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リバースリバース 無印

 2013-06-27
ちょっとだけw

※注意

これは憑依奮闘記第三部後の時間軸のSSです。また、魔改造しまくった奮闘記の背景を無謀にも継承した内容になっているので、なのは原作との差異には十分にお気をつけ下さい。


 













「姉さんと母さんかぁ。 ねぇ父さん。 二人はどんな人なのかな」

 無邪気な子供の問いかけだった。 だが、父親は聞こえてないようで問いに答えることはない。 ただただ険しい顔をしながら、膝の上に乗せていた小さな旅行鞄の中身を漁っていた。 その、どこかただ事ではない様子が、その子には少しばかり不安だった。

 初めて、姉さんと母さんに会いに行くからといって色々と準備をして半年。 知り合いの誰にもそのことを告げずに散歩に行くと言って内緒で施設を抜け出してきたことに、子供はどこか後ろめたい何かを感じても居た。 だが、それ以上の興味もあったのだ。 だから仕事で忙しいから会いに行くのを迷っているのかと思って、不意に不安になっていた。

「父さん?」

「んん。 ああ、ごめんな。 ちょっと仕事のことで、な」

「やっぱり、忙しかったんだね」

「いや、そういうわけじゃあないんだ」

 苦笑しながら、父親は誤魔化すように左手を伸ばして子供の手を握り締めてやる。 小さな手には暖かい熱がある。 血の通った“ヒト”の熱。 その暖かさが、今は何よりも愛しい。 彼はその事実にふと、胸の奥が熱くなった。 いつの間にか、その小さな手に救われたような気さえしていた。

「お客さん、親子で旅行か何かですかい?」
 
 ふと、タクシーの運転手が気さくに話しかけてきた。 

「え、ええ。 そんなところです」

「そうですかい。 まぁ、転移施設に用があるっていうんだったらそうなんでしょうけどね。 となると、行き先はミッドチルダ辺りですかね。 デスティニーランドは親子連れさんたちに人気らしいですからそれなりに聞くんですがね」

「だとしたら気は楽なんですが……」

 言葉を濁しながら、彼は運転手に言う。 バックミラー越しにその苦味が伝わったのか、運転手は詳しく聞くことはしなかった。 ただ、一言だけ尋ねた。

「お客さん、そういえば聞き忘れてたんですがね。 急ぎですかい?」

「そりゃあ、早いほうがありがたいが」

「了解でさぁ。 なら少しばかり急ぎましょうかね。 この先はよく込むんでね」

 大通りから小道へと抜け、タクシーが行く。 道路という道路を知り尽くしたプロはそうして信号待ちが少ない経路を進んだ。 父親はその気遣いをありがたく思いながら、荷物の中から転移用の切符と手紙を取り出した。

「これを渡しておく」

「父さん?」

「すまん、少し仕事で遣り残したことがあるのを思い出してな。 後から絶対に追いつくから、お前は一足先にミッドガルズに向かってくれ」

「で、でも一人じゃ道が分からないよ」

「大丈夫だ。 教えた通りにすればいい。 マップ入りのこれも、渡しておくからな」

 それは、待機状態のデバイスだった。 父親が偶に貸してくれていたストレージデバイスだ。 カードの形態をとっているそれを受け取ると、不安げに父親を見上げる。 だが、父親は笑っていた。

「どうした? 母さんや姉さんに会うのが楽しみなんだろう」

「でも……」

「なに心配するな。 その手紙をミッドガルズの最も空いた受付の人に渡せば会わせてくれる。 だから、お前が心配することは何も無いんだ。 私は少し遅れるかもしれないということを二人には言っておいてくれ。 できるね?」

「……うん」

「良し、いい子だ」

 子供は頭を撫でてくれる父親の言葉を信じ頷いた。 困らせるつもりはなかったし、楽しみであったというのは本当だったからだ。 まだ見ぬ母と有名な姉。 写真で見て父親に聞いた程度しか知らないけれど、それでもそのときは彼女は信じていた。 離れ離れになった家族が、再会するという幸せを。 











 けたたましい音が室内に響き渡る。 もう何度も聞いたその不快な電子音が、朗らかな朝を演出する。それは惰眠を駆逐し、時間通りに人々を行動することを強制させる画期的発明『目覚まし時計』に端を発する目覚まし機能。人類の叡智が生み出した破眠のための尖兵。 奴らは常に強気で人々の惰眠を妨害する。なんとも素敵な人類の力だった。

「……ふむ。 やはり、“そう”なのだよ」

 ベッドの中から目を覚ました少年は、覚醒するなり呟いた。合点が言った、という風な表情でフェレット型の目覚ましの頭にあるスイッチを押す。すると、当たり前のように電子音が停止し、朝の静寂を迎え入れた。

 それは、どこにでもある朝の風景だ。カーテンの隙間からの朝日が優しく部屋を照らしている。そんな中、彼は言った。

「やはり、目覚ましは不快でなければならないのだ」

 結論、である。

「そう、何故なら心地よいものであったなら二度寝してしまうじゃあないか。だから必然的に目覚ましという奴は大抵不快で、耳障りで、聞こえたら反射的に起きて止めたくなるものが好ましい。そして――」

 誰に聞かせるわけでもなく、寧ろ自分の考えを自己検証するかのように少年は続ける。

「――当たり前だがこの機能を十全に発揮するための耐久力が必須なのだ。これは単純な理屈なのだが、停止スイッチの衝撃に由来する設計思想的な発想だ。ユーザーによるだろうが、毎朝叩くのだからそれ相応の堅牢さというのは居るだろう。まさか、不快な音を消すために優しく静かにスイッチを止める、などという配慮を大多数の人間が行うだろうか? 断じて否だろうそれは」

 朝のまどろみを妨害する暴君に、愚かな人類が従ってやる義理などないのだ。

「人間はそう、力づくで黙らせにかかる。その時には、自らがその音を奏でさせたという事実など忘却する。現に、この私でさえ思わず反射的に手を伸ばし射程圏内に合ったそれを殴りたくなったほどだ。この欲望には弱くても理性的な私が、だ。実に暴力的だ。エレガントではない」

 ジュニアスクールの入学祝いのプレゼントにと、義理の父親から渡されたフェレット型の時計を持ち上げ単純な機構であるスイッチを上げ、叩き、また上げて叩く。それはまったく無意味な行為だ。しかし、その無意味な行為を少年は続ける。仮定を検証し、実験し、結論を出した。その上で頭の中で解体し尽くした論理を発声することで更に煮詰める。そんな作業中の手持ち無沙汰をそのスイッチが有意義にも満たしたのだ。意味はなくとも意義はあった。少年の頭脳の中では。

「……おや、もうこんな時間か」

 プラスチックで作られた愛らしいフェレットの腹の前に抱かれた丸い時計が、着実に彼に許された時間が失われていく事実を認識させる。ことここに至っては、さしもの少年もフェレット型目覚まし時計を手放さないわけにもいかない。ほんの少し、そこはかとなく気に入っていたとしても、だ。

 少年は、自治世界ヴァルハラにおいては八歳時に分類されるジュニアスクール通いの学生である。理由の無い遅刻などはしないのだ。部屋の奥の洗面所で顔を洗い、寝癖を整え、歯を磨く。それが終われば、着替え始めた。

 制服などは決まっていない。自由な校風であるせいか、それこそあまりにも奇抜なものでさえなければ何かを言われることもない。だというのに、少年はグレーのスラックスと白いカッターシャツという野暮ったい服で武装し、最後にはトレードマークとなっている白衣を羽織った。スラックスには、八歳の子供が持つにしては高価なツールボックスと、黒い剣と二丁の拳銃を模したキーホルダーのようなものがついている。

「ふむ」

 姿身の向う、くすんだような金色の瞳の自分が見返してくるも一顧だにせずにニヒルな笑みを浮かべる。いつもと変わらない姿がそこにある。その姿を満足げに思いながら、筆記用具と教科書を詰め込んだ鞄を背負って部屋を出た。




 ストラウス邸の広すぎる庭の一角に、フリーランサー用の子育て支援宿舎『育狼』がある。元々はストラウス低の最上階にて世話になっていた少年であったが、完成と同時にそちらへと自ら志願した。

 魔導師向けの職業斡旋を行っている某吸血鬼の社長が君臨しているミッドガルズにおいて、子連れ魔導師が安心して仕事に出かけられるようにという配慮から試験的に本社に導入されていた。これにより、長期の仕事を受けることが可能になった魔導師たちが子供を預けるようになっていた。彼の義父が小遣い稼ぎのためにフリーランサーの資格取ってはいたので、その制度を利用した。もっとも、そんなことをせずともストラウス邸で世話になることもできたが、少年がそれを求めたので施設に移っていた。

 異常ではなく普通を。リバースサイドではなく、フロントサイドを。そのための環境を求めた結果が、育狼での生活である。

 一階の食堂には預けられた子供たちが何人かおり、既にそれぞれ朝食にありついていた。

「やぁ。 おはようザッフィー君」

「む、ジェイスか。おはよう」

 エプロン姿の大男――ザフィーラ――が、子供にご飯をよそっていた。小さな茶碗一杯に盛ったそれを、少年がお礼を言って去っていく。長身にして隆々たる肉体。そこに、キュートな犬耳と尻尾がどうにもアンバランスな印象を与えてくる青年こそこの施設の提案者であり、ストラウス邸の番狼<ガード>だった。

「今日は君かね。となると、いつものお姉さんは休みなのかな」

「ああ。彼女なら退職したよ。なんでも結婚するらしくてな」

「ほう、それはめでたいことだね」

「おかげで子供たちが何人か拗ねているがな」

 職員の仕事は多岐に渡る。当然、親しくなる者も居るわけだった。惜しまれるのは当然かもしれない。しかし、ジェイスは身も蓋も無いことをいう。

「ここの金回りは悪くないはずだったろうにね。なるほど、専業主婦狙い、かな。男の甲斐性が試されるというわけだ。いやはや、相手の男性も大変だ」 

「お前もいつかそうなるのかもしれんぞ。女性の観点からすれば選択肢としては考えられるものだろう」

「どうかな。私の場合、そのような関係を構築できるのかが疑問だよ。“私”に愛を抱くよりは寧ろ、この私に愛情を抱かせる方が難しいと自負しているのでね」

 何分、ジェイスにとっては愛などいうよく分からない概念がすこぶる胡散臭いのである。何せ観測ができないし、観測するための機器さえ発明されてはいない。だから彼には理解できないといっても良かった。いつか、分かる日も来るかもしれないし分かりたいとも思うが、今はまだそんな段階に自分が達しているとも思えず、もっと根本的な理由から女性に欲情できるのかがわからなかった。そもそも彼にとっては、人間とは自分を含めて“サンプル”なのだ。

「難儀なことだな」

「それはお互い様さ。時に使い魔……というよりは自立した個体に近い今の君はどうなんだい? 私からすればあるかも分からないものを空想するよりもそちらの方がずっと探求してみたいのだが」

「さて。生前……つまりは守護獣化する前ならばともかくとして、今はそういった感覚は鈍いな。発情期などもない」 

 そもそも、使い魔――古代ベルカ風に言えば守護獣というのはミッドのそれとも微妙に運用形態が違っていた。そして守りに特化している彼はペットでもなければ獣でさえない。主を守るための存在なのだ。そんな存在に生殖能力は必要かと問われれば、実にナンセンスな機能であるかが分かるというものである。設定段階でオミットされている可能性はあった。ジェイスからすれば求められた運用形態に特化する仕様であると考えるのが妥当であり、手間と好みの問題だともいえたが。

「ふむ。君の場合は同族でなければ種族間の壁もあるだろうしね。となると、君は人間に欲情したりはしないのかな。少し、興味が湧いてきたな。今度実験に付き合ってくれないかね」

 人間が狼に発情することはなく、狼が人間に発情することなど普通にはありえない。種族の壁はもとより、本能がそれを認めるわけもない。仮にありえたとしてもよほどのレアケースだろう。でなければ、単なる変態かそれこそ意味不明な奇跡を生み出すという愛がなければ不可能だ。

「ふっ。冗談はそれくらいにして、朝食を取れ。遅刻してしまうぞ」 

「おや、残念。またの機会にしておこうか」

 盛られたお茶碗を受け取り、冗談と思って苦笑するザフィーラの元から離れていく。実験してみるのも面白そうではあったが、ジェイスの専門は人間であり、狼素体の使い魔は範疇外。寧ろこの場合は相手の人間を研究する必要がある。今のところ、そんな相手がいる様子もないため研究できない。とはいえ、研究項目として記憶しておくことに留めた。




 食後、歯磨きスペースで歯を磨き終えたジェイスは敷地内を出た。スクールバスも出ていたが、もっぱら健康のために徒歩だった。別段、それは問題ではない。

「ようジェイス」

「おはよう」

 二年生ともなれば、それなりに友達もできる。話しも趣味もまったく合わなくても、貴重な経験だと考えて交友を深めることに終始する。勿論、宿題を見せることもするし、ゲームを借りることもある。彼にとっては、それが普通なのだ。

「俺さぁ、またレアカード手に入れたんだよ。後で見せてやるから楽しみにしてろよ!」

「ほう、それは楽しみだ。やはり最近ブームのブラックホワイトかね」

「当然! 黒と白でよよいのよいさっ!」
 
 クラスで流行っているトレーディングカードゲーム<知的遊戯>だ。様々なアニメや漫画、人気ゲームの登場人物たちのカードがあり、幅広い世代でマニアが居た。  よほど嬉かったのか、自慢するように言って自転車で去っていった。他の友達にも自慢したいのだろう。グングンとペダルを漕いで進んでいく様はまったく大したものだった。

「……自転車か。人間とはかくも原始的で、あんなにも人間力に溢れた発明をしてしまったのだね」

 どこか遠い目でジェイスは呟く。クラスメイトたちには徒歩も居たし、自転車も居た。当たり前のように高級車で送り迎えされている者もいれば、一輪車やスケートボード、インラインローラーなど、様々な乗り物に騎乗していた。特に移動手段について校則で禁止されているわけではないが、それでも人間力に溢れる移動風景には違いない。移動手段の模索には糸目をつけない。それが人類という奴であった。

(ふーむ。そういえば、ローラーで移動する魔導兵器を開発したことは無かったな。私としたことが、浮遊型や飛行型だけで満足していたとは……まったく、登校中でさえこんなにも沢山のアイデアが転がっているとはね。 表側というのはつくづく面白い)

 最先端を突っ走る余り、模索するべき幅を狭めていたなどと理解させられてしまえば少年としても生前の自分の行いを反省するしかない。登下校でさえ、毎日何かしらの発見があるのだ。これで学校生活が有意義でないわけが無い。

 ジェイス・ハーヴェイには常識が無い。良識もなければ人が共有すべき感情も何もかもが欠如している。そう自覚しているが故に、一つ一つ何気ないことを発見していくだけでも、十分に楽しかった。そのとき、ジェイスの背中を衝撃が襲った。

「どーん!」

「――っと、いきなりなんだね」

 ブレーキ音と共に、自転車を止めたクラスメイトの少女が楽しげに笑っていた。

「また歩きながら考えごと? あんたいっつもそれだよねぇ」

「考えることに意味があるのだよ。何気ない一つ一つが、それこそ大変な叡智と力によって作られているのだ。私はそれを享受するだけでなく、知り尽くしたいと思っているのだからね」

「はいはい」

「……なんとぞんざいな返事だろうね。いいかね、その自転車一つとってもだね……」

「難しい話しはいらいないよ。眠くなっちゃうし」

「だからといって、授業中にいびきをかくのはどうかと思うよ」

 運動は好きだが、勉強は嫌いだという典型的なタイプである。担任の鋭いチェックを受けてもケロリとしていられるポジティブさと反抗精神(?)にはジェイスとしても物申したいところではある。しかし、それが一概に否定する要素ではないことはジェイスにも分かっていた。単純な話しだ。それこそ人の勝手なのだ。
 
「あははは。家庭訪問で先生に言われたお母さんが赤面してたっけなぁ。勿論、後で拳骨もらっちゃった」

「今時、拳骨かね」

「お母さん、元フリーランサーの人だからさ」

「ふぅん。その事実に因果関係があるかは分からないが、興味深い話ではあるね」

 魔導師と拳骨。深遠なる研究テーマである。

「ジェイスのお父さんもそうなんだよね」

「そうだったこともあるだけさ。彼の本職はデバイスマイスターでね」

「だったらジェイス君もなるの?」

「何にかね」

「だから、デバイスマイスターに。頭良くないと成れないんだよね?」

 自転車を押しながら、隣を行く歩く少女が尋ねてくる。ジェイスはふと、将来の夢についての作文を宿題で書かされたことを思い出した。作文のタイトルは人間探求。枚数は当然のように規定枚数を大幅に超えてしまい、担任の先生が顔を引きつらせていたことは記憶に新しい。

「別に頭の出来が問題ではないよ。ようは努力するかしないかさ」

「そう? まっ、いいけど。ちなみに私はフリーランサー! 将来すっごい魔導師になってお金持ちになるの!」

「それはそれは壮大な夢だね」

「でしょ。で、もしジェイス君がデバイスマイスターになるんだったら、私のお抱えにしてあげようかなぁーってね」

「いわゆる『専属マイスター』という奴かね」

「そうそれ! 腕の良いフリーランサーはね、信頼できるマイスターが必要なの。政府の依頼を受けたり、大企業の『いんぼー』を暴いたりして『しゅひぎむ』が守れる仲間が必要なのよ」

 彼女の中では映画のようなど派手なアクションを日夜繰り広げるエンターテイメントな職業なのだろう。微笑ましいことこの上ない。そんな感慨が、ジェイスの頬を緩めさせる。

「私がデバイスマイスターになることはないとは思うが、組む程度なら今でもできる。力が必要ならいつでも呼んでくれたまえ」

「ほんと? じゃあキープしとくね」

「ん、キープされるとしようか」

 果たして、本当に彼女が自分を呼ぶのかは分からない。しかし、将来の楽しみが一つ増えた気がして、ジェイスとしても悪い気はしなかった。生前は“ジェイル・スカリエッティ”と呼ばれていた次元犯罪者の自分が、すっごいフリーランサーになるクラスメイトのためにデバイスを作る。それは、決して裏側では成せないことだ。

(悪い気はしない。寧ろ、微笑ましいという感情さえ湧き上がってくる。うん、この私も随分と表返って来たものだ。本当に、本当に、嗚呼――)

――日の光が当たる表とは、良いものだね。チェーン、グライアス殿。

 脳裏に浮かんだ言葉を飲み込んで、ジェイスは少女と登校した。











リバースリバース
~チャイルド・トラベル~














「くっ、ピンチだ。久方ぶりに追い詰められたといってもいい。この私が、ここまで追い詰められるとはやるね、ジュニアスクール。子供用の学校だと思って侮っていれば、とんだ食わせものじゃないか!」

 正直、彼は侮っていた。そもそもにおいて、ジェイス・ハーヴェイは肉体年齢設定こそ八歳ではあったが、精神年齢は当に三十を超えている。そんな男が、例え世間知らずの頭でっかちな裏の科学者だったとして、一体何を恐れろというのか? 命を狙われる危険もなく、基礎的な学習を反復練習する程度の日々。表側に生きる真っ当な大人になるための教養と知性を学ぶ場でしかないはずの場所で、これほどまでに追い詰められるなどという事態を想定しろという方が可笑しい。

(しかし、しかしだ。憤ったところでピンチなのは変わらない。パーパは既に匙を投げた。そして彼女<義母>は私の養育にたいしてさほどの興味を示しては居ない。というかそもそも仕事中だから抜けられない。つまりは、この無理難題を私は自分の知恵と知識で解決しなければならないわけだ。この私の人間力が試されると、そいうことなのだよこれは)

 彼は自分を天才的な頭脳を持つ者だと自負して止まない。しかし、たった一つだけクラスメイトたちに劣っているものがあった。

(思い出せ。データは蓄積してあった。研究の優先度は圧倒的に下だったので放置しておいただけだ。そうだ。コツは理解すれば簡単だと、パーパも言っていたじゃないか。彼にできて私にできないことなどありえない。同じ人間だ。そもそもザッフィー君でさえ余裕じゃないか。彼などは更に高難度な技さえもできるのだ。私にだってできるさ)

 イメージトレーニングをこなし、理屈を反芻し、実践を試みる。ただ、それだけのことが何故こうも恐ろしいのか? その答えをジェイスは知っていた。一番恐ろしいのはできないことなのだ。だからこそ、口にして自分を落ち着かせるようにしながら難題に立ち向かうことにする。

 宿題をそのままに、その物体を押して公園へと出かけていった。全ては、来るべき学校行事のためであった。

「今日こそ、私は人類の力の一旦を得るのだ!」

 決死の覚悟でサドルにまたがる。両手の小さな手はハンドルをしっかりと握り締め、右足はペダルを踏み左足はそのまま地面を踏みしめて体を支える。

「両手良し。右ペダル良し。周囲に危険物なし。 いざ――」

 右足に力をこめ、ペダルを踏み込みながら左足を大地から解き放つ。そうして、ハンドルを握りながら真っ直ぐに前を見据えて人力のベルト駆動による回転でもって車輪を回し、自転車の乗り手<ライダー>となる――はずだった。

「くっ――」

 すぐにハンドルがブレて体制が崩れ、体が真横に倒れる。ペダルを踏んだ足は、一回転さえしていなかっただろう。実に無様だった。

「馬鹿な、私の構築した自転車運転理論は完璧だったはずだが」

 倒れた拍子に擦り剥いた膝小僧から、刺すような痛みが走る。だが、ジェイスはそんな肉体的な痛みよりも自身の理論を圧倒的に無視する結果に慄かずにはいられなかった。よろめきながらも起き上がり、完璧なはずの理論を再検証する。

(まず、右足でペダルを踏む。その際、右足でペダルを踏めば自転車は右に力が加えられるために右に傾く。そこで、バランスを取るため右に掛かる力に対抗するべく体を僅かに左に傾ける。そうして、左右のバランスを保ちながら今度は左足を漕ぐ。右足で完全に踏み込むことができれば、左足のペダルが上がっているはずだ。だから今度は左に体が傾くのが道理。つまり、今度は右に体を傾けることで左にかかる力を相殺する。結果として真っ直ぐに進める。曲がる、などという高難度技法を体得するには、まずこの直進を覚えなければ話しにならない。だが――)

 少なくとも理論は間違いない。必要ならジェイロスコープでも取り寄せてとりつけ、傾きを逐一計測しながら修正。バランスを保つなどというまどろっこしい方法も考える必要があるかもしれない。だが、それをパーパに提案して一年前に呆れられたことを彼はしっかりと覚えている。故に、普通はそんな器具に頼って習得するものではないとジェイスは理解していた。だからこそ敢えて、彼は己の頭脳と体一つで立ち向かっていた。

「やはり、理論に穴ない。つまり問題なのは理論ではなくこの自転車……か?」

 一旦降りて、自転車を眺める。転倒したことでフレームが歪んだとか、ベルトに異常が見られるなどということはない。勿論、パンクもしていない。異常はまったく見つけられない。

「油も十分なはずだ。『育狼』の子供たちが共用で使えるように手入れされていたから錆びてもいない。つまり、自転車に問題はないということだ。しかし、ならば何故私は自転車に乗れない。くっ、裏側の人間だったからというオチはないだろうね」

 表の人間は、育狼の子供たちも問題なく自転車を習得する。高難度である左右への曲がりは勿論、片手離し、両手離しに超難度技法である二人乗りさえ習熟している。本来であれば、彼も一年生になる前に習得しているはずだった。しかし、習得できなかった。おかげで、去年の交通安全教室では自転車に乗れずに一人見学させられてしまった。天才であったはずの元ジェイル・スカリエッティが、である。

「くっ、シュナイゼルに最高評議会め」

 腸が煮えくり返るほどの怒りが、間違いなくジェイスの中で燃え盛る。そもそも、連中が自転車なる原子的な乗り物を研究させなかったことが諸悪の原因に思えてならない。全てはリバースサイド<裏側>に居た弊害なのだ。

「もう一度、やってみよう」

 自転車に乗り込み、理論をそのままにトライする。しかし、ペダルは一回転も回らなかった。ここまで来ると、去年と同じように愕然とするしかなかった。

「――理屈じゃないのかっ!?」

 人類の叡智では最高位の乗り物である航行艦さえ操れるというのに、自転車一つ乗れない自分が人間を探求するなどできるのか? そんな絶望的な意見が頭の中を駆け巡る。そのまま十回ほどトライするも、結果は無残だった。何一つ進展することなく同じ結果をたどり続けた。

「そうか、分かったぞ。自転車に乗ることさえ人間の得た力。つまり、より難度が高い一輪車に乗れる者は人間の力を正しく最高位まで顕現させた理想的なサンプルの一つだということなのだ。ザッフィー君を思い出そうじゃないか。後ろと前の籠に子供を乗せたまま更に肩車しても余裕で自転車に乗っていた。つまるところそれは、己の肉体を完璧に操作できる者だけに許された奥義ということなのだ」

 この際、彼が人間ではないことは除外する。寧ろ、元々は狼だったのだから人間であるジェイスよりも遥かに体得するのが困難だったはずなのだ。そこに至るために、きっと彼は血も滲むような研究を積み重ねたに違いない。そう思えば、あの使い魔の不断の努力をジェイスも認めざるを得なかった。

「なんたることだ。裏側の人間として存在していたならば、今頃私は手勢<ガジェット>を率いてサンプルとして捕らえるのに。いや、そうだな。もっと難易度の高い一輪車に乗る人間をサンプルにあらゆる角度から解析、分析したら良かったのか。だが、今は表側を歩いているせいでそれさえもできない。くっ、八方塞がりとはこのことか!」

――だが、それがいい。

 怒りに燃えながらも、それでも彼は唇を吊り上げる。

 つまりは壁なのだ。 研究に障害は元来つきものなのであり、予算から機材の有無など様々だ。その限られた条件の中で結果を出すのが優秀な科学者という奴なのだ。この壁は裏も表も変わらず、寧ろ表側の方が厳しいのかもしれない。そう納得することで、探究心に火をつける。

「そうだ。まずはもっと詳しく自転車そのものを分析してみるべきだったかもしれないね。パッとみただけでは分からない異常があったのかもしれない。私としたことが、なんと初歩的なミスを犯したのだろうか。私は技術者であって職人ではないのだ。実際に数値を確かめてから判断するべきだった。ナノ単位だろうとピコ単位だろうと知ったことではない。僅かな歪みさえも発見し、完璧に仕上げようじゃないか!」

 見た目では分からない故障が無いとも限らないのだ。これで無限の欲望<アルティメット・デザイア>の一欠けらだというのだから滑稽だった。せっかくなので自転車の素材から研究し、さらにはプロの競輪選手の動きからもっと最適な理論を検証構築し、その上で自転車という原始的な乗り物を征服することを心に誓う。幸い、まだ交通安全教室まで日にちがある。それまでに自転車を征服し、人類の持つ力の一つを体得すればいいのだ。そう結論を出すと、彼は動きやすいようにと短パンに着替えていたせいで露出している膝を手当てする。

(やはり、こんなこともあろうかと思って準備しておいて良かった。前回の教訓が生かされているというわけだ)

 失敗はしても、何かを学ぶ。そうでなければ前に進めない。それが、科学者というものである。小さな矜持と溢れんばかりの探究心を胸に、帰路に着く。途中、ホットドックを売っている店の前で同じぐらいの背丈の少女とすれ違った。

「一つください」

「あいよ」

 威勢の良い声で言う店主に書き消されるその声に、ふとジェイスは足を止めた。振り返ってみれば、マジックベースボールの球団のロゴが入った帽子を被った金髪の少女が注文していた。ホットドックを店主が包んでいる間、彼の視線に気づいたのか、一瞬彼女と視線が合った。

「……」

「……」

 その時、ジェイスは自分でも分からない戸惑いを覚えていた。眼前の少女から、目が離せなくなった。くすんだ金の瞳と、彼女の真紅の瞳が交差する。

 瞬きを忘れるほどの一瞬の沈黙が、一体何を意味したのかをジェイスが理解することはない。しかし、それでも予感するものがあった。そのような衝動を実生活で人間に覚えたことは非情に少ない。精々があの反逆の“二人”か、それとも義理の“父母”ぐらいだ。

(なんだというのだろうか。 私は一体今、この少女に何を感じているのだ?)

 もどかしさが胸中を染める。喉まで出掛かっている答えが分からず、半ば混乱していた。公園に響いていた話し声や、喧騒さえ耳に入らない。

「えっと、欲しいのかな」

 困惑したのは買い物を終えた少女も同じだったのだろう。ただし、困惑の意味合いは間違いなく違った。ソプラノの声が、ジェイスを現実に引き戻す。

「いや、確かにおやつというのは子供には必要だろう。しかし、夕食までの時間を考えれば今ここで重いものを摂取するわけにはいかない」

「そうなんだ」

「そうなのだよ。しかし――」

 この胸に湧き上がってきた答えを知るためには、ホットドックを間食する必要はあるのかもしれない。ツールボックスに入れていたお小遣いを取り出し、中身を確認してからジェイスは店主にホットドックを注文する。

「うわっ。 言っていることとやってることが違うよ」

「そんな日もある、ということだ。理屈ではない時だってあるらしいからね」

 論理的な行動ではないかもしれないとは、彼自身も思っていた。しかし、今現在の好奇心を満たすためには必要だった。

「まいど!」

 店主からホットドックを受け取り、自販機でジュースを二本買ってから少女に遅れてベンチに向かう。彼女が一生懸命にむぐむぐと被り付く様は、見ていてどこか微笑ましい。

「奢りだ、受け取ってくれたまえ」

「え? でも――」

「その代わり、少し私の話しに付き合ってくれればいい」

「えと、ちょっとだけでいいのかな。行かなきゃ行けないところがあるんだ」

「ああ、それで十分だ」

 二人は友達でもなんでもないのだ。強制することなどできない。ジェイスに出来ることは誠意を示し、僅かな時間を獲得するべく交渉することぐらいだ。隣でホットドックを齧り、ジュースを飲む。

「私はジェイス・ハーヴェイという。近くのジュニアスクールの学生だ」

「あ、私はリフェラー。 フェイト・リフェラー。えーと、学校には行ってない……かな」

「そうかね。ならば、通信教育か……それとも家庭教師かね」

「んー、通信教育だと思う。施設の人が言ってたよ」

 ヴァルハラでは当然のように義務養育という精度が普及している。彼女の言う施設が一体何を指し示すのかはジェイスには興味がない。ただ、少しだけ違和感を覚えた。

「魔導師ランクは?」

「魔力資質ならAAA+ぐらいだって聞いたかな」

「それも施設の人が?」

「うん。サンプルとしては予想以上の出来だって褒められたよ」

 どこか嬉しそうに少女は言う。違和感が、更に顕在化する。会話をするごとに、常識に疎い彼であっても、不自然さが際立ってくるのを肌で感じた。しかし、それが嫌なわけではない。その空気が、何故か無性に落ち着くのは何故なのか。

(間違っても恋ではない。これは、この感情は……嫌悪? いや、違う。共感……でもない。ならば……)

 脳を回転させ、マルチタスクで思考をする。そのために、待機状態であるデバイスから自身のバイタルさえ確認した。とにかく、ありとあらゆる手段を用いて自己観測し続けて答えを模索した。

(強いて言えば、懐かしさに近い? しかし私は彼女とは初対面だ。まさか、運命などという陳腐な答えではあるまい。さて、困ったぞこれは。今日一番の謎だ)

 時間制限がある。その間に答えを見つけなければ、この謎はもう解けない。それは、些か以上に残念である。

「……ところで、君はどこに行くつもりなのかね。お使いか、それとも友達の家かね」

「んーとね、ミッドガルズの本社ビルだよ」

「ほう? それは丁度いい。ならばこの私が案内しようじゃないか」

「えっ?」

「こう見えても私は、社長殿とも知り合いだ。何の用かは知らないが、力になれるかもしれない」

「ほんと!? じゃ、お願い。私を連れって」

「うむ、引き受けよう」

 残りのジュースを飲み干しながら、ジェイスは更なる時間を獲得した幸運を喜んだ。








 本社への道すがら、ジェイスは時間が惜しいとばかりに質問攻めしたが、結局答えを知ることはできずに居た。更に分かったことといえば、家族構成。魔法知識の有無、そして彼女がニューメディックでは“サンプル”と呼ばれていたということだろうか。

 ニューメディックは管理世界では老舗にあたる医療機器メーカーである。古くから新しい医療機器や薬などを販売してきた。彼女が被験者であるというのなら、特にサンプルという呼ばれ方もジェイスは気にならなかった。ただ、近年はニューメディックは落ち目であると業界関係者からは言われていた。どういうわけか、管理局からの機材の受注が大幅に削減されたからである。

「うわぁ、おっきいねぇ」

 本社ビルを見上げるフェイトが感嘆の声を上げる。

「金持ちは金持ちなりに、見栄を張る必要があるそうだ」

 高く、巨大な見た目は人目を引くと同時に力の誇示でもある。それを成せるだけの財力の証明であり、多数の社員を抱えながら仕事を円滑に回すための合理性を兼ね備えようと思えばそれなりの施設が必要である。その結果が、この巨大なビルなのだ。

「いこうかリフェラー君」

「あ、うん」

 先にストラウス邸の警備員に自転車を預け、二人は大人たちにまぎれてビルへと入る。どこか緊張気味のその姿は、社会見学の遠足でも行っている小さな学生のようにも見える。周囲のものめずらしそうな視線に、思わず少女はジェイスの服の袖を握った。

 ジェイスはそれに気づいてはいたが、はぐれる心配がなくてよいとだけ考えて最も人が寄り付かないカウンターへと向かっていった。そこには、黒銀の受付嬢が相変わらず人外の速度で働いていた。

「やぁ、今日もとんでもない動きだね社長」

「あら、ジェイス君。今日はスロー再生用のカメラは持っていないのね」

「そうしたいのは山々だがね。専門のカメラでも捕らえきれない動きを、どう観測しろというのだね。そもそも、何故残像が見えるほどの動きをして周囲の空気に影響がでないのかが分からない。理論的に説明してくれないかね」

「んー、気合かしら」

「冗談か本気か分からない答えは困るな」

 所詮は人外の自称吸血鬼である。一度解剖してみたいと常々思ってはいるが、メスが通るのかさえ分からない。探求するとしても、やはり人間を研究し尽くしてからの話しだったが。

「まぁ、いつかは研究したいが今は良いさ。今日は小さなお客を連れてきたのだが、忙しいかね」

「“大丈夫よ”。ちゃんと時間は開けておいたから」

「それはありがたいことだね。さすがは“レコードヴァンプ”」

 賞賛の声を上げるジェイスににっこりと微笑む女社長――ルナ・ストラウスはそこで初めてジェイスの後ろに隠れている少女に目をやった。

「こんにちわお嬢さん」

「こ、こんにちわ」

「ようこそ。ミッドガルズ本社へ。今日はどのような御用でしょうか」

「あ、あの、これを」

 それは、一通の手紙だった。プレシアへとだけ書かれた便箋の裏には、リフェラーという名だけが記されている。ストラウスはペーパーナイフで便箋の封を切り裂き、手紙と、一つのデータディスクを取り出す。

「あらあら」

 手紙を見たストラウスは、特に表情を変える事なく文面を読みきる。ただし、少しだけ思案顔だった。それが果たしてブラフだったのか予定調和の確認だったのかはジェイスには分からない。ただ、データディスクの中身を確認していたストラウスが手招きしたことにだけは首を傾げた。

「ジェイス君、悪いけど中身を確認してくれない?」

「私が? 何故だい」

「貴方なら、このデータの意味が分かるはずだもの」

「ふむ?」

 訝しんで受付の席を回り、そのデータに目を通す。その目が、驚きに見開かれることになるのに十秒も掛からなかった。

「これは……まさか――」

 それは、そのディスクを託した男の執念で作り上げられたデータであり、かつて“彼”がジェイル・スカリエッティだったころにばら撒いたモノの理論の、その一つの完成形だった。

「プロジェクトF……」

 プロジェクトFとは、端的に言えばクローンを作成する計画の総称である。遡ればアルハザード時代、ひいては旧暦には生み出されていたプロジェクトフェイクの焼きまわしであり、空想科学の中にさえ古くから言われてきた技術の一つ。

 ある者は擬似的な不老不死を得るために、ある者は何れ失われていく命の代替品を残すために、またある者は決して手に入らないオリジナルの“偽者”を得るために、またある者は純粋な医学の発展のためにそれらの研究は行われ完成されられてきた。

 それは、倫理と禁忌が鬩ぎあう人の業の一つの結果でしかない、ただの発明だ。しかしそれでも、人はそれをただ唯々諾々と享受できるほどに単純ではない。明らかに物議をかもし出すそれは、人の欲望と善意を同時に喚起するものに相違ない。

 生前の彼ならば別段気にするものではなかっただろう。ただの発明に、一体何の呵責を覚える必要があるのだろうか。そんなものは裏側に、アウトサイダーに生きた“ドクター”には関係がなかった。

 しかし、今代の彼……無限の欲望<アルティメットデザイア>を抜け出し、一個の個人としてのアイデンティティと自我、そして表側の立場を得たジェイス・ハーヴェイにとってはどうだったか。

「――」

 彼は誇らしい気分を味わえるでもなく、完成した研究に一つの決着をつけた科学者を称賛するでもなく、ただただ言葉を失うだけだった。

「これは未完成だけどね。最も必要な理論が抜けているものね」

「記憶転写技術か」

「ええ。当然よね。だって、記憶の元となるオリジナルが手元にはなかったのだから」

 彼女のオリジナルの名も記載されている。“アリシア・テスタロッサ”。次元世界の歌姫にして、商品価値だけで言えば天井知らずのドル箱である。

(そうか、生前の私はかつての彼女のことを知っていたじゃないか!? だからこその違和感かっ!)

 声や姿を、テレビを通して知っていた。音楽データも持っていたし、その歌声を持つ者の姿を確認していつかその美声を発する喉のレプリカでも作ってみたいと考えたものである。歌だとて人類の生み出した文化であり、発明。余す事無く人間を研究する上では研究必須の文化である。その力への探究心もまたかつて彼は持っていた。

 勿論、偶に育狼の狼のところに顔を出す彼女本人にも会っている。違和感を覚えたとしても不思議ではなかった。

「しかし何故こんなものを? 意図はなんだのだね」

「決まってるじゃない。ただの親御心よ」

 子を思う親の心。そう断じられてもジェイスには分からない。立場は得ても家族ごっこさえしていない。だからこそ理解できない。そもそも、この彼だとてプロジェクトF体を元にして生まれた魔法プログラム。親など真の意味ではいるはずもない。理解できない事象に唸る彼に、ストラスは小声で言う。

「娘を商品にしたい父親なんて、普通はいないのよ。ただ娘を取り戻したいという研究が、意図しないビジネスへと舵取られた。だから抵抗した。答えは悩むことのないほどに単純でしょ」

 歌姫のクローン体であるフェイト・リフェラーの価値とは、一体いかなるものになるのか? 仮にオークションにでもかければそれこそ希少な宝石以上の価値を見出す好事家が現れてもおかしくはない。

 父親は、その醜悪なるビジネスを察して彼女をここへと送り込んだ。手土産にその企業を潰せ、しかもオリジナルを有するミッドガルズの保護を得るために。そして願わくば、生まれた娘に母親と姉を与えるために。構図としてはそんなところか。

 少年は考える。己の起こした安易な行動の結果が起こした一つの結果を。研究それ自体に否定はしない。できるはずもない。しかし、それに付随する影響を考えたことなど彼にはない。科学者の持ちえるべき良心など持って居なかったが、今の彼は心に決めていることがあった。

――裏側で悪のドクターをやったのだから、今度は表側で正義のドクターをやってみるのもおもしろそうじゃないか。

 極端から極端へ、ベクトルの反対側へと焦がれる思いのままに反転し過ごしてきた日々。それに過去が追いすがってきたことで、ジェイスの中に言葉では言い表せない感情が去来した。むず痒いよりも、かさぶたを掻き毟りたくなるような微妙な痒みを伴うような不快感。それこそ、自転車を操る理論など鼻で笑い飛ばしたくなるほどの衝動。理屈ではない何かが、彼の心を苛んで止まない。

「えっと、それでどう……なんですか」

 小声で話していた二人の会話が途切れたことで、心配そうな顔で少女が言った。ジェイスは一度目を瞬かせ、その真紅の瞳から視線を逸らしストラウスを見た。結局のところ、ジェイス・ハーヴェイは部外者なのだ。選択するのは、この取引を持ちかけられている社長にこそあるのだから。

 そもそも、これはワイドショーを賑わせる格好の材料になる。使い方によっては何かしら利用することはできるが、当然醜聞にも成りかねない題材である。保護するとしても、プロジェクトF程度が見返りとして有効である保障はない。ここで見捨ててもまったく微塵も問題はないだろうし、そのまま全てを抹消する方向で動くこともできる。全ては社長の掌の上。だが、圧倒的有利な交渉の場において彼女は“聞いた”。

「そうね……逆に貴女がどうしたいかを教えてくれる?」

「私はその、お母さんとお姉さんい会いたい……です」

「そう」

 そんな人物など、どこにもいない。血縁やDNA上での話しならば該当する人物は居る。だがその二人と彼女が会ったとしてもすぐには理解できないだろう。そもそも想像だにしていなかったに違いない。

 だが意図した結果で終わるにせよ終わらないにせよ、彼女は“ストラウス”だったから、その頼みを聞き入れた。

「アリシアちゃんにすぐに会うのは無理よ。彼女は今ツアー中だから」

「そう……ですか、じゃあ母さんは」
 
「プレシアさんなら、今頃ミッドチルダのアルトセイムに戻っている頃ね。この時期はいつもそう。休みが終ればヴァルハラの方へ帰ってくると思うからしばらくはここで待ってる? それとも、すぐに会いに行く?」

 再びの問い。それに、少女ははっきりと答え少年は僅かに顔を曇らせた。










 結局、今からプレシアの元に向かうにしても夜になるということでフェイト・リフェラーはストラウス邸の一室を借りることになった。ジェイスは一人で不安そうにしている彼女に付き添い、一応夕食までは共にしたがその後は育狼の施設へと戻り宿題を片付けることにする。

 単純な基礎問題などすぐに終る。問題は、文字の書き取りであった。単純作業になれば、速度は筆記速度に依存する。手早く済ませるにしても限界がある。それでも考え事をしながら終らせ、思いついたかのように荷物を整え始める。

 だが、数分もしないうちに部屋がノックされた。義父だった。

「邪魔するぞドクター」

「ああ、パーパか。随分と唐突なお出ましだね」

「あのな、その呼び方はマジでやめれ」

 少年の義父――クライド・ハーヴェイは心底微妙な顔をして言った。三十台も半ばのその男は、黒髪黒瞳。技術職にしてはそこはかとなく鍛えられているような気もしない体躯を持つデバイスマイスターである。

「設定上はそうじゃないか。だから私は、カノン君のこともマーマと呼ぶ権利があるし、君のことをパーパと呼べるはずだよ。“夜天の王”」

「知らん。そもそも、あんたの方が年上だろうが」

「まったく、私たちは奇妙な関係の親子だよ」

 やれやれとばかりに肩をすくめ、ジェイスは単刀直入に聞いた。

「それで、滅多に私のことを気にかけない君が一体何の用なのかな」

「大した案件じゃないんだが、“フェイト・テスタロッサ”の件でな」

「……ふむ? 人違いではないかね。彼女は“フェイト・リフェラー”だよ」

「あー、リフェラー……だろうとテスタロッサだろうと俺は別になんでも良いんだ。ただ、俺も明日旅行に同行するが、いいよな」

「何故それを私に確認するのかね」

「あんたも行くんだろ。それに、だ」

「なんだね」

「子供だけで遠出なんて、パーパは絶対に許しません!」

「……自称はいいのかねパーパ」

「ただのアルハザードジョークだ。認めたわけじゃない」

「その割には、父親参観にはビデオ片手に来てくれたじゃないか」

「運動会はザッフィーが担当だがな」

 二人三脚を狼形態でぶっちぎらせた男が言う。そのくせ、父兄のパン食い競争にはちゃっかり出ていた。この男は、そういう男だった。

「ふむ。やはり君のその偽善なのか優しさなのかお節介なのかよく分からない行動は分類ができないから理解に苦しむね。何が狙いなのか分からない時がある」

「ただの好意だっての」

「そうかね? 問題があると“分かっている”からこそではないのかね」

 フェイト・リフェラーの問題。デリケートなそれを、それなりに纏めるためにお節介を焼きに来た。ジェイスの今の立場でできないことでも、クライドにはできる。広域次元犯罪者にしては生ぬるいその男は、ジェイスに向かって指を立てた。

「その通り。お前じゃ解決できない問題がある。それは、親父さんもプレシアさんもどっちもミッドチルダの人間であるということ。これが不味い。非常に不味い」

「だろうね。表ざたになれば違法クローンとして管理局に摘発される」

「届出しても、直系だから現行法だとちょっと不味いはずだ。最近、水面下でプロジェクトFを完成させた連中が商売してるらしくて管理局が摘発に動いてる。親元から引き離されるのは当然として、施設行きだ。まぁ、三脳辺りのデータ取りの意味もあるのかもしれないが、中には記憶転写が成功してる例もあるらしい。子供は本当の子供だと信じきっているだろうが、局にいきなり暴露されて成す術ない親の無力を見せ付けられる。嫌が応でもな。でもまぁ、後味悪いよなそういうの。ならガツンとやるよりはさ、マイルドにしてやりたいじゃないか」

 子供が死んだから、子供そっくりの身代わりが欲しい。或いは、死んだという事実から逃避するために子供のクローンを作って育てたい。深遠なる親の愛が、道理を踏み外させたがためにそんな事例が挙がっているのだ。無論、それ以外の個人的な欲望のためだったりと理由は多々あるだろう。しかし、大抵はその生活は破壊される。情と法が鬩ぎ合い、良くも悪くもビターにさせる。それは、ちょっとばかし彼にとっては面白くない。

 施設に隔離され、誰かに引き取られるか孤児としての生活を余儀なくされる。言うだけなら単純な話だ。それは違法だと法で定められているからだ。それは、法を犯した者に対する罰なのだ。生み出された子供に罪はなくとも、その存在そのものがある種のタブー。その余波を喰らって、辛い現実が降りかかる。それは一つの世の無情。

 この問題を解決するには、それこそ法を変えさせなければならない。表沙汰にJSウィルスによって技術公開されたが故の、近年に生まれた新しい事件形態ともいえる。それが生み出した一つの悲劇。引き金を引いた“二人”にとって無関係ではない事例だからこそ、黒の男もドクターも、それから目をそらすことができない。

「まぁ、プレシアさんは無関係だから引き取るって言えばもしかしたら融通を利かせてもらえるかもしれんが、未知数だなこれは。専門家じゃないからアレだが、まぁ、嫌な予感がするわな」

「そもそも自分が産んだわけでもないからね。娘のそっくりさんを愛せるか、という問題もあるわけだ。どちらにせよやってみなければ分からないし、その過程において彼女たちが被る精神的な影響は計り知れない」

「そういうこと。正直こう、倫理的にも難しい話しなわけだ。ぶっとばして解決ってならないだけ面倒さ。いやマジで」

「そこで道理を無視する君の出番が来るわけだ。いやはや、さすがは温さに定評があるアウトサイダー(笑)の人間だ」

「うるせぇ。実子が一人だけなのに、既に三人子供が居ることになっちまった俺なら問題ないってだけのことだよ。いつものように開き直ってやるのさ。加えて、俺は父親面するつもりはないし“あいつ”なら拒否はしないと思う。ていうか、可愛がりそうなんだよなぁ……」

「嫁を説得する自信はあるわけだ。それは朗報だね」

「結局はその娘次第さ。駄目でも知り合いの管理局員に頼むって手もある。最悪施設行きは回避してやりたいしな。後見人が管理局員なら、ある程度の問題は目を瞑ってもらえる。ただ、これをやるとその娘は管理世界所属になるな。こっちに居たほうがプレシアさんやアリシアちゃんと頻繁に会えると思うんだがまぁ、選ぶのはあの娘。それでいいだろ」

「そうだね。個人的にはデータ取得のサンプルにされる可能性はあるし、私の“同類”に目を付けられるかもしれない。だからこっちに匿った方が安全だとは思うよ。魔力資質が高いのも気に掛かるし、ね」

「どうなるかな。ちなみに、三脳がどこに居るか知ってるか」

「私はそこまで彼らに近い位置にいたわけではないからね。仮にだが、知っていたとしたらどうするのかね」

「ギル・グレアム提督にリークする」

「ははっ、問題を投げるわけだ」

「自浄作用って素晴らしい」

 まったくの他力本願であった。

「私はてっきりソードダンサー<最終兵器>でも投入するのかと思っていたよ」  

「それだと意味がないな。やり過ぎなところを反省させるにしろ灰燼と化したら意味がない。ああいう奴らって最後には派手に自爆しそうだろ。俺の罪状をこれ以上増やされても困るしな」

「なるほど。しかし、自爆か。お約束だね」

「ああ、お約束だ」

 それに、一々気に入らないところを攻撃していたらただの犯罪行為だ。クライドとしては罪状を暴露させていっそのこと逮捕でもされた方がいいと心底思っていた。

「パッと思いつくのはこれぐらいか。きっと精神的なフォローは俺にはできないな。時間か、それとも周囲の人間の暖かさこそが鍵ってか。まぁ、これは置いておこう。なるようにしかならない。で、だ。彼女一人だけだと思うか」

「データディスクの資料によれば、量産体制はまだ確立されてはいないようだよ。キモの部分にあたるものは破棄したとあった。オリジナルのDNAデータは勿論、これ以上は再度技術開発実験を繰り返さなければならないだろう」

「クローンのクローンはどうだ」

「あまり現実的ではないよそれは」

「ならまぁ、後は親父さんの問題か」

「生きてると思うかね?」

「生きてるだろうさ。人質として彼女に有効だ」

「……策は?」

「管理局にリークすればいいだろ。資料ごとな。本局でもいいし、最近俺の方でできた地上ルートを使ってもいい。ニューメディックなら本社はミッドだろ」

「彼女が居たのは別の世界のようだがね」

「ありゃ、そうか。でもあの会社は確か管理世界界隈だけだろ。ならやっぱり、連中に任せればいい。出張ってきたら臨機応変に対処だ」

「ふむ。そういう行き当たりばったりなところは相変わらずなようだね」

「人質交渉でもしてくれれば楽なんだがな。目の前に居てくれればどうにでもできる」

「君ならそうだろうね。よろしい。明日は初めての家族旅行と洒落込もうじゃないか。少し物騒になるかもしれないがね」

「おう。んじゃな。とりあえず、親父さんの方はこれから助けに言ってくる。吉報を待て!」

 言いたいことは終ったのか、すぐにクライドは帰って行った。少年は荷物を纏める作業に戻りながら、何故か少し心が軽くなったことに気が付いた。結局、かつての自分のしでかした行為の結果を、彼にいくらか押し付ける羽目になった。しかし、彼はそのことになんら文句も言わず、フォローしてくれるという。

「なるほど。後ろに親が控えていてくれるというのがこういう気持ちだったのか。いや――」

 記憶上の話ではあるものの、ずっと昔にそんな人が居たのだということをふとジェイスを思い出した。無論、それは“他人”の感情だ。最初期のスカリエッティ。つまりは、オリジナルのジェイル・スカリエッティの記憶として刻まれているものを思い出しただけに過ぎない。究極的にいえばそれは、所詮他人の記憶に他ならない。そんなものに引きずられるのは、何かが違うのではないか?

 考える。
 考える。
 考える。

 一人きりの部屋の中、くすんだ眼のそのドアの向うにはつい先ほどまで義父が居た。立場上の父であり、血など当然通っていない。彼を父だと呼ぶのはただの慣習にのっとってのことでしかないのだから、“比べる”ことに意味はない。しかし――、

(無いから欲しがる。手に入れたいと欲する。欲望に際限などなく、私はそもそもその衝動を抑えられるような人格を持っていない。無意識に代償欲求を満たす代替として”戦友たち”をこれ幸いと利用したのか)

 フェイト・リフェラーが存在しない肉親<母と姉>を求めるように、自身もまた両親を無意識にでも求めていたとしたら? パーパ<クライド・ハーヴェイ>とマーマ<カノン・ハーヴェイ>。生前に得た最後の仲間。彼らを選んだのは、指名したのはもしかしたらそういうことだったのか。自問して、その答えのナンセンスさに自身で笑う。

(くくく、まさかね。そこまで信頼していたわけではないだろうし、そもそも知らないことの方がお互いに多い。だが、そうだな。興味深いとは思っていたのだろうし交友を深めることになんら抵抗は感じてはいない。私はただ、知りたかっただけなのだろう。アプローチの仕方が変則的過ぎたかもしれないが、まぁ、いい。いいさ。あの二人は気にもしていないしね)

 そもそも、彼と彼女はジェイスを息子だとまったく思ってはいない。それと同じように、設定上の肩書きを呼びはしてもあの二人を両親だと思ったことはない。互いに、それで良いと思っている。その距離感に不満はない。

「そう、何も問題などないわけだ。だから私はこの境遇を楽しめる。だったら、それでいいじゃないか」

 この境遇を捨てる気はそもそもにないのだ。ではなぜ、こうも自己分析をするに至ったのか? それもまたすぐに答えは出た。少女を理解するために、自身の境遇と比べるためだ。恐らくは一度も会話したことがない母と姉。肉親だと言われていたとしても二人を求める彼女の精神構造への疑問が、歳相応の精神性が、ジェイスは知りたかったからだった。

 結局はどれだけ考えても彼には分からない。母や姉に会いたいという気持ちなど。しかし、だからこそ知りたいと願うのは彼の欲望か。それとも、願いだったのか。

 ジェイス・ハーヴェイはまだ知らない。天才ではあっても、表には無知で、未知の探求はまだまだ始まったばかりだったから。













 ニューメディック。管理世界では最近まではトップクラスの医療機器メーカーだった会社である。次元世界を股ににかける大企業であり、特に管理局からの受注が多かった。しかし、それもまた魔導王事件を皮切り過去のモノと相成った。

 問題とされたのは、その入札に関わっていた局員がリビングデッドであったこと、そしてニューメディックの検査機器に特定の生体データを欺瞞する機構――リビングデッドを隠蔽するための機構――と、魔導師のコア情報を故意に流出させる機能が見つかったからである。

 それは、シュナイゼルが安定して魔導師のリンカーコアの情報を蒐集するための秘密機構。ベルカ自治区でリンディ・ハラオウンの偽者に対して、正常だと判断した検査機器をチェックしたこと、そしてグレアム一派が当時に仕掛けたリビングデッド一掃作戦において露見しなかった原因究明において、両者が同じメーカーの機器であることから発覚したことだった。

 担当者もリビングデッドだったようで、魔導王事件において魔法プログラムの演算の要である“死霊秘法”が失われたことで消失。結局は歴代の担当が行方不明となったせいで、責任の所在については犯罪者の暗躍として処理された奇怪な余波事件である。局の入札においてもリビングデッド同士で連携して暗躍していた節があり、それがなくなった今はより厳しい入札になったせいでシェアが奪われトップメーカーではいられなくなった。

 無論、それだけではない。魔導王シュナイゼルという調整者の依頼で行ってきた非合法実験が行えなくなったことでも少なくない影響が出た。正体不明の勢力から査察のリークがあって辛うじて乗り越えたものの、落ち目になった事実は変わらず今では巻き返しを図るためにかつての研究にも手を出していた。プロジェクトFもその一つだった。

「リフェラー君。もう一度だけ聞こうか。サンプルはどこだね」

 白衣を着た中年の男、新しいプロジェクトFの開発主任となった彼――シャフト・ディーラー――はにこやかに尋ねた。嫌に優しいその声色は、早く楽にしてあげたいという同情心に満ち溢れていた。だがリフェラーは答えない。両手両足を革張りのベルトで大仰な椅子に拘束され、目隠しされたまま沈黙を繰り返す。どのような苦痛にも、呻き声だけで耐え忍ぶのは、ただの科学者にしてはありえないほどの忍耐だった。

「しょうがないな。やってくれ」

「――」

 体が跳ね上がる。部下の男が椅子に繋がった機材を操作し、致死量ギリギリの電撃が流された。激痛を呼ぶ痛みは、全身を駆け巡り彼を心身共に打ちのめす。彼らは医療機器のメーカー。つまりは、人の限界はよく知っている者たちである。

 暴力の次は、拷問器具。その際、徹底して声だけは優しい。異常なことである。常人の感性など、既に脱却しているのだろう。リフェラーは意識の断絶さえ許されない苦行に鋼の意思で立ち向かう。彼にできることなど、もはや時間稼ぎしかなかったから。それ以上、娘にしてやれることがなかったからこそただ耐えた。

「おうおう、やってるねぇ」

 苦悶のオーケストラのその中に、奇妙な足音をさせる男がやってきた。

――コツカツコツ。

「ああ、ファング。首尾はどうだね」

「駄目だ。計画的に転送地をたらいまわしにしてるせいで追いきれない。それと、我らが会社のあの支部に管理局の強制査察が入った。もう駄目だな。あの会社は」

 苦い顔で、彼はお手上げだとばかりに両手を挙げた。

「問題はないよ。我々は次のクライアントの元に向かう。ただそれだけのことだ」

「だから、証拠だけはそのままにしておいたってか」

「ライバル企業になるのだから、潰しておいた方が先方も喜ぶだろう?」

「違いない。あんたのそういうところ好きだよ俺は」

 信頼を損なうのは一瞬であり、信頼を得るには逆に途方もない時間がかかる。ならば、ニューメディックが落ちぶれるたびに失われた信頼を補填する存在が必要だ。構図は単純でも、効果はある。それでもって、今この状態に対する失態を少しでも彼は軽減しておきたかった。

「まったく、人間ってのはほんとロクでもないねぇ」

「いつの時代も、そのロクデナシが世界を回すのですよ」

「ニュービジネスもその一つかい?」

「禁忌とされたモノほど度し難いほどに人は求める。ロクデナシは飛びつかずには居られない。酒やタバコ、麻薬とさえ同じです。止められない止まらない、抜け出せない」

「そして、次はクローン人間ってか」

「人造人間だと呼ぶ人も居ますがね」

 笑いながら、細かな部分について指摘する。そうして、その男は思い出したかのようにあの事件を口にした。

「JSウィルスの遺産……とでも言うのかな。裏では確実に人の尊厳が踏みにじられている。周知されたせいで更に。この波に乗り遅れるわけにはいかないですよね。ロクデナシたちは」

「そして、生きた宝石を量産か」

「金に糸目をつけないという方は多い。手に入らない者なら尚更に」

 代替、偽者を提供するお仕事。それが、この男の新しいビジネスプラン。その目玉となるはずだったのがアリシア・テスタロッサのプロジェクトF体と、その量産化計画。別段、歌姫だけが標的なのではないがネームバリューとしては破格だった。

 例えば、本物に手が出ないという哀れな者たちに懐と相談しながら提供する。表向きにはクローン体による治療会社とでもして名を売れば良い。安全にやるならそれが合法の世界に行けば良いだけだ。その中で、お客のニーズに合わせた商品も提供するわけである。かつて存在した人身売買とは違い、クローンに人権を認めない世界でなら問題はない。

「ヘアークリスタルなんて馬鹿なものを売ったのもそのためか。随分と時間をかけたものだよなぁ」

「ぐっ、はぁ、はぁ……」

 開放され、息も絶え絶えの様子のリフェラーの胸元には件のクリスタルが煌いている。全ては、当たり前のように布石があった。

「これの中に、遺伝子媒体があるなら探す必要はないんじゃないか?」

「中身はもうないですよ。処分されたようです。本物から採取するしかないのです。困りました。この上完成体まで失っては事です。期待してもいいですか?」

「やれることはやる。だが、居場所が分からなきゃ手が出せない。管理局なら難しいな。奴らの施設を襲うのさすがに骨だ。不可能ではないが戦力が足りない」

「どうでしょうね。可能性としてはそれが無難ですが……」

「一応、遺伝子上の母親の家も部下が監視してるが動きはないぜ」

「ふむ……」

 管理局が動いたことが、局に身柄を保護されたと考える最大の要因ではある。しかし、しかしだ。ならば、リフェラーは何故態々自らも最寄の管理局に通報し保護を求めなかったのか? 理由など決まっている。そう、この男も所詮はロクデナシなのだ。この後に及んで、希望を胸に抱いているのだ。都合の良い希望を。

「違いますね」

「ほう?」

「禁断の、人道を外れた研究に手を出したこの男は自己の都合をこそ優先する。間違いなく絶対に」

 でなければ、フェイト・リフェラーなどという偽者は生まれては居ないのだ。

「つまりは、この男は身勝手なのですよ。法に喧嘩を売りながら法の網からも逃れようと画策した。そう、亡命。亡命が狙いだった。逃げ切れればね」

「なら、娘さんと合流するつもりだったってことか?」

「そう考えるのが自然でしょう。さて、ならば管理世界外ですね。でなければ管理局が彼と娘を引き裂くでしょうし、となれば――」

「自治世界連合」

「はい。それがベターではあります。そして、管理局がおいそれと手を出せない場所が望ましい」

「パッと思いつくのはヴァルハラだな。しかし、あそこはクローンはどうだったっけか」

「理解はあったはずですよ。機人だろうとパソコンだろうと、求める者には権利を与えるのがあの世界です」

「それが本当だったとして、だ。おい、あそこはやべぇぞ」

「分かっています。あの世界は異常です。しばらくは様子をみましょう。動くにしても彼から情報を吐き出させてからでいい。勿論、手間をかけさせるわけですから楽に殺さないようにしましょうね」

「……お前、実は怒ってるだろ」

「はい、それはもう。笑顔しか浮かべられないほどにね。ファングさん、私はね、邪魔されるのが嫌いなんですよ」

 絶叫が轟く。再開された尋問という名の拷問。執拗で陰湿なそれは、一晩中続く、かに見えていた。











「おい、起きろって」

「う、うぅ……」

 頬を誰かが叩いていた。ようやく意識を断ち切れたというのに、すぐにこれだ。リフェラーは拷問で弱りきっていたが、それでも難度と無く繰り返した意識の喪失と浮上。それを思えば、反射的に慄いた。圧倒的な恐怖。虎視眈々と死神が自分の来訪を地獄のそこで待っているような、そんな絶望的な状況なのだ。

 唯一の救いは娘がちゃんと逃げ切れただろうということ。ただその一点。それだけが、唯一彼に残された希望だった。

「んー、目が見えないってわけじゃないよな」

 黒髪の男が尋ねてくる。眼球を動かし、ぼやけた視界の中で見たこともない男が眉を顰めている。ふと、男が無防備にも背を向けた。なにやら、騒音がする。何がなんだか分からなかった彼ではあったがすぐに察した。瞬間、リフェラーは居ても立っても居られず反射的に立ち上がって握りこぶしをその男の後頭部に叩き込んだ。

「つっ!?」

「うぇ?」

 攻撃は無効化された。男と拳の間を紫銀に光る光が遮ったのだ。雷光のようにバチバチと輝く光の膜を殴ったリフェラーは、反射的に拳を引く。と、驚いたかのような声を上げた男がゆっくりと振り返って彼を見た。

(ま、魔導師!?) 

 オートバリアと呼ばれる自動防御機構を持つデバイスがあるが、それだろうか? なまじ知識があったせいで、リフェラーは自分のしでかした失敗に気が付いた。騒音を、管理局の作戦だと考えて焦りすぎた。助かるのだと、希望を持って考えもせずに行動に移ったのがいけなかったのだ。

 愕然とした顔で、しかし引くにも引けずにただ蛇に睨まれた蛙のように静止したときだった。

「あー、一つ聞きたいんだがミスター。あんたがフェイト・リフェラーの親父さん?」

「……そ、そうだ」

「だよなぁ。もしかしてあんた、俺をニューメディックの手先か何かだと思ってる?」

「え?」

「あー、一応助けに来たつもりなんだが……できれば拳を引っ込めてくれると助かる。ちなみに、次やられると殴り返すぞ。勿論、笑顔の三倍返しだ」

「……」
 
 リフェラーは無言になり、すぐに振り上げたままの拳を下げて謝罪する。

「す、すまない。や、奴らの仲間かと思ったんだ」

「オーケーオーケー。気が動転してたんだな? まぁ、なんだ。結構きつい目に合わされてたみたいだし、そういうこともあるだろ。うん」

「そ、それで貴方は管理局員……なのか?」

「いや、広域次元犯罪者」

 その眼つきの悪い男はニヤリと笑ってリフェラーの肩をポンポンと叩いた。リフェラーは、当然のように困惑した。

「クライド、何を遊んでるのよ」

「いいじゃん。俺いなくてもお前らだけでさ」

 ドアの向うから声がした。これまた場違いなほどに幼い黒髪の少女だ。娘と同年齢ぐらいだろうかと思ったが、すぐにぎょっとした。手に握られた抜き身の刃が、余りにも場違いすぎたのだ。だが、魔導師はそういうものだとすぐに思いなおした頃には更なる足音が近づいてきていた。

「クライド・ハーヴェイ。そっちは終ったのかしら」

 次に現れたのは、時空管理局の青い制服を着た女性だった。金髪の縦ロールを弄りながら、部下だろう者たちを率いて優雅な足取りでやってくる。

「今しがた完了っす。悪いねレイン提督」

「別に構いませんわ。最近の違法クローン事件を探っていたから、丁度良かったですわ。それにしても、本当に管理世界を我が物顔で歩いてますわよね、貴方」

「いいじゃん。悪いことをした覚えはあまりないし」

「しかも相変わらずソードダンサーと一緒なんてね。ほんと、用意がいいこと」

 抜き身だった氷水を鞘に仕舞うカグヤは、その言い様に反応せずに淡々とクライドの側に控える。ブラックリスト筆頭の威を借る広域次元犯罪者クライド・ハーヴェイ。管理局員としては色々と問題視されている彼は、捕まえたくても捕まえられない難儀な相手だった。レインからすればこんなのに税金を使うのは論外であるから、無駄なことはしない。捕まえるポーズはとってもそれだけだ。それに、どうせ捕まえてもすぐに逃げる。管理局員としての良心を真正面から抉るとんでもない男だった。

「ま、いいですわ。で、その方が誘拐されたリフェラーさんね」

「そうらしい」

「娘さんをヴァルハラで保護したというのであれば、無理に手は出せませんけれど……この方は数年は牢屋暮らしですわね。何か申し開きはありまして?」

「い、いえ……」

 犯罪組織に唆された程度であればまだ情状酌量の余地があるかもしれない。しかし違法研究と認定されているものを知っていながら故意にやるのは犯罪だった。アニメ三期における原作キャラ、エリオ・モンディアルの両親は息子の代替と引き離されるだけで済んだが、意図して道を外した彼には罰があるのだった。

「ですが、その、娘は……フェイトは無事なんでしょうか」

「今頃ストラスさんの家で熟睡してるよ。明日はプレシアさんとこに顔を出す予定だ」

「そう……ですか。よかった、あの娘が無事で」

 疲れきった顔で、それでも確かな安堵を浮かべながら男は緊張の糸が切れたかのような勢いで倒れる。

「ちょ、おい!?」

 慌ててクライドが支えると、そこには寝息を立てる父親の姿があった。






 その後、レインの部下にリフェラーを押し付けたクライドは慌しく管理局員が出入りするアジトを歩いた。

「あ、そうだ。一応局員として聞いておきたいんだけど娘さんがそっちで保護されたらどうなります?」

「身元が確かな引き取り手が居なければ普通は施設行きですわね」

「じゃあ、遺伝子上の母親の場合は?」

「……難しいですわ。現行法の内は」

「父親を取り上げ、その上で母親からも遠ざけざるを得ない……か」

「言いたくはないけれど、子供への罰でなくアレは違法に手を染めた親への罰なのよ。離婚して、無関係であったとしても例外を作ると他の親たちからしてみれば狡になりますわ。なんでそいつは良くてうちは駄目なんだってね」

「親の愛か。悩ましいなぁ」

「狂おしい程の、そして踏み越えてしまうほどの愛ですわ。同情はしますけど、認めることはできない。私としても悩ましい問題ですわ」

「俺ももう他人ごととは言えないしなぁ」

「そういえば、娘さんは?」

「嫁の実家で世話になってるよ。もう二、三年すると訓練校当たりに放り込まれそうな勢いだ。身内で異常に天才扱いされてるんだよなぁ。空飛ぶだけで褒め、にっこり笑うだけで褒め、ちょっとお手伝いをすると褒めってなもんだ。あの家には絶対に孫馬鹿しかいない」

「……そ、そう」

 褒めて伸ばす教育という奴だった。第二のリンディ・ハラオウンが着々と英才教育を受けているのだと思えば、レインとしても微妙な顔をせざるを得ない。何せ、あの一族は基本馬鹿魔力なのだ。

「おかげでクライドに似ないで済むのだから、いいのではなくて?」

「きのせいかな。似たら不味いみたいに聞こえたぞ剣の暇人」

「確かに、貴方を真似して犯罪者になるのはどうかと思いますわね」

「に、二対一とは卑怯な……」

 カグヤとレインの突っ込みに、反論する言葉を失うクライドであった。














 翌日、育狼の食堂に下りてきたジェイスは食堂で唸っている駄目男を発見した。

「眠い、超眠い」

「え、えーと、大丈夫ですか」

「あー、うん。大丈夫大丈夫」

 ほとんど目を瞑ったまま、無駄に器用に食事をするその男はフェイト・リフェラーを無駄にオロオロさせていた。ジェイスは当然のように何かを察したが、それを問うことはせずに食事のトレーを持って近づいた。

「おはよう」

「あ、ジェイス。おはよう」

「うぃー」

「はぁ。ここには他の子供たちも居るのだよ。悪影響を受けたら一体君はどういう責任を取るつもりなんだい」

「勿論、反面教師として君臨してやるのさ」

「リフェラー君。君はこんなになっては駄目だよ」

「うん。さすがにその、目を瞑ったままご飯は食べられないよ」

「ふっ、これもグラムサイトのちょっとした応用だ」

「何故ドヤ顔を披露するのかが分からないが、今日の予定は? アポはとってあるのかね」

「当然、話しは昨日のうちにつけたさ。飯食ってしばらくしたらプレシアさんの家の近くに直で飛ぶ。んで、少し散歩して時間潰したらゴーだな」

「それなら半日はかからないか」

「ジェイス君も、来るの?」

 サンドイッチをほおばる手を止め、不思議そうな顔で少女は少年を見る。

「何か問題でもあるかね」

「ううん、ないけど……どうしてかなって」

「ことの顛末を確かめたい。ただそれだけだよ」

「ふぅん……そっか」

 食事を再開する二人は、そのままクライドを放置した。なんだかよく分からない男よりも、歳が近い少年の方が安心できるのだろう。なんだか少女に避けられているオーラを感じながら、クライドは薄目を開けて二人を眺めながら考えた。

(あー、なんつーかもう、色々とブレイクしすぎたかなー)
 
 今更のような疑問を徹夜明けの頭で考えながら、クライドはしばらく己の所業を省みる。そうして、結局はいつものように開き直った。












「懐かしいなぁ。昔、俺はここでアリシアちゃんと出会ったんだ」

 カグヤの力で移動し、庭園があった川原を散歩しながらクライドが呟く。ただその後ろをついていくだけの少女は、その何気ない呟きに反応した。

「姉さんと知り合いなんですね」

「ああ。当時一緒だった俺の使い魔の狼を嬉しそうにもふもふしてたぞ」

「へぇ……動物が好きなんですね。姉さんは」

「プレシアさんは猫飼ってたし、苦手じゃないだろうな」

 狼も猫もそうだし、フェレットも大丈夫だった。

「今度モフるか? いい奴を知ってるぞ」

 脳裏にザフィーラを思い浮かべながら、クライドは言う。

「えと、じゃあ機会があったらお願いします」

「おう」

「ならいっそのこと動物園にでも行こうじゃないか」

「んー、それでもいいな。何人か暇そうな奴に声かけて皆で行くか」

 ついでに、魔窟から娘を取り戻す口実にもなる。顔を見る度に娘が残念な者を見るような目になってきているという事実が、クライドには痛かった。唐突に何の脈絡もなく「もうお父さんと一緒に寝ない」などと言われた時の衝撃を、クライドはまだ忘れてはいない。忘れてはいないのだ。父親の尊厳を取り戻すためにも、家族サービスは行われなければならない。無駄に決意しながら、子供たちを先導してクライドは歩き続ける。

(今頃、プレシアさんは掃除中かな)

 ミッドの家に帰ることは少ない。休みには帰ってきて業者に掃除を任せ、静かな田舎で休暇を消化して仕事のために次元を超える。何れ退職することがあれば、きっとここに帰ってくるつもりだろう。ここの穏やかな空気は、かの大魔導師も気に入っていたから。

「ん、もうちょっと潰す必要があるな」

 指定の時間までまだある。アポを取る際、事情をこそ夕方に話してはいたがたった一晩だ。その間に彼女がどういう考えを持ち、少女と向かい合うつもりなのかはクライドにも分からない。

 困惑しただろう。驚いただろう。クライドだとてストラウスにバイト先から呼び出され、持ってきたという手紙と少女の存在を知らされたときは当然冗談かと思った。生まれるはずのない少女が現れるなんてことを、クライドは想定していなかったのだ。だが、少なくともそれでも情報を持っていたから驚きはしても受け入れることは簡単だった。しかし、プレシア・テスタロッサにはそれさえなかったのだ。

(プレシアさんは、一体どうするかなぁ)

 時間を潰す間、フォローすることばかりを考えた。けれど、それは杞憂だったのだと気づいた。

「いらっしゃい。よく来たわねフェイト」

 フェイト・リフェラーを迎え入れたときのプレシアには、穏やかな笑顔があったのだ。

(ああ、そうか。俺は、なんて場違いなことを考えてたんだろうな)

 このプレシア・テスタロッサは道を外れてはいない。アリシアが生きているこの世界において、彼女は正しく母親で在り続けた。そんな普通の親が、事情を聞いて頭ごなしに彼女の存在を否定することができるだろうか? 答えは否だった。彼女は優しかったのだ。アニメ二期での“フェイト・テスタロッサ”がアリシアの記憶で知っていたように、本来は優しい母親なのだ。

「おかあ……さん?」

「なあにフェイト」

 クライドが戸惑った少女の背を押してやろうと手を伸ばし、引っ込める。それよりもジェイスの手の方が早かったからだ。

「あ……ジェイス?」 

「言いたいことがあるのだろう? そのために君はここへ来たのだろう? ならば、言えばいいのだよ。彼女は君の話をしっかりと聞いてくれるはずだ。戸惑う必要はないよ。さぁ、存分に甘えればいい」

どうしていいか分からない少女の背を、表帰って間もない少年が優しく押した。その声には、どこか熱が篭っているようにクライドには思えた。

「う、うん!!」

 フェイト・リフェラーは一歩一歩小さな足で踏みしめて、プレシアの元へと歩いていく。プレシアは両手を広げて不安げな少女を迎え入れた。

「ジェイス」

「ああ、言われずとも分かるさ」

 クライドはプレシアに軽く念話を飛ばすと、ジェイスと二人で時間つぶしに出かけた。もう、二人の男はこの場には必要ではないのだ。

「不思議な気分だ。戸惑いさえ覚える程に。夜天の王、聞いてくれるかね」

「ん?」

「私は、私はどうしてさっき彼女の背を押し、あまつさえ分かったような口で生意気にもあんなことを言ったのだろうね。滑稽だと思わないか? 言うに事欠いてこの“私”が、彼女を生み出す切っ掛けを作ったであろう私があんなことを言ったのだよ」

 JSウィルス。ジェイル・スカリエッティの名を世に知らしめたあの事件を、あの一手を行った者の言葉とは思えない。そう独白するジェイスは、両手を力強く握り締めて立ち止まる。

「なんてことだろうね。ありえない。そう、ありえないはずだったのだよ。なのに自然と言ってしまった。これではまるで、贖罪ではないかね。可笑しい、私にはそんな感情はなかったはずだ。今回のこともそうだ。そんなつもりで付いて来たのではないのだよ。私は、私のためについてきた。理解するために。研究するために。探求するためだったはずなのだ」

 黒の男が振り返れば、彼は空を見上げていた。どうにも、居心地が悪そうなその様子が、クライドには少し照れているように思える。

「ジェイス、お前もしかしてさ。良い事ってあんまりしたことないのか」

「あると思うかい? 私は悪のドクターだった男だよ」

「じゃあ、覚えとくといいぞ。お前は今さっき良いことをしたんだ。んで、それに満足感を覚えたんだよ」

「興味深い意見だね。満足……善行に因る満足か。これがかね」

「でなけりゃ、お前は照れてるな」

「そんなものかね」

「そんなもんだ。頭すっからかんにしてさ、深呼吸してみろって。ほら、悪い気はしないだろ?」 

 言われるがままに呼吸を整えてみれば、確かに行為自体を後悔する念はない。不思議な感覚だった。それが、表返るということなのか。

「そういえばこれとは違うかもしれないが、一つ似たようなことを感じたことはあったはずだが、覚えてるか?」

「いいや、特に覚えはないね」

「そうか? なら忘れない内に言っとくぜ“ドクター”」

 クライドが言う。

「ありがとうよ。時の庭園で、俺とグリモア君のために情報を収集してくれて。おかげで、アルシェとかいう奴<完成型機動砲精>の存在が分かった。結構助かったんだぜ。あんたの無茶のおかげでな」

「ふふふ。なんとまぁ、随分と遅れた礼だね」

「さすがに命賭けられたら礼の一つもって思うさ。遅れたのはもう謝るしかないが」

「いいよ。そのおかげで嘘でもパーパとマーマができた。前と同じさ。ギブ&テイクで行こうじゃないか。私たちはそういう関係だっただろう」

「さて、な。今はあの時よりももっと距離が近いかもしれないぜ」

「ちがいない」

 苦笑しながら頷き、一度だけジェイスはプレシア邸を振り返る。今頃はきっと、親子の会話をしているのだろう。産んでもいない娘のために、母親であろうとしたプレシア。ならばきっと、結末はそう悪くないものになるだろう。そうと予感させるモノがあることが、今は何よりもジェイスに暖かな感慨をもたらした。

 少年が視線を前に戻す。足を止めた男に並ぶように追いつき、二人して白衣姿のままで表の道を練り歩こうとした。だが、その次の一歩を踏み出すことが二人にはできなかった。

 二人の持つデバイスのセンサーが反応。魔力の衝突と励起を観測する。

 言葉もなくバッと振り返った二人の視線の向うから、けたたましい雷鳴が轟いた。雷光は二人の目を眩ませる程ではなかったが、それでもその晴天の空を奔る雷などという異様な光景を顕現させた。尋常な様子ではない。アルトセイムにそんな気象異常が起きるはずがないのだ。

「どこにでも、空気が読めない奴は居るのだね。不愉快だ。せっかくの高揚を台無しにされた心地だ」

「本当にな。昨日始末した奴らの残党なんだろうが、まったく……」

 苛立ちを吐き捨てながら、二人して出力リミッターを解除する。
 
 クライドは融合していたミニモアの魔力を。
 ジェイスは自らの超魔力を。

 開放された紫銀の魔力と紅の超魔力がそれぞれ魔法陣とテンプレートを地面に刻む。と同時に、それにやや遅れて世界が夕闇に落とされていく。

 封鎖結界だ。問答無用で展開されたその魔法は、二人諸とも周辺全ての魔導師を飲み込んでいく。

「この結界、多分プレシアさんだな」

「急ごうパーパ。彼女だけに八つ当たりされては、私たちの分が減ってしまう」

 アニメ一期とは違い、病に侵されていない大魔導師の母なる怒りがアルトセイムの一角を包み込む。その結果がもたらすものが何なのか、当然のようにクライドには分かる気がした。無論、ジェイスもだ。原作知識などなくても、計測されるデータだけで彼にも分かる。だが、同情はしない。二人揃って飛翔しながら、その時ばかりは全力で馬鹿の排除に奔走した。













「というわけで、娘が増えた」

『まぁ!』

 次元通信用の空間モニター越しに、リンディ・ハラオウンが驚きの声を上げた。だがすぐに興味津々な様子で新しい娘の様子を探っている。そこには否定の気配は特にない。

「よ、よろしくお願いします。リンディさん」

 ぺこりと、丁寧に頭を下げるフェイト。にっこりと微笑むリンディはこちらこそ、といって新しい家族を迎えた。

「といっても、立場上になるわけだがな」

『んー、いいんじゃないかしら。事情が事情です。それならフェイトさんも気兼ねなくご家族と会えるものね』

「そう言ってくれると助かる。親父さんの方はまぁ、面会に行くしかないから暇な時にでも送迎を頼みたいんだが……」 

『ええ。それぐらいなら構いませんよ』

 結局のところ、できるのはそれぐらいだ。どうせプレシアはヴァルハラに来るし、アリシアもそうだ。プレシアや当事者のフェイトと話し合い、最終的にはヴァルハラでクライド預かりということになった。

「それで、今度この娘やうちのも連れて動物園にでも行かないか? 休みが取れる日でいいからさ」

『それは賛成ですけど、学校とか手続きは大丈夫ですか』

「ああ。問題はないさ」

『お弁当は?』

「ジェイスと同じ学校だから給食だよ」

『なら安心ですね』

「おう。あ、そうそう。レイン提督に今度連中の残党の件を聞いておいてくれないか?」

『ニューメディックですか?』

「いや、シルバーファングとか言う奴の方。気のせいなら良いんだが……どうも、な」

 四肢、或いは体を欠損した者たちで構成された元管理局の退役魔導師が多かった傭兵部隊。プロジェクトFのクローン技術で失った手足を取り戻すことが目的だったようだが、果たして、その連中が戦闘機人計画や人造魔導師計画に繋がるかどうかが、クライドには気になるのだった。

 直接ではなくとも、間接的にでも繋がるのだとしたら、今後の未来について気になることが出てくる。フェイトの存在のおかげで、余計に未来が気に掛かる。不確かなはずの未来への梃入れ。クライドのそれは、結局は後味が悪いのだけは回避して後は適当にブン投げるという方針でしかないが、それでも何か一つでも良い方向へと向かえばいいと思っていた。

『機密事項に抵触しない程度なら問題はないですけど、気にかけるようには言っておきます。それでいいですね?』

「ああ。頼むな」

『それじゃ、またね。フェイトさん、クライドさん』

「おう」

「はい」

 通信を終え、モニターを閉じる。緊張していたのか、フェイトが大きく息を吐く。無理も無い、とクライドは思う。八歳児には随分とダッシュな展開だろう。環境がガラリと変わっただけでなく、自分の出生についても知ったし、家族とも引き離された。それでも泣き言を言わないのは、やはりプレシアのおかげなのだ。父親については杖を鞭に変えそうな勢いでニコヤカに話したいと言っていたが、フェイトに関しては終始彼女は優しかった。その情が、本物であるなら問題はない。

「よし、それじゃあ今日はこれでおしまいな」

「はい!」

「後でジェイスに育狼での過ごし方とかを説明するように頼んでおくから、適当に過ごしてくれ。つっても、まだ友達とかもいないか。んー、何か部屋が寂しいな。欲しいものがあるなら買いに行くのもいいな。どうする?」

 見下ろすように尋ねると、フェイトは少し迷いながらも希望を言う。

「その、魔法を教えて貰うのは駄目……ですか?」

「わぁーっつ?」

 斜め上の答えが返ってきたせいで、クライドもさすがに首を傾げる。感じる魔力は間違いなく強大だ。計測魔力値で言えば間違いなくAAAオーバー。だというのに、魔法を習いたいというのはどういうことなのか。

「あれ? あ、そうか。もしかしてあんまり訓練して無い?」

 プレシアの命令で、リニスの指導の元に切磋琢磨したという事実そのものがないのである。それに、ニューメディックとしても魔導師としての力を鍛え過ぎて逃げられることを恐れていたのかもしれない。

「はい。だから、母さんみたいになりたいです」

「あー、なるほどね」

 プレシアの勇士を間近でみれば、そうなっても可笑しくは無いのかもしれない。しかし、大魔導師になりたいと言われて彼は困った。基礎と実戦はともかくとして、単純に大魔法を教えることができないからだ。求めるものがプレシアレベルであるのなら、尚更だった。

「駄目、ですか?」

「いや、暇な時に教えるぐらいなら別にいいんだが……何故俺?」

「ジェイスに相談したら、クライドさんに習ったほうが良いって言われてそれで……」

「あいつは確かに止めたほうがいいか」

 何せ使うのが第四魔法。普通の魔力を持つフェイトに教えるのは畑違いだ。これでは教えるには不都合である。

「直接プレシアさんに習うのは?」

「仕事が忙しいならその、邪魔したくないです」

「なるほどね」

 面白いとは思う。思うのだが、クライドとしては何かが違う気がした。しばらく悩むも、「おっ!」と何やら閃いた様子で提案した。

「そうだ。いっそのこと巻き込める奴を全員巻き込んでしまおう!」

「えっ?」

「安心してくれ。高ランク魔導師の交友関係だけはそれなりにあると自負しているからな。色々と手取り足取り教えてくれるはずだ」

 特に山猫さんと炎熱の女騎士の二人がクライドとしてはお勧めである。後はリボルバー型を搭載した男前なデバイスを用意すれば完璧だ。目指すは、速度重視型のオールラウンダーである。

「くく、くくくく。いい仕事が出来そうで今から楽しみだな」

「あれ、もしかして私、早まっちゃった……のかな?」

 新しい保護者の不気味な笑みに引きながら、フェイトは自分の過ちに気づく。だが、そうとは知らぬその男は少女の手を取ると急かすように部屋を出た。まずは、練習用のデバイスが必要だった。すぐ近くにデバイス屋がある。コレ幸いと、クライドは彼女を連れ出した。












「ううっ、魔導師って大変だよぉ」

「ふむ? もう練習用のデバイスを手に入れて訓練かね。精が出るね」

 何やら戦斧型のデバイスを渡され、庭で途方にくれた様子のフェイトを絆創膏だらけで自転車を押しているジェイスが発見した。

「なんか、やることが一杯あるんだって」

 遠い目で、空を見上げるアリシアの向うではクライドやヴォルケンリッター、それに自称セクシーくのいちとソードダンサー、それに何故かストラウスが集まって話し合っていた。

「これはこれは、予想外に酷い面子だ」

 ある意味凄い面子でもあるのだが、ほとんどがミッド式の魔導師ではない。プレシアのような魔導師=ミッド式の魔導師のはずなのに、ミッド式を習っていたクライドを除けば古代ベルカ式とアルハザード式使いばかりだ。これではプレシアのような大魔導師など夢のまた夢である。

「他にも母さんの使い魔さんも加わる予定だって言ってるんだけど……一体これからどうなっちゃうのかな。というか、学校に通えるのかな私」

 乾いた笑みを浮かべる少女は、力なく項垂れる。やりすぎだった。アドバイスした手前気にしてはいたが、この結果を予測していなかったジェイスとしても呆れることしかできない。連中は一体、彼女をどうするつもりなのだろう。そう考えるとため息を吐かずにはいられない。

「勉強なら私が教えられるからそこだけは安心してくれたまえ」

「お願い。ところで、ジェイスは何してるの? 傷だらけだし」

「見ての通り自転車の練習をしていたのだよ」

「え、乗れないの? 空戦が出来る魔導師なのに?」

 空を飛んで戦っていたことを、フェイトは見ていた。そんな彼が自転車に乗れないなどとは悪い冗談だ。純粋な少女の驚きが、妙に少年の胸に痛い。

「空戦魔導師と自転車は関係ないと思うがね」

 強がるように反論するも、

「だって、飛行魔法で倒れないようにしながら練習するとすぐに乗れるようになるよ」

「……なんだって? そんな馬鹿な」

 更に強烈なカウンターを返される。

 交通安全教室という最大の敵を倒すために必死に訓練しているというのに、思わぬところで思わぬ相手からアドバイスが出た。試しに言われた通りにしてみると、すぐに乗れるようになってしまった。こうなると、ジェイスは感服するしかない。

「うっ、こんなにもアッサリと乗れるだと? 君はもしかして教導の天才かね!?」

「そんなに大げさなものじゃないと思うけどなぁ……」

 信じられないような目で少女を見る目は、驚愕に満ち満ちている。理論も、理屈もすっ飛ばしていきなり結果だけ与えられたような気分だった。

 ジェイスは礼を言って自転車を乗り回す。もはや直進だけではない。右折も左折も、手放し運転だって短時間ならできそうな勢いだ。

「これが人間の力か。原始的だが、悪くない。悪くないなこの力! ふふふ、はははははは――」

 自転車を漕ぎながら高笑いして去って行くジェイス。そして、指導方針と衣装について話し合う魔導師たちと社長。それらを見比べながら、何か、気づいてはいけないことに気づいた気がして、フェイトは思わず言った。

「もしかしてここって、優しいけど変な人たちしかいない……とか?」 

 これから始まる新しい生活が、本当に不安になる少女だった。裏側から表側にやってきた少女のその予感が現実かどうかは、勿論未来の彼女だけが知っている。
























<おまけ>

フェイトそんの強化指導員

ミッド式魔法講座        リニス
近接格闘・防御講座       ザフィーラ
基礎戦闘・ゲートボール講座   ヴィータ
総合実戦訓練(体で覚えろ)編  シグナム
広域攻撃・お菓子講座      リインフォース
小細工・デバイス・アルハ式講座 クライド
お色気講座・チラリズム     セクシーくのいち(自称)
訓練衣装・及び場所提供     ストラウス
AMB講座           カグヤ
弾幕系通信講座         リンディ
料理・掃除・病み(不定期)   グリモア
対AFM講座・お勉強      ジェイス
次元跳躍攻撃・魔法科学講座   プレシア
音楽・ダンス・もふもふ     アリシア

数年後、そこには歌って踊れてモデルもできるセクシーな金髪魔導師の姿が!?

勿論、冗談です。





あとがき
とりあえず書いてみたらこんなんでました。
主役というか、オチ担当はジェイスです。
フェイトそんフラグ回収というか、クライドが想像だにしていない方向からの爆誕。これにより更に修正力なのか偶然なのか必然なのか混乱するクライドが、開き直って無駄に動き、巡り巡ってバタフライエフェクトよろしく三脳にストレスをじわじわと与えます。当然フラグもブレイクしたりしなかったりとカオスに陥ります。やはり、クライドの最終奥義はマジックカッターではなく開き直りかもしれません。

ちなみに年上の妹っていうか姉?がいきなりできたクライドの娘さんは当然のように妖精咆哮を上げて拗ねます。そしてハムスターの構えで徹底抗戦。現状維持を行使ししつつクライドを泣かします。

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