戯の範疇です。 ええ、まったく問題ではありませんよ」

(後で絶対にクライドさんに言っておかないと!)

「無論、これだけがボクの自信の源というわけでもありません。 こんなのは氷山の一角に過ぎませんからね」

「ソーデスカー」

 オリジナルのリンディ・ハラオウンはどうやらとんでもない相手を敵にしているようだ。 その事実に、改めて戦慄を覚えるリンディだった。 

「とまぁ、そういうわけなので最終的なボクの勝利は決まっているのです。 精々、残り時間を謳歌しやがってください。 どうやら室長は貴女の我侭を聞くつもりのようですしね。 まったく、魔女の相手をするぐらいならボクの相手をしてくれればいいのに……」

「それはどういう……」

 グリモアはそれ以上は答えず、書類を元の場所に戻して店の奥へと消えていった。 と、それから数秒もしないうちにカウベルの音が店内に響き、クライドがやってくる。

「準備できたぞリンディ。 出発までの残り時間はお前にやるから、ちょっと街に出ようぜ」

「あ、はい!」

「グリモア君、んじゃ行ってくる」

 奥の部屋へ届くようにそれなりに大きな声でクライドが言うと、すぐに扉が開いてグリモアが姿を現す。

「了解です。 いってらっしゃいませ”あなた”」

「うえ?」

「……もう!」

 リンディが見たこともないような笑顔で見送るグリモアにちょっとだけ頬を膨らませながら、彼女はクライドの腕を取ると店内から出ていこうとする。 クライドは首を傾げるだけだったが、軽くグリモアに手を振ってから外に出た。 一人残ったグリモアは、表情をいつも通りの無表情に戻しつつクライドの嫁から硬派な店長へとジョブチェンジ。 仕事の準備にとりかかりながら一人呟く。

「さて、今日は昼から臨時休業にしましょうか。 ボクの力が必要となる状況もあるでしょうし――」

 彼女には確信に近い予感があった。 だから、そう。 リンディ・ハラオウンを助けるためにではない。 クライド・ハーヴェイを救うために備えるのだ。 彼の心を救う、ただそのためだけに。


















 デートはつつがなく進んだ。 もとより、邪魔をしてくる者などもいない。 精々邪魔してくるのは時間だけ。 それ以外は特に問題などありはしない。 だから、クライドは全力でリンディを連れまわした。

 朝の公園を手を繋いで歩き、駅前の店で軽く服を見て周り、リンディが好きそうな甘味を喫茶店で味わったり休憩を挟んでから教会へと向かった。 そこには、先行させていたミニモアやザフィーラたちがおり、準備をしてくれていた。 それは、彼女が望んだ願いの先の、究極系だった。

 彼女の願いは単純だった。 タダ一つ。 消えるまでの間に、戦いに出るまでの僅かな時間でも良いから恋人らしいことがしたいという、ただそれだけのものだった。 だからこそ、クライドは捻出した最後の時間を彼女のために全力で使うのだ。

「リンディ?」

 その彼女の姿を見たとき、クライドは思わず息をすることさえ忘れた。 純白のドレスでその身を彩った彼女の姿には、さしものクライドも呆けるしかない。 自身も負けじと白のタキシードで武装しているくせに、男と女ではこうも違うのか? そんな益体のない疑問さえ頭に浮かんでいた。

「クライド……さん?」

「あ、ああ。 なんでもない」

 小首を傾げた拍子に、ヴェールに隠されていた翡翠の髪が揺れる。 その、何気ない仕草さえ今は彼にはまるで別人のように見えてしまう。 感嘆の吐息を吐きながら、しかしそれでもクライドは自然と微笑んで見せた。

「その……アレだ。 き、綺麗だ……ぞ」 

「ありがとうございます。 クライドさんも似合ってますよ」

「どうかな。 白衣には慣れてるが、こういうのはちょっと……な」

「ふふ」

 お互いに、やや堅い。 だが、それもそのはずだ。 本来であれば、これは一生に一度着るか着ないかの正装だ。 慣れている人間などいやしない。 はにかむように二人して笑い、そうして自然と二人して寄り添って歩き始める。  

「お願いにしちゃあ、でかいイベントになったな」

「オリジナルには悪いですけどね」

「確かにな」

 そもそも、生きているかどうかさえ分からない。 月のどこかに居るかもしれないというのであれば、探すだけ。 そして生きてさえ居てくれたなら、その時は偽者は消える。 だから、これが最後かもしれないと思えば彼女は思い出が欲しかった。 例え偽者であろうとも、そこには確かに譲れないものがあったのかもしれない。 クライドはその申し出を受け入れた。 断る理由は特にない。 本物への浮気に当たるかもしれないが、彼からすれば偽者も本物もありはしない。 その原理が正しくコピーである以上、向けるべき感情は同じである。 嫌というわけでもないなら、問題などない。 それ以上に、気にすれば自分などすでに人外なのだ。 魔力で存在を構成している自分自身を含め、否定することができない。

「しっかし、妙な関係だよなぁ今の俺たち。 本物見つけたらまた告白からやり直さないといけないわけだしさ」

「それはその、がんばってください」

 通路を歩く。 歩調をリンディに合わせて歩く二人の歩みは遅い。 少しでその瞬間を短くしようとしているかのように。 だが、そんなことをしても終わりは来る。
 
「なぁ……我がまま言っていいか?」

「なんですか」

「オリジナルが死んでたら残ってくれ」

 無体な言葉と分かっていても、それでもクライドは言った。 リンディは返事を返さない。 だが、小さく頷いた。

「すまん」

「いいえ。 でも、それはきっと嬉しいことだと思います。 求められてるって、実感が沸きますから。 でも、そうじゃなかったら消えますからね」 

「ああ」

「狡い人。 私<偽者>を私<本物>の保険にするつもりなんですね」

「知ってるだろ? 俺が狡い奴だって、さ」

「ええ、だから言ってあげてるんじゃないですか」

「ちぇっ。 なんだよそれ」

 苦笑しながら、扉の前に立つ。 すると、両サイドで準備していたザフィーラとカグヤが扉を開けた。 開かれるその先へ二人は進む。 その先に広がっているのは長椅子だけが綺麗に整列している広間だ。 左手の奥には壇上があり、そこから上へと視線を向ければステンドグラスがある。 まさしく教会然とした佇まいの一室を二人して歩む。 

 誰も観客がいないその教会。 静寂で厳かなその空気をかき消すのは、クライドとリンディの足音だけ。 自然と会話はなくなり、バージンロードを歩く二人は胸を張って歩き続ける。 所詮、これも”ごっこ遊び”でしかないと二人して理解している。 だが、それでもこれが彼と彼女の結婚式だ。 神父も客も何一つない。 誘われるべき誰も彼もがいない、二人だけの晴れ舞台。 そもそも、二人して正式な手順さえ良く分かっていない。 だが、それでもそれは確かに式であった。 それ以外の何者でもない儀式。 形式など、もはや二人にはどうでも良いことなのだ。

「ねぇ。 私、今誰もいないのに緊張してるんですよ。 心臓が張り裂けてしまいそう……」

「俺もだよ」

 壇上の前で向かい会う。

「指輪の交換はパスだ。 さすがに用意できなかった。 とりあえず、そうだな永遠の愛でも誓うか」 

「そうですね。 おほん。 それではクライドさん、貴方は病める時も苦しいときも健やかなるときも楽しいときも、共に分かち合いずっと愛してくれるって誓ってくれますか?」

「はい、誓います」

「ふふっ、もしかしたら嘘になっちゃいますけどね」

「嘘にしたくないのが本音だけどな。 さて、今度はお前だぞ」

「ええ」

「えー、リンディ・ハラオウン。 貴女は俺を愛しちゃってますか」

「はいって、なんですかそれは」

「じゃあこれからもずっとそのままで居てくれますか?」

「ええ、誓っちゃいますよ」

「よろしい。 ならば誓いのキスだ」

 ヴェールをよけ、自然とかかとを浮かせたリンディを抱き寄せながらクライドが口付ける。 その抱き寄せる力には、自然と力が篭っていた。 その手が、若干震えているのに気づきながらも、リンディはクライドにただ身を任せる。

「……ん」

 やがて、どちらともなく唇を離す。 どこか潤んだような翡翠の瞳。 そして、それを見下ろす黒の瞳。 それが絡まった瞬間に、クライドはもう一度キスをした。 今度は、誓いなど交わすためのキスではなくて、ただそうしたいというだけの独りよがりなそれだった。 だが、それでもリンディはクライドの好きなようにさせた。

「ねぇ、クライドさん」

「なんだ」

「ずっと、私が居れたとしたら子供とかできると思うんですよ」

「んー、まぁ、そうかもな」

「名前どうします?」

「男だったら俺が決めよう。 女の子だったらお前に任せる。 可愛い名前にしてやってくれ」

「一緒に考えたりしないんですか?」

「そう……だな。 やっぱそのときは”二人”で決めるか」

「はい。 それから、それから――」

 やれ『家はどれぐらいの大きさにしようか』とか、『子供は何人ぐらいがいいか』とか、未来の話しを二人して語り合う。 いくつも夫婦で考えないといけないことがあって、話し合わなければならないことが沢山ある。 けれど時間は待ってくれなかった。

「すまない。 もう時間だ」

 居心地が悪そうにザフィーラが告げる。 二人の仲むつまじい時間を終らせるという罪悪感が、さしもの彼にも沸いていた。 だが、それでもザフィーラは言った。 言わなければならなかったから言ったのだ。

「そうか。 もう……か。 じゃあ、行こうかリンディ」

「ええ。 行きましょうクライドさん」

 ごっこ遊びはおしまいだ。 二人してバリアジャケットをいつものに戻していく。 クライドは黒のバリアジャケットに、リンディは青のジャケットへ。 そうして、クライド・ハーヴェイとリンディ・ハーヴェイは自然と手を繋ぎながら外へ向かった。

 これから二人が向かうのは、最初で最後の新婚旅行。 華も色気も無い深遠と闘争の坩堝を楽しむことなどできないが、それでも最後まで二人で走破しようと二人は思う。 この甘いままごとを、最後の瞬間まで続けるために。

――黒の成年と翠幻の花嫁、二人の最後の時間が始まった。
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