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語られざる歴史08

 2007-12-01
 ヴェネツィアから南に数日下った位置に、ハーメルという街がある。 北側のユークリッド大陸最南にある街であり、南側のユークリッドへ向かうならば陸路では必ず旅人が中継地点として通過する要所である。 北のヴェネツィアと南のユークリッドの都の両方の物資が流通するため、街にはそれなりの活気があった。
「ねぇねぇ、聞いた? なんでもヴェネツィアに奇術団が来ているらしいわよ」

「噂ではユークリッドの都の黒騎士様までいるんでしょう? やっぱり、カッコイイのかしら」

「すっごく強い騎士様と、乱入者との一騎打ちもあったって話よ」


 姦しく噂話をする買い物帰りの主婦たち。
 奇術団の噂は、どうやらハーメルにまでしっかりと届いているらしい。 この分では南にあるユークリッドの都にも噂は届いていることだろう。 ウィノナは自分が所属する奇術団の噂を少なからず耳にして誇らしく思った。 

「ウチの団、噂になってるぐらいだし結構好評みたいだね」

「そのようだな。 しかし、黒騎士とは一体なんなのだろうか? そのような出し物は無かったと思うのだが……」

「うーん、そういえばそうだね。 また新しい人でも入ったのかな?」

 端正な顔に疑問を浮かべたダオスに、ウィノナもまた首を傾げて同意する。 黒騎士とはユークリッドの誇る騎士の代名詞であり、一種のエリートである。 そんな人物が奇術団に入るなんてことが果たしてあるのだろうか? 人生は色々であるから、そういう人間が奇術団に合流する可能性は無いこともないだろうがウィノナにはいまいち想像ができない。 ちなみに、噂の人物は二人が良く知っている人物なのだが、さすがに黒騎士と彼を結びつけることはできなかった。 そもそも、見世物などに参加するような性格の人間ではないのだ。 二人が知っているあの男は。

「ま、帰ったら分かることか。 それより今はお金を稼がないとね」

 ハーメルの街の中央広場、綺麗な噴水の前に陣取ったウィノナは商売道具を広げて準備を始める。 ダオスとウィノナの二人は今現在奇術団を離れて小旅行とも言うべき旅の途中だった。 ユークリッド大陸の中央に位置するここハーメルよりさらに南下し、山を一つ越えた位置先にある村ベルアダムへと向い、その近くに存在するという精霊の森にて、精霊が住むと言われている樹を見に行くためである。 
 
 しかし、この旅行には致命的な問題があった。 団長がダオスとの二人旅の旅費をケチったため、ウィノナは自前の奇術で日銭を稼がなければならなくなったのである。 アキトも護衛のために同行を申し出たが、さすがに三人分の旅費を稼ぐのは簡単ではない。 ヴェネツィアについたおかげで、体長が回復していたダオス自身がウィノナの護衛は自分がすると言わなければ、恐らくはこの小旅行はヴェネツィアでの公演後になっていただろう。
 この旅はダオスのための旅である。 ウィノナはダオスが精霊の樹に並々ならぬ興味と、希望を抱いていることを知っていたため、少し無理をしてこの旅に出ていた。 そのせいで団長と一戦やらかしさえしたものだ。 団長のシルクハットが、再びボウガンの矢で蜂の巣にされたことは記憶に新しい。 そこまでして旅に出た以上、この旅は色々と実りあるものにしたい。 路銀集めに精を出すウィノナは、父親でもある団長の激怒した顔を思い出して辟易した。

「たく……別に駆け落ちするわけでなし、もう少し娘の我がままを聞いてくれたっていいじゃんよー」

 本当にこのまま駆け落ちしてやろうか? 一瞬、それも面白いかと思った。 けれど、隣で準備を手伝ってくれているダオスが、果たしてそんなお茶目な案に乗るだろうか?

「んなわけない……か」

 彼は冗談を言うタイプではない。 生真面目で、真っ直ぐで、純粋。 ダオスという青年はそういうタイプの人間だ。 おそらくは、ウィノナが彼の旅を了承しなければ、彼は単身で精霊の森に向かっていただろう。これは確信にも似た予感があった。 ある程度彼を知っているウィノナには、ダオスが森に向かいたいと言い出したときの決意した眼が今でも脳裏から離れない。 希望と絶望が同居したかのような、期待と不安に押し潰される寸前の金色の瞳。 アレには、とてもとても切実な感情が篭っていた。 だからこそ、ウィノナはその願いを叶えたくて無茶をしているのだ。 ちらりと、横で準備をしているダオスを見る。 そこには普段道理の彼の姿がある。 この旅を始めたときから、ダオスは少しずつ感情に余裕を取り戻しつつあった。

(うん、良い傾向だよね)

 本来の彼が持っている姿が、少しずつ晒されていく。 それはウィノナにとってとてもとても嬉しいことである。 胸を張っていえるだろう。 彼のことを一番理解しているのは自分であると。
 二人っきりの小旅行。 ダオスにとっては希望を探す旅の中で、そんなことを小さな幸福に捕らえている自分は不謹慎だろうか? 同じ孤独を知るもの同士の、共感と連帯感。 ダオスが過去に言っていた、同類を救うことで自分を救おうとしている一種の儀式の中で、ウィノナは少し高揚していたのだろう。 こうして、彼と何かをすることを嬉しく思ってしまう。 いつもの『発作』が収まったことの安堵と相まって、少しずつ自分がダオスに惹かれていることを理解していく。 出会ってから一年も経っていないというのに、彼といることが少しずつ当たり前になっている。

――まるで、初めて恋を知った乙女のように。

 彼は乙女が憧れる白馬に乗った王子様というわけではない。 だが、ウィノナにとってはそれにも等しい存在になろうとしていた。 

「ウィノナ、どうかしたのか?」

「うにゃ? な、なんでもないよ!!」 

 出し物の準備を終えたダオスが、ウィノナの視線に小首を傾げる。

「何か、落ち度があったのだろうか? そうであるならば教えてもらいたいのだが」

 少し、申し訳なさそうに誤る。

「だ、大丈夫だよ。 ちょっと私がぼぉーっとしてただけ」

「それならば良いのだが……体長でも悪いのか? 少し顔が赤いようだし、なんなら宿に戻っても……」

 心配そうに自分を見るダオスの眼が、慈愛を帯びた。 その優しさが、さらにウィノナの心を熱くさせる。

「心配ないない。 私は今日も元気いっぱいだよ。 さ、今日もしっかり稼がなきゃね!!」

 恥ずかしげにそっぽを向きつつ、いつものように路上で芸を披露する。 ダオスはどこか腑に落ちないと感じたようだが、そんなものは無視した。 自分のことを説明する言葉なんてウィノナは持っていないし、まだこの感情に折り合いをつけたわけでもない。 薄々は自覚している。 だが、まだその感情がなんであるかを決めるのは戸惑われた。 今はまだ、この立ち位置でよい。 こうして、二人でいられるだけで幸福なのに、それ以上を求めてどうするのか。 決定的な分岐点までは、”まだ”時間があるはずだ。 だとしたらもう少しこの暖かな場所でいたかった。



 披露する芸は、奇術団でやるようなボウガンを使ったものもあればそれ以外もある。 例えば簡単なジャグリングなどだ。 専門の奇術師、とまでは行かないがウィノナだってプロの一人だ。 観客を楽しませる技術は団でしっかりと身につけている。 昼前から夕刻手前まで、休憩を幾度か挟んで芸を披露したウィノナの前にはそこそこの御捻りがあった。 

「ふぅー、今日はこんなもんかな?」

「お疲れ様。 ウィノナ、水を汲んできたから一休みしよう」

「うん、ありがと」

 御捻りを回収したダオスが、近くの水飲み場から汲んできた水の入った水筒を差し出す。 ずっと芸を披露していたせいで、かなり喉が渇いていた。  喉に流れる冷たさが心地よい。 全身に染み渡る感覚が、疲労をやっつけていくのが良く分かる。

「うん、やっぱりユークリッドの水はおいしいね。 ミッドガルズとは比べ物にならないような気がする」

「だろうな。 この大陸はミッドガルズよりマナが多い。 自然の活性元素であるマナが豊富であるということは、それだけ自然界も豊かになる。 自ずと水も良くなるのだろう」

「ふーん、そうなんだ。 マナってすごいんだね」

 マナは自然界に存在しているといわれる眼に見えないエネルギーのようなものである。 エルフが魔術を使う際、あるいは精霊がこの世界に存在するために必要不可欠なエネルギーであるという程度のことぐらいしか、ウィノナは知らない。 魔術を扱う魔術師や研究している学者などは詳しいのだろうが、生憎とウィノナには無縁の言葉だ。  そんな超常の力を知覚しているダオスを、ウィノナは純粋にすごいと思っている。  ダオスは精霊の一種ではないかと、エドワードが睨んでいたが、確かに普通の人間に理解できないことを知覚している彼からそんな言葉を聴けば、少しだけ彼が人間ではないことを意識してしまう。 もっとも、それは彼の見ている世界を自分が覗けないことに対する寂しさのようなものだった。
 ウィノナにとってダオスはダオスである。 それ以上でもそれ以下でもない。 ダオスがなんであろうとも、ウィノナにとっては些細な問題でしかないのだ。

「さて、大分貯まってきたし今日はこれくらいにしよっか」

「承知した」

 既に人影は疎らである。 これ以上は後日にするべきだろう。 そう判断すると二人で出し物の片付けに入る。 最近は客入りも悪くない。 特に、時間を持て余していた主婦や女性がダオス目当てでお金を放出して言ってくれているのが大きかった。 ウィノナに言い寄る男がいないでもなかったが、そういった輩にはダオスとダオスの取り巻きと化した女性陣たちが非難の眼を向けると一目散に逃げていく。 柄の悪いゴロツキがそれでも無視して声をかけてきたこともあったが、ウィノナがボウガンで狙いをつける前にそういった悪漢はダオスが排除していた。 驚くことに、彼は中々強いらしい。 大柄な男が数人ダオスを取り囲んだときは冷や冷やしたものだが、ダオスは苦も無く彼らを撃退した。 自分を守るために臆することなく立ちはだかった彼の背中は、長身な彼をいつもより数段大きく感じさせた。 嬉しい反面、そのダオスの勇士がさらにダオスのファンとなった女性たちからの好意を増やしてしまったことに少しだけ妬いてしまったが。
 しかし、ダオスはウィノナを守るために立ちはだかってくれたのである。 その事実を思い出して少しニヤけながら稼いだ小銭を数えてみる。 と、数日粘った甲斐もあり、そこそこの額となった御捻りが存在を主張していた。

「うーん、これぐらいあればなんとか行って帰ってくるぐらいはできるかな」

「ならば、明日にでも」

 急かすようなダオスの提案に、ウィノナは少しだけ思案する。 行って帰ってくるぐらいは稼げたのだが、そこには余裕はなかった。 とはいえ、あまりハーメルの街に居続けることもできない。 奇術団は余り長く空けることはできないし、できるだけ早く帰るようにしなければまた団長の機嫌が悪くなるかもしれない。

「そうだね……じゃあ、明日に出発しよっか」

「急かしてすまない。 だが、私はどうしても確認しておかなければならない。 それが私の責務であり義務であるから。 例えそれが希望であれ絶望であれ――」

「うん、希望であれば良いね」

「ああ、それを私は祈っている」

 天を仰ぎ、遥か遠くを見上げる彼の姿はすごく儚い。 その瞳に映っているのは、恐らくは故郷の姿だろう。 彼は旅人。 遥か遠い場所からこの星にやってきた星を超える旅人だ。 どうにか彼を帰してあげたいと思う反面、彼を独り占めしたいという欲望を抱くことがある。 ウィノナはそんなことを考えてしまう自分を嫌悪する。 それがどれだけ自身が望んだ渇望だったとしても、彼女は自分の誇りを持ってその渇望を否定しなければならない。 何故ならそれは、それはきっと彼のためにはならないから。

 嫌な考えを振り払うべく、ウィノナは片付け追えた荷物を持ち上げて伸びをする。 そうして、気分を変えてから宿へと戻るつもりだった。 と、そのウィノナの視界に一人の少女の姿が映った。 年の頃ならウィノナと同じぐらいだろうか。 どこかのお嬢様のような身なりの良い服に、少しウェーブのかかった艶やかな藍色の髪が良く映えている。 この街で知り合った少女、リア・スカーレットだ。
 湖上の孤島となっているこの広場へと続く小さな橋の上を渡りながら、こちらの方へとやってきていた。 ウィノナの姿に気がついたらしく、小さく手を振って歩いてくる。 

「こんにちはウィノナ」

「やっほーリア♪」

 手を振り返しながら、ウィノナはこの街で親友となった少女を迎えた。 実はリアはミッドガルズで見かけたことがある少女あったのだが、リアのほうはそのことを覚えていなかった。 しかし、この街で出会ったことは何かの縁だったのだろう。 知り合ってから幾度か遊びにでかけたり話したりしただけですぐに打ち解けてしまい、今では親友のように思っている。

「もう今日はおしまいなんだね。 よかったらこれから海岸にでも行かない?」

「えーと、あー、どうしようかな」

 少し考える素振りをするウィノナに、ダオスはすぐさま助け舟を出した。 今日はもう路銀集めを終えているし、特にやることもない。 旅立つ準備は、その間に自分がして置けばよいのだ。 芸を披露して疲れているであろう彼女には、良い気分転換にもなる。

「行っておいで。 友は大切にした方が良い。 道具は私が宿へと運んで置こう」

「うん、ありがとうダオス。 お土産に綺麗な貝殻捜してきてあげるね」

「期待しているよ」

 道具をダオスに預け、自衛用のボウガンと矢の入ったケースを引っ掛けると、ウィノナはリアの手を引いて走り出した。 そこには奇術団として世界中を回っていた旅芸人としての顔はなく、年相応に友達との邂逅を楽しむ少女の顔がある。 ダオスはそんなウィノナ姿を微笑ましく思いながら二人の後姿を見送った。 

「ウィノナ、本当に君は優しい少女だ。 この世界よりも、この無限の空よりも、芳醇なマナの恵みにも等しいほどの優しさを感じる。 故郷の危機を忘れてしまいそうになるぐらいだ。 そんなことを考えてしまう私は、かなり君の存在に助けられているのだろうな」

 彼女といる時間は酷く優しい。 以前話した同属庇護の感情と、そして純粋に自分を心配してくれている様が酷く酷く心地よい。 見ず知らずの自分のような人間を助け、親の反対まで押し切って自分に付き合ってくれている。 彼女の献身は、ダオスにとってこの世界の救いの一つだった。

「ふむ、弱気になっているな。 答えを突きつけられるのがそんなに恐ろしいのか」

 自嘲気味に呟いて、眼を閉じる。 すでに、覚悟などしていたはずだ。 それが絶望か希望に変わるだけ、ただそれだけのことだというのに、とても焦っている自分がいる。 だからこそ、急かしてしまったのだ。そしてそんな弱い自分を、虚勢を張って隠しているのだ。 ウィノナはそんなダオスの様子に恐らくは気づいている。 どこか不思議なあの少女は、自分自身にさえ問題を抱えているのに、他人である自分に骨を折ってくれている。 そう思えば、この弱き心を持つ自分でも、虚勢を張り続けなければと思うのだ。 支えてくれる者がいる。 そのことがどれだけ心強いことか。 ダオスは今、身をもってそれを感じていた。

「答えはすぐ近くにあるのだ。 落ち着け私よ。 覚悟はもうできているだろう」

 背負った道具袋の重みを腕に感じながら、ダオスは気を抜けば弱気になりそうな自分を奮い立たせて帰路に着く。 恐怖はまだ、ダオスの中で毒のように彼の心を苛んでいた。  

 







第八話

「ユグドラシル」









 翌日、二人は昼前頃にハーメルの街を出発した。 出かける間際、リアがウィノナの見送りのために街の出入り口までにやってきており、再会を約束しての旅となった。 子供の頃から奇術団に属し、同年代の友達との邂逅が少なかったウィノナにとって、友人に見送られるという経験は嬉しくて仕方ない。 ご機嫌な様子のウィノナに、ダオスは苦笑しながら続いていく。 

 ハーメルからはまず、東に向かった。 ユークリッド大陸は基本的に北と南が分断されている。 その途中に孤島があり、その孤島から北と南を繋ぐ大きな橋で陸路が繋がっているのだ。 その孤島『ローン』には『ローンヴァレイ』と呼ばれる峡谷があり、年中風が吹くことから風の精霊『シルフ』が住んでいるのではないかと噂されている。 余裕があるならば、その渓谷へと足を伸ばす暇があるだろうが生憎と二人には余裕は無い。 ローンの麓に住む中年の男から、南の様子を聞いてから南側の橋を渡り、さらに南下した。
 その間、特に凶暴な魔物に襲われることはなかった。 精霊の森があるこの大陸では、魔物は数が少ないらしい。 自然の活性元素であるマナは魔物とは相容れないというのが研究者たちの結論だったが、本当かどうかは分からない。 けれど、確かにこの周辺で襲われた記憶は奇術団での巡業の際にも無かったので、その話は本当なのかもしれない。
 
 数日後には南の村ベルアダムに到着した二人は、そこで森の話を聞いた。 ダオスの目当ての樹は大樹『ユグドラシル』と呼ばれているらしい。 話をしてくれた老夫婦は、人の良い人間で、樹のことを尋ねた二人を暖かく迎えてくれた。 ユークリッドの都から離れていることもあり、素朴な田舎だったが都会には無い温かみがあった。
 老夫婦は若き旅人のために料理を振る舞い、一夜の宿まで提供してくれた。 このことにはウィノナとダオスは大変感謝した。 ユークリッドの都で奇術団がよることがあれば、是非とも見に来てもらいたい。 最前列を確保して、老夫婦に一時の楽しみを提供しようなんてことをダオスと話した。 ただ、夜にはベッドの空きが一つしかなかったため、ダオスと同じベッドで寝ることになったことだけが難点だったが。
 好意はありがたかったが、若き二人を新婚の旅だと勘違いしていた老夫婦の粋な計らいには二人揃って苦笑いを浮かべたものだ。 ダオスが自分は床で寝ようと提案したが、連日の野宿での疲れを癒すためには硬い床はあまり良くない。 戸惑うようなダオスを布団の中に引っ張り込んで、少し大胆にも彼の腕枕で眠った。 疲れていたのだろう、その夜は恥ずかしさで眠れなくなることなどなかった。 翌朝には無防備な寝姿だったと、笑いながら微笑むダオスに顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。 

 そしてその翌日、ベルアダムの老夫婦に教えてもらったとおりに進んだ二人は大自然の豊かさに圧倒された。 深い森林に、青々とした木々の木漏れ日が森の中を優しく照らしている。 頬を撫でる自然の風は、自然の匂いを運んでくる。 人間の喧騒とは無縁な静寂。 静寂の中にある安らぎ。 ブッシュベイビーというサルとリスを混ぜ合わせたような小さな動物が自然におり、偶に猪の親子が獣道を横断する。 小鳥の囀りは森の音楽となり、酷く優しい旋律となって森に響く。 奇術団として世界を巡っていたウィノナは、この壮大な自然を前にして理由も無く心を躍らせた。 ミッドガルズとは違い、天然自然の恵みを感じさせる。 これこそがダオスが言っていたマナの恵みなのかと、ウィノナは漠然と悟った。 それは、ダオスもまた同じだった。 自然が豊かであるということは、マナが豊富だということであり、彼が見たいと言った大樹が彼が探していたものである可能性の高さを示していたからだ。 希望に胸が熱くなるのを止められなかった。 

「……すごいね」

「ああ、見事なものだ」

 見渡す限りの緑の只中にあって、しばし二人は自然の息吹に高揚する。 と、その森の中にも一際目を引く樹があった。 明らかに他の樹を圧倒するほどの高さを誇り、樹の幹はどの木々よりも巨大。 この森の主と呼んでも相応しい様相だ。 それこそがダオスが探していた精霊の樹であり、老夫婦が行けばすぐに分かると話してくれたユグドラシルである。 

「アレかなユグドラシルって?」

 呟くウィノナが指差す方向を見たダオスは、ウィノナに応えること無く走り出した。 彼にとっての答えが、ようやく頭を覗かせたのだ。 歓喜と不安が激しく心臓を鼓動させる。

「あ、待ってよダオス。 置いていかないでよぅ」

 ダオスの後を追うようにしながら、森林の奥へと走るウィノナ。 遠目から巨大だと分かっていた樹がさらに巨大になって見える。 青々と輝く力強い生命の息吹。 そして、畏敬の念を覚えるほどの雄大さ。 森の母とも呼べる慈愛を称えられるべき大樹。 そんな幻想が頭の中を過ぎった。 木々の間を縫うように走り、大樹の陰を追う。 ダオスの姿は完全に見失っていたが、それでも目的地である大樹は木々の間からでも見えている。 迷うことなどありえない。 これでダオスとの旅が終わるかもしれない。 そこに不安が無いわけではないけれど、”これでダオスが本当に救われる”のならばと、大嫌いな神様に祈ってみる。 
 自分自身の願いなんて、叶わないことは知っている。 どれだけ祈っても叶えられないことはもう彼女自身が良く知っている。 でも、けれどもそれでも祈らずにはいられなかった。
 例え自分の命が引き換えだったとしても、彼を救うことは自分の心を救うことだとウィノナはこのとき確かに確信していたから。






――ダオスの希望が、この森にありますように。





 

 祈りながら森を駆けた。 と、そんなウィノナの視界が急に開ける。 そこはこの世界で一番神聖な空間だった。 大樹を中心にして、木々が恐れ敬うかのように広場を形成している。 降り注ぐ太陽の光が、木漏れ日よりも強い陽光のまま照って大樹の周囲を黄金の光で祝福する。
 その只中で大樹の幹に手の平を当てたダオスがいた。 ダオスの姿を見て安堵したウィノナは、近づくことを一瞬躊躇う。 
 見事な大樹だった。 精霊が宿っていると言っても確かに不思議ではない。 大人が何十人も並んだような太い幹に、大地にしっかりと足を下ろした強大な根は力強い印象を受ける。 ウィノナは一瞬、呆けたようにしてその場を動けなかった。 雄大で、偉大で、壮大で……言葉にできない程の感嘆を心の中に嫌でも植えつけてくる。 ウィノナは口をポカンと開けたまま、目を瞬かせる。 しかし、次の瞬間には大きく深呼吸をしていた。 それは、極々自然な動作だった。 
 呼吸のために大きく取り込んだ空気が、肺を経由して全身を巡る。 血液の循環の中に溶け込む酸素と、マナと呼ばれるであろう力が混ざり、ウィノナを内と外の両方から浄化していく。 教会の聖堂のなかよりも確かな破邪の力に、自らが浄化されるような錯覚。 それは確かに、森の母からの祝福だった。

 全身を浄化されたウィノナは、訳も無く地面に寝転んだ。 心地よいこの場所は、世界中のどんな場所よりもウィノナの心を虜にしたのだ。 草木の中に埋没するように、大きく全身を伸ばす。 それだけで、旅の疲れなど吹き飛んでしまう。 大地の力が、自分になだれ込んできているような、そんな感触。 少しだけそうやって活力を分けてもらうと、ウィノナはダオスの元へと向かった。 堅牢な鋼を思わせる力強い根の元に、ダオスがいる。 初めとは違って、今はもう手を幹に触れていない。 少し樹からはなれて、膝を落として大樹と面していた。 その前方に、一瞬ウィノナは青い髪の女性を見た。 目を奪われるような、綺麗な女性だ。 青い髪を腰よりも長く伸ばし、自然の中に溶け込んでいるその女性は大樹と同じような優しい眼差しでダオスを見ていた。 けれど、よくみればその顔に悲しみがあり、陰りがあった。 しかし、瞬きをした瞬間にはその女性はいなくなっていた。

「あれ、気のせい……だったの?」

 見渡すが、先ほどまで居た女性の姿はもう目に見えはしない。 まさか、彼女は幻だったのだろうか?

「もしかしたら、彼女が精霊だったのかな」

 精霊が住む樹と呼ばれるユグドラシル。 だとすれば、なるほど彼女がこの樹に宿る精霊なのか。 確信にも近い予感を抱きながらウィノナはダオスの隣に立った。 けれど、その頃には少しウィノナは嫌な予感がしていた。 近づいたから分かった。 ダオスの顔には、歓喜は無い。 それが何を意味するのか分かりたくないのに分かってしまう。 立ち上がって樹に礼をするダオスに向かって、ウィノナは恐る恐る声をかける。

「これじゃなかった……の?」

 ダオスの肩に手をかける。 振り向いたダオスの横顔は、なんともいえない悲しさに満ちていた。

「いや、確かにこれはカーラーンだ。 しかしこれは――」

 答えを口に出すのは憚られるのか、力無い様子のダオスはウィノナから顔を背けて大樹を見た。 そうして、ウィノナに説明するためにゆっくりと口を開く。

「これは確かにカーラーンだ。 私が長年捜し求めてきた、故郷にあるそれと同じ存在だ。 性格には大樹が宿す「意識」がカーラーンと同種な存在なのだ。 長く生きる樹木は、内に意識を宿すことがある。 君たちで言う”精霊が住む”といわれることと同様の現象が起きる。 意識を宿した樹木は、そうして神格を得て樹木の神へと階梯を上げ、自然界を潤す力、マナを生み出すようになり、自然を活性化させる力の一翼を担っていく。 そうして、マナを生み出す意識の媒体である樹木自身も潤い、さらに長く時を生き続けるようになることで、今度は意識の方が活力を得てより強いマナを生み出すようになっていく。 私の故郷ではそうなった存在をカーラーンと呼ぶ。 しかし、この大樹の意識はすでに死に掛かっている」

 悲しみを称えながら、ダオスはそれを自覚しつつも決して言葉を紡ぐのを止めない。 自分に言い聞かせるように説明するダオスは、今どれだけの悲しみを感じているのか。

「捜し求めていたものではあるが、望んだ姿で存在していない。 外見は生命力にあふれた神木であるというのに、内部では死が進行している。 これでは、近い将来にマナを生み出せなくなり、ミッドガルズのようにこの大陸のマナの力を弱めていくだろう。 これでは、捜し求めてきた『大いなる実り』も手に入れられない。 消えかかった意識では、それに接触することすらできない。 ……いずれ樹は死に、意識とマナが消え、森は死に絶えていくだろう。 私の故郷のように」

 うずくまるように折れた膝が、ダオスの絶望の深さを如実に語っていた。 弱弱しい彼を癒してあげたい、そんな心に導かれるようにウィノナは自然と彼の前に座り膝立ちの状態でダオスをゆっくりと抱きしめる。  今はそれしか、ウィノナにはダオスを癒す手段を持ち合わせていないのだ。 胸の中で抱きしめた青年は、体を震わせながら泣いていた。 静かに涙を流すその弱弱しい姿をみれば、どれだけの絶望が彼を襲っているのか想像に難くない。 

「ダオス……」

 ただ無言で悲しみに暮れる青年を胸に抱きしめることしか、ウィノナにはできない。 かける言葉など見当たらず、慰めの言葉すら声にできない。 希望と絶望が同居した旅のなかで、ダオスは希望に全てをかけていたのだ。 もはや、旅をする力も残っていない彼には、目の前にある大樹にしか希望を見出せなかったから。 その終着が、こんな結末なのだろうか? 本当に、これでダオスの未来は終わりなのか? こんな悲しい結末で良いのか? そんなはずはない。 こんな最後であってはならない。 だというのに、だというのに、だというのに!! ウィノナの中には嫌悪すべき感情が確かにあった。 ダオスの帰路が立たれたことに、安堵している浅ましい自分がいて、その自分がほんの少しだけ心の中にいるのだ。 気づきたくも無い自分自身の姿に、ウィノナは軽い眩暈を覚える。 いつしか、ウィノナもまたダオスを胸に抱いたまま泣いていた。










 絶望を止める術は無い。 既に、希望という光は奪われてしまったのだ。 ユグドラシルを見たダオスの表情は余りにも暗い。 ダオスの落ち着きを待って、ウィノナは早々にこの場を離れることを決意した。 これ以上、ダオスを絶望の闇の側へ置いておくことはできない。 ベルアダムの街で、もう一泊するように老夫婦から言われていたこともあって、再びお世話になることにする。 老夫婦に何があったのかを尋ねられたときは、思わずまた泣きそうになった。 暗く沈む青年の姿から、話せないことだと思った老夫婦は夜になる前にはもう部屋を貸し、ウィノナにはこっそりダオスを支えてあげるように励ましてくれた。 そんな親身な二人の励ましもあって、ウィノナはダオスと再びベッドを共にした。 甘えるような真似はしない。 ただ、ダオスの悲しみを少しでも和らげるために青ざめた彼を守るようにして抱き寄せて眠った。

 それから翌日には、これまでのことを書いた手紙を奇術団へと出すと老夫婦に礼を言ってからハーメルへと戻った。 旅の足取りは重く、ダオスの顔からは笑顔が消えていた。 そのことを思うと心が張り裂けそうだった。 無力な自分が、大嫌いになる。 伝染する悲しみを止める術が分からない。 当人ではないウィノナには、ダオスが言葉にして伝えてくれなければ察する以上のことはできないのだ。 口数が減ったダオスは、今闇の淵に心を置き去りにしてしまっている。 弱弱しく握られた手に力が無い。 一体、どうすれば良いのだろうか?

 ハーメルへと重い足取りで辿りついた頃には、ヴェネツィアにいる団長から手紙と路銀が届いていた。 どやら、ヴェネツィアでの仕事がうまくいっており、ハーメルで合流するまではゆっくりとしておけということらしい。 アキトとミュラーと、手伝いの傭兵とハーフエルフの少女が新しく舞台に立ったりして普段とはまた違った舞台をしているそうだ。 いつものウィノナならば、そのことを想像していろいろと合流を心待ちにしているだろう。 けれど、今はダオスのことがある。 あまり浮かれるようなことはできなかった。 とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。 ハーメルで宿を取り、ダオスが落ち着くまで待つことにした。 そのさい、色々とダオスの気晴らしをするためにリアのところへと出かけたりしてそのことを話す。 リアは約束のこともあって、快く付き合ってくれた。 出来事のほとんどはそのリアとの思い出になったことは言うまでも無い。 できるだけ、楽しい話題を心がけた。

「ハーフエルフ?」

「うん」

 リアの話の中には、時たまリアのもう一人の親友の話が上がった。 ハーメルへと引っ越してきたリアがローンヴァレイの麓に父親と一緒に住む少女がいるというのだ。 その少女は、珍しいことに人間とエルフの間にできたハーフエルフだそうだ。 ウィノナと同様に物怖じしない性格であり、出会ってすぐに親友になったという。 今も時たまローンヴァレイへとでかけることもあるらしい。 ただ、現在はヴェネツィアへやってきた奇術団を見に旅行中だという。 団長からの手紙にあったハーフエルフというのは、もしかしたらその少女なのかもしれない。 苦笑しながらそのことを伝える。

「そうだとしたら素敵ね。 多分ウィノナとも良い友達になれると思うから帰ってきたら紹介するね」

「うん、お願い。 でも、すごいよね。 そんな友達がいるなんて。 私は奇術団の巡業で世界中を回っているけど、エルフとかには会ったこと無いんだよね」

 エルフはヴェネツィアから東南にある港町『アルヴァニスタ』の南にある森の奥深くに住んでいるといわれている。 昔は人間と交流が盛んにあったというが、最近ではそういうことはない。 エルフと人間が恋に落ち、ハーフエルフが生まれてから彼らは人前に滅多に姿を見せなくなっていたからだ。

「彼女はいつも元気一杯でね、来るときは魔法の箒でピューっと飛んでっちゃうような子だよ。 ウィノナと似ているところがあるかな」

「へぇぇぇ。 どんなところが似てる?」

「そうね、たぁー! ってところとか、とぁー! ってところが似てるかな?」

「……何よそれ」

「走り出すと止まれない猪突猛進なところかな?」

「うう、否定できないかも」

 彼女の存在には、ウィノナは救われている。 親友になったこともそうだが、リアとする話は楽しかったからだ。 落ち込んでいるダオスを元気付けるための活力を、リアから分けてもらっているような気がする。 仲良くなるにつれて、深いところまで知り合うようになってくると共通の知り合いの話などが出てきた。
 驚くことに、彼女はエドワードと知り合いだという。 両親がミッドガルズの王室研究所で働いていたためらしいが、研究所で色々あって一所に長く留まれないという話も聞いた。 もしかしたら、そのせいでまた引越しをする羽目になるかもしれないとも。 この先引越しをしても、互いに場所を連絡を取り合って常にお互いの交流を続けようと約束し、これから先長く続く生涯の友ができたことはウィノナにとって、嬉しいことだった。 

「すごく良い子だよ。 今度ダオスにも紹介してあげるね」

 彼女との「出来事」のうち、楽しいことは全部ダオスに話した。 ウィノナが話す一つ一つの言葉を、ダオスは頷きながら聴いてくれる。 けれど、その心がどこに飛んでいるかなど、付き合いが長いウィノナにはわかっていた。 言うまでも無く、その心はウィノナには向いていない。 それに気づかないようにして過ごすのは、とてもとても寂しくて、同時に苦しかった。 彼の本心がどこにあるかなんて、そんなことは分かりきっているからだ。 でも、それでもウィノナにはそうすることしかできない。 


 ヴェネツィアにいる仲間たちから、二度目の手紙が送られてきた。 ヴェネツィアを発ち、ハーメルにやってくるらしい。 手紙が送られてくる時間から考えるとハーメルまで後ニ、三日だろうか? 合流した後にはユークリッドを渡り歩き、地方に住まう豪族相手に仕事をすることになっているらしい。 丁度良いことに、案内役がいるそうだ。 ユークリッドは基本的に魔物が凶暴ではない。 凶暴な魔物がいないというわけではないが、野生動物の域を超える魔物はまずいないのだ。 それはユグドラシルからもたらされる清浄なマナのおかげである。 野営にも気を使わなくて住むため、旅をするには良い環境であると言えた。
 ただ、少し不安があるとすれば、最近持ち上がっているユークリッド統一の話である。 リアから聞いた話であったが、各地を統治する豪族のなかで、そういう話があるらしい。 ヴェネツィア周辺の北の部族、中央に位置する部族と、さらに南のユークリッドの都の豪族たちの間でユークリッドを統一し、一つの王国にしようというのだ。 もしかしたら、そのせいで戦争が始まるかもしれないという。 進むも引くもできないことになってしまえば、危険なことになるだろう。 旅をするにも困難になるのは目に見えている。 それに、ダオスの体調のこともある。 この大陸に着てから倒れたことなど無いが、それでも精神的に疲弊している彼のことを考えれば、そういうゴタゴタに巻き込まれるのは歓迎しかねるのだ。 一日中宿に篭り、何かを考えているダオス。 できれば、そっとしておいて上げたいのだが。 


 一体、どうすればいいのだろうか? 絶望に暮れているダオスに、”更なる絶望”を突きつけることになっても”自分”だけが知っている彼に関する秘密を話すべきだろうか? それ故に疎まれ、それ故に捨てられてしまったことまで、話すべきだろうか? ダオスに秘密など作りたくはなかったが、今はまだ話すことは戸惑われる。 けれど、いつかは話すことになる事柄だ。 ”今”というタイミングで話し、ダオスとともにこれからを相談するべきなのか。 ここにきて、ウィノナもまた悩むことになる。 話しても、信じてもらえないこともあるし、それによってウィノナがダオスに捨てられることになるかもしれない。 過去に親に捨てられた事実があるだけに、ウィノナはダオスに秘密を話せない。 それが、少女の弱さであり、足かせであった。


 そういえば、一つ思いついたことがあった。 リアの家と宿を往復する毎日を送っていたウィノナは、当然リアの両親とも面識があった。 娘にできた友人を快く迎えたリアの両親は、自分たちのことも色々と話してくれていた。 リアの家系は先祖にエルフがいるらしく、彼女の両親はともに魔術を使えるという。 魔術とは、マナを糧として紡がれる力であり、魔術師はマナについての研究を怠らない。 魔物がマナに弱いということを発見したのも魔術師であるとも聞く。 ということは、マナについての造詣が深い彼ら魔術師ならば、マナを生み出すユグドラシルという大樹以外にも、似たような存在を知っているのではないか? もしユグドラシル以外の代替物がこの世界に存在するのであれば、ダオスが再び希望を得ることができるかもしれない。
 天啓のような閃きだった。 けれど、再びダオスに絶望を突きつけることにもなりかねない。 だから、ウィノナは思いついたそれをダオスに話すことなく、一人で調べることにした。

「ダオス、ちょっとリアのところに行ってくるね?」

「ああ、気をつけて」

 夕闇が迫り来る夕刻、そろそろ街は夜になる。 その夜と昼の境を窓口にて眺めていたダオスに一声かけてから、ウィノナはリアの家を目指した。 宿の部屋に篭っている暗い雰囲気は、既に飽和状態である。 指を銜えてみているだけでは、どうにもならない。 やはり、何事も行動することにこそ活路が見出せるのだ。 気持ちを奮い立たせるウィノナは、日が沈みつつある街を走る。
 夕闇から夜の闇へ。 世界が深遠と星空に包まれるまでまだ少しある。 それと同じように、世界にまだ光があればよいのだけれど。 





「リーアー。 アタシだよー。 ウィノナー」

 呼び鈴を何度か押したが、返事がなかったためドア越しに呼びかけてみる。 しかし、応える声は無く家から感じるのは静寂のみ。 出かけているのだろうか? だとしたら日を改めようか? 少し頭の中で逡巡する。 様子を伺ってみれば、どこの家にも灯り始めた家の明かりがこの家にだけはない。 留守ならば仕方が無い。 どうするかと考え、ついつい家のドアを捻ったところで違和感に気がついた。 

「ドアの鍵が開いてる?」

 開いてしまったドア。 そして違和感を冗長するかのように、その奥から料理の匂いがしたのだ。 ”誰も返事が無い家から”だ。 どうしてそんな家の中から料理の匂いがするのか? 明らかに様子がおかしい。

「御免、ちょっと入らせてもらうね」

 無断で進入するのは気が引けたため、呟くように言ってから家の中へと足を踏み入れる。 何かあったときのために外出時に持つようにしているボウガンに矢を装填しながら、どんな物音も聞き逃さないようにして歩く。 やがて、リビングまでやってくると、ウィノナを迎えたのは食事の用意がされたテーブルだった。 食事は、恐らくは食べかけ。 三組の食事が並び、大きめのパンが床に千切られた状態で落ちている。 嫌な汗が噴出してきた。 食事の半ばで何かがあったのだろうか? 争った後や部屋が荒らされていないことが見て取れたため、物取りや強盗にあったというわけではない。 けれど、何かがあったはずなのだ。 そういえば、厄介ごとに巻き込まれていると言っていた。 長く一所にはいられないとも。

「まさか、ミッドガルズから追ってがきた……とか?」

 嫌な予感がする。 急いで家の外へと出たところで、通りがかった自警団の一人が偶然ウィノナに声をかけた。

「スカーレットさんに用があるのかい?」

「うん、どこに行ったか知らない?」

「一家揃ってローンの方角へと出て行ったよ。 何があったのか知らないけど、ヤケに慌てた様子だったよ」

「ありがと、おじさん」

 訝しがる男に礼を言いつつ、夜になりかけたハーメルを飛び出していく。 ローンの方角に向かったなら、向かう場所は一つしかない。 ローンに渡るための橋は一つしかないのだから。
 すでに日は落ちかけていた頃に街を出るということは、それなりのことがあったのだろう。 これから魔物が活動しやすい時間だということから考えても、通常の選択ではありえない。 走るウィノナの中で、言いようの無い焦燥が育っていく。 ユークリッド大陸の魔物はそれほど凶暴ではない。 しかし夫妻が魔術を扱えるとしても、危険なことは変わらないのだ。 

「……どうしよう、このコトだったらどうしよう!!」

 どうして、自分はリアのことが目に付いた頃から気になっていたのか。 その答えが出てしまうのか。 気になっていた理由。 それを深く考えなかったことがツケとしてやってきた。 手に握ったボウガン。 商売道具であり、ウィノナにとっての心強い武器であるそれを握る手が強張っている。

 ローンに向かったとして、野営するとしたらどこだろうか? 安心できる場所はウィノナには一つしか思いつかない。 以前リアが話していた、親友の少女の家だ。 ローンヴァレイの麓にあるその家を、ウィノナはユグドラシルへの旅の時に見ていた。 そこにいてくれれば安心できる。 願いを聞いてくれない”神様”に祈りながら、一人走る夜の闇。 またも、祈ることしかできない自分は、一体なんなのだろう? 神様は一体どういうつもりでいるのだろうか? もしかして、自分が祈る祈りを最悪な形でしか表現できないのがみんなが信じている神様なのか。 いつも叶わない願い。 けれど、願うことしか自分を落ち着ける術が無い。 そんな自分が、神様は大嫌いなのか。 意味の無い問いだけが頭の中を巡る。 

 と、駆けるウィノナの前方。 月明かりと、星空によって辛うじて照らされる夜の闇の彼方で物凄い轟音が轟く。 緩やかな斜面の上、雨も降っていないというのに、断崖にすらなっていない渓谷の斜面が突然に崩れ落ち、地すべりを起こしたのだ。 街道になだれ込む土砂は、否応なしに天然自然の抗えぬ力となって荒れ狂う。 

「――うそ!?」

 街道を襲った地滑りの音の中に、叫び声が聞こえた気がした。 それも、良く知っている少女の。

「リア!!」

 声を張り上げたウィノナは、力を振り絞り全力で走る。 走り続けて疲れた体など、もはや忘れた。 心臓の鼓動がヤケに耳に響き、喉が渇きを訴え続ける。 けれど、そんなことなど今のウィノナを妨げることはできない。 肩で息をしつつも、辺りを見回す。 今も微かに続く土砂の滑る音を聞きながら、必死に親友の人影を探す。 土砂に足を取られながら、慎重に闇夜で目を凝らす作業は神経をすり減らせた。 けれど、それを止めることはできない。 親友の命が掛かっているのだ。 すると、斜面の上、滑り落ちた土砂によって根元から滑り落ちた木に半身を埋めるようにしてある影が見えた。 にじり寄るように斜面を駆け上がり、人影が見える位置に来たころ、その影の姿を見て目を見開く。 

「リアの……両親……」

 そこに在ったのはスカーレット夫妻遺体だった。 すでに事切れていることは明白だった。 父親は腰から上を木によって押しつぶされ、這い出そうとして力尽きている。 母親は顔だけが辛うじて原型を留めており、全身土砂に埋まっていた。 リアに似て綺麗な人だったのに、今はもう泥と血に塗れて汚れている。 心臓が止まるようなほどの衝撃だった。 一瞬呼吸をすることを忘れたほどだ。 震える体を両手で抱きながら、ウィノナは親友の姿を探す。 と、視界の向こうでヨロヨロと立つ人影が力なく大地に倒れたのが目に入った。 目に見えなくとも、輪郭で分かった。

「リア!!!!」

 どうして、親友の姿を間違えることができるだろうか? 薄暗がりであっても、親しい友人の姿を見間違うなんてことはありえない。 闇夜に解けてしまいそうな藍色の髪に、華奢な体。 うつ伏せになっても察することができる綺麗な顔は、例え血と土に塗れていても間違いなくウィノナの親友の少女リア・スカーレットに相違ない。 駆け寄って抱き起こし、手を握る。 友人の手は、恐ろしいほどに冷たい。 まるで、血の通わぬ人形のようだった。

「その金髪……ウィ……ア? ……御免……束……まも……い……ね……」

 自分を見上げる友の相貌から、命の光が消えようとしてる。 力を失っていく体、鼓動する心臓で盛り上がるはずの胸部の弱弱しさ。 そして何より、擦れるようにに響く声。 込みあがってくる悲しさで、頭がどうにかなってしまいそうだ。

「駄目、駄目だよリア!! 逝っちゃ駄目だよ!! 私まだリアと一緒に生きていたいよ!!!」

 慟哭するように声を荒げながら、ウィノナは涙に濡れる顔でリアを必死に留めようとする。 しかし、決壊した命の濁流はそんなことでは止まらなかった。

「約束したじゃない。 連絡取り合おうって、ねぇ、そっちに逝っちゃったら連絡なんて、取れないじゃないかよ!!!」

「…………い……で」

 全身からリアを構成する何かが消えていく。 リアが還っていく。 そんな、不条理があって良いのだろうか? また、親しい誰かが自分を置いていってしまう。 遠くへ、ウィノナの手の届かない場所へと赴こうとしている。

「止めてよ、嫌だよ、私は……私は……アタシはぁぁぁぁ!!」

 ふと、握っていない方の掌が、最後の力を振り絞っていた。 それは、一瞬だけの残酷な世界に灯った暖かな熱となってウィノナの頬へと差し上げられる。 その弱弱しい命の輝きは、リアという少女が最後の最後までウィノナの生涯の親友たらんとする最後の優しさだった。 冷たい指先がウィノナの涙を拭って、そうして、リアの熱を完全に奪い去っていく。

「……さよ……ら……ウィ……ナ……」

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 崩れ落ちる指先に、ウィノナの涙が続いて落ちた。 溢れてくる激情は、魂からの悲鳴となってウィノナの前身を駆け抜ける。 魂の悲鳴が、全身を揺さぶった。 空白になる思考。 完全に熱を失った親友の体が、ただの肉塊と化した。 それが事実となってしまった。
 もうリアは笑わない。 もう、微笑んではくれない。 ウィノナに悪戯をして、困らせてくれることもない。 その暖かな優しさで、ウィノナの孤独を癒してくれない。
 


――嗚呼、なんでいつもいつも"アタシ"は手遅れになってしまうのだろう?



 どうして、いつもいつも大事なものが手の平の中から零れ落ちてしまうのだろう? ウィノナには分からない。 ウィノナには理解できない。 やっぱり、願いの叶えてくれない神様なんて嫌いだ。

「……チクショウ……どうしてなんだよ……」

 いつもいつも、事態は悪化することしかない。 どんなことを”知った”ところで、行き着く先は望まぬ夢と、現実だけ。 もう、お願いだからやめて。 こんな不条理なんていらないのに。 叫びは、負の感情となってウィノナの中で別の感情となっていった。
 力の抜けたリアの両手を組み、両の瞼を下ろしてやる。 光を失った目を閉じた顔は、少しだけ安らかだった。 最後を見取った何者かを、親友の自分だと確信していたからだったら嬉しい。 それぐらいの自惚れだけは、許して欲しい。

 自分の服の袖で、鬱陶しく流れ続ける涙を強引に拭って立ち上がったウィノナは闇の中でボウガンを握り締める。 怒りを全て込めて、自分自身のこの負の感情と、リアとの時間の全てを反芻しながら、引き金を引こう。 

「だってもう、そんなことしかアタシにはできないんだ!!」

 見下ろすリアの体には、胸部と右肩に穴が開いている。 恐らくは、滑った土砂に含まれていた岩が彼女を貫いたためだろう。 血と泥に塗れた体がまるで自分の傷のように痛々しい。 どれだけ、痛かっただろうか。 どれだけ、苦しかったのだろうか? 想像することができた痛みを遥かに通り越した痛みを我慢して、自身の涙を拭ってくれた親友の最後の弔いのためにも。 この引き金を引く指は、獲物を外してはならない。

 上から感じる確かな殺意に、正しい怒りを持ってウィノナは引き金を引いた。 シュッと闇を引き裂く音に続いて、ウィノナの隣数メートルの位置に着弾する火炎弾<ファイヤーボール>の爆風。 殺意を交換し合った相手は、どうやら魔術師のようであった。 月夜の光があるとはいえ、目を凝らしても顔は見えない。 だが、その男から聞こえたうめき声は確かに男の声であった。 マントで全身を覆うその姿は、いかにも魔術師である。 着弾した火炎弾<ファイヤーボール>が外れ、肩口に突き刺さったボウガンの矢で負傷したその男は、斜面を駆け上がって逃亡を図る。 だが、その様子を確認する前にすでに次の矢を番えていたウィノナはしっかりと狙って引き金をしぼり込む。 風を切り裂いて進む矢は逃げようとする男が斜面を登りきったところで、男の右足を貫く。 斜面の向こう側に倒れ込みながらうめき声を上げた男を追って、ウィノナもまた追撃をかける。 平然と魔術で攻撃してくるような男である。 ”間違いなく”あの男がリアとその両親を殺した犯人だ。

「……絶対に逃がさない!!」

 斜面を転がり落ちていく魔術師は、幾度か岩に体をぶつけつつも起き上がり岩陰に飛び込む。 そうして、旋律を紡ぐように詠唱を始めた。 呪文を唱えているのは明白だった。 三本目の矢を番えたままウィノナは身につけていた軽業を駆使して、斜面を滑るように移動する。 魔術師の魔術の餌食になるつもりはさらさらない。

「アタシの大事なリアをよくも!! よくも!! ――次はお前が死ねっ!!」

 岩陰に隠れた魔術師が横から飛び出すより早く、岩の上へと軽業で跳躍したウィノナが魔術師の眉間に矢を放つ。 放たれた矢は、この距離からでは外しようが無い。 遮るモノが何も無いのだ。 矢は確かに魔術師の眉間を貫いた。 しかし、その瞬間”いきなり”真横から吹き荒れた烈風によってウィノナの体は地面に叩き落された。

「――!?」

 状況が掴めぬまま、土砂の中に墜落したウィノナにはどうして自分が叩き落されているのかを理解できなかった。 顔を上げた視線の先に映ったのは、暗がりの中から現れた魔術師。 自分が先ほど”殺したはず”の魔術師だ。 幻影の魔術を使い、魔術師は囮を作って身を隠し、横からウィノをの強襲したようだ。 怒りによって狭まった感情が、普段なら気がつくだろう幻影を本物と錯覚させてしまったのだろう。 戦場にでたことも無い人間には、仇討ちは不可能だとでもいうのか? そんなことが頭をよぎった頃には、火炎弾<ファイヤーボール>が眼前に迫っている。 


――ごめん、リア。


 脳裏を掠めた友人に謝罪しながら、ウィノナは闇夜を照らす赤い塊の前で立ち尽くす。 次の瞬間、着弾した破壊の炎が周囲に轟音を立てながら轟いた。 



 

コメント
面白いです。人物がいい感じに動いていて、ほんとに続きが気になります。
憑依奮闘記の連載もありますから難しいかもしれませんが、ぜひ続編を書いて欲しい作品です。
【2009/04/19 20:58】 | sisi #HfMzn2gY | [edit]












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